立派な調度品を置かれた、貴族の館の客間らしい部屋だった。 ふさめ ただの見習い魔道士であるレイムが、いて相応しい部屋ではない。 レイムは首を既げる。 確か。 聖地にいたはずだ。側いの恥な娘の命を救うため、魔道を使った。自分の命とひき かえに行う魔道。他人の命を救う魔道を。 未だ生きているということは。 失敗したに違いない。 たいき レイムは大きく溜め息をつく。 またしてもおめおめと生き延びてしまった。 修行は一から仕直しだ。 そろ 陣寝台から抜け出したレイムは、なぜだかここに運ばれ、揃えてあった自分の荷物と衣装の 魔ほうに向かった。 空深緑色の魔道士の衣装をまとって身支度を整え、荷物を抱えて部屋を出る。 影にられたり領主に暇を貰い部屋を後にしたときと、装こそえていたが。 同じ荷物だった。 やかた
ら贈られた物だ。 竪琴が、鳴った。 月も高く移動し、ようやくレイムも、うとうととまどろみかけた深夜。 櫛の上に掛け布をせて置いていた竪琴が鳴った。 ゅめみごこち 夢見心地で、ほかりとレイムは目を開く。 ここはレイム一人の部屋。 中から鍵の掛かった、レイムの部屋。 それなのに。 竪琴は鳴っていた。 掛け布の取り去られた竪琴の弦が震えている。 陣風はない。 魔窓は閉まっている。 空しぜんにそうなるはずはないのに、竪琴は鳴っていた。 天 震えた弦が、静かに静かに曲を飃でる。 優しく穏やかな曲を奏でる。
舞っているように、ばうっと彼の輪轤が輝いて見える。男としては囀奢な、繊細な骨格を持 かヂぼうし っ法師が大きく床の上に伸びている。 囁くように静かに飃でられる恋の曲。透きとおる色は乾いた夜気の中を、どこまでも遠 やかた く響きわたる。ときには領主の館の外までも、風がやわらかく音を運ぶ。 レイムのいるそこは、数多くの豪華な調度や第を凝らした絹の布、クリスタルなどに、品 よく飾られた大きな部屋だった。けっして使用人であるレイムの部屋ではない。 彼の主人たるミルフェ姫の居間である。 とも たてごとひ 明かりも灯さず、うっとりと月の光を浴びながら、レイムは竪琴を弾いていた。 とてき 図的に音を吸収するものを極力控えた部屋の中、彼の他には誰もいない。 。い光に紛れ自分自身の存在すら希薄になる、そんな感じがたまらなく好きだった。 秋の夜、恋人たちの足元でひっそりと恋の歌を飃でている虫になったような、そんな気が して幸せだった。 どんなに練習しようともレイムは、あの虫の声にはわないと思う。 だめ 楽士たちが技術の優劣を競うような、いかなる難しい曲が弾きこなせても駄目なのだ。 議作り物の、あざといものは、必ずいっか冊われる。聞き飽きられる。 でも。 ゆか きそ
動かせぬ状態のまま、魔道士は不思議の術をって応急処置を施した。 そうして、ゼルダたちを地下の小部屋から出してくれた。 不安がることや心細い思いをすることはないと、幼い弟を抱きしめるゼルダを激励した。 元どおりになるよう手を尽くすので準備を整えて出直してくると言いおいて、魔道士は一 やかた 度、領主の館に帰った。 父の体、肩から腹へ、ほとんど真っ二つに引き裂かれた傷跡は、魔道によって表面をが れてもなお、腿に生々しい癜蹣となって目を刺激した。 即死していても不思議はない、壮絶な姿だったのに違いない。 だから、地下の小部屋に押しこめられ、どうなっているのかと暗がりで抱きあって震えて いる子供たちの存在を碾ぎました不思議のカで感知しながらも、魔道士は二人を出してや ることができなかったに違いない。 一一人の子供を残しているという執が、父の命を繋いだのだ。 野生の動物にもひけをとらない、激しく荒々しい父だった。 優しく々しい男性だった。 小さい頃よくおぶさった広い背中と太い腕、大きな手が、ゼルダの記憶する父の温もり
虫の声や鳥のさえずりを聞き飽きる者はいない。 歌うこと奏でることが何より自然である存在になりたいとレイムは願う。 願いながら一心に奏で続ける。歌い続ける。 それが音によって多くのひとに認められた、レイムに課せられたこと。 である彼が、ほんの一歩、ただの芸人し魅ざえる理由。 のに捕らえた人影に、はっと顔をあげたレイムは部屋の中を見た。 いつの間に部屋に戻ったのか、ちょっとしたお茶を楽しんだりする小さなテープルセット の櫛子にミルフェ姫がいた 編みこんでいた長いふんわりとした白金の髪を解き、彼女付きのであるカリナが静か くしけず に櫛削っている。 陣レイムは弦の上に滑らせていた指を、つと止めた。 魔途切れた音に、耳をそばだてていたミルフェ姫は軽く閉じていた瞳を見開く。 空レイムの鸚色の瞳とミルフェ姫の琥珀色の瞳が、お互いを見つめた。 天 レイムは窓縁に乗せていた片足を降ろし、ミルフェ姫のほうに体を向けて立ちあがる。 「失礼しました。お戻りになられたことも気づかず、音曲にうつつを抜かしておりました」
たてごと つまび 甘くきらびやかな曲を、レイムは月光に映える金色の竪琴で軽やかに爪弾く 美しい調べを耳にしながら。 こぼ 想い人に心を告げる言葉を持たないミルフェ姫は、しくしくと涙を零した。 瞳を閉じて曲を第でるレイムは、姫君の美しい婚礼姿を思い描き、うっとりとロ許を綻ば す。 自分の立場をよくわきまえているレイムの様子に、少しばかりの危惧を抱いていたカリナ あんど は、ほっと安堵の溜めを洩らした。 嬉しい知らせを耳にしたその夜。 気が昂揚して、床に入ってもレイムはなかなか寝つかれなかった。 レイムの部屋は、雇われ騎士たちと下働きの使用人たちのちょうど中間の位置にある。 の中でのレイムは、卑の身にありながら姫様付きであり文武にも秀でている。剣技の競技 ひろう 会において、かなりの勇者たる素質を披露する彼を、ないがしろにするわけにもいかない。 領主としては不本意だったが、 , 彼の待遇改善を願う姫の嘆願に大いに屈していた。レイムは 部屋や居場所こそ幼い頃からあまり変わらなかったが、他者より恵まれた何不自由ない生活 をしていた。レイムの宝物である金の竪琴も、軽く丈夫な皮の甲胄も剣も、すべて領主か かっちゅう
117 天空の魔法陣 女性であるシルヴィンを思いやってか、身支度を整えるのに必要だと思われるものは、顔 を洗う水も鏡も何もかも整えてあった。 好意に甘えて使わせてもらい、シルヴィンはに格好を整えて部屋を出た。 ひとを捜し、館の主人、命の恩人に礼を言わねばならない。 やかた
彼女のまったく知らないところだ。 庭の遠い向こうには、彼女のいた飃と同じような豪奢ではあるが部屋数の少なそうな、離 たけたか 宮と呼ぶのに似つかわしい建物が幾つかある。そしてそれらの屋根越しに、数多くの丈高い 塔や宮殿のようなものが見えている。 として、もてなされていたと考えられるか。 ハン ) ( ファラ・ おとめ 伝説の翼ある乙女。 世界を滅亡から救う者。 自分にその期待がかけられているならば。 思うだけで荷が重い。 ひと一人恋うことさえ、こんなに苦しいというのに。 よろめくようにテラスの先に進み出て、低い手すりの上に腰をおろした彼女は、思いを巡 がくぜん らせようとして愕然とした。 夢が何一つ、形として思い出せない。 ほんの少し前、あんなに狂おしく焦がれていた、そのひとの姿さえ。
そして。 らいめ、とどろ 雷噂が轟いた。 びりびりと空気を鳴動させた激しいそれに虚をつかれ、彼女は固く目をつぶり肩をすくめ なまりいろ 恐る恐る見あげた空は、どんよりとした鉛色の雲を浮かべている。 よく耳を澄ませば、ごろごろと和な音をたてて波打っている。 そうだ。 ここは滅亡の危機を迎えた世界なのだ。 きんこう 自然というものの何もかもが均衡を乱した、時から見放された世界なのだ。 何もかも、いつあっけなく崩れさってしまっても文句のないところなのだ。 身をすくめ、部屋の中に退去しようと彼女が腰をあげたとき。 庭に、落雷した。 凄まじい音がして、ぐらりと床面が揺れた。 落雷の直撃を受けた畳が爆裂し、大穴が開いた。 すさ らくらい ) しだたみ ゆかめん
腕が動いた。 びくりとして、シルヴィンは目を開ける。 夢を見ていたらしい シルヴィンは立派な部屋のつきの寝台の上に寝かされている。 ままた ばちばちと瞬きした。 記憶がこんがらがっていた。 よく頭を整理する。 ヨルグという若者が村に来て、仲良しのナスティが怪掫をしたのは、一年近く前の話だ。 しと シルヴィンは短剣を使い、初めて飛竜と戦って、それを仕留めた。かなり重症の火傷を負 、狂ったように暴れていた飛竜だった。正気な判断能力を欠いていた飛竜だったが、そう 陣であるがゆえに、野性の凶暴さをむき出しにして襲いくる。厄飛な相手だ 0 た。 魔シルヴィンのお守りである、宝石つきの短剣。 彼女だけの特別な物。 空竜笛を仕込んだ、 , なことでは使われないそれを。 最近、抜いていた。