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検索対象: 思想 2016年 第9号
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1. 思想 2016年 第9号

・ハインリヒ・フォン な教養高き天才的な軍人たち、 理解することができるだろう。かくして第二次世界大戦から このような人々の姿の クライストのよ、つな詩人、まさに、 戦後の今日にいたるまで、二種類のパルチザン、郷土を防御 中に、当時の危機的な瞬間に行動を起こそうとしたプロイ 的・土着的に防衛するパルチザンと、世界革命を目指して攻 センのインテリゲンツィアの巨大な精神的ポテンシャルが 撃的に行動するパルチザンとが結合し混合することになった 現れている。このベルリンのインテリゲンツィア層のナシ のである ( 西。 ョナリズムは、教養あるものの産物であって、素朴なさら パルチザンの理論と実践・ーークラウゼヴィッツから毛沢東へ に文盲な民族の産物ではなかった。興奮した民族感情が哲 学的教養と一致したこのような雰囲気の中で、。ハルチザン そうしたパルチザンの経験をはじめて理論に表現したのが、 は哲学的に発見され、その理論は歴史的に可能となったの プロイセンの将校クラウゼヴィッツの『戦争論』 ( 一八三二年 である ) 。 クラウゼヴィッツの死後に出版 ) であった。もとよりプロイセン とその軍隊は第二次大戦にいたるまで典型的な正規軍の組織 だがプロイセンとその軍隊に、パルチザンに基づく人民解 であったが、そのプロイセンの参謀本部が歴史上ただ一度だ け、ナポレオンに対する。 ( ルチザン戦争を呼びかけたのであ放戦争の理念が根付くことはなかった。びとたび解放された った。一八一三年四月二一日の義勇軍についてのプロイセン人民解放戦争の諸力は、再びプロイセンの国家秩序の内に回 王の勅令は、その意味において「パルチザンが、新しい決定収されていくことになる。一八一三年から一八一五年の解放 め的な役割を持ち、新しいこれまで承認されなか。た世界精神戦争の後にプロイセンを支配したのはフイヒテではなく、 求 の姿をして、初めて登場してきた瞬間」を示すものであ「革命と伝統とを体系的に媒介しようと試みた」へーゲルの を ス る。それはーー本来に土着的な運動であったスペインの哲学であった ( 西。かくしてプロイセンの歴史上ただ一度だ モ け登場した人民解放戦争の理念を体現したクラウゼヴィッツ ノゲリラや一八一二年のロシアのパルチザンなどとは異なり 地 の『戦争論』は、ヘーゲル思想の内にはらまれていた革命的 当時のベルリンを支配していた精神に基づくものであっ 大 要素を継承したマルクス主義者レーニンによって再発見され ることになったのである。 新 ロシア革命の指導者レーニンはパルチザンを革命的内戦に とって不可欠な過程であると認識して、これを共産主義革命 ョ ン・ゴットリ ープ・フイヒテのような大哲学者、シ ノ ャルンホルスト、グナイゼナウ、クラウゼヴィッツのよ、つ

2. 思想 2016年 第9号

まだ完全に破壊されない世界史的要素としての大地の究極ザンは、盗人や海賊と同じように非政治的なものヘ のポストの一つである訂 ) 。 こでいわれるごとくーー刑事犯的なものへ下降しないため この政治的承認の様式を必要とするのである。かなり 海洋国家イギリスはナポレオンの大陸国家フランスに対す長期的に、非正規的なものは、正規的なものによって自己 る戦争においてパルチザンを利用したが、これはあくまでも を正当化しなければならない。そしてそのためには、非正 非正規的な闘争者の一時的な利用にとどまった。海上の非正 規的なものには二つの可能性だけが許されている。すなわ 規な闘争者としての官許海賊がイギリスの海洋支配圏拡大に ち既存の正規的なものから承認してもらうか、あるいは自 奉仕したように、。 ( ルチザンも海洋国家イギリスの大陸国家己の力によって新しい正規性を作り上げるかである。この フランスとの闘争に利用されたのである ( 。だが、海上の ことは厳しい二者択一である。 非正規な闘争者である海賊とは異なり、 一片の土地、一定の 郷土に対する侵略や占領に対して非正規な闘争を挑むことに 郷土を敵から防衛するために非正規な方法で戦うパルチザ 。ハルチザンの本質はある。こうしたパルチザンの「土地的性ンが、その非正規性、非合法性ゆえにたんなる犯罪者の地位 格」は、非正規の戦闘性とそれに伴う「高度の遊撃性」にもに貶められないためには、何らかのかたちで自らの政治的性 かかわらず、彼らの闘争を「基本的に防御的」なものとする。格を証明しなければならない。自らの闘争の「正統性」を証 陸地における一定の領域をめぐる対立、領土をめぐる敵対関明せねばならない。そのためには、新たな「正統性」を自ら 係を前提とするパルチザンが圏域秩序とその変容にとって重の手でつくり出すか、あるいは既存の政治勢力から「正統 要である理由もここにあった ) 。 性」を調達するか、いずれかしか方法はない。政治的闘争者 しかしながら、自らの郷土を敵から防衛するために非正規としての。ハルチザンが何らかのかたちで国際政治との連繋を 的に闘争するパルチザンは、やはりなお何らかのかたちでの必要とすること、その連携の相手次第では。 ( ルチザンのおか 「正統性」、他者による政治的承認を必要とする。 れた立場を微妙なものとすることは、すでにナポレオン戦争 時代の海洋国家イギリスによるスペインのパルチザン支持の 強力な第三者は、兵器、弾薬、金銭、物的援助手段、あ内に示されている。非正規・非合法な方法で戦うパルチザン らゆる種類の薬品を提供するだけではない。彼は政治的承の連繋の相手が多くの場合に世界革命を推進する「革命的闘 認の様式をも調達する。そして非正規的に闘争するパルチ争者」である理由も 、。ハルチザンのおかれた政治的状況から

3. 思想 2016年 第9号

さりとて本来非合法的ではなく、ただ自らの危険において、 でパルチザンは登場していたのであった。 ただし、ナポレオン戦争後のウィーン体制によってヨーロその意味で「危険負担的 (riskant) 」に行為するのである」龜 ) 。 このようにパルチザンは、古典的国際法・戦争法の枠外の ッパの古典的国際法がひとまず再建されたことによって、そ ッパにお「非正規の闘争者」であることをその本質とするのであるが、 れ以後、第一次世界大戦の全期間を通じて、ヨーロ いては古典的な正規の戦闘が首位を占め、パルチザンは副次そこから「高度の政治的性格」というパルチザンのいま一つ の特徴が導き出されてくる ) 。もともと「パルチザン」 (Par- 的現象にとどまっていた。 すでに一九〇七年一〇月一八日のハーグ陸戦規則において t 一 san ) という言葉は「党派」 ( partei) に由来し、党派への加担、 リーについて正規の戦闘員と政治的な闘争者たることをその本質とする。この点において、 非正規的戦闘者の特定のカテゴ しての権利と特権 ( 捕虜・負傷者となった場合の待遇等 ) を認め海戦法規における海賊とは対照的な性格をもっている。すな ていたが、第二次大戦後の一九四九年八月一二日の四つのジわち、私的掠奪を目標とする海賊が、基本的に「非政治的」 ュネープ条約はこれをさらに拡大して、陸戦・海戦におけるな存在であり、法の立場から見ればたんなる犯罪者にとどま るのに対して、。ハルチザンは何らかのかたちで闘争や戦争を 傷病者や捕虜の待遇、戦時における文民保護を規制している。 ここでは正規戦闘員の範囲が拡大されて、「組織的抵抗運動」遂行し、政治的に活動する党派ないし集団との結びつきを示 の構成員を民兵・義勇兵として扱うことが定められた。またしている ( 四。その限りにおいて、自己の危険負担において 私的な戦争を遂行する「官許海賊」とも異なっている。 これと連動して「軍事占領」の制度に変化がもたらされる。 め以前であればパルチザンとして鎮圧の対象とされていた占領 パルチザンは、それを、陸戦の官許海賊と見なすには、 求地での抵抗運動者たちは、たんに「組織されている」という ス 指標のみで正規の戦闘員と同様のーー捕虜・負傷などの際の何か別種のものである。そのことに関して、陸地と海洋と モ これまで、陸 の本然的な対立は依然として非常に大きい 取り扱いが求められるようになった。その限りにおいて、 の 地と海洋との国際法的な対立を基礎づけてきたところの、 地少なくとも理論の上では、いわゆるパルチザンの抵抗活動を 戦争、敵、戦利品についての伝来の相違は、ある日、工業 な含めた占領軍に対する抵抗を「非合法ではない」とみなすこ 技術的進歩のるつばの中で簡単に消失するということがあ 新とが可能になった。もとより、占領軍がパルチザンの抵抗に るかもしれない。しかしさしあたりは、。、ルチザンは、相 対して「報復的措置」を行うことは正当として認められてい 。。、レチザンま、 変わらず真の土地の一片を意味している る。その限りにおいてパルチザンは「本来合法的ではないが、

4. 思想 2016年 第9号

産業と現代技術の世界全体は人間の業以外の何物でもあ真に答えるかたちで安定した圏域秩序を形成して初めて、人 りません。新たな、形成されつつある大圏域は人間の計画 間は新たな「平和」をーー・これまた歴史的一回的なかたちで と管理を手がかりにその基準を見いだすでしよう。 正確に 見いだすことができる。多元的な大圏域の均衡こそはそ 言えば、この計画と管理とは、人間が人間に対して目的を うした新たな方向を指し示すものであった。パルチザンとい 持って組織し、産業化された地域の住民大衆にその存在の う現象もそうした圏域秩序の出現との関連で位置づけられて 理性的確実性を保障する、完全雇用、通貨安定と拡大され いるのである。 た消費の自由をもってすることです。新たなラウムがそう パルチザンと新たな圏域秩序 した要求に応じた内在的手段を見いだしてはじめて、新た パルチザンの理論 ( 一九六三年 ) な大圏域の均衡はうまく機能することになるでしよう。そ のとき諸国民と諸民族は産業発展の只中で自己に忠実に自 パルチザンとヨーロッパ公法 己主張する手段を得ると同時に、他方ではその相貌を失う ミットによれば、。ハルチザンの最初の登場は、「スペ ことになることが分かるでしよう、というのも彼らは技術イン人民が一八〇八年から一八一三年までの間において外国 化された大地の神々に自分たちの人間的な個性を犠牲としの征服者の軍隊に対して行ったゲリラ戦争」にまでさかのば て捧げることになるからです。そうなれば、新たな大圏域る。「この戦争において、初めてその人民ーー市民以前の、 が真中に内容として受け人れるのは技術ばかりではなく、 工業化以前の、在来型の軍隊以前の人民ーーが、フランス革 その宗教と人種、文化と言語に基づいて、そして自らの国命の経験から生まれた、よく組織された正規の軍隊と衝突し 民的遺産の生き生きとしたカに基づいてその発展に協力すた。それによって戦争の新しい空間 ( Raum ) が開かれ、戦争 る人間の精神的実体でもあることが明らかになるでしょ 遂行の新しい概念が開発され、戦争と政治についての新しい 理論が発生したのである」。 まさに。ハルチザンは、イギリスの海への決断に伴う圏域秩 産業と技術発展の果てに、人間は新たな圏域秩序を見出す序の転換をへて、海と陸との対立の最初の焦点となったナポ ことになるだろう。それはおそらく、イギリスの海への決断レオン戦争の時点に、在来型の正規軍に対するいわば工業化 から始まった不可逆的で一回的な歩みがもたらす新たな問い 以前の人民の非正規的闘争として始まったのである。ヨーロ かけに対する応答となるであろう。そうした歴史的な課題に ノ主権国家の体系が国民国家の体系として完成される過程

5. 思想 2016年 第9号

これに加えてモンロ ー・ドクトリンに基づく西半球の 今日そうした「ノモス」という語の意味において何が大 影響圏域、さらにはアメリカ諸国と非アメリカ諸国の一五カ 地のノモスであるのかと問われれば、私は明確に答えるこ 国を包括する大西洋防衛共同体としての z«eo 、そして とができる。それは先進地域と後進地域の分割のノモスで ZO の「グロ ーバルなラウム」でも合衆国は重要な位置を占 あり、それと結びついて、誰がその線を引くのかという問 めている ( 。 題が直ちに提起されることになります。これを分割するこ とが今日の大地の本当の憲法 ( Verfassung ) なのです。その これら四つのラウムはそれぞれに異なる密度と透過性を偉大な起源となる文書が一九四九年一月二〇日のトルーマ もっていますーー国家領土、モンロ ー・ドクトリンの西半 ン・ドクトリン第四条であり、そこでは明確にこの分割が ヾルなラウム 球、 Z < e O の防衛領域と Z O のグロー 定められていて、大地の産業的発展こそ合衆国の意図であ くり返しますが、これらのラウムすべては表層 り目的だと厳かに宣一一 = ロしているのです ( 西。 (Oberflächen) として考えることができます。だが実際には それは人間のエネルギーと労働から出てくる磁場なのです。産業発展の先進地域と後進地域の区別による新たなノモス、 そこでは別のラウム、すなわち正真正銘のアメリカの影響まさにそれこそが第三の新たな現象と挑戦にかかわる分割線 力のラウムが喚起されるのであって、これはモンロー・ト である。もとより産業発展援助に基づくこのラウム的秩序は クトリンのラウムとは一致しません。さらに北アメリカのまだ明確なかたちを整えてはいない。たとえばヨーロッハ経 済共同体はいまだ自らの内に低発展の地域を含んでいる一方 め内外市場の経済的影響力のラウムが、これはアメリカ・ド 求 ルの影響力のラウムであり、文化的拡大、一一一一口語、道徳的威で、その構成国がアフリカやアジア諸国に産業発展援助を行 を ス 信のラウムでもあるのです石 ) 。 うことを認めている。ヨーロツ。ハ経済共同体は必然的にヨー モ ロッパの政治的統一へと導かざるを得ないだろうと多くの事 の 地 こうした様々の性格の異なるラウムの重畳と交錯のなかか情通は予想しているが、その際に間題となるのは、ヨーロッ 大 なら今一つの「現在の時点で特に関心を引き、また地上のすべ ハが同質的な ( homogen ) 発展援助の担い手たりうるかという ミットは最後に次のような注釈を 新ての諸国民の運命を規定しているラウム」が浮かび上がってことである。かくしてシュ くる 加えている。

6. 思想 2016年 第9号

力を傾けました。同じような努力がなされていることが、 に対して、この現象はまさしく新たなラウム ( 空間 ) の可能性 今日ヨーロツ。ハの諸国す。へてがどこまで守勢に追い込まれを切り開くかに見える⑩。しかしながら宇宙空間の取得を ているかを示しています。つまり反植民地主義のラウム関めぐる競争もまた地上の「ラウム的局面」によって規定され 連的性格が目に飛び込んでくるのです。そうした現象のイている。 デオロギー的性格を考慮しながらも、そのラウム的な側面 を無視してはなりません。国際法の古典的理念としてなお 合衆国とソ連の間でとりわけ根本的に問題となっている 残っているものは、その起源を純粋ヨーロッパ的ラウム秩 のはわれわれの地上の支配の問題、われわれの星の政治的 序に有しているのです。反植民地主義はこのラウム秩序の 支配の問題なのです、宇宙の観点から見るとどんなにそれ 崩壊がもたらした現象なのです。それはひたすら後ろ向き が小さく見えようともです。地上を支配するものだけが、 に過去を目指しています。彼らが目標としているのは現在新たな技術手段をもって手に届くようになる新たな宇宙空 妥当している状態の清算であって、道徳的な要請とヨーロ 間を支配するでしよう。 反対に、宇宙空間の取得へのあら ハ諸国民を犯罪者として断罪することを別にすれば、新ゆる歩みは、それを達成した権力にとって地上の支配への たな秩序の理念を一つとして生み出してはいないので歩みとなります石 ) 。 す ( 。 宇宙空間の支配をめぐる対立も、結局のところはこの地上 道徳的・イデオロギー的なヨーロ、 丿難を別にすれば、 の世界の取得をめぐる対立、その新たな形態にすぎない。い 反植民地主義は基本的にはヨーロッパに由来する古典的な国まやわれわれは宇宙空間の支配をめぐる戦いというかたちで、 際法とその秩序観念の枠内にあり、新たな秩序についてのい 東西対立と冷戦の新たな段階に達してきているというのであ かなる理念も提示するものではない。したがって積極的 ( 実る。 定的 ) な様式と仕方で新たなラウム秩序を形成する能力はな それでは今日、地上の圏域秩序はいかなる方向に進んでい 、とシュ ミットは一一 = ロ、つのである ( ) 。 るのであろうか ( 。その方向性を占う手がかりは、アメリ そこで第二の新たな現象として登場するのが、技術進歩に カ合衆国をめぐる圏域秩序のうちに示されている。合衆国の よる「宇宙空間の征服」である。非ヨーロツ。ハ諸国の反植民「現実の政治的圏域」に属しているのはその固有の国家組織、 地主義が結局のところ古典的なラウム秩序への回帰であるのその立法、政府、行政ならびに司法の妥当する領域だけでは

7. 思想 2016年 第9号

というかたちではなく、 ハンナ・アレントの言う「人間秩序の反映に過ぎず、今日提起されている現実的問題に十分 の条件」としてのーー地上の世界における新たな圏域秩序の に答えることはできない。今日の世界状況のなかで新たな間 形成という形で問いとその答えは見いだされるだろう。それ題を提起してきているのは「反植民地主義」、「宇宙空間の征 はまた「陸」を人間本来の住処となした聖書の考え方にも応服」そして「低開発地域の産業発展の問題」という三つの現 ずるものだとシュ ミットは言うのである。 象である。 第一の問題としての「反植民地主義」、これは基本的には 4 冷戦の現段階 , ーー新たな大地のノモスへの展望 「プロバガンダ、より正確にいえば反ヨーロッパ的プロバガ それでは解放された技術を従えるべき新たな世界の秩序、 ンダ」である。これは当初はヨーロッパ内部のプロバガンダ 新たなノモスへの展望はどのようなものだろうか。『パルチとして、まず一六世紀、一七世紀にフランスとイギリスによ ザンの理論』直前の講演「第二次大戦後の世界の秩序」 ( 一九る反スペイン・プロバガンダとして成立した。これが一八世 六二年 ) でシュ ミットはまず戦後の世界秩序と平和を保障す紀の人文主義的啓蒙の影響とともに一般化され、最後には るとい、つグロ ーバルな組織とされる国際連合 (> z 0) につい 「全ヨーロッパを世界侵略者に仕立て上げて被告席に立たせ て、次のように述。へている ) 。 る」ことになったのである。 Z O の顧間トインビー ()r ・ nold Toynbee ) の歴史像はその典型である ( 芝。かくして第二 けれどもわれわれは知っています、 Z O は現存の秩序次世界大戦後にイギリス、フランス、オランダ、ベルギーの て の反映 ( Reflex ) でしかなく、残念ながら無秩序 (Unordnung) 海外植民地が崩壊する際には、このようにしてヨーロツ。ハで め 求 でもあるということを。そのす。へての方向転換が冷戦の発産み出された反ヨーロッパ的プロバガンダの大合唱が伴うこ を ス 展を後追いするものでしかなかったことをわれわれは見てとになった。だがそうした反ヨーロツ。ハ的態度のために「反 モ ノ きました。その方法と手続き様式が一定の価値をもっこと植民地主義のもっているラウム的局面」を忘れてはならない。 の 地 を誰も否定できませんが、現実的間題や客観的現象は規範 大 非ヨーロッパ諸国民によって行われる征服・土地取得・ な的議論ないしは訴訟もどきの (prozeßähnlich) 議論では解決 新できないのです ( 。 抑圧は、反植民地主義の憎悪を受けてはいないように見え スティーヴンソン ます。北アメリカの国連代表アドレー 国際連合は第二次大戦後の冷戦構造とそれがもたらした無 はソビエト帝国主義の思想をはっきりさせようと大変な努

8. 思想 2016年 第9号

を見れば分かる。これに対して西側の巨大な表面は世界大洋 これら「陸と海で荒れ狂う両大国」 ) に対して距離を置く で、大西洋から太平洋まで覆われている。東と西の対立の背 ことができると考えたのである元 ) 。 後にはつまり大陸世界と海洋世界、陸と海の要素の対立があ るのである」 ) 。 海洋国家イギリスと革命の大陸国家フランスとの間で開始 それではこうしたノモスの転変は、敗戦国となったドイツ された陸地と海との対立は一九世紀にはまだ明確な要素の対 にとっていかなる意味を持つのか。東西対立のなかで分断さ決にまで結晶していなかった。大陸国家ドイツが継承する海 れたドイツにとって、その依拠す。へき立場はどこにあるのか。洋国家イギリスとの闘争、海洋と大陸とのグロ ーバルな対立 同じく一九五五年の論文「今日の東西世界対立の歴史的構の最終的表現が第二次世界大戦時の大西洋憲章である。それ 造」 ( 幻 ) でシュ ミットはこ、つ論じている。 はいわばアングロサクソンの海洋支配の勝利宣言であった。 だがとシュ ミットは一言、つ。ここで間題とされているのは 陸と海とのグロ ーバルな規模での闘争はまず第一にイギ歴史の一般理論ではない。陸と海との対立は歴史を貫く「永 リスの革命フランスとナポレオンとの闘争で達成された。遠の真理」、二つの根源的要素によって永遠に繰り返される だが当時は陸と海との分割も東西の分割も今日ほど明瞭で対立ではなく、「歴史的に一回限りの真理」なのであるの ) 。 はなかった。アプキール湾 ( 一七九八年 ) やトラファルガー そうした歴史的一回性の観点から、海洋的存在へと踏み出し ( 一八〇五年 ) の大海戦はまだ大規模な対立の決定的段階に たイギリスの決断は次のように評価されている。 は達していなかった。ナポレオンは最終的にイギリスによ って打ち負かされたのではなく、陸上大国としてのロシア、 つまり産業革命は一八世紀イギリスから生まれたのであ オーストリアとプロイセンによって打ち負かされたのであ る。だがこの島の一八世紀の歴史的に一回的な状況とは何 る。大地のノモスはなお陸と海の均衡の上に立っていたし であったか ? イギリスは島であり、一六世紀以来ヨーロ 海はそれ自体だけでは決定を強いる力はなかった。一八一 ッパ大陸から切り離されて、純粋に海洋的な存在への歩み 二年に対立は頂点に達したが、アメリカ合衆国はナポレオ を始めた。これが歴史的に本質的なことである。他のすべ ンではなくイギリスに対して宣戦布告をしたのである。当 ては上部構造である。外的に見える経緯の内のどれを海洋 時アメリカとロシアとが接近したが、それによって若い両的存在へ踏み出した決定的日付ないし期日とするにせよ 大国はナポレオンに対してと同時にイギリスに対しても、 一六五五年のクロムウエルによるジャマイカ占領、あ

9. 思想 2016年 第9号

すことになったのか。 ミットは一九五〇年に公刊した証されていた。この新たな大地のノモスは、次のような二重 ーロッパ国際法の崩壊を論の均衡に基づいている。 『大地のノモス』で、古典的なョ じていたが、これを受けて書かれた一九五五年の論文「新た 第一に陸と海との均衡。イギリスだけが海を支配し、海 な大地のノモス」元 ) では、大地をめぐる圏域秩序としてのノ の上にはいかなる対抗錘の存在も認めなかった。これに対 モスの歴史的展開を三つの段階に分けている。 してヨーロッパ大陸ではカの均衡が支配していて、い力な 第一の段階の大地のノモス。ここでは人間はまだ自分たち る陸上大国のヘゲモニーも許さなかったが、それを保障し の住む惑星を球体として考えておらず、大洋は人間の手に届 ていたのが海上大国イギリスだったのである。陸と海の均 かない存在であった。「彼らの世界は純粋に平坦な土地 (rein terran) であった。す。へての強力な民族はみずからを大地の中衡が、さらに陸上で独特のカの均衡が形成される基礎とな っていたのである ) 。 心と見なして彼らの支配領域を平和の家とした、その外には 戦争、野蛮、カオスが支配しているのである」 ( 幻 ) 。 ツ。ハとイギリス海洋国家の支 力の均衡に基づく大陸ヨーロ 最初の大地のノモスが「陸と海の発見」によって崩壊する 配する海洋との均衡、海洋と大陸の異なる国際法秩序、異な とともに第二の大地のノモスが成立する。古典的なヨーロッ ハの国際秩序としての「ヨーロ ツ。ハ公法」はヨーロツ。ハ内部る戦争法の並存もこうした二重の均衡に基づいていたのであ すでにのべた る。今日このヨーロツ。ハ中心的な大地のノモスは第一次大戦 の秩序として自足的に成立したのではなく ヨーロッパ諸によって崩壊し、大地とこの地球は東と西に分かれて冷たい めようにイギリスの海への決断を頂点とする 求 国の海洋進出、地球大での大地の取得と分割によって成立し戦争、時には熱い戦争をもって敵対している。もとより東と を ス たのである。その特徴は第一に、ヨーロツ。ハ列強の土地取得西はさしあたりは地理的概念であり、地球の上では流動的で モ ノという観点から、陸地が国家領域、植民地、保護領、利害領相対的である。地球は北極と南極の二つの極はあるが、東と ヨーロ ッパとの関係ではアメリカは 地域 ()n ( eressen も hare ) に分割されるというヨーロッパ中心構造西には極は存在しない。 なをとっていたこと、第二に、それが陸地だけでなく海洋を包西だが、アメリカとの関係ではシナとロシアが西、シナとロ 新括する秩序であったことである。陸地とは対照的に「海はすシアとの関係ではヨーロッパが西である。「だがこの純粋に 地理的対立の背後に深い、要素の対立が見えてくる。われわ 。へての国家が自由に受益し ( 漁業、塩の取得、真珠採取等々 ) 、 自由に利用できる ( 平和的航行と戦争 ) 」という海洋の自由が保れが今日東と呼ぶ地域が巨大な陸地の塊であることは地球儀

10. 思想 2016年 第9号

国際政治的思想は際限なく区別なく全地上を包括する介人 介人主義への急転がしばしば文字通りにくり返された。西 要求となる ( じ。 半球の神話はまったく際限のない干渉で終わる。アメリカ の汎介入主義が示すところのあらゆる基準と限界の廃止は グロ アメリカの「特殊な権益」としての「西半球」の特質は、 ーバルなだけでなく全体的でもある。それは国内事項、 それが自由な政治体制の固有の圏域であるという道徳的・政社会、経済、文化状況にも関与し民族や国家をも貫通する。 治的主張にある。したがってモンロ ー・ドクトリンに基つく 他の政府の差別化が合衆国政府の手におかれるようになれ アメリカと新大陸の旧大陸からの「自立」日「孤立」は、ヨ ば、合衆国政府はその政府に反対して国民へと呼びかけて パの古典的国際法における「中立」とは似て非なるも 国家戦争を内戦へと転化する権利をもっことになる。かく のである。従来の「中立」が主権国家間の紛争処理の一方法 てアメリカン・スタイルの差別化された世界戦争は全体的 でグロ としての戦争と交戦権をーー戦争に対する正邪の評価をしな ーバルな世界内戦となる。一見するとありそうにな い無差別的戦争観をーー前提とした上で、交戦国とその戦闘 い西の資本主義と東のポルシエヴィズムとの結合の秘密も 行為に対する第三国の不介人を原則としているのに対して、 ここにある。いずれの側からも戦争はグロ ーバルで全体的 道徳的価値評価を背後に潜ませているアメリカの「孤立」は、 となることで、これまでのヨーロッパ国際法の国家間戦争 ひとたび事情が変われば無際限の介入へと転化する。合衆国 から世界内戦へと転化するのである朝。 政府は「地上の世界の裁判官の地位に座して、あらゆる民族 とあらゆる圏域のす。へての間題に介人する権利を引きうけ 大統領ルーズベルトによる中立から参戦への転換は、そう る」だろう。かくしてモンロー宣一言以来のアメリカ合衆国のした動揺に最終的な決着をつけることになった。それは同時 外交は「孤立」と「介入」の間を揺れ動くことになる。 に、古典的なヨーロッパの無差別的戦争観からーー何らかの 形で「正しい戦争」と「不正な戦争」とを区別しようとする すでに第一次大戦の一九一四ー一九一八年の間にウイル 差別的な戦争観念への転換、限定され枠付けされた主権 ソン大統領の政策はこの両極の間を何の前触れもなく揺れ国家間の戦争から世界大の内戦への転化でもあった。 動いて、最後には一九一七年の初頭に突然、介人主義の方 3 東西対立と歴史の一回性 向へ転じて世界戦争になだれ込んでいった。この度の〔第 二次〕世界大戦でも同様に、厳かに宣誓された中立から汎 それでは第二次世界大戦の終結は、いかなる秩序をもたら