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検索対象: 明日香幻想 玉響の章
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1. 明日香幻想 玉響の章

先に口を切ったのは真稚の方であった。 ほんじ 「品治どの。正殿に王子はおられたか ? あせ ロ早に、焦りを含んだ声が尋ねる。真稚から話しかけられるというのは初めてのことで、品 治はびつくりしてとっさに返事ができなかった。 「品治どの ? 聞こえなかったか ? 」 ごく低い、くぐもった声が微かながら苛立ちを含んで答えを促す。はっと、品治は我にかえ やしろ 章「いえ。私が矢代どのにお会いしたときには、いらっしゃいませんでしたが」 事「あの野郎、また勝手にふらふらしてるな」 ゅづき ~ ちっと、弓月は舌打ちをする。一言も言わずに、真稚は駆け出した。 想「あ、こら、真稚っ : : ったく、あいつもしようがないなあ」 香弓月はやれやれと一一一〔う風に息を吐く。 明 「あの = = = どうかしたのですか ? 王子に何か ? ~ うず 「ああ ? いや、いつものごとくうちのわがまま坊主が、側仕えの目を盗んで部屋を抜け出し まわか いらだ

2. 明日香幻想 玉響の章

話しているそばから、間人が訊いてくる。どうやらこの兄妺は、それぞれにまだ会ったこと のない弟王子のことがとても気になっているよ、つだった。 ただしその気になる点というのがお互いすいぶんとかけ離れているらしく、おかげで答える ために頭を切り換えるのが大変だ それにしても。 きゅう 品治はまたもや瞬間、返事に窮していた。 どうしてこの姉王女は、実に答えにくい質問を投げ掛けてくれるのだろう。 やしろ 矢代が心配していた通りだった。 「いつも、にこにこしておいでで、とても気さくでいらっしゃいます」 それ以上は答えないことにする。嘘をつくのは苦手なのだ。 「そう。だったら確かにお兄さまとは全然感じが違うわね。お兄さまはめったに笑顔を見せて 玉下さらないし、けじめがきちんとしていない者はお嫌いだもの、 くすくすくすと間人が声をたてて笑う。葛城はむっとしたみたいに、形の良い眉をしかめ 想 香 「ね、それで : ・ 明 やつばや 「間人、いい加減になさい。そなたと葛城とに矢継ぎ早に質問されて、品治どのが戸惑ってお られるではありませんか」 みこ ひめみこ

3. 明日香幻想 玉響の章

うなず 大海人は身を起こし、頷く。 「わかった。いいだろう」 先までと同し笑顔の中に、明らかにほっとしたみたいな彩を見つけて品治は視線を落とし 「いつでも連れていってやる。お前は馬の扱いが確かにうまい。多分大海家の家人の中しや、 一番だろう」 たづな 軽く手綱で青毛を叩き、大海人は館へと走らせる。 「それはどうも 後に続いて、品治も葦毛を促した。 章館の門前で一一人は馬をおり、門衛に扉を開くよう大海人が命しる ゅづき 玉「覚悟してください。弓月どのが待ち構えておられます , 「だから、いつものことだってのに : 品治の耳打ちに、大海人はやれやれと言ったふうに息をついた。 日「そのどろどろは、俺のせいにしていいですから」 「『していい』しゃなくて、本当のことだ」 まだ濡れている上衣を軽く指で引っ張り、じっと品治をねめつける。 た。 やかた

4. 明日香幻想 玉響の章

268 品治は一瞬絶句し、そして跳ね上がった心の臓を落ち着かせようとゆっくりと息を吸い、吐 きだす。 「品治。その代わり、何をくれる ? お前は」 「あなたがどうしても、耐えきれなくなったとき。そしてまたあなたの命と引き換えでなけれ ば、あなたの愛する者たちを守れないときは。俺が、あなたを殺します。必ず。 静かに、強く語る言葉に、大海人の熱に焦点を揺らした目がかすかに見開かれた。息を呑む 音が品治の耳をかすめる。 「だからそれまでは、生きて下さい 「・ : : ・そうか」 まぶたを閉じ、息をつくみたいに細く大海人は言った。 「わかった」 唇だけが語る答えを、品治は確かに聞き留めた。 ちょうど とばり 宝姫王が大殿の田村大王の寝室の帳を上げたとき、丁度田村大王は身を起こし、薬酒に手を こ、つし 伸ばそうとしていた。日が暮れようとする時刻、格子の窓から差し込む光は長く、部屋の空気 たむらのおおきみ の

5. 明日香幻想 玉響の章

や、亡くなられていたかも知れないっ 「お前がいなかったら、王子は大けがを負われてた。い て、弓月さまは言っておられた」 「それで自分がけがしてるんしや、まぬけなだけですけどね うれ くすぐったいのと嬉しいのと切ないのとがごちゃまぜになって、どんな顔をすればいいのか わからなくて、品治は笑った。 閉していた輪が、自分に向けて開かれたのを確かに感した。それが、嬉しい。けど、痛みも また同し強さで在った。 自分と宮とのつながりを、思い起こして。 せん 「これさ、うちに伝わる秘伝の薬なんだ。痛みで寝ることもできないときに湯に煎して飲む と、嘘みたいに痛みが引く。こいつやるから、もし苦しくて眠れないくらいのときは一服飲ん でみろ」 うまや 響 王いつも厩で一緒に作業をしながら、一度としてまともに会話を交わしたことのなかった青年 ふところ が、懐から小さな茶巾を取り出して品治の枕元におく。 虹「ありがと、フ」 日「ただし、こいつは本当にひどい状態のときしか使っちゃだめだぞ。それだけ強い薬だってこ 明 となんだからー 「う、うん」 ちやきん

6. 明日香幻想 玉響の章

204 大げさなくらいに深く息を吐いて、弓月が本の一冊を持ち上げる。その脇では、黙々と真稚 が片づけにかかっていた。 「んー」 大海人は机に頬杖をついて座り、筆を走らせている。 「いい、放っておいて。後で自分でやるから . まともに聞いているのかいないのか、視線はずっと机の上にあった。 みかわ 玄理が大海人に天文学の講義を行った最初の日から視察の一行が三河へと発った今日に至る こも まで、彼はほとんど外へ出ず、部屋に籠りつきりになっている。本を開いているか、さもなけ れば今のように書き付けをするか。引っ張りだされなければ食事も忘れるといった状態が続い ていた。 「よくない。もうすぐ母上が医者を連れてくるんだ」 > に弓かかっていた本を分けて、弓月はくるくると巻きつけていく 「医者 ? 」 何か引っかかったのか。そこで大海人は手を止め、弓月をふり返った。 「なんで」 「そりゃあ、丈夫でもないくせに十日もろくに寝ないで本にかじりついていた大ばか者を、寝 かしつけるために決まってるだろー ほおづえ

7. 明日香幻想 玉響の章

みこ もしも『ふり』があるとしたら、それは王子が大王や宮のことを話してるときの笑顔で、他は ちがうって。あれは確かに王子だと、どうしてもそう思ってしまって、俺はわからなくなる」 「やつばお前、目かいいや。がさっそうなくせに」 「 : : : あんまり褒められてる気がしないんですけど、それ」 「いや、褒めてるんだよちゃんと。良く見てると思ってさ」 唇をちょっと尖らせた品治に、弓月はあははは、と声を立てて笑った。 「話を戻すけどさ。その自分が生きていることを許せない奴は、だから自分に向けられる好意 ゆる を、情を、拒むことしかできない。好意を持っことも受けることも、自分に赦せないんだ。己 の存在そのものを憎んでいるから。俺なんてもう、十年近く『嫌いだ』を言われ続けている。 いいかげん慣れたけどな」 その笑った顔のままで、言葉を継く 「けっこう立派な呪いだと思わないか ? 笑顔が泣き顔のように見えた。 「なぜ : : : そんな : ・ 「俺に訊かれても困る。答えようがない : 弓月は小さく悲鳴を上げて、手を払った。ばとりと砂地に落ちた蟹がものすごい勢いで駆け ていって、穴に入り込んでい おおきみ かに

8. 明日香幻想 玉響の章

「それにお前、なんで私のことを見てる余裕があるんだ。何か、腹立つなあ。 かわい 拗ねた顔は、霧の中で出会った彼を思い起こさせる。可愛げがあるなどと言ったら、きっと ものすごく嫌な顔をするだろう。 「ともかく、俺の勝ちです。これで俺が辞めるってのは、なしですから . 「今、思い出したんだけど。お前、私が道を教えてやったときに、『自分にできることは何で もする』とか言ってたよな」 青毛にもたれかかったままで、上目遣いにばそっと大海人が一一一一口う。品治は一瞬きよとんとし て、それからあっと声を上げた。そう言われてみれば、確かにそんなことを言った。 「ちょ、ちょっと待った。あれは、あれは全然だめだ。だってあれは、全然道が違ってた。あ てつかい んなのなしです ! 撤回に決まってる」 章「違ってなんてないぞ。ただ、遠回りだっただけで。ちゃんとここに着けただろ、 玉「冗談しゃないつ」 ほとんどどなりつけるみたいな声になる。大海人は頑として譲らないといった顔の品治をし 想 幻いっと見て、やがてちえっと舌打ちをした。 日「しようがないな」 「しようがないしゃなくて、当たり前です」 ほっとして、品治は肩の力を抜く。まったく、何をいきなり言いだすかと思った。 がん

9. 明日香幻想 玉響の章

246 真上から叩きつけてくる刃を、息を詰めて受け止める。どん、と背中に固い衝撃を感した。 勢い余って、杉の幹に押しつけられたようだ。 うれ 「楽にしてくれるのは、嬉しいが。相手も見えす理由もわからないままに殺されるのは、趣味 しゃないな。それに一応、私にもいろいろ都合はある。あまり変な死に方をするわけには、い かないんだ」 肩で息をして、大海人は答えた。雨は重く、足下がぬかるんで滑る。 「私の命なんか、何の価値もないと思うが」 「価値がないものだから、消えるべきなのですよ , ひゆっと、風が動くのを聞く。大海人は思い切り強く目の前の男を蹴り飛ばし、左手に下が って迫る刀を返した。 がき 「ちょろちょろと、儒子 ! 」 あせ 焦りをあらわに切りつけてくるその動きを。見切ってかわし、隙を捕らえる。刃を逆に返 し、脚を深く踏み込むと同時に彼はカ一杯払った。 . っ・ しかく すしりとした深い手応えが、両手にかかる。布を越えて肉に至る、確かな感触。刺客の一人 の左脇を、大海人の刀は捕らえていた。 すき

10. 明日香幻想 玉響の章

て一一一口うわけには、いかないだろうかな。でもまあ・ : ・ : 」 「気に入らない。あいつは、苦手だ」 っや 髪をくしやっとかき回し、低く呟く。 「ああ、なるほど 弓月は彼の拗ねたみたいな様子に、微苦笑を浮かべた。 ます 「確かにあいつはお前には、一番苦手な類の人種だろうな。真っ直ぐで正直で、頑固で強い。 たちう お前のようなひねくれた小心者しゃあ、絶対に太刀打ちできない」 「 : : : そんなことはない 「現に、追い出せなかったしゃないか。お前のやり方じゃ むすっと口を結んで、大海人は目をそらした。 「蒋敷どのも父上も、品治がここに残ることをとても喜んでおられた。父上が、お前が湯沐の あすか 地からの従者を持っことを本心では望んでおられたのは、知っているんだろう ? 明日香に戻 みぶ ることを考えれば、壬生の者しか傍にいないでは話にならないからな」 弓月はそこで一つ息を接ぐ 「会見より先に霧の森の中なんて場所であいつに出会ったのも、縁というやつだったんだと俺 は思うよ。何も知らすに来て、知っても変わらないでいる奴なんて、そうそう滅多にいるもん しゃない。大事にすべきなんじゃないか ? こもしき たぐい えん