思っ - みる会図書館


検索対象: 小説現代 2016年12月号
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1. 小説現代 2016年12月号

あるいは、蘇我が出現したことで、大あるいは当然こうなると、無意識に予「え、自分が言ったことが、ですか ? 石がすでに連絡を取れないような世界に想していたから、直接連絡を取ることを「ここで警察と揉めていてはまずいと、 行ってしまったような気がしていたのか思いっかなかったのかもしれない。宇田組関係者が考えたんだろう。つまり、注目 もしれない。 日はそう田 5 った。 されたくない事情があるということだな」 荒川が言った。 そのとき、荒川が言った。 「それは、細木殺しに関することですね」 「すぐにやってみるべきだろう」 「お、動きがあるぞ : : : 」 「あるいは、アメリカの麻薬組織絡みだ 宇田川は携帯電話を取り出し、大石に幹部らしい黒スーツの男が出てきて、 ろう」 かけてみた。 警察と揉めている組員たちに何事か告げ「誰かに事情を聞けるといいんですがね もしかしたら、彼女の声が聞こえ、所た。 在を確認できるかもしれない。留守番電すると、組員たちはそれぞれの車に散通りの騒ぎはすでに収まっていた。機 話であっても、伝一一一口を残すことができる。 っていった。やがて、車が移動を始めた。捜車もパトカーも引きあげるところだ。 その期待はあっさりと裏切られた。 宇田川は言った。 荒川が言った。 「電波の届かないところにあるか、電源「警察の申し入れを受け容れて、道をふ「事情を聞くのは、本部の組対部のほう が入っていない」というメッセージが流さいでいる車をどけるようですね [ を担当している土岐さんと名波係長と話 れてきた。 「ずいぶんと聞き分けがいいじゃないか」し合ってからにしたほうがいいだろう 宇田川は電話を切って、荒川に言った。 「騒ぎを大きくしたくないんでしようね」 「そうですね」 「だめです。電源が入っていないのかも宇田川が言うと、荒川は意外そうな顔「じゃあ、俺たちも引きあげようかー しれません」 を向けてきた。 「引きあげていいんでしようか」 「そうか : : : 。今まで使っていたのとは宇田川は尋ねた。 「ここにいても、もうできることはない 別の携帯電話を支給されているのかもし「どうしました。自分が何か変なことをよ。あとは、竹本たちに任せればいい」 れない。潜入捜査なのだから、それくら言いましたか ? 」 荒川は、ンレヾ 、ノノーメタリックのセダン いの用心はするか : : : 」 「いやね、その一言は的を射ているなとのほうをちらりと見た。 「そうですねー 思ってね」 すでに、午前二時になろうとしてい 292

2. 小説現代 2016年12月号

くどく 家康の軆はまだ燼に包まれているようる。孔雀明王様の功徳とは、そのようなを学び、己が望む天下、治世のあり方に に見え、その右肩には深紅に輝く鳥が載ものでありましたか」 ついて考え続けていただけ。それさえ っていた。 天海も神妙な表情で答えた。 も、実現できるかどうか定かではなく、 ーー火烙の中に孔雀 : いや、別「眼が覚めてから、ただただ御坊と話がついこの間まで夢想にすぎなかったよう ほう もうきん の猛禽のようにも見える。それとも、鳳したいと思いました。何か訊ねたい事柄な気がいたしまする。そして、先ほど夢 おう 凰なのか ? があったのだが、すぐに想い出せませ枕に立った二人の天下人を間近で見てき あらぎよう 天海は荒行のせいで己が錯覚しているぬ。話をしていれば、その問いに行き着ましたが、あの御一一方は余にとって決し のだと思った。 くと思うゆえ、勝手に喋っていてもよかて真似てはならぬ手本でありました。信 「御坊、おそらく、そなたに見えているろうか」 長公は武力で天下を制することを見据え 焔は、余の命の残り火なのだと思う。こ家康は不思議な笑みを浮かべる。 ておられたが、天下を治めるということ うして喋っていられるのも、そのおかげ「構いませぬ。そうしてくださりませ。 を考えておられたとは思えませぬ。太閤 やもしれぬ。そうなった理由もあるのだ」拙僧が答えられることは、随時お答えさ殿は名誉と権力を独占することには長け とよとみ 家康は織田信長と豊臣秀吉が己の夢枕せていただきまする」 ていたが、新しい天下を創ることはでき に立った話を始める。そして、最後に一一「有り難うござりまする。それにしてず、集めた名誉と権力を後継者に譲り渡 人が荒ぶる火焔に包まれたまま去っていも、人の宿命というのは、つくづく因果すこともできなかった。武門の長者にな ったことを語った。 なものだ。やっと竹千代の元服が決まれぬ出自が大きな障壁だったのだとして あさ 「余は今際の際を目撃し、己の死期をはり、 重荷を下ろして隠居できそうだと思も、公家の官位官職を買い漁ることでし いきざま つきりと悟りました。終わりの時は、も うた刹那、このていたらく。神仏はどこか成り上がれなかった天下人の生様な うすぐやってくる。それをあの二人が夢までも、この身を甘やかしてはくれぬ。以ど、誰もなぞることができませぬ。最後 の中で告げてくれた。だから、命の残り前にもお話ししたかと思うが、余が生をは、武による支配しか信じていなかった よまいごと 火が宿ったのだと思う 授かったのは、この最後の十五年を新し信長公の唐入りという世迷言を、老境で いろほう 「ならば、拙僧は護摩行によって大御所き治世に捧げるためであったと確信して色惚けした太閤殿が実現してしまうとい 殿と感応し、わが眼に映るものはすべておりまする。それまでの六十年間は、ひう悪夢しか残らなかった。されど、その せんだっ 見えたままの現実ということになりますたすら耐え忍びながら先達の残した書物悪しき手本があったからこそ、わが眼が 430

3. 小説現代 2016年12月号

る。パトカーがいなくなると、またすぐ 堂島の車を麻布十番の駐車場から、港「そうじゃないよ。細木と兵藤の関係だ」 に外国人たちが通りに姿を見せはじめる。南五丁目の倉庫まで運んだことは間違い 宇田川がタクシーを拾い、二人は臨海ない。だが、その先も運転を続けたのだ宇田川は、勘違いしたことが恥ずかし 署別館に向かった。 ろうか。だとしたら、彼女は瀕死の被害かった。「売人と組幹部ですから、直接 者を殺害現場まで運んだことになる。 関係があったかどうか : : : 」 便宜上『特命室』と名付けた臨海署別 田端課長は、大石は被疑者ではなく、 「堂島から車を借りる手配をしたのは兵 館の小部屋は、宇田川たちが到着したとあくまでも目撃者だと言った。それは心藤だろう。その車が細木の殺害に使われ きは、無人だった。 強い言葉ではある。 た。つまり、兵藤は細木を殺害した主犯 時刻は午前一一時一一十分。 しかし、検察や裁判官がその言い分をということだろうか : : : 」 今日は早朝から動き回っている。長い認めるだろうか。 「確証はありませんが、そう考えていい 一日だったが、宇田川はまだ眠くはなか単純に事実だけを並べれば、やはり大んじゃないでしようか った。新たな殺人事件があり、さらに大石は傷害及び殺人の共犯ということにな「そうなのかねえ : : : 」 石の行方がわからないことで、気分が高るのではないだろうか。 その口調が気になった。 ぶっているのだ。 いや、それよりも今現在、大石はどう「荒川さんは、そうじゃないとお考えな 宇田川はもう一度、大石の携帯電話にいう状況に置かれているのだろう。最悪んですか ? 」 かけてみた。やはり先ほどと同じでつなの場合、命の危険にさらされていること「いや、俺は : : : 」 がらない。 も考えられる。 そのとき、名波係長と土岐が戻って来 大石に会ったのは先週の金曜日が最後そう思うと居ても立ってもいられないた。 だ。そして、彼女が防犯カメラに映って気持ちになる。 宇田川たちが質問するより先に、名波 いたのは、日曜日の夜のことだ。 「どういう関係なんだろうね : : : 」 が尋ねた。 そのときには、すでに被害者は倉庫の 荒川が言った。 「麻布署のほうはどうだった ? 」 中にいたのかもしれない。では、大石は「は : : : ? ですから、自分と大石はた 荒月がこたえた。 何をしていたのだろう。 だの同期で : : : 」 「伊知原組の事務所前でちょっとした騒 293 変幻

4. 小説現代 2016年12月号

くらまやま あいよう ひでよし 鞍馬山という愛鷹を載せた秀吉である。 秀吉は己の両手でロを塞ぐ。 野へお供するのは無理かとー 「猿、呼び名など、どうでもよいわ。差それを見て、信長と家康は思わず笑っ「何を弱気なことを申しておる。こうし てしまう。 て、余と元気に話をしているではない 出口を挟むな , 懐かしい会話だった。 か。大丈夫だ」 信長に命じられ、秀吉は頭を掻く。 家康は抵抗もなくそれを受け入れてい 「されど : : : 」 「はい。猿めは少し黙っておりまする」 「そなたは余の跡を取り、天下人になっ 「信長殿、いったい、いかがなされましる。 たか ? 」 いや、違う ! これは夢だ : ・ たそうではないか。そんな弱腰では、す 蒲団の上で胡座をかき、家康は普通に熱で浮かされたせいで、夢を見ているのぐに足をすくわれるぞー 問いかける。 信長の冷笑に、秀吉が横槍を入れる。 のうり 「ふふ、そなたがしょぼくれていると聞 もう一人の己が脳裡でそう叫ぶ。 「右府様の跡を嗣ぎ、天下を取ったの あづち よく見れば、信長は安土城で最後に会は、この猿めにどざりまする。しかも、 き、少し、からこうてやろうと思うてな。 たい った頃の姿だったが、秀吉は明らかに太天下人ではなく、この世に一一人とおらぬ なんだ、自慢の鷹もおらぬのか。見よ、 こう 金華は腕に据えぬでも、自然にわが肩へ閤になってからの姿である。秀吉が可愛太閤秀吉にござりまする」 ふしみ だぼら 留まるようになった。どうだ、羨ましいがっていた鞍馬山は、伏見城で飼ってい「猿、駄法螺を吹くな」 た蒼鷹だった。 「まことにござりまする、右府様。そう であろう」 「あ、はい : ・ それがしもさような仕 その姿で一一人が同じ席にいるはずもなだよな、家康殿」 ゆが 込みをしたいと思うておりました」 く、時が歪んでいるとしか考えられない。 「いい加減にせぬと怒るぞ。太閤などと しかし、それでも家康は眼前の光景という位があるはずもなかろう。くだらぬ」 家康は自然に答える。 「家康殿、この間から、ずっとこうなの 横合いから、我慢できずに秀吉が口を会話を自然に受け入れていた。 挟む。 「元康、これから一緒に鷹野へ出よう。 だ。そなたから太閤の意味を説明してく 「ほら、それがしの鞍馬も肩でおとなし鷹をな、肩に留めておく秘法を教えてやれぬかな。それがしが右府様のど遺志を からい ろう 継ぎ、唐入りまで行う天下人になったと くするようになった。いいだろう」 「猿 ! 」 信長はいつもの冷ややかな笑顔で言う。いうことをー 「あ、相済みませぬ。言わ、ざる ! 」 「それがしは病いで軆が動きませぬ。鷹「唐入り、だと ? ・ : 猿、今すぐ口を あぐら うらや ふさ 424

5. 小説現代 2016年12月号

うら しかし、黙っている必要もなさそうだ 「罵らぬよ。怨みもせぬ。関白如き、己の中で全身に汗をかいていた。 っ ( 。 でなれずにどうするか。やはり、親が子 やはり、夢であったか。 「まさか、それもそなたではあるまいを甘やかしてはいかぬな。それだけは、 そう思いながら、自然に上半身を起こ な、家康殿 ? 」 そなたに忠告しておく。あと、ここからす。 秀吉が疑いの眼差しを向ける。 先には、まだ踏み入ってはいかん」 なぜか頭の中が冴え冴えとし、軆から 「 : : : 申し訳ありませぬが、先日、それ秀吉は刀の先で一一人の間に火焔の線を熱も失せていた。 がしが太政大臣に任じられましてどざり 家康は濡れた頬を右手で拭い、それを まする」 「猿 ! 舌先で舐めてみる。 「さようか : : : 」 遠くから信長の声が響いてくる。 ーーー塩辛い。 ・ : まだ生きているとい 秀吉は急に寂しそうな面持ちになる。 「は 5 い、只今。ああ見えて、右府様はうことか。 「・ : ・ : やはり、秀頼は関白にも、太政大寂しがり屋なのだ。では、もう行かねば そう思いながら、ぼんやりと視線を移 臣にもなれなかったか。ということは、 す。 ならぬ。またな、家康殿」 皆が噂をしていたように、余のまことの鞍馬山に導かれ、秀吉もまた去って行 そこは秀吉が火焔の線を引いた場所だ っ ( 。 子ではなかったのかもしれぬな きわ 「太閤殿、さような風聞をご存じであり 家康は弾かれたように立ち上がり、一一 あれが・ : : ・今際の際というやっか。 ましたか」 人の背を追う。 漠然とそんなことを思う。 「知らぬはずがあるまい。それにおかし しかし、秀吉が引いた火焔の線の前で家康は確たる理由もなく己の両手を見 しわ いと思うておった。棄が亡くなった後、かろうじて立ち止まった。 つめる。皺だらけのくたびれた掌がそこ かような老人にすぐ新たな子が授かるほ 暗闇の中で火燼が小さくなり、やがてにあった。 どの精が残っておるわけがあるまい。さ消え去るまで、家康は茫然と立ち竦んで しばらくそれを眺め続けていた。 ちゃちゃ ふびん れど、あまりに茶々が真剣なので不憫にいた。気がつくと、両眼から泪が滴り落 ならば、信長殿や太閤殿と話して謀 神 思い、それは突き詰めぬことに決めた」ちていた。 いた己の声、あれが今際の声ということ の 代 「秀頼殿を関白に押し上げなかったこの頬を伝う泪の冷たさで、家康は目覚めか。 さと 百 身を、なにゆえ罵りませぬ」 る。周囲は闇に包まれており、己は蒲団 その刹那、家康は己の死期を悟った。 ののし すて おもも せつな

6. 小説現代 2016年12月号

若いくせにヒゲを生やして校長の威ことで、出世の階段を一段ずつ這いので、その本のページをめくると、一段 厳をとりつくろっている父親にくらべぼろうと必死だったのだろう。 と声を高めて語りだす。うたうよう て、母親のほうは、はるかに弱気だっ そんな父親の努力は、少しずつむくな、口説くような不思議な声色なの われつつあったらしい。 夜になると、山のほうでヌクテが鳴「そのうち京城に転勤するからな どうやら大きな絵本の絵解きをして く。ヌクテというのは、山犬と狼の合 と、母親をなだめていた光景をかすいるらしい。周囲には十数人の男や女 おぼ いの子のような動物だと聞かされていかに憶えている。 たちが集って老人の語りに耳を傾けて こ 0 しかし、私はそんな孤立した暮らしいる。 深夜、ヌクテの声が尾を引いてきこ がいやではなかった。村の祭りに一人話が一段たかまると、聴衆の間から アイゴー えてくると、母は身震いするようにしで出かけて、天高く舞いあがる村人の「哀号 ! 」という声がわきあがる。ど て、 ブランコを眺めたり、少し遠出をしてうやら若い娘が乱暴される場面のよう 「はやく京城にいきましよう 隣りの町まで遊びに出かけたりしていだ。照りつける日ざしのもとで、だれ と、父親に訴えるのだった。当時、た。 もその場を離れようとしない。 ソウルは京城と呼ばれていた。そこに ある日、たぶん夏だったと思うが、 ときにはどっと笑い声もおこる。一一一一口 は大きなデパートやホテルもあり、日松林に面した街道の一角でふしぎな光葉はわからないが、その場の雰囲気に 本人が多数住みついていて、内地と似景を見たことがある。 すっかり魅了されてしまった。こうい たような暮らしがあったのである。 黒い帽子をかぶった老人が、道端にう仕事をしたい、と子供心に思ったも すわ 父親もそれなりに努力していたのだ坐って何かを語っているのだ。その老のだった。そのことを、ずっと考えて ろう。毎晩、きびしい寒さの中で、ラ人の前には大きな絵本がひろげてあきた。今でもそう思う。小説家として ンプをつけて朝方まで勉強していた。 る。上半分が絵で、下のほうに文字がの私の原点は、たぶんその辺にあるの いろんな検定試験に合格し資格をとる書かれていた。老人は長いキセルの先かもしれない。 けいじよう

7. 小説現代 2016年12月号

にくくなってさ。今の奴ら、『イクメン』死んでからさ、何のために頑張ってるのよ。母ちゃんが死んでから」 とかいって、子育てや家族を大事にするかわかんなくなったよ。女房子供がいれ「そうか。よほどショックだったんだな」 よな。どこに行くにも何をするにも家族ば違うのかもしれないけど」 「俺が帯状疱疹になるならわかるけど、 単位だ。遊びに行っても、俺なんか入る「そうだな。それでさ、大学に入ったば何で親父がなったのか、わけがわかんね すきま 隙間がないっていうか、ただのおじゃまかりの頃、あんなにキラキラ輝いて見ええよ。二人暮らしになってストレス溜ま 虫になっちゃうんだよ」 た示がさ、だんだんくすんで見えるよるの、俺の方だよ。慣れない家事やらな 「お前も奥さんいるじゃないか うになってしまったんだよ。なんかこいといけないしさ」 かたまり 「まあな。正確に言うと、『いた』という、ただのコンクリートの塊みたいな「そうか。俺の場合なかなか治らなくて うことになるけど」 街っていうか : 。こうなるといデフレさ。最初、あばら骨の下あたりが痛くな マナフが苦笑いした。やつばり別れたスパイラルと同じで負の連鎖だ。何をやったんだよ。変だなと思ってたら、おっ のか。 ってもやる気が出ないし、何もかも嫌にばいの下あたりに赤いポッポツができて 「それがいろいろあってさ。うまくいかなってしまったんだよ」 さ。医者も長くかかる場合があるって言 なくなったんだよ、だいぶ前から。それ「なるほどなあ。お前もいろいろあった ってたけど、俺の場合、半年くらい体調 もあってな : ・・・こ んだな」 悪かったんだよ。それで、もう無理する 「なるほど。いろんなことが重なったっ 「まあな。でも、しばらくの間自分をごのやめようと思ってさ」 まかしながら、それなりに頑張ったさ。 「そうか。それで帰ってきたのか。お前 ていうわけか」 「そうだな。ストレスを発散する所がなそしたら円形脱毛症になったんだよ。病んとこでかい牧場だし、継ぐのも悪くな くなるわけよ。会社でも家でも。孤立す院に行ったら、ストレスだって言われたいと思うよ。何だかんだ言ったって、親 るっていうか。そうなると、何のためによ。俺、病気らしい病気したことないか父さんも喜んでると思うよ 頑張ってるのかわからなくなってしまつらショックでさ。それでも頑張ったら、 「継がねえよ ! 」 たいじようほうしん マナプが気分悪そうに言った。 たんだよ。他の連中は、子供とか奥さん今度は帯状疱疹が出ちゃった。知ってる いまさら のためって思うかもしれないけどさ」 か ? 帯状疱疹」 「今更継ぐ気なんかねえよ」 「それは俺もわかるよ。とくに母ちゃん「ああ、知ってるよ。親父がなったんだ会社を辞めて東京から帰ってきたの

8. 小説現代 2016年12月号

思った。 思い出すかもしれないけど」 うな顔でプタを見回している。 考えてみたが、母ちゃんが死んだこと「そうじゃなくて、プタに『お手』とか「あのプタだよ」 以外、俺の人生たいしたことなどなかっ 『お座り』教えてんだよ」 俺は、左耳にビンクのリポンが付いた たのだ。絵に描いたような、つまらん男「本当か ? プタがそんなことするのプタを指さした。 のつまらん人生なのだ。 か。大みたいにー 「なるほど。あれがトン子か : : : 」 「何にもないってことはないだろう ? 」 やっとまともに聞いてくれた。俺がト マナプは柵をまたいでずかずかと中に そう言われても困るのだ、俺の場合。 ン子の躾けについて話すと、マナプは面入ると、周りのプタの様子を見ながらト コーヒーを飲みながら考えていると思い白がって聞いていた。「待てーがまだでン子に近づいた。頭をなでたかと思う 出した。 きないと言うと、「俺が躾けてやるーと、 と、トン子の脚を持ち上げて裏側を見た 「そうだ。俺、調教やってんだよー なぜか張り切った。 りしていた。物珍しそうにその光景を見 「調教 ? ああ、さっきの : : ・こ ていた他のブタが、マナプのお尻の臭い マナプが吹き出した。 四 をかぎ始めた。 「女じゃなくて、ブタだよ。プタ」 「なるほど。こうしてみると結構かわい 「どのプタだよ ? 「おつ、メス豚か ? 」 いもんだな。賢そうだし。でも、他のプ 「ちょっと待ってくれよ。その調教から俺がプタ小屋で糞尿にまみれた藁を集タよりずいぶん小さいな」 離れてくれないか」 めていると、突然後ろから声がした。 「本気で躾けるのか ? 」 「だって、調教って言ったのお前だぞ」 黒いジャージの上下に長靴姿のマナプ「おう、やるよ。ところでムチはどこ 言い訳すればするほど、ドッポにはまだ。ジャージの下にはグレーのセーター だ ? 」 かんべん りそうだ。 を着込み、首に白いタオルまで巻いてい もういい加減勘弁してほしい。 「言い方が悪かった。躾けだよ、躾け。 る。冗談かと思ったが、マナプは本当に 「じゃあ、何から始めるかな。まず『お プタの」 やってきた。トン子の躾けにやってき手』から始めるか」 むぞうさ 「ほお、やつばりムチで躾けるのか ? 」た。しかも恰好からして、やる気満々な マナプが無造作に「お手 ! 」と言うと、 こいつ、こんなにしつこかったかなとのだ。好奇心と本気と冗談が混じったよトン子は少し驚いたようにマナプを見 しつ わら

9. 小説現代 2016年12月号

飾磨は、錆びた声で答えた。 「どうして ? 」 「春彦は、どう ? 」 「警官が銃を撃って、それが店員のおなかに当たったんで 「この子たちが襲ったのが新宿 L.QN のステッカーのあるコンす。それで、もう死ぬかなって思ってたから」 ビニだとしても、犯人だという証拠はないんじゃないかな。 ・ : 信じがたい馬鹿だな。飾磨。店員は、死んだのか ? 」 だったら、そもそも、保護する必要はないと思うよ」 「生きてます」 春彦は、慎重に答える。トラブルを避けたいという意味で飾磨は、苦笑いを浮かべていた。 は、飾磨と同意見だった。 「しかも、魔王子がご存じの男です」 : って言ってるけど、どうなの ? 」 「誰 ? 」 怜央は、四人を見渡した。 「吉村真一一朗って、覚えておいでですか ? 」 「あの、いいですか ? 」 一瞬の間があった。 ティアラが、手を挙げた。怜央はうなずく。 「ああ ! あの、英語塾に来てた。暗ーい、情けなーい、や 「あたしたち、ヤバイと思って、レコーダーは持ってきて、 つだよな ? 」 ぶつ壊したんだけど : : : 」 「はい」 「じゃあ、いいじゃん」 「能力者じゃなかったのか ? 」 怜央は、ティアラをじろじろと見た。春彦は、怜央が彼女「徴弱ながら、カはあるようです。今は、政府の肝煎りの を気に入ったらしいことに気がついた。中身はともかく、外精鋭部隊という組織に属してます」 見はお嬢様ふうで、それなりに可愛らしいし。 「あの、地球防衛軍か ? お笑いだな」 「でも、コンビニの店員がー 怜央は、実際に、くすくす笑い始めた。 「殺さなかったのか ? 」 「笑い事ではありません」 「はい」 飾磨が、苦一言を呈す。 ティアラは、宿題を忘れましたと言うときのように、ペろ「新宿のステッカーを受けたのは吉村だそうです。ですの りと舌を出した。 で、今回の件は、新宿と政府の両方に知られてしまったはず かわい 450

10. 小説現代 2016年12月号

事もしない。あるいは、目を細め、ぼんもので、かれらは数ある商品のなかからった。まだまだ老け込むような年齢では やりした様子でどこか遠くを眺めてい決まって伊年が手掛けた扇を選んで買っないはずだが、髪の毛が真っ白になり、 いろつや る。時折ひょいと顔をあげ、染み入るよていく。 肌の色艶がひどく悪い。自分からは言わ うな笑顔をみせる。 ーー俵屋の扇を使うと舞台の空気が変ないが、咳き込んで一晩中眠れないこと もあるようだ。 かと思えば、ふらりと出掛けて何日もわる。 帰ってこないこともあった。どこに行っ そんなことを言う演能者もあった。 若旦那の伊年に少しでも早く商売を覚 にさぶろう ていたのか周囲の者たちが尋ねても、は俵屋の主人・仁三郎はそのたびに目をえて、店を継いでもらいたい。そう思っ きすけ て、と伊年は小首をかしげ、「面白い絵細め、鼻をひくつかせる。番頭の喜助をているのは喜助だけではないはずだ。思 があったんで、ちょっと見せてもろとっ つかまえて自慢する。 い余って仁三郎に直接進言したことも何 た」と言ってへらりと笑うばかりだ。ど「どや、喜助。わたしの見込んだとおり度かある。が、仁三郎はいつも「そのう うやら本当にどこに行っていたのか本人やないか。見てみ、その内うちのぼんはち、そのうち」と笑うばかりで取り合お も覚えていない、もしくは「見てきた面きっと、俵屋を京で一、いや、天下一のうとしない。 「商売のことなら、だれにでもできま 白い絵ーのことで頭がいつばいでそれど扇屋にしてくれますわ」 ころではないらしい。先日も、使いに出喜助はそのたびに、そうどすなあ、そす。そやけど、うちのぼんの絵は、あれ た俵屋の丁稚が、北野天満宮の本殿に上うなったらよろしおすなあ、楽しみどすはだれにでも描けるもんやおまへん」 がり込み、いったい誰にどう頼みこんだなあ、とあいづちをうつ。腹の中では、 そういって、相変わらず伊年の好きに ほうのう のか、奉納絵巻をひろげて、食い入るよもうじき三十になろうかという伊年をつさせている。 うに眺めている伊年の姿を目撃している。 かまえて、いつまでも″うちのぼん〃も ほんまかいな、と喜助は半信半疑だ。 幸い、扇の注文は途切れなかった。 ないもんや、と思う。それから、主人・ それに比べて・ーー それどころか、近ごろ「俵屋の扇」は仁三郎の顔をそっとうかがい、大丈夫や喜助は仕事の手をとめ、小さくため息 こうずか をついた。 好事家・趣味人のあいだで評判が高くなろか、と少し心配になる。 り、扇を求めて遠方からはるばる足を運醍醐の花見の頃をさかいに、俵屋主伊年が俵屋に養子に来たばかりの頃、 ぶ者もいるくらいだ。しかも、不思議な人・仁三郎はときどき床につくことがあ一緒に遊びまわっていた近所の子供連中 でっち とこ 316