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検索対象: 婦人之友 2016年9月号
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1. 婦人之友 2016年9月号

考古学者連載⑤ 山本忠尚の のんびり散歩 働き者たった 女性たち 古代の女性の最も大切な仕事は、出産・育児でした それが、土器づくりや織物、果ては占い、酒づくりと 次第に幅が広がっていきました。女と男の分業や 女の仕事としている社会はゼロ。魚 女性が担った役割を見てみましよう を獲るのは男の仕事としている社会 アメリカの人類学者、ジョージ・ は九十八あるのに対して、女の仕事 女の仕事、男の仕事 マードック (Murdock. G. P. ) が、古とする社会は四つだけだったそうで 古代にも、男女分業がありました。代社会で、ある作業に男女どちらがす。一方、脱穀や製粉を女の仕事と 狩猟は男の仕事、木の実の採集や貝従事しているかを調べたデータがあ している社会は百十四あるのに対し 拾いは女の仕事、という分業があっ ります。大きな獣相手に狩りをする て、男の仕事としているのは二つだ たと言われると、なんとなく納得で のは男の仕事だと決めている社会が け。明らかに男女の分業が認められ きますね。 百六十六もあるのに対して、これを るわけです。 乳呑み子を抱く女子埴輪 ( 茨城県大平黄金塚古墳 ) ひたちなか市教育員会所蔵 2016 年婦人之友 9 月号 124

2. 婦人之友 2016年9月号

田さんによると、江戸時代以前には 戦国時代まで、女の仕事でした。 日本は、七世紀末葉、中国からい 宮中で儀式などに用いられた酒は、女が造酒に携わることが多かったの ろいろな占法や制度を律令に取りこ こうじむろ みきのつかさ ですが、江戸時代になると、「麹室 み、国家として整備しました。従来造酒司という宮内省に属する役所で じんぎかん うらペ に女が人ると腐る」という一種のタ の亀占は神祇官に属する占部氏の仕醸造しました。ここでは造酒は男の からさけ 事となり、天皇家にかかわる諸事を仕事であります。酒のほかに醴、酢プーができ、それ以降、女が酒造り に携わることはなくなったのだそう を醸すのが仕事だったわけです。醴 占い、中国式の占法を司るのは中 みなもとのしたごう つかさしようおんよう です ( 「女と男、家と村』古代史の論点 が十世紀前半に源順が編集した 務省陰陽寮となりました。つまり、 わみようるいじゅしよう 2 小学館 ) 『和名類聚抄』に、「古佐介、一日 この時点から公式的には、男性の占 酒は市でも売られました。室町時 有となったのです。でも巫女の系譜 宿酒也」とありますから、ひと晩 だけ醸してつくった酒、一夜酒のこ代には、販売用の酒は奈良市菩提山 は生き残りました。 いしきりつるぎや とですね。かすかに酒の味がするよ寺のように、寺で熟成をするように 東大阪市にある石切劔箭神社の参 なりました うです。酢は、もちろん、あの酸っ 道には、数十の占い師が軒をならべ 近年、女杜氏が再び増えてきたそ ばい調味料のことです。 ており、けっこうはやっているよ一つ うで、結構なことです。今夜は、女 けれど、一般家庭では女が造った です。看板を見ると、気学あり、四 とじ のです。「刀自」とはもともと豪族性杜氏が醸した酒をたしなみながら、 柱推命、高嶋易断あり、手相見あり と、かなり多様でありますが、なぜ層の女性に対する尊称でした。と同遠く古代の女性に想いを馳せること ぜいちく にしましょ , っ か筮竹を使う八卦置は見ません。占時に、酒を醸造し、それを使った神 い師のほとんどは女。卑弥呼が「鬼祭りを主宰する女性の、すなわち家 道」をよくしたことはご存じですね、事を司る女性の意もあったのです。 と、つじ やまもと・ただなお のち、刀自は転じて「杜氏」とな この伝統が今だに続いているのです 1943 年生まれ。奈良国立文化財研 さて神事につき物なのがお神酒でりました。酒を醸造する時に統括す究所、天理大学教授、 2012 年まで 専門は美術考古学。著書に『高松塚・ すね。酒の醸造は、古代はもちろん、る酒造所の長のことです。前出の脇キトラ古墳の謎』『鬼瓦』ほか多数 なか 127 2016 年婦人之友 9 月号

3. 婦人之友 2016年9月号

て手を組んでいます。座産の状態を 植物繊維の場合は、栽培して採集 ( 藍染め専門の染めもの屋 ) 、機織り、 ぬいもの あらわしたのでしよう。 したあと、水にさらして繊維をとり、縫物師 ( おもに刺繍の家 ) 、組師 ( 組 出産と育児という役目のほか、日糸に紡ぎ、布に織り上げるのですか紐をつくる専門家 ) など、こういう繊 常生活の中で女の仕事はたくさんあ ら、手間のかかる作業であります 維産業にはおお」ね女が従事してい りました。 絹にしても、蚕がつくった繭から たそうです ( 「中世における性別役割分 土器つくりは女の役目でしたが、 糸を紡ぎ出す前に、蚕を育てるため 担と女性観」『日本女性史第一一巻中世』 粘土の採掘と素地つくり、燃料準備、 東京大学出版会 ) 。 に、まず桑を栽培するところからは 製品の運搬など、体力を要する作業じめなくてはなりません。 はんさ 卑弥呼の末裔たち を男が分担したというのが定説です こんなに煩瑣な作業を、女が、農 日本でも平安時代には、手でこね閑期の仕事として、育児や炊事をし 弥生時代には、鹿の肩甲骨や亀の ながら、おこなったのでしようか ? てつくる土器は女の役目で、ロクロ 甲羅を焼き、あらわれた裂の走りを おり でつくる須恵器と陶器は男の仕事と ただし、律令制度のもとでは、織見て、吉凶を占う、骨占や亀占があ べのつかさ ぎし一わじん いう分業をしたという記録もあるそ部司 ( 織りものや染めものの高度な技術りました。『魏志』倭人条に「骨を や うです。 ( 小林行雄「技術と技術者」『世 を持ち、織りものの生産に携わる役所 ) ・ 灼いてトし、以て吉凶を占う」とあ ′、、り . り・よ・つ 界歴史 1 』人文書院 ) 。 内藏寮 ( 天皇の宝物や日常の物品の調達・ り、遺跡から、そのような焼けた骨 ぼっこう 保管や、儀式の準備などを担当した役所 ) ・ さまざまな素材から糸を紡ぎ、こ が出土することがあります。ト甲は おおとねりりよう れを機に架けて布を織ることは、世大舎人寮 ( 宮中で宿直、行列のお供など古墳時代からのようでありますが 界のどこにおいても女の仕事でした。 を司った下級官人の役所 ) などの、中央ほかに、琴などの楽器の音にあわせ 日本列島での織りもの生産は弥生官司に属するお役人たちは男でした。 て神がかりをする巫女の口から、神 時代にはじまり、材料となるのは麻、 脇田晴子さんの研究によると、 託を得る占法もありました。どうや ちょま 苧麻などの植物繊維と、絹織りもの 一五二〇年ころに成立した『七十一 ら、占いは女の専門職だったという のための蚕の繭が主なものです ことになり・ます 番職人歌合』の絵に描かれた紺掻き はた まゆ こんか きれ はたお 2016 年婦人之友 9 月号 126

4. 婦人之友 2016年9月号

2016 年の「婦人之友」は、 空間や時間、心に詰めこんだものを、少しへらすこと。 急ぎすぎる速度を、少しおとすこと。 そこから生まれる生活を楽しみ、 持続する社会や自然へと、一歩ずつ歩みます。 今月の誌面から 必すしも一緒にいる時間の長さではありません。 わが子をしつかり見つめるために必要なのは、 「今、考えたい。しつけ " 」 その気持ちが、私は大事だと思います。 十分に接することができないという悩みをお持ちのことでしよう。 今は働いている母親もたくさんいます。仕事や家事に追われて、

5. 婦人之友 2016年9月号

ほかにも、男がほとんど専業とし 当時は無事に出産することや、乳す ) 。首飾りと耳飾りをつけ、頭頂 ているのは、金属工芸、武器の製作、幼児が無事に育っ確率は、かなり低部には竪櫛を挿している女は、乳呑 かったはずです。 み子に乳を与えています。乳児の頭 採鉱、木材の切り出しや石の加工な どで、男女に肉体的な差があります そのことは、安産や、豊かな乳のを左手で支え、右手は欠損していま から、重いものを動かしたり、危険出を祈願すると考えられる縄紋土偶すが、乳児のお尻に当てていたと考 えられます。女は母か、さもなくば、 をともなう作業を男が担うのは当然が多く遺されていることで、推しは ですね。一方、おもに女がかかわる かれます。お腹が大きくふくらんだ乳母でしよう ( 右ページ写真 ) 。 お産をしていると考えられる土偶 仕事として、調理、衣服の製作、燃土偶や、授乳を思わせるような土偶 があるのです もいくつか知られています。青森県 料集めなどを挙げています。 もちろん、男女半々という労働分 東京都八王子市の宮田遺跡から出下比良遺跡出土の、縄紋後期の上偶 は、両膝を立て、踏ん張ったような 野もあって、耕作と植えつけ、家畜土した高さ六センチあまりの小さな 体勢で、両手を首筋の背中側に回し や小動物の飼育などは分けあってお土偶は、頭部が欠損していますが、 こなったようです 横座りで乳児を抱いた様子を表現し ています。乳房の近くに子どものロ 多様な女の仕事 がありますから、授乳のシーンで しよう ( 写真下 ) 。 古代人にとって、女の役目のもっ こがね とも重要なものは出産と授乳・育児 茨城県大平黄金塚古墳から出土し た埴輪のひとつは女性の上半身だけ でした。子を産むのも、授乳するの ですが、なんともチャーミングです も男にはできません。現代のように 粉ミルクがあれば、男でも授乳はで頬には朱彩をほどこし、後頭部に三 きるのでしようが、古代にはそんな味線のバチのような形の髷が貼りつ けられています ( 島田髷と考えられま 便利なものはありませんでした。 はにわ しもひら たてぐし 子抱き土偶 ( 東京都宮田遺跡 ) 国立歴史民俗博物館所蔵 125 2 田 6 年婦人之友 9 月号

6. 婦人之友 2016年9月号

- ー■剰余累計 2014 年 4 月、長男の高校人学 に合わせて、前年に単身で赴任して いた夫の住む東京へ熊本から合流。 夫の転勤生活はまだ続きそうです が、子どもの進学希望を考えると、 しばらくは東京で落ち着いて生活し たいと郊外に一戸建ての住宅を求め ました。その後、夫は再び大阪に単 身赴任となり、現在 2 カ所に分かれ て 2 年目です 主婦の経験を社会に生かす仕事 これまで私は専業主婦として、子 育てや地域、友の会の活動に励んで きましたが、 2 年前の二男との会話 から、思いがけず訪間介護の仕事を ートタイムではじめることになり ました。 小学校の宿題に「職業調べ」が出 た日のこと。帰宅した二男が「お母 さんは将来何になりたいの ? 」と尋 ねてきました。「母として生きてい 年間予算を守るカギ 毎月末に注目したい「剰余累計」 剰余累計 = ①今月の予算 + ②先月までの 剰余累計一 3 今月の支払総計 月によって支出にばらっ ① 予算額 / 乙ク 住居・家具費 . - ま前月までの差引 ② きのある費目は、特に剰 まえ . クク / 0 ′クク 0 余累計が重要です。年間 日接要数量支払差引日橋要数量支払額差引 〃風 / /D9 & 乙 / ”予算にとっていた大きな 2 クヨ、 〃両面ー / ローン / 買いものの分が残ってい 2 ル ュん るか意識しましよう。 / ~ 乙初于 月末、各費目の「支払合計」 「支払累計」「差引」の欄 / ク . つ 43 のを、ヨ・ 6 め を記入。剰余累計 ( その 月までの予算合計から支 出合計を引いた数字 ) を 出し、翌月の「前月まで の差引」欄に記入します。 △んり 支払合計 3 * 図は「予算生活の家計簿」の 乙ノ , ュイア 剰余累計 支払素計 費目のページです 荒木さんは、住居・家具費の予算を固定費とその他に分け、家計簿の費目欄の 右側に固定費、左側にそれ以外と 2 本立てで記帳し、差引を管理しています。 6 3 りそ、 109 2016 年婦人之友 9 月号

7. 婦人之友 2016年9月号

バランスのよい食卓のヒント ◎まずは「ごはんと味噌汁」 米と味噌は私たちの食卓の出発点。そこを基本に、と り合わせを広げていきましよう。わが家は、 ごはんはい つでも欠かしません。それに味噌汁と主菜、副菜、つく りおきの常備菜や香の物でタ食が完成します。ときには 炊きこみごはんにして変化を。味噌汁は豆類と海藻がと りやすく、具だくさんにすると野菜も食べられます。 ◎油をとりすぎない調理法で 忙しいと、炒めものや、ポリュームがあって見栄えのよい揚げも のなど、油を使った料理に偏りがち。煮ものや蒸し料理も積極的 に取り入れて、塩分、糖分、油分をとりすぎないことも大切です。 ◎忙しいときこそ " 先手仕事 " 冷蔵庫に常備菜や半調理したおかずがあると、時間にも気持ちに もゆとりが生まれます。時間のあるときに野菜を洗って切る、火を 通すなどのひと手間をしておくと、もう 1 品がサッとでき上がります。 51 2016 年婦人之友 9 月号

8. 婦人之友 2016年9月号

本震から約半月後、大型連休に妻と後片づけに向かった。水に 濡れた家財を夫婦 2 人だけで何とかできるとは思っていなかった。 熊本市でも災害ボランティアの募集が開始されたと聞いていたの で、ボランティアセンターにファクスで事前申し込みを行った。 しかし、待てど暮らせど返事はなかった。ホランティアセンタ ーも、当初は大混乱である。仕事柄、その程度の知識はあったの 今、そのお薬、熊本中探しても手に入りませんよ」とのことだっ マンションの高層階でも水浸しに 残る問題は、自宅の後片づけだった。母が暮らしていたマンシ ョンは大規模な損傷は免れたとは言え、室内はとんでもない惨状 だった。特に、屋上の貯水施設が破損したことが災いした。救出 直前、電話越しに、母はしきりに「床が水浸し」と訴えていた。 「マンションの 9 階なのに ? 」と、当初意味がわからなかったほ ど、水による被害は筆者にとっても「想定外」であった。水に濡 れたものはすべて重くなり、またカビなどの発生源となって、後 片づけの負担を大きくした。 ボランティアセンターも混乱して 4 背の高い家具はなかったが、生活用品が散乱し、水漏れにより水浸しに なったリビング。 31 2016 年婦人之友 9 月号

9. 婦人之友 2016年9月号

古いスチ 1 ル椅子を余り布で再生。 若きパタンナーのアイデア。 ジ 1 ンズにもワンピースにも合、つ、 ジャケット。手持ちの服がぐっと楽 しくおしゃれに。 0 Co 。 hem 人気は事業にも影響、 仕事が提案型に変わり、全国から次世代 の職人が集まってきた。右が大江社長。 C00hem ( 米富繊維株式会社 ) 複数の素材で一一ット織物を作る技術 「交編」に由来。素材開発から生産まで 全工程を自社工場で行う。百貨店ほか、 全国のセレクトショップなどで販売。 対話を重ねて創りだします。つよ みは社内の編地開発室。年余、 膨大なニットテキスタイルを開発 してきた歴史とア 1 カイプスが、 日々の試行錯誤を支えています。 かって職人は、社内セ 1 ルでも 自社製品を買いませんでした。作 る人と着る人とが重なることはな かったのです。ところが昨年の忘 年会で、大江さんは息をのみます。 ずらり並んだ職人たちが、色とり どりに Coohem の服を着ていたの 「見える景色が変わってきた」。 工場ならではの誠実な服によせる 顧客の信頼が、作り手に、その魅力 を再発見させたのかもしれません。 編みながら、考える。失敗した ら、ほどいてやりなおす。ニット の柔軟性そのままに、工場の人々 は、ときに糸を巻き返しながらも、 前進をつづけます。 2016 年婦人之友 9 月号 4

10. 婦人之友 2016年9月号

かなえてほしいと切望することで、 とができないという悩 かえって子どもの個性をつぶしたり、みをお持ちのことでし 追い詰めたりすることのないよう、 よう。その気持ちが、 気をつけたいものです。 私は大事だと思います。 親はとかく、わが子とほかの子を 自分は完璧な母親だと 比べがちです。それ自体はけっして 思いこんでいると、子 悪いことではありませんが、他の子どもの姿を見失うこと とは違うわが子の個性の中に、よい も少なくないからです 点を見つけようという「加点法」の限られた時間をいかに 眼差しで見つめましよう。「あの子有効に使うか親の謙 はできるのに、なぜうちの子はでき虚さは緒に過ごす時 ないの」という「減点法」の目を持間の短さを補ってなお、 ってしまうと、親はいら立ちますし、余りあるものをもたらしてくれるは は家族の皆で子育てを分かち合い 親の不満を子どもは敏感に察知しまずです 地域全体で子どもを見守り合ってい す。自分は親の期待に応えられない ました。親に叱られ、家から閉め出 地域で見守り、育てたい ダメな子だと思いつめ、自己肯定感 されて泣き叫ぶ子がいたら、近所の を育めません。 最後に、周囲の温かなまなざしと人がかくまってくれたりしました わが子をしつかり見つめるために支えの手が、親にとっても子どもに 今はちょっと外で泣かせたりする 必要なのは、必ずしも一緒にいる時とっても不可欠だということをお伝と「しつけ一つできないダメな親だ」 間の長さではありません。今は働い えしたいと思います。子育ては、家というかのような、冷たい目が注が ている母親もたくさんいます。仕事庭や親だけでできることではありまれがちです。よけいに親は周囲の目 や家事に追われて、十分に接するこ せん。歴史を振り返っても、かって を気にして「自分がしつかりしつけ 2016 年婦人之友 9 月号 100