あいびよう コンスタンスの愛猫の生命を奪い、それを生け贄に捧げて術を行ったサミルの身体を、 きり しよ、つき 黒い瘴気の霧が包んだ。 蒼ざめて震えるコンスタンスの目の前で、サミルの手にぶら下げられた黒の死は、 いろあ みるみるうちに干からびて色褪せ、灰になった。柔らかい灰は、ふわりと崩れ、大気に解 ける。後には何も、残らない : くろまどう すべてをまわしい黒魔道の術のために使われ、消えてなくなっていく黒猫の死骸を見 つめ、コンスタンスはべたんとりこむ。 ( こんな・・・・ : ) ひど こんな酷いことになってしまうなんて : コンスタンスは震える手を、黒猫だったものの灰が飛んだ場所に向かって伸ばす。 いちる 一縷の望みをかけて、気を探ったが、黒猫の気は完全に、どこにもなくなっていた。 きんじゅ どくかたまり ゆいいっ キハノとコンスタンスを繋いでいた唯一のもの。禁呪に手を染め、全身、毒の塊である まじよ 獣魔女となり、孤独の時間をすごすことを選んだコンスタンスの、心の支えとなっていた生 ひごう き物は、コンスタンスの目の前で、非業の死を遂げた。命永らえさせるために、化け物へ 年と形を変えてしまった、愛らしい白い猫は、化け物のまま、近った。 まぎれもない黒魔道の術によって出現した瘴気の霧に包まれるサミルの姿を見つめ、レ まゆ イムは不可解さに眉をひそめる。 つな にえささ からだ
まりごとの何かに触れてしまうらしく、コンスタンスにはできなか「た。同じ色にした肱 を髪に変化させることだけが、かろうじて可能だったのだ。コンスタンスはそうして、彼 いっしょ 女の髪の一本にまぎれて、一緒にキハノを見つめ、ずうっとキハノを愛していたかった。 たとえ自分に向けられるものでなくとも、キハノの言葉を聞き、キハノに触れてほしかっ 「 : : : あんた、いい女だな」 まなざ キーツは優しい眼差しでコンスタンスを見つめ、言った。 「あんたみたいないい女、袖にしちまう郎の気が知れないぜ」 くどじようず 口説き上手であるだろうことがわかるキ 1 ツの一一 = ロ葉に、コンスタンスは微笑む。 「向こうが、もっといい男だったんだよ」 おとめ そうせいめがみ だから創世の女神の心をもっ乙女に、惹かれた : めぐ その乙女の巡りあうべき相手が、『彼』でさえなければ、きっとキハノと乙女は結ばれ ていた。バリル・キハノとは、それだけの、格をもった者だった あんたなんかと一緒にしてもらっては困ると、ぬけぬけと言い放ったコンスタンスに、 それでは仕方ないかと、キーツは肩をすくめて笑った。 コンスタンスは静かにレイムに願う。 「 = : = 蜥じの水晶を : ほまえ
「だあからあ、それなら、ちゃーんと口説き落とせっての。その気にさせちまえば、こっ まおと、」 ちのもんよ。間男 ? ーじゃん。惚れちまったもんは、どーしようもねえんだから。通 じちまえば、気がすむかもしれないし。案外さ、手に入れちまえば、つまんない女だっ た、なんて気がつくもんだからさ。想いが鸚るのも、手が届かない存在だからだよ。ぶつ あきら かってみもしないで、黙って諦めようとするから、悔いが残るんだ」 「そう、かな : そう、かも、しれない、かな : 自分は舐めるようにちびちびとやりながら、もっと飲めとばかりに、キーツはレイムの グラスに酒を注ぐ。 「でも、キーツさん、口説くってえ、どういうふうにするもんなんですかあ ? 「そりや、まあ、まず、褒めまくるこったな。それでもって、こう、相手の目を見つめて 手とか握って、逃がさないようにしてだな、言うわけよ。『お前のことが好きだ。お前を しようがい 抱きたい。ただ一夜、たとえ明日には忘れ去られることになっても、俺は生涯、この腕 に抱き、愛したお前のことを忘れない : うる 手を握られ、ぐいと抱き寄せられたレイムは、潤んだ目でキーツを見つめた。 「キーツさん : : : 」 耳からしみこみ、ぞくりとするほど鏘きのいい声に、キーツの胸がどきんと鳴る。 「男の人にそういうこと言われても、僕、困るんですけど : : : 」
144 ほおばらいろ レイムに背を向け、乗りだすようにして光の柱を見つめた妖精は、歓喜して頬を薔薇色 に輝かせ、振り返る。 せいりゅうおう えんりゅう 「本当よ ! 精龍王だわ ! 精龍王がいる ! 精龍王なら、復活した炎竜だって、もう 一度蜥じられるー 世界に存在する、あるのが当たり前の気の一つなので、レイムには精龍王というものが たんじよう えた ) 本当に誕生したものなのかどうか、わからない。だが、得体の知れない、きわめて『自 然な』ものである、不思議な黄金の光の柱が出現し、妖精がこう一一一一口うのだから、それは疑 うべくもないことなのだろう。 「世界は、精龍王によって救われるわ ! 」 ほまえ くろせいれい すいしよう にこりと微笑み、サミルはどこから取りだしたのか、黒精霊の入った封じの水晶を右 かか つばさ 手に掲げ持った。封じの水晶の中にいながらも、黒精霊は興奮ぎみに翼を揺すりながら、 彼方の黄金の光の柱をに見つめている。 へんび 「もともとね、あなたも黒精霊も、出る幕はなかったんですよ。わざわざこんな辺鄙なと ころまでご足労いただいて、恐縮ですけど」 優しげに言ったサミルは、つまらないゴミででもあるように、黒精霊の封じられた水晶 をり捨てた。 精龍王によって、世界が救われるだろうというのは、喜ばしいことだ。だが ようせい かんき
184 するどくろせいれい 鋭い黒精霊の爪が、サミルの側頭部と左肩を吹き飛ばした。 目の前で剣を振るっていたサミルが、いきなり泥となって崩れ、コンスタンスは目を剥 魔道による支えを失い、ぐらりといた宮既に、レイムは仰天する。 「キーツー 手伝ってくれとレイムに叫ばれたものの、キーツは何がどうなっているのかわからな 「ぼやばやしてないで、宮殿を浮かべるのよ ! ルドウィックについていた妖精に、金切り声を出され、キーツはようやく自分のなすべ きことを理解した。 大気を宮殿の下に集めたキ 1 ツは、魔道力で宮殿を崖の上まで移動させるレイムを手伝 、ゆっくりと宮殿を安全な場所に下ろす。 黒精霊に襲われ、一撃のもとに頭部と片腕を破壊され、石のように落下していくサミル きようがくまなざ を、ルドウィックは驚愕の眼差しで見つめる。 ついらく のうしよう ほ 血と脳漿をぶちまけ、砂岩に激突するように墜落したサミルに、歓喜して黒精霊は吠 まえあし たた えながら、二本の前肢で胸を叩いた。 むざん お あぜん 無惨な格好になって墜ちたサミルを、唖然として見つめたコンスタンスは、そのそばに 0 ようせい がけ かんき む
じゃま 「レイム様の邪魔をなさらないでいただきたい : ・ よ - っせい きゅうてい きじん 静かなる鬼神の目を向ける宮廷兵士の斜め後ろに、妖精を連れたキーツが降り立つ。 くろねこ がんかい コンスタンスとともに墜ち、岩塊の陰から出た黒猫が、威嚇するように鳴きながら、そ こ、つもりつばさ の背にある蝙蝠の翼をあげる。 コンスタンスはキ 1 ッとルドウィックを見つめ、すうっと目を細めた。 「坊やたち、このあたしに生意気な口をきくと、殺すよ」 妖なる笑みを浮かべて言い放たれた言葉に、ぞくりと一一人は総毛立った。剣を握った まま、思わずルドウィックは腰を引き、キーツの首の後ろに、悲鳴をあげて妖精が逃げこ コンスタンスが本気になれば、その黒いルを濡らす汗の一雫、ルから香る甘美な ほうむ こ、つ まどう 香で、魔道も使えない若者など、簡単に葬り去れる。 すく 身を竦ませた二人を見、満足して、くすっとコンスタンスは笑う。少々痛い思いもした いじ が、若い男を苛めるのは、楽しい。苦もなく殺せる相手だし、これなら許してやらないで もない。 どくふ よわい 齢二百余の、本物の毒婦でありながら、コンスタンスのちょっとした仕草には、どこ かれん おとめ か乙女のような可憐さが残っている。 魅せられ、一「惚けたように見つめてしまったルドウィックとキーツの前で、コンス なまい
131 千年の夢幻獣 メイビクを欲したサミルの意図がわからず、レイムは眉をひそめる。 死んだと思われていた公子には、受け入れてくれる人もいなければ、受け入れてもらえ むごっら る場所もない。疎まれ、行き場をなくして、レイムには想像もっかないような、酷く辛い 思いをしたのだろうか。強い願いこそが奇蹣を可能とするこの世界で、これほど強大な魔 どうりよく 道力を駆使できる少年は、それだけの必要性があったということなのだろうか・ : そうならば、一族の恥さらしたる、お荷物姫と謗られるメイビク姫は、きっとこの公子 と同じものをもっている。肩を寄せ合いたいと思っても不思議はないような。 キーツの問いに答えないサミルを見つめたコンスタンスの胸の内に、恐ろしい疑惑が 真っ黒なのように鎌首を擡げた。 「ーーーまさか : : : 」 0
る。外側から推し最ることはできないが、このレイムの怒りをか「た術師が、死ぬこ きどく ともできず、いったいどんな恐怖を味わっているのかと思うと、気の毒にさえ思えた。 ままえ くちびるはし サミルは唇の端をあげて、試笑む。 「怒ればいい。 そんなふうにしていないで」 するど 言ったサミルに、レイムは鋭く目を向けた。 微笑んでいるサミルは、しかし、目は笑っていなかった。 じゃま 「邪魔なんだよ」 サミルは呪詛するかの声部で、レイムにそう言った。 歳若さを感じさせる、青い鏘きの残るサミルの声は、そうであるがゆえに、不気味なも のをめていた。 華奢な少年の身体から漂うのは、歳みた者だけがもっことのできる、揺るぎない威 遥かな年月の重みーーー サミルをまっすぐに見つめ、レイムは一つ、息をんだ。 自分の目の前にいるのが、確かに、千年の時を生き抜いた者であることが、わかった。 ( 金色の、公子 : : : ! ) 本物のーー セレンジェビーノ家の、クシュファ公子 : ・ はる 0 0 0
236 ( こんなにはっきりと、神鳥が見えるのに : じちょう かす わからなかったはずはなかったのにと、自嘲するようサミルは微かに笑った。 琥瑯との逅を果たし、止まっていたサミルの時間が動いた。 千年という、あまりに大きな時が、堰を切ったように流れた。 腰を落としてャスミナ姫を見つめていたサミルの姿は、色を失い、灰となって崩れた。 めし 盲いた目から静かに一筋の涙を流し、先に消えてしまったサミルの後を追うように、ヤ からだ スミナ姫の身体も灰となって、消えた。 一一人の消えた霧に、ぼんやりと、金と銀の色をした大きな鳥の姿が浮かびあがり、消え 晴れていく霧とともに、賢者の塔も薄れて消える。 賢者の塔が去「た跡には、祈れるメイビク姫を蜥じた、不思議の氷だけが残った。 きり けんじゃとう せき
しまたた えているキーツに、目を瞬く。 「具合が、悪いんですか ? 」 とうかぎ 塔の鍵だ、賢者の塔だと、世界じゅうさんざんに引きずりまわした後である。何か支障 があって来たのかもしれない。 危惧して覗きこんだレイムの長い髪をみ、キーツはぐいと引き寄せる。 「俺の心配してる場合かよ ? どな ひぎ ゆか 髪を引っ張られて、床に両手をつき、キーツの前に膝を落としたレイムは、怒鳴られ て、はっとする。 ひょっとして、キーツがここに来たのは : ひとみ キーツはやるせない瞳で、レイムを見つめた。 がまん 。やせ我慢して、格好ばっかりつけてつから : 「 : : : お前、目茶苦茶じゃねえか : 一人でどうにかできるほど、お前、強かねえだろ・ : 獣正面きって胸の内を見透かされ、レイムは顔をる。 夢「・ : ・ : すみません : ・ あやま 年「謝ってんじゃねえよー くちびるか かっとして怒鳴ってから、キ 1 ツは唇を噛み、レイムの肩の上に手を置いて、床を見つ めた。 けんじゃ