106 いらだ 苛立った。 咲良はそこで、ちょっと声を潜めて、顔を寄せた。 「その刑事がこっそり教えてくれたんだけど」 一瞬、一一一一口葉を切る。不本意ながら、引き寄せられるようにわたしも顔を寄せていた。 「なに ? 「今度の毒ガス事件の捜査に、プロファイラ 1 が加わっているんですって」 「プロファイラー ? 思わず繰り返していた。プロファイラ 1 なんて、テレビドラマではときどき耳にする が、そんなものが現実にいるとは思わなかった。 「そう、それも天才プロファイラーですって」 そう言って咲良は、マンガみたいね、と笑った。 「でも、一の『黄昏の爆弾魔』事件を解決した人ですってよ」 その事件は、東京に暮らしている者としては忘れようもなかった。有名な超高層ビル が、ほば一年にわたって破壊され続けた、衝撃的な事件だ。クリスマスイプに、犯人が最 後に仕掛けた爆弾の暴発で大ケガをして、解決したと記憶している。 「あの犯人が、最後に爆弾を仕掛けるビルを予測して、そこへ張り込んで犯人を追い詰め たそうよ。でも名前が知られているくらいの、優秀な人なんですって。 ひそ
194 「プロファイラーに会えるなんて、滅多にない機会じゃない。せいぜい話の種にするわ」 「そう。よかったわ」 ホッとした顔を見て、わたしは安心した。とはいえ、わたしは信じたわけではない。咲 良をではなく、そのプロファイラーとやらを、だ。 咲良はプロファイラ 1 が待っているという、隣のホテルの喫茶室へ案内した。一階ロ ビ 1 の奥にある、明るい喫茶室だ。全面ガラスの向こうに明るい日差しに映える庭が広が り、テラスにもテープルと椅子が並んでいる。もっともこの暑さでは、誰も外に出てはい なかった。 いんぎん 慇懃なウェイタ 1 を軽くあしらい、咲良は窓際のテ 1 プルへ向かっていった。そこに 座っていた人影が、上品な動作で立ち上がって迎えた。窓からの強い日差しに陰になった その人の顔を、間近に見てわたしの足はその場に張り付いて動かなくなった。 たくら 心臓が、大きく脈打つのが分かった。わたしは、その人を知っていた。立ち眩みのよう こわ・は に視界が暗転した。その人は、強張るわたしの顔を見ても顔色ひとっ変えずに黙って頭を 下げた。 どうして。池端さんの病室から出てきたあの人が、どうしてここにいるの。 きづか どうかした、と咲良の気遣わしげな声が遠くに聞こえる。促されるままにソフアに座っ てから、気がついた。そのままここから走って逃げてしまったって、よかったのに。そう めった うなが
こうそくぐ すれば咲良が適当に言い訳をしてくれただろう。ソフアの左右の肘掛けが、拘束具のよう にわたしの身動きを奪った。 たず 水が来て、メニューを手渡され、もう一度咲良に「大丈夫 ? 」と尋ねられて、ようやく 我を取り戻した。 「ちょっと驚いただけ」 ほまえ わたしは咲良に微笑んだ。 「プロファイラーが、こんなに若い女性だなんて、思わなかったから」 くも 前に見たときと同じ、全身黒ずくめの影のような人が、顔を曇らせた。 「咲良さん」 とが 低くて落ち着いた声が咎めた。 「黙っているわナこゝゝ し。し力ないでしよう。友達だもの」 こうぜん 昂然と咲良が言ってのけると、その人は微苦笑を漏らして、それ以上責めなかった。 「プロファイラー、といえば、、 説やドラマのイメージがあるかと思います。けれど、現 実に、そんな資格や職業が存在するわけではありません」 そんなふうに、その人は話しだした。 「たいていは、警察に付属する研究所や外部の研究者が、犯罪心理学や行動心理学の専門 知識を活かして、犯人像を推測して警察の捜査に対してアドバイスをする、そのことをプ ひじか
193 EDGE3 がり、決然とロビーを横切ってきた。 「やつばり、先にあなたに言うわ」 顔を合わせるなり、少し怒ったような顔で咲良は言った。 「今日、これから引き合わせる人は、取材目的などではないの。前にも話したと思うけ ど、あの毒ガス事件を担当している、プロファイラ 1 なの」 咲良を見上げた笑顔が、そのまま凍り付いた。 「黙っていろと頼まれたけれど、あなたを騙すようなことはできないわ。もし、そんな人 と話をするのが嫌だと思ったら、今日の話はキャンセルしても いい。ムフさらこんなこと一 = ロ い出して、ごめんなさい」 咲良が怒っているのは、自分自身に対してなのだ。怒った顔をしていても、咲良は美人 おおうそ だった。曲がったことが嫌いな咲良。正直な咲良。わたしみたいな大嘘つきにも公平な、 咲良。ーーーわたしとは、違う。 「もしかして、わたしが疑われているの ? 「そんなことないはずよ。だったら紹介するはずない」 だが、そのプロファイラ 1 が嘘をついている可能性だってある。 「いいわよ、気にしてない」 ほまえ わたしはあらためて微笑んだ。本心を、表面から引き剥がして、別の自分を装う。
196 ロファイリングといいます。ですから、実際にプロファイリングの仕事をしている人は、 普通は研究機関や大学での肩書きを名乗ります。 『わたしはプロファイラーだ』などと自称する人には、気をつけたほうがいいですよ」 ほまえ めがね そう言って、プロファイラーは穏やかに微笑んだ。フレ 1 ムレスの眼鏡の奥で、切れ長 ひとみ の瞳が吸い込まれるように黒く澄んで、つい、見とれてしまった。咲良のような人目を引 く華やかさはないものの、顔の造りのひとつひとつが細やかでクールだ。女らしさは足り ないけれど、間違いなく美人の部類に入るだろう。 「わたしはアメリカで犯罪心理学の研究所にいた関係で、警察の捜査のお手伝いをしてい おおたき る、大滝という者です」 ようやくわたしは自分の恋敵の名前を知ることができた。意外と普通の名前だった。ナ ントカ小路とかナントカ院などという豪勢な名前が飛び出してくるのかという気がしてい ふいに咲良が口を挟んだ。 「よく大滝さんが女性だ、ってすぐに見分けがついたわね」 「え ? 「わたし、初めに大滝さんを見たとき、男性かと思ったもの」 あわ 大滝さんが顔を上げて咲良を見た。咲良が慌てて軽く口を押さえると、大滝さんは困っ
茹だるような教気、息詰まる湿気が充満す る都会の夏は、人の理性を狂わせるのか 青酸ガスの発生現場に偶然居合わせたた滝 錬摩は、相次ぐ毒物事件に関わることに。 二つの事件の関連は ? 犯人の心の闇に潜 んだ、真の狙いとは ? プロファイリングを 進る錬摩は、犯行の暴走を予見する。 ふじさき そして隠されていた「藤崎」の存在に気づ そういちろう いた宗一郎と、錬摩との関係にも転機が プロファイラ 話題集中の心理捜査官シリーズ、最新刊 " れんま ねら 一ひそ 0 0
茹だるような教気、息詰まる湿気が充満す る都会の夏は、人の理性を狂わせるのか 青酸ガスの発生現場に偶然居合わせたた滝 錬摩は、相次ぐ毒物事件に関わることに。 二つの事件の関連は ? 犯人の心の闇に潜 んだ、真の狙いとは ? プロファイリングを 進る錬摩は、犯行の暴走を予見する。 ふじさき そして隠されていた「藤崎」の存在に気づ そういちろう いた宗一郎と、錬摩との関係にも転機が プロファイラ 話題集中の心理捜査官シリーズ、最新刊 " れんま ねら 一ひそ 0 0
逃げた女性を追って咲良も走り去るのを、錬摩はソフアに腰を下ろしたまま見送った。 ひへい 追い詰められ、逃げ場を失った彼女も精神的に疲弊していたようだったが、錬摩にとっ 」っ」 0 ても、かなりこたえたインタビュ まさか直前になって、プロファイラーとしてのインタビューに方向転換させられるとは 思わなかった。 まったく、咲良さんは。 片頬に浮かぶ苦笑も力がない。相手の警戒心が固くなったために、聞きたい質問をする までにずいぶん遠回りをさせられた。けれど、知りたいことは知ることができた。 携帯電話の販売をしながら、買い換え客の古い機械を集めてガリウムヒ素基盤を大量に 「これは、 ・ : メッキ加工をしてあって : : : 」 みぎほお 最後まで言い切ることはできなかった。右頬が、ふいにひきつったようにびくびくと震 えだした。片面顔面けいれんの発作だ。わたしは慌てて右頬を手で隠し、い ごめんなさい、という一 = ロ葉が声になったか、分からない。わたしはその場から逃げ出し ◆
おおたきれんま 大滝錬摩 ふじさきそういちろう 藤崎宗一郎・・ まつなみ 松並・・ さくらい のはら いけはたひろき : 噐宏樹・・ あおやぎさく ないとうひろや 内藤弘也・・・ はるやまやよい 春山弥生・ 春山黄弩・ 柚南台 登場人物 プロファイラ ・・・主人公。犯罪心珊叟査士。 ・・錬摩の友ん記億彳あ旦し、錬摩の世話を受けている。 ・・・警初〒刑事部捜査共助課の巡査部長。 ・・・松並の元 - ヒ司。警察庁に戻った警視正。 ・・・警初赫斗物叟査研究所の課長。 ・・・・松並の友人。 ・・・松並の友人。 ・・錬摩の親戚。北新宿にある内藤タ粁斗の医院長。 ・・・内藤の妺。 ・・・弥生の娘。小学二年生。 ・・・・錬摩に興味を持っフリーライター EDGE3 0 浅草橋駅
囹低く笑いながら、相手はハモの蒸し物に箸をつけた。 「捜査共助課の松並さんのところに、ここんとこ出入りしている若い方がいるでしよ」 「なにおっしやっているんですか、柚留木さん。一昨年、スポーツ新聞の一面にどーんと 写真入りで記事にしたの、柚留木さんじゃないですか」 「ありや、お見通しでしたか」 さくらい どな 「あの新聞が発売になった朝、共助課の桜井課長のとこに怒鳴り込んできてすごかったで すよ、彼。 「彼 ? 尸い返すと、相手は肩を竦めて笑った。 「いやいや、彼女、ですね。今の時代、女だてらに男装して捜査現場に乗り込んで事件を 解決しちまうプロファイラー、だなんて、偏見を持つつもりはありませんよ。ウチでも知 らない女の子の間では密かに人気があるらしいです。でも、わたしは女だと知っています からね、やつばり、不自然だと思いますよ、ああいうのは」 やっ 「何者なんですか、あの大滝って奴は」 「さあ。ウチでも『 0 担』関係は極秘扱いですから」 柚留木は刺身に伸ばしかけていた手を止めた。 ひそ すく