ないではいられない。時の瑪や印の法陣はファラ ・ハンにとって重要だが、わざわざ げれつ こんな下劣なものまで見ておく必要はない。 ディーノの体にもたれかかるようにして、ファラ ・ハンは目を閉じる。規則正しく刻まれ こどう る鼓動が力強くファラ・ ハンを揺すり、吐きだされる呼気がかすかにルにあたる。血状態 であり、体力もすっかり底をついていたファラ ・ハンにとっては、ディーノの発散するその 熱い生気を感じているだけで、少しカづけられるような気がする。 鼓動を感じられるほど近く寄りそって、言葉もなく、ただ風に吹かれ : このままでいられたなら。 ここで永遠にかなうはずもないことを願い、ファラ・ ハンの心が震える。 「どうした ? 」 小さく揺れたファラ・ ハンの長、に、動揺を見たディーノが問いかけた。 ファラ ・ハンはけぶる瞳を向けるディーノに、はかなく笑み少し首を振る。 くちびる ひどく心細い様子をするファラ ・ハンに不安になり、ディーノは唇を寄せる。 結びあって。をたてる必要はないのだと、ファラ ・ハンは唇が触れあう前にディーノの首 筋に顔をうめた。の聖女の名しかもたないファラ ・ハンはディーノの唇を受けられな 天界の聖女であるファラ・ ハン。隠すのではなく語られず、まだ完全にわかりあえない部
「俺は : : : 、泣かない」 孤高の修羅王を名乗るの若者、ディーノのぶつきらばうにも聞こえる簡潔な声を確か めながら、ファラ ・ハンはゆっくりと言葉を自分の中に取りこんで笑んだ。 ファラ ・ハンが死んでもディーノは泣かない。泣くことはすなわち、ファラ・ ハンの死を 認めることになる。ディーノはファラ・ ハンを失いたくはない。ようやく得た絶対のものを 失 , つ、わサ , こ ) ゝ し。。し力ないそれがファラ ハンにはよくわかる。ディーノを襲うのは、泣いて いられるほど小さな衝撃、失ではない。 ファラ ・ハンはディーノのから手を離し、静かにあげた腕をディーノの首にまわした。 ディーノにすがって自力で体を支え、レイムに振り返る。激痛をこらえ、必死にささやきの ような声をもらす。 「時のはあとひとつです : : : 旅を、続けましよう。癒しの魔道を、お願いします」 レイムはな翠の色をくもらせて、辛い瞳でファラ・ ハンを見る。言おうとしているこ とを読みとり、ファラ ・ハンは目でうなずく。悟し気持ちの準備ができたことを見て、レ イムはうなずいた。 「はい いん 静かに印を組むレイムに、ファラ ・ハンは背中の刀傷にほどこした魔道を解く。
倒れた。 「ファラ・ ど′」う 怒号にも似た声でシルヴィンが悲鳴をあげた。 しつこく ・ハンはその場にくずおれた。 長い漆黒の髪を広げ、舞い落ちる羽ほども優雅に、ファラ きようがく 驚愕し、一瞬我が目を疑って硬直した者たちの間をすり抜け、誰より早く近寄ったエ ろうまどうし ハンを抱き起こす。 ル・コレンティ老魔道師がファラ・ ひりゅう 矢のように飛竜を飛ばせたシルヴィンが地面に飛び下りた。 ハンのそばにひざまずく。 トーラス・スカーレンとバルドザックがファラ・ ハンのもとに集まる。 魔道士たちが静かにファラ・ 息をつまらせ、レイムが顔をあげた。 ハンの命を用いたものであったことがわかっ ルージェスを復活させた奇跡が、ファラ・ た。魔道原理はこの世界の絶対法則である。天界の聖女といえど、まったくの例外ではない ことが、わかった : 小さな子供のようなあどけない表情で眠るルージェスを抱きあげて、レイムはゆっくりと ファラ ハンに近づいた。 ・ハンが笑む。 悲痛な顔で足を進めるレイムに、薄く目を開いたファラ もち
・ハンには両手で捶えてもつらいはずだ。 「強いぞ。慌てるとむせる。ゆっくり飲め」 ハンの唇の前に持っていきながら、ディーノは静かに言う。 杯をファラ・ 「はい」 ・ハンは杯を受けとろうとディーノの支える銀杯を両手で包むように持 うなずいてファラ ハンははっとする。 つ。手を放す様子のないディーノの顔を杯の向こうに見て、ファラ・ さっきディーノが口をつけたのは、この銀杯のどこだったのか。瀧らかな銀面は酒を綺麗 に弾き、しかも指でぬぐわれてしまった後である。癜蹣を捜すことなどとてもできるはずが ささい ・ハンは恥ずかしくなって視 ない。ひどく些細なことに敏感になっているとわかり、ファラ 線をさげた。 伏せられた長いが、ディーノには理解できない。 「どうした ? ・ハンは首を振る。こんなこと、言えるわけがない。 問われて、ファラ 空 ハンの横に腰を下ろした。 ハンを見かね、ディーノはファラ・ 時どうも動作の遅いファラ・ 影ファラ・ ハンの背を支え、銀杯を動かして飲むようにすすめる。 顔色を見て様子をうかがいながら、唇にあてた杯をゆっくりと傾けてくるディーノによっ て、ファラ・ ハンの咽に酒が流れこんだ。果実酒の甘い年いが強烈に鼻を刺激するが、不快
186 ゝえ、『入り』ます ! 」 「入れなかったではないかー こどう しようヂき 体を襲った衝撃から抜けきれず、胸の鼓動を激しくしているファラ・ まゆ ・ハンは意を決し、まっすぐにディーノを見つめる。 は眉をひそめる。ファラ 「わたしひとりなら、入れるはずです : ・ ファラ ・ハンは。の儀式で具現した天界の聖女。ひとと同じ姿をもって、しかもけっ して『ひと』ではないもの。 ろうまどうし その『ファラ・ ハン』を、術に溶けて五官をもなくしているとはいえ、あの老魔道師が判 別できないはずはない。 ・ハンのために、開かれるべきものでな 王家の庭を守る強固なる壁も、救世の聖女ファラ ければ意味がない。 「お願い、降ろし下 真摯な青い瞳に見つめられ、内識しようとして、ディーノはためらった。 「お前、翼が : : : 」 さよく キハノにもぎ取られ、左翼を失っている。片翼だけでは飛べない。飛べないファラ・ を、ひとりで空に放りだすことができるはずがない。 ・ ( ンは花がほころぶほど優しく、ふわりと笑む。 案じるディーノに、ファラ ンに、ディーノ
くろまどうし ハンを阻止し、世界を滅亡に導くこと。 キハノが黒魔道師としてできるのは、ファラ・ じくうじゅ 時空樹の存在は、闇と盟約を結んでいた彼だからこそ知っていた。 「影は多であって個。すべてががったもの。七つ目のは、時の宝珠の影そのもの、 ファラ ・ハンは首を巡らせ、キハノの姿を捜す。 「影があるのなら、光とともに。わたしはあの方に宝珠をっていただかなくては : 完全な形にもっていかなければ、本当の世界救済は行えない。 時空樹の出現にもなお、あきらめることのないファラ・ ハンに、レイムは驚く。 ファラ ハンはレイムに願った。 「野鴉の二重五芒星を ! 王家の庭を囲んで、時空樹の成長をくい止めてください ! 」 それは時空をも超える「絶対』の力を有するもの。 レイムのもにファラ・ ハンを助けられ、ひとまずほっとしたシルヴィンは、ディーノの 姿を捜した。ディーノは吹き飛ばされるファラ・ ハンのかを先に読んで、行動を起こして いた。ファラ・ハン救助には、シルヴィンが向かい、レイムに助けられたため、出番こそな かったわけだが、ディーノがファラ・ ハンを見捨てることはない。 ディーノの乗るのは巨大な飛竜。見回したシルヴィンが、すぐに見つけることができたそ れは、鞍の上にきちんと主人を乗せている。どこかに向かっているらしいディーノの飛竜の くら こ やみ
ディーノは、じいっと見つめてくるファラ・ 「一人寝は寂しいか ? ー 「そんな : ・ ハンは顔をうように、さらに上掛けを引っぱりあげようとす 忙しく第。きし、ファラ・ る。自分がそんな顔をしていたのかと思うと、恥ずかしくてならない。 「すぐ戻る」 バラ色に頬をほてらせる可な顔をめ、ディーノは言った。 ハンの目に涙がにじんだ。泣きたかったわけでもなんで 言われた瞬間、じわっとファラ・ もないのに。ファラ ・ハンは、涙の珠をこばさないように目をばちばちさせながら笑む。 「眠ってますから平気です」 「それが平気な顔なのか ? 指摘されて、こそこそとファラ 樹「無理するな」 時「してません」 影「そうか ? 」 こうてい ファラ ・ハンは黙った。嘘や強がりは見透かされそうで、肯定することができなかった。 「俺がそばにいては牙魔か ? 」 ・ハンは顔の下半分を上掛けの中に隠す。 ハンに笑う。
人間としての力しかもたぬ『今の』ディーノ。 我が身を盾としたディーノの前で。 闇が弾けた。 ディーノの声に、びくんと背を震わせてファラ 闇が弾けた瞬間だった。 ぐらり、ディーノの乗る飛竜が傾く。 ハンはディーノに向かって飛ぶ。 悲鳴をあげ、ファラ・ 背後から求め抱き支えるように、矢のように飛びながら腕を伸ばしきたファラ・ 飛竜の手をぐいと引いたディーノが顔を向ける。 その右手に斧があった。 空不思議のが、キハノの放った闇の力すらも打ちいていた。 時 いまにも泣きそうな顔をしているファラ の ・ハンに、ディーノはあのいつもの表情で、にや 幻りと笑う。 変わらぬ様子をみせるディーノの胸に、光の翼を消失させたファラ ・ハンが飛びこんだ。 一アイーノは、しつかりとファラ・ ハンを受け止める。 たて ・ハンが振り返った。 ノ、
ではない。ひとくちごとに目を閉じながら、こくんこくんと咽を鳴らし、ファラ・ ハンは ゆっくりし榊を干した。ロあたりのいい酒は、体の中を落ちていきながら少しずつ熱を帯び る。ファラ ハンの背にあてられたディーノの大きな手のひらが、熱い。杯の傾け加減を示 すために杯を支えるディーノの手を包んだファラ・ ハンの両手は、触れるかぎりのディーノ の手の形をくわしく感じ、知ろうとしている。 酒のせいかディーノを意識しているせいか、かああっとファラ・ ハンの胸が熱くなった。 杯を寝台横の小机に置いたディーノは、ファラ・ ハンを軽く抱きあげ、そっと寝台に横た えた。横たえさせ、間近い位置から自分を見おろすディーノに、ファラ・ ハンの心臓はどき こどう どきと鼓動を早くした。頬が赤くなっていくことがわかる。隠れるようにファラ・ ハンは上 掛けを胸の前に引っぱりあげる。 「では戦士様はどうぞこちらへ , ていちょう 丁重な声で、兵士はディーノを誘った。 「ああー とびら ディーノは簡単に返事し、先にたった兵士は扉のところで待つ。 「この酒よ蛍ゝ、ゝ 。弓しカ後に残らぬ。短い時間でも熟睡できるはずだ」 「はい・ 寝台から腰を浮かすディーノを、ファラ・ ハンは目で追う。 ほお さそ
187 だいじようぶ 「ないものならば、作ります。大丈夫。まかせて」 ハン』。背に翼をもつ者。レイムのように飛翔の術、印をもたないファ 彼女は「ファラ・ ハンが空を行くには、どうしてでも翼をもたねばならない。 可で愛らしく、あまりにも力ない、見目麗しくたおやかな姿形をもっ乙女だが、その強 つらぬ こくふく い意思でどんな困難をも克服してきた。主張を曲げることなく、理想を貫いた。 そんなファラ ・ハンがやると断言したものを、ディーノに引きとめることはできない。 ひりゅう しぐさ ハンを抱きよせたディーノは、飛竜をファ ぐいと一度、強くファラ 荒つばい仕草で、 ハンの望む位置まで向かわせる。 ほうようこた ・ハンが、腰をディーノの腕に支え 抱擁に応え、ディーノの首に腕をまわしていたファラ ンをうかがうように、そっと体を傾ける。 られ、静かに足を宙に置く。飛竜がファラ・ 一アイーノがファラ・ ハンにム叩じる。 「約束を忘れるな」 樹 「はい 空 の上空をいく風に長い髪をやわらかく泳がせながら、ファラ から 影 ほんの少しの間、視線を絡め。 ファラ ハンはディーノの首にまわしていた腕をほどいた。 すべ 支えを緩めたディーノの腕から、細くくびれた腰の重みが滑って消える。 ひしよう ・ハンはディーノを見つめる。