可能性 - みる会図書館


検索対象: 新潮 2016年12月号
334件見つかりました。

1. 新潮 2016年12月号

手塚治虫は骨の髄までストーリー・テラーでした。マン かることはできます。おそらく彼は、マンガにとって大事 ガというメディアの可能性をあらゆるやり方で汲みつくし なのは、絵のうまさではなく、その絵が表現する物語の面 ながら、彼が目指したのは、なんとしても面白い物語を作白さなのだ、といいたかったのでしよう。 りあげることでした。 その気持ちが、一見マンガ表現をおとしめるような「マ そんな手塚治虫は、かって「マンガ記号論」を提唱して ンガ記号論」という極端な主張となって出てきたのです。 物議をかもしました。マンガは絵画芸術とは違って、絵の それほど手塚治虫は物語の面白さを徹底して追求しまし 自律的な価値を求めない。マンガの絵は象形文字のような た。冒頭に申しあげたとおり、手塚治虫は本質的にストー 記号の一種であって、物語を効果的に表現するための手段 リー・テラーだったのです。 にすぎないと主張したのです。 その一方で、面白い物語を描きたいという当初のストレ もちろん、この考えにはいくらでも反論ができます。そ ートな欲求が、読者や編集者の強い要望の下で、面白い物 もそも手塚治虫自身の絵にまぎれもない手塚の個性が刻印 語を描かねばならぬという義務感へと変化していったこと されていて、ほかの絵では代替不可能なのです。その一点 も理解できます。 をとっても、マンガの絵は普遍的に活用できる記号ではあ そうしたプロのマンガ家としての生活のなかから、マン りません。 ガの絵を描くという原初的な喜びをできるだけ抑えこみ、 しかし、「マンガ記号論」を唱えた手塚の意図を推しは マンガの絵は物語に奉仕する記号にすぎないのだと自らを 解説・メタモルフォーゼの魅惑 中条省平 720

2. 新潮 2016年12月号

は再度の診察のおりに実施した行為を、いま試してみる機会 「気持ちいいです、先生 : : : 左手の痛みが、薄くなっていき だと田 5 った。 ます」 患者がかすれた声で伝え、まぶたを閉ざす。 「では、右手と左手、それぞれをマッサージします。鏡から 「目を開けて。ちゃんと見てください」 目をそらさないでください」 万浬は彼の耳もとにささやきかける。患者はまぶたを開 万浬は、患者の右手の、甲から手のひらと指をみな左手で き、鏡のなかの左手を、血行がよくなってきたのか赤らんで 包むようにした。同時に、彼の断ち切られている左手首の、 きた顔で見つめた。 丸く肉が固まった先端を、右の手のひらと指とで撫でてゆ なおしばらくマッサージをつづけたあと、万浬は彼の手を 。丁寧に柔らかく、あたかもべッドで男性を愛撫するのに 離した。患者に箱から手を抜かせ、左手を見てみるように促 似た手つきで、軽く押したり、そっと撥ねたり、ぐっと強く 握り込む。患者はされるがままでいて、息が多少荒くなってす。患者自身、確かに感触を得ていると思い込んでいたせい きた。彼は鏡から目を離し、彼に向かって身を屈めている万か、手首から先を凝視して、本当に何もないことが信じられ ない表情を浮かべた。 浬を盗み見ようとする。 痛みの状態を尋ねる。彼は首をひねり、いまはほとんど感 「鏡を見ていてください」 じないと言う。 万浬はささやく声で語りかける。患者は慌てて目を戻し 「時間の経過とともに痛みが戻ってくる可能性があります。 た。日常生活においても、性的な意図を持ったタッチは疲労 や痛みをやわらげる。逆に性的不満は人の痛みを増進させる痛み止めの内服薬を出します。痛くなれば飲んでください。 それでも痛むようなら我慢せずに来院してください。また鏡 ことがある。この患者もまた、手首の切断後、彼の事情か、 を使ってマッサージしましよう」 妻側の事情かは知り得ないが、性的な面での満足を得られて 左手首が、衣服や寝具でこすれたり、何かに軽くぶつけた いなかった可能性が大きい。 りすることでも、高ぶった神経は失われた左手に対する強い 万浬は、患者の右手の小指から一本ずっその先端を、人差 し指と中指ではさむようにしながら撫でていく。一方で、患痛みとして感じ取る可能性がある。その場合、痛み止めの薬 は効果があるはずだし、痛みがさらにつづくようなら神経プ 者の左手首の、元はその辺りから指が伸びていただろうと思 われる場所を、右手への行為とシンクロさせるかたちで人差ロックを併せて試すことも考えたい。 「あの、ここに来れば、マッサ 1 ジは、また先生がなさって し指と中指とで撫でる。

3. 新潮 2016年12月号

いでしよう。ここを見てください。こことここ。二箇所で 室長は内ポケットから小さな手帳をとりだし、一枚やや乱 す。小さな影が認められます。これはおそらく、脳腫瘍だと 暴な手つきで破って、そこに医師の名前をふたり書いた。 おもわれます。指の痺れの原因となっている可能性が高いで 「明日の朝までにどちらかに連絡をとっておくから、受付で 紹介されたといえばいい」 「はい」 歩はただ黙って、小さく頷いた。生まれてはじめて受けた oe で、こんな病気が見つかるとは想像もしなかったが、医 突然に歩は不安をおぼえた。小さな声で「ありがとうござ います」と言いながら、なにか重大な変化が自分に起こって師の話を聞くうちに、こうなる可能性を無意識に想像し、準 備していた気もしてくるのが不思議だった。 いるように感じた。室長は通りかかったタクシーをとめて、 歩のア。ハートまで送り届けてくれた。タクシーに揺られなが 「幸い、まだ極めて小さな範囲の所見です。どのような治療 ら、歩はチリへの出張のときも終始、室長がこのように気遣を始めるか、脳外科医と相談します。今日はこれで帰宅なさ ってけっこうですが、明日から検査人院をしていただきま ってくれていたことをおもいだした。もう四十代の半ばをす ぎて、息子がふたりいる。都内で有数の受験校に通っているす。人院については、あとで看護婦から説明があります」 と聞いた。こういう真面目な人と結婚して、息子をふたり産 ひとりで家に帰り、電話で室長に手短に連絡をした。室長 は、こちらのことは心配ないから、治療に専念しよう、坂本 み、専業主婦をするというのは、どんな人生だろう、と窓の 外の流れる夜景を見ながらおもった。これから帰宅して出迎にはあとで電話をいれておく、と言った。坂本が内科医の苗 字であることを一瞬、おもいだせなかった。 える妻に、今日のわたしのことを話すのだろうか。できれば 翌日の検査で、肺のレントゲンを撮った。 黙っていてほしい。突然そうおもった。たぶん室長は話さな 肺癌が脳に転移したものである可能性を診断するためだっ いだろう。なぜ自分がそうおもうのかわからなかったが、歩 た。前日と同じような表情と声で、医師は肺にも小さな影が はひそかにそう確信し、室長とのあいだに小さな秘密をもっ たような気持ちになった。しかし、この小さな秘密は数日の複数見つかったことを説明した。脳腫瘍よりも大きく、数も 多かった。 うちに、淡い水彩のような色合いを、急速に失っていった。 内科医は脳外科医と放射線の担当医と検討をして、まず脳 腫瘍に放射線をあてる治療を開始したい、と歩に告げた。 室長の同級生だという内科医は、歩の脳の oe を撮った。 ワンク 1 ルが済んでから、ふたたび oe を撮り、脳腫瘍の 昼近くになってふたたび診察室に呼ばれると、内科医は朝 範囲と大きさを見て、その後の治療方法を決める、と言っ よりも緊張した様子で、 oe の画像を見ていた。 こ 0 「添島さんは研究者ですから、余計な配慮をしないほうがい 33 イ

4. 新潮 2016年12月号

「ええ、本当に何も。お話をおつづけください」 「はい。あの子の症状に興味を持って接してくださるなん て、どんな先生か知りたくて、もう少し尋ねました。あの子 を治してくださる可能性もあると思ったものですから。する と、まだ若い女性で、とても綺麗で、頭がよくて、と随分な 褒めようで : : : いえ、それはお会いして、まったく間違いで はない、むしろ褒め足りないくらいだと思っておりますけど : 森悟のロぶりが、ただの勘ですけど、医者と患者という 気がしなかったので、いまもお会いしてるのかなと思って訊 くと、友だちになったと申しました。森悟がひどい事件に巻 き込まれて以来、女性のお友だちの話を耳にしたことがなか ったので、内心驚くと同時に、あの子のお友だちなら信用で きると思って、思い切って出かけてきた次第です。すみませ ん長々と」 泉美がわずかに首を斜めに傾げてほほえみ、あらためて普 通の患者のものとは異なる視線を万浬に向ける。値踏みとい うほどではないが、優しく見届けられている感はある。 「ともかくレントゲンを撮らせてください」 看護師を呼び、泉美を線室へと案内させ、寝台に横にな るのを手伝わせた。万浬が、泉美の姿勢と位置とを機器に合 わせて調整し、操作室に戻って撮影する。角度を変えて数枚 撮影したあと、泉美にいったん待合室で待ってもらい、二人 の再診患者を診たあと、ふたたび診察室に人ってもらった。 「骨折などの異状は診られません。ヘルニアもありません 数学する ◎定価 ( 本体 1600 円 + 税 ) 思考の道具として身体から生まれた 数学。身体を離れ、高度な抽象化の 果てにある、新たな可能性を探るー ′ち数学 のまする 題ちし、身体 社話た 森 : 数学を通して世界をわかりたい」。 歳、若き異能の躍動するデビュー作ー 森田真生 345 ペインレス

5. 新潮 2016年12月号

あるともいへよう。それによって、明治の文明開化によるわ るのを感じるのである。即ち士大夫の人生論は主として儒教 れわれの精神的ひずみを直し、専ら物的文明の遅れを取り返的教養がこれを受け持ち、文学プロバーの世界は稗史小説の すために人間性の点でなりふりを構はぬわれわれの姿勢を整類ひで、西鶴近松に風俗小説的表現に見るべきものがある へようとした。これは当然文学がやる仕事なのだが、少くと も、その末端は情緒官能のたはむれに過ぎないといふ在り方 も文壇の主流は積極的にこの課題に取組む意欲がなかった」 である。私はここで価値の上下を論じてゐるのではない。人 ( 同前 ) 。 生観の広さ、つまり全人性の点で、昔も今も文は儒に及ばな しかし、明治の文明開化を、「功利主義と物質主義」に侵いといふ実情を指摘したいのである」 ( 同前 ) 。 されたものとして批判するだけなら、簡単なこと、西欧の人 「文は儒に及ばない」とは、町人の戯作は武士の学問に及ば 文的学問を型通りに修めた学者、論客なら容易にできるので ない、という意味ではない。河上が「儒」という一一一口葉で語ろ あり、その種の実例はいくらもある。河上が語っているの うとしているものは、つまるところ、如何に生きるべきか、 は、そんなわかりやすいことではない。そうした批判は、ど という問いに一身をかけて答えようとする努力そのもののこ れもこれも単に尤もらしい意見に過ぎず、「明治の文明開化 とだろう。その努力が纏った言葉の仕組みを、儒学と呼ぼう によるわれわれの精神的ひずみを直し」うるものなどでは到 が、仏教と呼ぼうが、その他何と呼ぼうが、そういうことは 底ない。 所詮どうでもよい。町人か武士か農民かの区別もまた問題で 「精神的ひずみ」は、ひずんだ精神自身の内側から新たに生はない。重要なのは、「士大夫ーの魂と、眼に見えぬその系 れて来る強い意欲、みずみずしい願望がなければ、直りよう 譜とが、実際に在ることだ。三人に共通する特徴のふたつめ がない。河上肇、岡倉天心、内村鑑三が、身ひとつのカで産を、河上徹太郎は、この「士大夫」の系譜のうちに読み取っ ている。 み出した一代の文業は、そうした治癒を根本から可能にさせ る何ものかとしてあった。河上を動かすのは、紛れることの 「その結果、私の挙げたい第二の特徴がある。それはこの三 ないこの事実である。このような文業こそが、文学の本筋で人が揃って儒教的教養で以て人格的に骨格づけられてゐるこ ないのなら、世に言う文学などは、取るに足りぬ。河上は、 とである。天心は儒教といふより老荘がかった傾向がある そう言いたいのだ。 が、鑑三は儒者ともいひ得る武士を父親に持ち、その厳格な 「これらの明治大正の文化的工 リートの著作を見てゐると、 躾のもとに成人した。彼はこの異教性をその『初心』の如く わが文学の本質的な在り方が旧幕以来のそれと同じものがあ身につけて忘れず、晩年に至るまで武士道的クリスチャンを したいふ 238

6. 新潮 2016年12月号

うみ、好きだよ。アミが玄関先でゴミ袋を持ったまま、私同じように帰ってこない可能性もあるのだと、ふと思う。 の顔をみていう。アミは、ゆりちゃんのお通夜のあと、初め て言葉を交わしたときから私を下の名前で呼ぶ。それが不思 まだつわりも終わっていないのに、マイコからリポン付き 議だった。どんな顔をして、お礼を言ったらいいのかわから で渡された新生児用のおむつの束ねられた「おむつケーキ」 ない。お礼という考え方がそもそもおかしいのかもしれない。 なるものがリビングの横に積まれていた。いっ雪に降りかわ るのかと思いながら、眠たくて、ソフアに横たわった。目を ~ めりかン J 、つ 開けるとすでにあたりは暗かった。かわらず雨音だけしてい る。おなかがすいているわけではないのになにか口にしたい アミは長い溜め息をひとっして、頬をすりあわせるような から、部屋は暗いまま、バナナをむいて、テレビをつけた。 キスをして出て行く。 妊娠してから買ったきりろくにみていなかったテレビをつけ るようになった。みるためにつけているわけではなかったか 夕飯の買い物にでかけるとき、斜向かいのマンションの非 ら音の心地よいものが良かった。力士の名前も技の名称も知 常階段全体がプルーシートに覆われていることを知った。マ らないけれど、呼び出しの声だの太鼓だの大仰なしゃべり方 ンションのエントランスで、上階に住む女性からたいへんな をしないアナウンサーの少し古めかしい声に惹かれたのがは 不幸が斜向かいのマンションで起きたときかされた。非常階じまりだった。ざわざわとした場内の雰囲気が心地よく、み 段から管理人さんが落ちて死んだ。管理人、と言われて空き るとはなしにみる。寄り切り、押し出し、声はきこえてきて 地で会った男だとわかった。花鋏の切っ先が太ももに刺さっ もそれらのすがたをよくみているわけではないからわからな ていたことも上階のひとからきいた。頭が割れて死んだ。明 い。すり鉢状になった国技館が遠景でうっしだされる。国技 け方は、サイレンがしきりと鳴りわたり、騒然としていたら館の屋根の下に、さらに吊り屋根があるのをみている。中人 しい。周囲の立ち騒ぎを地下室で眠る私たちは知らない。ア りの、幕内力士たちの土俵人りがはじまっている。大鉄傘の ミが帰ってきたら、このことを話そうと思いながら、家に戻下にゆっくり集まる力士のすがた。化粧まわしが光ってい る。男の頭の割れる音を想像していた。湿った骨の音。乾い る。もうそろそろ雪になるかな。このさきの天気を予想す た骨の音なら知っている。ゆりちゃんの骨をたたくときの音 る。降水確率のように、アミが帰ってこない確率もぼんやり 田 5 う。 をおぼえている。メレンゲみたいな頼りない音しかしていな かった。ドアを開けながら、アミが家に帰ってくる可能性と ( 次回、二〇一七年二月号 )

7. 新潮 2016年12月号

で特権的な被写体であり続けてきた。両者奥にむかってある種の凹凸が発生し、このる、愛とユ 1 モアの写真なのだ。石川写真 は日本の失われた「あるがまま」を保持し凹凸が自動的に、画面に独特のオーラや深の述語的に繋がれた雑種性は、戦後の日米 ているユートピアであった。つまり、二つさを加えることとなる。この効果は自動的関係の狭間でアイデンティティ・ポリティ の土地は中央の人間が「見たいもの」を一に発生するから、誰が撮っても美味しく写クスに囚われ苦悩してきた沖縄を解放する 方的に投影されてきたのである。中央はつる万能調味料のようなもので ( インスタグ可能性を秘めている。 ねに見る ( 写真に撮る ) 立場で、東北と沖ラムのフォーマット 一方、田附勝の写真は、日本人がイメー ! ) 、その意味では 縄はつねに見られる ( 写真に撮られる ) 立「あるがまま」のドキュメンタリーには相ジする東北を越えて遡り、赤い血の、獣臭 い、日本の内なる異民族性へ、「日本ー以 場、中央の人々は東北や沖縄で撮影された応しくない。 写真のなかに、彼らにとっての「あるがまつまり、田附勝と石川竜一があえて人工前の狩猟採集文化へと通じている。さらに ま」を勝手に見て満足してきたのだ。例え的な正方形を用いるのは、中央人が投影す『東北』に続く写真集『魚人』の世界で は、津波によって流された神社の鳥居が、 ばそれは、人情あふれる素朴な島人の楽る「あるがまま」をはね返すためである。 園、あるいは戦後日本の矛盾が露呈する基そんな投影がかすむほど、オーラと深さが太平洋の向こうの漁師町に流れ着いて大切 に保存されている様を紹介し、津波によっ 地の島である。例えばそれは、おどろおど加わった被写体は光っていた。 ろしい遠野物語の世界、あるいは 3 ・Ⅱの石川竜一による肖像の輝きは、それが同て壊滅的な被害をもたらした海が、同時 災害に屈せず復興の遠い途上にある土地で一性 ( アイデンティティ ) ではなく同等性に、人間同士を繋ぐ海でもある事を活写し ある。写真のなかの「あるがまま」は幸福 ( セイムネス ) を通じて撮られていることている。日本から奪われた「あるがまま」 でも不幸でも良い、日本から「あるがまに由来する。同一性の「同じ」が主語に関は、国境という輪郭を越えた地球規模の人 ま」は奪われているという真実さえ見ずにわる ( 「私」は「私」であって「あなた」と自然の交流へと回流していくのだ。 済むならば。 ではない ! ) とすれば、同等性の「同じ」 こ は、述語に関わる。裸になれば「同じ」、 展覧会の感想を聞くと、意外にも最初のた 正方形のフォーマットは、かってダイア病気になれば「同じ」、死ぬときには「同批判的な意図を越えて、この展覧会は訪れ感 ン・アーバスが、その独特の存在感を放つじ」だ、と。同一性の写真はアイデンティた人々に何か救いのような気持ちをもたら展 被写体を収めるために用いて以来、根強いティの輪郭を確定し隔てる写真である。同したのだった。彼らの写真は、戦後日本に縄 沖 影響力をもっフォーマット、言わば「アー等性の写真は、アイデンティティにお構い「あるがまま」を回復するのではなく、そ ハス・ポックス」である。人間のデフォルなく述語や動詞が「同じ」である事を通じれを強いられた「あるがまま」探しから解 トの視野は横位置の長方形であるから、そて、相手を自分と「同じ」存在として見つ放するように思われた。 れを正方形に撓めると、画面の手前ないしめる。それは正体ではなく正面に反応す

8. 新潮 2016年12月号

け」とは、あるものから別のものに化ける、すなわち、変吹きこむという意味ですが、手塚治虫の「エロティカ」に も、エ、、 ール・コールの「ファンタスマゴリー」に通じ 身することです。それゆえ、手塚は自身のメタモルフォー ゼの嗜好を満足させる絶好の題材として、飽くことなくお る、生命力にみちて変化する線の動きが脈打っています。 化けを描いたのでしよう。 以上述べたようなマンガ表現の根源に関わる芸術的欲求 ここで何よりも重要なことは、このメタモルフォーゼを について、手塚自身がこう語っています。 「ぼくはそれほどスケベな人間ではないつもりですが、セ 可能にしているのが、マンガの描線だという事実です。 先に「動き」という抽象的な観念を可視化するマンガの ックスに対するひとつのイメージがあるのです。 / たとえ 効果線について言及しましたが、マンガの描線は、確定し ば、動くもの、動きのあるものにはなんでもエロティシズ たイメージの輪郭をなぞって固定するのではなく、流れる ムを感じるのです。〔 : ・〕動きというものに性行為と同じ 線の自在な動きによってイメージを変化させることができ ような存在感を感じるわけです。 / 形にしても、たとえば ます。手塚は、こうした変化を内在させるマンガの描線の 雲がある形から別の形に移行する、その変化の過程に色気 特質を効果的に用いて、みごとにメタモルフォーゼを描い を感じるのです。〔 : ・〕だからこそ、動きの色っぽさを追 ているのです。 ところで、アニメーション映画の最初の巨人というべき フランス人の工、、 ール・コールは生涯に 3 0 0 本以上の作 品を撮りましたが、彼の初期の代表作に「ファンタスマゴ ( 幻灯魔術 ) 」 ( 1908 年 ) という短篇があります。 このアニメでは、黒い背景に描かれた白い線が自動的に動 きながら、人間や動物やさまざまな事物に連続的に変化し つづけるのです。まさにメタモルフォーゼそのものが「フ アンタスマゴリー」の唯一の主題であり、この作品はアニ メーションの根源にある欲求を体現した決定的な一作だと いえます。 アニメーションとは動かない絵にアニマ ( 生命、魂 ) を 大竹伸朗 従来の「美」の定義では捉えきれないう つくしさを日常の中に感じ、作品へと昇 華する日々。直島からヴェネッィアへ、世 界が注目する美術家が綴る、思索と創 作と旅の軌跡。◎定価 ( 本体 1900 円 + 税 ) 新潮社 〃 3 解説

9. 新潮 2016年12月号

る ) 、断片の組み合わせ ( 型紙にあわせて裁断された。ハ も気温が零下の世界では裸で生きていくことはできない。し を糸で縫い合わせていく ) などなど、さまざまに考えること かし、衣服があれば寒さから身を守ることができ、そのよう ができる。だが、布地を使用するものには椅子やカーテンな な状況でも生活することが可能となる。その意味で、衣服は どがあり、平面から立体に変換されるものには建築ーー床や身体の拡張となる。 壁といった面を構成して立体を作り上げるーーがあり、断片 もうひとつの「社会的に自己を規定する手段」とは、アイ を組み合わせるものにはコラージュがある。おそらく衣服に デンティティに関わるものと言えるだろう。衣服には着用者 あって他のジャンルにないものは「身体に纏われる」という の身分や所属を表示する機能がある。人間は裸の状態でも、 特徴であろう。身体を保護する、あるいは身体の覆いとなる その性別や人となりを推測することができるが、衣服があれ ものとしては建築も挙げられるが、身体が纏うものは衣服だ ばさらにそれがわかりやすくなる。このように、衣服は生物 けである。これは、衣服を第二の皮膚とする考えと親和性が学的な意味で身体を拡張するのみならず、社会的にも身体を 高いように思われる。 拡張するものなのだ。マクルー ハン自身が明確にそう述べて 第二の皮膚としての衣服という考え方は、メディアについ いるわけではないものの、衣服が第二の皮膚と呼ばれる所以 ての理論を展開したマーシャル・マクルーハンに由来する。 はここから生まれている。 マクルー、 ノンは衣服について次のように述べている。 先にも述べたように、身体を覆うものとしては衣服だけで なく建築もあるが、身体が纏うものは衣服だけである。つま 皮膚の拡張としての衣服は、熱制御機構であるととも り、衣服は身体から離れれば離れるほど建築的な様態へと近 に、社会的に自己を規定する手段でもあると見ることがで づき、衣服の固有性を失っていく。逆に言えば、衣服の固有 きる。この点で、衣服と住宅はわれわれに身近な一対をな性の純化とは、限りなく皮膚に近づくことだと言えよう。た す。 だし、決して皮膚になってはいけない。グリーンバーグはこ う語っていた。 マクルーハンの主張のポイントはふたつある。ひとつは身 体 ( 皮膚 ) の体温調節機能への着目である。人間の身体はそ モダニズムは、絵画が絵画であることをやめて任意の物体 れ自体が体温調節機能を持っている。そのため外界の温度が になってしまう手前ぎりぎりまで際限なくこれらの制限的 多少変動しても体温はあまり上下しないが、そうとは言って 条件を押し退け得ることに気づいてきた。 ( 中略 ) モダニ

10. 新潮 2016年12月号

くして複製可能なクリシェに成り下がり、当の流行を産ん だ欲望を失ってしまった創意の残滓に成り果てる。そうな ってしまうやいなやーーそれもほとんどあっという間であ りうる , ーー流行とは往々にして、そうした根底的な衝動が 過ぎ去った後に残った、モダニティの残滓にすぎなくなる のだ。流行は、火が唯一無二のかたちをしながら炎上した 後に残した灰のようなものであるーー残るは痕跡のみであ り、なにがしかの火が実際に起こったということが明らか になるにすぎない。 ・マンがいみじくも指摘するように、ファッションはモ ダニテイから逃れることはできないのかもしれない。ファッ ションの世界は常にいまここにある新しさを切望している が、新しさを手に人れるやいなや、それを燃やして灰にし、 痕跡だけが残ると彼は言う。いや、場合によっては痕跡すら 残らないこともあるだろう。それは、ファッションの仕事に 携わる人々が歴史の忘却を望んでいるからだ。 たとえば二〇一〇年代からアニメやマンガなどのサプカル チャーからインスピレーションを得る、あるいは直接的にコ ラボレーションをするファッションデザイナーやプランドが 増え、それがファッションの新しい動向のように語られるこ とがあった。だが、そうしたサプカルチャーからの引用は一 九九〇年代にも少なからず行われていたという事実がある。 にもかかわらず、そのことを指摘するようなジャーナリス ⑧新潮社 死小説 荒木経惟 年齢を重ね、癌に冒されながら、生の中 にある死を、日常の中にある此岸と彼 岸をカメラで切り取ってゆくーー写真 家が本気で「書き」下した、写真による 死 ( 私 ) 小説。◎定価 ( 本体 1900 円 + 税 ) 刀 7 言葉と衣服