いばらかんぼく 川は、茨や灌木の横をすり抜けた際にひっかかって、あちこち裂けているし、踵の高い靴は こんな森を歩くためのものではない。無理を強いているのは、リンゼにもよくわかってい くちびるか る。しかし、そうして娘の姿を確認し、リンゼはぎゅっと唇を噛んだ。 だめ ( 駄目だ、限界だ : : : ) そ、つは′、 息があがり、紅潮しているはずの娘の顔は、緊張と恐怖で蒼白で、いっ気絶してもおか からだ おとめ しくないような状態だった。身体の線を美しく保っために、乙女たちは物心つく頃から補 整下着を身につけ、身体をきつく締めつけている。何か事があるときには、失神するのが しゆくじよ 淑女としてのあるべき姿などとされているが、ここで気を失ってもらうわけにはいか かか 自他ともに非力を認めるリンゼには、娘を抱えて逃げることも、守って戦うこともで きない。見つかったならば、阻もうとするリンゼは一刀のもとに斬り捨てられ、捕らえら れた娘は悪辣な男たちの手におちて、抵抗することもできず、されるがままに、どこかの 花街に涜り飛ばされてしまうことだろう。 生い茂る木々の向こうに、追っ手の姿はまだ見えない。 ( 捕まえさせるわけにはいか かこく ひと思いに殺されるより、自ら死を切望する状況に追いやられるほうが、ずっと過酷 : ごめんなさい : あくらっ かかと くっ
ルミの左胸を撫でたジェイは、ルミの肩に衣装を着せかけて腰を上げ、リンゼに振り向 「 : : : わかっていたのか ? 深緑の目をまっすぐ向けて尋ねられ、リンゼは思わずく。 「 : : : はあ、まあ、なんとなく、そうかなあって、雰囲気で、その : しと 聖地の使徒の家で、初めて二人の姿を見たときから、それは。二人が肩を並べている姿 は、あまりにしつくりとなじんでいて絵になるし、ただの友達、仕事のための相棒という には、親密すぎる。いっしょに旅をして寝食を共にして、確固たる証拠となるような場面 を目撃したことは、これまでになかったけれども 俯いて、しどろもどろになるリンゼに、ルミはばつの悪い顔をする。 「なんだ。じゃあ、すっかりばれていたのか」 「らしいな」 かどうりん ジェイは新しい煙草を取り出してくわえ、火導鈴で火を点ける。 「添え木にする。そこに落ちているのがちょうどいい」 かき 目の前に落ちている枯れ木の枝を拾って持ってこいとジェイに言われ、リンゼはきよと しまたた んとして目を瞬きながら顔を上げる。 ( はい ? )
少しぐらい、期待してもいいはずだ。 「ははは。そうだなあ」 ぶどうしゅ 笑いながら、葡萄酒の小さい樽を抱えたフェレスは台所に入る。 。いていたスザナは、バスケットの持ち手を握って顔を上げる。 「ーーそれじゃ、ルミさん」 「ああ、うん。どうもありがとう、スザナ」 えしやく かえじたく ハスケットを持ち、帰り支度になったスザナに、ルミはにこやかに会釈する。 「ちょっと待ってろ、スザナ、送ってってやるから : : : ! 」 葡萄酒の小さい樽を地下室に運び入れながら、フェレスはスザナに呼びかけた。 スザナはルミに会釈して、家の外に出た。 地下室に葡萄酒の樽を置き、居間にいたルミに挨拶して出てきたフェレスは、スザナの まゆひそ 姿がどこにも見えないことに眉を顰める。 の ( 聞こえなかったか ? ) 送っていくと言ったのに。フェレスは荷車に乗って、スザナのあとを追いかける。砂ト カゲを急がせ、道を戻っていくと、いつも通る道ではない場所を歩いているスザナの姿が 見えた。 たるかか あいさっ
202 「スザナ、お前もよくやったからねえ。神様がミゼルの使徒様にお命じになられて、お前 にお休みをくださったんだよ」 ミランの両親が亡くなってから七年、スザナはずっとミランの家に通い、 ) しろいろと気 やさ にかけ、ミランを助けてきた。ミランは優しくておとなしく、遠慮がちな少年だったの で、大人ではミランの力になってやることはできなかった。森の中に住んでいるミラン は、村の子供たちとはほとんど交流がなかった。家が一番近いことで、小さい頃から知っ ていたのは、スザナだけだ。スザナはミランより年下だったので、ミランはあまり構える ことなく話ができたようだ。 七年まえ、十歳だった頃の幼いスザナの姿を思い出し、スザナの祖母は眩しそうに目を ままえ 細めて微笑む。あの頃は、ミランの家に向かうスザナの姿は、本当に子供子供していて、 おままごと遊びの続きのように見えた。スザナに任せていても大丈夫なのだろうかと、心 配しながら送り出していたものなのだが、もうすっかりいい娘だ。 ( ジェイさんたちがいるあいだだけ : : : ) 足をぶらぶらと動かして、スザナは考える。 「そうよねえ : ミゼルの使徒は、いつまでもいるわけではない。 「そうよね」 まぶ
うにすることはできたでしよう。でもそれって、違います」 「お前 : 「わかりますよ。僕だって男ですから」 思わず息をんだフ = レスにリンゼは向き直る。日の光に透ける、明るく澄んだ茶色の 瞳、リンゼはフレスをまっすぐに見つめる。 かんぼくじゃま 姿勢を低くしていたし、灌木が邪魔をして姿は見えなかったが、リンゼは歩いてきたス ザナのすぐ近くにいた。二人の雰囲気が変だったので、声をかけるにかけられない状況 だったのだ。スザナに対してフェレスが何をしようとしたのか、わかったからこそリンゼ はわざと大きな声を出して呼びかけ、割りこんできて邪魔をした。つい今、近くに来て姿 でばなくじ を見つけたようなふりをして、フェレスの出端を挫いた。 「僕は最初、どうしてジェイがフェレスさんのことをミランさんの友達じゃないなんて言 うのか、わからなかった。だけど、今ならわかります。フェレスさんはミランさんのため ミランさんの家に来てくれてたんじゃない。スザナさんが行くから、来てたんだ。そ うですよね」 どれほど近くにいても、相手のことが好きでなければ、友達ではない。たとえきっかけ かわいそう は、独りばっちで可哀相だからという同情であっても、いつまでもそれを持ち出すようで は、心のない形ばかりの友達ごっこをしているだけだ。村の者に頼まれることもなく、ス
片腕を吊った姿でも、優雅に立ち上がりながら、ルミは首を傾げる。 「見かけませんでしたけど リンゼは、きよとんとする。 「森の中に、鳥を獲りにいったのかもしれないわ。朝早いうちに、仕掛けておいた罠を見 にいったのかも 「フェレスさんも ? 」 家の前には、フェレスの荷車が置いてあり、家の中にも外にもフェレスの姿は見えな うなず ハスケットを持って立ったスザナは、にこやかにリンゼに頷く。 「ええ、たぶん」 ゅうべ リンゼやルミは聞いていないか、ミランは昨夜、ジェイに鳥を獲ってくると言ってい た。スザナが考えたように、朝まだ暗いうちに森に出かけたミランは、罠を仕掛けてか のら、羊の世話をしたり、一日の作業を始めていた。スザナは一日二回、ミランの家に訪れ 絶る。朝早くには、たくさんの花を持ち、ミランが朝食をちゃんととっているか、体調を崩 して寝こんでいないか確かめ、農場での仕事をすませてきてから、一度家に帰り、もう一 は′、壮一い 度ミランの家にやってくる。ミランが鳥の剥製を作ったりカレットの絵師として集中して かし わな
けがにん 説明したジェイは当然怪我人ではないし、ここに来るまでの早歩きがそうとうな運動に なり、つやつやほかほかと血色のいい赤い頗っぺたをしたリンゼは、どう見ても怪我人と いう様子ではない。 けげん 怪訝な顔をする青年に、ジェイは頷き、リンゼは振り向いて、外にいるルミの姿が青年 に見えるよう、立ち位置を変える。 なが 家の前の丘に立っていたルミは、残照の西の空を見上げ、巣に急ぐ鳥を眺めていた。 ぼうし きれい 大きな帽子の陰から、整った綺麗な横顔をほんの少し見せる、金色の髪の貴人の姿に、 青年ははっとして目を見開き、思わず椅子から腰を浮かす。 なび 家人と話をしていたらしいジェイたちの声が途切れたことに気づいて、風に長い髪を靡 かせながら、ルミはゆっくりと振り返る。 「ルミ ! 」 泊めてもらえそうだと喜んで、振り向いたリンゼは、こっちに来るようにと晴れやかな 声でルミを呼んだ。 だいだいいろひとみ のひどく驚いた様子だった青年は、橙色の瞳をした麗人の顔を見、肩に入っていた力を 色抜いた みまが まばた ルミを見たときの青年の様子に、ジェイは微かに瞬きする。女性と見紛うほどに美麗な うなず かす
幼い表情で得意そうに笑うリンゼを見て、楽しい気分になったスザナも、くすくすと 笑った。 かか 花を生けるための桶は、ポ 1 チに置いてある。花を抱えたスザナは、台所を通り抜け、 ポ 1 チに向かった。しかし、ポ 1 チにもミランの姿はない。 ( 外かしら ) とびら スザナは水を汲み、水を入れた桶に花を置いて、ポーチの扉を開けて家の外に出る。 物置から出てきたミランが、ポ 1 チの扉を開けたスザナの姿を見つけた。 「おはよう、スザナ」 : どうしたの ? 「おはよう、ミラン。 ておの ミランが持って出てきた手斧を、スザナはしげしげと見つめる。 ゝって言ってくれた 「うん。ちょっとね、やってみようかなと思って。ジェイさんがいし し」 手斧を持ったミランは、はにかんだ様子で、家の裏に積み上げていた木を一つ手に取 花 のる。昨日、ジェイの仕留めたマギーザックが折った木だ。木工品を作れるような、いい部 まき 分は大きい形で残してあるが、枝は葉を落とし、幹の部分も細いところは、薪にしやすい きそろ ような長さに切り揃えてある。 「割るの ? 」
300 ひりゅうつばさ たた うなが 暴れる小さな飛竜の翼で頭を叩かれ、促されるように空を見上げたジェイは、上空、 ゅうぜん かな高みを悠然と飛ぶ、巨大な飛竜の影に気がっき、大きく目を見開いた。あれは 「ディーノー 巨大な飛竜の鞍に人影を見つけ、声をあげたジェイは荷車から飛び下りる。振り落とさ 0 れかけた小さな飛竜は、ジェイの左腕にしがみつく おび いきなり大声を出したジェイに、砂トカゲたちは脅え、びたっと動きを止める。 そうぐう 腹の底からジェイが声を出すような場面に、これまでまったく遭遇しなかったリンゼ ぎようてん は、吠えるような大声を出して駆けだしたジェイの姿に仰天した。 しっそう 上空を見上げ、矢のような勢いで疾走していくジェイの姿に、ルミはフェレスの背中を 「追ってくれ ! 」 唖然と見送ってしまったフ = レスは、ルミに急かされ、我に返って手を動かす。 ジェイは上空に見える巨大な飛竜を追って、懸命に駆ける。 ( あそこにいる : : : ) 十一一年まえに町を滅ばし、ジェイから生まれ故郷を奪った男が。生死の境を彷徨うほど すいしようりゅうつめ の恐ろしい傷を負わせ、水晶竜の爪を与えて、問いかけた男が。 くら か さかいさまよ る
この世界での強い願いは、明確な形となる。毒の谷で毒を吸いながら暮らしている者た からだ ちは、病気をしていなくても、常に身体に負担がかかっているため、太ることはなく、谷 に射しこむ太陽は日照時間も短く光も弱いために、肌の色素も必要なくなり、色白だ。宝 飾品を美しく見せるためには、それを扱う者たちも見栄えがするほうが、全体的に価値が こうしやくりよう 高くなる。フォルティネン侯爵の領民たちは、平均して短命である命の時間と引き換 カ・け・ろ、つ ふさわ えに、宝飾品を扱うに相応しい、蜉蝣のような美を手に入れていた。領民すべてを生かす ために、美しくあることにもっとも必要性を感じていたのは領主一家であったので、フォ ルティネン侯爵家の者は、貴族でも五本の指に入る美形一族だ。フォルティネン侯爵家で 姫君が生まれたとなれば、その美形一族の血を家系に取りこもうと、貴族たちは目の色を 変える。 すうはい 「宝飾品が似合い、守られ、崇拝されるに相応しい形、それがルミの姿だ。保護させるた かたた めには、愛欲も刺激し、利用する。いくら貴重な宝飾品でも、買い叩かれれば、十分な物 資を手に入れることができないからな。交易相手に綿謐して値を下げさせないためには、 の交易人たち自身にも魅力や価値が必要になる」 、なるほど」 絶「はあ : けなげ 領民の生活を支えているルミたち一族の姿は、さぞかし健気に見えることだろう。そう うるわ いう場合、やはり麗しいほうが、格段に絵になり、ぐっと胸にくるものがある。領民たち