くなって、紙を抱きしめて。いた。 出かけるまえに、ジェイがプディングを焼いていってくれていた。今日のお茶の時間の お菓子は、たつぶりとジャムをかけたプディングだ。 ちょう 「そういえば、ミラン、君は蝶の標本は作らないのかい ?. しまたた ポットに熱湯を注いでお茶をいれていたミランは、ルミに尋ねられて目を瞬く。 「蝶の標本ですか ? 」 きれい 蝶なら森に行けば、綺麗なのがたくさんいる。 は′、廿一い 「うん。鳥の剥製もいいけど、蝶も綺麗だよ」 収集している者がいると聞き、ミランは感心する。考えてみたこともなかった。 「羽を広げてピンで留めて、絵のように額に入れて飾り物にするんだ。ワイゼルの実の汁 を吹きつけて保護すると、綺麗に仕上がって長持ちする」 「 : : : ワイゼルの実ですか」 これも森に行けば難なく手に入るものだが、残念なことに、とれる時期は過ぎてしまっ 花 の」 0 色 「ワイゼルの実の汁は、搾ったものを乾燥させて粉にしておけば、保存ができる。いくら 彩 か持っているから、わけてあげるよ」 「いいんですか ?
り取った羊毛を洗って干して、紡いで毛糸にして。母親が靴下やセ 1 タ 1 やアンダーシャ ツや、いろいろな衣類を作ってくれた。ミラン一人では世話をしきれないので、村の者に 譲って、羊は以前の四分の一ほどの数になった。今年も、ミランにはできないこととし て、羊は村の家に頼んで羊毛を刈ってもらい、ミランは羊毛を渡す代わりに、穀物や野 菜、果物などを分けてもらっていた。 あぶら 「料理のあとの脂を入れておく容器は、あれでいいのか ? まゆひそ てつなべ 台所の片隅に置かれていた鉄鍋を指さしてジェイに尋ねられ、ミランは眉を顰める。 「 : : : なんですか、それ : : : 」 肉を焼いたり料理をしたあと、鍋などの調理器具に、肉から出た余分な脂が残る。その せつけん 脂は捨てずにとっておいて集め、灰汁と混ぜて石鹸を作るのだ。どこの家でもそうして年 に一度、石鹸作りをする。ミランはそれも、村の者から分けてもらっていた。 まき 「灰汁を作るには、冬のあいだに薪として燃やした、木の灰を集めておかなければならな こ、つぼく この灰に使えるのは、トネリコ、カバ、サクラ、カエデのような硬木だ。この灰に水 につ ろかえき のを注いで濾過液をとり、それを煮詰めて、卵や小さなジャガイモが浮かぶくらいの濃さに する。この灰汁と集めておいた脂を大鍋に入れ、家の外で火にかけて煮る。ぐっぐっ煮立 かたまり てたものが濃縮されて、透きとおったゼリ 1 状になったらできあがりだ。塊の石鹸にする には、ゼリ 1 状の石鹸をさらに煮て、塩を入れて煮詰めて、ひと晩置く。次の日に、トウ つむ くっした
ままえ ミランに微笑みかけて、スザナは家に帰っていった。 スザナが帰ってからしばらくして、羊たちを小屋に入れたミランは、小屋の中の柵に放 しておいた鳥を見て、驚いた。 「ジェイさんですか ? 鳥の手当てしたのは : : : 」 したく 台所に入ってきたミランに尋ねられ、夕食の支度を始めていたジェイは頷く。 「すぐに鳥を料理することはできそうもないからな」 鳥を絞めなくても、ソーセージや卵など、スザナが持ってきてくれたものがたくさんあ わな けが る。鳥たちは、罠にかかって怪我をしていた。傷口から感染症を起こしたり、膿み、腐り ししよう だしたりしては、肉として食べることに支障が出る。怪我の手当ては、医者であるジェイ なら、造作もない。 「羽根を切って放そうかとも思ったのだが」 飛べないように羽根の一部を切ってしまえば、外に放しておくこともできなくはない。 花 かきん の家禽として飼うというほどはないだろうが、生きているあいだは、太陽の光の下で運動さ は′、せい 彩せたほうが健康的だ。しかし、ミランが剥製を作る仕事をしていると聞いていたので、 切ってしまったあとでその羽根が入り用だったと教えられるかもしれないと考えて、怪我 の手当てだけをしてジ = イは鳥の羽根にはらなかった。 うなず さく くさ
すべてのものに等しく愛情を注げないことを、あなたは恥じる必要はありません。なぜ なら、世のすべてのものには、まったく等しいものなどないからです。 よく見つめ、確かめて選ぶことを、恐れずに行いなさい。あなたにとって、有益である ものに近づきなさい。あなたに害をもたらすものから、距離をおきなさい。周りを思いや やさ かしこ ひきようもの る優しい気持ちがあり、賢く考えて行動を起こすとき、あなたは決して、卑怯者である という誹りを受けることはありません。 傷つけるために近づくことは、近づかないことよりも罪深い行いです。最初からいない あなたのことで嘆く者はいませんが、あなたがいたことで嘆く者をつくってしまったのな らば、それはとても悲しいことです。 ささやかであることは、とても喜ばしいことです。誰でも、小さなものならば、そのす べてを知り尽くし、大切にすることができるからです。たくさんの恵みを手に入れた者 は、失うべきものをたくさん得たのだということを、忘れてはなりません。 人は神ではありません。尊敬とれの気持ちを抱いても、神の行いを真似る必要はあり ません。神の行いを真似たとしても、人は絶対に、神にはなれません。神が人に望んでい ることは、神の教えに耳を傾け、行いを正しくすることです。 人は人として誇らしく健やかに生きること。それでよいのです。 だいしんかん 〈大神官ュイ・リアナーン著「神と人」人の頁より〉 すこ
顎の力が緩められ、ジェイはルミのロの中に入れていた指を引き出す。 「ルミ : : : 、大丈夫か : : : ? 」 ルミを押さえていた手を放したジェイは、ナハトーマを浴びたルミの顔を、ルミの顔の 横に滑りをちていた濡れタオルで拭く まばた 目を見開いていたルミは、ゆっくり瞬きする。 : リン、ゼ : : : ? : ジェイ : : : ? 「大丈夫ですか : : : ? をし、目を潤ませながら、リンゼはルミに振り返る。ルミのロに入れていたジ = イの 人差し指と中指には、くつきりと歯形がついているのが見えた。革の手袋をしていなけれ ば、指を食いちぎられていたかもしれない。 ぬぐ 顔に浴びせられたナハト 1 マをジェイに拭ってもらったルミは、深呼吸して瞬きする。 すまない : 「ああ、大丈夫だ : の目を開けたルミは、リンゼに顔を向ける。 色「 : : : 驚かせたね、ごめん : ・ 彩 「いえ、僕はいいですけど : こんわく 優しい笑みで詫びられて、咳をしながら、リンゼは困惑する。 やさ ゆる かわ
にた ヒのようなものからとれるヤニを加えてもう一度煮立て、木箱で作った石鹸型に流し入れ て、固めて切りわけてから、乾かして保存する」 「まえ、僕に教えてくれたときと、言い方が違いますよ」 しぼうさんじゅしさん 石鹸とは、脂肪酸・樹脂酸の金属塩。以前、難しい言葉を使って、石鹸の作り方を言わ ほおふく れたリンゼは、ジェイに向かって、ぶっと頬を膨らませる。 「リンゼ、きみは教師だから」 解説を加えて、さらにリンゼを絶望的表情にしたルミは、くつくっと肩を揺らして笑 しと う。ミランに教えるなら、材料と作り方を教えれば、それでいし ミゼルの使徒で、教師 として人にものを教える立場のリンゼの場合、何をどうすればどうして石鹸ができるの か、その仕組みをきちんと理解していなければならない。 「すみません、書くものを取ってきます : : : ! 」 聞いてわかったのだが、覚えきれないと判断したミランは、急いで紙を取りに居間に 走った。十分な灰汁が必要なので、石鹸作りは春の仕事だ。それまで、きちんと覚えてい なければならない。ジェイはもう一度、ミランに向かって同じことを教え、ミランはそれ を一生懸命に書き留めた。 「プリザープやコ 1 ディアルはどうする ? 」 きいち′」 上品につまみ食いしているルミから、食べ尽くされないよう木苺のバスケットを取り上 せつけんがた
206 きいちご 家に入ってミランはルミに誘いかける。ミランの言っている木苺のコーディアルは、昼 まえにジェイが作っていたものだ。潰した木苺に酢を加えて、布で漉し、砂糖を入れて煮 た、水で割って飲むシロップである。冷ましたものをに入れて、ジ = イが地下室に持「 ていったのは、ついさっきのことだったように思う。飲みたいなら、お茶の時間に飲めば しいとジェイは言っていた。お茶の時間にはずいぶん早いけれど。 「いいね、飲もう」 目をきらきらさせているミランに賛同し、ルミは微笑む。 「僕、作りますね。ルミさんは座って待っててください 安静にしているようにルミを卓につかせ、お茶の時間を待ちきれなかったらしいミラン 。いそいそと地下室に向かった。 村には六十数軒の家があり、村から少し外れたところに住んでいるスザナの家や、森の 中に家があるミランを含めても、人口は二百名ほどだ。小さな村なので病院はなく、医者 いなか そぼく はいない。学校もない。公共的な建物としては、教会があるだけの、田舎らしい素朴なと しと ころだった。フェレスの荷車でやってくるミゼルの使徒の姿をひと目見ようと、どの家か らも人が出てきている。 「ーーーよそからほとんど人が来ないところだから つぶ ほまえ
226 ままえ ルミの所持品は、すべて回国の活動に必要なものだ。心配するミランに、ルミは微笑 ますい 「麻酔や睡眠導入剤として使うには、もっと使い勝手のいいものがあるからね」 昆虫標本の仕上げにももちろん使えるが、服用すると麻酔効果がある。しかしワイゼル はっき の実の汁を使う麻酔は、よく効くわりに効き目が切れるのが早い。同様の効果を発揮し、 効き目の持続する時間が長い、レランドラのような薬品がほかにあるので、ワイゼルの実 に頼ることはあまりない。粉末に加工してあるものがあれば、次にミランが自分で作ると きの見本にもなる。 「ああ、ワイゼルの実を使えば、マギーザックを手に入れることもできるかもしれない な」 効き目が切れるのが早いし、あれならあとに残らない。服用するとき体重を基準にして 考えるおおよその濃さを教えて、ルミは罠に仕掛けてみてはどうかと提案した。 む。 こ わな
278 ルミは今日の夕食に、消化のいいものを作ってくれるよう、ジェイに頼むことに決め そしやく た。顎が疲れてだるくなっているはずだから、なるべく咀嚼の楽なものがいい しばらくのあいだ街に住まなくても、もう少し体力がついて、車を曳く動物を手に入れ て、何か乗り物が動かせるようになったなら、ミランはここから街に通って、絵を習いに いくこともできる。家には世話をしなければならない羊もいるし、小さいけれど畑もある さび し、なにより、そのほうがスザナが寂しい思いをしなくてすむ。二人で暮らせるようにな るには、村の人の厚意で穀物や野菜を分けてもらうのではなくて、まずミランが一人で暮 らせるようにならなければならない。もっと羊を増やしたり、畑を広げて作物の収穫量を 増やしたり、ちゃんと狩りができるようになっておかなければならない。少しでも手伝え るような状態になったら、スザナはフェレスの農場の手伝いをやめて、ミランの家の畑や 家畜の世話の手伝いをしようと思う。 こんなことを考えたのだがと、楽しげに話すミランとスザナの姿に、ルミはこのお茶会 も、そんなに悪くはない気がした。
( む、向こうを向いちゃ、いけないよな、やつばり : : : ) 子供は夜眠るものだ。そう判断したリンゼは、寝返りを打ち戻して、布団をること に決めた。 ・ : リンゼ : : : 、起きてるのか : ジェイに呼ばれ、そーっと戻りかけていたリンゼは、大きくびくっと肩を震わせた。 ( うわ ! ) こんなにはっきり肩を震わせてしまっては、寝ていることにはならない。 「ご、ごめんなさい : あやま かく 思わず謝って、急いで寝返りを打ち戻したリンゼは、布団の中に隠れる。 ゆか 「リンゼ ! 床に落ちてるビエナの実を拾ってくれー きんばく 夜中なので大声は出せない。緊迫した声で、ジェイはリンゼに言った。ルミの苦しげな 声は、まだ聞こえている。 何か様子がおかしいことに気づいたリンゼは、荒てて身を起こして振り返る。 かたひぎ ルミの寝台に片膝をのせて座ったジェイは、黒い手袋をした左手の人差し指と中指を、 したか ルミのロに入れ、舌を噛まないようにルミを押さえていた。 あわ