写真 - みる会図書館


検索対象: 新潮 2016年11月号
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1. 新潮 2016年11月号

た日常のスナップが主で、高い位置にあるものはよく見えな とに等しい。一方、アラキは花が発する生命力に注目し、カ いが、それは意図的だ。ここで強調されているのは、日々の メラでそれに応答しようとする。写し撮られるのはエネルギ 記録として写真が撮られていること、起きているあいだのア ー体としての花であり、それは文字のフォルムを解放して身 ラキの時間が写真とともにあることを印象づけることなの体の動きと呼応させる書家の行為と通じるものがあるだろ 。こ 0 つぎの展示室には絵の具で彩色したり、文字を書き込んだ 写真は人生を生きることに似ている りした「画家的」な仕事が集められていた。回廊のような空 間で離れて見る余裕はないが、フリーハンドで描かれた絵や 終わりに近づき、空の写真が壁面を埋め尽くした展示のあ 文字のエネルギーが両サイドから見る者を挟み撃ちし、自由 とに、円形の空間に導かれた。中央に大きな仏像が鎮座し、 さと即興精神が浮き彫りにされていた。 その周りの壁にはこの展覧会のために撮り下ろした写真が、 展示を見た。ハリの画家の友人は、写真はいいけど、絵は止過去の写真とミックスして横一列に絵巻物のように展開され めたほうがいいと漏らしたし、わたしも以前は、写真のまま ていた。タイトルは「トンポー・トウキヨー」。トンポーは で充分なのになぜ描くのだろうと思っていたが、今回、その フランス語で墓を意味する。「彼岸花」ではじまり「墓」で ような二者択一の問いには意味がないと強く感じた。描くこ終わる、見事な円環を成した構成だった。 ともアラキの身から出ていて全体の一部を成している。あれ ところがヌートル氏によれば、最初からこのような構成が はよくてこれはイマイチだと区分けしてもアラキ像は遠のく 思い浮かんだわけではなかった。アラキに構成プランを見せ ばかりだ。彼の本意は完成にあるのではなく、創作のエネル たところ、まるで墓みたいだな、もう死んでもいいな、と言 ギーを最上の状態で持続することにあるのだから。 われ、彼の墓を用意してしまったのだろうかと当惑した。で アメリカ人の女性キュレーターが、日本の写真家の仕事は もすぐにフランスでは墓に別の意味があるのを思いついた。 書を連想させるとコメントをしたことがあった。直接聞いた前世代の巨匠に「墓」という言葉をつかって若い詩人や音楽 のではなく、写真評論家の飯沢耕太郎さんからの伝聞だが、 家がオマージュを捧げる伝統がある。ステフアヌ・マラルメ 見ながらその言葉を思い出してもいた。写真に墨書しても少は「シャルル・ポードレールの墓」や「エドガー・ポーの しの違和感もなく溶け合うのは、アラキの写真にもともと墓」という詩を書いているし、モ ーリス・ラヴェルが作った 「書なるもの」が含まれているからだろう。 「クープランの墓」という楽曲も知られている。これはあな このことは、メイプルソープの花との関わり方と比較する たに捧げる詩的な墓なのですと。 とわかりやすい。彼は花のフォルムを最善の状態でつかまえ 「すると、じゃあもう一室くわえて仏像を真ん中に置いて、 ようとするが、これは花のエネルギーを殺してモノにするこ壁に絵巻物のように新旧の写真をつなげて展示したらどう

2. 新潮 2016年11月号

ンが見ているとゆっくりと上に昇っていく。この後、ステフ のダゲレオタイプ像とドゥニーズの写真を対面させようとす アンと会ってそのまま助手に採用されたジャンは、ダゲレオ る場面があるが、彼が手に持っているのは、ごく普通のサイ タイプに定着されたマリーの写真像を見せられる。だから階ズの肖像写真であり ( 彼は「こんなに小さくなって」と写真 段に居た女性はモデル姿のマリーだったと考えられるし、ジ に語りかけ、次いで「復讐は順調かな」と言う ) 、ダゲレオ ャンもそう思っただろうと推測出来る。しかし、そうではな タイプではない。これはどういうことなのか。 かった可能性も残る。それはマリーではなくドゥニーズの霊 もちろん、その理由はわからない。だが、こう考えること だったのかもしれない。 が出来るのではないか。ステファンはドゥニーズの死後、彼 また後半、ジャンが地下室で登記簿を探していると、とっ女のダゲレオタイプを全て処分したか、どこかに隠してしま ぜん照明が消えたり点いたりする。いわゆるポルターガイス った。彼女を見ないように、そしてそれ以上に、彼女に見ら ト現象である。ドゥニーズが出現することはないが、彼女の れないように。ステファンがドゥニーズからの視線を怖れて 仕業であるかに思わせる場面ではある。もっとも、このシー いることは、先の肖像写真が横向きであることにも示されて ンはマリーの事故よりも後なので、ポルターガイストの正体いる。そしてむしろ、そのことによって、彼は妄執に蝕まれ がドゥニーズであるという保証はない。このように、ドゥニ ていったのだ。マリーはジャンに、父親は「写真と現実を混 ーズがステファンの妄想に過ぎないと完全に証明することは 同して生者と死者を区別できない」と言っていた。つまりス 難しい。だが私は以下の理由で、彼女は幽霊ではなく幻影な テファンの前に現れるのは、ドゥニーズの霊ではない、ドウ のだと考えている。 ニーズのダゲレオタイプなのである。 ドゥニーズはマリーの前にステファンのモデルを務めてい ダゲレオタイプという技術は、あるあからさまな。ハラドッ た。彼女はダゲレオタイプ撮影のために長時間の拘束を何度クスを有している。写真は静止像であり、決定的瞬間という となく強いられ、筋弛緩剤まで使われた結果、遂には自殺し 言葉にも明らかなように、間断なく連綿と流れゆく時間を切 たものと思われる。ステファンはダゲレオタイプこそ「本来断し、一瞬を固定する。それはいわば時間的な連続のどこに の写真」なのであり、それは「存在そのものが銀板に固定さ も存在していない断面としての写像である。ところがダゲレ れる」のだと宣う。しかし、ならばどうして、ドゥニーズの オタイプのような長時間露光の場合、その方法からして、瞬 ダゲレオタイプ像が、この映画には一度も出てこないのか。 間の内に、時間の持続を閉じ込める。ダゲレオタイプも他の 青いドレスを身に纏った等身大の写真は、常にマリーのもの 写真と同様、平面の上に固着された静止像であることに変わ である。ステファンが、地下室の壁に立てかけられたマリー りはないのだが、そこには同時に時間の流跡が刻まれている

3. 新潮 2016年11月号

り「非情」になっている。遊戯の枠のなかで相手を操り、意さ強さ、善や悪といった二元論には収まりきらないものがあ のままにして、自分のうちなる残酷さを解き放っている。一 る。哀感や気丈さや諦観などが人り交じった、生命の色気の ようなものを放っている。運命を握っているものと握られて 方、縛られた女性たちの顔には苦しみも歓びもない。表情を いる者が対峙する緊迫した一瞬、ぎりぎりの状況でなされる 消し去り無の状態になっている。 しばらくその表情を見つめているうちに、滞在している友命のやりとり、もしかしたらエロスの本質はそこにあるのか 人宅のアミが言っていたことがよみがえってきた。美術学校もしれない。何にも束縛されず、多量の情報を駆使して自由 に生きているかに見える彼らのほうがそれに鋭く反応したこ に通う二十三歳で、今回は彼女の母親がロンドンに滞在中だ とに、わたしは胸を衝かれた。そして女性たちの姿を崇高と ったので、二人だけでゆっくり話しができた。持参したカタ ログを見せて感想をきいたとき、彼女がもっとも強く反応し讃える彼らの感性は、ヒトという生命体が危機に瀕している ことを本能的に感じ取っていることの表れのようにも予感し たのは緊縛の写真だった。両脚を広げ、陰部をさらしてあら たのだった。 れもない格好でつり下げられている写真を見て、「美しい ・ : 」とため息をもらしたのである。人間が人間ではない形 エネルギー体としての花 この をさらしている自由さがその美を生み出している : 「写真は量である」というのがアラキの基本姿勢である。美 思いもしない言葉に、わたしは虚をつかれて唖然としたので ある。 術作品のように時間をかけて作り込むのではなく、目にした ものをためらわずに撮り、見せる。「自分」を表現するので 会場にはアミと同じくらいの年齢の男性監視員が座ってい た。こういう写真に囲まれてじっとしているのはどんな気持はなくて、カメラのむこうにある現実を差し出す。それには ちだろうと、好奇心を覚えて話しかけてみると、彼もまた驚自らを媒体にして無意識の働きに任せたほうが写真の力がよ り強く発揮される。つぎの展示はそうした彼の写真観に焦点 くべきことを語った。女の人を見下していると言う人もいる を当てた構成だった。 けど、そうは思わない。かしずかせているという感じはな 鏡が張られたガラスケースのなかにボラロイド写真が散乱 く、むしろ彼女を見ているこちらのほうが従わされているよ している。万華鏡のように鏡に写真が写り込んで無限に広が うな感覚になる。服従しているのは観客のほうで、彼女たち っていくさまには、一点一点をどうこう言うよりもつぎを撮一 のほうが上だ。崇高で、美しい ったほうがいい、という彼の声が聞こえてきそうな細胞分裂一 わたしは縛り上げる側の意図ばかりを気にしすぎていたの ア にも似た増殖の。ハワーが感じられた。 かもしれない。それにひっかかって見えなかったものが、ふ たりの言葉により写真の背後から徐々にほぐされてくるのを 両側の壁には、モノクロの写真がタイルのように何段にも 感じた。女性たちは自由を奪われているが、その表情には弱重ねて掛けられていた。一九七九年から二〇〇〇年に撮られ

4. 新潮 2016年11月号

ないものの、時間を前後させることはおこなわれている ている妻なのだから、このレンズを選択した時点で写真集の 淡々とした時間の推移に意味を見いだす「日記的」欲求と コンセプトは固まり、半分は出来上がったようなものだっ た。 合体されているのである。 ぎりぎりの状況下の命のやりとり 時間は順番どおりに過ぎるが、それを思い返すときの人の 意識は順番通りには進まない。時間と意識がどう絡むかは予 再びギメの展覧会場にもどって先に進もう。 測不可能であり、思い出すたびに変化する。つまり「それを 壁で仕切って順路がつくられているので、次の部屋に人る 撮ること」と「撮れたそれを後で見返すこと」は異なる領域までそこに何が展示されているかはわからない。「冬の旅、 に属し、その両方の関係性によって写真の体験は複雑で謎め の壁に切られた開口部を抜けると、緊縛シリーズの展示にな いたものへと発展することを、アラキはこのときすでに意識った。縄で縛られ、下半身をはだけた格好で中空に釣り上げ していたのである。 られている女性の写真が目に飛び込んでくる。緊縛シリーズ 旅に持参したカメラはニコンで、レンズは二〇ミリ一本は日本ではもちろんのこと、海外でも展示の機会は少ない たったが、このことも興味深い。二〇ミリはかなりのワイド が、それがかなりの点数含まれているのは、今回の展覧会の レンズで、周囲はたくさん写りこむものの、中心となるもの大きな特徴である。 が横に引っ張られて歪むという特性がある。つまり、距離を 解説には、緊縛は古来から伝わる武道の捕縛術に由来する 置いて全体をまんべんなく人れる風景などには有効だが、人 もので、その伝統をアラキが芸術的遊戯に昇華させているこ の顔を撮るには向かない。そういうレンズを新婚旅行に持参 と、また撮影前の段階ですでに画像が静止しているように見 したところにも、アラキの意図を感じる。妻を魅力的に撮り えるのが歌舞伎の「見得」を連想させることなどが述べられ たいという気持ちは希薄だ。新婚旅行という出来事に距離を ており、新鮮な視点だとは思ったが、このシリーズと自分と もって接し「別のこと」にしようとしているのを感じる。 の距離を縮めるものにはならなかった。わたしにとって、ア 写真は時間の推移を記録することをもっとも得意とする。 ラキの写真で唯一理解不可能なのがこの緊縛ものなのであ そうした写真の叙事的性格を高く評価しながらも、自分が叙る。 情性から逃れられないことを、アラキはよくわかっていた。 解説を読み進むと、「写真も人を箱のなかに拘束するもの 『センチメンタルな旅』で彼はそのふたつを融合させようと だ : : : 写真の源には緊縛の要素があり、事物を縛り付けるも 試み、成功している。それをなし得た鍵は二〇ミリレンズに のである」というアラキの言葉があった。自分は相手に思い あった。センスと直感にまかせて即興的にシャッターを切る がいってしまって非情になれないから「超二流」だとアラキ のはお手のものだし、相手は自分に全幅の信頼を置いてくれ が自認していることは前に書いたが、緊縛シリーズではかな 2

5. 新潮 2016年11月号

示にいい予感をもたらした。 会場にはギメが所有する日本の古写真を見せるコーナーが あり、蓮の花の写真がいくつか展示されていた。盛りを過ぎ はじまりは「彼岸花」 て枯れかかった花や、仏前に供える造花もあり、花の儚さに つぎの展示室は花のシリーズだった。花を接写したカラフ美しさを見いだす眼差しにはたしかにアラキと通じるものが あった。 ルな写真が壁を埋め、見る者を誘い込むようなエネルギーが 横溢していた。華やかな空間だったが、アラキが花を盛んに ヌートル氏によれば、それらをアラキに見せたときに彼が 撮りだしたのが一九九〇年に陽子が亡くなってからであるの 即座に、これは彼岸花じゃないか ! と反応したと言い、そ を思うと、時間がやや飛びすぎのようにも感じられた。 うした一一一口葉も構成のヒントになったのだろう。 展示にはこのような説明文が添えられていた。 写真は言葉ではない、とは日本の写真家がよく口にするこ 「アラキが初めて花の写真を撮ったのは一九七一二年、彼岸の とだ。写真展でも解説がないことが多く、あっても簡単な一 時期であった。彼岸とは春分・秋分の時期におこなわれる日 言で、企画者の意図が説明されていることはまれだ。写真は 本の仏教節である。白い。ハックに白黒で撮影されたしなびた 被写体がそのまま写しだされるから、一見、素朴な表現のよ 花々からは、去り行く生や、先祖に備える花の枯れていく姿 うだが、写真家の考えや、背景にある理念を汲み取るのは、 が連想され、花々の色や形は生から死への移行を表している見る者がよほど訓練を積んでいないかぎりはむずかしい。そ のためにキュレーターという橋渡し役が必要となるが、アラ 。ハーソナルヒスト キのような奥行きをもった作家の場合は、 「彼岸花」という一語が、外見の華やかさを超えた文化的な 背景を物語っていてドキリとさせられた。 リーに偏るのでも、被写体の意味を解説するのでもない、撮 日本では「彼岸花」と聞いてもすぐには「仏教」は思い浮るという行為の背後にあるものが探られなければならない。 かばないだろう。地方ならまだしも都市部ではそうで、東京 今回の展示にはシリーズそれぞれに長い解説文が付けられ、 の町っ子の典型であるアラキに「仏教色」を見いだすことは その内容と表現がどれも適切で読み応えがあり、キュレータ ないし、ましてや花シリーズの原点が「彼岸花」にあること ーの任務がまっとうに果されているのを感じた。 も思い至らない。わたしたちの生活は多かれ少なかれ仏教色 ここで「彼岸花」に触れておくと、一九七三年、浄閑寺の に浸されており、それをどのくらい意識するのが妥当なのか墓前に供えられていた花を撮ったこのシリーズは、日本でも一 という自意識からついプレーキを踏んでしまう。だが、浄閑展示される機会はなく、存在も知られていないが、わたしに一 寺のむかいで生まれ、境内を遊び場として育ち、花見はそこ とっては思い人れのある作品である。 の墓地で行うものと決まっていたというアラキが、仏教の死 二〇〇一年、花をテーマにしたメイプルソープとアラキの 生観から影響を受けていないわけがないのである。 デュオ展「百花乱々」の企画にかかわった。メイプルソープ 2 引アラキ

6. 新潮 2016年11月号

が奥に伸びていた。壁の片側には、アラキがこれまで制作し 当時、彼が勤めていた電通のコピー機を利用して大量なコピ た五百冊ほどの写真集が年代順に展示されている。その全長 ーを作って一冊に綴じ、著名人に郵送した。一九七〇年の一 十五メートルを超える写真集の展示にまず圧倒された。数の年間にこの「ゼロックス写真帖」は二十三号も作られてい る。 多さではない。ふつうは展示の最後に参考資料として並べら れることの多いこれらの出版物を、冒頭に堂々と展示してい 先に述べたように、新婚旅行を撮った「センチメンタルな ることに、企画者の意図を汲み取ったのだった。 旅」を発表した場も写真集で、一九七一年に私家版として作 後のインタビューでチーフ・キュレーターのジェローム・ られた。裏側に陽子の手書きで新居の住所が書かれ、手作り ヌートル氏は、展示をこのようにはじめた理由を説明した。 感にあふれている。 アラキには「作家的」な面と「画家的」な面のふたつがあ アラキのように戦後に写真をはじめた世代は、このように るので、冒頭で「作家的」な部分を示し、そのあと「画家 印刷物を好む傾向が強い。グラフ雑誌が出回り、ポスターが 的」な面を見せる二部構成にしたのだと。 巷にあふれ、写真を額装されたオリジナルプリントではな この「作家的」と「画家的」という彼の言葉には少し説明 く、印刷した状態で接することが多かった。もちろん、仕事 が要るだろう。「作家」とは本で表現をする人の意、「画家」 を得るのも雑誌で、印刷機に掛けられ複製されてこそ写真 とはタブロ 1 を描く人、または造形作品で表現する人の意と だ、という感覚が体に刻み込まれた。アラキや森山大道な して使っている。アラキに写真集を制作する「日記作家」の ど、いま海外で高い評価を得ている写真家のべースにあるの 側面と、プリントに着色したり文字を書いたりする「美術はこの感覚で、写真に増幅するイメージを抱いており、欧米 家」の側面を見出し、意識的に分けたのだった。 で当たり前におこなわれているエディション方式 9 リント ヌートル氏は過去にロ・ 、ート・メイプルソープとヘルムー の制作枚数を版画のように限定する ) にも、写真をハイアート ト・ニュートンというタイプの異なるふたりの写真家の展覧とみなす立場にも違和感を示さずにはいられない。これは理 会を企画している。メイプルソープは人念にプリントを仕上屈ではなく、写真とどのように接してきたかという生理的な げて額すらも自分でデザインする「画家」タイプだが、ニュ 問題といえるだろう。 ートンは雑誌で仕事をしてきた「印刷物」の人で、展示の仕 写真はアウトブットの形式によって体感するものが大きく 方がちがって当然。おなじようにアラキの場合も写真集では 変化するから、経歴の長い写真家ほど、どの形式に親しんで じまったのだから、その重要性が強調されなければならない仕事をしてきたかを知ることは重要となる。写真を大きく引 と考えたのだ。 き伸して展示すればヴィジュアルなイン。ハクトは与えられる アラキはデビュー当初から写真集に深いこだわりをもって ものの、写真家への理解は少しも深まらない。そういう「見 きた。最初の作品はゼロックスでコピーした「写真集」で、 た目」重視の展示が多いだけに、冒頭の写真集はこの先の展

7. 新潮 2016年11月号

人たちの肖像」 ( のちに『眼の狩人』として単行本化 ) の十二回 アラーキーから、 ARAKI へ 目で取り上げたのが、荒木経惟という世界に例をみない写真 二〇一六年の今年は荒木経惟の写真を見てきたわたしにと家のことを考えたはじまりだった。九四年春のことである。 って興味をそそる出来事がつづいた。 ひさしぶりにその文章を読み返すと、冒頭でオーストリア まず五月から七月にかけて写真集『センチメンタルな旅』 ではじまった「 AKT—TOKYO 」展がヨーロツ。ハ各地を巡 のコンタクトプリント展がおこなわれた。撮影したフィルム 回し、話題になっていることに触れていた。この展覧会はア をそのまま印画紙に密着させて作るコンタクトプリントに ラキの写真がヨーロツ。ハで紹介された最初の機会であり、海 は、写真集では見ることのできないすべてのカットが撮影さ外で日本の現代写真プームの火付けにもなったが、その歴史 れた順に載っている。それが初公開されたのだった。 的なエボックのときに書いたことを感慨深く思った。 今回のことがなくても、コンタクトプリントの閲覧をひと 文章のタイトルは「 " 超二流〃であることの自由」となっ つだけ許すと言われたら、わたしは迷わずにこのシリーズを ている。自分はセンチメンタルで、すぐに気を遣ったり、日 選んだだろう。ここから自分の写真ははじまったと彼が明言常をひきずったりする、写真家としては「超二流」だけどそ する、後に大きなモチーフとなる妻陽子との新婚旅行の道行 れでいいんだと語った彼の言葉が印象深く、タイトルに活か きを撮った作品である。このたび、四十年以上を経て私家版したのだった。ある事を一生やっていくと決めたとき、一流 で出た写真集が復刻出版されて大評判になったことも、興味になりたいと願うのがふつうだ。「一流」と「二流」はどこ を引いた。 がちがうか。「二流」であると、何に対して自由になれるの また同時期に。ハリで「 ARAKI 」展が行われたことも、偶か。「超二流」という言葉は連載後もわたしのなかで残響し つづけた。 然とはいえ、驚いた。アラキの写真展はヨーロツ。ハでたびた び行われているが、今回は「センチメンタルな旅」から最近 また最後に彼がこう語ったことも心に残っていた。 作までを取り上げ、全体像を示そうという大規模なものであ 「写真の頂点というのは実は見えているんだ。それはやらな る。会場は東洋の古美術のコレクションで知られるギメ東洋 くていいというか、いい歳になれば自然とその頂点に行くだ 美術館で、日本の感覚では美術館よりも博物館に近い国立の ろうと、そんな気がする」 機関。そこでの初の現代写真展としてアラキが取り上げられ このとき彼は五十三歳。それから二十二年が経ったいまは たことに時代の潮流を感じ、はじめて彼の写真について書い 七十六歳で充分に「いい歳」に接近している。二〇一三年に た二十二年前に引き戻されたように気持ちが高揚したのだっ 右眼を失明して片目で撮影するという状態になってから、わ ( 0 たしはこれまで以上にこの一言葉を思い起こし、彼の左眼に 一九九一二年から一年間、「芸術新潮」で連載した「眼の狩「写真の頂点」がどのように映っているかを気にしつづけて

8. 新潮 2016年11月号

か、とアラキが言ったんです。ですから、最後の部屋は彼の か、社会の規範や道徳はむろんのこと、表現形式からも自由 なアラキのありようが彼らを魅了しているのではないか、そ インスタレーションです。死んだら空に帰ると言っていたの うヌートル氏は締めくくった。 で、わたしは空の写真で終えようと思っていたのですが、 たしかにヌートル氏が述べるように、アラキの写真には人 「トンポ 1 」が加えられて展示により威厳がそなわりました」 ヌートル氏がアラキの写真に関心を持ったのは、文化参事の心を自由にするものがあり、解放のエネルギーを与える。 けれども、アラキ自身には社会の規範をぶちこわしたり、自 官としてニューヨークに赴任しているときだった。事務所の 由のために正面切って闘おうとする意志は希薄だ。むしろ彼 となりがアラキのコレクションで知られるヨシイ・ギャラリ を操っているのは江戸の俳人や画家に見られるような融通無 ーで、そこに立ち寄ってオーナ 1 の吉井仁実氏と話をするう ちに、アラキの写真への理解が深まっていった。ぜひ回顧展碍な精神である。自分を笑いとばしたり、攻撃をかわしたり して詰め将棋になるのを巧みに避ける心の「運動神経」が発 をするべきだと確信し、帰国して提案したが、国立の機関な ので通すのは簡単ではなかった。とはいえ、アラキの作品か達している。突撃して討ち死にするよりは、うまく言い抜け ながらしたたかに続けていくことを選ぼうとする、生命重視 らなにかを除かなければならないなら、開催する意味がな い。すべての要素が網羅されてはじめて価値がでると主張し の生き方だ。 つまり、アラキが命を賭けて守るのは芸術の行為であっ て粘り強く機会を待ったところ、現代美術や写真への関心の て、芸術を支える理念ではないということだ。彼の生きる肉 高い女性の館長に代わってゴーになったという。 緊縛の写真など、マスコミから批判を受けそうな要素があ体そのものが理念であり、撮る行為の連続から思想が生まれ ったので論議の的になることは覚悟していたが、拍子抜けす出る。もっとも、彼ならば「思想」と言わずに「指想」と言 うだろうが、なぜ彼が「思想」という文字を避けるかを考え るほど何も起きなかった。それどころか、アラキを誤解して てみるべきなのだ。アタマだけを使って指先をおろそかにし いた、はじめてこういう写真家だとわかった、という絶賛の ている皮肉が「指想」には込められている。全身をくまなく 声のほうが高かった。 まず若い人たちが見に来てプログに書き、それを読んだジ使って直感されるものに耳を傾けるべきであり、それこそが ャーナリストらが、これは見ないわけにはいかないとやって唯一信頼できるものだという主張がここにある。 思えば、写真はゼロから何かを生み出すのではなく、この一 きて、その記事で広まっていった。テロ以降、。ハリの美術館 は軒並み客足が落ちているが、例外的に人が人っている。若世にすでに存在するものを選択することからはじまる。被写一 い観客のなかにはアラキを知らずに来る人もいるが、二十代体の選択から、カメラの選択、フレーミングやアングルの決ア の若者が七十六歳の写真家に魅せられていることに時代状況定、できた写真をセレクトすることなど、すべての局面が選 が現れていると思う。社会が保守的、閉鎖的になっているな択の行為によって成り立っところが、人生を生きる行為にと

9. 新潮 2016年11月号

し合っているのである。 拭えない。このたびオリジナル版が復刻されて、こういう内 容だったのかと驚いた人もいたのではないか。 それにしても、会場に件の「彼岸花」シリーズが展示され わたしも同時開催されたコンタクトプリント展を見たあと ていないのが不思議だった。解説で「彼岸花」に触れている のだから写真の存在を知らないわけはないのに、どこにも見に写真集を見返し、改めてその内容に驚愕したのだった。こ 当たらない。 れを撮ったときアラキは三十一歳だったが、とても人生これ からという時期にある男が撮ったものとは思えない。視線が ヌートル氏にこのことを尋ねると、トップにそれを飾るつ もりでリクエストしたが、どうしても見つからなかったと返あまりに老成している。若い日の新婚旅行のもようを、あん なことがあったなあ、と老人になった自分がしみじみと思い 事が来て、仕方なく諦めたという。メイプルソープとの展示 返しているような印象なのである。 で姿を現したあと、再びどこかに隠れてしまったらしい。 写真集は、列車の窓際席に座る陽子が反対側 ( アラキの座 叙事と叙情 っている側 ) に顔を傾けている写真ではじまる。つぎはホテ ルの部屋で、べッドの縁に座る陽子のヌ 1 ドとつづく。そこ カラフルで生命感が強調された花シリーズのつぎは、「セ から京都の街中で撮った風景写真がかなり長くつづくが、こ ンチメンタルな旅」と「冬の旅」シリーズだった。モノクロ れは『センチメンタルな旅・冬の旅』には人っていない。神 写真が白い壁に横一列に展示され、一転して静謐な空間にな る。「センチメンタルな旅ーは先に述べたように新婚旅行の 戸から船で別府に渡り、列車で大牟田に移動し、柳川の宿に 道行きを撮ったシリーズで、一九七一年、私家版の写真集で泊まる過程も同様に削られている。 だが、そうした旅の途上で撮られた、一見どうということ 発表された。海外では展示の機会は少なく、作品の存在もあ のないスナップが実にすばらしいのである。写真集の山場は まり知られていないと聞く。 柳川の旅館でのセックスシーンだが、そこに暴露趣味的なも 後に、陽子の死までの日々を撮影した「冬の旅」と合わせ て出版された『センチメンタルな旅・冬の旅』がアラキの代のが少しも感じられないのも、それ以前の陽子以外のカット が丹念に撮られているからなのだ。ふたりだけの世界に引き 表作として広く行き渡ったために、日本では「センチメンタ こもることなく、周囲の状況をきめ細かい視線で冷静に見渡 ルな旅」という言葉自体は知れ渡っている。ところが、シリ しているところに、アラキの妻みを感じずにはいられない。 ーズの全容をつかんでいる人がどれほどいるかと言うと、お 序文に「私は日常の単々とすぎさってゆく順序になにかを一 ぼっかない。『センチメンタルな旅・冬の旅』には陽子が写 っている十八点が主で大方は割愛されている。それゆえ、車感じています」とあるが、必ずしも撮影した順に並べられてア いないことがコンタクトプリントと一コマずつ突き合わせて 内の陽子や手漕ぎ舟のなかで寝ている陽子の写真などがこの みてわかった。場所を人れ替えるような大掛かりな「嘘」は シリーズのアイコンのように一人歩きしているような印象を

10. 新潮 2016年11月号

きたのだった。 えている事実に、深い感銘を受けたのである。 これからその写真展の内容をたどりながら、わたしのなか アラキがヨーロツ。ハではじめて紹介された前述の「 AKT でアラキの写真の何が明らかにされたかを確認していこうと —TOKYO 」展をわたしは見ていない。いまとなっては見て 田 5 う。 おくべきだったと後悔しているが、展覧会のために海外に出 向くという発想が当時の自分にはなく、東京でないなら無理 「作家的」「画家的」 だと単純に諦めてしまったのである。 ギメ東洋美術館は。ハリ中心部からセーヌ川右岸を西に進ん その反省から今回は。ハリ展を見に行った。滞在は六月下旬 だイエナ広場の一角にある。対岸にはエッフェル塔が立ち、 から七月初旬。。ハリがもっとも過ごしやすい季節のはずなの 。ハレなどがあり、 に、寒くて雨がちの気候に閉口させられたものの、期待に違河岸には。ハレ・ド・トーキヨーやグラン・ わないすばらしい内容で、行った甲斐は大いにあった。海外幅の広い道路が放射状に行き交う。。ハリに来ると泊めてもら う友人宅のあるカルチェ・ラタン界隈の雰囲気とはだいぶち でアラキの名は広く知られ人気は高いが、一種のエキゾチズ がい、東京と比べたら大した距離でないにもかかわらず、出 ムなのではないかと半信半疑だったのである。インタビュー した担当キュレーターの言葉からはアラキの写真を深く理解掛けていく、という気持ちで家を出た。 地下鉄イエナ駅の改札を出て地上に上がると、半円形のフ していることが伝わってきて、実力のほどを実感させられた アサードに巨大な垂れ幕がさがっているのが目に留まった。 のである。 アラキは自著のなかで多くの言葉を尽くして自分の作品や使われているのは白い花の写真で、その下に「 ArakiJ とあ る。花は芍薬だろうか、中心に赤い色が絞り柄のように人っ 撮影行為について語っている。ジョークや卑猥な言葉を織り ている。一瞬胸に込み上げるものを感じて見つめていると、 交ぜた語り下しの文章は、印象としては軽く、読み飛ばして その赤い柄から血のように赤いペイントが Arak 一のの文字 しまいがちだが、写真の衝動を実に的確に言葉にしているの にしたたり落ちているのに気がついた。背景も Arak 一の文字 に驚く。その完璧な解説を読むと、これ以上書き加えること も黒一色なので、その赤は目立ち、ドキッとした。 など何もないような気がしていたが、。ハリ展を見て、キュレ 建物のなかにはいると、ひと目で東アジアの石彫とわかる ーターと話をするうちに、書いてみたいという新たな意欲が 巨大な石仏が目を射た。なるほど、美術館というよりは博物一 自分のなかに湧き上がってくるのを感じた。わたしたちが当 たり前に使っている一一一口葉や、目にしている事柄や、からだに館で、こういう場所にアラキの写真を飾るとは日本では考え一 られない発想だ。上野の国立博物館に展示するようなものだア 染み込んだ生活習慣などとアラキの写真が無縁でないこと から。 を、異国からの眼差しによって突き付けられ、またそうした アラキの展示会場は地階で、階段を下りた先には長い通路 写真がエキゾチズムを超えて海外の人々に生きる励ましを与