いかないと、治りきらないまま、治ったふりをしたのかもしれない。 せいまどうし 「聖魔道士様がいらしたときにも、相談してしまったんです。ミランがまた、昔みたいに すが 元気になるように、聖魔道士様のお力に縋るわけにはいかないでしようか、ってお願いも してみたんですけど : : : 」 しゅぎよう 修行によって身につけ、魔道士一人一人が使うカではあるが、魔道は個人に許された 力ではない。正しく行使されねばならないものであるために、魔道による協力を求める件 ほ、つかい については、厳しい審査があり、許可がなければならないのだ。それは世界を崩壊の危機 から救った英雄である、聖魔道士であっても、例外ではない。 「聖魔道士様は、本当に魔道に頼らなければならないことなのかどうか、よく考えるため おっしゃ に、ミランといっしょにここで湖をご覧なさいって仰られて : : : 」 「ふうん : ・ ルミは木の間越しに見える湖に目を向ける。さざ波の立っ湖面はきらきらと輝いて、と ても美しい。湖畔には野の花の花畑もある。 花 の「いいよね、あそこ。たくさん花も咲いてて」 色につこりと微笑むルミの横で、スザナは憂いになる。 きれい 「綺麗な花はたくさんありますけど、途中に険しい岩場があって、湖の近くに行くには、 それを越えるか、ぐるっと遠回りするしかないんです。ミランにはとても行けないわ」
気に敏感に反応するそれは、決して金属などではない。銅の時代に、神の戦士に仕える ひりゅうつめ おとぎばなし すいしようりゅう ために造られた、水晶竜と呼ばれる伝説の飛竜の爪だ。御伽噺で語り伝えられるのみ せいじゅう になった伝説の聖獣は、神々がまだ地上にいたその昔、確かに存在した。今、武器に見 けが じようか せかけてジェイが所持しているそれは、穢れたものを浄化する、聖なる力を有した神具に 等しいものだ。 くし まどうし えんた しゅぎようしゃ 不思議の術を駆使する魔道士は、世俗との縁を絶った修行者である。魔道には厳しい かいりつ 戒律があり、修得した術を個人のものとして認めてはいない。修行と制約と戒律と義務、 あら」◆か はな 華やかにも見える魔道の不思議の術にだけ憧れを抱いた者のなかには、魔道士として生き らくごしゃ かこく ることの過酷さに耐えきれず、脱落していく者もいる。落伍者は魔道を封じられて俗に戻 やみ あきら されるのだが、それでも魔道を諦めきれずにいる者は、黒魔道と呼ばれる闇の組織を訪 ね、魔道の明明を解いてもらったり、黒魔道に手を染めたりするのだ。一度、黒魔道に手 を出したものは、死んでも黒魔道から解放されることはない。 しと 「ーー、我はミゼルの使徒にして、知の神ミゼルの神聖なる使いなり。我が声は神の言葉を なんじ とな おろ 伝え、我が耳は神に一一一一口葉を伝う。愚かなる人の子に告げる。我が前で汝の神の名を唱え、 ざんげ 懺悔して改めよ」 「神は誰も救わない」 にぎ さえぎ ジェイの言葉を冷めた声で遮って、決衣の賊は右手一本で剣を立てて握り、刃にそえて いた
せいまどうし 「聖魔道士様か。それは光栄だな」 ほ、つかい くすくすとルミは笑う。世界を崩壊から救った救世の英雄の一人でもある聖魔道士は、 、」うし 」、つしやく カルバイン公爵家の三男として生まれた公子だ。百年ほどまえに生まれたフォルティネ とっ ン侯爵家の姫が、カルバイン公爵家に嫁いでいる。血縁があるのだから、雰囲気に近しい とし ものがあっても、不思議はない。十も歳は離れていないし、長い金色の髪の青年という背 こくじ かっこう 格好は、ばっと見で酷似している。 「また、って、以前、ここにいらしたことがあるのかい ? [ うなず ルミに問われて、スザナは頷く。 「一年くらいまえのことよ。ミランのカレットの絵を気に入られた領主様が、ぜひ世界救 済の英雄伝説のカレットを王都に贈りたいって飃れて、そのお話を小耳に択まれて、わ ざわざ聖魔道士様のほうから、足を運んでくださって」 前女王トーラス・スカ 1 レンから、女王領の一つだったラサ・シェーンという土地を任 えつけん されて、聖魔道士は今、そこにいる。領主を通して謁見の願いを出せば、受理されて、許 からだ 車可がおりてもおかしくなか「た。しかしミランは身体が弱くて、旅には不向きだ。行きた 彩くても、聖魔道士のそばには行けない。謁見の願いなど、夢だ。そのことを知って、聖魔 道士は姿を見せるために、ここに来たのだ。 ミランが今、下絵を考えているのは、今年の祭礼のパレ 1 ドに出す力レットだ。領主が
くろまどうし こうべた 神の使徒は、黒魔道士などに頭を垂れることすらしない。 「死ね」 簡潔に言い放ったジェイを見つめて、くつくっと喉を鳴らして笑った黒魔道士は、呪文 とな を唱える。 「ベルエ・タ・サージュ ! 」 き けが 魔道の気を帯びたならば、どれほど肉を切り裂こうとも、血で汚れることはない。粉 砕の呪を与えられ、不気味な赤い靄をまとう剣で、黒魔道士はジェイに襲いかかった。 じじよまうだ つか からだ のぞ ぞく 侍女を放り出し、屋根をんで身体を半分入れるようにして馬車の中を覗きこんだ賊 まゆひそ は、中に残っていた娘に手を伸ばそうとして、むっと眉を顰めて動きを止めた。 背後にいた賊が、仲間の不自然な行動に気づく。 「おい、どうした ? 」 きようあく 凶悪な賊の手にかかることに恐怖した乙女が、自害して果てることは、珍しいことで なぐさ はず . かし 花 の はない。恐ろしい思いをしたり、慰みものになって辱められるよりはと、自ら死を選ぶの 色である。 彩 「いや、それが ロごもって振り返る仲間を、焦れた賊の一人は乱暴にそこから引きずり下ろした。身体 しと じ おとめ のど じゅもん ふん
136 たずさ 女王に献上したいと思っている世界救済の英雄伝説のカレットは、製作に携わる誰もが納 得のいく素晴らしいものを作りたいという夢があるので、いつまでにという期限をきられ ているものではない。 せいれい おっしゃ みどりひとみ きれい たてごと 「精霊の王様の祝福を受けたって仰ってた、翠の瞳がとても綺麗で、お優しくて、竪琴と 歌がとてもお上手で。ルミさんが座っているそこで、歌ってくださって」 たいき そのときのことを思い出し、ほうとスザナは溜め息を漏らす。 「ふうん」 いごこち ほまえ 居心地のよさそうな場所は、誰の目にも同じなのだなと、ルミは微笑む。 「でもね、おかしかったんですよ。あんまりお天気がよくて気持ちがよかったから、外で せいまどうし お昼にしようとしたら、鳥が聖魔道士様だけに集まってしまって、サンドイッチもお菓子 も、みんな取られちゃって」 鳥で鈴なりになった聖魔道士の姿を思い出して、スザナは楽しそうに笑う。 あわ 「お連れになっていた小姓の方と、慌てて鳥を追い払って。まさかわたしたちが聖魔道士 様をお助けすることになるなんて、思ってもいなかったわ」 「へ 1 え」 にこにこと見つめていたルミの前で、ふっとスザナは笑みを消し、視線を落とす。 「 : : : どうかした ? 」 やさ
うなず 一つ頷いて、スザナは腰を上げる。 「お母さあん ! レイヤーケ 1 キの焼き方、教えてー ! みが ジェイがいるあいだ、ミランはずっと美味しいものを食べることになる。少し腕を磨い みおと てお料理上手になっておかなければ、見劣りしてしまうことだろう。 やらなければならないことを見つけたスザナは、奮起して、家の中に入った。 昼食を終えた頃、フェレスがジェイとリンゼを迎えにやってきた。 「そんなに遅くならないから」 今日フェレスがジェイたちを連れていくのは、村の教会と村長の家、そして足の悪い年 寄りのいる家だけだ。回国の活動ができるようになるまで、ルミは安静に療養する必要が あるので、ジェイたちはしばらくのあいだミランのところで世話になる。ゆっくりと滞在 期間がとれるということで、日替わりの順番で、村の家を回ってもらうことに決まったよ うだ。医者であるジェイに、今のところ急ぎの用事はないらしい。一日に数軒という予定 花 車たが、今日、ジ = イが往診に向かうのは、最初の一軒だけだ。 絶ジェイたちが教会に立ち寄るのは、ミゼルの使徒は居場所を報告しなければならないと まどうしとう いう、義務があるからだ。ミゼルの使徒に関する事務処理は、普通は魔道士の塔で行うも のなのだが、村は小さくて魔道士が常駐する魔道士の塔がなかった。教会は横の繋がりを むか つな
き、倒れた仲間に手をかける。揺すられて、倒れた賊の頭部がごとりと動く。白濁した目 はいつばいに開かれて極限まで上を向き、だらしなく緩んだ顎から、でろりと舌がはみ出 っちけいろ した。緑がかった土気色になった顔は、一見してわかる死人の顔だ。 「この野郎 ! 何しやがった ? 」 びれい 馬車の中にいる美麗なる者は、まったく同じ姿勢で、指一本動かした様子もなかった。 ほんの一瞬まえまで、確かにこの男は生きていた。外傷一つない。 死んだ仲間を馬車から引きずり下ろしながら色をなす賊に、顔を向けたルミは艶やかに ままえ 微笑みながら答えた。 「一 = ロったはずだ」 近づくと死ぬ。 「ふざけるな ! 」 どな まどう さや 怒鳴った賊が腰から引き抜いた剣の鞘には、悪しき魔道の印があった。黒魔道士を仲間 とするこの賊たちには、たとえ高級魔道士であっても、まったく気づかれることなく、不 の思議の力を行使することはできないのだ。 きようあく びぼう 色血で汚れた剣を突きつけ、その凶悪なる力の絶対をもって、美貌の主を服従させよう からだ あやっ とした賊は、洋車の中に半身を入れたとたん、ぎくんと身体を硬直させ、糸の切れた操り 人形のようにれ羅ちた。 たお ゆる はくだく した あで
4 ノ、 「なるほど」 つか 小金を掴ませれば、ちょっとした悪事に加担する役人など、どこにでもいる。顔を見ら れないように気をつければ、そんなことを言った覚えなどないと、しらをきりとおしてお くろまどう あやっ かんいさいばん しまいだ。あるいは金を使わず、黒魔道の術で、役人を操ったのかもしれない。簡易裁判 しょ ろけん 所で告白の水を用いても、記憶になく自分の意思で行ったのではない事柄は、決して露顕 することはない。魔道士の力を借りるような大事にならないかぎり、黒魔道が使われたと とうぞく はわからない。金持ちの馬車が盜賊に襲われるなどということは、、 へつに珍しいことでは オし ルミやジェイが所持している医薬品や道具は、よほど精製や加工が難しいもの以外は、 店で買うのではなく、自分たちで調達する。今日、森に近い道を選んで歩いていたのも、 適当なものを見つけて、補充しておこうと思ったからだ。たまたまそうして森を歩いてい たおうじよう たとき、馬が暴れて立ち往生している馬車を見つけ、どうしたのだろうかと近寄ったら、 賊が襲撃してきたのである。知恵を伝えるための回国の活動をしているので、本来、ミゼ しと ルの使徒は戦いに加勢するようなことはしないのだが、い っしょに襲われてしまっては、 戦わないわけにはいかない。 ミゼルの使徒は、取得している資格によって、回国の活動をする際に着用する制服があ
じゃま うなが リンゼはジ = イの邪第にならないよう、馬を退けようと促す。 日の光に銀に透ける刃を構えてやってきたジェイは、馬が嫌がったあたりで、むっと眉 を顰めた。 しん 刃の芯に金線のように、金色の光が生じていた。 ジェイは足一兀の地面を見つめ、そしてやにわに刃を地面に向かって振り下ろす。 振り下ろされた五枚の刃が触れる寸前に、地面は爆発して激しく飛び散った。行く手を 遮るように、道に埋められていた黒猫の死が、砕けて飛んだ地面から放り出されて宙に しようき 舞い、黒い瘴気の霧が爆ぜるように消えた。 あばだ いったいなんなのだろうかと、ジェイの後ろ姿を見つめていた娘たちは、暴き出された 黒猫の骸と、それが消え去る様を目撃し、驚いて声をあげる。 「黒魔道の術だ」 冷ややかに見つめて、ルミは娘たちに教えた。 黒魔道の術具がなくなり、馬が落ち着きを取り戻す。 きよ、つこ、つ おび 黒魔道士によってかけられていた術に怯えて、馬は恐荒をきたし、ここから一歩も先 に進まなくなったのだ。 左手の刃をしまい、ジェイは振り返る。 ひそ まゆ
てのひら 押し切るかのような形にして、左の掌をジェイに向けた。 しる しんくごぼうせい 左の掌に印されていたのは、黒い飾輪で囲まれた真紅の五芒星だ。人間の非力さに失望 ことわりじゅんしゅ きんかい まどうかせ し、神の創造した世界の理を遵守するがゆえに多くの禁戒と限界のある魔道の枷を、断 のろ ち切ることを選んだ者に与えられる、呪わしき印である。 「 : : : 神はもう、この世にいない めいやくあかし 闇との盟約の証を見つめながら、ジェイは静かに言った。遥かな昔、恵み豊かな金と銀 の時代が終わり、銅の時代から、人々が争いを覚えた鉄の時代に、すべての神々は地上を しと 去り、天使も神とともに行ってしまった。だからこそ、ここにミゼルの使徒がいる。 ほうい 断一言したジェイの一一 = ロ葉に、法衣の賊は、にいと笑う。 ひざまず 「君のその金色の髪は月に似ていて嫌いじゃないから、今ここで許しを乞うて跪くのな ら、命だけは助けてあげてもいいよ」 せんたくし 親切めかして言われたそれは、悪意ある選択肢だった。私利私欲のために不思議の力を じひ 求めた黒魔道士に、情けや慈悲の心などない。命を奪わないのは、死ぬことすら許さない じごく という、生き地獄への招待だ。 「うるさい にぎ 一度軽く手を握って、顔の前に上げた五枚の刃を五指とともに動かして、ジェイは対峙 にら した黒魔道士を睨む。 やみ ぞく はる こ たいじ