うらや 三人に羨まれ、スザナはきよとんとする。 「フェレスが何 ? たくま 農場が大きいのも、村の未婚の若い青年のなかで一番行動力があり、カがあって逞しく て頼りになるのも、まずまずの男前なのも、皆が知っていることだ。 「結婚するんでしょ ? ゃあね」 「ええ ? ナンに肩を突かれ、スザナはびつくりする。 「どうしてわたしがフェレスと結婚するの 「どうしてって、好き同士だからでしよ。何言ってるのよ」 当たり前という様子でコ 1 ニ 1 は断言し、ナンもユウナも同じ表情でスザナを見つめ スザナはフェレスの家の農場を手伝っている。毎日、ミランの家に行くというロ実を 、つし、つし なかむつ 作って、フェレスに荷車で送り迎えしてもらっている。仲睦まじい様子は、初々しくて爽 やかで、ほのぼのとして、見ていて誰もが気持ちいいと感じている。 絶「ねえねえ、どこまでいってるの ? フェレスって、どんな ? 優しい ? きようみしんしん 興味津々といった様子で、ナンは目を輝かせてスザナに尋ねる。娘たちに見つめられ、 こんわく まゆひそ スザナは困惑して眉を顰めた。 おくむか さわ
たミランは、頬を紅潮させながら籠を開ける。籠の中に入っていたのは、黒くてぬめぬめ した、細長い生き物だ。 「ああ」 うなず 頷いて、ジェイは新聞を畳む。ルミとリンゼも寄ってきて、籠を覗きこむ。 うなぎ 「へえ、鰻だね」 「なんですか ? 鰻って」 「これ、鰻って言うんですか : 今日の午後ずっと、ミランは沼で釣りをしながら、絵を描いていた。かかったものは、 体長五十センチほどのこの鰻一匹だ。 から 「開いて、ムニエルにしてトマトのソ 1 スを絡めるか、フライにしてシトロンとハ 1 プの ソ 1 スをかけるか」 したく どっちがいいかと尋ねながら、新聞を卓に置いたジェイは席を立つ。夕食の支度を始め る時間だ。 「どっちも美味しそうですね」 っざお にこにこしながらリンゼに籠を渡したミランは、物置に釣り竿を片づけにいく。 何か目新しい食材を入手したときには、その料理の仕方を教えてもらうのが、ここのと ころのミランの習慣になっていた。旅慣れているジェイは、知らないものがないので、と ほお たた かご のぞ
その瞬間の記憶がなくても差し障りのない場合に、有効な手段だ」 「事故とかですねー うなず 三つ編みマットの上に座って、薬品をしまいながら言ったリンゼに、ジェイは頷く。 「何かしなければならない義務があり、精神的負荷をかけられ続ける場合には、運動機能 かしひ や感覚器官に影響を及ばし、回避しようとすることがある。物理的原因がなく、本来の機 能に障害は何もないのに、声が出なくなる。耳が聞こえなくなる。目が見えなくなる。手 や足が動かなくなる。制限をかけ、条件を不利にすることで、守る」 「・ : ・ : ルミの場合には : : : 」 「苦痛に関する感覚が遮断された」 そしてそれは、七年をみた今もまだ、継続している。 ルミにいったいどれほどのことがあったのか、想像することすらできず、リンゼは視線 うれ を落とす。憂えるリンゼを見つめ、ジェイは煙草を吸う。 「ルミの場合、もともと、そういう素養はあった。生まれたときから」 の「ど一ついうことですか ? ・ 色尋ねるリンゼの声に、横になって目を閉じているルミが、くすくす笑う。 「ねえ、リンゼ、君はわたしを見てどう思う ? 」 「どう、って : : : 」 しやだん さわ
しっとう その際、執刀する医師は間違いなくジェイだし、助手をしなければならないのはリンゼ だろう。痛い思いをするのはルミだが、手術のことを考えるだけで、リンゼは血の気が引 「場合によっては、腕に傷が残るぞ」 からだ 身体に傷が残るとジェイに言われて、三角巾で腕を吊ったまま腕組みするようにして、 ルミは思案する。 よめ 「それは : : : 困ったなあ。リンゼにお嫁にもらってもらわなくちゃ 自他ともに認める美人であるルミにとって、身体に傷が残るのは、美を韻なうことにな けが るのでよろしくない。怪我をしてしまったのは、もとはといえばリンゼを庇ったせいだ。 ままえ ねえ、とルミににこやかに微笑みかけられたが、行うことになるかもしれない手術のこ とのほうで、リンゼの頭はいつばいになっていた。 「急ぎましよう : ・ すたすたと歩きだしたリンゼに、ルミは笑って肩を竦める。 花 の ルミの冗談に反応するだけの余裕もないことは明らかだが、リンゼのために休憩をとる しに冫いかない。ジェイは追いついてきたリンゼを待って歩きだす。 彩 「行くぞ」 「やれやれ。せつかちだな」 さんかくきん すく そこ
のぞ とびら 玄関の扉が開かれる音がして、ミランは台所から居間を覗く。 「・ : : ・スザナ」 ミランは訪問者の姿を、狐にまれたような顔で見つめた。ミランに背を向けたまま、 スザナは居間を見つめる。 「お花 : : : もう、いらなくなっちゃったのね」 昨日、帰ってから母親に話したら、スザナが行かなくなって間もなく、ミランがフェレ スに花はもう必要ないと言ったのだと教えてくれた。振り返ったスザナは、ミランが抱え ているものを見る。 「 : : : お洗濯も、ちゃんとしてるのね」 「洗ってくれたのは、リンゼさんだけど : ミランは赤くなって顔を伏せ、居間の椅子の上に洗濯物を置く。洗濯をするのはリン ゼ、それを取り入れるのはミランと、いつの間にか仕事の受け持ちが決まっていた。 「お、お茶、いれるから : : : 」 花 したく の ミランは台所に引っ込んで、お茶の支度をする。食後のお茶のときのお湯がまだいくら 車 彩か残っていた。すぐに支度できる。 そそくさと台所に入っていったミランに、スザナは一つ溜め息をつき、居間の卓につ く。ミランにお茶をいれてもらうなんて、初めてだ。絵を描こうとしていたらしいミラン かか
かり、案じることもないだろうと、ジェイは屋根裏部屋に上がる。 「ミランは ? 「まだ戻ってないよ」 ままえ ルミはフェレスに微笑みかける。葡萄酒の小さい樽を抱えたまま、フェレスはちょっと とが 口を尖らせる。 「そうか : じゃあ、悪いけど、ルミさん、ミランに伝えてください ジェイにも話したことだが、ジェイが上にいるあいだに、 ミランが戻ってくるかもしれ かいだく 快諾したルミに、卓の端にちょっと樽の端をひっかけて、休みながらフェレスは一一 = ロう。 「領主様からお使いが来て、あいつが街で絵の勉強をすることに、支援していただけるそ うなんです。まだ細かいことは決まってないけど」 「へえ。いい話じゃないか」 「これでやっと、あいつもまともだよ」 微笑むルミに、フェレスは苦笑しながら肩を竦め、葡萄酒の小さい樽を持ち上げた。悪 ずら 戯つばい目で、ルミはフェレスを見つめる。 きゅうてい 「まともどころか、宮廷絵師ぐらいの、すごい芸術家になるかもしれないよ ? 」 独学で絵を描いて、それが認められるような者だ。才能はまだ未知数の、原石に等し ぶどうしゅ すく たるかか
「ジェイ ? 「じゃあな」 まうだ 悪夢にうなされたルミを落ち着かせようとした際に、放り出した新聞を拾って畳み、 煙草を携帯灰皿に押しつけて消したジェイは、あとはよろしくと、自分の寝台にもぐりこ んだ。 「え ? しまたた ほっんと取り残されて、リンゼは目を瞬く。 ジェイは寝起きが悪い。発熱したルミがうなされて、夜中に大変なことになろうと、即 ) 。ルミの処置が速やかに行われたことは、ジェイが眠っていなかったこ 座に対処できなし とを意味していた。寝入ってからどれぐらいで山がくるか、ジェイにはだいたい見当がっ てぬぐ ひた、 御に置いた濡れ手拭いをこまめに取り替えたりして、看護することでなんとかやり過 ひか ごせるものなら、投薬は控えたかった。症状を訴えることができないルミの場合、使う薬 しんちょう は慎重に選ばなければならない。先に寝かされたリンゼは、交代要員だったわけだ。 花 の「ええ」 ぎようてん 病人を看護した経験のないリンゼは、いきなり看護を任されて、仰天する。 「うるさい」 ふかみどり ジェイは深緑の目でリンゼをひと睨みしてから、寝返りを打ってリンゼに背を向けた。 にら たた
マギ 1 ザックであろうともひとたまりもない。 一服して気がすんだジェイは、腰を上げた。 マギーザックに近寄るジェイを、フェレスとミランは見つめる。 「 : : : 持って帰るのか ? 「ああ」 くわえ煙草のジェイは、マギーザックの左後ろ肢に手をかける。 揺らされてもマギ 1 ザックはびくりとも動かず、ジェイの言うとおり、死んでいるよう だった。これを本当に持って帰るつもりらしいと見て、フェレスは荒てる。 「ちょ、ちょっと待て : 俺も手伝うから : : : ! 」 マギーザックは体重四百から五百キロは優にある。ジェイ一人で運べるとは、とうてい わな かか 思えない。フェレスは持っていた袋と、ひと抱えはある罠を、強引に押しつけるようにし て、ミランに渡す。ミランは重さによろけながら、渡されたものを一度下に下ろして抱え なおす。 花 のぞ たお 木の倒れた音を聞きつけて、走ってきたリンゼが、木の間から顔を覗かせた。 : ジェイ ! 」 彩 リンゼの声を聞き、マギーザックの前肢に手をかけようとしていたフェレスは、顔を上 ヂ , る。 うしあし あわ
ひりゅう けが とも、聖獣ともいわれる飛竜が、この程度の怪我で騒いではいけない。そして何より、 ジェイは動きたくないのだ。 なが 農園の仕事を終えてやってきたスザナは、ミランの家にいる珍しい客を、こわごわ眺め た。来訪したスザナを歓迎して、小さい飛竜ははしゃぐ。女性には途端に愛想がよくなっ た小さい飛竜は、どうやら雄のようである。叔母のところで、赤ん坊や小さい子供を抱い たことがあるスザナは、じゃれつく小さい飛竜を上手に抱っこした。 「重くないですか ? 」 リンゼは感心してスザナを眺める。 「腕の力だけじゃないのよ」 スザナはくすくすと笑う。長時間だと確かに腕が疲れるが、生き物を抱っこするのは、 重量に対するカよりもコツである。寝てしまうと正味の重みがかかるが、起きているとき かか には重心が安定していて、荷物や水の入った桶よりもずっと抱えやすい。要領をわかって いない者は、腕力だけで抱えようとする。力がある者の場合はそれでも ) ししか、カが足り ない者の場合、不安定なうえに具合の悪い嫌な部分を圧迫されて、抱かれているほうは居 ごこち 心地悪く、非常に不快である。 「抱いてみます ? 」 おす あいそ
268 「先に口説かないからだ」 しんし ミランがぐずぐずしているうちに、真摯にかき口説けば、ひょっとしたら落ちたかもし れない。それをするだけの機会よ、ゝ 冫しくらでもあったはずだ。 「 : : : それは : フ = レスは赤くな「てく。ミランにはいつでも強く出て偉そうで、行動力があるくせ こと恋愛に関しては、とことん不器用で奥手であるらしい。周りの者たちは、フェレ スとスザナが交際しているものと勝手に思いこんでいて話をするし、ミランのところに きげん 通っているスザナが、毎日機嫌よく車に乗ってくれていたことも、その気がなくもないも さつかく たが のと、錯覚させるには十分だった。大胆な行動に出ようとした昨日は、箍が吹っ飛んでし まったとしか、一一 = ロいようがない。 「一言わなくてもわかってるんじゃないかという、身勝手な考え方は捨てたほうがいい。周 りがどう見て何を言おうと、本人とそういう話をしてないんじゃ、何もないということと 同じだ。別の男が現れて、好きだって言って強引に迫ったら、なし崩しになって持ってい かれてしまうことだってあるわけで。ねえ ? ジェイ」 い 9 ら 他人のことは、なんとでも言えるものだ。悪戯つばく笑いながらルミに声をかけられ、 ジェイは不機嫌な顔で、ついと横を向く。ルミの言ったことをじっくり考えて、リンゼは 不安そうな顔になる。