顎の力が緩められ、ジェイはルミのロの中に入れていた指を引き出す。 「ルミ : : : 、大丈夫か : : : ? 」 ルミを押さえていた手を放したジェイは、ナハトーマを浴びたルミの顔を、ルミの顔の 横に滑りをちていた濡れタオルで拭く まばた 目を見開いていたルミは、ゆっくり瞬きする。 : リン、ゼ : : : ? : ジェイ : : : ? 「大丈夫ですか : : : ? をし、目を潤ませながら、リンゼはルミに振り返る。ルミのロに入れていたジ = イの 人差し指と中指には、くつきりと歯形がついているのが見えた。革の手袋をしていなけれ ば、指を食いちぎられていたかもしれない。 ぬぐ 顔に浴びせられたナハト 1 マをジェイに拭ってもらったルミは、深呼吸して瞬きする。 すまない : 「ああ、大丈夫だ : の目を開けたルミは、リンゼに顔を向ける。 色「 : : : 驚かせたね、ごめん : ・ 彩 「いえ、僕はいいですけど : こんわく 優しい笑みで詫びられて、咳をしながら、リンゼは困惑する。 やさ ゆる かわ
270 「ジェイい、どうする ? ちょっとだけ帰ろうか」 しと ジェイが育った宿場町には、ジェイが思いを寄せている娘がいる。ミゼルの使徒となっ たジ = イの目的が、斧の戦士との邂逅という、死の影の濃いものであるために、思い あっているくせにジェイもエレインも、お互いの思いを口にできないままだ。エレインの 父親のハッシュも、ジェイのことを息子のように思っていて、二人のことを認め、孫の顔 : しかしそれでも、なるようになってしまえば、 が見られる日を楽しみに待っている。 娘婿はジ = イでなくてもべつにかまわないというのが、本だろう。ジイが婿入りし あんたい てくれたなら、食堂をやっている店も安泰だが、エレインの幸せが第一、 ' いつの間にか、話の中心人物が、自分からジェイに移ってしまっていた。声を殺して笑 うルミと、心配そうな顔でジェイを見つめているリンゼの姿に、フェレスはきよとんとし ながら考える。 ( ひょっとして : : : ) 「あんたにも、誰かいるのか ? 」 好きなくせに、まだ何も告げていない人が。 「うるさい ふきげんー ジェイは不機嫌な顔をしたまま、新聞を読む。 ロ数少なく、 いつでも不機嫌そうな顔をしていて、にこりともしないが、ジェイにはな
「ミランが絵を描く、うちの村のカレットが、どこのものより一番素敵なのよ」 ねえ、と同意を求めるように視線を送られ、褒めちぎられて自慢されているミランは赤 くなってき、お茶を飲みながらフ = レスは、ふんと鼻を鳴らす。 からだ 「身体が弱いんだ。それぐらいの取り柄でもなきゃな」 父親が木こりだったというが、ミランには家業を継いでいる様子はない。か細い身体つ ぜいじゃく きから、見るからにミランは脆弱そうだった。色も白く、太陽の下で仕事をしている感 じでもない。 はくせい 「まあ、フェレスったら。ミランは鳥の剥製を作るのも巧いじゃない。それに、領主様か ほうび らご褒美をいただくときには、自分のことみたいな顔をしているくせに」 内気でおとなしいミランは、人にじろじろと見られたり、詮索されたりするのが嫌で、 森に引きこもったまま、ほとんど人前に出ない。祭礼にも、スザナに引っ張られて仕方な くほんの少し顔を出すだけで、晴れがましい場所には姿を見せない。 くすくすとスザナに笑われ、フェレスはばつの悪い顔になる。 こいつがどう、っていうんじゃなくて、うちの村のカレットのことだか の「あれは・ ら」 それにあんな場所でおどおどしていては、村の格を落としてしまうし、格好が悪い。代 表は代表らしく立派に振る舞うのが、当然だ。 、つま せんさく かっこう
き、倒れた仲間に手をかける。揺すられて、倒れた賊の頭部がごとりと動く。白濁した目 はいつばいに開かれて極限まで上を向き、だらしなく緩んだ顎から、でろりと舌がはみ出 っちけいろ した。緑がかった土気色になった顔は、一見してわかる死人の顔だ。 「この野郎 ! 何しやがった ? 」 びれい 馬車の中にいる美麗なる者は、まったく同じ姿勢で、指一本動かした様子もなかった。 ほんの一瞬まえまで、確かにこの男は生きていた。外傷一つない。 死んだ仲間を馬車から引きずり下ろしながら色をなす賊に、顔を向けたルミは艶やかに ままえ 微笑みながら答えた。 「一 = ロったはずだ」 近づくと死ぬ。 「ふざけるな ! 」 どな まどう さや 怒鳴った賊が腰から引き抜いた剣の鞘には、悪しき魔道の印があった。黒魔道士を仲間 とするこの賊たちには、たとえ高級魔道士であっても、まったく気づかれることなく、不 の思議の力を行使することはできないのだ。 きようあく びぼう 色血で汚れた剣を突きつけ、その凶悪なる力の絶対をもって、美貌の主を服従させよう からだ あやっ とした賊は、洋車の中に半身を入れたとたん、ぎくんと身体を硬直させ、糸の切れた操り 人形のようにれ羅ちた。 たお ゆる はくだく した あで
「おやすみなさい」 いつもなら、ジェイもいっしょの時間に寝台に入って休む。しかし、今日のジェイは、 着替えをすませただけで、寝台に入ろうとする素振りはない。 ジェイはやはり新聞を読んだまま、リンゼに返事した。疲れ切っていたリンゼは、すぐ に眠りに落ちた。 熟睡していたリンゼは、床の上に何かが倒れる物音を聞いた気がして、びくりと肩を震 わせ、目を覚ます。 眩しい光が顔に当たったので、朝かと思ったが、それは明かり取りから入りこんだ月明 かりだった。 うめごえ ルミの苦しげな呻き声に、骨折すると熱が出ると、ジェイが言っていたことを思い出 し、リンゼはどきりとする。 まぶ ゆか ししか、顔にかけるぞ : たお
なので、そこらの町医者に任せるよりもずっと頼りになる。 ジェイの手伝いをしていた従者は、馬が森から出てくる物音で、ルミが戻ってきたこと ますいばち ほう′」う に気づいて振り返った。麻酔蜂の針を用いた局部麻酔で、意識のあるままで縫合手術を受 うかが けている従者も、どうなのかと窺うように顔を向ける。馬上でぐったりとしている娘を見 ほほえ つめ、心配そうな顔をした従者たちに、ルミはにつこりと微笑みかける。 まう 「森の中で隠れん坑をして、疲れたようだ」 おだ あちこちにかぎ裂きを作り、泥や草の汁で汚れて、衣服には穏やかでない乱れはある あんど けが が、助けが来たことで安堵して気絶しただけで、怪我をしたり乱暴なことをされたわけで よゝ 0 ) レオ . し びれい やさ 美麗な顔で、うっとりするほど優しく微笑んだルミの言葉に、リンゼと森に逃げた娘を 心配していた従者たちは、心底ほっとする。たとえ男性であっても、美人の微笑みには、 癒しの効果も大いに期待できる。ルミが手ずから患者に薬を渡して、しばらく近くにいる ようしたんれい ときには、ジェイは処方する薬の量を減らす。容姿端麗なルミが手渡して服用させれば、 偽薬効果も絶大であることは、すでに証明済みだ。少量の投薬でも大きな効果があるのな ら、患者本人のためにもそれが一番いし ひ 馬を曳いてきたリンゼに、ルミは足を止めさせる。 かばん 「リンゼ、薬品鞄と水を」
236 じぎ フェレスにお辞儀して、スザナはフェレスに背を向けた。 ぼうぜん 歩き去るスザナの背中を、フェレスは呆然と見つめる。 ( なんだよ、それ : : : ) 不満が何もなくて、突然態度を一変させられるなんて、まったく道理に合わない。嫌わ れるようなことなど、絶対にない ( スザナ : : : ! ) こぶしにぎ 一度、ぎりつと拳を握りしめ、怖い顔になったフェレスは、スザナに向かって手を伸ば す。今ここできっちりと捕まえておかないと : 「スザナさあん ! 」 こだち 木立の向こうから聞こえた声に、スザナははっと顔を向けて、足を止める。 「リンゼさん ? がさがさとを漕いできたリンゼは、スザナに微笑みかける。 「こんにちは、おひさしぶりです」 こわば ひとなっ にこにこと人懐っこい笑顔で微笑むリンゼに、スザナはそれまで強張っていた表情を和 ら、ける。 「さっきミランの家に行ってきたの。茸、とれました ? 」 こわ きの、」 やわ
れて慌てる。それまでとても従順であったのが、嘘のようだ。 「こ、こら ! どうしたんだよ ? 」 前に引っ張ろうとすればするほど、馬は激しく暴れる。 馬を宥めようと必死になっているリンゼに、腕を負傷していた従者が、急いで手を貸 「ここまで来たところで、きゅうに暴れだしまして : 「普段はおとなしい馬なのですが : けげん 腹部を負傷した従者も、娘たちも、同様に怪訝な顔になる。 ジェイ」 「ああ : うなず 道具を片づけたジェイは、ルミに頷き、軽く左手を動かした。 ジャキンという金属質な音を響かせ、黒い革の手袋をはめたジェイの左手に、長い爪を 思わせる五枚の刃現れる。 ふきげん ぎよ 不機嫌な、怒ったような顔をして、刃を掲げてやってくるジェイの姿を見て、馬を御し ていた従者は、ぎよっとする。 「あ、あの : ・ 「こっち、下がりましよう」 す。 あわ なだ かか かわ うそ
148 に罠を支度してきて、自分が森に入って罠を仕掛けにいき、午後来たときに、罠にかかっ た鳥を回収することになっている。 「こんなことして、また寝こんで、スザナに面倒をかけるつもりなのか e: あといくっ : ・これで全部だよ」 ちょうど、最後の罠にかかった鳥を外しおわったときに、フェレスが来たのだ。 かっこう 「珍しい客が来たからって、お前なんかが格好つけようなんて思うなよ」 「そんなこと、考えてないよ : 睨みつけるフェレスに、 ミランは少し逃げ腰になり、顔を伏せる。 「僕には何もできないし : ・ と ジェイたちに泊まってもらっても、ミランは料理も満足にできないし、することがあっ て、ろくに話もできない。ただ、使っていない屋根裏部屋を提供して、気拠ねなく楽にし てもらっているだけだ。 めいわく 「勝手なことをして、まんまと病気になって、それを絵が描けない理由にされちゃ、迷惑 だからなー 手厳しく言われて、ミランは顔を上げられなくなってしまった。 にら わなしたく めんどう
306 「あれ、全部飲んじゃったんですかル まだ、小さい樽一つ分はあったと、リンゼは記憶している。 ゅうべ 「いや、昨夜。君が寝てるあいだに」 酒が入ると、自然と話し声も大きくなってしまうものだが、リンゼは熟睡していて、 まったく目を覚まさなかった。 やけざけ ジェイの自棄酒につきあって、いっしょに飲んだルミも、当然一一日酔いなのだが、苦痛 を感じないルミの場合、少し顔色がよくないぐらいで、行動にはほとんど変化がない。 うそ 「嘘でしようつ e: ぎようてん リンゼは仰天して目を剥く。飲酒の習慣がないリンゼには、あんな大量のものがどう なか して飲めるものなのか、理解できない。水や清涼飲料水では、お腹がいつばいになってし まって、とても飲みきれない量だ。 大声を発しているリンゼに、ジェイはゆっくり顔を向け、呟いた。 「 : : : 騒ぐと、殺す : : : 」 据わった目で睨んだジェイに、リンゼはひくっと顔を引きつらせた。 たる にら む つぶや