ツィッターのフォロワーである胸中に広がっていく不吉な予感をどうす先輩はふっと長い前髪をかき上げた。「ぼ くは人間の営みというものが未だなにも *BITC 工「はビッチちゃんに相違ないることもできなかった。 そして、不吉な予感というのは、往々わかってないのですー とか、講義のときにいつも自分の近くに 「でも、こんな店に週に三日も四日も遊 すわってくるとか、聞いているだけで一 にして当たる。都合先輩の場合も、御多 びにきたらお金がめちゃくちやかかるの 発食らわして目を覚ましてやりたい気分分に洩れなかった。 になった。ビッチちゃんが落としたビア盛りのついた猫のようにビッチちゃんはわかるやろ ? 悪いことは言わんけ スを後生大事に持っているとカミングアにノボせあがった都合先輩は、三日にあん、もうやめとき」 ウトしたときには、一同背筋が凍りつくげずそのキャパクラに通い詰めた。親か「自分は貧しさへの恐怖感はあっても、 らの仕送りを一週間で使い果たすと、ほ軽蔑感は、無いつもりでいますー 思いであった。 「へんなところからお金とか借りてない 「ぼくが最後ゃね」気を取り直して都合うぼうで金を借りまくった。 先輩が語りはじめる。「ぼくとビッチち文学部日本文学科の都合先輩は、太宰よね ? そんなことしたら、とんでもな おさむ ゃんは、ビッチちゃんのバイト先で知り治に心酔する者である。高校時代に『人いことになるけんね」 おおばようぞう あった。ちょうど去年の今頃やった。就間失格』を読んでからは、大庭葉蔵すな「自分はいったい俗にいう『わがままも 職活動で OQ 訪問をしたら、その人に気わち太宰のような不器用で破滅的な生きの』なのか、またはその反対に、気が弱 に入られてね。飲みに連れていってくれ方に憧れを抱いていた。しかし根が真面すぎるのか」 た。で、一一軒目に行ったところがビッチ目なので、強引にビッチちゃんを口説く「良男さんはわがままやないよ。ほんと こともできない。 にいいお客さんやと思う。口説いてこん ちゃんが働いとったキャパクラやった」 ある日、とうとう見るに見かねたビッ し、時間がきたらさっと帰るし」 全員がごくりと固唾を呑んだ。 「神に問う。信頼は罪なりや」 「ぼくの一目惚れやった。ビッチちゃんチちゃんが注意をした。 はああ見えてどこか古風で、不幸の影が「ねえ、良男さん、お店にきてあたしを「ううん、罪やないよ」ビッチちゃんは ある。大学の学費もぜんぶ自分で稼いど指名してくれるのはうれしいけど、お金都合先輩の手を取り、につこり微笑ん だ。「でも、いまのうちからこういう遊 るしね。たぶん、ぼくはそこに惹かれた」は大丈夫と ? 「恥の多い人生を送ってきました」都合び方をしたらいかんよー 有象くんと無象くんはうなずいたが、 くど だざい 120
がいいわけではないのに、周りにはいってさー な。お前頭いいから、大学行ってどこか も人が集まった。俺もその中の一人だ。 「そういうことなの ? 」 に就職するのかなとは思ったけど」 困ったことがあるといつもマナプをあて俺に怒っているわけではなかったの 「そう。俺の希望はそうだったんだけ にしたし、実際ずいぶん助けてもらつで、少しホッとした。 ど、親父はそれが気に入らなくってさ。 た。マナプの言うことを聞いていれば、 「そうだよ。子供の頃は家継ぐのかなつ中学の時からぶつかってたんだよ。高校 大抵のことは間違いなかった。幼稚園かて思ってたんだよ。長男だしな 受験の時、親父に普通科に行きたいって ら仲が良かったのだが、何の取り柄もな「まあ、普通に考えればな」 言ったら、農業高校じゃなくてもいいけ い俺とはあまりにも違った。仲がいいの 「でも継ぐのが嫌になって親父に反抗ばど、卒業したら後を継げつて言われて が不思議なくらいだった。 かりしてたんだよ。中学生くらいになるさ。俺、こういう交換条件出す奴、大っ と、少し世間のことがわかってくるよ嫌いでさ。でも、文句一言ったら普通科に 「何であんまり帰って来なかったんだな。そうするとさ、いろんな可能性も見も行けなくなるかもしれないから、納得 よ ? 」 えてくるわけよ。家を継いだらずっとこしたフリしたんだよ いなか 「まあな。いろいろあってさ。お前知らこから出られない。こんなど田舎で一生「なるほど。そんなこと言われてたのか ないのか ? 」 が終わると田 5 うと、ゾッとしたんだよ。 「そうそう。自分は大学出てるくせに、 「知らないよ。マナプの七不思議ってやこんなこと言うと、お前に悪いんだけど信じらんねえよ」 つだ」 さ」 マナプは積み上げた段ボールを開け、 「フツ、七不思議か。そんなかっこいい マナプがしんみり話す。確かに、マナグレーのパーカーを引っ張り出すと、毛 もんじゃないよ」 プはこんなど田舎で終わるような奴じゃ玉だらけのセーターを脱いで着替えた。 ない。 「じゃあ、何で ? 」 「お前んち、両方大学出てるもんな。だ 「うるせえんだよ ! 」 「お前、それで中三の時、最初の期末テからお前も頭いいんだよな。束示の有名 マナプが突然大きな声で言うので、俺ストボイコットしたのか ? 」 私立大学なんか出ちゃってさ。俺なんか は自分が怒られたと思ってビクッとした。 とは大違いだ」 「ああ。まあな : : : 」 「親父がうるせえんだよ。この家継げつ 「うーん、よくある農家の後継者問題だ 「そんなことないさ。俺、相当努力した 89 あの頃トン子と ( 抄録 )
そでは見向きもせずに言う。 いたい」 ろと押しかけてきた父兄は互いに貌馴染 あいさっ 「余所行きは間に合ってますー 「なにを ? 」 みだから、にこやかに挨拶を交わしてい 父親の宗右衛門も豊勝一門のお浚いを「去状に決まってるじゃないー る。そでは誰とも付き合いがない。ちか 耳にしたようで昨日、ちかに三味線を、 「それはまた、いずれそのうち」 に言ったとおり、奥の隅にすわった。ち そでに余所行きを届けていた。 父親の宗右衛門が寄越した余所行きかが借りてきた着物は地味だから人目を 「それで、なんだって、三日後に東井でも、万太郎が持参した余所行きもそれはひかない。置き忘れられた人形のように 豊勝一門のお浚いがあり、ちかもみんな立派な、人目を集める着物だった。 ぼんやり座っていた。 の前で三味線を弾くんだって」 だが、その前に、ちかがまあ並みの着「弁当は三人前つくったんだろうなあ」 「誰に聞いたのさ」 物をそでの前に広げていった。 そう声をかけて万太郎が横にすわる。 「この辺はもともとおれの縄張りだ。、 力「貸衣装屋さんで借りたの。損料はわたそではきっと眉を上げて言う。 キの頃から付き合っているやつも少なくしが働けるようになったら支払います、 「なにしにきたのさ」 ない。何人かに当たったんだ。すると、 命を賭けて支払います。そういったら、 「自分の子供の晴れ姿だ。見にきてなに ちかがおめえに顔を出してもらいたいが三日ですが ) 借りることができました。 が悪い」 ために、頭を悩ませているとおおよそのおっ母さん、お願いだから、お浚いにき「自分の子供 ? よく一一 = ロうよ」 ところは分かった」 てください」 「まあまあ」 こうるい 「分かったからってなんなのよ。余計な紅涙を絞るというと大袈裟だが、涙な そこで言い争うわけにもいかず、一一人 かたく お世話よ。用はすんだようだから、さっ がらに頭を下げられると、さすがに頑なはお浚いがはじまるのを待った。 さとお帰り」 だったそでも折れざるを得ない。 紋蔵もその日は休みを取って、東井に 「借りた銭と余所行きはここにおいてい「弁当をつくっていきましよう。ただ顔を出し、そういえば見なれぬ夫婦がき く。じゃあなあ」 し、新顔だから、奥の隅だよ」 ていると、横目で見ながら、前座よりも 「そうだ。忘れてた。人別だけどねえ。 「有難う、おっ母さんー みわの三味線を待った。むろん、万太郎 ついでに大家さんとこに寄って抜いてい 当日、そではちかを送り出したあと、 とそでがもともとは夫婦で縁りを戻すな ってくんない。それから一筆書いてもら弁当をつくって東井に出かけた。ぞろぞど知る由もない。 ( 了 ) かお 278
かい ? 」 で続けた。 では男の子供で、誰か優秀な者はおらぬ ふいに、階段の下に住職が現れた。桃「越前守様が、量地術を学ぶ才のある子かのう ? 」 は慌てて大きく頷いた。 供を探しているのだよ。利ロなお鈴なら住職は、やけに素直に引き下がった。 「お鈴の調子はどうだね ? 」 ば見込みがあるのではと。お師匠さんの桃は生返事をしながら、今、この会話を 並んで歩きながら、住職が平助のとこ意見を聞かせてはもらえぬか」 鈴に聞かれたら、襲いかかられても文句 ろへ向かっていると気付いた。 大岡越前守が私塾を作ろうというのだは言えない、と思った。 逃げ出すわけにもいかないので、重いろうか。教育熱心な方だとは知っていた ひたむきに学問に情熱を燃やす鈴の姿 足取りを悟られないように住職の後に続が、優秀な子供を集めて量地術を学ばせが、脳裏にちらっく。 て、どうするのだろう。 鈴の将来を思っての言葉なのですよ、 「相変わらず賢い子です。学問に熱心で 「お鈴は、己の道を定めるには、まだ若と心で唱えても、綺麗事のようにしか感 じられなくなってくる。 頭の回りもとても早い。ただ、己の気のすぎるのではないでしようか ? 」 きず うらや 強さを抑えられないのが玉に瑕でしよう いつの間にか櫓の下に着いていた。桃「お師匠さまは、鈴が羨ましいのでしょ 桃の言葉に、住職は、うんうん、と上は日の光に目を細めて、櫓を見上げて答う。鈴の才が一時の幻であればいいと思 えた。 機嫌で頷いた。 っているのでしよう。鈴が、清道先生の 録 抄 「お鈴を私塾へやる気はないかね ? 」 「確かにお鈴は学問の才のある子供でように立派になっては嫌なのでしよう」 おなご 一瞬、桃は、鈴の両親が住職に妙な希す。しかし女子です。これから生きるう いくら生意気な鈴でも、桃に対してそ し 望を吹き込んだのかと考えた。 ちに、学問など男に任せておけば良い、 んな言葉を使うはずがない。しかし桃の ま 鈴の才を桃がいつまでも認めないのと思うようになるかもしれません。その胸の中では、鈴の口調で嫌な一一 = 〕葉が後かい で、住職からも口添えをしてもらい、私時に、越前守様の私塾なんて後戻りの許ら後から湧き上がってきた。 「お春は、どうかな ? お春は学問へのさ 塾への紹介を手に入れようとしたのだろされない道が敷かれていては、本人が気 ゝ 0 の毒ですー 覚悟があるだろう。男に学問を任せよう師 たち 桃の険しい表情に、住職は慌てた様子「そうか。お師匠さんもそう考えるか。 なんて、間違っても思う性質でない」
突拍子もないことするからな。頭はいい「洋ちゃん、中に入ったら ? 」 の匂いがする。障子も真っ白だ。 けど 二階から降りてきたおばちゃんは、ち「なんだかねえ。もうお昼だっていうの 「そうそう。洋ちゃんよく知ってるもんよっと機嫌が悪そうだった。久しぶりにに。まだ寝てんだよ、うちのお殿様」 ね。マナプのこと マナプんちの居間に入った。子供の頃な おばちゃんが困ったような顔でぼや 「まあ、ガキの頃から一緒だからな。と ど、マナプがいなくても勝手に入っていく。 ころで、何で帰ってきたの ? 」 たのだが、大人になると、ちょっと遠慮「そういえば洋ちゃんち、お母さんが亡 「それがね、よくわかんないのよ。おば気味になってしまう。 くなってから大変でしよう ? 食事とか ちゃんが聞いてもはっきりしたこと言わ居間の窓から外を見てみた。子供の頃どうしてるの ? 」。 ないのよ。なんだかグダグダしちゃってと変わらない、懐かしい風景が広がる。 「俺が作ってるよ。親父は家事なんて全 なんだかホッとする。 さあ」 くダメだから」 「束示で何かあったのかな。嫁さんは ? 」 マナブんちは酪農をやっている。人を「そう。でも、洋ちゃんも結婚のこと、 おばちゃんが首をかしげてため息をつ雇い、観光客のお土産用のチーズやバタ真剣に考えた方がいいんじゃないの ? 」 いた。 ーを作ったりしている。田んぼや畑もか なるほど。それが言いたかったのか。 「さあねえ。洋ちゃんから聞いてみてなりあるし、山もいくつか持っている。 どこに行っても最終的にこの話題に突入 よ。ちょっと待ってね。今起こしてくる俺は子供の頃、マナプんちがでかい山してしまう。 から」 を持っていることに驚いた。マナプは、 「まーね。考えてるんだけどなあ : : : 」 にそくさんもん やつばり何かあったのだろうか ? 「こんな山奥の山なんか二束三文だよ」 俺は興味なさそうに、適当に受け流し 「まだ寝てんの ? 」 と言っていた。そうはいってもマナプんた。 「そうなのよ。いつも遅い時間に起きちは裕福だ。この家も相当でかくて立派「本当 ? まあ、うちのマナプも同じな て、ポーツとしてんのよ。毎日毎日」 なのだ。ちっぽけな俺んちとは大違いんだけどねえ。早く孫の顔見せてって言 わきばら おばちゃんは、パンパンと脇腹を叩きだ。 ってんだけどさ。そしたらマナプ、『孫 ながら二階に上がった。 多分、内装もリフォームしたに違いなの一人や一一人、どこかにいるかも知んね い。壁や床がきれいだし、ほんのり新品えよ。俺が気づいてないだけで』なんて とっぴょうし しようじ
「余所行きを一枚、おっ母さんに買ってになあ、おじさんは今日、機嫌が悪いんいー あげてくれませんか」 だ」 茅場町は八丁堀の北に位置しており、 「あのな」 幸兵衛のことで、まだむかついている。茅場町の北、日本橋川を背にして仮牢の 「なんですか」 「帰ってくれないか 大番屋が設けられており、廻り方の役人 「お前のおっ母さんとはなあ、とっくに 「わたしはあなたの子ではないとおっしが被疑者を連れ込んで詮索する調べ室も 縁が切れてるんだ。そんなことをする義やるのねー 五部屋ほどあった。 理はないし、するのもまたおかしなもの 「まあ、そういうことだ」 「廻り方のお役人さんとは何人か懇意に だ。おっ母さんにそう言っといてくれ 「人でなしー させてもらっている。なんなら使いを走 「おっ母さんから頼まれたんじゃないん「おっ母さんによろしくな」 らせてもいいんだぜ」 です。そうしていただけませんかと、わ「こんな情けない親だとは思ってもみな「廻り方の役人がなんだ。連中を怖がっ たしがおっ母さんに内緒で頼みにきたのかった。くるんじゃなかった」 て世渡りはできねえ。呼ぶなら勝手に呼 です」 「そうだ。二度とこなくていい」 ぶがいい。そうだ、そうしろ。それでつ 「なぜ、おまえが ? 」 「誰がくるものですか いでに、お前の元手の出所を調べてもら きびす ちかはぼろりと涙をこぼして言った。 ちかは踵を返したが、両の目には悔しおう。十両以上を盗んだら首を刎ねられ 「あなたはわたしのお父つつあんでしょ涙が滂沱とあふれていた。 る。三十両だもんなあ。首一つくらいじ う。なのにこれまでなに一つしてくれな やすまねえ。さあ、呼べ」 かった。一つくらい、わたしの願いを聞 百一文の金貸しは朝が忙しい。朝借り 五 いてくれてもいいんじゃないんですか」 て、タベに返す。ことに棒手振りなんか ゃぶ 「藪から棒に、娘だ、おっ母さんの余所「昨日、一日中親分のところで待っていは朝早くに借りなければなんともならな い。 行きをと言われてもなあ。別れたのは何たんだがねえ」 年も昔のことだから、そでだっていつま と声をかけて幸兵衛は入ってくる。万「お早う」 でも独り身でいたわけでもあるまい。お太郎は顔をしかめて言った。 「お早う」 前がおれの子だという保証はない。それ「しつこい野郎だな。ここは大番屋に近と次から次へと借り手はやってくる。 ぼうだ 268
んだ。なにしろ月は大きさを増してゆくだけなので、月の光宮中にはいることができる。ただしそういう門はもっとも重 けんど は路を白く輝かせるほど強くなった。 要な門なので、ほかの門より堅固に造られている。宮中警備 国内に残っている越兵は多くないはずだ。 の兵の多くは、その門の守りに就く。たとえその兵の数が二、 けんこんいってき 越王は国内の兵をかき集めて乾坤一擲の大勝負にでた。も三百でも、その門を破るのはむずかしい。 ともと兵の寡ない越軍が呉軍に勝っためには、攻める、とい夜が明ければ、迂回してきた越王が王宮に帰るべく、近づ う一点に工夫を集約させ、守る、という発想は最初から棄ていてくる。そう考えている子胥は、会稽に到るすべての路に しようかい ていたであろう。それゆえ攻めることに失敗すれば、越王に哨戒の兵を置いた。 しら ゅうゆうぎよさ はもはや奥の手はない、と子胥は見切り、大胆に兵を直進さ東の天空が白むまえに、子胥に近づいた右祐と御佐がほぼ せた。予想通り、この隊は途中で襲撃されることなく、夜明おなじようなことをいった。 けまえには会稽に到った。 「城壁の上にまったく火がありません。敵の兵が迫ってきた ついにここまできた。 ことを知らぬはずがないのに、明かりを消しているのは、解 呉にとって越は闇の国であり、その闇を破るのに、何年、せません。あれでは、城壁をのぼる兵がいても、発見できず、 いや何十年かかったことか。隊を停止させた子胥は、城攻め当然、撃退することができません。それとも、なにか策があ ねら を後続の軍にまかせ、あくまで越王のみを狙うつもりであっ るのでしようか」 」ヾゝ、 城内の兵が寡なければ、より多くの火を焚いて虚勢を張っ 「いちおう宮門の位置をたしかめておきたい」 てみせるものである。それをしない場合、城内の将士はなん せつこう と、いい、斥候を放った。 らかの策を講じている、とみるべきであろう。 まち 首都にかぎらず大きな邑には東西南北に門があり、住民が 「出撃があるかもしれぬ。城から目をはなすな」 住む郭にはいる門を郭門というが、そこからはいると宮殿に と、子胥が配下の兵の陣形を改めたとき、偵探の兵がもど れいめい 到るまで時間がかかる。郭内にひそむ兵と戦闘になり、まえってきた。黎明である。天空に白さがひろがったが、地はま にすすめないことがしばしばある。だが宮門もひとつだけでだ暗い。この暗い地面にかんたんに城郭の図を画いた兵は、 はなく、郭内を通らずに外にでる門があるはずなので、攻め西門に指をついて、 る側とすれば、その宮門すなわち城門を破れば、まっすぐに 「これが宮門です」 かく 172
にくくなってさ。今の奴ら、『イクメン』死んでからさ、何のために頑張ってるのよ。母ちゃんが死んでから」 とかいって、子育てや家族を大事にするかわかんなくなったよ。女房子供がいれ「そうか。よほどショックだったんだな」 よな。どこに行くにも何をするにも家族ば違うのかもしれないけど」 「俺が帯状疱疹になるならわかるけど、 単位だ。遊びに行っても、俺なんか入る「そうだな。それでさ、大学に入ったば何で親父がなったのか、わけがわかんね すきま 隙間がないっていうか、ただのおじゃまかりの頃、あんなにキラキラ輝いて見ええよ。二人暮らしになってストレス溜ま 虫になっちゃうんだよ」 た示がさ、だんだんくすんで見えるよるの、俺の方だよ。慣れない家事やらな 「お前も奥さんいるじゃないか うになってしまったんだよ。なんかこいといけないしさ」 かたまり 「まあな。正確に言うと、『いた』という、ただのコンクリートの塊みたいな「そうか。俺の場合なかなか治らなくて うことになるけど」 街っていうか : 。こうなるといデフレさ。最初、あばら骨の下あたりが痛くな マナフが苦笑いした。やつばり別れたスパイラルと同じで負の連鎖だ。何をやったんだよ。変だなと思ってたら、おっ のか。 ってもやる気が出ないし、何もかも嫌にばいの下あたりに赤いポッポツができて 「それがいろいろあってさ。うまくいかなってしまったんだよ」 さ。医者も長くかかる場合があるって言 なくなったんだよ、だいぶ前から。それ「なるほどなあ。お前もいろいろあった ってたけど、俺の場合、半年くらい体調 もあってな : ・・・こ んだな」 悪かったんだよ。それで、もう無理する 「なるほど。いろんなことが重なったっ 「まあな。でも、しばらくの間自分をごのやめようと思ってさ」 まかしながら、それなりに頑張ったさ。 「そうか。それで帰ってきたのか。お前 ていうわけか」 「そうだな。ストレスを発散する所がなそしたら円形脱毛症になったんだよ。病んとこでかい牧場だし、継ぐのも悪くな くなるわけよ。会社でも家でも。孤立す院に行ったら、ストレスだって言われたいと思うよ。何だかんだ言ったって、親 るっていうか。そうなると、何のためによ。俺、病気らしい病気したことないか父さんも喜んでると思うよ 頑張ってるのかわからなくなってしまつらショックでさ。それでも頑張ったら、 「継がねえよ ! 」 たいじようほうしん マナプが気分悪そうに言った。 たんだよ。他の連中は、子供とか奥さん今度は帯状疱疹が出ちゃった。知ってる いまさら のためって思うかもしれないけどさ」 か ? 帯状疱疹」 「今更継ぐ気なんかねえよ」 「それは俺もわかるよ。とくに母ちゃん「ああ、知ってるよ。親父がなったんだ会社を辞めて東京から帰ってきたの
なくらいにしてもらって。ありがたいで 嶋田が上半身を起こし、太い両腕を組「悪いが少し席を外してくれないか。十 すけど、ちょっと恥ずかしいです : ・ んだ。そして湯ロの眼を咎めるように見分、いや五分でいい。外で時間をーー」 こ 0 嶋田が大きな手で佐々木の肩を叩いた。 「おい、ちょっと待てや」 「なあにが恥ずかしいだ。ありがたいじ湯ロは長い息を吐いた。 嶋田が片手を上げて制した。 ゃねえか。だけど忘れるなよ。俺がおま「すまん。このところずっといろんなこ「湯ロ。おまえ、今回の捜査に入ってか えの面倒みるのもそうだが、鴨野さんが とで噂をたてられて、いいかげん嫌にならちょっとおかしいんじゃねえか。いっ そうやって可愛がってくれるのも、おまっちまってるんだ」 ものおまえじゃねえみたいだ。こいつは えがどうのっていうことじゃねえんだ。 「そうだろうな。だが、大切なのはおま見習いといっても、いまじゃ俺の相棒 親父さんのサーさんの人徳だ。俺みたいえが昇任試験の勉強しようが女と寝よう だ。いくら古い付き合いだっていって に入る前は警察とは縁もゆかりもなかっ が、組織にとっちやたいしたことじゃなも、俺はおまえより相棒を優先する。い た人間には、おまえら二世組、三世組がいってことだ。俺たちにとって大切なのまみたいな一一 = ロ葉を吐くようなら、てめえ うらや 羨ましいんだぜ」 は仕事だけだ。仕事っていうのは昇任試が帰れ」 験の勉強をすることじゃねえし、娼婦と 「はあ : : : ありがとうどざいます」 言い終わると手のひらでテープルをど 嶋田は、神妙に肯く佐々木の顔を見な寝ることでも、同僚の女性刑事と睦み合んと叩いた。三つのコップが飛び上が がら上半身を湯ロのほうへ寄せた。 うことでもねえ」 り、二つが引っ繰り返った。女将が驚い 「ところで湯ロ。おまえ、あの映美とい最後の言葉に心臓がグラリと揺れた。 てこちらを見た。佐々木は湯ロの横でう こいつ、郁と俺のことを知っているのつむいている。嶋田が本気で怒ったのを う女と親しいって聞いたが本当か」 声を落としたことにイラッとした。 湯ロは久しぶりに見た。 「誰だ、そういうこと言ってるのは」 嶋田はじっと湯ロの眼を見続けてい 引っ繰り返ったコップを元に戻し、お 思わず強い口調になった。カウンター た。先に眼をそらしたのは湯ロのほうだしぼりでテーブルの上を拭きながら嶋田 のなかの女将の視線がちらりとこちらにった。 が顔を上げた。 きた。 隣の佐々木豪を見た。 「若くても見習いでも、こいつも警官 とが むつ 352
侍詰所に何人かの家臣が入って行こう「それは、ござりますまい。これほど嫌三年 ( 一五四四年 ) の七月を迎えた頃、 としている。聞こえよがしの陰口が誰でわれておれば、たとえ長野様にお仕えし風の便りに聞こえてきた。勘助は甲斐に あるか、業正にはさすがに分かっていたとて、ひとっ働く毎に皆様のご気分を入り、武田晴信に仕えたという。 た。敢えて名指しはせず「其方ら」と呼害することは必定ですー この頃になっても幸綱は未だ箕輪にあ ばわる。 「左様にお思いなら、何ゆえここに留まった。ただ、やはり侍詰所での毎日は息 「口さがないことを申すでない。客分をつておられるー が詰まったのであろう。昨年からは城下 いおり 粗略に扱う者は、信用を得られぬ。長野幸綱は、何とも気持ちの良い笑みを見に庵を構えている。それでも日々城に上 がカは、縁組と人の信に因ることを忘れせた。 がり、業正への挨拶を欠かさなかった。 るな」 「未だ、長野様にご恩をお返ししており その幸綱が、ここ十日ばかり顔を見せ どいたいぜん すると一団から土井大膳が一歩前に出ませぬ」 ない。初秋七月、昼間は夏の暑さを残せ こ 0 報恩が済めば出て行く、ということなど、朝夕はずいぶんと冷えるようになっ 「如何にも仰せのとおり。殿が変わらぬのか。海野一族と共に信濃に帰った方ている。風邪でもひいたかと思っていた 信を置いてくださる限り、我らとて誰ひが、幸綱にとっては良いだろう。分かっ が、今日になって思いもよらぬ一報が入 った。 とり背くつもりはござりませぬゆえ」 てはいるものの、寂しいのも確かである。 いや 幸綱を高く買う己への、遠回しな厭み「人の主たることは、難しゅうござるの「幸綱の庵に、怪しき者が入るのを目に であった。業正は「当たり前だ」と返すう。いやはや、されど幸綱殿のお心持ち、致しました」 とが あかいしぶぜん のみで、咎めることをしなかった。皆がこの勘助は大いに気に入った」 家臣の赤石豊前である。一一年前、皆が おもんばか 詰所に入って行くのを見届けると、幸綱 こちらの胸中を慮ったか、勘助はそ幸綱を揶揄した時に、その場にいたひと に眼差しを流す。 う言って高らかに笑った。沈んでいた空 りであった。赤石は何を言った訳でもな 「お気になさるな : : : と申したきところ気が押し流される気がした。 いが、同じ思いだったに違いない。此度 ざんそ だが、其許がわしに仕えてくれればの 山本勘助は、十日もするとまた流れてのことも讒訴ではあるまいか。 う。さすれば、あの者たちも少しはおと行った。どこへ向かったのかは知らな「何ゆえ、怪しいと分かるー なしゅうなろうて」 い。しかし、さらに二年が過ぎて天文十「大膳殿が、幸綱の庵に人る者を見たと ごと 132