踏み入れていることはない。連れて帰るそれだけのことが、ゼルダにできないはずはない。 らをし、ゼルダはえる手を握りしめ、白い息をきらせながら先を急いだ。 とまど 森や泉を失い、見る影もなく寂れはてた狩り場は、ゼルダの記憶を喇にし、戸惑わせた。 道を邯えたかと思わせるような場所がいくつもあった。 やくそう いぶかしみながら見当で足を向けた先、薬草の茂みがあったかと思われた場所は、もちろ んそこもかっての血など微も残っていなかったが、 , 彼女と同じように調べた真新しい跡 が、ついいましがたの来訪者の存在を知らしめていた。 弟もゼルダと同じように、ためらいながら、そこがその場所であったのか確認して回って たびごと その度毎に奮起しながらゼルダは弟を追う。 陣ひくにひけなくなった少年が意地にな「ている様子が、乱暴なから手に取るようにわ かった。 空やっきになるからなおのこと、少年の足は速くなっている。 天 きかん気の強さで突っ走れるのも、気地なしの本性が現れるまでの話だ。 夜中に一人で小便のひとつもできないような弱虫が、生者禁断の地の見えるようなところ
まで一何けるはずもない。 ふと岩場が途切れ。 広い谷間らしき場所に出た。 見通しのいいそこに。 ほっんと。 ひざまず 跪いた、小さな人影があった。 ようやく発見した捜し人に、ほうとゼルダの頬が緩む。 棗えた風にふき晒され、埃にまみれて乾燥していた厳しい顔に、ようやくゆとりが生まれ 「ケインー ゼルダは大声で弟の名を呼び、岩越えでくたくたになっていた足で駆けだした。 閑とした谷間に響いたゼルダの声はいなく耳に届いているはずなのに、人影はびく りとも反応しない。 岩場というよりも、もとはちょっとした草原か何かだったような小高いなだらかなそこに ゼルダは駆けあがる。 ほおゆる
ここから見た記憶がないのか。 ここに来たことが、ないのか。 思い当たる一つの櫨に、はっとゼルダは大きく目を見開いた。 その瞬間。 ぞっと背筋を悪が走った。 彼女の本能が敏感に迫り来る危険を察知した。 「ケインー うなが 行動を促すよう悲鳴のような大声でゼルダは弟を呼んだ。 ひざまず 少年は跪いたその格好のまま、びくりとも動かなかった。 知に膝をわななかせながら、ゼルダは焦れて弟の腕を攤んで引っぱった。 ぐいとカ任せに引いた腕が。 陣ずるりと。 魔引きぬけた。 空ゼルダに手首を擱まれ肩口からちぎれた腕が、神経と筋肉の筋を引きながら、ぶちぶちと 音をたてる。 気をあげ噴水のように勢いよく、鮮血が地面に降りしだいた。 まか
溜めをつき、ゼルダは放心状態の弟を引きずって帰ろうと近づいた。 「ケイン、立って。ほら、帰るわよ」 むぞうさ 無造作に手を差し出し、歩み寄ったゼルダは。 そこの光景が、彼女のまったく見知らぬものであることに気づいた。 やくそう 薬草の茂みではない。 森がなくなって周囲の様子はずいぶん様変わりしていたが、こんな感じの谷間に分け入っ たことはない。 りようし 猟師の娘、将来有望な弓の名手として父から楽しみにされているゼルダは、幼い頃から男 の子なみに猟への同行を許されている。 狩り場なら知らない場所がないほどに、あちこち細かく足を踏み入れている。 にら ゼルダは目を細めて、睨むように周囲を見回した。 すみ 記憶を隅までまさぐった。 谷の、あの少しばかり向こうに見える岩壁は、違う方向からなら見たことがある気がす そうだ。方向を違えてなら域間見たことがある。 どうして。
感じるそれを、気のせいだと言いきることはできない。 りようし ゼルダが以前そこの側まで来たときは、父たち猟師仲間の男たちにくつついての狩猟の 途中だった。 おとな 大勢の頼もしい大人の男たちに囲まれていた。 何が起こっても絶対に守ってもらえる、これ以上の保証はない者たちの側にいた。 しかしそれでも、ゼルダは父の腕にしがみつかなければ動けなかった。 たくま 固く目を閉じ逞しい腕に引っぱられ、まろぶようにして立ちさった。 今の弟と似たような歳ではあったが。 条件は、全然違う。 歳をみたから大丈夫、怖くないなどとはロが裂けても言えなかったが、ゼルダがためらっ ている暇はない。 祖父母と母、そして父が『眠って』しまった今、弟を守るのは姉であるゼルダしかいない。 助けてもらいに、ひとを呼びに行っているような余裕はない。 張って急げば、もうじき生者禁断の地に着く前に弟と会うことができるはずだ。 たとえ弟が生者禁断の地を目の前にえて足をすくませていたとしても、彼がそこに足を とし しゆりよう
( ごめんね ) ( ごめんね ) ( 僕が ) ( 勝手に家を飛び出てきたばっかりに ) 動きを縛られ、指先一つ瞬き一つ自由にならない少年の囀きが、ゼルダの、いにんだまま の小さな手首から、染みこむように伝わった。 身動きままならないだけで。 少年は、ゼルダがここにやってくることを知っていた。 動かぬ視界ので姿を捕らえ、呼びかける声を聞いていた。 わかっていて、何もすることができなかった。 痛みも苦しみもなかった。 陣ただ後悔の念で、いつばいだった。 祈るように切なく、姉が自分を追って捜しに来ないことを願った。 空黍れ当をして常に加護されている男のケインと違い、女のゼルダが懾てて符も持たずに やってこないことを、信じた。 しかし。
動かせぬ状態のまま、魔道士は不思議の術をって応急処置を施した。 そうして、ゼルダたちを地下の小部屋から出してくれた。 不安がることや心細い思いをすることはないと、幼い弟を抱きしめるゼルダを激励した。 元どおりになるよう手を尽くすので準備を整えて出直してくると言いおいて、魔道士は一 やかた 度、領主の館に帰った。 父の体、肩から腹へ、ほとんど真っ二つに引き裂かれた傷跡は、魔道によって表面をが れてもなお、腿に生々しい癜蹣となって目を刺激した。 即死していても不思議はない、壮絶な姿だったのに違いない。 だから、地下の小部屋に押しこめられ、どうなっているのかと暗がりで抱きあって震えて いる子供たちの存在を碾ぎました不思議のカで感知しながらも、魔道士は二人を出してや ることができなかったに違いない。 一一人の子供を残しているという執が、父の命を繋いだのだ。 野生の動物にもひけをとらない、激しく荒々しい父だった。 優しく々しい男性だった。 小さい頃よくおぶさった広い背中と太い腕、大きな手が、ゼルダの記憶する父の温もり
み、らり - と ぐように腕を泳がせたゼルダは小さな弟の体を抱きよせた。 侃いだそれに、 から 見えぬ力に搦められ身動きかなわぬ少年は、涙を流したまま姉の胸に抱きしめられる。 もろ たあい 触れれば他愛なく崩壊する少年の脆い体は、抱き崩れながら、姉とともに地に落ちた。 すべ ゼルダはなんの術もないまま、それでも懸命に少年を守りたいと思った。 小高く、なだらかな盛り上がりに見えた谷間のそこは。 生者禁断の地、そのものだった。 ぼうだい 群れ集った膨大な数の『魔』が、わだかまりをなし、風景の一つになりすましていた。 もっとも形を得やすい場所、みし場所に、世界滅亡の際、崩壊のしと世界じゅうに れる嘴きをカとして、あちこちで魔が具現しているのだ。 やみ ぐうわ 予言書や昔話、童話や寓話の中の存在でしかなかった忌まわしい闇の生き物たちが、現れ はじめているのだ。 ここタルソデス男爵領においては、この生者禁断の地が、そのルわれた場所としてもっ ふさめ 魔とも相応しかった。 よど ぎようしゆく 空まだ凝縮しきれぬカ弱い魔が、ひとを喰らって力をつけるため、ここに淀んでいたのだ。 を囲んだ周囲の岩壁が、ぐうっと高く伸びあがった。 絶望の表情を浮かべ思わず顔を伏せたゼルダを、黒い泥のようなものが包みこむ。
めぐ あとがた 薬草の茂みを巡った真新しい跡形だけが、点々と続いている。 溜め息をつき、ゼルダは再び風のあいだを縫うように岩場を選びながら、急ぎ足で前進し 弟の知っている薬草の茂みは、もうあと残り少ない。 悪くても、じきに会えるはずだ。 それ以上進むほどの勇気を、おそらく少年は持っていないだろう。 駆け戻ってくる小さな彼と、鋼合わせするかもしれない。 今にも泣き出しそうな心細い顔で、すがりついてくるかもしれない。 いや、ひょっとすると最終地点で、そこから動くこともできず立ちつくしているのかもし れない。 一人では引き返すことができないのかもしれない。 弟の身を心配し、ゼルダはうら若い乙女でありながら、ただ一人恥に『生者禁断の地』 の方向を目指して進んだ。 ここは、辺境にほど近い東。 深く萌えた美しい森と険しい岩場、岩を割って染みだした地下よりこんこんと湧きでる泉 やくそう
風がっていた。 ゼルダは氷の囑を含むそれに、ぎゅっと目を閉じ首をすくめた。 襟ぐりから侵入する冷気をむように、胸元を押さえた手で強く毛皮の外套を握りしめ もろ はくり 腐食し脆くなった岩から剥離した砂粒が風に乗り、ばらばらとあたりに舞いおちた。 歩き続けてきた長いあいだ風になぶられて、全身砂だらけだ。を「て輝きを失った赤 陣い髪を、ゼルダは襟足に手を入れて乱暴に担いた。背まで掛かる盛の少ない長い髪のあいだ さ、へん から、ざらざらした石の礒片が振りおちた。 の 空 いまいましげに目を細んで、ぐるりと見渡したところで、人影はない。 天 いったいどこま懿行ったのか。 ほんの一足先に家を出た弟は、小一時間も捜しても見つからない。 る。 ようえん 第一章妖宴