声 - みる会図書館


検索対象: 明日香幻想 玉響の章
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1. 明日香幻想 玉響の章

できた。葦毛は名張の叔母の一兀で、そこで借りた馬もとうに交換している。 あの子を救って " 宝姫王の声につき動かされて、彼は馬首を尾張へ、大海家へと向けた。今でもその声は、耳 にこびりついている。 間に合ってくれ。 何に、なのかはわからない。けれど思いだけは、近付くごとに強くなった。 駅舎で『先に行った男』のことを、耳にしたせいかもしれない。 自分以外の何かが尾張に向かっているという、その事実が。宝姫王の恐怖にどうしても重な 大海人が殺される 章声が、また聞こえた。 むら 玉幾つの邑を、通り過ぎたか。 降りしきる氷雨の中に、見知った邑の姿を見つけた。品治はぐっと手綱を引き、馬首を邑の 幺門へと向ける。 やかた 日目をつぶっても行き着ける館へ。一気に速度を早める。 「王子 : : : 」 雲が厚く、太陽がどこにあるのかは分からないが。もう、午後になるか る。 ひさめ

2. 明日香幻想 玉響の章

静かな問いに、品治は同しように静かに答えた。 「わかった : : : 約束しよう」 かす 掠れた低い声は、確かに品治の耳に届いた。 「もういい、用は終わった。部屋に戻れ 吐く息とともに、大海人の肩からカが抜けた。品治の身体もこわ張りから解放される。 「王子。俺は、王子が好きです」 部屋を出る直前に、ふり向き彼は大海人に言った。 「そんな言葉は聞きたくないと、以前言ったはずだ。忘れたのか」 掠れた声が冷ややかに響く。 「いえ、覚えてます。一一度おっしゃいました。一度目は『聞きたくない』、二度目は『ばかな 章 ことを一一一一口うな』と」 の 「だ 0 たら : ・ 「でも俺は、王子が好きですから。俺がそう思うことまでは、止められないですよね」 虹わすかな間。そして。 香 「下らない : ・ うめ 明 細い、呻くみたいな声が彼の喉をついた 「私はお前が、嫌いだ」 のど

3. 明日香幻想 玉響の章

「死ぬのか ? すとんと、真上の方から声が落ちてきた。 品治は反射的に馬を止めて、声のした方向を見上げる。言葉は、聞き取れなかった。 「だったらそのまま真っ直ぐだ」 ふんいき 柔らかなのんびりとした雰囲気の声が、再び落ちてくる。大きな樹が枝を張り巡らしている のが、見て取れた。 誰力、いる ? いぶか 訝しみ馬を降りた矢先。 「あと十歩ほど先へ行けば、地面がなくなる」 枝葉の軋む音がしたのを感じたのとほとんど同時に、目の位置に逆さになった顔があった。 「うわっー 知らず叫び、数歩あとずさる。拍子につますいて、がくんと腰が落ちた。手綱をいきなり引 かれた形になった葦毛は不満げに鼻を鳴らし、足を踏み鳴らす。衝撃があって、品治は完全に 地面に座り込む形になった。視線だけを、逆さづりの顔にすえたまま。 ・ : ななななななにつ卩お前」 かろうして、尋ねる。 たづな

4. 明日香幻想 玉響の章

待っていた ? 鹿を。殺気に満ちた角を、待ち構えてそこにいた ? 「まっさかあ」 脳裏に浮かんだ自分自身の危惧を、品治は思い切り否定した。 「俺も何考えてんだよ、ったく。 鹿に突かれたときに、頭もぶつけたんしゃないのか ? 」 あき 自分に呆れて、ぶつぶっと自分に説教をぶつけた。本当に、そんなことを思ってしまった自 分が信しられない。 「ばかしゃないのか ? ほんっとに : あわ つぐ 外からこそっと名を呼ぶ声が聞こえて、品治は慌てて口を噤んだ。 「品治。目、覚めてるって ? 聞き覚えのある、高めの声。 響 起きてます」 品治は声を整えて、答えた。少し心の臓がどきどきしている。 虹「けが : : どうだ ? 」 とばり のぞ 香 帳をあげて中を覗き込んできたのは、やはり大海家の家人の一人だった。い 人ではないみたいだ。 「痛むか ? 傷。弓月さまはけっこう一兀気そうだって、おっしやってたけど」 つの や、どうやら一

5. 明日香幻想 玉響の章

162 「王子っ卩 声を発する前に、馬首を返し葦毛の腹をカ一杯蹴っていた。新たに見つけた牡鹿を追って、 たんき 大海人はすでに単騎で青毛を駆けさせていた。 いっ動いたのか、誰にも何も言わすに。 「王子 ! 「大海人」 声が背中を追って来るのを耳にしながら、品治は大海人の青毛を追った。 「王子つ、だめだ一人しゃー 逃げる牡鹿を追う大海人の動きは速く、初めての場所では距離が縮まない。 なぜ。 疑問が湧く。 森の中では、弓などまともに射れない。それをわかっていて、なぜ単身で。この季節の鹿 が、立派な武器を持っていることも知っているのに。一人で追うことが大きな危険を伴うこと を、知らないはずはないのに。 それ以上に、あれを最後と決めたくせに、どうして。 「王子ー 迫るはすの声は遠く、他の連中からはいっそう距離が離れているのを感した。 おじか

6. 明日香幻想 玉響の章

雨が強い。音が、、フるさい。そこに。 心の臓が、飛び跳ねたかと品治は思った。今の声は。 王子。 足を、また一歩踏み出したとき。 たむらのおおきみ ・ : なたは田村大王の血など、一滴も引いてない。王子と、呼ばれるべきものではない。薄 うまやどのみこ たかむくのおおきみ い瞳は、厩戸王子から高向王へと伝えられたもの。あなたはその : 雨音に混しって、よく通る声が耳に届いた。 がつんと、後ろからカ任せに殴られたみたいな感しがする。頭がぐらぐらした。 玉何て言った、今。 ひざ 膝ががくがくした。その足を、叱るように叩いて先へゆく おおきみげんり おおのおみほんじ 「 : : : 琥玳の瞳 : : : 大王は玄理からの手紙に疑問を抱き、多臣品治の言葉に確信し、私に見極 めるよう命しられました」 近付いてくる声、語る内容が、いっそう鮮明になる。 品治は息を、呑んだ。 なぐ しか

7. 明日香幻想 玉響の章

確かにここで声をかけられなかったら、気がっかず足を踏み外していたかもしれない。 もし落ちていたら : ・ 雨で増水した川。 ちょっと、ぞくっときた。 「・・・・ : ありがとう。教えてくれて」 「どういたしまして」 こた おっとりとした声が、応えた。 呼吸を整えてふり返り、品治は声をかけてきた者の姿をおもむろに見直す。 おび 「変わった馬だな、こいつ。今みたいなことに出くわしたら、普通は怯えて暴れるか硬直して 動かなくなってしまうはずなのに。飼い主と違って、鈍いっていうかすいぶんと肝が据わって る」 優しい瞳とふわりとした笑顔が彼の葦毛を見つめ、そのたてがみに手を突っ込んで引っ掻い てやっていた。 あさうわぎこ くひも 確かに人間である。服はごくありふれた麻の上衣と袴で、細い組み紐で腰を結んでいた。多 分、この近辺の集落にでも住んでいる者なのだろう。 たれがみ けれど、髪をみずらに結いもせずに垂髪にしているのは、奇妙と一一一一口うか普通しゃなかった。 けつばっ 女性でもこのくらいの年齢だと結髪するのが常識で、ましてや男子は人前でだらしなく髪を垂 らすことなどしない きも か

8. 明日香幻想 玉響の章

236 動きに合わせて、鳴き声が聞こえた。 「さて、と。あんまりばやばやしてるわけにもいかないから、急ぐか」 たづな 自分に言い聞かせるように言って、品治はぐっと手綱を引く。急な動きに葦毛が軽く鼻を鳴 らした。そのとき。 「そなた ? 高い、女性の声が彼を呼び止めた。 「まさか : : : 安八磨の多臣品治ですか ? 」 こし あせ すれ違おうとした興から、少し焦ったふうに声の主が降りてくる。馬を止めた品治は彼女が あわ 宝姫王だと知って、慌てて下乗した。 「なにゆえそなたが、こんな所に。何用があって明日香にいるのです」 ひざ あで 彼が地面に膝をつく前に宝姫王は尋ねた。先に宮の大殿で対面した時と同じように艶やかな おもて 衣装をまといながら、その美しい面は先とは全く異なりひどく緊張した様子を見せていた。不 おおきみ 審げな、また不安げな声に、彼女が大王から今日のことを知らされていなかったのだとわか る。 「あ、あの。俺は大王の命をいただいて、ここに参りました。王子のことで訊きたいことがあ るとの仰せで」 「大王が :

9. 明日香幻想 玉響の章

何を : : : 言っている。この、女は。 寝台に横たわる女性を見下ろす己の身体が、冷たくなってゆくのがわかった。咢然という一 = 〔 葉さえ足りない、今の自分には。 すかて 「そは : ・・ : まことかつ。酢香手・ : : ・」 ぬかたべのおおきみ 自分のすぐ隣に座る額田部大王の声はうわずりかすれて、言葉としてはほとんど聞き取れな やまとす おおきみ かった。三十九歳にして大王の地位に即き、以来三十一年間この倭を統べてきた女帝は、今こ の場にいる四人の中で、女の告白におそらく最も激しく動揺している。 すいじゃく 答える声が、熱と衰弱とをあらわにした身体の様子とは裏腹にはっきりと澄んで、薬のにお いの染みついた薄暗い部屋に響くのを聞いた。 すかてひめのみこ たちばなとよひのおおきみ 声の主は橘豊日大王の娘、酢香手姫王女。先々代、橘豊日大王その人の御代より昨年まで、 序章夏陽炎の夢 がくぜん

10. 明日香幻想 玉響の章

242 す ナゼオマエガココニイル コレヲ受ケル資格ガアルノハ、誰ダ 命ヲ奪ウダケデハ、足リナイノカ 責める声が、耳をふさいでも聞こえてきた。くり返し。そうして胸の底に、暗い澱となって 積もる。 事故にさえ見えれば大丈夫だと。さもなければ狂れたと思われればそこで、すべてを終わら せられるとった。 なのに。 脳裏をかすめる静かで堅い声に、苦い笑みが浮かぶ。 御自身の死を望む行為は、一一度としないと。約束して : : : 誓っていただきたく存しま たぶ おり