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検索対象: 新潮 2016年12月号
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1. 新潮 2016年12月号

・雑誌はほとんどいない。それは、ファッションビジネス すれば一生安泰だとか、年とともに給与が上がり続けると が新しさの誇示によって成立しているためだ。それが過去を か、そういった類の ( 現在から振り返ってみれば ) 一種の神 意図的に忘却することにより生まれた新しさ、つまり捏造さ話のことである。これはモダニティの特徴の進歩史観から生 れた新しさであったとしても構わない。過去や伝統を継承あ まれるものだが、ポストモダンの時代では、こうした価値を るいは展開することよりも、過去とは異なる「現在性のエフ相対化しようとする意志が働き、もはや大きな物語は信じら れないものとなる。 エメラルなきらめき」をアピールすることが重要なのだ。 ファッションの世界はいまなおモダニズムにとらわれてい 一方、ファッションは現在も進歩史観的な価値観によっ る。あるいは、少なくともとらわれているかのように振舞っ て、新しさを渇望する。そのような新しさなどもはや存在し ている。近代ファッションの始祖は一八五八年に自身のプラ えないと考えることもせずに。このことは、アヴァンギャル ンドを設立し、オートクチュールのシステムを生み出したチ ドなる言葉がいまだに使われることと関係しているにちがい ャールズ・フレデリック・ワースだと言えるが、彼はポード ない。たしかにファッションという概念は定義上そもそもモ レールとほぼ同時代人であった。ポードレールが今を称揚すダニティを内包するため、進歩史観的な立場を取ることも仕 るために重視した概念であるモダニティは、いっしか現代か方のないことかもしれない。 ら近代へとその意味が変化し、過去のものとなった。一方、 もちろん他の分野でも新しさが求められることは事実であ ファッションはどうだろうか。大文字のファッションデザイ り、「ファッションだけが新しさに執着しているわけではな ン史はワースの考案したシステムのただなかにある。それ い」といった反論を受けるかもしれない。しかしながら、そ は、常に新しいものが生まれうるという単線的な時間軸をも こには決定的な違いがある。ファッション業界は。ハリも東京 とにした歴史観、つまり進歩史観である。 もいまだファッションショーを中心として動いているが、こ 一般に、モダンの後にはポストモダンがやってきたとされ のファッションショーは反復不可能性によって特徴づけられ る。ポストモダンとは、ジャンフランソワ・リオタールの る。美術、音楽、映画、小説、ダンス、演劇、アニメなどあ 言葉にならえば「大きな物語が解体されて、小さな物語が林らゆるジャンルの作品は、何度も鑑賞されうるものである。 立する世界」と言える。ここでいう大きな物語とは、社会あ だが、ファッションショーはそうではなく、二度以上見られ るいは共同体を構成する者が一致して信じることのできる価ることがほとんどないのだ。二度以上の鑑賞に堪えられない 値観である。高度成長期時代の日本であれば、大企業に就職というのは、ファッションが新しさの提示にとらわれている 278

2. 新潮 2016年12月号

である。 ダクトデザインや建築の分野で流行した、装飾を否定する風 ファッションデザイン史において、装飾を排した服が現れ 潮を表す言葉としてよく知られている。それをそのままファ たと言われるのは、二〇世紀に二回ある。ひとつは先述のシ ッションデザインにあてはめて、ファッションデザイン史に ャネルであり、もうひとつは一九九〇年代に活躍したヘルム おけるモダニズムはしばしばココ・シャネルに見出される。 1 ト・ラングである。これまでシャネルにはモダニズムの語 その理由としては、連載初回で述べた通り、プロダクトデザ が、そしてヘルムート・ラングには「ミニマリズム」の語が インや建築のモダニズムを代表するバウハウスやル・コルビ ュジェと同時代に活動していたこと、装飾が少なく、かっ動与えられてきた。果たして、このふたつの言葉にはどのよう きやすい膝丈のスカートなどを提案していたことに起因すな差異があるのか、あるいは差異はないのか。モダニズム る。 は、それが用いられる分野によって意味内容が変わる厄介な 言葉であるため、まずはミニマリズムがどのような概念であ 現在でもコレクションレポ 1 トで「モダンな」という形容 るのか検討することから始めたい。 詞を頻繁に目にするが、それが指している意味を理解するこ とは困難である。用例を見る限り、それは「装飾の少ない ミニマリズムーー反復と差異 服」を指す言葉として使われているような印象を受ける。だ ヘルムート・ラングの服をミニマリズムと呼ぶ場合、そこ が、モダンとは装飾の少なさを意味するのではない。それは に含まれるのは「装飾が少ない服」くらいの意味である。で もともと「現代的」を意味し、時を経るにつれて「近代的」 と訳されるようになる時代区分を表す言葉であり、その言葉あれば、「シンプル」と「ミニマル」の違いはどこにあるの だろうか。また、「イズム」をつける意味はどこにあるのだ 自体には何かしらの主張が含まれているわけではない。モダ ろうか。ミニマルを字義通りに受け取るならば、白いシャ ンから派生する言葉として、「モダニティ」や「モダニズム」 ツやインドのサリーのような一枚の布を纏うだけの服がそう があるが、前者はそこに顕著に現れている状況や性質を示す もの、後者はモダニティを推し進めようとする態度のことだ呼ばれる資格を持つのではないだろうか。、、・、ニマリズムとは 例のごとく他ジャンルの歴史を参照することで、 と理解できる。つまり、装飾の多寡を問題にするのであれ何か 衣 ば、モダンではなくモダニテイやモダニズムの語を使わねば理解の糸口をつかむことにしよう。 葉 文学と建築では、ミニマリズムがファッションと同じよう ならない。ただしここで生じる疑問は、そもそもモダニズム な意味で用いられている。文学では一九八〇年代のレイモン を装飾の排除として理解しても良いのだろうか、というもの

3. 新潮 2016年12月号

前回までに扱った「デザイン」や「スタイル」のように、 ム」は、作家が自称することもあれば、批評家などの第三者 日常に入り込んだ一一一口葉は厳密な定義を共有し続けるのが困難から名称を与えられることもあった。あるいは戦後、アル なため、意味が拡散していきがちである。言葉はそもそも生 テ・ポーヴェラやアンフォルメルのように批評家が類似の作 き物であり、時代によって移り変わるのは当然だと言える。 風を持っ作家をひとつの概念でくくることがなされてきた。 とはいえ、意味が拡散したまま放置すると、話し手と聞き手 未来派やシュルレアリスムのように、誰がその分類に属す のあいだにひとつの言葉に対する共通理解が得られなくな るのか決定する主導者がいる運動であればその内実を理解す り、コミュニケーション不全におちいってしまう。それゆえ るのはきわめて容易である。だが、モダニズムのように、明 チューニングのように、言葉の意味をーーかりそめのもので確な運動体として存在していない分類法の場合はそうではな あってもーー固定していく作業が必要となる。 い。誰かがそれを定義しなければ、その指示対象が何なの ファッションの用語で意味が不明瞭なのは、上記のような か、あるいは誰なのかわからない。ここで美術を例に出すの 日常語として使われているがために意味が拡散したものだけ は、美術史においては研究者や批評家などがその役割をきち ではない。いわゆる専門用語も同様である。芸術のあらゆる んと果たしてきているからだ。誰かが定義を試み、それをま ジャンルで、歴史を理解するために時代区分が必要とされた た別の誰かが批判的に検証する。そうした積み重ねによって 、作家や作品を理解する補助線としてさまざまな概念が規言葉が共有の財産となる。これは辞書の役割とは全く異な 定されたりする。たとえば、美術の歴史であれば、ゴシッ る。辞書は実際の用法をもとに意味を固定していくものなの ク、ルネサンス 、バロックといったようにその時代の特徴に で、理論家が自身の考えで定義を試みるのとは逆の作業であ よって分類されてきた。一九世紀後半以降は、さまざまな る。ファッション史あるいはファッションデザイン史を振り 「イズム」が生まれ、そして消えていった。印象派、未来派、 返ると、こうした定義の試みが全くと言っていいほどなされ シュルレアリスム、モダニズム、象徴主義、ミニマリズム、 てこなかったのが実状である。 シミュレーショニズム、キュビスム・ 。これらの「イズ たとえば「モダニズム」は、一般には二〇世紀初頭にプロ 2

4. 新潮 2016年12月号

ろう。想像だけど。そもそも残尿感みたいめていると私は思う。ずいぶん長い間音楽つの空間としていることを示している。 な、という感じがわからないという人も少を聴いてきてしみじみそう思う。忘れてい 私は音楽全体のことをずっと考えつづけ なくないか、と思いながらこれを今書いてる、と思い込むことで私たちは残感覚を選ているので、保坂が音楽だと思う。深沢七 いるのだが、それそれそこが " 残尿感みた別してきた。その破棄した中に今のカラダ 郎が実際に音楽の演奏家であり小説家でも い〃なんですよ、どうですか ? 心やらカに好反応するものも含まれていたのではなあることを根拠に「深沢七郎の小説は音楽 的である」などという人はつまらない人だ ラダ ( 身体Ⅱシンタイと書くと仰仰しいいか、と保坂は思うのだ。 し、体と書くと体育を連想してしまうので「私は再現するというのは言葉で再現するが、深沢七郎そのものが音楽なのでそれは この表記にする ) に " 残っている感覚〃でのはまったく二の次だ、私は再現したいの少しは当たっているか。音楽は空間を選ば もスッキリしているものとそうではないもはいつもそこそのものを再現したい」 ( 本ないので時間軸や文脈というものと無関係 のがあって、そうではないもののほうが感書六五 ) 。この一文はたいへんなことだ。に実はありつづけているものだ。聴こえな 覚的に線が太いというか色が濃いように私これを、あー細部まで描写しつくしたいんいのは聴こうとしていないのだ。音楽を体 は思うのだが、本書を読んでもっとそう思ですね、などと読んだらぜんぜんまったく内で再生するとき文字はいらない。音楽は うようになった。 まちがっている。保坂は″そこそのもの〃息のように感じることができる。 デレク・べィリーは演奏しながらそれまっていっているじゃないか。もう一度そこ「意味というのは意味でなく呼吸の方がわ で演奏したことのすべてを忘れ去っていきそのものに立っことはできないから〃再かりやすいときがある」と保坂は記し「意 たいと思っていたが、ギターを奏でている現〃したいっていっているのだ。その欲望味には意味を逸脱して呼吸と一体化したい その瞬間のいくつもはカラダに残ってしまこそが人間の命の根だと俺は思う。しかもという願望があるのだ、意味だけでいいな うと私は思う。それでなければ演奏に向か保坂はここに″いつも〃と記している。年ら声に出して歌う歌はもちろん、詩も俳句 えないからだ。音楽は聴こうと思わなくて中そんなこと考えているんだと思ったら、 も必要ない、繖文にだって歌は脈打って も聴こえてくるが演奏はやろうと思わなけ保坂のみすず書房刊『試行錯誤に漂う』がる、それがまったくなければ意味は通じな ればできない ( 一部例外あり ) 。だから音出た。やばい。こっちの本を開けると原稿い」とつづける ( 本書一五九—一六〇 ) 。 楽家は演奏や歌唱そのものに残感覚が常にが書けなくなるのが表紙見てすぐにわかつなんだか涙が出た。 ポプ・デイランが何故ノーベル文学賞 ? あるわけだ。むしろ、演奏上″いい感覚〃た。みんなもちろん繋がっている。『未明 を忘れないように、カラダに覚えさせろ、 の闘争』も『朝露通信』も、あれもこれという人に私は本書を推める。 というようなことを練習中先生にいわれたも。繋がりは保坂が自分の過去と進行する ( 講談社刊・一五〇〇円 ) りする。その " いい感覚〃こそが音楽を狭現在 ( つまり未来を含んでいる ) とをひと 265 本

5. 新潮 2016年12月号

義の画家たちをモダニズムの到達点だと評価した。そして、 彼は「モダニズムの絵画」において次のように語っている。 この理論を受けて彫刻の固有性をつきつめ、それを純化させ たのがジャッドの作品である。絵画において物語が不要なよ 西洋文明は、自己自身の基盤を顧みて問い直した最初の うに、彫刻にも物語や特定の人物の性格などを表象すること ものではないが、そうすることを最も突き詰めていった文 は不要であると考えられ、ジャッドは彫刻を単純な三次元的 明である。私は、モダニズムを哲学者カントによって始め 形態へと還元し、「スタック」シリ 1 ズを制作した。彼の作 られたこの自己ー批判的傾向の強化、いや殆ど激化ともい * 2 品はその形態の単純さゆえに「ミニマリズム」と呼ばれるこ うべきものと同一視している。 とになる。だが、彼らのミニマリズムはグリーンバーグの影 自己ー批判的傾向の強化とは、換言すれば自己の固有性を響を強く受けた美術批評家マイケル・フリードによってリテ ラリズム (literalism) ーー、グリーンバーグの理論を「リテ 徹底的に純化させることである。絵画の例に則して言えば、 ラルに ( そのまま ) 」彫刻にあてはめたという意味 , ーーとい 絵画が絵画であるゆえん、すなわち「絵画が絵画であること * 3 をやめて任意の物体になってしまう手前ぎりぎり」を追求すう名称を与えられ、批判された。 このように、モダニズムという言葉はジャンルによってそ ることがモダニズムの絵画の使命なのだ。グリーンバーグに の意味が異なる。建築やプロダクトデザインのような「装飾 よれば、絵画の固有性ーーメデイウム・ス。へシフィシティと の排除」によってシャネルにモダニズムの語を適用すること とは平面性にほかならない。ルネ いう用語が与えられた ができるのならば、グリ 1 ン。ハーグ的な意味でのモダニズ サンス以来の遠近法は絵画空間に奥行きを与えたが、その三 ム、つまりジャンルの固有性の純化という意味においてファ 次元性は彫刻的であるために、絵画には不要だと考えられる のである。また、宗教画などに見られる物語性は文学の範疇ッションデザインのモダニズムを考えることもできるはず だ。これまでに幾度となく述べているように、ファッション に属するものであるため、これまた排除されるべきものとな という言葉は多義的かっ曖昧であり、そのままでは固有性を る。グリーンバーグは、こうした平面性を追求するモダニズ ムの絵画の出発点をエドウアール・マネに見出し、ジャクソ 問うのが難しい。それゆえ、ここでは衣服の固有性について測 ン・ポロックーー塗料を筆からキャンヴァスに飛ばすドリッ考えるところから始めよう。 葉 衣服の特徴をいくつか挙げてみると、布地の使用、平面か ピングやポーリングという技法によってオールオーヴァーな ( 全面を覆う ) 絵画を描いたーーをはじめとする抽象表現主ら立体 ( の変換 ( 平面的な布地を身体に着せると立体的にな

6. 新潮 2016年12月号

で特権的な被写体であり続けてきた。両者奥にむかってある種の凹凸が発生し、このる、愛とユ 1 モアの写真なのだ。石川写真 は日本の失われた「あるがまま」を保持し凹凸が自動的に、画面に独特のオーラや深の述語的に繋がれた雑種性は、戦後の日米 ているユートピアであった。つまり、二つさを加えることとなる。この効果は自動的関係の狭間でアイデンティティ・ポリティ の土地は中央の人間が「見たいもの」を一に発生するから、誰が撮っても美味しく写クスに囚われ苦悩してきた沖縄を解放する 方的に投影されてきたのである。中央はつる万能調味料のようなもので ( インスタグ可能性を秘めている。 ねに見る ( 写真に撮る ) 立場で、東北と沖ラムのフォーマット 一方、田附勝の写真は、日本人がイメー ! ) 、その意味では 縄はつねに見られる ( 写真に撮られる ) 立「あるがまま」のドキュメンタリーには相ジする東北を越えて遡り、赤い血の、獣臭 い、日本の内なる異民族性へ、「日本ー以 場、中央の人々は東北や沖縄で撮影された応しくない。 写真のなかに、彼らにとっての「あるがまつまり、田附勝と石川竜一があえて人工前の狩猟採集文化へと通じている。さらに ま」を勝手に見て満足してきたのだ。例え的な正方形を用いるのは、中央人が投影す『東北』に続く写真集『魚人』の世界で は、津波によって流された神社の鳥居が、 ばそれは、人情あふれる素朴な島人の楽る「あるがまま」をはね返すためである。 園、あるいは戦後日本の矛盾が露呈する基そんな投影がかすむほど、オーラと深さが太平洋の向こうの漁師町に流れ着いて大切 に保存されている様を紹介し、津波によっ 地の島である。例えばそれは、おどろおど加わった被写体は光っていた。 ろしい遠野物語の世界、あるいは 3 ・Ⅱの石川竜一による肖像の輝きは、それが同て壊滅的な被害をもたらした海が、同時 災害に屈せず復興の遠い途上にある土地で一性 ( アイデンティティ ) ではなく同等性に、人間同士を繋ぐ海でもある事を活写し ある。写真のなかの「あるがまま」は幸福 ( セイムネス ) を通じて撮られていることている。日本から奪われた「あるがまま」 でも不幸でも良い、日本から「あるがまに由来する。同一性の「同じ」が主語に関は、国境という輪郭を越えた地球規模の人 ま」は奪われているという真実さえ見ずにわる ( 「私」は「私」であって「あなた」と自然の交流へと回流していくのだ。 済むならば。 ではない ! ) とすれば、同等性の「同じ」 こ は、述語に関わる。裸になれば「同じ」、 展覧会の感想を聞くと、意外にも最初のた 正方形のフォーマットは、かってダイア病気になれば「同じ」、死ぬときには「同批判的な意図を越えて、この展覧会は訪れ感 ン・アーバスが、その独特の存在感を放つじ」だ、と。同一性の写真はアイデンティた人々に何か救いのような気持ちをもたら展 被写体を収めるために用いて以来、根強いティの輪郭を確定し隔てる写真である。同したのだった。彼らの写真は、戦後日本に縄 沖 影響力をもっフォーマット、言わば「アー等性の写真は、アイデンティティにお構い「あるがまま」を回復するのではなく、そ ハス・ポックス」である。人間のデフォルなく述語や動詞が「同じ」である事を通じれを強いられた「あるがまま」探しから解 トの視野は横位置の長方形であるから、そて、相手を自分と「同じ」存在として見つ放するように思われた。 れを正方形に撓めると、画面の手前ないしめる。それは正体ではなく正面に反応す

7. 新潮 2016年12月号

校時代に書いた世阿弥論だった。その頃から短歌も盛んに作真をしゃべれというのだ〉〈僕は以来この作家の文芸評論を っている。つまり、保田にとってはむしろ、プロレタリア文愛してきたのでない。つまりそれは僕の理論的な思惟がそれ 学運動への参加こそが、時代に迎合した自己の弱さの現れだ を愛さなかった。しかし今僕はその反面氏を日常的ならざる っ ( 。 作家と数え得た〉〈「 * への手紙」はその形の如何にかかわら この姿勢は小林と重なってくる。繰り返し見てきたよう ず今日に於て最も正しい意味の小説なのだ〉。つまり保田は、 に、小林にとってもまた、集団を前提とする政治的活動は、 小説とも批評とも言えない異様な錯乱の文体で書かれた「 >•< 個であることに堪えられない弱さの現れだった。だが小林は への手紙」という作品が、真実への意志に貫かれた正しさを 保田のように左翼活動を試みたことは一度もなかった。むし持っていると言うのである。これは当時、「への手紙」を ろ、マルクス主義の全盛期に、ただ一人でそれと戦うこと 正面から肯定的に評価した、ほとんど唯一の論評だった。 で、文芸批評家としての自己を確立させた。保田が小林の文 小林の方でも、保田を認識したのはこの頃のはずで、保田 章を初めて読んだのはその頃のようである。「思想」一九三 の名前が初めて現れるのは、それから八カ月後の「批評につ 〇年十一一月号に掲載された、早川鮎之助の論文「批評は何処 いて」 ( 「改造」一九三三年八月 ) である。ここで小林は、保田 へ行く ? 」で小林を知った保田は、早川論文に書かれていた の論文「批評の問題」 ( 「思想」一九三三年七月 ) を取り上げ 〈剌たる印象批評〉という言葉に反応して、自身の編集す て、保田が評価した小林の〈錯乱〉を受けるようにこう述べ る雑誌「コギト」の創刊号 ( 一九三二年三月 ) に論文「印象批る。〈氏の論文は草稿めいて混乱しているが、私はもっと精 評」を発表した ( 渡辺和靖『保田與重郎研究』 ) 。しかし、保田 到に語って欲しいとは望まぬ。あれで充分だ、筆者の気持も が明確に小林を意識するのは、同年十二月の「コギト」掲載よくわかったし、現代文学論の苦し気な相もみられた〉。現 の、「作家の論理活動とスチリヂールングの問題」において代において、ありきたりの図式や、わかりやすい問題は、す である。保田は、悪評の高かった小林の小説「 * への手紙」 べて嘘である。真実は分裂や錯乱においてしか示せない。と を、その〈錯乱〉において賞賛する。〈小林氏の小説を批評はいえ、それを理論的に言うことと、自らの文章自体で示す するのには今日通用する文芸批評の方法論ではできない〉 ことは違う。保田はまだ理論の次元にいる。そして混乱する 〈この小説の作者は以後にも「錯乱」ということをといてい ことが正しいわけでもない。その混乱のなかから確かなもの る。ある友人が僕に新潮十月号をくれて「小林を読んでみ をつかまねばならない。だから小林は言った。〈君の野心を ろ、悲壮だぜ」というので、その座談会の記事を読んでみ実行してみせてくれ給え、すべては実行にかかっている〉。 た〉〈この中から僕は小林氏の錯乱ということばを拾った。 その後、保田の代表作の一つである「日本の橋」が、「文 正しさをめちゃくちゃに喋れということが述べられている〉 學界」一九三六年十月号に掲載される。それはまさに小林の 〈つまり小林氏の意志するところは確かに作家の主観意志の要求に応えるような、発想においても文体においても、保田

8. 新潮 2016年12月号

ズムの絵画が自己の立場を見定めた平面性とは、決して全テン語では「新しい (modern) / 古い (ancient) 」という * 5 くの平面になることではあり得ない。 対立は存在しなかったという。それは、古代ローマ人が通時 的関係に無関心であったためだとカリネスクは指摘する。現 モダニズムの絵画は平面性を追求しながらも、全くの平面代では「 modern/classic 」という対立は自明のものだが、紀 元後二世紀には class 一 c ( ラテン語では classicus) の意味は「第 になるわけではないとグリーンバーグは言う。同様に考える ならば、衣服は皮膚を目指しながらも、決して皮膚になるこ 一級の」であり、その反意語は「新しい」ではなく「低俗 とは許されない。衣服が衣服であることをやめる手前ぎりぎ な」であったとされる。その後、五世紀末になってモダンの りでとどまらなければならないのだ。だとすれば、衣服のモ 語源となる modernus ( 「いまの」、「われわれの時代の」を意 ダニズムとは一九八〇年代に流行した、アズディン・ア一フィ味する ) が使われるようになる。だが、そこには決してポジ アに代表されるボディコンシャスなシルエットに行き着くの テイプな意味が常に込められていたわけではない。とりわけ ではないか。これはグリーンバーグ的な意味でのモダニズム 一七世紀末にフランスで起こった新旧論争・ーー古代文学と現 を出発点とした場合のひとつの解である。だが、ファッショ 代文学のどちらが優れているか議論されたーーに至るまで ンのモダニズムを第二の皮膚的な様態と結論づけるのはいさ は、古典の方が優れていることは自明の理だとされていたの さか性急である。実のところグリーンバーグのモダニズムの である。 用法はきわめて特殊なものであり、多くの思想家や批評家が その後一九世紀になって、ポードレールが新しさⅡ現代性 考えるモダニズムとはやや異なっているからだ。モダニズム に積極的な意味合いを与えたがために、モダンはポードレ 1 の本質がどこにあるのか探るために、次に「モダン」の歴史ルの名とともに語られることとなった。まずはポードレール をさかのぼっていくことにしたい。 の発言を確認しておこう。彼は画家のコンスタンタン・ギー スについて論じた「現代生活の画家」でこのように述べてい ポードレールとモダニティ る。 モダニズムに関する議論において多くの論者に共通するの は、アヴァンギャルドとの関連性、そして始まりを詩人のシ ャルル・ポードレールに見いだす態度である。『モダンの五 つの顔』を著したマティ・カリネスクによれば、もともとラ 衣 かくのごとくに彼〔コンスタンタン・ギ 1 ス〕は行き、彼葉 もと は走り、彼は索める。何を索めるのか ? むろんのこと、 私が描いてきた通りのこの男、活瀑な想像力に恵まれ、つ

9. 新潮 2016年12月号

あるともいへよう。それによって、明治の文明開化によるわ るのを感じるのである。即ち士大夫の人生論は主として儒教 れわれの精神的ひずみを直し、専ら物的文明の遅れを取り返的教養がこれを受け持ち、文学プロバーの世界は稗史小説の すために人間性の点でなりふりを構はぬわれわれの姿勢を整類ひで、西鶴近松に風俗小説的表現に見るべきものがある へようとした。これは当然文学がやる仕事なのだが、少くと も、その末端は情緒官能のたはむれに過ぎないといふ在り方 も文壇の主流は積極的にこの課題に取組む意欲がなかった」 である。私はここで価値の上下を論じてゐるのではない。人 ( 同前 ) 。 生観の広さ、つまり全人性の点で、昔も今も文は儒に及ばな しかし、明治の文明開化を、「功利主義と物質主義」に侵いといふ実情を指摘したいのである」 ( 同前 ) 。 されたものとして批判するだけなら、簡単なこと、西欧の人 「文は儒に及ばない」とは、町人の戯作は武士の学問に及ば 文的学問を型通りに修めた学者、論客なら容易にできるので ない、という意味ではない。河上が「儒」という一一一口葉で語ろ あり、その種の実例はいくらもある。河上が語っているの うとしているものは、つまるところ、如何に生きるべきか、 は、そんなわかりやすいことではない。そうした批判は、ど という問いに一身をかけて答えようとする努力そのもののこ れもこれも単に尤もらしい意見に過ぎず、「明治の文明開化 とだろう。その努力が纏った言葉の仕組みを、儒学と呼ぼう によるわれわれの精神的ひずみを直し」うるものなどでは到 が、仏教と呼ぼうが、その他何と呼ぼうが、そういうことは 底ない。 所詮どうでもよい。町人か武士か農民かの区別もまた問題で 「精神的ひずみ」は、ひずんだ精神自身の内側から新たに生はない。重要なのは、「士大夫ーの魂と、眼に見えぬその系 れて来る強い意欲、みずみずしい願望がなければ、直りよう 譜とが、実際に在ることだ。三人に共通する特徴のふたつめ がない。河上肇、岡倉天心、内村鑑三が、身ひとつのカで産を、河上徹太郎は、この「士大夫」の系譜のうちに読み取っ ている。 み出した一代の文業は、そうした治癒を根本から可能にさせ る何ものかとしてあった。河上を動かすのは、紛れることの 「その結果、私の挙げたい第二の特徴がある。それはこの三 ないこの事実である。このような文業こそが、文学の本筋で人が揃って儒教的教養で以て人格的に骨格づけられてゐるこ ないのなら、世に言う文学などは、取るに足りぬ。河上は、 とである。天心は儒教といふより老荘がかった傾向がある そう言いたいのだ。 が、鑑三は儒者ともいひ得る武士を父親に持ち、その厳格な 「これらの明治大正の文化的工 リートの著作を見てゐると、 躾のもとに成人した。彼はこの異教性をその『初心』の如く わが文学の本質的な在り方が旧幕以来のそれと同じものがあ身につけて忘れず、晩年に至るまで武士道的クリスチャンを したいふ 238

10. 新潮 2016年12月号

い。ファッションの世界に生きる者たちが、川久保・山本が いた。マルタン・マルジェラは、通常プランドのロゴが印 % あるいは刺繍される首裏のタグをただの白い布にしたり、新 ソニア・リキエルの系譜に連なることを意図的に無視あるい 作を発表することが暗黙の了解となっているコレクションで は忘却し、新しさを捏造しているとしか言えないだろう。 過去の作品を発表したり、あるいは美術館での展覧会でカビ もちろん、アヴァンギャルドと言っても過去からの影響が まったくないということはありえない。それゆえ、ソニア・ を生やした衣服を展示したりと、モノよりもコンセプトの方 が重視される作品を発表し続けた。つまり、マルジェラはフ リキエルからの流れを認めた上で、川久保をアヴァンギャル ドだと論じることもできる。だが、仮に一九八〇年代の川久アッションデザイン史において美術史で言うところのマルセ ル・デュシャンのような存在・ーー一九一七年に男性用小便器 保がアヴァンギャルドであると認めたとして、現在の彼女に に署名しただけの作品《噴水》を発表し、コンセプチュア もアヴァンギャルドの称号を与え続けられるのだろうか。ア だと考えられよう。デュシ ヴァンギャルドとは前衛、すなわち時代の先にいることを意ル・アートの先駆者となった ャンが美術のル 1 ルを一新したように、マルジェラもファッ 味する。川久保の日常着から離れた奇抜なシルエットの服が ションのルールを変える可能性があったに違いない。だが、 一九八〇年代においてアヴァンギャルドであったなら、二〇 マルジェラのプランドであるメゾン・マルタン・マルジェラ 一〇年代の今、それはもはや後衛でしかない。二〇一〇年代 はイタリアのファッションプランドであるディーゼルに事実 のアヴァンギャルドは一九八〇年代とはまったく異なる形を しているはずだから。 上買収され、二〇〇〇年代末にはプランドからマルタン・マ 前衛を過去から切断された存在と考えるならば、歴史の転ルジェラが去ったと報じられる。マルジェラのアヴァンギャ ルドとしての試みは、ファッションシステムの論理に飲み込 換点となる、ある特定の時点の作家ーーあるいは作品ーーこ そにその称号を与えるべきであろう。その意味では、一九九まれてしまったのである。 〇年代のマルタン・マルジェラこそアヴァンギャルドと呼ぶ にふさわしいファッションデザイナーである。マルジェラが 文学研究者のポール・ド・マンは「文学史と文学のモダニ アヴァンギャルドと呼ばれる理由は、ファッションを「コン ティ」で次のように述べている。 セプチュアル」なものにしたからである。コム・デ・ギャル ソンやヨウジ・ヤマモトらはソニア・リキエルの延長線上 流行 ( モード ) は、眩い輝きを点したかと思えばほどな で、あくまで衣服のモノとしての側面における変革を試みて