性です。 納得させる必要が出てきたのでしよう。それが、手塚の 「マンガ記号論」のよってきたる所以だったと私は考えて 手塚治虫は折りにふれて、自分が正式の絵画教育を受け います。 ていないことへのコンプレックスを語ったといわれます。 しかし、マンガを描きはじめた手塚治虫の原初の動機に 自虐的とさえ思われる「マンガ記号論」の主張にも、そう は、マンガの線を描くことの純粋な喜びがあったはずで したコンプレックスが影を落としているかもしれません。 す。たった一本の鉛筆でマンガの線を自在に作りだすこと しかし、この「エロティカ」の冒頭に収録された女ネズ の純粋な快楽。それが手塚治虫を、いや、多くのマンガ家 ミの描線を見れば分かるとおり、手塚の描こうとしたもの をマンガという表現に向かわせています。 は、絵画教育によって伝達できるルネサンス以降の近代的 今回、発見された「手塚治虫のエロティカ」は、〈スト な絵画の方法とはまったく異質なものでした。西欧絵画が ーリーマンガ〉の神様といわれる手塚が、面白い物語の構 夢見た絶対的な正確さや、ゆるぎない遠近法空間の構築と 築というプロとしての仕事からまったく離れたところで、 いった理念は、手塚治虫のマンガ表現の欲求となんの関係 自分のためだけに描き、秘蔵してきたものです。これはい もありません。したがって、手塚が正統的な絵画の方法に わば〈純粋マンガ〉とでも呼ぶべき作品群なのです。ここ コンプレックスを抱く必要など毛頭なかったのです。 には、手塚治虫の最も深いところにあるマンガ的欲望が結 この「エロティカ」に典型的に見られるように、手塚の 品しているといえるでしよう。 絵は、リアルな再現や正確な描写を初めから問題にせず、 当然のことながら、これらの絵にはタイトルはありませ まるで滑らかな皮膚をなぞる愛撫のように、ひたすら線の ん。したがって発表の便宜上「エロティカ」と題されてい 快楽を追いかけています。ェロティックな女性のヌードを ますが、手塚治虫自身がこれを初めから「エロティック」 描くことが目的なのではなく、むしろ逆に、純粋な線の快 な作品群として構想していたわけではありません。じっさ 楽を味わうためにこそ、丸っこくすべすべの女体が最適の い、ご覧になれば一目瞭然、ここにはポルノグラフィック 題材として選ばれている感じです。 な露悪趣味や覗き見的興味はまったく存在せず、春画のよ この点で、女体と同じく柔らかい曲線をもっ赤ん坊の体 うな男女の性行為の描写も皆無です。 も、手塚的な描線にとって親和性が高く、げんに岬ヘージ それでは、何があるのか ? まず私たちの目に飛びこん では女性が赤ちゃんに変身するところが描かれています。 でくるのは、マンガの描線のふるえるように生々しい官能今回の「エロティカ」における人間の身体の滑らかな曲線 721 解説
ものではない。そもそも何のために描かれたのか特定でき 2016 年、手塚治虫は漫画家デビュー間周年を迎え ず、まさに習作と呼ぶに相応しい。これらの存在が世に知 た。没後の年を差し引くと、生前プロとして活動したの れ渡ったのは二年前のこと。手塚の書斎に置かれた、開か は年間である。その期間内に手塚が描いた原稿は実に ずのロッカーから、茶封筒に人った紙片の束が見つかった 万枚。さらに漫画作品の執筆と並行して、アニメーション のだ。ほどなく、発見者である手塚の長女手塚るみ子さん 制作のための絵コンテや原画、博覧会や企業広告をはじめ が、ツィッター上にその一部をアップし、すぐさまニュー とする各種媒体用の挿画など、ほかの分野の作画にも多く スで取り上げられた。しかし、その後もほかの作品が公開 の時間を費やしている。手塚は小説やエッセイの執筆、講 されることはなく、全貌が判らぬまま月日が過ぎていった 演会や番組出演などの活動も精力的に行なったが、やはり のである。 その中心は物語を紡ぎ、絵を描くことだった。しかもデビ ュー以前にも膨大な枚数の習作原稿を描きためていたとい そんな折り、今春、デビュー間周年に向けて、本誌で特 集を組むことが決定。特集の主題に何を据えるかを探った うから、描くことこそが、手塚の人生そのものだったとい えるだろう。 際、重層的かっ多面的な手塚作品のうち、もっとも本誌に 適した題材として「エロス」という言葉が浮上した。元 本特集「手塚治虫のエロティカ」は、そんな手塚治虫の 「エロス」に焦点を絞った企画である。今回、本誌には珍来、文学にとってエロスは重要な主題のひとつである。な らば、この素描について、文芸誌ならではの検証が可能な しくグラビア。ヘージが設けられた。掲載された素描は本邦 のではないか。何より手塚作品にはエロスを題材にした、 初公開となるが、それらはいずれも発表を前提に描かれた 解題・習作に見る描線へのこたわりと表現力 濱田高志 〃 5 解題
バーまで、ありとあらゆる表紙絵を集めた決定版だ。これ 濱田高志 は今春急逝した手塚プロダクション資料室室長の森晴路氏 による監修で、その大半が氏の蔵書を使用したもの。 そして、同じく森氏と筆者が企画したのが「手塚治虫カ 手塚の漫画家デビュー間周年を記念した企画が様々な媒 ラー作品選集」 ( 全 3 巻 ) 。これは淡く上品な″手塚カラ 体で組まれているが、ここでは、手前味噌ながら筆者が企 ー〃が楽しめる童話や幼年漫画、そして今までモノクロで 画・編集に関わった書籍を紹介したい。 まずは立東舎文庫の三冊。これは手塚の活字作品から しか単行本化されていなかった少女漫画など、手塚の鮮や かなカラー作品を、雑誌発表時のオリジナルの状態で初単 「自伝」「小説」「エッセイ」を取り上げたもので、順に 行本化するシリーズ。発売中の第 1 巻は、幻の〈ディズニ 「ぼくはマンガ家」 ( 新装版 ) 「手塚治虫小説集成」 ( 新編集 ) ーランド〉版「ジャングル大帝」で、このあと来春に向け 「手塚治虫映画ェッセイ集成」 ( 既刊を改題の上、増補した完 て「チッポくんこんにちは」「こけし探偵局」の刊行が待 全版 ) 。これによって、手塚が名文家だったことが判る趣 向だ。なお、同社からは、来春続刊が予定されている。 機中。 手塚治虫のすごさは、その作品が、時代を経ても新しい 一方、玄光社からは、手塚がこれまでに手がけた表紙絵 読者を獲得し続けている点で、それは豊富な知識に裏打ち 1200 冊分を集めた「手塚治虫表紙絵集」が刊行され された、揺るぎない完成度を誇る作品内容だからこそ。死 た。戦後間もない頃の初期作品から晩年の作品まで、単行 本、雑誌表紙、各種全集はもちろんのこと、雑誌ふろくや後年を経ても毎月のように新編集の単行本やムックが刊 行される作家など、世界中を見渡してもほかにはいない。 レコ 1 ド、カレンダー、ほかの作家のために描いた書籍カ 選 ロ帝 作 ガ 紙 ( 表 力会 マ刊 虫 ) 行 ムロ、 治社 治ノ刊 塚、【書 一仟絃王・ 手集国 間周年記念本紹介 〃 9 70 周年記念本紹介
手塚治虫の 漫画家デビュー 70 周年企画 協力・手塚プロダクション 企画・濱田高志 国民的漫画家・手塚治虫が極私的に描き続けた工ロティックなデッ いイメージは、いつ、何のために生み出されたのか ? 謎に充ちた モルフォーゼ ( 変身 ) へと向かう「手塚治虫の最も深いところにあ 775
手塚治虫は骨の髄までストーリー・テラーでした。マン かることはできます。おそらく彼は、マンガにとって大事 ガというメディアの可能性をあらゆるやり方で汲みつくし なのは、絵のうまさではなく、その絵が表現する物語の面 ながら、彼が目指したのは、なんとしても面白い物語を作白さなのだ、といいたかったのでしよう。 りあげることでした。 その気持ちが、一見マンガ表現をおとしめるような「マ そんな手塚治虫は、かって「マンガ記号論」を提唱して ンガ記号論」という極端な主張となって出てきたのです。 物議をかもしました。マンガは絵画芸術とは違って、絵の それほど手塚治虫は物語の面白さを徹底して追求しまし 自律的な価値を求めない。マンガの絵は象形文字のような た。冒頭に申しあげたとおり、手塚治虫は本質的にストー 記号の一種であって、物語を効果的に表現するための手段 リー・テラーだったのです。 にすぎないと主張したのです。 その一方で、面白い物語を描きたいという当初のストレ もちろん、この考えにはいくらでも反論ができます。そ ートな欲求が、読者や編集者の強い要望の下で、面白い物 もそも手塚治虫自身の絵にまぎれもない手塚の個性が刻印 語を描かねばならぬという義務感へと変化していったこと されていて、ほかの絵では代替不可能なのです。その一点 も理解できます。 をとっても、マンガの絵は普遍的に活用できる記号ではあ そうしたプロのマンガ家としての生活のなかから、マン りません。 ガの絵を描くという原初的な喜びをできるだけ抑えこみ、 しかし、「マンガ記号論」を唱えた手塚の意図を推しは マンガの絵は物語に奉仕する記号にすぎないのだと自らを 解説・メタモルフォーゼの魅惑 中条省平 720
大伴昌司が秘密めかしておれに言ったことがあった。 時には大勢で手塚さん自身と会っている時にさえ「あれは 「手塚さんが誰にも内緒であぶな絵を描いてるらしいよ」 ェロチックだなあ」などと口にし、こんな時手塚さんはい その話はすぐ作家たちの内輪話となり誰もが知って かにも嬉しそうに「うん。そうなんだ。そうなんだ。そ いることとなった。われわれはそれを別段不思議だとは思 う。そう」などと頷いていたものだった。 わなかった。画家なら誰でもこっそりやっていることだろ あの頃からなんと四十数年、物故した仲間たちには申し うくらいに思っていたのだ。ただおれはどの程度のあぶな 訳ないが、長生きしたお蔭でその手塚さんのあぶな絵が拝 絵なのかがいささか気になり、ほんの少しだが気にし続け 見できることになった。極く一部だが「新潮」誌のグラヒ ていたのだった。 ア頁で公表されるという。送られてきたものを早速拝見 星新一、小松左京をはじめ、作家たちは手塚さんの 漫画から時おり感じられ、時には強い刺激でもあるエロス 上品で可愛く描かれている。手塚漫画で見たような既視感 を認めていたし、それを話題にしてもいた。例えば「ロス もある。そしてエロティシズムの方向性としては小生のリ トワールド」における植物人間の二人の美女のうちのもみ ビドーに近く、対象願望として似ているというところで大 じちゃんが、アセチレン・ランプに食べられてしまうくだ きく満足できた。 りの衝撃、「鉄腕アトム」における妹ロポットのウランち もう三十年近くも昔になるが、小生、幼い頃に見たべテ ゃんが見せる。ハンちら、時には墜落の際の。ハンティ丸見え イ・プープを再発見して夢中になり、十六 ミリ・フィルム シ 1 ンなどにいたく性的興奮を覚えていて、時には対面、 を買い集めて、自分が見るだけでは満足できずに映画館を 手塚治虫のエロス 筒井康隆 〃 6
んのファンであり、作品中にも登場させているが、彼の場 借りて上映会を開いたことがあった。その会に手塚さんが 合はビンポーがお気に人りでもあった。 あらわれたのである。昔からべティ・プープのファンだっ 手塚さんとはしばしば二人きり、あるいは誰かと一緒の たということを初めて聞き、特に「べティのシンデレラ」 という作品が見たかったということだった。「シンデレラ」際に何度も親しくお話しさせてもらっている。無論ふたり とも若いから性に関する話題も出る。だいたい手塚さんの はべティさんの映画でただ一本の二色カラーだったから、 医学博士論文にしてからが早く言えば「タニシの精子細胞 それをご覧になりたかったのであろうが、残念ながらこの の研究」なのだ。そのことも含め、おれがやたらと会話中 時のフィルムはモノクロだった。のちにビデオで見ること に性交の意味で「セックス」ということばを連発するたび ができたが、これは二色カラーにしかなり得ないと思うほ に、彼はおれを見据えて「セックスというのは、性交のこ ど内容にびったりで、アールヌーポーの雰囲気を漂わせた とですか」と確認する。これには参ったが、まあ科学者と 傑作だった。手塚さんが見たらどんなに喜んだだろうと思 して言葉には厳密だったのであろう。一一人が法学部の学生 うと、その上映会の直後に亡くなられたことが残念でなら たちに囲まれていた歓談の際の話題は、強姦罪の成立とハ ない。そしてウランちゃん同様、べティちゃんもまた。ハン ンカチの置き場所の関係であった。 ちら頻出、反重力のシーンでの。ハンティ丸出しもある。べ 手塚治虫がプロダクションを立ち上げてアニメーション ティはある時期のセックス・シンポルだったし、全米婦人 を作ったことにも彼の想念と願望が象徴されているよう 団体から糾弾もされていて、自粛を余儀なくされるほどで あった。 だ。アニマは霊魂、アニマルは魂を持って動くもの、アニ メーションは動かないものに魂を吹き込んで動かすことで 手塚作品に登場するウランちゃんなどの少女がエロティ ある。アニメ「鉄腕アトム」におけるウ一フンちゃんの活躍 シズムを漂わせている源泉のひとつがここにあったかと、 あの頃のぼくはそう思った。今机上にあるエロチックな漫を小生ほとんど知らないのだが、手塚さんはきっとウラン ちゃんを動かしたかったのだ、。ハンちらや。ハンティ丸見え 画を見ていて、尚さらそう思うのだ。女性が狸や猫や鯉に のシ 1 ンを出したかったのだ、などと小生は、勝手にそう 化けたりし、その化ける過程が描かれてもいる。そしてべ 思っております。 テイもまた初期には、ビンポーという大ころを恋人に持っ 雌大であったのだ。あの上映会の時は下手近くの席に手塚 治虫、中央の席に大江健三郎、他にも南伸坊や森卓也の顔 も見えるという変な会だったが、大江さんもまたべティさ 〃 7 手塚治虫の工ロス
究するためにアニメを始めたともいえます。〔・ : 〕そこに 十村十枝子の変化もまた、昆虫の擬態、変態、羽化といっ なぜェロティシズムを感じるかといえば、そこに生命力を たメタファーを用いて描写されています。 感じるからなのです。動いているという感触があって、な 昆虫や動物のメタモルフォーゼは、手塚治虫の生涯をつ まなましさというか、なまめかしさを感じるのです。【・ : 〕 うじて、大きな霊感の泉だったのです。 ぼくは、だからマンガを描きながら快感を満足させている しかし、今回の「エロティカ」では、そうした有機物同 といってもいいでしよう」 ( 『ガラスの地球を救え』より「負 士の分かりやすいメタモルフォーゼだけでなく、ページ のエネルギ 1 」 ) に見られるような、女体が無機物 ( 自動車 ) に化けるとい 動き、メタモルフォーゼ、アニメーション、エロティシ うかなりグロテスクなメタモルフォーゼも描かれていま す。 ズム、生命力。「手塚治虫のエロティカ」の根源にある衝 動が、この上なく明確に説明されています。 さらに、タヌキが木魚に化けたり、女性が火鉢に化けた ここで、手塚が自分の本名にわざわざ「虫ーを付けてペ りするのはまだ可愛く見えるのですが、股ぐらに頭を抱え ンネームとしたほどの昆虫好き、アマチュアの生物学者だ こんだ女性がクモに変わったり、女性の体が丸くなって赤 ったことを思いだしてもいいでしよう。 い腫瘍のようなブップッだらけのだんごになったり、タヌ 人間の身体は簡単には変化できませんが、動物や昆虫は キが逆立ちして人間の女に変身して、女性器に顔が残った しばしば驚嘆すべきメタモルフォーゼをとげます。手塚る り、乳首からタヌキの足が突きだしたりしている絵など み子さんが監修した『手塚治虫ェロス 1000 ページ』と は、幼児が昆虫の死体を解体して楽しむような、どこかサ いう素晴らしいアンソロジーの上巻は「変身」をテーマと ディスティックな欲望が透けて見える気もします。 して編集されていますが、そのなかには、人間と動物のシ 手塚治虫の〈純粋マンガ〉には、見る者を不安に誘う、 ンクレティズム ( 『きりひと讃歌』 ) 、昆虫と人間のシンクレ 不思議に危ういエロティックな魅力があふれています。今 ティズム ( 『 l. L 』より「蛾」 ) 、異星人の変態 ( 「グロテスク 回の「エロティカ」の発見によって、手塚治虫という巨大 への招待」 ) 、人間と魚類のシンクレティズムである人魚の な才能の新たな局面が開示されたことはまちがいありませ ん。 変態 ( 『海のトリトン』より「変身」 ) 、動物や昆虫の擬態 ( 『・ハン。ハイヤ』より「奇獣ウェコとロックとのめぐり合い」 ) と いった題材が目白押しです。『人間昆虫記』のヒロイン・
そらく父はこれを描きながらすごく楽しんでいたんじゃな しみとなっていた心のうちを、この大量のカットは明かし いかと。筆が止まらなくなっていたんじゃないかと。読者 ていました。児童漫画から青年漫画へと成長したい、そん に見てもらう漫画原稿とは違い、誰に見せることもなくた な父の念が見えるようです。 だ自分だけの目的において、衝動と妄想にまかせて、自由 時には教育的漫画家のポジションに置かれもする手塚治 に、まるで子供の頃に描いていた無邪気さで。そんな父の 虫です。もちろんそれは作家としての一部分であって、漫 ワクワクとしたひとときが想像できるのです。 画をよく知る読者には『奇子』『』『人間昆虫記』『ば 手塚治虫は女性を描くのが苦手だったといいます。特に るぼら』などといった、いわゆる " 黒い手塚治虫〃という ェロティックに描けないことにコンプレックスをもってい 作家性が存在することも知られています。けれど人の目に て、その苦悩は自ら漫画にも描いているくらいです。逆に 触れることを前提として描かれたものにはどうしたってポ 読者からすれば手塚治虫の描く女性は十分にエロい。しか ーズがある。内面の取捨選択がある。だからこそここに出 も女性キャラクターに限らず動物や少女、アトムにさえも てきた大量の、誰に見せるわけでもなく、密かな自分の楽 ェロさを感じるという読者もいるほど、手塚の絵には性を しみとして、あるいは練習用として描かれていたもの達に 超越したエロティシズムがあります。それなのに父は女性 は、手塚治虫の生々しいまでの心のうちが透けて見えま が描けないと悩んでいた ? 本当に ? その疑問はこの発 す。ツィッターに投稿した時、「隠していたエロ絵を娘に 掘作業によって少し納得できました。 発見されて、暴露なんかされたら慌てるだろう」というコ 数々のカットと一緒に、雑誌のヌードグラビアの切り抜 メントがありました。父がこれを意図的にロッカーに隠し きと、小島功先生の描いた女性キャラ、永井豪先生の描い ていたのか、それともたまたま鍵がかかっていたのか、ど たエッチなシーンの切り抜きも出てきました。また切り抜ちらとも確かめられません。ただ私がそれを見つけてしま いたグラビアをもとに、女性の身体のラインを上からなぞ ったのは父の不運だったでしよう。あるいはそういう運命 ってみたり、そこに絵を足しこんでコ一フージュにしてみた だったのかもしれないですが。父からはいつも「るみ子は り。つまりそれらを参考にして、自分なりの女体のライン ホントにどうしようもない」と言われ続けてきました。今 を習得しようとしているのです。やはり父は女性をいかに 回もまた悪戯が過ぎて叱られそうです。お父さん、すみま せん。 色つぼく描けるかをつねに意識して、なんとかその見せ方 を工夫しようとこうして密かに努力していたのだと。その 応用と発展の過程を、そして努力がいつの間にか自らの楽 〃 9 密かな父の享楽に触れ・
を 0 第 『 100 万年地球の旅バンダーブック』 ( 年 ) の劇中に イ」に短期連載された作品と特定できた。ほかに古賀新 登場する場面で、主人公バンダーと、変身リングで姿を変 一、永井豪作品の切り抜きもあり、手塚は彼らの描く女性 えた、彼とは血の繋がらない妹ミムル。これはアニメ制作 や怪物の描線を参考にしたと思われる。 時のアイディアスケッチだろう。 かように、これら残された品々からは、手塚がいかに描 なお、このほかの特記事項としては、これらと同じ茶封線を愛で、同時に鍛錬を重ねていたかが判る。人は彼を天 筒に人っていたという切り抜きの存在が興味深い。複数あ才と呼ぶが、手塚はその才に溺れることのない努力の人で もあった。 るが、際立っていたのが小島功の「仙人部落」と石川賢の 「自来也忍法帳」。いずれも雑誌から破り取った単ページ で、前者は連載期間が長いためいつのものか調べきれなか った。一方、後者は 19 81 年肥月に「週刊プレイボー 728