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検索対象: 思想 2016年 第9号
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1. 思想 2016年 第9号

るいは一六八八年のスチュアート朝の最終的放逐、一七一歩信仰は海洋的存在へと踏み出したことの徴候である」朝。 三年のユトレヒトによるヨーロッパ講和ーー、本質的なこ海洋的実存への移行がもたらした自由こそが、産業革命と技 とま、ヨーロ ハの一民族が彼らの住む島をもはやこれま術の解放へと導くことになった。イギリスの海への決断は、 でのようにヨーロツ。 ( の陸地から分かれた断片としてでは二度と繰り返すことのない歴史的な挑戦に対する、これまた 一度きりの応答なのであった。 なく、純粋海洋的存在の基地として、そこから世界大洋へ ミットは、戦後の冷戦体制 このように一九五五年のシュ の支配を広げる基地と考えたということである。イギリス その背後には陸と海との対立があるーーーのもとで西側に は一六世紀以来のポルトガル、スペイン、フランス、オラ ンダの偉大な発見と取得に割り込んでいった。イギリスは包摂されることになったドイツ ( 連邦共和国 ) という現実をふ ヨーロッパのライ。ハルすべてを打ち負かしたが、それは道まえて、海洋国家としてのイギリスの海への選択、その世界 徳的ないし肉体的に高い資質によってではなく、ただ彼ら史的意義をあらためて評価しているのである。もちろんその が陸地から自由な海への歩みを徹底して行ったからにほか究極的な立場として海洋的存在をシュミットが選択したとい うわけではない。陸と海との二つの根源的要素の対比には、 ならない ) 。 究極的な人間の住み処は陸であるというキリスト教の根本前 イギリスは純粋海洋的存在への徹底した決断によって、歴提がある。一九五八年の「新たなラウムについての対話」の 史的な課題に答えることができたのであった 3 。「純粋海洋中 ( 引 ) でーーおそらくシュミット自身の立場に一番近いと思 一人の対話者がこう語っている。 め的存在への歩みはそれ自体において、またそれがもたらす内われる 求 在的な帰結において技術を一つの自己法則的力として解放す を ス 聖書によれば神は陸地を人間の住み処に割り当てました、 る効果をもたらす。それまで本質的に陸地の存在の内部で発 モ これに対して神は海をこの住み家の境界として割り当てた ノ展してきた技術のす。へてに関していえば、絶対的技術という のです。そこには人間に対する危険と脅威が待ちかまえて 地ものはなかった」。「大洋の上に出てはじめて船は家の絶対的 いる。神の好意は海を押しとどめています、海がわれわれ 対立物となる。陸上の秩序にあってはあらゆる技術的発見は をむさぼり食わないように、ちょうどノアの洪水がそうし 新確固とした生の秩序に組み込まれ、この生活秩序に捉えられ たようにです。海は人間にとって疎遠で敵対的です。それ 服従することになるが、海洋的存在においては技術的発見は は人間の生活空間〔ラウム〕ではありません。人間の生活空 それ自体絶対的価値としての進歩として現れる。無条件の進

2. 思想 2016年 第9号

33 政治的なものの「退引」 4 = . tr. fr. Kostas Papaioannou. Allia, 2010. P. 72. 〕 Jacques Ranciére. 公 La représentation de 一・ ouvrier ou la classe impossible 》 . in Le 、ミき du ト 0 新ミ、 e. p. 98. 〔〕「集団心理学と自我分析」藤野寛訳、『フロイト全集』第一 七巻、岩波書店、二〇〇六年、一八一頁。なおこの言及につい ラヾルト & ナ ては著者たちのフロイト読解をも参照。ラクー ンシー「政治的パニック」柿並良佑訳、『思想』第一〇六五号、 四一、四四頁。 〔〕『活動的生』邦訳二五頁以下参照。 〔〕『リヴァイアサン』第二部・第一七章「コモンウエルスの 理由、生成、定義について」。 〕 Cf. Philippe Soulez, 公 La mére est ・ elle hors-jeu de l'essence du politique 7 》 . in Le 、ミミミト 0 ミ ~ P. 177 ( 「母 オフサイド は政治的なものの本質の蚊帳の外か ? 」 ). 〔〕『労働者』邦訳三二三頁および三四二ー三四四頁参照。 〔片〕「有の間へ」邦訳四九四頁以下参照。 〔〕「「ヒュ ーマニズム」に関する書簡」、『道標』邦訳四三〇頁。 『「ヒュ ーマニズム」について』渡邊一一郎訳、ちくま学芸文庫、 一九九七年、八一頁。 〔四〕 AIain David 〕哲学者。編著書に R ミミ e ミミミ séミ ~ ド ミ e. Essai ト s e s ~ 、、 = e ミミ ) des c ミ ~ c の Ellipse. 200 に MicheI Henry,I'éPre ミミこ e. Cerf, 2000 など。 〔〕ヴァルター・べンヤミン「歴史の概念について」浅井健一一 ・コレクション 1 』浅井健二郎・久保哲司 郎訳、『べンヤミン 訳、ちくま学芸文庫、一九九五年、六四七頁。 〔幻〕切込み ( 一 ncis 一 on ) という措辞は先行する論文、例えば「政 治的。ハニック」の記述を踏襲している。「政治的パニック」邦 訳四二、五四、五六頁参照。 〔〕「世界像の時代」茅野良男、ハンス・プロッカルト訳、『ハ イデッガー全集』第五巻、創文社、一九八八年、九八頁。 Philippe Lecoue ・ Labarthe et Jean ・ Luc Nancy. 久 Le 久 retrait 》 du politique 》 . in Le 、ミミ du ト 0 ミざミ . Galilée. 1983. PP. 9 (introduction) and the essay PP. 183 ー 205 Reprinted by permission Of Editions Ga 三 60 Paris.

3. 思想 2016年 第9号

が〔政治と宗教の二つの権力の間の分裂という〕悪とその治療薬 (lemaletlereméde) をよく認識しえた唯一の人である、彼は ワシの双頭を再び一つにし、すべてを政治的統一へ連れ戻すこ とをあえて唱えた。この統一がないかぎり、国家も政府も決し てよく組織されることはないであろう」。〕 ( 引 ) ミ . や 469. 〔同前、一九二頁。「呪いにかかっている 人々」とは、排他的で不寛容な宗教の信者を指すと考えられる。 ルソーは、「それぞれの市民をして自分の義務を愛さしめるよ うな宗教を市民がもっことは、国家にとって実に重要なことで ある」と言うが、市民宗教は、「主権者がその項目を決める。へ き、純粋に市民的な信仰告白」であって、「それは厳密な宗教 の教理ではなく、それなくしてはよき市民、忠実な臣民たりえ ぬ、社交性の感情 (sentiments de sociabilité) 」として定義さ れる。市民宗教の唯一の「否定的教理」は「不寛容」であると して、ルソーは次のように言う。「〔ロックのように〕市民的不 寛容と神学的不寛容とを区別する人々は、私の意見では間違っ ている。この二つの不寛容は分けることができない。呪われて いる、とわれわれが信じる人々とともに平和に暮らすことは、 できない。彼らを愛することは、彼らを罰する神を憎むことに なるだろう。彼らを正気につれ戻すか、迫害するかが絶対に必 要である。宗教的不寛容が認められているところではどこでも、 それが〔結婚など〕市民的生活に何らかの影響を与えずにはおか ない。「 : : : 」排他的な国民宗教が存在せず、もはや存在しえな い今となっては、市民の義務に反するものを何も含まぬかぎり、 他の宗教にたいして寛容であるようなす。へての宗教にたいして、 寛容であるべきだ。しかし、「教会の外に救いなし」と叫ぶ者 があれば、誰でも、国家から追放される。へきである。そういう 不寛容な教理は、神政政府の下でのみ通用するが、それ以外の ところでは有害である」 ( 『社会契約論』前掲、一九二ー一九四 訳注 〔 1 〕『社会契約論』ジ、ネーヴ草稿と同じ一七五五年夏から五 六年春の間に執筆されたとされる。 〔 2 〕 jus bellum 、、、 s bello は「開戦法規 / 交戦法規」と 訳されることもある。 〔 3 〕同じことをルソーは「戦争の目的と効果は敵国の consti- tu ( 一 on ( 国制 ) を変更させることにある」 ( PDG. p. 79 ) と表現して いる。ルソーの戦争論の慧眼な読者である憲法学の長谷部恭男 は constitution を「憲法」の意味に読みかえ、「戦争とは主権 に対する攻撃であり、社会契約に対する攻撃である」、「戦争と は国家と国家の間に発生するものであり、敵国の憲法に対する 攻撃という形をとる」と一一 = ロう ( 『憲法とは何か』岩波新書、二〇 〇六年、三九ー四〇頁 ) 。日本近現代史の加藤陽子は、戦争の 、つろこ 目的は相手国の憲法を変えることにあるという「目から鱗」の 長谷部版ルソー ・テーゼを使って、太平洋戦争におけるアメリ 力の最終目的が天皇制を柱とする日本の「国体」を破壊するこ とにあり、なぜ戦勝国が敗戦国の憲法を書きかえるという事態 が起ったかを説明している ( 『それでも、日本人は「戦争」を選 んだ』朝日出版社、二〇〇九年、四〇ー四六頁 ) 。 〔 4 〕 Michaél Prazan, トミミミ s. き e 、」、ミ き ~ 、 j 恩 0 ミ se. Seuil. 2002. Cf. M. Prazan. 公 Des Japonais n0 104. 」 uillet ・ aoüt 2002.

4. 思想 2016年 第9号

ということは、宗教を脱神学化し、宗教を政治的秩序のなか ョア的習俗の一般化、安全と平穏と安寧の探求、なかんずく に溶解することに帰着する。ホッブズの論証は、宗教的概念死の恐怖による和平化の効果を疑っていたのである。 の解釈にもとづいて、超自然的救済の探求を現世的満足の追 ルソーの「市民宗教」のなかに、人はしばしば政治的結合 求と一体化させる。ところでルソーは『社会契約論』〔の巻末の理論を読むが、市民宗教の章が ( 宗教の違いに起因する ) 戦争 に追加された〕「市民宗教」 ( re = g 一 oncivi 一 e ) の章で、「ホッブズはや、政治体の弱体化さらにはその死を引き起こす要因を扱っ 悪の根源をよく認識しえた唯一の人である」と書いてい ているのはきわめて意味深い ハトリオティズムは共和政体 る朝。しかし彼は「キリスト教の支配的精神はホッ。フズのを支える喜ばしき情念であり、ナショナリズムは帝国主義政 システムとは相いれなかった」〔 8 〕と付け加える。 体の悲しき情念であり朝、ファナティズムは神の狂信者の 他方でルソーは、キリスト教の「支配的精神」とあらゆる異形の情念である。大いなる情念なしに政治はありえないの 宗教が潜在的に隠しもつ「ファナティズム」を重視するゆえは事実だが、悪は治療薬そのもののなかにあるⅱ〕。 ロックの解決にも納得しない。 ロックの解決とは、政治 と神学を分離し、今日われわれが「ライシテ」と呼ぶ市民的 寛容の原理を尊重するという条件で、神学にそのすべての場 所を与えるというものである〔 9 〕。ルソーがなぜロックの解 争に納得しないかといえば、「呪いにかかっている、とわれわ 戦 る れが信じる人々とともに平和に暮らすことはできない」から である ( 引 ) 。 お ルソーは、世俗化が進んだ社会に生きる近代人も「ファナ 想 思ティズム」から自由ではありえないことを予感していた。フ 政アナティズムは、純粋に物質的な幸福の探求によって「飼い 一ならされた」「穏やかな」情念の弱い堤防を破壊しかねない。 ルなぜなら、政冶体にその力と実質を付与するのは、このよう な物質的幸福追求の情念ではないからだ。ルソーは彼の時代 に人々が大いに期待していた和平化の手段、すなわち。フルジ ニ一口 ) PhiIippe Pons. 公 Le profil bas du Japon au Moyen- Orient 》 . Le ミ 0 . 15 décembre 2015. ( 2 ) 戦争でないものを「戦争」と呼ぶことを利益とし、逆に別 の理由から戦争を「戦争」と呼ぶのを拒否することがある。後 者の例として、一九五四年一一月に始まったアルジェリアの人 民解放闘争をフランス政府は「戦争」ではなく「アルジェリア 事変」 (événements d ・と gérie) と呼び、警察の治安維持活動で 鎮圧す。へき内乱と見なした。〔前者の例として、昨年一一月一 三日のパリ同時テロを受けオランド大統領は同一六日ヴェルサ イユ宮に両院合同会議を召集し「フランスは戦争状態にある」 と宣一一 = ロ、一九四五年四月三日の法律によって創設された「緊急 事態」 ( état d ・ urgence) を強化し憲法条項化する意志を表明した。 しかし、憲法改正案は二重国籍をもっテロ犯罪者のフランス国

5. 思想 2016年 第9号

同様人間の王を据えることになるが、イスラエルの王は人間にすぎる ) 。中世に、トマス・アクイナス ( 一二二五頃ー一二七四 ) ず、神ではない ) は、コンスタンテイヌス帝により口ーマがキによって、キリスト教神学へのギリシア思想 ( アリストテレ リスト教徒の皇帝を頂いた時点で皇帝が人間化し、ローマ帝ス ) の接合が行われ、自然法は、スコラ哲学において、壮大 国がヘブライズムの核心部分を取り込むことによって、一応な体系を有するようになった。ところが、プロテスタント地 の決着を見ることになる。言ってみれば、西洋における一種域におけるヘブライズム復古運動の隆盛は、自然法思想とへ のヘブライ化はこのとき達成されたのである ( 引 ) 。 ブライ思想との結合の可能性を追求するよう促した。そして、 へ。フライ化とはいわば王 ( 皇帝 ) の人間化である。地上の支グロテイウスとセルデンの両者はともに、自然法は古代ユダ 配者としての王が人間化した世界では、もはや異教時代のロヤ教思想のなかにも見出せるとし、自然法思想の起源は古代 ーマ帝国のように、宗教領域を支配する根拠を神としての王ユダヤ教およびラビ教義にあるとさえ主張した ( 。 ( 皇帝 ) の権威に求めることはできなくなった。王に神性がな カトリックへの対抗を背景としながら、グロテイウスとセ くなれば、神により近い場所に存在する聖職者に権威が移行ルデンは、原語に基づいたへ。フライ国家および社会の研究を するのは当然である。こうして、初期のキリスト教徒皇帝の熱心に行った朝 ) 。グロテイウスが初期に取り組んだへプラ 時代から一七世紀に至るまで、以来ずっと、人間の為政者は イ国家研究「共和国を正すことについて ()e republica emen ・ 国家と教会の対立間題に何度も直面し、教会による権威と権 danda) 」は、生前には出版されず、手稿として残ってい 力の主張に圧倒されてきた。それゆえ、政治と宗教の対立をる朝。セルデンの本格的なヘブライ国家研究の大著は一六 解消し秩序を維持する方法を探究しようとするとき、かって五〇年から五五年に公刊された『サンへドリン』である。 この アウグステイヌス ( 三五四ー四三〇 ) がそうしたように、 一六世紀末から一七世紀において、タルムード ( ミシ、ナとゲ マラからなるユダヤ教律法集 ) 、ゾ 問題の原点に立ち返るために、思想家たちは古代イスラエル ハール ( ユダヤ教神秘主義カバ の統治へ立ち返るのである。 ラの経典 ) 、タルグム ( アラム語訳旧約聖書 ) 、 ミドラッシュ ( 古 代ユダヤの旧約聖書注解書 ) などのラテン語訳、マイモニデス 2 ヘブライスム復興と自然法 その他著名なユダヤ人へプライ学者の諸作品のラテン語訳、 自然法思想は、一般に、ギリシア思想 ( ストア派 ) およびキおよびこれらに関する研究の出版が盛んに行われるようにな 丿スト教思想 ( 中世スコラ哲学 ) に由来するとされる。ロ った ( 芝。こうしたへプライ学研究の急増は、この時期、ヘ の自然法論は概してギリシアのストア哲学からの借用であ。フライ語やギリシア語の原典に基づいた聖書研究が圧倒的に

6. 思想 2016年 第9号

(originally published. Parisiis: Apud Nicolavm Bvon. 1625Y Hildesheim 】 Georg Olms. 2006. Lib. I. Cap. I (IX). (XVI), pp. 6. 12. Hugo Grotius. 0 ミ the Rights VT 、ミミ P き 2. an abridged translation by William Whewell. Cambridge: J0hn W. Parker. 1853. B. I. Chap. I (IX, 2 ). (XVI, 3), pp. 4. 7. John Eb ききミき . Libri Septem. Londini: Richardus Bishopius, 1640. Lib. I. Cap. II. p. 35. Cap. X. p. 121. Rosenblatt. s きミ e E g S C ef pp. 141. 147. 172. Toomer, Y02 ミ Selden, vol. II, pp. 490.491. 502. 504. ( ) Nelson. The よミ Rep ~ 、ミ p. 13. ( 肪 ) lbid.. p. 150 n. 74. e ミミ E ミ 0 ミ . 3 vo 一 s.. Londini: Typis Jacobi Flesheri. Pros- tant apud Cornelium Bee, 1650 ー 1655. ( ) Nelson. The ミ R ミミ pp. 14 ー 15. ( ) グロテイウスとセルデンは自著のなかでヨセフスやマイモ 的円 の円 や円 理円 、円 の円抜 ン 数 家 0 と本 デ で 学著の 基 2 レ 例 ス斗 * 水 り . に とハ既 。 0-0- 区 0 ワ・ 百 近検ク訳の めを敏る再イ スッ年の ズ 雄リロ百係 0 〔文 , = 感経〉一会方→ 生直野助 見多 に扶 杉ア」の波命な 「神 : 噛社論硲キ一 ギメ 学使 革的テ岡北一 考組盾理一一 会 イヨし 数の ス公セ な と 共 なル のの 草 単デ 一フ成 特 立肱勁 孤深 他る フ形 ぐって」、『イギリス哲学研究』第三五号、二〇一二年、一四〇 ー一四九頁。 ( 3 ) Prior. "Hebraism and the problem of church and state in England," pp. 41.44. ( 引 ) とはいえ、歴史的に見れば、ヘレニズムとへプライズムは 古い時代からずっと相互に干渉し合い、混じり合ってきた。例 えば、シリアのセレウコス朝のアンティオコス四世 ( 在位前一一 一五ー一六一一 l) がエルサレムのギリシア化を強制するが、それ 以前からエルサレムではギリシア化が進行しており、大祭司た ちはギリシア語名を有し、古代イスラエル人のギリシア文化へ の傾倒やギリシア的生活様式の実践があった。秦剛平『マカべ ア戦己 ユダヤの栄光と凋落』上巻、京都大学学術出版会、 二〇一五年、三ー六頁。 ( ) A. P. d ・ Entréves. ~ ミミ、ミトミ 0. London: Hutchinson. 1970. p. 25 ( < ・・ダントレーヴ『自然法』久保正幡訳、岩波書店、 二〇〇六年、二三頁 ) 。 ) Hugo Grotius, De 、 e belli ミを c libri 洋 es, 2 vols. 一三ロ こ けいそう

7. 思想 2016年 第9号

う四つの指標をあげて論じている。 る (Ebenda. S. 600 ー 601 ) 。 ( ) Ebenda. S. 21. 訳三六頁。 ( ) Ebenda. S. 604 ー 605. Z < O と Z O との関係について はこう述。へている。「 Z 0 の防衛区域は Z 0 憲章五二条 ( ) Ebenda. S. 73 ー 74. 訳一五〇頁。 というのも安全保障理 ( ) 海洋と大陸の支配者同士の闘争において、非正規的闘争を の意味での「地域」 ( Reg 一 on ) ではない、 利用するという方法は、大陸ドイツの潜水艦の利用という形で 事会ではその平和友好的性格についての全員一致の意見が支配 も現れる。イギリスはドイツの潜水艦作戦、海面下から予告な しているわけではないからです。自衛権を認めた Z O 憲章の ヾレよ しに船舶を攻撃するという非正規の戦闘手段を「犯罪的な海賊 五一条に基づいて Z e O の防衛領域は Z O のグロー 的闘争手段として差別化しようとした」が、これはスペインの ラウムの一部となる。合衆国は原子力大国であるが Z < O は パルチザンに対するナポレオンの憤激と同列のもの、すなわち、 そうではないという事実から出てくるところのラウムについて それぞれが本領とする海戦・陸戦の闘争場において、正規の闘 は語らない方がいいでしよう」。 争方法を否定して、予測しなかった闘争空間の変更を行うこと ( 囀 ) Ebenda. S. 605. に対する憤激なのである。 Ebenda,S. 74. 訳一五一ー一五二頁。 ( 菊 ) Ebenda. S. 605. ) Ebenda. S. 26 ー 27. 訳四七ー四八頁。 ( 鄲 ) Ebenda. S. 607 ー 608. ( 貯 ) T ミ des P ミ e ド S. 64. 訳一五頁。 (ä) Ebenda,S. 78. 訳一六〇ー一六一頁。 5 ) Ebenda. S. 35. 訳六六頁。 ( 絽 ) Ebenda, S. 28 ー 33. 訳五二ー六一頁。 9 ) シュミ ットはパルチザンの概念を、 非正規性と関連して、 ( 浦 ) Ebenda,S. 51. 訳一〇二頁。 7 ) Ebenda,S. 49. 訳九七頁。 激しい政治的関与、③高度の遊撃的性格、④土地的性格とい て め 求 を 訳 の時キオの の景ぎガの し苦部的爆 底企白衝貌の ス 間うアてジ手 をこり = = ロ被 私風継デ紫。 の籍、た全初 、。んラ《《 考 モ 哲集会国蝟いの邦 のⅵ筑 うオ込たら のら - = ノ ノ 郷集 学か月、良 川学文社多鉢 著・れ。」考れみが の らに思入試な 故選碩台曾 吭文真一ど表レ , な " , 。 ~ 。夫の 地 大 、、ー哲手下陳第 間令陳工者次を紹 バ一》 思・ナ 新 著厳作人跿 市ズい、刀こ 異徳有堋畊 真戒湾作態の作散 イの々る年のち ドのちナへ」 崎人す十なた アや方にに著卦考映台の生実 0 な文 代生打引と魚 長た闘にえ者 仼行代バたア思 現人をだ一白 台辺業色撃曰単 せりか書房 東京都文京区千石ト 29 ー 12 深沢ビル 2F Tel: 03-5940-47 開 http://www.serica.co.jp/

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これを独特の歴史哲学に構成したアーノルド・トインビーにつ いて批判的に言及している (Ebenda. S. 534 ー 537 ) 。 ( ) Ebenda. S. 541 ー 542. ) Gespräch über den Neuen Raum (Festschrift zum 70. Geburtstag von Cami10 Barcia Trelles; Estudios de Derecho international...Homenaje al Professor Camilio Barcia Trelles. Universidad de Santiago de ComposteIa, 1958. S. 263 ー 282. に 初出、若干の修正を経て C. Schmitt. Gespräch über die Macht/Gespräch über den Neuen Raum. Berlin 1994. S. 32 ー 64 ). S ミミ , G き 13 きミミ、 ~ 0 ミ易 . S. 552 ー 569. ) Ebenda. S. 553. 芻 ) Ebenda. S. 554. 引 ) Ebenda. S. 568. 肪 ) C. Schmitt. Die Ordnung der Welt nach dem Zweiten Weltkrieg. S ミ G きミ ~ ~ 0 ミ os. S. 592 ー 608. この論文は ード "lnstituto de Estudios 一九六二年三月一二日にマドリ Politicos" の名誉会員になった際に行われた講演 "EI Orden del mundo después la segunda guerra mundial". Revista de Estu ・ dios Po 一三 cos. 122Z1962. S. 19 ー 36. 並行して研究所の Bro- schüre. Madrid 1962. 30S. として公表された。後に P. Toim- missen. Schmittiana II. Brüssel 1990. S. 11 ー 30 に翻訳して掲載 されている。 なおシュ ミットはすでに一九五五年の論説「世界の統一性」 (Die Einheit der WeIt, ミミ、 . VI. Jahrgang. 1. Heft. Januar 1952. S. 1 ー 11. S ミミ , G き、ミ、ミ , ~ 0 ミ 03 S. 496 ー 505 ) で東西冷戦 から新たな世界秩序の展望について、①東西いずれか一方の完 全支配、均衡の維持・継続、③大圏域のプロックという三つ の可能性を提示している。 ( ) C. Schmitt, Die ()rdnung der welt nach dem zweiten WeItkrieg, S 、ミ 4 G きミミ , ~ 0 ミ os. S. 593. ( ) Arnold Toynbee. ミミミミ the ミ 2 み Oxford 一 953. シ ミットはこの時期トインビーについていわば国連の世界史像を 提示するイデオローグと見て、前註で紹介した「世界の統一 性」論文、ユンガー評釈論文、「新たなラウムについての対話」 など随所で論じている。 ( ) C. Schmitt. Die Ordnung der Welt nach dem Zweiten Weltkrieg, S 、ミ 4 G きミミミ . 「 0 ミ os. S. 595. ( ) Ebenda, S. 594 ー 595. ( ) Ebenda, S. 595 ー 596. ( れ ) Ebenda, S. 596. ご、、ツトは冷戦を一元的段階、東西の二元的対立の段階、 そして多元的な圏域の併存と競合の第三段階に分けている。シ 、ツトによれば冷戦とは、第一次大戦後、ジュネープの国際 連盟の集団的安全保障によって古典的な戦争概念が破壊される ことによって現出する「戦争と平和」の中間段階である。アメ リカの参戦によるナチス・ドイツに対するソ連・アメリカの共 同戦線の形成は、その第一段階であり、これはソ連・スターリ ンから見れば実質的には革命戦争の一環として暫定的に合衆国 に対しては「戦争および平和の中間状態」が採られているにす ぎない。ナチスの敗北と第二次大戦の終結によって本来の冷戦、 東西の二極構造が出現する。ここでは「友と敵」の基準です。へ てが区分され、古典的な意味での「中立」はもはや不可能にな る。これに対して東西両陣営に属さない諸国が独自の第三戦線 を形成することによって、冷戦は第三段階へと移行するのであ ュ

9. 思想 2016年 第9号

統一性が必要であるという点を明示する。ごく単純に言えば、お国家は今日どこまでも深く人り込んでくる〔ミ、ミミ〕 ポリティック 「政治〔的〕」という語の意味を知っているのかということで この語に性的な含みがないとは言えない ものだと言われ ある。ハイデガーだったらこう一言うことができたと想像して うることに変わりはない。そうだとすればスーレーズは「退 みることもできる。政治は技術である、と。 ハイデガーがそ引」を、どの程度まで国家が深く人り込むものなのかを示す う言わなかったのは、そのような政治の規定が不十分なものための超越論的工ポケーの一変種と定義することにやぶさか だからである ( 「世界像の時代」のようなテクストにおける「文化 ではなくなる。デリダ日く、引き退くことが重要なのは、政 政策」に充てられた論述を参照されたい〔 ) 。 治的に思考される、へきものを思考するためなのである。 三、全体主義。問題はこの概念が今日 、いったい国家とは 何であるのかを定義することができるのかどうか、というこ とである。デリダは言う。今日国家であるすべてのものは同 ラヾレト、ジャン ( 1 ) 責任者〕フィリップ・ラクー じ形而上学的な事象に関わっている。すなわち国家間の戦略、 ク・ナンシー 外交等々といったものは同質性を内包している。たしかにも 研究会は毎月第三月曜日、一七時から行われた。連絡先は以 う少し違ったニュアンスで言う事もできるが ( シルヴィアー 下の通り。郵便番号六七〇〇〇、ストラスプール、シャルル日 ヌ・アガサンスキ、ドロレス〔・ロゴザンスキ ( 当時 ) 〕、ジャコプ グラッド通り、六番地。 ロゴザンスキはそもそもそうしたことを行っている ) 、それでもな ( 2 ) Cf. 0 ミ、、 0 ミミ . Galilée. 1981. p. 11 sq 〔「〈政治的な に易び 中説る 知事る 企ロ然クの 8 界て鬲史 敵難」の 8 ね不き 独。な 世え著 2 獄。ど テ家 、民義血 ( を史す つの 物会 的想詩る r-n 人主 退 て超名 \ 歴、紙お房」 主訳事現の町 人を物る集己の宝読訳の片思すよ—、 しをの訳界が手肉 ] 書 と紀朽夫 父のき版 景書え文 = = 0 家は朗子生孤断た渡オ、由民文史てて者 庫世不恭世の通沸装 ーも の章に読 る巻国側血噺す額 、ら谷歴医初越宀子版宝にる目 、は・文・かい 8 建 2 の友幾一こ日包 0 のア歩た大 五ロ リ進も 言究て = = ロ全ドたと訳 的 ロくなにそ 宀子精〕域不 歳深死 こでざた 金研け浩 ンい観聰郷 」の間ソ歩大謎を 目あた 0 者人年 ・続城 イ書史山京う 4 ⅸ 政 膨、 , 、王。電医一や江き フロ理は 一太たらン 治たをあ 7 ノ患恋一 過 タに代飃→右一者れ結子に歴大紋目 ロテ、つと 釋ルさ何、も ト毒のな 一め時 ワ学さ・ 一娘な。 龍れかセ 主 っ ~ Ⅱて流く 一中し密、ノ晶さトッ ド、い機主月ョた。 1 ダ科読説カ レら的 荒見とし サ居か濃へ今遺スエ民ト民と危 シる典幻 メの愛解ハ乂、和か得物 原注

10. 思想 2016年 第9号

新刊案内に表示した発売日は小社出庫日です 9-2016 ・ 8 月日発売新たな大地のノモスを求めて・ : : : 牧野雅彦 9 月ロ万本体 850 円 2 ーカール・シュミットと「パルチザンの理論』ー さ 思よ 9 月号 本体 140 。円 ◆年間購読料 10 、 000 円 しだ ( 税込・、臨時増刊号を除く ) ◆年間購読料概算 22 、 200 円 ・も ホッブズとセルデン : 梅田百合香 金 ー自然法とへプライズムー フィリップ・ラクー“ラバルト 《特集 1 》「三分の一こ後の政治課題 Ⅱ送政治的なものの「退引」 : ・ . シャン“リュック・ナンシー 時間かせぎの政治ーーー「破局」から考える・ : 吉田徹 リバタリアン・パターナリズム批判 : 橋本努「三分の一一」を手中にした周到な安倍戦略 : : 北野和希 ルソーの政治思想における戦争論 ーいかなる介入を正統化すべきか下ー 〈ルポ〉公明党安倍派の誕生・ : ー戦争するとは何をすることか ? ー 〈対談〉「改憲」を打ち返す市民のカ : ・中野晃一 x 青井未帆 : ブレーズ・バコフェン【思想の言葉】 石井洋ニ郎〈対談〉々センターみへの道は切り拓けるか : 前原誠司 x 井手英策 読 ・ 8 月日発売木造建築の耐震性を考える : : 五十田博《特集 2 》とユーロの行方 9 月ロ万 ドローンから見た熊本地震 分断された社会は乗り越えられるのか 離脱 本体 1333 円 科学 小山真人・早川由紀夫国民投票後のイギリス : ・ : ・今井貴子 話振 ◆年間購読料概算 17 、 280 円 これからの緊急時住宅を考える : : : : 坂茂ヨーロッパを引き裂く四つのべクトルーー英国 離脱を読み解く : ・ : 鈴木直 も特集“ニ 0 一六年熊本地震 デモクラシーか資本主義か ? 社外地殻変動からみた九州 : ・加藤照之諫早湾問題の不条理とアオコ問題 : ュルゲン・ ーマス、訳・解説三島憲一 ・佐藤正典 / 梅原売・高橋徹 ・青井真 . 割地震動の特徴・ 〈インタビュー〉プレグジットは有益なショックになりうる 【連載】 : シャンタル・ムフ、訳・解説 = 片岡大右 す公四月一六日の強震動をとらえる ハラサイトの惑星・ 小澤祥司 秦吉弥・後藤浩之・吉見雅行 戦後日本公害史の教訓ーー環境保全の地域再生へ・ : 宮本憲一 深読み ! 「せいめいのれきし改訂版」 ・堀高峰 南海トラフ地震との関連・ : ・池内了 真鍋真急展開する研究者の軍事への誘導 : ・ 憲法からみた天皇の「公務」そして「生前退位」・ : 横田耕一 し書ひずみを評価に取り入れる・ ・鷺谷威三・一一以後の科学リテラシー : : 牧野淳一郎 み図 象徴天皇制のク次の代ッ : 原武史 ・須藤靖明東京電力原発事故の情報公開 : : : : : 木野龍逸 込阿蘇の観測とマグマ溜まり : 違憲立法の既成事実化をどう阻むか : ・ : 伊藤真 モスクワから見た日ロ交渉 : : 西谷公明 お料 ・ 7 月 % 日発売読書丸の効能・ 鈴木俊幸〈インタビュー〉日本経済の大転換ーー中曽根行革か らアベノミクスまで 7 ー 8 月号〔隔月刊〕『江戸春一夜千両』を読む = ・ 棚橋正博 : ・セバスチャン・ルシュヴァリエ、聞き手 = 新川敏光 本体 25 。。円 売料 京伝黄表紙の魅力・ : : アダム・カバット 編集 " 日本応用数理学会 ー「八被般若角文字」の物語性をめぐってー 特集 = 山東京伝町人作者の眼 く間京伝と九相詩 : ・佐藤至子山東京伝艷本・春画目録稿 : ・石上阿希し 近年 第巻 / 第 3 号 お 応用数理 はす 梅を紡ぐー京伝「梅花氷裂」私案ー : : : ・山本和明映画へ / 映画から・ : 本体 1 。。。円 川崎賢子・ 9 月日発売 ◆年間購読料概算 4320 円 ・大高洋司長恨歌の民話的原型 : 〈職人尽〉と京伝読本 = 上野英ニ 期ナ 定山東京伝の地方読者へのまなざし・ : 小林ふみ子【連載小説】 農業経済研究 誌て京伝合巻と板元たち : ・桐野夏生 : ニ又淳一日没 ( 第一回 ) : ・ 本体 1219 円 ・湯浅淑子 ◆山東京伝の紙たばこ入れ店 : ◆年間購読料概算 5268 円 文学 ・ 9 月日発売 世界