192 あくま しようげ・きてき 衝撃的ではあったが、悪魔のような魅力のあるそれから、レイムたちもコンスタンス も、目を離せなかった。 まどうし 「魔道士としても、優秀ですね」 外見や能力こそ、化け物となっているが、生物としての形まで歪められているわけでは ないと、サミルはコンスタンスの手腕を褒めた。 「これなら、使えます」 くろねこ するどなごえ はらわた ままえ サミルは静かに微笑みながら、腸をぶちまけ、恐ろしい鋭い哭き声をあげている黒猫を 掴んでいる右手に、力をこめた。 つぶ じゅく 熟した軟らかい果実が潰れるように、ぐしやりと黒猫の頭が握り潰された。 のうしよう 脳漿まじりの血が、サミルの細い指のあいだから、飛び散る。 ぶつりと、黒猫の哭き声が止まった。 しかん サミルの手の中で、頭部を半分ほどの大きさにした黒猫の身体が、ぐんにやりと弛緩 したた せんれつ し、垂れ下がった。はみ出た眼球の白の色が、血を滴り落とす黒い毛皮に映えて、鮮烈な ほどくつきりと見えた。 「ツェドキム " 悲鳴のような声で叫んだコンスタンスの声に、サミルは、にいと笑う。 頭を握り潰した黒猫の死を、サミルはばろ布か何かのように握「ている。 みりよく からだ ゆが
あいびよう コンスタンスの愛猫の生命を奪い、それを生け贄に捧げて術を行ったサミルの身体を、 きり しよ、つき 黒い瘴気の霧が包んだ。 蒼ざめて震えるコンスタンスの目の前で、サミルの手にぶら下げられた黒の死は、 いろあ みるみるうちに干からびて色褪せ、灰になった。柔らかい灰は、ふわりと崩れ、大気に解 ける。後には何も、残らない : くろまどう すべてをまわしい黒魔道の術のために使われ、消えてなくなっていく黒猫の死骸を見 つめ、コンスタンスはべたんとりこむ。 ( こんな・・・・ : ) ひど こんな酷いことになってしまうなんて : コンスタンスは震える手を、黒猫だったものの灰が飛んだ場所に向かって伸ばす。 いちる 一縷の望みをかけて、気を探ったが、黒猫の気は完全に、どこにもなくなっていた。 きんじゅ どくかたまり ゆいいっ キハノとコンスタンスを繋いでいた唯一のもの。禁呪に手を染め、全身、毒の塊である まじよ 獣魔女となり、孤独の時間をすごすことを選んだコンスタンスの、心の支えとなっていた生 ひごう き物は、コンスタンスの目の前で、非業の死を遂げた。命永らえさせるために、化け物へ 年と形を変えてしまった、愛らしい白い猫は、化け物のまま、近った。 まぎれもない黒魔道の術によって出現した瘴気の霧に包まれるサミルの姿を見つめ、レ まゆ イムは不可解さに眉をひそめる。 つな にえささ からだ
拠の匂いを嗅ぐ。 くろせいれい 割って入ることを黒精霊に詫びて、サミルに歩み寄っていたレイムは、微かに動いたか に見えたサミルの右手の親指に、はっと自」をんだ。だが、ただ死後痙攣して動いただけ だったのか、見間いであ「たのか、間近にいる黒猫はま「たく気づいた様子はなか「 もくげき レイムと同じものを目撃したものの、それが本当なのかどうか、コンスタンスにも、黒 精霊にもわからなかった。 一、レイムたちにはしった緊張に、キーツとルドウィックは気がついた。だが、自 分たちよりもっと近い場所にいて、はっきりそれを見られたはずなのに、それつきりであ る三者に、何でもなかったのかと、少し納得できないようなものを残しながらも、幸ねな いでおく。 半信半疑であり、そんなはずはないと思っていたからこそ、誰も何も反応しなかった。 獣誰も言いださなかったから、誰もが目をつぶった : ・ やにわに動いたサミルの右手が、のある黒猫の頭を鷲みにした。 いきなり恐ろしいカで頭を掴まれ、翼のある黒猫は、鋭い声で哭く。 にお するど かす
つぶや 信じられないという面持ちで、声もなく見つめている者たちに、聞かせるかのように呟 いて、ゆるりとサミルは顔をあげた。 くる なくろねこ 狂ったようにもがきながら哭く黒猫の声のため、その呟きは聞き取りにくかったが、確 しゃべ かにサミルが喋っていた。 どうこう すみれいろ 菫色の目の瞳孔は、開いている。 「念のため、あらためさせてもらいますね」 言ったサミルの声と同時に、サミルに背を向けてぶら下げられていた黒猫の腹に、縦に 一筋、赤いものがはしった。 びつ、と音をたてて、黒猫の腹が裂けた。 湯気をあげる臓器が、恐ろしい声で哭きあげる黒猫の腹の裂け目から、外にばろりとこ ばれ出る。 やかで綺麗色をした、健康的な臓器は、艶やかに輝きながら、蠢いていた。腹を 彌割ったそれが魔道の仕業である証拠に、一滴の血も流れてはいない。 あま 小さいながらも、こりつとした歯ごたえのありそうな心臓は力強く収縮を繰り返し、甘 かんぞう くとけるだろう肝臓はほどよい大きさに実っている。ぶりぶりとしてよく動く肺も胃袋も うるお 腸も、何もかも申し分ない。みずみずしい生命の輝きに潤い、すべてが美しい 披露されたものに、思わず黒精霊はぐびりと音をたてて、唾をむ。 おもも たて
188 そんしよう ほどこ 同じように術を施しておいたとしても、首だけを損傷したコンスタンスと違い、サミ し。し力ない。すつばり分断されたものと、 ルの場合は、コンスタンスと同様というわナこよゝゝ えぐ ひさ 抉り取られたり引き裂かれたものは違う。引き裂かれたりもがれたりしても、手脚や胴体 かんじん ならどうにかなったかもしれないが、頭と心臓という、もっとも肝心な場所を、一撃のも いちじる 。しくらサミルが優秀な魔道士であっても、時にして癒 とに著しく損傷したとあってよ、 ) なお しの魔道を行って治せるものではなかった。サミルほどの術者ならば、気を隠して死んだ ふりをすることも可能だが、さすがにこの状態ではそれも考えにくい。 レイムの聖魔道力でも、死者を生き返らせることはできない。できることは治癒ではな く、肉体を復一兀することだ。目を覆いたくなるほど、壮絶な姿になっているサミルだが、 きげん くろせいれい 復元すればしたで、せつかく屠ったものをと、黒精霊が機嫌を悪くすることは目に見えて いる。サミルの死体を黒精霊に食わせないにしても、まずレイムはサミルから知りたいこ そこ ひともんちゃく とがある。それを調べる前に、黒精霊の機嫌を損ね、一悶着おこすつもりはなかった。 のうしよう 周りを血の海にし、脳漿をまき散らしてうつ伏せているサミルに、死を確認するよう けもの つばさ くろねこ に、翼のある黒猫が近づいた。子供なみの知能をもっていてもさすがに獣であるために、 しようげき せいさん 凄惨なものを目の当たりにしても、黒猫は人間のように、精神的に衝撃をうけてひるん だりすることはない。 ちだ にじいろ ひげ びんと張った銀の髭を動かしながら、黒猫は血溜まりに踏みこんで、血に染まる虹色の ほふ おお
190 ぎよっと目を見張ったレイムは、驚いて足を止める。 「ツェドキム くろねこ コンスタンスは色をなして、悲鳴に似た声で黒猫の名を叫んだ。 つばさ 血に塗れた、か細い少年の手を頭にのせ、その場で狂ったように翼を振って暴れる黒猫 ぶきみ の姿が、不気味で不可解だった。 何事がおこったのかと、緊張して注目した者たちの前で あやついと 見えない操り糸に引き起こされるように、サミルが起きあがった。 翼のある黒猫の頭部を掴み、ゆらりと立ってくサミルは、側頭部は頭蓋骨の一部がな よご のうしよう のぞ くなり、潰れた脳が覗いていた。血と脳漿で、銀色の髪はべったりと汚れて縒れている。 左肩口から腹部の上まで裂かれて、心臓は礦裂し、をかれた左腕は、裂けた皮膚で にじいろ 繋がっているだけという状態で、地につきそうな位置にまでぶら下がっている。虹色に輝 く決衣は、たつぶりと血を吸って、どす黒い色に染まっている。 死者を操ることを得意とする呪術師は、レイムによって蜥じられた。こんなこと 「ーー手頃なものが、近づいてきてくれて、よかったです つな まみ つぶ くる
目眩がするような錯覚に襲われ、コンスタンスはその場にふらりとりこんでしま 0 つばさ くろねこ た。様子を変えたコンスタンスに、どうしたのかと心配して、翼のある黒猫がコンスタン ひざあま スの膝に甘えた仕草で頭を擦り寄せた。 「行くぜーー 風を巻き、キーツは重力のカ場をつくる。 けつかゝ 思いきり圧縮させたそれは、透きとおる青い結のように見えた。 ふしぎ ようせい 妖精の加護がもたらした不思議の能力であるそれは、きわめて自然なものであるため、 まどう 普通の魔道のような気を発しない。存在するのが当たり前であるように、そこにある。 「はい ! 」 明じの水晶のための印を結び、レイムはキーツが完成させた青いカ場に、明印の呪を 与えた。 ものすご すべ あやっ 獣カ場を操るために、キ 1 ツが大きく腕を振り動かした。空を滑るように、物凄い速さで 青いカ場が飛ぶ くろせいれい キーツの放った青いカ場を目の端に捉えたのは、黒精霊が先だった。 いぶか 黒精霊は、物凄い速さで飛来するそれが、いったい何なのかわからず、訝しむように鼻 盟にを寄せた。反応した黒精霊に気がついて、サミルもそちらに視線を向ける。 はしとら
ざんこく 風に揺れ、日の光を受けて輝くレイムの金の髪が、すうっとかろやかに、きらめきを増 すかのように感じられた。レイムの周りの空気だけがどこよりも透明になり、温度が下が るような、不思議な感覚。 「そこにいて。少し離れていてくださいね」 顔だけ振り返って、レイムは黒精に近づかないようんだ。 レイムと黒精霊目指して飛んでいたコンスタンスたち三人と妖精も、振り返ったレイム の目を見た。 ぞくりと背筋がりつくかと思うような、冷たい、ひとかけらの不純物もない澄みきっ みどりひと た氷のような、翠の瞳 金縛りにあったように、黒精霊は息をするのも忘れて目を剥き、鳥立たせたコンスタ ンスたちは思わず、接近するのをやめていた。 じゅばく まぬか からだ 前を向いたレイムに、翠の瞳の呪縛から免れて、コンスタンスは両手で身体を抱いて、 しまたた くろねこ 見開いたままだった目を、ゆっくりと瞬く。手前にいた黒猫が、救いを求めるように、コ ンスタンスの肩に乗る。 「何・ : ・ : 、あの子 : : : 」 おだ おっとりばんやりした、あの穏やかな普段の様子からはとても想像もできない、冷徹さ おとめ 残酷さ。星を浮かべて輝く夢見る乙女のような瞳は、どこまでも深い翠の色をたたえ、鋭 ようせい するど
サミルは宮既の前で立ちふさがっているのに、横から襲われたことに、キーツは眉を ひそめ、コンスタンスたちがいぜん同じ場所にいることを確認した。 まどう 魔道でつくった黄金色の剣をかざし、レイムに襲いかかったサミルに、キ 1 ツは目を剥 「何で二人いるんだ くろねこくろせいれい コンスタンスと彼女の黒猫、黒精霊を相手にしているサミルと、レイムに襲いかかって しるサミルと : 叫んだキーツの声に、コンスタンスはレイムのほうに顔を向ける。 にせもの 「そっちが偽者だよー くちびるか 腰の剣を抜き、に魔道力を与えてサミルの剣を受けながら、レイムはかるく唇を噛 む。偽者と言われても、レイムが今、相手をしているサミルは、魔道力でつくった剣を振 るっている。 獣 ( これが、偽者 ) 夢 こんな、強大な魔道力の存在を感じさせるものが : の ようしゃ 千半信半疑であったが、レイムが容赦する必要はなかった。 宮殿を背にするサミルに、レイムは莫大な魔道力をこめた剣を振り下ろす。 耳をつんざく轟とともに、レイムの剣を受けたサミルの黄金色の剣は魔道力の激突に 0 ばくだい 0
後かがら空きのレイムを助けるように、キーツも後を追う。 動いたレイムに、気を移したサミルに、コンスタンスは剣を振り下ろす。 「よそ見してる場合じゃないだろう ! 」 まどうりよく くちびる 魔道力でつくった黄金色の剣でコンスタンスの剣を受けながら、サミルはかるく唇を ようせい 噛む。妖精に加護など与えられたために、コンスタンスの動きが読みにくくなっていた。 くろねこ かげ からだひね コンスタンスの陰から飛びかかってくる黒猫の、銀色の爪を、身体を捻ってサミルは危う よ くろせいれい いところで避ける。巻き添えをくう奴は、運がなかっただけとでもいう勢いで、黒精霊が ぐれんもうかは 紅蓮の猛火を吐きかける。 ( わからないことは、四つ : : : ) しや、千年も生きているというクシュファ公子が、レイムが、メイビク姫が、 いかなる意味をもって世界に存在しているものなのかということ。サミルがなぜ、大勢の そうせい 中から、転生する創世の一一神を見分けられたのか サミルにだけ見える、何かがある : 既を目指すレイムの行く手に、虹色の法衣を翻し、突然にサミルが現れた。 だん 身構えるレイムの横手で、飛来してきた魔道弾を、ルドウィックが剣で分断する。 やっ 0 ひめ