国際社会 - みる会図書館


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1. 月刊 新聞ダイジェスト 2015年10月号

戦後 R 年 式典では、この 1 年間でつ、『核兵器のない世界』 日安保真摯な議論を市長「平和理念揺らぐ」 死亡が確認された原爆死没の実現に向けて、国際社会 者 3373 人の名前が書かの核軍縮の取り組みを主導 爆長崎は 9 日、米軍が原爆を投下してから間年の「原爆の日」を迎え、長崎市の平和公園で平和 れた原爆死没者名簿 4 冊がしていく決意を新たにし 原祈念式典が開かれた。田上富久市長は平和宣言で、国会で審議が進む安全保障関連法案に言及し、 目崎 奉納された。奉納された死た」と表明。今年秋の国連 政府と国会に「慎重で真摯な審議」を求めた。安倍晋三首相は、 6 日の広島の式典で触れずに批 回長 没者総数は万 8767 人総会に新たな核兵器廃絶決 判を浴ひた「非核三原則」を「堅持する」と述べた。一方で、式典後の記者会見で安保関連法案 になった。被爆者健康手帳議案を提出する考えを示し は「必要不可欠」と改めて強調した。 所持者は全国で万 351 た。広島でのあいさつに対 式典には被爆者や遺族ら験と戦争の反省の中から生府には核抑止力に頼らない抜いていくために必要不可 9 人 ( 3 月末現在 ) 。平均する批判を踏まえ、首相は 約人が出席。過去まれ、長崎にとっても、日安全保障の検討や被爆者援欠」と主張。「国民の意見年齢は・歳。 7 日の衆院予算委員会で 最多となるカ国の代表も本にとっても、永久に変え護の充実、被爆者健康手帳に真摯に耳を傾け、丁寧に 【樋口岳大、下原知広】「長崎の式典ではこの文言 出席し、米国からはガテマてはならない原点」と強調。が取得できる被爆地域の拡説明していく」と述べた。 ( 毎日 8 ・川 ) ( 非核三原則 ) は入ってい ラ国務次官が政府高官と安保関連法案については大を求めた。 ると承知している」と答弁 していた。【加藤明子】 して初参列した。出席者は祠年前に心に刻んだ誓い安倍首相は、式典後の会首相「非核 = 一原則堅持」 ( 毎日 8 ・川 ) 原爆投下時刻の午前Ⅱ時 2 が、日本国憲法の平和の理見で、被爆地から安保関連 分から 1 分間、黙とうをさ念が、今揺らいでいるので法案への懸念の声が上がっ安倍晋三首相は 9 日、長かったため、被爆者団体や さげた。 はないかという不安と懸念たことへの受け止めを聞か崎市で開かれた平和祈念式野党から批判が出ていた。 田上市長は、平和宣言でが広がっている」と指摘しれ「 ( 法案は ) 戦争を未然典のあいさつで「非核三原首相はあいさつで「世界 「日本国憲法における平和た。また、各国首脳に被爆に防ぐためのもので、国民則の堅持」を明言した。 6 で唯一の戦争被爆国とし の理念は、つらく厳しい経地訪問を呼びかけ、日本政の命と平和な暮らしを守り日の広島市の式典で触れなて、非核三原則を堅持しつ た方々にも、筆舌に尽くしの核軍縮の取り組みを主導年秋の国連総会に新たな核今年、被爆者の平均年齢 長崎平和祈念式典首相あいさっ ( 要旨 ) 難い苦難の生活をもたらししていく決意を新たにし兵器廃絶決議案を提出すが初めて八十歳を超えた。 引き続き保健、医療、福祉 た た 復興を遂げた長崎の街を核拡散防止条約 (z 十一月には「バグウォッにわたる総合的な援護施策 原爆の犠牲となった数多あの日投下された原爆に見渡す時、あらためて平和 e) 再検討会議では最終合シュ会議」世界大会が長崎を進める。特に原爆症の認 くの方々の御霊 ( みたま ) より、長崎の地が草木もなの尊さをかみしめている。意に至らなかったが、核兵で開催され、来年には先進定については、一日も早く に謹んで哀悼の誠をささげい焦土と化してから七十年世界で唯一の戦争被爆国と器国と非核兵器国双方の協七カ国 (c 7 ) 外相会合が認定されるよう審査を急 る。被爆の後遺症に今なおがたった。当時、七万ともして非核三原則を堅持しつ力を求めつつ、「核兵器の広島で開催される。被爆地ぐ。 ( 東京 8 ・川 ) 苦しむ方々に衷心よりお見いわれる尊い命が奪われつ、「核兵器のない世界」ない世界」の実現に一層のからわれわれの思いを国際 舞いを申し上げる。 た。惨禍の中、生き永らえの実現に向けて、国際社会努力を積み重ねていく。今社会に力強く発信する。

2. 月刊 新聞ダイジェスト 2015年10月号

ことにもわけがある この間、国内のみならず欧米の学者 政府として反省や謝罪を示しても、 も過ちの「偏見なき清算」を呼びかけ・ 閣僚らがそれを疑わせる発一一〔を繰り返た。世論調査でも過半数が「侵略」な・ す。靖国神社に首相らが参拝する。信どを盛り込むべきだとの民意を示した。・ = 何のために出したのか 頼を損ねる原因を日本から作ってきた。そもそも閣議決定をしようがしまい・ いったい何のための、誰のための談め、その反省とアジアの諸国民へのお が、首相の談話が「個人的な談話」で 目を疑う迷走ぶり 話なのか わびを、率直に語ったことだ。 済むはずがない。日本国民の総意を踏 安倍首相の談話は、戦後間年の歴史一方、安倍談話で侵略に言及したの謝罪を続けたくないなら、国際社会まえた歴史認識だと国際社会で受け取 総括として、極めて不十分な内容だった。は次のくだりだ。 から偏った歴史認識をもっていると疑られることは避けられない 侵略や植民地支配。反省とおわび。 「事変、侵略、戦争。いかなる武力われている安倍氏がここで潔く謝罪し、それを私物化しようとした迷走の果 安倍談話には確かに、国際的にも注目の威嚇や行使も、国際紛争を解決する国民とアジア諸国民との間に横たわるてに、侵略の責任も、おわびの意思も・ ・されたいくつかのキーワードは盛り込手段としては、もう一一度と用いてはな負の連鎖を断ち切るーー 。こんな決断あいまいな談話を出す体たらくである。・ ・まれた。 らない」 はできなかったのか 政治の本末転倒 しかし、日本が侵略し、植民地支配それ自体、もちろん間違いではない。 それにしても、談話発表に至る過程 をしたという主語はぼかされた。反省しかし、首相自身が引き継ぐという村山で見せつけられたのは、目を疑うよう国会での数の力を背景に強引に押し・ やおわびは歴代内閣が表明したとして談話の内容から明らかに後退している。な政権の一一転三転ぶりだった。 通そうとしても、多くの国民と国際社・ ・間接的に触れられた。 日本の大陸への侵略については、首安倍氏は首相に再登板した直後から会が共有している当たり前の歴史認識 この談話は出す必要がなかった。い 相の私的懇談会も報告書に明記してい 「幻世紀にふさわしい未来志向の談話を覆す無理が通るはずがない や、出すべきではなかった。改めて強た。侵略とは言わなくても「侵略的事を発表したい」と表明。村山談話の歴史首相は未来志向を強調してきたが、 くそう思う 実を否定できない」などと認めてきた認識を塗り替える狙いを示唆してきた。現在と未来をより良く生きるためには・ 村山談話以前の自民党首相の表現からそんな首相の姿勢に中国や韓国だけ過去のけじめは欠かせない。その意味 「村山」以前に後退 も後退している。 でなく、米国も懸念を深め、首目よ、 本。しで、解決が迫られているのに、いまだ 談話全体を通じて感じられるのは、 おわびについても同様だ。 ったんは閣議決定せずに個人的談話の残された間題はまだまだある 自らや支持者の歴史観と、事実の重み首相は「私たちの子や孫に、謝罪を色彩を強めることに傾く。 最たるものは靖国神社と戦没者追悼 との折り合いに苦心した妥協の産物で続ける宿命を背負わせてはなりませそれでは公式な政府見解にならない の問題である。安倍首相が年末以来 あるということだ。 ん」と述べた。 と反発した首相側近や、公明党からも参拝していないため外交的な摩擦は落 日本政府の歴史認識として定着して確かに、国民の中にはいつまでわび異論が出て、再び閣議決定する方針に。ち着いているが、首相が再び参拝すれ きた戦後年の村山談話の最大の特徴続ければよいのかという感情がある。節目の談話の扱いに全くふさわしくなば、たちまち再燃する。それなのに、 い悲惨な迷走ぶりである。 は、かっての日本の行為を侵略だと認他方、中国や韓国が謝罪を求め続ける この間題に何らかの解決策を見いだそ よみくらへ①戦後間年談話 読みくらべ社説集 14 を

3. 月刊 新聞ダイジェスト 2015年10月号

戦後 R 年 主張。「謝罪外交」を疑問 中国をけん制する際、首相を海外に派遣し、軍事的貢「満州事変、そして国際連由として「国際秩序への挑正当化に利用した。 がよく使 ) 2 「い回しだ。献を拡大する積極的平和主盟からの脱退。 ( 第一次世戦者となってしまった過また、安倍談話では「あ視してきた首相の本音が表 そして、首相は価値を共義は首相の持論。今国会で界大戦後の ) 『新しい国際去」を挙げ、国際的な孤立の戦争になんら関わりのなれたといえる。村山、小泉 こま謝罪をやめるよう 有する国々とともに「積極成立を目指す安全保障関連秩序』への挑戦者となって化回避を強調した。 い子や孫、その先の世代談話↓ ( = = 的平和主義」の旗を高く掲法案にもつながる。 いった」と指摘した。「積自らの一一 = 〕葉で語った数少に、謝罪を続ける宿命を背な表現はなかった。 ( 東京 8 ・ ) げていくと訴えた。自衛隊首相は先の大戦に関して極的平和主義」を進める理ない歴史認識を安倍路線の負わせてはなりません」と 戦後間年話 ( 全文 ) ~ 終戦七十年を迎えるにあたり、先の人々は「平和」を強く願い、国際連盟 戦後七十年にあたり、国内外に斃尊厳を傷つけられた女性たちがいたこ 一大戦〈の道のり、戦後の歩み、一一十世を創設し、不戦条約を生み出しまし ( たお ) れたすべての人々の命の前とも、忘れてはなりません。 ~ 紀という時代を、私たちは、心静かにた。戦争自体を違法化する、新たな国に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すと何の罪もない人々に、計り知れない ともに、永劫 ( えいごう ) の、哀悼の損害と苦痛を、我が国が与えた事実 一振り返り、その歴史の教訓の中から、際社会の潮流が生まれました。 歴史とは実に取り返しのつかない、苛 当初は、日本も足並みを揃えまし誠を捧 ( ささ ) けます。 ~ 未来への知恵を学ばなければならない た。しかし、世界恐慌が発生し、欧米 先の大戦では、三百万余の同胞の命烈なものです。一人ひとりに、それぞ 一と考えます 百年以上前の世界には、西洋諸国を諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経が失われました。祖国の行く末を案れの人生があり、夢があり、愛する家 中心とした国々の広大な植民地が、広済のプロック化を進めると、日本経済じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に族があった。この当然の事実をかみし がっていました。圧倒的な技術優位をは大きな打撃を受けました。その中で散った方々。終戦後、酷寒の、あるいめる時、今なお、言葉を失い、ただた 背景に、植民地支配の波は、十九世日本は、孤立感を深め、外交的、経済は灼熱 ( しやくねっ ) の、遠い異郷のだ、断腸の念を禁じ得ません。 これほどまでの尊い犠牲の上に、現 紀、アジアにも押し寄せました。その的な行き詰まりを、カの行使によって地にあって、飢えや病に苦しみ、亡く 危機感が、日本にとって、近代化の原解決しようと試みました。国内の政治なられた方々。広島や長崎での原爆投在の平和がある。これが、戦後日本の 動力となったことは、間違いありませシステムは、その歯止めたりえなかっ下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖原点であります。 ん。アジアで最初に立憲政治を打ち立た。こうして、日本は、世界の大勢を縄における地上戦などによって、たく 一一度と戦争の惨禍を繰り返してはな て、独立を守り抜きました。日露戦争見失っていきました。 さんの市井の人々が、無残にも犠牲とらない は、植民地支配のもとにあった、多く満州事変、そして国際連盟からの脱なりました。 事変、侵略、戦争。いかなる武力の のアジアやアフリカの人々を勇気づけ退。日本は、次第に、国際社会が壮絶 戦火を交えた国々でも、将来ある若威嚇や行使も、国際紛争を解決する手 ました。 な犠牲の上に築こうとした「新しい国者たちの命が、数知れず失われまし段としては、もう一一度と用いてはなら 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を際秩序」への「挑戦者」となっていった。中国、東南アジア、太平洋の島々ない。植民地支配から永遠に訣別 ( け 経て、民族自決の動きが広がり、それた。進むべき針路を誤り、戦争への道など、戦場となった地域では、戦闘のつべっ ) し、すべての民族の自決の権 までの植民地化にプレーキがかかりまを進んで行きました。 みならず、食糧難などにより、多くの利が尊重される世界にしなければなら した。この戦争は、一千万人もの戦死そして七十年前。日本は、敗戦しま無辜 ( むこ ) の民が苦しみ、犠牲とな 者を出す、悲惨な戦争でありました。した。 りました。戦場の陰には、深く名誉と 先の大戦への深い悔悟の念と共に、

4. 月刊 新聞ダイジェスト 2015年10月号

うという政治の動きは極めて乏しい 国民や近隣諸国民が高齢化するなかで 一部の軍人の独走を許し、悲惨な戦ちを表明してきた」として、村山談話 慰安婦問題は解決に向けた政治的合解決が急がれる問題は足踏みが続く。争の発端を日本が作ったことを忘れてなどの見解に改めて言及した。さらに、 意が得られず、国交がない北朝鮮によ いったい何のための、誰のための政はなるまい 「こうした歴代内閣の立場は、今後も、 る拉致問題も進展しない。ロシアとの治なのか。本末転倒も極まれりである。首相は記者会見で、「政治は歴史に揺るぎないもの」と明記している 北方領土問題も暗礁に乗り上げている。その責めは、首相自身が負わねばな謙虚でなければならない。政治的、外 ゆが 女性の人権を尊重せよ 出す必要のない談話に労力を費やしらない。 ( 朝日 8 信 ) 交的意図によって歴史が歪められるよ たあげく、戦争の惨禍を体験した日本 うなことは決してあってはならない」 今回の表現では納得しない一部の近 と語った。 隣諸国もあろう。それでも、反省やお ということに 的を射た発言である。 詫びに触れなくていい、 「侵略」の客観的事実を認めることはなるまい 歴史の教訓胸に未来を拓こう は、自虐史観ではないし、日本を貶欧米諸国を含む国際社会全体に向け 反省とお詫びの気持ち示した めることにもならない。むしろ国際社て、現在の日本の考え方を発信し、理解 先の大戦への反省を踏まえつつ、新らない」との表現である。「先の大戦会の信頼を高め、「歴史修正主義」とを広げることこそが大切な作業である。・ ・たな日本の針路を明確に示したと前向への深い悔悟の念と共に、我が国は、 いった一部の疑念を晴らすことにもなその意味で、安倍談話が、戦後の日・ ろう ・きに評価できよう。 そう誓った」とも記している。 本に手を差し伸べた欧米や中国などに 戦後間年の安倍首相談話が閣議決定首相が「侵略」を明確に認めたのは談話では、「植民地支配」について、対する感謝の念を表明したことは妥当・ ・された。 重要である。戦後年の村山談話、戦「永遠に訣別し、すべての民族の自決だろう。 談話は、日本の行動を世界に発信す後年の小泉談話の見解を引き継いだの権利が尊重される世界にしなければ 「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名 ・る重要な意味を持つ。未来を語るうえものだ。 ならない」という表現で触れた。 誉が深く傷つけられた過去を、この胸 で、歴史認識をきちんと提示すること 1931 年の満州事変以後の旧日本談話は、国内外で犠牲になった人々に刻み続ける」との表現は、慰安婦を ・が、日本への国際社会の信頼と期待を軍の行動は侵略そのものである。自衛に対し、「深く頭を垂れ、痛惜の念を念頭に置いたもので、韓国への配慮だ。・ 高める。 以外の戦争を禁じた年の不戦条約に表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧談話が表明したように、「幻世紀こ 首相談話。。 こよ、キーワードであるも違反する げる」と記した。 そ、女性の人権が傷つけられることの 特に、引年川月の関東軍による中国ドイツ首脳の言葉を一部踏襲したもない世紀とするため、世界をリードす 「侵略」が明記された。 東北部・錦州攻撃は、民間人に対するので、村山談話などの「お詫び」に相る」ことが、今、日本に求められている。・ 「侵略」明確化は妥当だ 無差別・無警告の空爆であり、ハーグ当する表現だ。首相の真剣な気持ちが談話は、戦争とは何の関わりのない 「事変、侵略、戦争。いかなる武力陸戦規則に反する。空爆は、上海、南十分に伝わる 世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせ の威嚇や行使も、国際紛争を解決する京、重慶へと対象を拡大し、非戦闘員談話は、日本が先の大戦についててはならない」とも強調している。 手段としては、もう一一度と用いてはなの死者を飛躍的に増大させた。 「痛切な反省と心からのお詫びの気持この問題に一定の区切りをつけて、・ 新聞 けつべっ こうべ えいごう おとし ささ

5. 月刊 新聞ダイジェスト 2015年10月号

戦後 R 年 なく しら恩 にるる政記っ容よれと会で大事心国と心韓 とすあ。 にさ意国争多的と韓害と ( 対の周 相僚年代から「おわび」表明 代 」」 0 一一 000 0 = 00 000 。 歴閣 つでにうな金 細川氏、「侵略戦争」明言 る違見配い切 ( っ多切表誌 間会支と痛言た痛をの のを高コ磊 害し共あす 誕わ却任地た、、 2 宙 よ発当おけ外談 安倍晋一一首相が発表した戦後七十年談話に盛り込まこなー れた村山富市首相談話のキーワード。「おわび」や 閣るぐわ惑れ相 、し首 「反省」を首相談話に使ったのは一九九五年の村山氏やぐ除 めを中ごび国 話争々わ仲 が初めてだが、戦後の早い段階から、時の内閣が近隣 韓間省国いがいと会際らる鮮耐こわののつ国損をら統民ら併 談戦種お来 日期反中っ ( わと府者国けす朝りたおで先あ韓の実か大植舌か国 諸国との関係改善を目指し、国際社会に発信してい 相 相 相 外 助長 首 首 た 之庁 栄 ( 関口克己 ) 本の こ・達議 日国 角 喜 恵 碕審 悦 戦後十年の一九五五年。となった。実業家出身の高先 中 沢 渕 名 田 宮 鳩山一郎内閣は、インドネ碕氏は、その後も閣僚を歴 経 ~ 年月豈、年月 . 謇年月年月、 シアで開かれたアジア・ア任。中国との貿易交渉を進 ( こ 0 ) 、 ! っ u 8 こ 8 フリカ会議 ( バンドン会め、経済分野の交流発展で たかさき 議 ) に、閣僚の高碕達之助七一一年の日中国交正常化の 経済審議庁長官を派遣。高礎を築いた。 碕氏は、当時は国交がなか日本と韓国の関係では六鈴木善幸首相。八一一年の記起こした戦争を「間違った。戦後五十年の村山談話 った中国の周恩来首相と五年、佐藤栄作内閣の椎名者会見で「国際的には侵略た戦争」と明言し、直後にと六十年の小泉純一郎首相 会談し、戦争で甚大な被害悦三郎外相がソウルを訪問であるという厳しい評価が国会の所信表明演説とい談話は、細川氏が使ったキ を与えたことに「心からした際、日韓両国の間にあるのも事実で、政府としう公式の場で「侵略行為や 1 ワードを用いている。 ( 東京 8 ・ ) おわびしたい」と表明し「不幸な期間があった」とても十分認識する必要があ植民地支配」を認め「深い して「深い反省」を表明。る」と述べた。同様の認識反省とおわび」を表明 この会議は、日本がアジ六月に日韓基本条約が結ばは、後継の中曽根康弘首相した。 も示した。 細川氏は今年七月、本紙 アの一員に復帰した場。まれ、国交正常化した。 だ強い反日感情が残ってい先の大戦を日本による「侵略戦争」と明一言したのインタピュ 1 で「私の心 もりひろ たが、高碕氏の「おわび」「侵略」とする周辺国の考のは九一一一年の細川護熙情は間違いなく、村山談話 は中国との関係改善の糸口えを初めて受け入れたのは首相。就任会見で日本がに引き継がれた」と語っ 中曽根康弘 首相 首 護 細 (Y) 8 8 0 2010 年 : 8 月 菅直人首相

6. 月刊 新聞ダイジェスト 2015年10月号

声があった。平成川年の日中共同宣一一一〔などを追及する歴史戦を展開してきた。戦争の惨禍を繰り返さないとの祈り今後も、揺るぎないものだ」と受け継 には村山談話が明記されるなど、首相曲解に基づく攻撃もためらわない にとどまらない国民の生命と国家のぐことを言明した。 の選択肢が狭められていた側面もある。政府は、反論と史実の発信を止めて名誉が損なわれないよう努める覚悟が この部分は評価するが、気になるの・ 首相は「国際紛争を解決する手段とはならない。 欠かせない は個々の文言の使い方だ ・しては、もう一一度と用いてはならな終戦の日、追悼とともに間われるの国民を萎縮させる謝罪外交に終止符首相が、七十年談話を出すに当たっ い」と日本が誓ったこととして、「事は、祖国や家族を守ろうと戦地に散っを打っことに、首相は重い責任を負って参考となる意見を求めた有識者会議 ( 産経 8 ・ ) 変」「戦争」とともに、「侵略」を挙げた。 た人々に、今を生きる日本人が何を約た 「一一十一世紀構想懇談会」の報告書は・ すかだろう 「満州事変以後、大陸への侵略を拡大」 「歴史戦」に備える時だ と具体的に言及したが、安倍談話では・ 首相は侵略について、具体的な定義 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の ・は歴史家に委ねるとしつつ、全体とし 威嚇や行使も、国際紛争を解決する手・ - ' 真の和解とするために てはこれらを認め、おわびに言及した。 段としては、もう一一度と用いてはなら・ 重要なのは、この談話を機会に謝罪戦後日本の平和と繁栄は、国内外で ない」という部分だけだ。 村山、小泉談話は継承 外交を断ち切ることだ。 の膨大な尊い犠牲の上に、先人たちの 侵略主体、明確でなく 「国際政治と謝罪のリスク」の論文も努力で勝ち得てきたものだ。戦後七十安倍首相はこれまで、歴代内閣の立 この表現だと、侵略の主体が日本な・ ある米ダートマスカレッジのジェニフ年の節目に、あらためて胸に刻みたい。 場を「全体として引き継ぐ」とは言い アー・リンド准教授は「謝罪は和解の安倍晋一一一首相はきのう戦後七十年のながらも、「今まで重ねてきた文言をのか、国際社会一般のことなのか、明・ 前提ではない」との指摘を重ねてきた。首相談話を閣議決定し、自ら記者会見使うかどうかではなく、安倍政権とし確にはなるまい 一九三一年の満州事変以降の日本の 歴史で政府が謝罪すれば国内に反発で発表した。 てどう考えているのかという観点で出 が生じ、改めて相手国の不信を高める。戦後五十年の一九九五年の終戦記念したい」と述べるなど、そのまま盛り行為は明らかに侵略である。自衛以外・ の戦争を禁止した一一八年の不戦条約に 結果として、より大きなマイナスをも日には村山富市首相が、六十年の一一〇込むことには否定的だった。 たらす。まさに日本の謝罪外交の構図〇五年には小泉純一郎首相が談話を発戦後七十年の「安倍談話」で、「村も違反する。アジア解放のための戦争 である。 表している。 山談話」「小泉談話」の立場はどこまだったという主張も受け入れがたい。 中国、韓国は今後、歴史問題をカ 1 その根幹部分は「植民地支配と侵で引き継がれたのか 安倍首相が、有識者による報告書の ドにすることをやめるべきだ。談話の略」により、とりわけアジア諸国の安倍談話は「わが国は、先の大戦にようにかっての日本の行為を「侵略」 表現を材料として、日本をおとしめ、人々に多くの損害と苦痛を与えた歴史おける行いについて、繰り返し、痛切と考えているのなら、一般化したと受 いっそうの謝罪など不当な要求は許さの事実を謙虚に受け止め「痛切な反省な反省と心からのお詫びの気持ちを表け取られるような表現は避け、日本の れないし、応じられない。 こ行為と明確に位置付けるべきではなか と心からのお詫びの気持ち」を表明し明してきた」として村山、小泉談話。 中韓は間年の節目に日本の戦争責任たことにある。 言及し、「こうした歴代内閣の立場は、ったか。 読みくらべ社説集 ( 当

7. 月刊 新聞ダイジェスト 2015年10月号

年 3 回の更新 最のニュースがわ、る 安保法制 憲法改正 票の格差 農協改革 原発再稼働 2015 年度予算 国際テロ文 2 つの新銀行 好評発売中 ! 7 現役新聞記者 多数執筆 第第、産な・秘ツん・物ま物 6 勢物 5 年明別冊号 躡事《。問 日 2017 年度対応 号 知っておきたい話題や基本の 130 用語を網羅 この 1 冊で 巻特集 新聞で学ぶ「ニュースの常識」 小論文・面接・資格対策も完璧 月刊新聞ダイジェスト 1 5 年 8 月別冊号 定価 1300 円 ( 税込 ) 信頼されて 15 年 年 3 回の更新で 情報充実 など 巻頭特集 新聞で学ぶ『ニュースの常識』 集団的自衛権と日本の安保法制 政府・与覚が想定する成立までの流れ 5 月 26 日 家院本会て・議人り 27 日 東厩特第麈員会で実質を議入り 特別委て週 3 日物度第 6 月 24 日 会期支 下毎 東厩通過 . 参険第第人り 別委て番講 7 月末 ~ 8 月上第 民主克などは、「平和・法の相幹にかかわる 非常に問題のある法案た」などとして対決 姿勢を第明にしている。 国会は、梁両院とも与覚が議第の過半 数を占めておリ、数の上では与覓が有利な 情勢たか、世論が大きく割れている一要法 案たけに、与も、社速な議という印象 を避けるため、丁寧に説明し、議論を尽く す構えに このため、 6 月 24 日の当初の会期末まで に法案か参院で可決、成立することは考え にくく、政府・与克は、 15 年通常国会の会期を大、に延長する方針な 政府・与見としては、 6 月下旬までに衆険を通過させて参院に送リたい考えを参院で特別 委員会の議が融調に進めは、「お休み」前の 7 月末か 8 月上旬には院で可決できるとみて、 国会会期を 8 月上旬まで延期するシナリオが想定されている。 安全保第関連法案の概要 法を名 平和安全法第 自を第法 整法第 改正・制定のポイント 自を物として活動する米第なとの防第や . 海外 でテロなとに巻き込まれた日本人の教出を可能に 国一平和第持活動 (PKO) 国道主体の PKO とは貨なる有志道合による人道復 興支や治安第持への参加、駆け付け響・を可能に 協力法 周辺事第法から名変更 . 日本の平和に第要な影響 ・要影響事第法 を及ほす事第であれは日本周辺に限らす自によ る米車などへの後方支援を可能に 検査活動法 国際的な船能検査活動への参加を可能に 武力攻撃事を法から名物変更 . 第団的自権の行使 武力攻撃・を立電機事第法 が可能なー存立危機事第」を新たに規定 米車等行動円化法 存立他機事・を画用対象に加えるなと - 部を改正 特定公共施設料用法 外国第用品等海上第送規第法 ま取りい法 国家安全保第会第 (NSC) 有立危機事第への対第をの・第事項として道 国達決議に基づいて活動する米第や多国籍車に対す 国一平和支覆法 る自隊の後方支援を望時可能に ( 査新聞加 15 年 5 月ん日 ) 会期第長 「日本人の命と平和な砂らしを守るため」一一物える目的は同したが、手段や方法論 を巡って、意見は真っ向から対立している。巧年 5 月、国会で安全保関連法案の第 議が始まった。集団的自新権の限定的な行使を可能にすることなどを盛リ込み、新たな 日米防新協力の指針 ( ガイドライン ) の前提となる一要法案に「日本の安全保物政策 の歴史的転」ともいわれる戸政府・与党は、「一国のみで安全を守ることはできない 時代た」との前提に立ち、日米同盟の強化こそが、他国に戦争を思いとどまらせる止 力の向上につながると主張する。そのために、平時から有事まで切れ目なく自隊と米 第が協力できるようにする新しい法律が必要たと訴える . これに対して、民主党などは、 自新隊の海外活動にま止めがかからなくなり、自を隊員の安全か確保できなくなるなど と反発して、対決姿勢を強めていを賛否の隔たリは大きく、国会の会期は大物に延長 される見通した。 1 . 新法である国際平和支援法案で日本か出東るようになることとは ? 2. 平和安全法制整法案のポイントは ? ◆集団的自衛権の限定的行使を可能に◆ 一般には、まとめて「安全保物関連法案」と耳はれるが、実は、「国際平和支援法第」と「平 和安全法制整備法案」の ~ 本立てになっている。 このうち、国第平和支覆法第は、新しい法律を定めるための法案たか、平和安全法制整物法 第は、すでにある 10 の法律を一括して改正するための法案た。整理すると、関連する法体は、 新しく定める法律が改正する法律が 10 になる。 新しく定める国際平和支援法案は、国連の決第に基づいて海外で活動する多国第に対して、 自衛宿が水や燃料を提供したり、物資を運んだりする「後方支援」ができるようにするものだ。 これまでは、こうした後方支援を行うた めに自新隊を海外に派道するには、そのつ 個別的自高権 集団的自第権 ど、特別な法律を作る必要があつな国第 平和支援法が施行されれは、首相が国会の 承認を得れば、そのつど特別な法徒を作ら なくてもよくなリ、これまでより短期間で 自新隊を派道できるようになる。 平和安全法制第・法案は、自新憲法など 取存のの法物を改正する内容だ。周辺 事態法を一要影・事態法にするなど、名杯 も変える法律もある . 改正のポイントは、「集団的自新権」の行 ※本の環行法を まとめて改正する一第法高 8 月上匐 ? ( 験第第・い第 5 月〃日 国第平和支援法案 ※新規立法 ◆「歴史的な転換」は成立するのか◆ 安全保第関道法案は、「日本の安全保第政策の歴史的転」といわれるはどの一要法案とあっ て、国会だけでなく、世論も賛否が大きく制れている . 質否の背景には、「歴史的転農」をする必要性があるかないかの第第の道いと、「歴史的転」 によって発生するかもしれないリスクに対する認第の道いがあるようだ . 政府・与は、日本の近第第国が車事的な行動を活発化させる中で、載争を思いとどまらせ るための止力を強化することか欠かせないと必要性を強調する。 中国は、第事力を急遽に拡大しておリ、 1 5 年の国防予第は、中央政府分たけで約 17 兆円と、 日本の防鹵関係費の 3 倍以上に膨らんでいる。海洋へのを出も強めておリ、尖関物島周辺での 領海入も続いている。 北朝鮮は、数百発ともいわれる強道ミサイルを持ち、日本の大半を射程に入れている。核開 発の疑念も晴れない . 日本周辺の空域も第張が高まっておリ、 14 年度に自隊機が第急発を ( スクランカレ ) した 回数は、 IO 年前の約 7 倍の 3 回に急増した。 一方、反対派は、行き過ぎた「転検」か近諸国の第と第張を沼き、かえって日本の安全 を脅かす可能性があると主張する。 法案の員体的な内容を巡っても、自新物の活動範囲が広がれば、自新洋員が危険にさらされ、 安全が確保できなくなる可能性が強まるなどの懸念を指物している。 国会の内外で、日本を取リ巻く国際情勢の判断から、自新隊員の具体的な装働まで、激しい 議論かくことになリそうた。 使を定的に認めたことだ。日本と密接な関係にある同盟国が武力攻第を受けた場合、以下の 条件で、自衛隊か同一国と協力して反第することを可能にする内容た。 条件は、日本の存立か脅かされ、国民の生命や利が相底から一される明白な危険がある場 合で、他に適当な手段がないときに限って、合理的に必要とされる融度までにとどめる - ーーと なっている。 員体的には、中東・ホルムズ海に数設された機電を除去する物海作第、日本人の避■者を 第せたアメリカを船の防・、アメリカに向かう強道ミサイルの迎撃などが想定されている。 政府は、長年にわたって、「集団的自衛権の権利は有するが行使はできない」という・法解駅 をけていた。直法 9 条の下で許される「必要最小限度の実力行使」の新囲を超えると判断し てきたためた。しかし、 14 年 7 月の関議決定で、それまでの・法解駅を変更し、条件を満たし た場合にって限定的に認めることにした。 また、 15 年 4 月には、日米両政が新たな日米防協力の指針 ( ガイドライン ) を決定し、 集団的自権の限定的行使に伴う員体的な協力の内容か盛リ込まれた。 ◆国会での審講はどう進むのか◆ 政府は、 1 5 年 5 月 14 日に安全保陽関物法案を関第決定して、 1 5 日に衆院に提出した。衆第 は円日、法案を第講するための特別員会「平和安全法制物別委員会」の設置を決めに 26 日には、本会強で・言説明が行われ、 27 日には、平和安全法制特別委員会での・議が始 まった。 政府・与覚は、特別委で週 3 日程度の審議を行い、 15 年の通常国会で成立を図る方針たが、 反撃 日本の存立が 育かされる時に限リ攻 1. 多国籍第に対して自面が水や料の提供など「後方支援」ができる 2. 「第団的自新権」びメラ使を限定的に認めること 21

8. 月刊 新聞ダイジェスト 2015年10月号

我が国は、そう誓いました。自由で民などの兀捕虜の皆さんが、長年にわたできる。それは、先人たちのたゆまぬけます。だからこそ、我が国は、いか り、日本を訪れ、互いの戦死者のため努力と共に、敵として熾烈 ( しれつ ) 主的な国を創り上け、法の支配を重ん なる国の恣意 ( しい ) にも左右されな じ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまに慰霊を続けてくれている事実を に戦った、米国、豪州、欧州諸国をは 、自由で、公正で、開かれた国際経 いりました。七十年間に及ぶ平和国家戦争の苦痛を嘗 ( な ) め尽くした中じめ、本当にたくさんの国々から、恩済システムを発展させ、途上国支援を としての歩みに、私たちは、静かな誇国人の皆さんや、日本軍によって耐え讐を越えて、善意と支援の手が差しの強化し、世界の更なる繁栄を牽引 ( け べられたおかけであります。 りを抱きながら、この不動の方針を、難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、 んいん ) してまいります。繁栄こそ、 それほど寛容であるためには、どれほ これからも貫いてまいります。 そのことを、私たちは、未来へと語平和の礎です。暴力の温床ともなる貧 我が国は、先の大戦における行いにどの心の葛藤があり、いかほどの努力り継いでいかなければならない。歴史困に立ち向かい、世界のあらゆる人々 が必要であったか。 ついて、繰り返し、痛切な反省と心か の教訓を深く胸に刻み、より良い未来に、医療と教育、自立の機会を提供す らのお詫 ( わ ) びの気持ちを表明してそのことに、私たちは、思いを致さを切り拓 ( ひら ) いていく、アジア、るため、一層、力を尽くしてまいりま きました。その思いを実際の行動で示なければなりません。 そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。 す。その大きな責任があります。 すため、インドネシア、フィリピンは寛容の心によって、日本は、戦後、 私たちは、国際秩序への挑戦者とな 私たちは、自らの行き詰まりをカに じめ東南アジアの国々、台湾、韓国、国際社会に復帰することができまし ってしまった過去を、この胸に刻み続 中国など、隣人であるアジアの人々がた。戦後七十年のこの機にあたり、我よって打開しようとした過去を、このけます。だからこそ、我が国は、自 歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦が国は、和解のために力を尽くしてく胸に刻み続けます。だからこそ、我が由、民主主義、人権といった基本的価 後一貫して、その平和と繁栄のためにださった、すべての国々、すべての方国は、いかなる紛争も、法の支配を尊値を揺るぎないものとして堅持し、そ 力を尽くしてきました。 々に、心からの感謝の気持ちを表した重し、カの行使ではなく、平和的・外の価値を共有する国々と手を携えて、 こうした歴代内閣の立場は、今後いと思います。 交的に解決すべきである。この原則「積極的平和主義」の旗を高く掲け、 も、揺るぎないものであります。 日本では、戦後生まれの世代が、今を、これからも堅く守り、世界の国々世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢 ただ、私たちがいかなる努力を尽くや、人口の八割を超えています。あのにも働きかけてまいります。唯一の戦献してまいります。 そうとも、家族を失った方々の悲し戦争には何ら関わりのない、私たちの争被爆国として、核兵器の不拡散と究終戦八十年、九十年、さらには百年 み、戦禍によって塗炭の苦しみを味わ子や孫、そしてその先の世代の子ども極の廃絶を目指し、国際社会でその責に向けて、そのような日本を、国民の った人々の辛 ( つら ) い記憶は、これたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせ任を果たしてまいります。 皆様と共に創り上けていく。その決意 私たちは、一一十世紀において、戦時であります。 からも、決して癒えることはないでしてはなりません。しかし、それでもな よう。 お、私たち日本人は、世代を超えて、 下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深 平成一一十七年八月十四日 ですから、私たちは、心に留めなけ過去の歴史に真正面から向き合わなけく傷つけられた過去を、この胸に刻み 内閣総理大臣安倍晋三 ればなりません。謙虚な気持ちで、過続けます。だからこそ、我が国は、そ ればなりません。 ( 産経 8 ・ ) 戦後、六百万人を超える引揚者が、去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任うした女性たちの心に、常に寄り添う 国でありたい。一一十一世紀こそ、女性 アジア太平洋の各地から無事帰還でがあります。 の人権が傷つけられることのない世紀 き、日本再建の原動力となった事実私たちの親、そのまた親の世代が、 を。中国に置き去りにされた三千人近戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中とするため、世界をリードしてまいり い日本人の子どもたちが、無事成長で、命をつなぐことができた。そします 私たちは、経済のプロック化が紛争 し、再び祖国の土を踏むことができたて、現在の私たちの世代、さらに次の 事実を。米国や英国、オランダ、豪州世代へと、未来をつないでいくことがの芽を育てた過去を、この胸に刻み続 戦後 R 年

9. 月刊 新聞ダイジェスト 2015年10月号

せいち も、精緻な天気予報に基づいて広域的策が出るたびに追加投資を迫られるだた「ご当地電力」が各地に誕生した。太 消えるヘースロード に融通させることで、需要に見合うよろう。廃棄物の処理や立地のための交陽光発電に偏っている問題や、買い取 うにしている。今後は、変動する電力付金制度、事故時の賠償金などを積みり価格を見直す課題はあるが、自給で 今回の再稼働に先立つ、て、政府は 2 030 年時点の電源構成目標を決定し、需要にあわせて柔軟に供給をコントロ上げていくと、原発は「割に合わなきて温暖化防止にも役立っ電源を伸ば 25 % という水準にお 1 ルする技術が世界の電力ビジネスの い」電源であり、新しい電力システムそうという機運は、着実に育っている。 原発の比率を 0 いた。新たに原発をつくるか、相当数カギになると見られている の中では成り立たない事業であること当面は支援が必要だが、送電網への の老朽原発の寿命を延ばさないと達成日本も、遅まきながら電力改革に着が見えてくる。何より、国民の過半数接続といったインフラが整って普及す できない数字だ 手した。今国会で仕上げとなる法律もが「原発を使わなくてすむ社会」を望れば、今より安くて持続的な電源とな . る可能性が高い 関西電力の八木誠社長 ( 電気事業連成立した。 2020 年までに 3 段階でんでいる 合会会長 ) は先月末の会見で「 ( 建設改革を進める。再エネを含めた多様な もちろん、再エネを主軸とした分散 再エネ築く覚悟を 中の 3 基を含む ) 基の原発を相当数電源やサービスが公正な条件のもとで 型エネルギー社会を築くには、時間も . 稼働していく必要がある数字だと理解競い合い、消費者が選んでいく。そん政府がいま取り組むべきは、再稼働かかるし、曲折もあるだろう。国民の している」と語った。国と電力会社は原なエネルギー社会に変わることが期待を重ねて原発を主軸に戻していくこと覚悟もいる。高い電気料金を受け入れ 発回帰を既定路線にしようとしている。されている。 ではない。一時的に原発に頼るとしてなければならない時期があるかもしれ も、老朽原発や安全面に疑問符がつくない 原発の位置づけは「べースロード電 割に合わない電源に 源」だ。「発電コストが安く、出力が 原発から優先的に廃炉にすると同時に、 それでも、福島での事故で、私たち・ 安定しているので昼夜を問わず運転を原発を支えてきた地域独占や、経費再エネを育てていくことである。自然は原発の怖さを知った。新しいエネル・ 続ける電源」だという。 をそのまま消費者に転嫁する料金制度環境から見て、九州は最適地の一つだ。ギー社会に向かう原点はそこにある。・ ( 朝日 8 ・リ しかし、先進国ではべースロードともなくなる。「安い」とされてきた原この間、再エネの固定価格での買い取 いう概念自体が消えつつある。風力や発だが近年、建設や運営にかかるコスり制度が始まり、地域の特性を生かし 太陽光などの再生可能エネルギーをでトは世界的に上昇の一途だ。 ・きるだけ受け入れ、原発や火力発電は、世界有数の原発メーカーであるフラ 再エネによる発電が少ないときの調整ンスのアレバは新設原発のコストが膨 原発依存社会に戻すな 弁へと役割を変えている。 らんで経営が行き詰まり、政府が救済 人々の暮らしを一変させた東京電力での初の稼働である。政府も電力会社 こうした運用を可能にしているのが、に入った。不正会計に揺れる東芝も、 電力改革だ。 強化してきた原子力部門が経営の重荷福島第 1 原発の過酷事故から 4 年 5 力もこれをモデルケースに既存の原発を 月。九州電力が鹿児島県の川内原発 1 順次再稼働していく心づもりだろう。・ 欧州では送電部門を発電部門から分になりつつある しかし、あれだけの事故を経てなお原 離・独立させ、一元的に管理・運用し国内の電力各社は追加の安全対策に号機を再稼働させた。 ている。天候に左右されがちな再エネ 2 ・ 4 兆円を見込む。今後も新しい対事故後に策定した新規制基準のもと発と向き合う政府の本質的な姿勢は変 毎回

10. 月刊 新聞ダイジェスト 2015年10月号

明であろう。 稼働への弾みとなることを期待したい が、後続は寂しい 資源のない日本にとってエネルギ 1 稼働増やし国力再生を 同 2 号機の再稼働が川月中旬に期待さ安全保障の生命線である核燃料サイク 首相は規制委の改革を急げ れるものの、 3 番手の四国電力・伊方 3 号ルを円滑に回すためにも原発再稼働の 2 年近くもの「原発ゼロ」にようや関西電力の大飯 3 、 4 号機が停止した機 ( 愛媛県 ) の復帰は年を越えそうだ。 加速が必要だ く終止符が打たれた。 平成年 9 月以降、ゼロ状態だった。 関西電力・高浜 3 、 4 号機 ( 福井震災後に迷走した原子力政策は重要 九州電力・川内原子力発電所 1 号機電力不足への不安がっきまとう猛暑県 ) は、再稼働への条件がほぼ整ってな国内間題だが、同時に、日米原子力 ( 加圧水型・出力万キ。じの再稼働でのさなかにおける、待望のべース電源 いるが、地裁から運転差し止めの仮処協定や海外諸国への安全技術の提供な ある。ⅱ日午前から炉心の制御棒を引の主役の復活だ 分を受けているので見通しが立ち難いどを通じて、国際社会と不可分の関係 き抜く、原子炉の起動操作が行われた。 確かな前進ではあるが、これは国内原子力発電の本格復活への足取りのにあることを忘れてはならない。これ 東日本大震災を受けて導入された新にある全鳴基中の 1 基にすぎない。九重さは、日本経済にとって深刻だ。経は、安倍首相が国民に語りかけなけれ 規制基準の下での、初の原発再稼働で電が規制委に新基準への適合性審査を済産業省の「エネルギー白書」は原発ばならない重要な部分である。 あり、 1 号機にとっては 4 年を超える申請したのは、年 7 月のことだ。 ゼロなどによる電気代の上昇が家計や エネルギーは国の基盤だ。首相が原 長い停止期間を経ての起動である。 審査は当初、半年ほどとみられたが、企業経営を圧迫していると指摘した。子力利用の必要性を明確に示さなけれ 竜巻による飛来物対策のほか、機器最短の川内原発でさえ 2 年以上を要し安倍晋一一一首相は、原発再稼働の遅れば物事は進まない 冷却用の海水ポンプを津波から守る防た。九電が提出した申請書は 4 万ハー近が成長戦略の障害となっていることを規制委の改革も待ったなしである。・ 護壁設置などを行い、原子力規制委員くに達した。規制委は常識的な時間軸強く認識すべきだ。 法律でも設置から 3 年以内の見直しが・ 会によって基準を満たしていることがを確立し、効率性を高める必要がある 定められている。 9 月がその期限だ。安 原子力の意義は多様だ 読められた。 「 3 ・リ後の早い段階で、各原発 倍首相には理にかなった規制行政を目・ に重大事故への補強策が施されたこと 川内原発再稼働への反対意見は根強指し、改革の号令をかけてもらいたい。 前進だが足取りは重い を踏まえ、運転を続けながら、さらなく、巨大噴火の可能性を問題にするも 規制委は、独立性の高い国家行政組 地元の薩摩川内市や鹿児島県の同意る安全対策と適合性審査を並行させるのもある。だが、現実味のない「ゼロ織法の「 3 条委員会」だが、事業者の ・も得た再稼働だ。関係者の取り組みに べきだった。 リスク」前提の反対論では議論が成立意見に耳を貸さず押し切ってきた感が・ 深く敬意を表したい。 そうすれば、火力発電の燃料輸入のしない。情報不足で不安を抱く人々にある。これには法的間題を指摘する声・ 日には 1 号機からの電気が送電線肥大も、電気料金の上昇もなく、電力対しては、国が前面に出て理解を促すもあり、今のままでは訴訟も起き得よ・ に流れるようになり、徐々に出力を上会社は余裕を持って対策工事に専念でよう注力することが望まれる う。不毛な事態の回避にも規制委の見 ( 産経 8 ・リ ・げて 9 月からフル出力の営業運転に移きたはずである。この間の川兆円を超高い目標値を掲げた一一酸化炭素削減直しは欠かせない ・行する見通しだ。 える国富流出は回避できていただろう。の国際約束を守る上でも、安全性を高 国内の原発は、暫定的に動かされた 川内原発 1 号機の復活が、他原発再めた原発の活用が欠かせないことは自 156 :