地の底から吹くような冷たい風が、唐松を薪にした焚き火 を、バチバチとはぜさせて、抜けていった。襟元が寒く、そ いいメンバーが揃いすぎたと加藤は、思った。それで足を う思うと、焚き火に当たっていない背中の冷たさが意識され ーの中原と斉藤、運 た。倉内が今死んだら、息子も倉内の死体の横でしやがんだすくわれたのだ。副番頭の平井、メンバ び屋の北村も信用できた。ターゲットから騙し取って、金主 まま冷たくなってしまうのではないか。 に売り上げの半分を納め、チームに報酬を配ってもまだ、加 倉内も濡れた靴と靴下を焚き火で乾かした。水筒で湯たん 藤の手元には一億近い金が残っていた。それを元手に独立す ぼを作って、息子の寝袋に人れ、寝袋の足のほうを絞った。 れば、もっと派手に稼げると思っていた。それを金井に嗅ぎ その方が湯たんぼが逃げずに暖かい。 「どうする」と倉内はつぶやいた。「もう寝るか、それとも付けられたのだ。 最初は、金井が音頭をとった茶番だと、確信が持てなかっ ちょっと歩いてみるか」 ( 0 「猟にいくってこと ? 」 襲われた白井の入院先へ送り込んだ男によれば、白井のケ 「やり方がある。暗いから歩きやすいところだけだ」 ガは頭蓋骨骨折の重傷で一時は生死をさまよったという。タ 息子にヘッドランプをひとっ渡した。ひとつは倉内が頭に イミングや処理の動きが、タタキは金井の仕業だと教えてい 付け、ザックからマグ一フィトとテーピングを出した。銃ロの 下にマグ一フィトをテーピングで固定し、スイッチを人れて森るのだが、白井のケガがヤラセではないとすると、金井の線 はどうしても薄くなる。 に向け、ライトが照らしているところと、照準器の光点とが 加藤は金を使った。だが、当日の受け子に、磯部組と繋が 重なっていることを確認した。 りのある者はいなかった。磯部組に近い者を懐柔しても、噂 「日没後に鉄砲を撃つのは法律で禁止されている。でもここ は峠を越えた山奥だから、撃っても誰にも聞こえない。おかすら浮かんでこなかった。 一千万以上をタタいて、その行動を完全に消せるほうが不 あちゃんにも秘密だ。できるか ? 」 自然だった。振り出しに戻り、金井の台本だという前提で、 息子はうれしそうに笑ってから頷いた。 に 猟 焚き火で乾かした靴下と靴を履き、靴ひもをしめながら倉白井が「役者」じゃないと考えると筋が通った。北村の口か 狩 ら野本の名前を聞いて加藤は確信をもった。野本は金井の下 内は言った。 子 で汚れ仕事を得意とするチンピラだ。野本が運び屋の北村を息 「秘密は自分の口からバレる。しゃべらなければ絶対にわか 青森に飛ばし、金井が運び屋不在の加藤のチームに名簿と白 らない」 ドットサイト
金を引き出す「受け子」をまとめ、金を管理する「運び屋」 た。だが「受け子」をまとめる「運び屋」の北村から、青森 までチームで賄うか、フリーを使うかは、番頭の好みによ にいるので仕込みが間に合わないと連絡が来ていた。使い捨 てにできる口座と受け子がなければ、うまく騙しても金を回 すでに関東以北のほとんどの独居老人が、騙されるか騙さ収することができない。 れないかはともかく、二回以上は詐欺の電話を受けるほど、 「受け子と口座もこっちで用意したる。それで文句ないや テレアポ詐欺は蔓延している。それでも、悪徳商法に騙され ろ。お前のチームなら四割いくで」と金井は笑った。 た経験のある「べテラン」、独居したばかりの「ルーキー」、 リストを持ち帰った加藤は、「チームを集めるぞ」と平井 に声をかけた。 痴呆が進行中の「グロース」などの老人リストがあれば、ま だまだ金を騙し取ることができた。名簿屋がそれら古カモ、 「金井さんが用意するっていう運び屋は本当に大丈夫なんで すか ? 」 新カモを集めた名簿をつくり、さらに情報屋が磨き上げる。 「もう、やるしかないんだよ そういうリストは高値で取引された。 もし金井の出してきたリストが本当に三割アタリの一〇〇 加藤はそう静かに言うしかなかった。 件名簿なら、一件二〇〇万でも六〇〇〇万円。三〇〇〇万は 妥当な値段だ。リストを見ると、家族構成、親族の勤め先や 孫の学校など、かなり細かいところまで磨かれていた。見た 倉内は、最後の水場でザックを下ろした。この先、峠まで 目でリストの内容を信じるのは危険だが、リストの精度に疑水が出ているところはない。息子は少し離れたところで周辺 を見回していた。 問を挟むことなど金井相手にできるわけがない。 「持ち帰ってチームで相談させてください」と加藤は金井に 「ここから先は、鹿が多い。ゆっくり行く」と小さく言っ 頭を下げた。 「なにぬるいこといっとんじゃあ だが、峠への登りでも鹿に出会うことはなかった。振り返 レスラーのような金井がキレそうなフリをしていることは ると、冬晴れの空の下で富士山が輝いていた。峠には壊れた わかっていた。だが、いっ本当にキレるかもわからない。そ 小さな道標が立っている。登山道として整備されなくなって れが連中のやり方だ。呼び出された時点で、何を提案されよ数年が経っている。狩猟者もほとんど人ってこない。倉内は そんな山奥を好んだ。山村の獲物を荒らすことなく、自由に うと加藤に断るという選択はなかった。仕事が入りそうだ と、チームのメンバーにはそれとなくあたりを付けてあっ猟ができ、誤射事故の可能性もない。
井を送り込む。頃合いを見て、野本が白井を襲う。おそらく 「首をくくったババアもいるぞ」と加藤は平井に言ったこと があった。 白井の大ケガは、金井の計画にはない野本の暴走だ。だがそ こも、磯部組に罪をかぶせておけば問題ない。実際に金井 「あいつらの医療費が国の財政を圧迫してるんです」と平井 は、加藤のチームから磯部組に情報が漏れたと言いふらして は笑わずに言いかえした。 いる。 それを逆手に取り、磯部組を利用して金井を潰すか・ 酔っぱらった取り巻きと女、そして野本を次々と杉の角材 だが金井と正面からやりあって無傷でいるのは難しい。自分で殴り、野本に頭から袋をかぶせて平井の運転するレンタカ に危害が加わらず、けじめを付けるには、と考えた先で、加 ーに押し込んだ。 藤は野本に狙いを絞った。野本が消えれば、自分が疑われる 手足をガムテープで縛り上げた野本を、事務所のガレージ かもしれないが、闇から闇へ完全に葬り去って、しらばっく に転がし、加藤は目出し帽を被ったまま、二メートルほどの れれば、小さくても確実な恐怖を金井に植え付けることがで 。ハワーロープを結んで輪つかにした。山のオジイの見よう見 を」る。 まねで覚えた結び方だ。輪になったロープをひねって徳利結 加藤は副番頭の平井に声をかけた。平井は気乗りしないよ びを作り、転がっている野本の首にかけて、すこし力を込め うだった。平井にとって、振り込め詐欺はビジネスだった。 て引っ張ってみた。 かって地方都市の信用金庫に勤めていた平井は、融資を打ち 「本当のことを教えて欲しいだけで、これ以上危害を加える 切られて倒産する中小企業の経営主をたくさん見て、詐欺チ気はない」と加藤は野本に言った。「大きな組織が金井を潰 ームに転職してきた。 す。本当のことを教えてくれれば、その組織にお前を紹介し 「パ・ハアのクソ預金を世の中に還元する」が口癖だった。信てやることもできる」 用金庫時代の思い出を平井はよく話した。経営対策を共に練 「おめえ、加藤だろ」 っていた平井本人が、次の日は借金取りに変貌する。働いて 「何でそう思う」 も働いてもつぶれていく中小企業の一方で、受け継いだ土地 加藤はロープを引きながら、「ちょっと長いかな」と言っ や既得権で金を集め、溜め込んでいる老人たち。「俺たちは て、結び目をゆるめ、輪を小さくした。「手荒いことができ いっか国から表彰される」と言って、平井はチームの新人か るのは自分だけだと思わないほうがいい」 ら罪悪感を抜き、それどころかモチベーションを植え付けて 「タタいたのは俺じゃない」 いた。「クソ預金を世の中に戻せるのは俺たちだけなんだ」 加藤は笑った。
「甘えんなや」と金井は静かに言った。「裏金タタくなんか 沙汰となれば警察が動く。チンピラのケンカで済めばいい が、警察も馬鹿ではない。詐欺の被害を調べ、引き落とした常識やろ。タタき返して来いや」 電話を切って、運び屋がタタかれたことをみんなに告げ の位置がわかれば、オレオレ詐欺の売り上げ強盗であ ると推測される。もし襲われた者を自主回収できず病院に運 「受け子じゃないんですか」と平井が言った。情報の漏れど ばれてしまった場合、事務所をすぐに引き払い、メン・ハーを ころの話だ。 解散させなくてはならない。白井と連絡を取った携帯ももち 「アホ」と加藤が睨んで制した。白井を紹介した金井の耳に ろんすぐに捨てる。それが「切り捨て」だ。 回収と聞いて加藤は一息ついた。だが、別口からチンピラ人ったらただでは済まない。「このことは誰にも言うな」と チームに釘を刺した。「念のため一回解散する。今日までの のケンカが警察に通報され、そこに詐欺の被害報告が加われ ば、二つの点が一つの線で繋がる可能性がある。 ギャラは払う。温泉旅行でも行ってきてくれ」 「磯部組やぞ」金井が近隣の対抗勢力を口にした。「受け子 が見た車や。なんで情報もれとるんや」 倉内は、息子に待てと合図して、一人でそっと進んだ。 こっちが聞きたいくらいだ。運び屋が金を集めているとい そまみち 杣道は、鹿がよく付いている草原に続いていた。生き物は う情報が漏れなければ襲われることはない。 動いているものに注意が行く。だが、動かないものを見つけ 「お前のチームから漏れとるんやろうが」 「それはありません」 る能力はそれほど高くない。人は概念をつかんでイメージす ることができる上に、色がよく見えるため、静止しているも 「メンツの女やろ ? 」 ののなかから、目的のものを見つけ出す能力がほかの生物よ 「徹底しています。絶対に漏れません」 りは高い。 「まあええわ、そっちの問題や」 タタキを含め、詐欺中に起こった問題は、すべて番頭であ 時々、息子を待たして、周辺を注意しながら、杣道をそっ と歩いたが、鹿を見つけることはできず、鹿がヤプを走るこ る加藤の責任だ。タタかれた分も売り上げとして換算し、そ ともなかった。 の半分を金主に納めなくてはならない。さらに金井はケガを 宿泊地に着いた時には、正午をすこし過ぎていた。小さな した白井の見舞金まで要求してきた。 「上がりは納めます。金井さん、タタいたやつ見つけ出し沢の横にあるかって林道の駐車スペースだった広場である。 登山口からゆっくり歩いて六時間ほど。倉内はここにプラケ て、けじめ付けていただけませんか」
名簿の賞味期限はわからない。もし、いま使っている名簿 が、他の詐欺チームにも回っていたら、ターゲットを取られ 加藤は、焦りを押さえていた。番頭がいらだっては、メン る可能性もある。上げ潮に乗りたいのに、チーム以外の事情 ーの気持ちが切れてしまう。 でゲームを進められない。 金井のリストは本物だった。金井に紹介された運び屋の白 白井から新たな口座が人荷したと連絡が人った。受け子は 井は若かったが、余計なことを言わず、やるべきことを淡々 使い回しだがしかたがない。名簿に残された触っていないタ とこなし、勘所を心得ていた。 ーゲットに電話をかけ、また、高い確率で詐欺に成功した。 それでも加藤のチームの打率のほうが、白井の仕事より勝その勢いのまま、もう一回騙せそうな「おかわり」をリスト っていた。名簿は一二割どころか、四割、もしくはそれ以上だ アップしはじめた時だった。加藤の私用携帯が鳴った。金井 からだった。 った。よく磨かれた名簿の情報に合わせて、チームは柔軟に シナリオを変え、アドリプの利いたライプ感あふれる劇場を 「んどりや、加藤」と電話ロで金井が吼えていた。「どうい 作り出し、ターゲットを完全に引き込んでいた。孫や甥にな うこっちゃ」 りすますなら、女の子を妊娠させてしまい、相手の親はヤク 「どうしたんすか」 ザだったという設定。ターゲットの息子が会社員なら、会社 「タタキや。持ってかれたが」 の金を使い込んだ設定で、そこに経営者と激昂した債権者を 強盗 ? 居合わせさせた。痴漢で捕まり、鉄道警察にヤクザを交えて 違法に稼いだ金は強盗にあっても警察に届け出ることがで タタキ 会社をクビになるか示談にするかを激しく迫る台本もあっ きない。違法売り上げの強盗は、裏社会の常套手段であり、 テレアポ詐欺、最大の弱点だ。 それら手の込んだシナリオに、複雑なアドリプを加えて場 数人の受け子を回して、をハシゴしていた白井が頭 を支配するのは副番頭の平井だった。加藤は平井が作り出すを割られ、売り上げをすべてもっていかれたという。 劇空間になんとか付いていきながら、騙された者が、騙され 「白井の回収は ? 」とすかさず加藤は聞いた。 に たことにすら気がっかないほどの詐欺に舌を巻いた。 一瞬の間があり、「もう済んどるわ」と金井がゆっくり答猟 えた。 だが、白井が用意する口座の手配と受け子が追いっかなか 子 自宀 った。電話を控えなくてはならない時間が続くようになる 救急が動く前に、とりあえずの処理はしたということだ。 と、テンションが上がっているチームはいらだっていった。 もし救急が白井を搬送したら、負傷の理由を調べられ、暴力 タタキ
「タタキ ? 誰がタタキの話なんかした ? 」 すと、野本のむき出さんばかりに開かれた目に光はなかっ ガムテープを持って、床に座っている野本のうしろに回り 込んだ。野本は首を巡らして加藤を追った。 わずかに痙攣を残している野本を見て、我に返った加藤 「お、俺を殺したら、金井さんが黙ってない」 は、どうしてここまでしたのか、自分で自分がよくわからな かった。 「俺が加藤だったとしてなんであんたを殺すんだ ? タタキ をやったのは磯部組なんだろ ? 」と言いながら、加藤は野本 なめられたままでは終われないとは思ったが、金井をやる のロにガムテープを貼った。 ならともかく、野本を殺したことが金井に・ハレれば、こちら 「最期にいいことを教えてやろう」と加藤は野本の耳元に顔も殺される。気をはらすために余計な危険を増やしただけな を寄せた。「秘密は自分の口から漏れんだよ」 のではないか。 手のガムテープを切ろうと唸りながら身をよじる野本を、 詐欺がはじめて成功したとき、オジイといっしょにやって 軽く蹴飛ばした。野本は手足を縛られたまま床に転がって、 いた罠猟や毛バリ釣りと似ていると加藤は思った。抜けたヤ ィモムシのように逃げようとした。 ツを出し抜いて食い物にする。うまく逃げたヤツは、生き続 「こいっ押さえろ」と加藤は平井に言った。「そうじゃなく ける。命はただ、そうやってぐるぐるまわる。 て、膝で乗っかれ」 なぜ人間はそうじゃない ? なぜ、愚かなャツがでかい顔 「売り上げタタかれただけで、本当に殺すのかよ」 をしている ? 俺が金井の立場でも似たようなことをしたは 「乗っかれ」 ずだ。ャツにとっては、俺は間抜けな獲物なのか。逃げおお バタつく野本を押し倒すように、平井は野本の背中に乗っ せた獲物は、復讐は考えない。ただ生き続ける。 た。加藤は野本の頭の近くに腰を下ろし、首に掛かったロー プを持った。赤い熱を持った塊が背筋を上がってきた。野本 の両肩に足を置き、そのまま、のけぞるように、背中全体の 倉内は、廃道を峠の方へ戻るようにゆっくり歩いた。夜の 力を使って思い切り口 1 プを引いた。 鹿は警戒心が緩む。ライトで照らせば目が光るので、昼間よ に ムーと野本が唸り声を発し、ゴキゴキと何かが抜けるよう り見つけるのも簡単だ。近くで照らしても、こちらを見てた猟 な震動がロープと足に伝わってきた。野本の体からカが抜け たずんでいることが多い。もっともこの猟場では、倉内が夜 子 自 ても、加藤は力を緩めなかった。真っ赤になった野本の耳撃ちで何度か撃ちかけているので、警戒心が高まっているか が、青くなるまで引っ張っていた。手をゆるめ、ひっくり返もしれない。
こえた声の主も、おそらく森のどこかで我々を見て、逃げて から警戒音を発したはずだ。 息子が近づいてきてささやき声で「しか ? 」と言った。 加藤は金主の金井に呼び出された。嫌な予感がしていた。 倉内は大きくゆっくりうなずいて、「しかのめす」とささ シャンデリアとビロードで飾られた超高級焼肉店の個室に ゃいてから、歩きだした。息子も黙ってついてくる。地面に人ると、焼けた肌に、金の太いネックレスをした金井が、ソ ひづめの跡が、筋になって続いていた。 フアに深く座っていた。加藤は挨拶をして、いつものように 「これが鹿のアシだ」と息子にささやいた。「これがウッ」 絨毯に正座した。 と斜面のくぼみを示す。 金井が出してきたのは、足の付かない携帯電話一二台と一 「これなら、たくさんあったよ」と息子もささやく。 〇〇件の名簿だった。金井は「三割リストだ」と言った。 三〇〇〇万円 「ひづめで引っ掻いた土がまだ湿ってる。たぶん、いま鳴い 「買い切りなら三〇本、歩合なら五割。リスクも儲けも山ワ た鹿のアシだ」 ケの歩合でどうや」 ゆっくり歩き、気になることがあったら止まって調べ、足 数年前までは、電話帳に記載された名前から老婆に見当を 跡とその新しさ加減に関する考察を息子にささやいて、また つけ、適当に電話をかけても詐欺は成功した。テレアポ詐欺 が知れ渡ったいまでは、道具と情報をもった優秀なチームで 登山道から離れ、山仕事の道に人った。道が細くなり、で なければ、金を騙し取ることはできない。事務所、足が付か こぼこが増える。小さな谷を渡るとき、息子に手を貸してい ない携帯電話数台と複数の口座、独居老人のリスト。それら て倉内は足を滑らせ、片足を流れに落とした。しずくを浴び を裏社会のコネクションで調達し、詐欺チームに提供して、 た岩が凍っていたようだ。息子がびつくりしている。大丈売り上げを納めさせるのは、ヤクザの重要なシノギになっ 夫。高所の雪山でなければ、濡れたぐらいで凍傷にはならな いと、倉内は笑いかけた。 詐欺チームのリーダーは番頭と呼ばれ、金主とのやりとり 二時間ほど歩いた。とはいっても距離は、通常の登山の一 から、詐欺プレーヤーの管理やリクルート、教育、詐欺シナ に 時間ぶんくらいだ。忍び猟ではゆっくりしずかに歩く。最初 リオの制作、ギャ一フの管理と分配に責任をもつ。磨き込まれ猟 に鳴いた鹿以外に気配はない。カケスがぎやーぎやーと鳴き た情報に、最適のシナリオをぶつけ、カモのリアクションにと ながら、飛んでいった。 あわせた高度なアドリプを駆使し、うまく騙して、金が振り息 込まれたあかっきには、素早く引き出さなくてはならない。
チャイを飲み干して、お湯を沸かし、歯を磨いてから、テ捕って生きていた。」 判断力の鈍った老人の金を騙し取るのも 同じことだ。 ントに人ってシュラフに収まった。テントの人り口を開けた ままにして、すこし星を見ていた。 「アウトドアの格好をして来い」と加藤は平井に一万円札を 一〇枚ほど渡した。どんな格好かわかりませんという平井 に、山登りの雑誌を見ろ、靴だけはまともなものを履いてこ 加藤は、野本の死体をプルーシートに包んだ。人を殺した いと答えた。それがいけなかったようだ。数時間後に平井 のははじめてだが、なんとも思わなかった。だが平井はそう は、雪山登山そのままの格好をしてきて、加藤はおもわず吹 じゃないようだった。詐欺のプレーヤーとしては一流で、恫き出した。 喝役も泣き役も自在にこなし、被害者への罪の意識を感じる プルーシートで包まれ、巨大な青い春巻きのようになった どころか、騙される方がバカなんだと信じて疑わないくせ野本の死体をレンタカーに乗せた。奥秩父山塊の登山地図を に、人殺しは別らしい。 広げ、ダム湖の近くの林道に目星をつけた。 もう、後戻りはできない。野本を殺したことを金井に悟ら れてはならなかった。知られたらかならずリアクションがあ 林道にゲートはなかった。真っ暗な林道を車で上がってい る。金井なら、見せしめのために殺す以上のことをするかも った。だいぶ人ったところで、大きな落石が道を塞いでい しれない。野本を完全に消さなくてはならない。 た。少し戻り、小さな沢に橋がかかっているところで車を停 これからどうするのか平井に聞かれて、「熊の死骸を山で めた。車を降りてから、しばらく身動きせずに、耳を澄まし 見たことがあるか」と加藤は答えた。 た。エンジン音などは聞こえてこない。 「俺、山なんか行ったことないっすから」 口にフラッシュライトを咥えて、プルーシートに包まれた 五つほど年上の平井に、敬語を使われるのはもう慣れてい 死体を降ろした。殺すときに首を絞めたロープでプルーシー トの上から足首を縛り上げ、小さな沢に沿って、野本の死骸 「山に捨てれば、死骸なんかあっという間になくなる」 を引きずりながら、山に人った。谷がゆるやかに曲がり、林 生きるということは、自分以外の何かを食い物にすること 道から見えなくなったところで、加藤はプルーシートを引き だ、と山のオジイが言っていた。 ずるのをやめた。 弱ったもの、愚かなもの、もしくは単なるめぐりあわせ 「こんなところでいいんですか」と付いてきただけの平井が で、命は他の生き物の糧となる。オジイは山や川の生き物を 言った。
倉内は、血痕を追う息子に付いて三〇〇メートルほど進ん だ。次第に息子が次の血痕を見つけるまで苦労するようにな 加藤は、ジグザグのケモノ道を使って、尾根の上へ向かっ っていった。子鹿は恐怖に駆られて逃げているので、おおむ た。尾根上に近づくほどに傾斜が増し、枯れ葉の下の土が足 ねまっすぐ進む。問題は小さな尾根や小川を越えるところ 元から崩れた。息が上がる。オジイと山を歩いていた頃はこ だ。そういうところは急に方向を変えることがあるので、慎 の程度の斜面だったら駆け上がったものだ。 登りきると逆側の斜面を見下ろすことができた。大きな樹重に血痕を探す必要がある。 「おとうちゃん」と息子が地面を指さしている。 の根本に腰を下ろし、身動きせずに周辺の気配をうかがっ 近づいて見ると、大きな血溜まりがあった。 た。小鳥がピピッと鳴きながら飛んで行き、静かになる。腐 に 「ここで立ち止まったか、しやがんだかした跡だ。弱ってき猟 葉土の臭いが懐かしい。オジイの山と植生は違うが、匂いは た証拠だ。近いぞ。前をよく探りながら進むんだ」 似ている。ちょっと目を閉じると、あの頃のことが思い出さ 子 自宀 休んだあとは、少し元気に歩くため、血が途切れることが れた。 ある。予想通り、近くに血は出ていなかった。見当を付けて 冬の乾いた森の感じ、青い空、枯れて衣服に絡み付くシダ 「触ってみろ。落ち葉の斑点とか、木の実じゃないか」 類、落ち葉の中で黒く光るドングリ。 潮時やな。 地面に手を伸ばし、人差し指に付いたものを親指でこす オジイが釣りや猟から引き上げるときのロぐせが聞こえた り、こちらを見て頷いた。倉内もそこに行って確認する。 「面倒だけどこうやって尺取り虫のように追うのが確実で速気がした。 番頭として独立しようという動きを金井に勘づかれて、使 言い終わる前に息子は先の血痕を探しに出た。すぐに、地い捨てにされた。どちらにせよもう金井の息がかかったとこ 面を指さし「ここ」と言った。追いはじめはいい。まだ鹿の ろで稼ぎはできない。平井も詐欺の手腕は一級だが、この程 体内に血が残っているので出血が多い。血が出なくなって度でつぶれるようじゃ、いざという時に爆弾になるかもしれ ない。 も、鹿が歩き続けると、追いにくくなる。 血痕を追って、渓を渡り、斜面を登っていった。不整地を 一回、オジイの山に帰ってみるのもいいかもしれない。そ 歩くと荷物を重く感じた。血痕は段丘に上がり、そのまま斜う加藤は思った。 面を横切るように下流に向かっていた。
た。やつばこれからは福島っしよ。今は、でかいのがうよう よいる」 「ゴジラ ? 」 「ぎやはははは」 「潜ったの ? 」 「沖なら潜んなくても稼げるけど、俺は潜る。ところ で、加藤君のチームの売り上げタタいたのって、磯部のやっ らなんでしよ」 北村は金井と対抗する勢力の名前を口に出した。 「たぶんそうだと思うんだけど、もういいんだ。俺が甘かっ た。いい勉強になったと思ってる 北村が今回の件に噛んでないのはわかっていた。だが無邪 気すぎてどこでロを滑らすかわからない。本心はしまってお くほうがいい。 「俺なら絶対、見つけ出して、さらってくるけどね」 「そもそも、北村君をタタける奴なんていないでしよ」と加 藤は笑った。 ころで靴がなくなったら、とんでもない苦労をすることにな るぞ」 西高東低の空は雲ひとつなかった。空気は冷たく、日が暮 れて時間が経つほどに星の数が増えていった。 「今夜は天の川が見える」 息子はそれほど関心をしめさなかった。倉内も子供の頃、 星座にはなんの興味もなかった。手に人らないものはどうで もよかった。 「寒くないか」 「さむくない」 「おもしろいか」 「おもしろい」息子は答えた。 「獲れなくてもおもしろいか」 「明日は獲れるかもしれないよ」 思わず笑った。息子に元気づけられる日が来るとは驚き 引き潮のような静寂が訪れ、倉内はふと思った。 息子は、たった一人になったとしても、明日の朝をちゃん と迎えることができるのだろうか。 倉内は、焚き火を熾しなおして、米を炊き、お湯を沸かし いま、真っ暗闇の森に包まれて、焚き火の横でしやがみ込 た。獲物がなければ、スープと米とフリカケしか食べるもの み、細い薪で火をいじっている。その息子の存在は、小さ はない。それでも焚き火があれば、ひもじさは感じない。 、弱々しく、山の冷気に飲み込まれてしまいそうに思え フリカケだけのご飯を食べ終わった息子は、暇を持て余た。もし倉内が突然心臓発作で死んでも、焚き火に薪をくべ し、雪で濡れた靴を焚き火で乾かそうとしていた。 て朝を待てるのか。朝になったら、来た道をたどって、里ま 「あやまって靴を燃やすなよ」と倉内は言った。「こんなと で下りることができるのか。 いちエフ 。こ 0