116 ならない。なぜこんなに泣かなければならないのかわからなくって「泣きたく』なってしま う。そしてディーノは、むっとした顔で横を向いたまま、ファラ・ ハンを見ない。見ること ができない。なんだかわからないが動揺していた。おたおたしている姿を必死でおしかくそ うとしているから、和な感じの表情になり、怒っているようになる。 をみころしているファラ・ ハンと、押し黙ったディーノを、大きなの首にしが みつき、ぶら下がったままの小さな飛竜が首をかしげて見る。小さな飛竜はこうして自分の 手でしがみついているより、ディーノかファラ・ ハンの腕に行きたいのだが、なにか二人の ふんいき 雰囲気がおかしくて、近づくことができないのだ。ディーノとファラ ・ハンは体を寄せあっ ていながら、心で顔をそむけている。離れようとしていてなお、触れあわずにはいられな 惹きよせられずにはいられない。 手持ちぶさたで、んむんむと閉じたままのロを動かしていた小さな飛竜が、横手からやっ てきた二頭の飛竜の姿を発見してをあげた。 小さな飛竜の声にぎくりと首をめぐらせたディーノは、なにか自分が見られてはいけない ことをしているという錯を起こした。懾てかけ、その原因が自分にないことに気づく。 まどうし 「魔道士と竜娘が来たぞ」 「はい・ ぶつきらばうなディーノの声に、ファラ ・ハンは顔を伏せたままうなずいた。
彼女のそばにいなければならない聖戦士は、今ひとり足りなかった。 ファラ ・ハンは腰を浮かせ、素早く首をめぐらせた。 びくんともたちが首をあげた。 ぞくりとレイムとシルヴィンの体に悪が走った。 それは魔道を知る者だからこそ、自然を感じる心をもつ者だからこそ、畏怖せずにはいら れないもの。 ( つまらぬ半魔が、よけいな真似をしてくれたものよ ) 声が聞こえた気がした。 ハンの真後ろに、突然に影がわきあがった。 白い翼を広げるファラ・ 道えっと目を見張ったレイムたちの前で。 魔 ハンの腹から、ずばりと鋼鉄の手が突き出した。 色 ぎようこ ・ハンは、目を大きく開き、その姿勢のまま凝固した。 息をつまらせたファラ 衣装を裂いて出た ハンの肉を割ったわけではない。 白い衣服を通り抜けた手は、ファラ・
血をげた者であるならば、ウイグ・イーがルージェスの命令を実行できなかった理由も わかる。ウイグ・イーはレイムの血の匂いを知っている。引き裂いてはならない者のひとり として、覚えこまされている。 きば やかた けもの 肉親に対して牙をむかぬものとして、ウイグ・イーは館で飼われることを許された獣。 ルージェスのものであり、なおかっその血そのものを守る、そのためだけにいる生き物。 レイムはこの娘を、内なる深い場所で、知っていた。 そうだ。 産まれたばかりのこの娘と、レイムはあっている。同じ屋根の下で暮らした時代が、たし かにあった : 膝を突いたまま、ルージェスを見あげていたレイムの体が。 レイムの意思にかかわりなく動いた。 きよ、つがく 道驚愕の表情をしたまま、やにわに立ち上がったレイムは。 の両手でルージェスの首をつかんでいた。 闇うするレイムを無視し、レイムの手はルージスの首をぎりぎりと絞めあげる。 「レイム、兄、様 : ・ 苦しげに顔をめたルージェスが、あえぐように口を動かした。
無傷のようだった。 うすぎぬ 薄絹の花びらをもっ花のように、ファラ ひたゝ 激痛をこらえた白いに、汗がにじんだ。 「大丈夫よ : : : 、守ってあげる 腕を突き、そろそろと体をもちあげたファラ 「ファラ・ レイムがもから飛び降り、駆け寄った。 ・ハンは、レイムに顔を向け、痛みをこらえたけなげな笑顔で 女の子を抱きよせたファラ 問いかける。 「この子に剣を向けた兵士はどうしましたの ? あなたが追い払ってくださったの ? かな レイムは哀しいような、厳しいような顔をして、首を振った。 ハンは、軽く首をかしげる。 女の子を抱きしめたファラ・ 道泣き顔をこらえたシルヴィンが口を開いた。 まろし の「消えちゃったわ。幺なの。この街も火事もひとも、全部。今わたしたちがいるのは、ず はいきょ 闇うっと昔の夢の中なのよ。本当のここは、廃虚よ。焼けた街のあった、それだけの場所。時 のを追って、過ぎた時間の中にまよいこんじゃったの」 ままえ ・ハンは微笑んだ。 ・ハンは、矼の上に横座りになった。
顔面を押さえ、瓦礫の上をのたうちまわる。 「シルヴィン ! 」 翼を細くたたませ、矢のように飛竜を低く速く瀧させたレイムが、シルヴィンに手を伸 ばす。 ばっと顔を輝かせたシルヴィンは、レイムの手をつかんだ。 火事場のばか力だったか、ぐいとレイムはシルヴィンを自分の前に引っぱりあげた。 うまくいったと、飛竜が首をあげ、翼を広げて高く飛ぶ。 その飛竜の後ろ足に。 ウイグ・イーが跳びかかった。 がくんと飛竜が高度を落とす。 へた くように両手のルをかけて飛竜の体をよじ上る。 つかむことの下手なウイグ・イーは、 ほうえすそ 長く伸びたウイグ・イーの爪に、深緑色の法衣の裾が引っかかった。 くら 道左足のほうにいきなり重みをかけられたレイムが、ずるんと勢いよく鞍から滑った。 の声をあげたレイムは、緒を落とした。鞍の端をつかんでしがみついていたシルヴィン 闇が、驚いて首をねじ曲げる。 「いっリ」 法衣にウイグ・イーをぶらさげたレイムは、石のように落下した。
・ハンが、首をかしげてレイムを見あげ ディーノに助けられ一緒に飛竜を降りたファラ る。声をかけられてはっと目線を下げたレイムは、少し不安そうな顔をしたファラ・ 気づいて、あわてて淡く知み、首を振る。 「なんでもありません」 ですか ? 」 「そう : ・ ・ハンは、気をつか レイムと同じように、なんだか落ち着けないものを感じていたファラ われるより、むしろこの気持ち悪いものを認めてもらえたほうがよかった。言うに言えず、 ぐずぐずとしている二人を、ディーノがばかにしたように見る。 「なんだ ? 暗がりが怖いのか ? ー 心を悩ませている要因は、そんなに単純なことではない。言われてレイムは溜めをつ き、ファラ ・ハンは小さな飛竜をぎゅっと抱きしめて、怖いなら怖いと言ってみろといわん ばかりのディーノをにらんだ。ぜったいに弱部など吐くものかという目で見つめてくるファ 士ラ・ ハンの元気そうなようすに、ディーノは目を細めてにやりしめる。 魔「好きにしろ」 色「言われるまでもありません」 軽いで言葉をかわすディーノとファラ・ 会話をする二人ではなかったはずだ。 ハンに、レイムがびつくりする。こんな
れた小犬のようにぶるぶると首を振りながら、シルヴィンが悲鳴をあげる。どこにどう まーた いう形で出たのか、まだよくわかっていなかったレイムは、ばちばちと瞬きし、悲鳴を耳に してちらっとシルヴィンに振りかえったディーノは、大口を開けて笑った。 「なによ ! 」 髪の上に乗った水滴を払い落としながら、怖い顔をしてシルヴィンはディーノをにらむ。 ディーノは涼しい顔をする。 「寒くはないようだぞ」 「よかったわね ! 」 ぶっとをふくらませ、シルヴィンはそっほを向いた。 レイムは首をめぐらせてのかを探す。闇の中、きらきらと輝く導球は簡単にレイ ムに発見され、泥の上を遊ぶように飛んだ後、とぶんと泥の中に沈んだ。 泥の中に、時の驪があるらしい。 ハンと、どうしたものかと振りかえったレイム 同じように導球を目で追っていたファラ・ の目があった。 ハンの作った綺兆で守られているため、闇の中でも に乗る四人は、レイムやファラ・ ほの明るく、お互いをはっきりと認めあうことができる。本来ならば、ここは鼻をつままれ てもわからないような闇だ。導球という光源を泥の中に沈め、なくしてしまった今、まわり ナつか、
218 まどうしほうえ おばえるのはなんとなく理解できるとしても、見習い魔道士の法衣をまとう、この細身の若 者に対してウイグ・イーがそんな感情を抱くなど、考えられない。 いったいなにが起こったのか、なぜ印も文も必要なくなったのか。わけがわからず、レ イムはウイグ・イーを見つめる。ウイグ・イーは、きゅーんと小さく鼻を鳴らし、レイムを 見て顔色をうかがうように首をすくめた。 がれき じゃりつと瓦礫を踏みしだいた間近い足音に、はっとレイムは振りかえった。 すばやくめぐらせたレイムの首の動きについてゆけず、法衣のフードがはずれ、金色の長 い髪がこばれた。 近い位置でレイムとルージェスの目があった。 みどりひとみ 翠の瞳と金色の髪。 受け継いだ色をそっくり同じにした者が、そこにいこ。 そしてルージェスは。 彼とそっくりの、もうふたつの顔を知っていた。 「兄上・ : 悲鳴のように叫んだ声の響き。 その響きを、たしかにレイムは『知って』いた。 こうしやく カルバイン公爵、ベルク、ネレスに続く三人目の公子が、そこにいた。
反射的にひるんだウイグ・イーを、シルヴィンの革紐が打つ。 「ぎやいん ! むきだしになった首を烈に打ちすえられ、ウイグ・イーはそのまま横に弾きとばされ まよざ がれき た。ウイグ・イーは瓦礫の上をごろごろと転がり、恨みのこもった差しでシルヴィンをに らみながら、四つんいで身を起こす。 けん 短く握りかえた革紐をひゅんひゅんとうならせ、間合いを見て牽しながら、シルヴィン はウイグ・イーを見つめる。 獣の調教は慣れている。どうしてもひとと折り合わず、それでいてひとの世界にせ ずには生きられないような、ひとを捕食する獣に対して、このような荒つばい調教法を行う ことがある。場合によっては、殺す。 手加減したつもりは、シルヴィンにはまったくなかった。今の一撃で首が折れていてもお きようじん かしくなかった。ダメージはたいしたことはない。見かけで判断するより強靱だ。飛竜が 道直接に戦ったとしても、ひょっとするとウイグ・イーが勝っかもしれない。 の「おまえ : : : 、本物の化け物ね : 色糶きと愍のこもった目で、シルヴィンはウイグ・イーをにらんだ。 ぞうお 憎悪と殺意のこもった目で、ウイグ・イーはシルヴィンをにらみかえした。 な きば ウイグ・イーはカで自分を馴らそうとする者を知っている。そのような者に牙をたて、引
らむ。 「俺に命じるつもりか ? 」 「「お願い』ですー もを降りて目の高さを同じくして、心底辛そうな表情で、レイムは激しい炎を宿す青い 瞳を見つめた。その誠実さがさらにおもしろくなく、ディーノはむっとして横を向いた。 「時のを、探しましよう ? 」 ・ハンがくるんと背を向けた。 はかない声で、無理に明るく誘いかけ、ファラ 「キャウ ? 」 ごこち ハンの動揺を感じ 抱かれ心地のいい胸にきゅっと抱きしめられた小さな飛竜は、ファラ・ て目をばちくりし、首をかしげる。それでも小さな飛竜が得していることにちがいはない。 これはなかなかにいい ことかもしれないと、小さな飛竜はファラ・ ハンの腿に顔をすり寄 ・ハンに甘える。 せ、べったりとファラ ・ハンに、あっと首をめぐらせたレイムだが、小さな飛竜を連れていれ 士背を向けたファラ 魔ばまったく一人歩きとは言えないことに安堵し、肩にはいった力を抜く。氷の山で果恥に戦 ハンと小さな飛竜のことは、まだ記憶に新しい魔物ならば恐れるに足ら 色い進んだファラ・ ず、ひとならば小さな飛竜に警戒し、すぐに取り囲まれることはないはずだ。声を上げれば 四聞こえるだろうし、小さな飛竜が炎を吐けば、これだけの毬だ、すぐにわかる。 まもの