そうりよう の鴨場へ出張った。 な鴨場が造られた。もちろん、整備にあの惣領でいられたのは、己よりも遥かに 鷹狩をよく知らない者ならば、広い湖たったのは御成道と同じく土井利勝であ秀でた家臣たちに支えてもろうたから だ。肝心なことは、主君が家臣に尊敬を や大きな溜池で羽根を休める鴨は絶好のる。 獲物のように思える。しかし、実際は湖時候もちょうどよく、連日にわたり、求めるのではなく、主君と家臣が互いに 尊敬の念を抱き合うということなのだ。 に浮かぶ鴨など、決して捕らえることが鷹狩の首尾は悪くない。 できない。 足高をはじめとする鷹たちが次々と水その上で、家臣の特質を見抜き、適材適 こうした広い水辺で鷹を放してみて面から飛び上がる鴨を捕らえ、生きたま所で重用してやらねばならぬ。だから、 すえあげ も、獲物までの距離が遠すぎ、鴨は水のま獲物を渡す据上も円滑に行われる。捕鷹狩は余にとって遊興の場ではない。い 中に潜ってしまい、鷹は所在なく近辺の獲がうまくいくたびに、竹千代は昂奮をつも、そのような心持ちを確かめるため の場なのだ」 木などに止まるだけだった。 隠せなかった。 まなざ そのため、鴨場と呼ばれる独特の場所左手に据えた足高に褒美を与えなが家康の訓戒を、竹千代は真剣な眼差し で聞き入っていた。 が必要となる。 ら、家康が上機嫌で言う。 しんこん 「もちろん、己の身魂を鍛える場でもあ 「竹千代、鷹というのは、まことに不思 一番良い鴨場は、湖から流れ出る小 るのだがな」 やその先にできる小さな溜池なのだが、議な生き物だな」 こうした時を過ごすことで、家康と竹 必ずしも自然の中にそういった場所があ「はいー るわけではない。 「余はな、かように思うている。鷹と優千代の間には、今までになかった感情が そのため、東金の場合は谷池から二十れた家臣は、よく似ている。双方とも気芽生え始める。これほど濃密な時を過ど 本ほどの浅い水路を引き、その先々に小位が高く、簡単には忠誠を誓ってはくれすのが初めてだったからかもしれない。 さな池を配してある。池は水路どとに十ぬ。逆に、主君が家臣の優秀さや勇猛さ竹千代は家康を己の祖父というより ちえすい せんぼう しつら ほど設えられ、合計一一百もの数になってを怖れて疎んじれば、己が見限られ、側も、智慧の粋として羨望の眼差しで見て謀 神 いた。 から去ってしまう。されど、絆さえ結ぶいた。 の 一方、家康は竹千代に己をも超える何代 ことができれば、これほど心強く、心地 この小池や水路にいる鴨こそが鷹にと かを見出していた。それが何かと問われ っては絶好の獲物となるため、このよう良い者たちはおらぬ。これまで余が一門 おなり 嶽うび
ない。いずれは、雅楽頭も竹千代に付け「ついでだから申しておくが、竹千代のいする莫迦者どもが出てくるのだ。それ てやろうと思うが、いきなり三人もいな元服に際し、国千代には松平姓と甲斐一らを戒めるためにも、はっきりとさせる くなっては、そなたも仕事が難しかろ国を与えるがよい」 べきだ」 う。落ち着くまでは、大炊と伯耆に任せ 「い、いきなり、何を仰せになられます「余が竹千代を廃嫡するなどという、愚 ておけばよい」 るか。国千代はまだ齢十にどざりますにもっかぬ風聞を、父上は信じておられ 家康の話に、秀忠は度肝を抜かれている。甲斐などへはやれませぬ。それに、 まするのか ? 」 た。一一人の家臣の顔を見るが、本多正純何が起こるかもわかりませぬ。竹千代は「この身が信じぬでも、勘違いする者は と土井利勝はまったく表情を変えない。 ただでさえ軆が弱いのだから : ・ " : 」 いくらでも出てくる。国千代が可哀想だ 「 : : : 父上が突然、江戸へ参られたの 「さような問題ではない ! 国千代が国とか、可愛いとか、まったく関係あらぬ。 は、お忍びの鷹狩などではなく、これが主となるのは、元服してからであり、元国や家は、器量のある嫡男が嗣ぐ。無用 いさか 目的でありましたか」 より江戸を離れる必要もなかろう。竹千な家督争いは許さぬ。くだらぬ諍いを起 「さように思うてもらって構わぬ 代が徳川の惣領を嗣ぐからには、無用なこした家は改易か、断絶。幕府が法度で、 ゆるが 「ならば、事前にお話を通していただか家督争いを避けるために国千代が庶子とさように定めたのだ。それをそなたが忽 ねば : : : 。余の面目が立ちませぬー なることを明らかにすべきなのだ。一一十せにして、どうするか ! 愚にもっかぬ 秀忠は不機嫌を隠そうともしない。 四万石の国主だ、僧籍に入れぬだけ、ま風聞に流される者がいる今だからこそ、 うんぬん 「面目を云々するのならば、そなたの方しであろう」 毅然とした能蓙を示さねばならぬのだ ! 」 つぐ から、余にこの話を持ちかけるべきでは「得心できませぬ ! 竹千代の元服はま ~ 巖の迫力にたじろぎ、秀忠はロを噤む。 なかったのか。武家諸法度を発布した直だしも、なにゆえ、国千代を徳川姓から 一一人を、苦い沈黙が包む。 後ならば、そなたの面目は光り輝き、諸抜かればならぬのか、まったくわかりま本多正純と土井利勝は空気さえも揺ら みじろ 国への威厳も増したであろう。徳川家がせぬ」 すまいと身動ぎもしない。 自ら相続の範を示した、とな 「それが長幼の序を糺すということだ」 しばらくして、やっと秀忠が口を開く。 家康にそう言われてしまっては、さす「 : : : 国千代があまりに可哀想だ」 「 : : : わかりました。されど、国千代の おえよ がに返す一一一一口葉がなかった。 「そなたがさように逡巡するから、勘違件については、於江与を得心させねばな ぶけしょはっと ただ ばか 416
売る形になった。それが本多正純に対す「竹千代の元服の支度を、年明けから始「・ : : ・大御所様は早熟だと申されたが、 あれは生来病弱であり、いきなり大儀を負 る、少しばかりの貸しとなっていたといめると申した」 うわけである。 「なにゆえ、さように急がれまするのわせれば寝込んでしまうやもしれませぬ [ しもっき 「鷹野で一緒に時を過ごしたが、さよう 鷹狩を終えた一行は、霜月 ( 十一月 ) か ? 」 な兆候は見えなかったぞ。充分に役目を 末に江戸城へ戻る。それからの家康の動秀忠は怪訝な面持ちで訊く。 「急いではおらぬ。年が明ければ、竹千果たせるはずだ。いや、竹千代には早く きは目を見張る疾さだった。 西の丸で秀忠と会談を行う。その席に代も齢十三となるゆえ、早すぎるという大儀を負わせた方がよい。己で考えを巡 は補佐役として本多正純と土井利勝だけこともなかろう。あれはなかなかに早熟らし、もっと伸びるであろう 「されど、そんなに急ぐことは : : : 」 が呼ばれた。 ゆえ、十五まで待っ必要もない」 「いや、大御所様 : : : 。竹千代の元服と「まさか、そなたは竹千代の相続を迷う 本多正信が病いの養生をしていたた め、本来ならば秀忠の側には酒井忠世がならば、将軍職の移譲も含めて話を進めているわけではあるまいな」 いてもいいはずだったが、家康はあえてなければなりませぬゆえ、さほど簡単な「滅相もありませぬ。この身が竹千代を 嫡男と決めたからには、相続を迷うなど ことではありますまい」 利勝を指名した。 「さようだ。だから、年明けから進めよ 「話というのは、竹千代の元服について なのだ。年明けから支度を始めるのがようと申しておる。前にも聞かせたと思う「ならば、何の問題もなかろう。年明け から竹千代の元服を進めればよい。それ が、徳川家での将軍職世襲は三代をもっ かろう」 しゅこう 家康は酒肴に手も付けず、いきなり結て固まると、余は思うておる。竹千代のに際し、宿老を側に付けてやらねばなら 元服を見届けぬうちは、安心して隠居もぬ。そなたが育てた、この大炊と伯耆守 言から話を始める。 を竹千代に付けてやるのがよかろう。そ できぬ。大坂の件も片付いたことだし、 「はっ ? 」 さかずき 戸惑ったのは、秀忠である。盃に伸そろそろ余に楽をさせてくれてもよかろの代わりに、上野を江戸に戻し、そなた謀 あんばい の補佐をさせる。佐渡の塩梅も良くない神 うて」 ばそうとした手を止めて聞き返す。 代 し、どうせ余は楽隠居の身になるのだか : いま、何と仰せになられました「それは構いませぬが : : : 」 百 ら、優れた家臣を留め置いてはもったい 秀忠は仏頂面でそっぽを向く。 か ? 」 ぶっちょうづら おおさか
おす 雄よりも軆が大きく、気も強い。野生を「 : : : 承知いたしました。わが粗忽をお「そなたにくれてやった鷹だ。好きにす 捕らえた網懸ならばなおさらで、もう一目こぼしいただき、まことに有り難うどるがよい。処分するもよし、野に放つも もとすだか 本の巣鷹の雄に較べれば、遥かに気性もざりまするー よし。あるいは、仕込み直すもよし。そ 荒々しかった。そのため、不用意に押さ「余も訓練を再開するとしよう。また狩なたが責任を持って決めよ えようとした竹千代に対して暴れてしまりに出るのが楽しみになってきた」 「有り難き仕合わせにござりまする ! 」 ったのだが、その猛獣にもう一度近づこ家康も気を取り直し、再び鷹野に向き竹千代は心底から嬉しそうに眼を輝か うとしていた。 合うことになった。 せる。 これほど間を置かずに、いったい その日の午後、竹千代が眼帯が取れた その様子に、家康も眼を細めた。 やっ かもば 何を確かめようというのだ。 ことを報告にくる。 「竹千代、明日にでも、谷池の鴨場へ出 家康はまったく予想していなかった孫「ご心配をおかけしましたが、本日からようと思うのだが、そなたも一緒に行く の行動に驚きを隠せない。 眼帯が取れ、御典医からも普通に動いてか ? 」 ーー考える前に動いてしまったのか、 よいと許可をいただきました」 「はい、是非にお供しとうどざりまする」 まがも あるいは、たった一日で様々な事柄を考「大事に至らず、よかった。もう、鷹狩「今時分ならば真鴨だけでなく、運が良 まがんかりがね え尽くしたというのか・ , 。いずれにしは懲りたか ? 」 ければ真雁や雁金なども獲れる年明け ても、竹千代はこの身に似て、秘めたる家康の問いに、竹千代は首を横に振る。の本狩りを占うためにも、鴨猟は欠かせ 負けず嫌いなのかもしれぬ。ともあれ、 「 : : : いいえ、仕込みの難しさを身をもぬ。鷹狩の実践を学ぶにはちょうどよい」 これで鷹嫌いになるという心配は、しばって知り、なおさら、興味が湧いてまい「楽しみにござりまする」 らくなさそうだ。 りました。その上でお願いがござります「足高が持っ真の力を見せてくれよう 恐縮する勘右衛門を見ながら、家康がる。頂戴いたしました疾鷹を、今しばらぞ。大炊、さっそく支度を頼むー 口を開く。 く、この身に預けていただけないでしょ家康の命令に、土井利勝が笑顔で頷く。 「ならば、今の話は聞かなかったことにうか」 こうして竹千代にとっての初狩が実現 しておこう。勘右衛門、竹千代が急ぎすそう言った孫の両眼を、家康は真っ直することになった。 とうがね ぎぬよう、しつかりと見守ってくれぬか」 ぐに見つめ返す。 翌日、家康の一行は東金御殿から谷池 ひと 410
に眼を見開く。 まことに竹千代を於福に奪われたと思う代が庶子の扱いになる」という話は、あ ていることは確かなようだ。その反動でっという間に広がった。竹千代廃嫡の風 「 : : : できませぬ」 こうちぎ できあい 小袿の袖を口元へ運び、肩を小刻みに国千代への溺愛が始まったことも想像に聞は、最初からなかったかのように江戸 難くない。 城内から消え失せていた。 震わせながら呟いた。 それを聞いた家康が思わずたじろぐ。 眼前で哭き続ける於江与を、困ったよ難題を捌いた家康は、駿府に戻って年 「・ : ・ : いいえ、見たくとも、於福に見せうに見ているしかなかった。 を越すと決めた。 ちの てもらえませぬ。乳飲み子の時に病弱で ーーされど、あの風聞の元凶は、やは江戸を出る前夜、西の丸に竹千代が挨 ほそぢ あり、わたくしが細乳であったことにつり、 於江与の強い怨念にあるのかもしれ拶に訪れ、話はすぐ鷹狩のことになる。 け込み、わたくしと竹千代を遠ざけたのぬ。女たちの確執は解いてやれぬとして 「そなたの鷹どもの様子はどうだ」 も、兄弟の諍いの種はこの身が悪者にな家康の問いに、竹千代は嬉しそうに答 は、あの者にどざりまする。竹千代は、 つぶ える。 ってでも潰しておくしかあるまい。 あの子は、わたくしに甘えようともいた しませぬ。・ : ・ : 竹千代は生まれてすぐ 家康は何とか於江与をなだめ、国千代「据え廻しができるようになり、いよい 於福に奪われたのでどざりまする」 の改姓も元服後に行うということで納得よ渡りの訓練に入ることになりました。 うる 見開いた於江与の両眼が潤み、すぐにさせた。 駿府へ帰る勘右衛門殿が弟子の鷹匠を一 しよう なみだ 年末に向け、家康は己の胸にわだかま人残してくれるそうなので、その方と精 大粒の泪がこぼれ始める。 っていた問題を一気に片付ける。 進いたしまする。それと、それぞれに名 「さようなことを申して泣くな」 すおう 家康は素襖の胸元から取り出した白布暮れも押し詰まった頃には、来年の方を付けてやりました」 を渡した。 針として竹千代の元服が発表され、幕府「ほう、いかような名となった ? 」 きりみねこのり ーーー於江与が続けて子を産み、乳が細がいよいよ三代目の公方を擁立すること「雄の巣鷹は、霧峰兄鷂。雌の網懸を、 おおみやまはいたか くなっていたことは事実であり、退路をを明らかにした。 大見山鷂といたしました」 断って役目に臨んだ於福としても、真剣同時に、弟の国千代が甲斐国主に任命「しつかりと疾鷹の命名法に則っておる めのと に乳母の仕事をしたのであろう。されされることも発表される。松平改姓につな」 わざわい つまび ど、それらが重なって禍し、於江与がいては詳らかにされなかったが、「国千家康が言った通り、疾鷹の名付け方は はくふ さっ じん のっと あい 418
蒼鷹 ( 大鷹 ) や角鷹とは少し違っている。 「何を水くさいことを申しておる。次そんなことを思いながら、心はすでに 産地の名を基本とすることは一緒だが、 は、年明けに東金での本狩りへ出向こう年明けの本狩りに向かっていた。 しようだい げんな 雄雌を区別する「兄ー「弟ーや成鳥を表ぞ。まあ、その前に、余は駿府でひと狩年が明けた元和一一年 ( 一六一六 ) 一月 しよう とや するが す「塒」という呼称は付かず、雄を「兄 り、済ましておくがの」 一一十一日、家康は鷹狩のために駿河の田 はいたか 鷂と書いて『このり』」と読み、雌を竹千代と鷹野へ出たことをきっかけ中城へ赴く はいたか 単に「鷂」と呼称することになっていに、家康の鷹狩への思いもすっかり再燃そして、後に日の本と幕府を揺るがす ( 0 していた。 事件が、そこから始まった。 「されど、竹千代。よく網懸と巣鷹、雄「本狩りのこと、重ねてよろしくお願い と雌の区別ができたな」 申し上げまする」 二十一二 「大御所様が仰せになられた通り、よく「是非、霧峰と大見山を連れてくるがよ ふじえだしゆく 見ているとまったく気性が違いまする。 い。仕込みの具合をとくと検分してくれ新年の恒例となっている駿河藤枝宿で まなづるなべづる の鷹狩は、真鶴や鍋鶴などを狙うため入 やはり、雌の網懸は明らかに強うどざりようぞ」 まする」 一一人はまるで歳の離れた鷹匠と弟子の念な支度がなされる。 ようだった。 「於福のようにか ? 」 一月二十一日、家康は初日の仕込みを にしましづ 「 : : : それは、どうでありましよう」 駿府へ戻った家康は重荷を下ろし終わ終え、上機嫌で西益津の田中城へ入っ 竹千代は恥ずかしそうに俯く。 った後のように、久方ぶりにくつろいだ た。この城は本丸を中心に円形の堀が三 みそか 「大御所様、色々と有り難うござりまし気分で晦の時を過ごしていた。 重に広がる珍しい縄張りとなっていた。 ちややしろうじろうきよっぐ た。竹千代はこたびのことを一生忘れま ちょうど京の都から茶屋四郎次郎清次 竹千代にとって、於福は吉兆をも あいさっ せぬー たらす、まことに優秀な鷹の如くであつが挨拶に訪れており、家康は鷹狩に随行 竹千代は感慨深げな面持ちで頭を下げたな。駿府まで飛んできて、まんまとさせ、タ餉の前に談笑していた。 る。 「元服」という獲物を捕らえて竹千代の「清次、昨今の京の様子はどうなってお神 代 その言葉には、鷹狩への礼だけに留まもとへ戻った。あれは、強い。まさに網る」 百 らない深い感謝の意がこめられていた。懸の雌そのものではないか。 「昨年の夏以来、すっかり落ち着いてお おおたか くまたか なか なわば
ることができましたが、これ以上、身内 りませぬので一両日の時をいただきとう「お戯れを。滅相もどざりませぬー しやく を失いとうはどざりませぬ ござりまする 本多正純はさらに一献を酌した。 その数日後、西の丸に秀忠の正室、於於江与は大坂の陣で失った実姉の淀殿 「構わぬ」 ひでより 「それでは、これにて失礼いたします江与が家康を訪ねてくる。二人でしばらと甥の秀頼を救えなかったことを悔やん でいた。 く世間話をした後、於江与が切り出す。 る。本日は、酒を呑む気分になれませぬー ーー於千を取り戻したのは神仏の御加 「・ : : ・大御所様、竹千代の元服はもっと 秀忠はさっさと立ち上がる。 もだと思いまするが、国千代の件は何と護ではなく、われらの交渉の力だ。 その後に、無言で土井利勝が続いた。 家康はそう思っていたが、さすがに言 公方が退席した後、黙って家康が持ちかなりませぬでしようか ? 上げた盃に、秀タ正純が素早く御酒を注ぐ。 「何を心配しておる。国千代は、そなた葉にはできなかった。 あお 「そなたには苦労をかけてきた。それゆ の側から離れるわけではないぞ。甲斐の それを一気に呷ってから呟く。 「上野、江戸へ戻す件は、そなたに話し国主となるのも元服を済ましてからであえ、気持ちは察する。されど、これだけ り、そうなっても江戸から離れる必要はは致し方ないのだ。国千代がそなたの側 ていなかったな」 ない。ずっと、そなたと一緒にいられるから離れるわけではないゆえ、辛抱して 「それが何か ? 」 くれぬか」 正純は微かな笑みを浮かべて訊く。 のだ」 「されど、松平の姓をいただくと聞きま家康にそう一言われてしまっては、於江 「不服はないのかー 与も言い返せない。 「あろうはずもござりませぬ。父の塩梅した」 にまでお気遣いいただき、まことに感謝「さようだ。それは武門の理として仕方「それよりも、もう少しだけ竹千代に眼 がない。松平は余の元姓でもあり、さほをかけてやってほしい。余が見たとこ しておりまするー ろ、あ奴はなかなかの器量なのだ。そな 「秀忠の頭越しで余が物事を決めるのど悪くはあるまい」 たの倅として、余の孫として、徳川のこ 「そうではなく、姓を違えるということ も、これが最後になるであろう。後は、 そなたに任せる。大御所の転がし方ならで、あの子が遠く〈行ってしまうようなれからを背負ってくれるはずだから、そ神 代 ば、そなたが一番よくわかっておるであ気がいたしまする。神仏の御加護もあれを見てやってくれぬかー 百 おせん ろう その一一一口葉を聞き、於江与は驚いたよう 、於千はかろうじて大坂から戻ってく かす ごしゆっ たわむ たが よどどの
である。 れば、まだ明確な言葉にできなかったはおもむろに切り出す。 れいり が、いわば怜悧な才の片鱗ともいうべき「大炊、そなたにひとつ、相談があるの竹千代の宿老になるということは、そ ものだったかもしれない。 だ」 の矢面に立っという意味だった。 竹千代は恐るべき疾さで物事を考「何でござりましよう」 それでも土井利勝は淀みなく答える。 え、恐るべき疾さで的確な結論を導いて「年明け早々から竹千代の元服を進めて「身に余る光栄にござりまする。謹ん いるのではないか ? はどうかと考えておる。もちろん、公方で、お受けいたしまする」 それが家康の感想だった。 と相談せねばならぬが、年頃を考えれば「さようか。それはよかった」 しかも辛抱強い一面を兼ね備えて早すぎるということもあるまい。そのた「されど、懼れながら、お訊ねいたしま おとな おる。よく言えば粘り強い。悪く言えば、めにも竹千代の側にしつかりとした宿老するが、なにゆえ、この身を ? 諦めが悪い。わが孫ながら、摩訶不思議を付けてやらねばならぬ。そこで、どう「そなたは長年、余と公方の側で難しい たち さば な性質よ : ・ だ。そなた、やってみぬか ? 」 問題を捌き続けてきた。その智慧と度胸 確かに、派手な鷹狩に喜びながらも、 その一一 = ロ葉に、利勝は思わず軆を強ばらと経験は、三代目の公方に最も必要なも 竹千代は黙々と疾鷹の夜据えに励んでいせる。それから、素早く思案を巡らせた。 のであろう。それに、そなたの一喝で竹 る。対照的な事柄の間に己を置き、事の家康が竹千代の元服を口にするという千代の近習たちの眼もいっぺんに醒めた しんちよく 進捗を確かめているような気配だった。 ことは、単に成人の儀式を滞りなく進めようだ。後輩の指導は、宿老の重要な役 家康の興が乗ったこともあり、狩りはるということだけではなかった。 目だからな。そなたの目付は、実に疾か 十日も続き、立派な猟果を上げて終了し 同時に、新たな征夷大将軍となる準備った」 こ 0 を行い、宮家や朝廷にも根回しを行わな「懼れ入りまする」 ねぎら 最後の夜、家康は土井利勝を呼び、労ければならない。 「そなたは今の公方にとっても大事な年 いっこん じか いの一献を与える。 家康と秀忠のように、新たな大御所と寄衆ゆえ、余が城へ戻ってから直に話を 「そなたのおかげですべてが上首尾で終公方の周囲で幕府の人事も刷新されると通そう。余は楽隠居の身となるが、佐渡 わった。ご苦労であったな」 いうことである。当然の如く、波風は立の歳を考えれば一緒に隠居させてやらね ひとしきり狩りの話をした後で、家康つ。もちろん、家臣たちの暗闘も含めてばならぬ。江戸の年寄衆も大きく動かす はや こわ やおもて さと 412
くら 昏い廊下を歩きながら、家康が気落ちした様子で呟く 「元々、野生の鷹は簡単になっく生き物ではなく、長い時を きずなっく かけて絆を創らねばならぬのだ。されど、こちらが慣れる前 に怖れる気持ちの方が勝れば、それが鷹にも伝わり、主を見 下すようになってしまう。そうなれば、躾けるどころの騒ぎ ではなく、いずれ鷹狩そのものから興味が失せてしまうはず ほか だ。思いの外、竹千代が興味を示していたゆえ、疾鷹を与え 二十二 ( 承前 ) て好きなようにさせておいたのだが、少々性急すぎたやもし けが 典医から孫の怪我が軽いという報告を聞き、家康は胸を撫れぬ。孫と鷹野に出ることが楽しすぎて、余が浮かれすぎた ということか。可哀想なことをした」 で下ろした。 うなだ それを聞いても、後ろを歩く利勝は項垂れることしかでき 「竹千代が寝ているのならば、そのまま起こさぬ方がよかろ ない。 どいとしかっ 「 : : : 目配りが足りず・ : ・ : 申し訳どざりませぬ」 家康は土井利勝に目配せし、寝所を後にする。 おおい 「大炊、そなたのせいではあるまい」 「では、御典医。引き続き、若君様のど看病をお願いいたし 神 「いいえ、それがしがもう少し注意を怠らなければ」 まする」 の 「しばらくは竹千代の様子を見てやらねばならぬが、早々に代 利勝は頭を下げてから小走りで後を追う。 引き揚げることになるやもしれぬ。その覚悟はしておいてく 「こたびの鷹狩は、これで仕舞いかもしれぬなー たけちょ てんい いまわ 巻ノ参今際 たかがり いえやす たかの しつ はいたか つぶや
うき くにまっ 「やはり、伯耆か。して、もう一人は ? 」弟、国千代 ( 国松 ) を松平姓とし、甲をお始めになられるだろう。すなわち、 「それが難しゅうござりまする。それと斐の国主にするということは、完全に秀将軍職御移譲の儀も始まるということ いうのも、若君様は実に聡明であらせら忠の後継者になることを諦めさせるといだ。やはり、これはただの鷹狩ではなか おとな れ、御歳のわりに乙省ひた考えをなされうことだった。 った。大御所様が若君様の器量を見極め まする。おそらく、実のない理屈を振り 竹千代に不測の事態が起き、宗家に後るための場であったのだ。それがしに鷹 きようどう かざす者には耳を貸さぬと思いますし、継が絶えそうになった際でも、松平姓の狩の嚮導が申し付けられる時は、必ずな あまりに理詰めで窮屈にされても殻に閉国千代はあくまでも庶子の扱いとされ、 にかが起こる : よしなお かす じこもられるのではないかと。厳正で言徳川姓が許されている叔父の徳川義直や平伏したまま、利勝は微かに苦笑する。 よりのぶ おおくぼただ 葉に重みのある雅楽頭殿などを頭に浮か頼宣の方が継承順位は上となる。 本多親子と権勢を争っていた大久保忠 べてみましたが、一度に三名もの近習が 「もっとも、すぐに国千代が甲斐に行く隣が更迭されたのも、利勝が家康の鷹狩 上様から離れるのもいかがなものかと ことはなく、江戸の城に置いておくことに付き添った直後だった。 になるであろう。大炊、そなたの妹にそ つまり、この東金で利勝は本多親子を わざと結論を曖昧にし、家康の表情をれとなく伝えておいても構わぬぞ 選ぶか、大久保忠隣を選ぶか、家康から 「畏まりましてござりまする 詰め寄られたのである。 「まあ、そうなるであろうな。ふむ、そ 利勝は平伏しながら、己が非常に難し 当人はあくまでも中立でいたかった ひつばく なたの考えはわかった。余も再び考えてい役目を負ったことを噛みしめる。 が、状況は逼迫しており、家康に問われ くにちょ みよう。ところで、国千代のことなのだーーー大御所様は竹千代様を後継者と決ては態度を濁すわけにいかない。大久保 まつだいら はいちゃく こうふ が、松平の姓を与え、甲府一国の主とすめ、廃嫡などという噂を一気に払拭なさ忠隣とは縁故もあり、味方してやりたい るのが良かろうと思う。その時に、側にれるおつもりだ。さような話に踊らされところだったが、本多親子の攻勢は凄ま ぎんみ 付く者も改めて吟味するが、そなたも人た者は一掃されるであろうが、その矢面じく、情に流されている場合ではなかっ にこの身が立たねばならぬ。大御所様のた。 選を考えておいてくれぬか」 家康は非常に重要なことをさらりと言ロ振りからすると、御歳十五まで御元服結果として利勝は、己にとって当たり ってのけた。 を待っこともなく、年明け早々から支度障りのない本多親子を選び、多少の恩を あいまい から ふっしよく ちか さわ 414