102 ) エラストウス主義という点ではセルデンやホッブズと共通 、リントンだが、 するノ 彼の共和主義論には自然法思想の言説が ほとんど見られないという理論的性格を持つ。竹澤祐丈「ハ ントンを中心とする近世共和主義思想に関する研究動向とその 展望」、『イギリス哲学研究』第三五号、二〇一二年、一三二頁。 また、ホッブズが自然法に基づく国家教会体制論を打ち立て、 人格的主権論を構築したのに対し ( 梅田『ホッブズ政治と宗 教』一八四ー二四二頁 ) 、 ハリントンは非人格的主権論を形成 したとされる。安武真隆「政治理論と政治思想史 < ・ポーコックと「ケンプリッジ学派」」、井上彰・田村哲樹編 『政治理論とは何か』風行社、二〇一四年、二一〇頁注 ( 一八 ) 。 ) Eric NeIson, トミ Rep b . ・トミ So 洋ミ the T ミ、ミミミ E 、き Po ミミ T 、 0 ミ g ミ . Cam- bridge. Mass. 【 Harvard University Press,2010, pp. 1 ー 22. ( ) prior. "Hebraism and the problem Of church and state in England," マ 42. ( 幻 ) lbid. も . 40. ( ) Nelson. The 、 e ミ R ミ pp. 3.6. ) Hugo Grotius. "De republica emendanda," ed. Arthur Eyffnger et al.. G きミ vo 一 . 5. 198 pp. 67. 69. Nelson, The 、ミ 0 ミ pp. 98. 99. ( ) Nelson. The 、 e ミ R ミミ pp. 6.98 ー 103. 111 ー 120. ( ) Marco Barducci, "Harrington. Grotius. and the Common ・ wealth of the Jews. 1656 ー 1660j ・ in Gaby Mahlberg and Dirk Wiemann. eds.. E 、 e ミ Contexts 、 E ミミ、ミ 6 ミ . ハリントン『民衆的統治 Surrey: Ashgate. 2013. p. 77. 竹澤「 の優位性第二分冊』における聖俗統治の一元的把握」一一頁 注三九。 ) ホッブズが『リヴァイアサン』によって王党派とアングリ カニズムを放棄し、独立派を擁護したと解釈する代表的な論者 は、・タックや»—i ・・コリンズである。 Richard Tuck. 、、 os を 4 Go ミミ e ミ 75 ー 765 ト Cambridge 】 Cam- bridge University Press. 1993. Jeffrey R. CO 三 n The 」ミ・ 四ミ T 、 0 0 . Oxford: Oxford University Press. 2005. タックやコリンズの解釈に対して、・・サマヴィル、 マーティニチ、および Z ・ Q ・ジャクソンが反論を提起してい る。 Johann P. SommerviIIe. "Hobbes, Behemoth, Church ・ State Relations, and PoIitical ObIigation," F = 020 ミ s vol. 24 (2), 2003. pp. 205 ー 222. Johann P. SommerviIIe. "Hobbes and lndependency," 旁ミミ 0 、一 lo き vo 一 . 59. 2004. pp. 155 ー 173. A. P. Martinich. "lnterpreting the Religion of Thomas Hobbes 】 An Exchan ge. Hobbes ・ s Erastianism an d ln ・ terpretation. ' JO ミ、 the オざき s. vol. 70 ( 1 ). 2009. pp. 143 ー 163. マーティニチの批判に対するコリンズの応答は、 Jeffrey R. CoIIins. "lnterpreting the ReIigion of Thomas Hobbes: An Exchange. lnterpreting Thomas Hobbes in Com・ peting Contexts. ' 70 ミミ、旁、 00 、ミ s. vo 一 . 70 (1), 289. pp. 165 ー 180. ジャクソンは、周囲の人間関係などから、 ホッブズは非王党派というよりはやはり王党派であると主張す る。 Nicholas D. Jackson. 0 es , B ミミ、、 and the Po ミ s ト e 、を ~ 胃 ess . ・」 Q ミ、、ミ、、 0 ~ ミミ「ミ s and 7 ミ e 、・ 、ミ . Cambridge 【 Cambridge University press. 2007. を . 273 ー 274. これらの論争を含むホッブズ研究の動向について は、梅田百合香「ホッブズ研究の現在ーーホッブズの忠誠をめ
吾輩はガイジンである。 新刊案内に表示した発売日は小社出庫日です 9-2016 ◆『千と千尋の神隠し』アカデミー賞受賞の陰に、この男あり 円 4 2 体 本学 ジプリを世界に売った男 ~ 7 8 3 0 スティープン・アルバート / 桜内篤子訳 書 ( アルバート氏は、元スタジオジプリ海外事業部取締役部長 / さくらうちあっこ氏は、翻訳家 ) カ図 売 世界中の配給会社を駆け巡り、『もののけ姫』の翻訳に目を光らせ、旅行嫌田般発 いの宮崎駿を連れて欧米の宣伝ツアーを回る。ガイジンでありながら、誰よ鞦 りもジプリ映画の「日本らしさ」のために戦い、 海外に売り広めた男の物語。、・ 他 の そ 円 世界をわからないものに二 日 理に落ちてしまうまえに、その一瞬の驚 きに立ち止まり、世界をわからないものむ社六鵬 [ 育てること に育てるー・ーそういう時間をつくりあげ尢治 ー文学・思想論集ー = 』、ま、私〈ち」』 0 大切の〉 0 = ( かとうのりひろ氏は、文芸評論家 ) はないだろ、つか。同時代と歴史に沈潜し、 判 加藤典洋 日 六 8 〈現在〉を浮き彫りにする評論集。 四引 ◆ここで起こっていることに驚き、立ち止まる
の意味においてシュ ミットにとって「政治的思考家」として のクラウゼヴィッツの再発見は、宗教改革とプロテスタンテ イズムに規定されたプロイセン・ドイツに生を享けたカトリ ックとしての自身の政治的位置を示す手がかりを与えてくれ るものであっただろう 。パルチザンという現象は新たな「大 地のノモス」の転変への展望をつうじて、そうした転変のな かでよって立つべき基準ーー友と敵との区別の基準としての 「現実的な敵対関係」ーーをシュ ) CarI Schmitt. T 0 e des 、ミミミド Duncker und Hum- blot: Berlin, 1963. S. 6. 『。 ( ルチザンの理論』新田邦夫訳、ちく ま学芸文庫、一九九五年、一一頁。 ( 2 ) シュ、 トが最初に明確に「大圏域」という秩序構想を提 示した論文「圏域外大国の介人禁止を伴う国際法的大圏域秩 序」は、一九三九年四月一日にキール政治・国際法研究所創設 二五周年記念大会で行った講演「国際法的大圏域原理」を基礎 ・マシュケ編の関 に小冊子として出版されている。ギュンター 連論文集『国家、大圏域、ノモス』ならびに邦訳論文集『ナチ スとシュミ ット』 ( 服部平治・宮本盛太郎・岡田泉・初宿正典訳、 木鐸社、一九七六年 ) 所収の論文はともに一九四一年の第四版 を底本としている。 C. Schmitt, Völkerrechtliche Großraum- ordnung mit lnterventionsverbot für raumfremde Mächte 】 Ein Beitrag zum Reichsbegriff im Völkerrecht ( 1941 ). 一三 C. Schmitt. S ミミ , G き、ミ、ミ , ~ 0 ミ os. hrsg. v. Günter Maschke, Duncker und Humblot: Berlin. 1995. S. 269 ー 320. ミットに示したのである。 ( 3 ) C. Schmitt. Die RaumrevoIution: Durch den totalen Krieg zu einem totalen Frieden. ch. 29. 9. 1940. in 】 S ミ 44 G き、ミ、ミ , ~ 0 き os. S. 390. ( 4 ) Ebenda. S. 389 ー 390. ( 5 ) もとよりカトリックとプロテスタントの対立はその重要な 背景であるし、海洋権力の普遍主義に対するシュミ トの批判 にはプロテスタント批判があることは間違いがない。「イギリ スのこの決定を一人ないし多数の人間の計画的な行為だと考え てはならない。基本的な転換の担い手は新たな、民族的な諸力、 当時のフランス、オランダ、イギリスの諸カから放たれて、カ トリックの世界大国スペインに対して襲いかかったエネルギー であり、これは最後にはす、へてイギリスに流れ込んでその業績 はす。へてイギリスに引き継がれたのである」 (Ebenda, S. 396 ) 。 ( 6 ) 一九四一年の論文「大陸に対する海洋」。 C. Schmitt. Das Meer gegen das Land. c 9. 3. 1941. 一三 S ミ 44 G き、ミ、ド ~ 0 os. S. 396. ( 7 ) 一九四一年二月七・八日のニュルンベルクでの講演「国家 主権と自由海」。 C. Schmitt. Staatliche Souveränität und freies Meer. Uber den Gegensatz von Land und See im VöIkerrecht der Neuzeit. in 】 S ミミ , G き、ミ、ミ , ~ 0 ミ os. S. 408 ー 409. ( 8 ) Ebenda. S. 409. ( 9 ) Ebenda. S. 414. ( 川 ) Ebenda. S. 417. ) Ebenda, S. 407. ) Ebenda, S. 406. ( ) 「不承不承の加速者、ないし、西半球の問題」。 C. Schmitt. Beschleuniger wider Willen, oder: Pr0blematik der westli-
岩波書店 / 既刊・電子書籍・雑誌 ( 月刊・季刊 ) ほか 好評 既刊 ア心読人す選田さ代 永 説ンに者に。ぶ淳れ表〇 かを 田 足の 三ロくも、じ歌長づる〇 和 り 、長め集女け女年 なへ宏 芝 1 決必年てそ・る性八 いて 。定ずの読れ永そ歌月 版や愛むぞ田の人一 れ紅作・ のた 田 にの品河日 編三か野 と 者歌ら裕こ の . あ ′子 の人、子の 書が夫は歌 . 世をか 永 た 下一永を遺 ろ五田去し 触 で し〇和って れ 工〇宏た 紅歌河 ッ首 、 0 き 編 セあ長い代 集野 ィま男ま短 付を永愛を 四六判・上製カバー・ 344 頁本体 1800 円 978 ー 4-0 圓 22094-1 C0092 国劇一般・図書館日本文学詩歌 ・岩波文庫く 2 冊〉「文語訳旧約聖書 1 律法」・・・価格 1 。 8 。円「文語訳旧約聖書Ⅱ歴史」・・ 価格 138 。円・岩波新書く 4 冊〉「希望のつくり方」玄田有史・・・価格 820 円「イスラーム圏で 働く一暮らしとビジネスのヒント」桜井啓子編・・・価格 780 円「原発プロバガンダ」本間龍・・・価格 820 円 「憲法と政治」青井未帆・・・価格 84 。円・岩波ジュニア新書く 1 冊〉「大統領でたどるアメ リカの歴史」明石和康・・・価格 88 。円・岩波科学ライブラリーく 1 冊〉「バンダーネコをかぶった 珍獣」く生きもの〉〔カラー版〕倉持浩・・・価格 1500 円・岩波少年文庫く 1 点 2 冊〉「アラビアン・ナ イト」 ( 上・下 ) ディクソン編 / 中野好夫訳・・・価格各 720 円 * 8 月 1 8 日以降 . 順次配信 / 詳細は小社ホームページをこ覧ください / 表示価格は税別 0 いつも . どこも『広辞苑』 ケータイ , スマートフォン . iPhone でも「広辞苑」がこ利用頂けます月額 = 100 円 ( 税別 ) http:〃kojien.mobi/ ※本案内中の各種のこ案内に対してお送りいただいた個人情報は , 当該物の発送および小社のマーケティングに利用させていただきます . あー 8 月の省子藉文庫・新亭シニア新亭科学ライプラリ 一少年文庫を毎月定期配信 /
梅田百合香 六五一年 ) をセルデンに献本したときからとされ ( 2 ) 、それ以 一はじめに 来二人は親しい友人となり、セルデンが一六五四年に亡くな いまでも一般には「ピュ ーリタン革命」と呼ばれるイング るまで親密な友情を保った。なお、両者はそれ以前から面識 ランドの内戦では、議会軍が勝利し、一六四九年に国王チャ はあったという見解もあるが ( 3 ) 、少なくともホッブズのほ ールズ一世が処刑された。この一六四〇年から六〇年までの うはすでに一六三〇年代、早ければ一六二〇年代初頭にはセ 内乱期と空位期に、イングランドではヘブライ学研究が勃興ルデンのことを知っていた。一六一一二年ごろ、ホッブズはウ した。こうしたへプライズム復興という潮流のなかで、一七 ィリアム・キャヴェンディッシュの秘書として、貿易・植民 ン 世紀イングランド最大のヘブライ学者として知られるのが、 地建設会社のヴァージニア・カン。ハ ニーに参加していたが、 法律家で下院議員でもあったジョン・セルデン ( 一五八四ー一 セルデンはこのカン。ハ ニーの法律顧問だった。また、ヴァー セ と六五四 ) である ( 1 ) 。 ジニア・カンパ ニーの中心メンバーは、フォークランド子爵 ズ プ同時代の考古家・伝記作家のジョン・オープリ ( 一六一一六ー ルーシャス・ケアリ ( 一六一〇ー一六四一一 I) が主宰する学問サー ホ一六九七 ) によれば、セルデンはトマス・ホッブズ ( 一五八八ー クル「グレイト・テュ ・サークル」のメンヾ ーと多くが重 一六七九 ) の名は知っていたが、直接知り合いになったのは、 なっており、ホッブズはおそらくカンパ ーへの参加が縁と ホッブズがフランス亡命から帰国して『リヴァイアサン』 ( 一 なって、グレイト・テュー・サークルに紹介され、参加者と ホッブズとセルデン 自然法とヘブライズム
たい誰なのかという間いを提起する。唯一の現実の敵より 「自分は、自分が《現実の敵に向かって》前進す。へきか否か、 も多くの敵を持っことは、内的な分裂性の徴候ではないの あるいは国王が自己の将軍の行為に有罪の判決を下すか否 か ? 敵は、われわれ自身のあり様を形づくる問題なので か、についての判断を国王から待っている」ということを ある (unsre eigne Frage als Gestalt) ( ) 書いている。ヨルクは、この両方ともを同じ忠実な帰依で もって予期する。そして有罪の場合には「戦場におけると 友と敵とを明確に区別すること、これは自己そのもののあ 同様に、盛り砂の上に置かれて弾丸に撃たれること」を覚 り方を決める決定的な問題なのであり、その点において、二 悟していた ) 。 正面に異なる敵を設定したのはサランの決定的な誤りであっ たとシュミットはいうのである。びるがえってみれば、二つ ナポレオンとロシアとの板挟みになったプロイセンにおい の敵の間にあって、真の敵はいずれかというこの問いは、ナて「現実の敵」、真の敵はいずれであるのか。ヨルクとクラ ポレオン戦争時のプロイセンの将軍ヨルク・フォン・ヴァル ウゼヴィッツの答えは前者であり、彼らは反逆の罪を負う覚 テンブルク (Johann David Ludwig Graf Yorck von Wartenburg. 悟でプロイセン国王に真の敵ナポレオンとの闘争への決断を 1759 ー 1830 ) が直面した問題であった。 求めたのである。 ヨルクは一八一一年プロイセンの混成旅団を指揮してい 4 一一つの敵概念ーー・現実の敵と絶対的な敵 た。そしてこの混成旅団はナポレオンの同盟軍として、フ かくして問題は、敵の概念に帰着する。なんとなれば戦争 ランスの将軍マクドナルの軍隊に所属していた。一八一二とその意味は敵とその性格、つまりは敵対関係の本質をどの 年一二月、ヨルクは敵方に、すなわちロシア側に投じ、ロ ように考えるかに帰着するからである。 シアの将軍フォン・ディーピッチとタウロッゲン条約を結 んだ。この討議および締結に際して、フォン・クラウゼヴ 戦争の理論においては、戦争にその意味と性格を与える ィッツ中佐がロシア軍側で軍使として協力した。ヨルクが敵対関係を区別することがつねに重要である。戦争を枠づ 一八一三年一月三日に自分の国王および最高司令官に宛て けしあるいは限定するというす。へての試みは、次のような た書簡は、有名な歴史的な記録となった。このことは正当意識をもたねばならない。すなわちーー戦争の概念との関 である。このプロイセンの将軍は、非常な慇懃さをもって係においてーー敵対関係は第一次的概念であるという意識
まやーー一九六二 の結合、パルチザン戦争に敗北したフランスの経験を総括す仲間、祖国、神に対して約束したが、い ることになったのである。 一九五八年五月に聖なるものとして与えられた約 一九五六年一一月にサランはアルジ = リアのフランス派遣束されたす。へてが、だまされ奪われたのだと思うというこ とを述。へる以外に、論証することができなかった朝。 軍最高司令官に任命される。 ( 民族解放戦線 ) と対峙す るサランは五八年五月一五日に「ドゴール支持」を表明する。 サランは「国家に対して国民を、合法性に対してより高次 アルジェリアの解放戦争を契機とし、現地軍隊の本土侵攻と クーデターというかたちで本国にまで波及しようとしていたの正統性」に訴えた。それはもともと彼が支持していたドゴ ールが共和主義的合法性に対置して主張していた伝統的・国 内戦の危機は、現地軍の支持を利用したドゴールの政権復帰 によって収拾されることになった。だがサランたちの期待に民的な正統性を、後に一八五八年九月の国民投票によってド ゴールが共和主義的合法性の方に寝返った後に、あらためて 反してドゴールはアルジェリアに主権を無条件で委譲する。 いわばパルチ ドゴールの裏切りに対してサランたちは一九六一年一月、秘主張しようとするものであった。だが彼の 密軍事組織 ( ) を創設し叛乱を起こす。四月二五日の段ザン的なーー、非正規的な戦いを、たんなる非合法的行動では なく、高次の国民的な「正統性」に基づく行動たらしめる上 階で叛乱は鎮圧されるが、その後も O はアルジェリアな らびにフランス本国においてテロ行為を繰り返し、サランはで、サランには決定的な弱点があった。 一九六二年四月に逮捕され軍事裁判にかけられることになる。 戦争宣言はつねに敵宣言である。このことは自明のこと めインドシナおよびアルジ = リアでの植民地戦争とパルチザン 求 である。このことは内戦宣言の場合にはますます自明であ 戦の経験に基づいて、サランはいわば本国フランスに対して を ス る。サランが内戦を宣言した時、彼は事実上二つの敵宣一一 = ロ 。ハルチザン戦争をしかけようとしたのであった。こうしてサ モ を行ったのである。すなわちアルジェリア戦線に対しては ノランはパリの高等軍事法廷で、共和国の合法的秩序に対する 正規的および非正規的戦争を続けることを、フランス政府 地反逆を間われることになる。 に対しては非合法的および非正規的な内戦を始めることを、 である。この二重の敵宣一言を考察すれば、サランのおかれ サランはこれに対して、一九五八年五月一五日に、自分 新 た状況が手詰まりとなっていたことがきわめてはっきりと 自身は当時の合法的政府に反対して、ドゴール将軍を助け 分かる。二正面作戦というものはす。へて、現実の敵はいっ て権力を得させたということを、また、当時、自己の良心、
さりとて本来非合法的ではなく、ただ自らの危険において、 でパルチザンは登場していたのであった。 ただし、ナポレオン戦争後のウィーン体制によってヨーロその意味で「危険負担的 (riskant) 」に行為するのである」龜 ) 。 このようにパルチザンは、古典的国際法・戦争法の枠外の ッパの古典的国際法がひとまず再建されたことによって、そ ッパにお「非正規の闘争者」であることをその本質とするのであるが、 れ以後、第一次世界大戦の全期間を通じて、ヨーロ いては古典的な正規の戦闘が首位を占め、パルチザンは副次そこから「高度の政治的性格」というパルチザンのいま一つ の特徴が導き出されてくる ) 。もともと「パルチザン」 (Par- 的現象にとどまっていた。 すでに一九〇七年一〇月一八日のハーグ陸戦規則において t 一 san ) という言葉は「党派」 ( partei) に由来し、党派への加担、 リーについて正規の戦闘員と政治的な闘争者たることをその本質とする。この点において、 非正規的戦闘者の特定のカテゴ しての権利と特権 ( 捕虜・負傷者となった場合の待遇等 ) を認め海戦法規における海賊とは対照的な性格をもっている。すな ていたが、第二次大戦後の一九四九年八月一二日の四つのジわち、私的掠奪を目標とする海賊が、基本的に「非政治的」 ュネープ条約はこれをさらに拡大して、陸戦・海戦におけるな存在であり、法の立場から見ればたんなる犯罪者にとどま るのに対して、。ハルチザンは何らかのかたちで闘争や戦争を 傷病者や捕虜の待遇、戦時における文民保護を規制している。 ここでは正規戦闘員の範囲が拡大されて、「組織的抵抗運動」遂行し、政治的に活動する党派ないし集団との結びつきを示 の構成員を民兵・義勇兵として扱うことが定められた。またしている ( 四。その限りにおいて、自己の危険負担において 私的な戦争を遂行する「官許海賊」とも異なっている。 これと連動して「軍事占領」の制度に変化がもたらされる。 め以前であればパルチザンとして鎮圧の対象とされていた占領 パルチザンは、それを、陸戦の官許海賊と見なすには、 求地での抵抗運動者たちは、たんに「組織されている」という ス 指標のみで正規の戦闘員と同様のーー捕虜・負傷などの際の何か別種のものである。そのことに関して、陸地と海洋と モ これまで、陸 の本然的な対立は依然として非常に大きい 取り扱いが求められるようになった。その限りにおいて、 の 地と海洋との国際法的な対立を基礎づけてきたところの、 地少なくとも理論の上では、いわゆるパルチザンの抵抗活動を 戦争、敵、戦利品についての伝来の相違は、ある日、工業 な含めた占領軍に対する抵抗を「非合法ではない」とみなすこ 技術的進歩のるつばの中で簡単に消失するということがあ 新とが可能になった。もとより、占領軍がパルチザンの抵抗に るかもしれない。しかしさしあたりは、。、ルチザンは、相 対して「報復的措置」を行うことは正当として認められてい 。。、レチザンま、 変わらず真の土地の一片を意味している る。その限りにおいてパルチザンは「本来合法的ではないが、
点とする論理にもとづいている。死を恐れず、自爆ベルト 三テロとの戦争という非対称的戦争 で死ぬ覚悟のテロリストが出現したことで、近代の抑圧体 以上の指摘はベトナム戦争やアフガニスタンやイラクやシ 系と刑法の全体が無意味になったかに見える。 リアでの戦争、さらにはイスラエル・。ハレスチナ紛争を考え ーディストは戦闘員でもない。戦闘員とは戦争法に ーで、敵国の戦 る上での鍵を提供してくれる。それぞれの賭け金は異なるに 関する国際条約で定義された法的カテゴリ せよ、これらの武力紛争には共通点がある。いずれも、軍事闘員は「正しい敵」、対等なアルター・エゴとして認めら 力ではるかに優位にある大国でも、終らせることがきわめて れる。この論理では、戦闘はあるところまで「儀式化」さ れる。だが、 武器をもたない一般市民に引き金を引き、地 困難な紛争であることだ。これを「非対称戦争」と呼ぶを。 このタイプの戦争の例から、アメリカの政治学者プライア 面にびれ伏し嘆願する人の息の根を止め、戦闘のときが来 ン・オレンドはすでに二〇〇七年の論文「戦争後の正義」 ると卑怯にも自爆するジ、 ーディストは、古典的な戦闘員 ( s s 、 Be ミ ) で、「テロとの戦争」に関し上で説明したよ とは似ても似つかない。 問いを立てていた。 うなルソーの問題系にきわめて近 ギュンター・ヤコプスが「敵味方刑法」朝と呼ぶスー ー刑法の誘惑には抵抗しなければならない。二〇〇一年の 久 When do wars actually end? 》「いったいいっ戦争は実際 米国愛国者法 ( patr 一 ot Act) が創造した「非合法戦闘員」と に終るのか」 ( 。 う新しいカテゴリーをつくってテロリストを戦闘員との 争フランスの法学者フランソワ・サン日ポネは、ウェブ上の る思想誌ト Vie des s に最近発表した論考「テロリズムに類比で扱ってもならない。要するに、近代が時間をかけて つくってきたカテゴリ ーの分類、すなわち一方に権利と自 対抗する例外状態の法制化 ? 」で次のように問題を提起して 由によって枠づけられた刑法があり、他方に一世紀半の努 想 思 力によって整備された拘束力がある規範をもっ武力紛争法 政 ーディストによるテロリズムの特殊性を見定める努 〔戦時国際法〕があるが、両者の区別をかき乱してはならな の ーディストのテロリストを対象とす 一カが必要だ。テロリストは犯罪者でも「古典的」な意味で 第三の道は、ジハ 、犯罪を対象とする刑法も国際 の戦闘員でもない。犯罪者ではないというのは、彼らが死 る特別法をゼロからっくり を恐れず、死を望んでさえいるからだ。「伝統的」犯罪者法である戦争法も汚染しないようにすることだ。 は死を恐れていた。近代の刑法体系は死刑を犯罪防止の頂
110 対概念は不介人である。けれども立ち人って検討してみると、介人は、往々にして。ハターナルな要素とそれ以外の要素を混 自覚的な選好形成や選択を支援したり、あるいはそのための 合している。かりにもし政府の介入が、もつばら人々の自己 討議空間を提供したりする政府介入は、いわゆるパターナリ 判断力を介助するのみで、それ以外の温情的な要素を一切も ズムではない。・ドウウォーキン [Dworkin 1972 】 69. 77 ー 78 」たないとしよう。しかしそれでも問題は残る。人々は例えば、 の定義では、。、 ノターナリズムとは、ある善を意図している人タバコをめぐって自律的な判断に到達するとしても、自らの たちによって、それ自体としては認識されていない善を達成「意志の弱さ」を克服できず、結果として禁煙したい人も喫 するために強制手段を用いることである。この定義に従えば、煙しつづける結果になるかもしれない。自律的判断力を鍛え 人々が自分たちにとってなにが善いのかを知らない場合、あても意志を鍛えなければ、各人は自身の厚生水準を高めるこ るいは、善いものをどのように達成するかを知らない場合に、 とはできない。以下に検討するように、。、 ノターナリズムを避 ハターナルな介人は正統化される。ところが人々の意志の弱 ける政府介人を展望する立場、すなわち、主体化型リべラリ さを調整するための介人は、。、 ノターナリズムではない。その ズムや熟議民主主義の理想は、いずれも問題を抱えている。 ような介人は、自分の判断を他者の判断に代替するのではな これらはいずれも、高次のリバタリアン・ ハターナリズムに く、自分の判断そのものを促進したり養成したりするものだ よって、包摂ないし補完される可能性がある。まず主体性を からである「 Ros ( b 三一 2005 】 384 」。それゆえ保険制度の導人や促す「主体化型のリべラリズム」から検討してみよう。 熟議を促す制度の提供は、パターナリズムではないというこ 例えばオランダでは現在、 リバタリアン ハターナリズム とになる。 の発想に導かれて、乳がん検診が行われている。政府 ( 厚生 むろん具体的な場面では、。、 ノターナルな介人とパターナル省 ) はその際、乳がん検診を促すために、五〇歳から六九歳 ではない介人を区別することは難しい。例えば意志の弱さをまでの女性にパンフレットを送り、検診を受けたおよそ九 克服するために、タバコの広告を制約するという介人は、一九・五 % の女性は乳がんにかかっていないという結果を伝え 方では、タバコの広告に煽られるべきではないという他者のている。ところが実態を調。へた報告によると、一〇年間で乳 判断を優先するものであるが、他方では、過剰な広告を減らがんによる死から救うことができたのは二〇〇〇人中一人に すことで、人々の自律的で冷静な判断を促すことにも資する。すぎず、二〇〇〇人中一〇人は不必要にがんであると診断さ こうした介人は、各人の判断を政府の判断に代替すると同時れ、胸の一部を切除されたり放射線治療を受けたりしたとい に、各人の自律的な判断を支援し促進する。このように政府 う。また二〇〇〇人中二〇〇人は、がんの可能性があると誤