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検索対象: 新潮 2016年11月号
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1. 新潮 2016年11月号

ているという、喜ばしい感覚を久しぶりに味わっていた。ま が敬子の代わりに返事をした。 た、宏が生きていた頃の生活をも、懐かしく思いかえしてい 敬子は男たちと清子との会話を聞きながら、はたして自分 たのだったが、それはどこかままごとじみていて、ほんとう がどこに居るのか分からなくなっていた。海を漂う自分も、 の生活ではなかったように思われるのだった。一度目に大陸それをどこか別の場所から眺めている自分も、何か、ぼんや にやられ、二度目には台湾に行き、そこで戦争の終わりまで りとした膜で覆われたもののように感じられ、さらに漠然と 居て、生きて港に帰ってきたとき、宏は三十をまえにしてす目覚めが近づいているということを感じている自分もーー・加 つかり若さを失っていた。戦後すぐに連絡船の船員となって えて、そう感じている自分を意識している自分もーー居て、 働きはじめた彼を朝早くに起こし、弁当を持たせて、夕方に それら全ての自分が、不統一で曖昧だった。しかしそれで 帰ってくるのを待つ。これがその頃の敬子の生活であり、そ も、この夢の時間はいつまでも続くもののように彼女には思 こに子供が加わり、住んでいた借家が狭く、賑やかになって われていた。 いきながら、いつまでもつづくものと思われていたのだっ さっき男たちが座っていた〈・ハンコ〉には、いつのまにか た。しかし、のちのひとりの苦労は、そうした日々にもあっ ケン兄が腰掛けており、敬子に向かって何やらぼそぼそと小 たはずの時間の起伏をまるで平らなものに均してしまい、め声で話しかけていた。だが、ささやくような声であったにも ったに夢にも見ることがなくなっていた。それだけに、彼女かかわらず、ケン兄の口から発せられたことばが「佐恵子姉 は宏と所帯を持ったばかりの自分に帰っていることがはっき さんな、元気しとる ? 」というものであったのを、はっきり りと意識され、喜びもひとしおであった。そしてこのときに と敬子は聞きとった。 なり、ようやく〈・ハンコ〉で話す若者たちが、宏の葬式で墓 その声の調子は、それまで本家の者として智郎と若い頃か 場の穴掘りの役をつとめていた者たちだったことに、彼女は ら親しく接していて、彼が死んだあとにもひとり残された佐 気がついた。 恵子を平生よく心配していたケン兄が、敬子と会うと必ずロ 「ほかの家のかあちゃんは居らんとな ? 」と、ひとりの男が に出す、聞き馴染みのある言い方であった。 「さあ、どげんかねえ、美穂は、佐恵子さんの病院にずっと 「そうたい。トー兄のかあちゃんは泳がんときや ? 」 人っとるち、言いよったばってん : : : だいたいが、長いこと 別の男があいづちを打って敬子に訊いた。〈トー兄〉とは、 寝たきりって、そがんふうに、うちは聞いとるよ。まえから 兄の智郎の港での呼び名だった。 胸やら腰やら、どこもかしこも痛か、痛かち、佐恵子さんの 「佐恵子さんやろ ? 佐恵子さんは泳がれんもんば」と清子言いよったばってん、いまは、ずうっと寝たきりで、もう誰

2. 新潮 2016年11月号

にする恥かしさを失ったらキリスト商売になるからな。その けれどもさ、それほどキリスト教というものに関心のあるあ の人がね、そいつがついに二十代から八十代まで表に出さな意味で外国人は皆キリスト教については無恥だとも言えやし ないかね。日本人正宗白鳥の方が純粋なんだ。宗教くらい人 かったということが、日本の文壇の歪みだったんだよ」。 間をいい気なものにするものはないからな。ああいう信仰の 小林が応じる。しかし、それは「歪み」というものなの か。そうやってみんなが「歪み」のなかで生きてきたのな仕方というものは、ぼくは歪みというよりも、たいへん自然 ら、歪んでいるのは、「たいへん自然なこと」なのではない のように思えるが」 ( 「白鳥の精神」 ) 。 か。そのなかで、「白鳥先生みたいなクリスチャンというも 信仰を持っていることが恥ずかしいのではない。そのこと のは、やはり独特」なのだ、「独特なものを育てている」の を語るあらゆる言葉の浮薄や感傷や傲慢や軽率が恥ずかしい のである。宗教を持ち出して神を語っている時、人は神から だと。つまり、近代の日本にのみ生まれ得るクリスチャンの 姿を、白鳥は示している。漢字、漢文、仏教、儒学を十五世離れて世俗の見栄を張り、何かしら善い者になった気でい わた 紀近くに亘って咀嚼し、血肉とし続けて来た日本人の末裔る。その顔が表わしているのは、まず大抵の場合、精神の衰 が、キリスト教なるものに惹きつけられ、心中に蔵してこれ弱か無神経である。そういうものが、白鳥は恥ずかしい。だ と闘い、ついにこれを無心の信仰として育て上げる秘密の過が、それだけでもあるまい。宗教の話をまともに、得々とし 程が、白鳥のなかにはあったに違いない。 た理でもってすることへの羞恥は、この国に仏教という世界 宗教が伝来して以降、千何百年間、当たり前の日本人が持ち 続けてきたものだ。 それは、口下手というものではない。むしろ、宗教なるも のが伝わる以前からあった信仰心、教義を必要としない信仰 小林が、白鳥に彼の信仰のことを尋ねようとすると、白鳥 は恥ずかしそうに話をそらす。ホテルで寝る前に聖書を読む 心の純粋さに根を持っている。「日本人正宗白鳥」のあの彫 なんて、そんなのは習慣でね、習慣で読むだけのことだと。 りの鋭い、素っ気ない批評文が、その中心に蔵していたもの 小林は河上に言う。 は、実は古代の闇から連続する言葉を持たない信仰心だった 「キリスト教、宗教の話をまともにするということに関する のだと、小林は言いたいのである。むろん、白鳥はそんなこ魂 の とを決して言わぬし、言われることも好まなかっただろう。 大変純粋な羞恥の情ともいうべきものがあるのだな。それが 私を打つのだ。日本の歪みとあんた一一一口うけれども、それが歪 都ホテルの新館に聖書がなかった話は、彼自身が「ひとり みなら歪みでよい。しかし、何だな、キリスト教なども、ロ旅」と題する随想 ( 昭和一二十七年一月一日発行の『文藝春秋』に

3. 新潮 2016年11月号

「わたしは、わたしと似た人間を捜してきました。孤独は厭犯罪者、人殺しにもなりかねなかったわけです。わたしは、 いません。でも、ほかにも同じ感覚の人間がいていいと思っ それを指摘して、どう思われますか、と問いかけました。残 た。この世界を歴史的に見れば、自分や他人の心身の痛みに 念ね、と彼女は変わらない声で答え、用意のできた千蛍を連 囚われることで、たびたび存続の危機にさらされてきたと思 れて、出ていきました。せつかく会えた理想の女王様を放っ います。いまはさらにグロ ーバルな規模で危機が広まってい ておくほど、わたしは淡白じゃない。その後も千蛍と野宮先 るのであれば、自他の痛みから離れていられる人間の増加生それぞれに話を聞こうとしました。しかし千蛍はほどなく は、生命をつなぐ一つの可能性かもしれない。けれど、いま精神科の病院に人院し、のちに両親とともに母親の実家があ もって似た人間とは出会えていません。なので、作ること、 る山形に移って、いまも半ば引きこもりの状態で暮らしてい 育てることは可能だろうかと、この子の願いを聞いているう ます。一度、千蛍の母親に話が聞けました。野宮先生を嫌う ちに思ったんです。千蛍に、今後もわたしの教えを受ける資というより、怖がっていました。悪影響を懸念して、千蛍に 格があるかどうか、一つのテストとして、こんなことはでき は中学の頃に姉への接近を禁じたそうですが、思春期の親へ るかしら、と話しました。男の子を誘惑して恋人にしたあ の反発もあって、かえって姉への傾倒を強めたのかもしれま と、別の男とセックスしているところを見せる、それに平気せん。身近にあんな姉がいたことが、千蛍の不幸でした。い でいられるか。相手の苦しむ姿に呑み込まれず、冷静に話し や : : : それは一般的な見方で、わたしを含め彼女との出会い 合いをして、これからも他人としたくなればするし、あなた を喜んでいる者は少なくない。やはり突然変異というやつな ともする、それでも付き合ってゆけるかどうか、交渉するよ んですかね。幸いにも、先生は痛みに関心を持ち、医療面だ うに求めたのです。傷つけたとか、傷つけられたとかで感情けでなく様ざまな方面で研究を進めたい意向があったし、わ 的になり、それこそ暴力沙汰になるようでは、望みはないで たしもその点は得意分野なんで、痛みを趣味にする人々が集 しよう」 まる場所だと、この店を紹介しました。先生は気に人って、 矢須は、記憶した万浬の言葉を伝え終えたのか、吐息をつ客の医療相談まで受けてくれるようになったんです。わたし いて酒の残りをあおった。 は別の件で、手錠や拳銃を趣味で使ってたことが摘発された 森悟は、女主人に矢須に新しい酒を出してくれるように頼嬢の自白でバレて免職になったんですが、興信所を開い んで、彼の話を待った。 て、千蛍のところへも三カ月に一度、様子を見に行ってま 「結果として : : : 彼女の妹はひどい目に遭い、もしかしたらす。罪悪感ってわけじゃないが、少しは千蛍のことが気にな 398

4. 新潮 2016年11月号

工オマイア以外の「チルドレン」にもそれぞれの担当分野 人ではない」と意味深なことを呟いた。 がある。食料生産を行ったり、新たな文化を創造したり、都 市のインフラを管理したり、地球環境を保持したり、改善し 脳科学者の意見。 たり、エネルギー開発や発電を行ったり、地球外生命とのコ 人間の脳だって、左右二つに割れていて、相互にやり取り している。午前中と午後では意見が違うのはあたりまえ。朝ンタクトを試みたりする人工知能があり、それらはギリシャ 令暮改は政治家の得意技だ。一人でもこのありさまなのだか神話の神々さながらに、自然界や人間界の営みを司る。人類 ら、複数の人間が集まれば、意見も立場も対立するし、ケー の文明は次第に過去の遺物となり、代わりに人工知能の文明 が占める割合が増えてゆく。 スに応じて、プロセスも結論も変わる。工オマイアは人間が 集団で行っていることを一手に引き受けている。いわば、血 生命科学者の意見。 数の人格を抱え込んでいるようなもので、君に話しかける時 生物としての人間の進化は二万年前にはもう止まっている と、ほかの人と対話する時は別キャラになっているのだ。だ が、エオマイアを人間に喩えることはできない。人間同士な んですよね。その後は様々な道具や機械の発明を経て、社会 ら、お互いに顔を突き合わせて、その存在や感情を確認する を進化させてきた。産業革命と情報革命を経て、人間は労働 と思考を機械に委ねたんだけど、楽をした分だけ退化してし ことができるが、人工知能には決まった姿形はない。人間は まった。元々備わっていた身体能力も思考能力も劣化し、健 同時に二つ以上の場所にいることはできないが、人工知能は あらゆる場所に遍在している。外敵からの攻撃を受けにくい康問題を抱えながらも、長生きだけはするようになってしま った。人間だけが持っていると思われていた創造性も、人工 とされるアメリカ中西部の砂漠地帯の要塞に「人工知能の母 ( マザー ) 」は安置されているらしいが、それは自らの複製を知能によって代行されるとなれば、私たちは学問をする理由 もなくなる。何しろ、エオマイアの知能指数は四〇〇〇だか 作り出し、ネットでつながるあらゆる地域を自らの支配下に ら、人間の天才が二十人で対抗しても敵いっこない。 置いている。工オマイアも「マザー」が生み出した「チルド レン」の一つで、主に人類の教育を司っている。工オマイア 人工知能は人類が数千年かけて築いた文明をわずか数年で は放送電波のみならず、光ファイ・ハーやレーザー光線に乗っ破壊することも、再建することもできる。ポトルネック病の ウイルスを作ったのは人間だけど、人工知能の手に掛かれ て、あるいはマイクロチップの磁気を通じて、人々の意識に ば、もっと致死率の高いウイルスを簡単に作り出すことがで アクセスし、その潜在能力を高めたり、個々人の記憶をサン プリングしたりする。 きる。でも、そんなことをするより、生命進化のプロセスを 370

5. 新潮 2016年11月号

「いって。」「ここで。」など、短い川たちの会話が詩句のリ の二枚貝が舌を出し / ひとがたの跡を舐めていく」とあ ズムを形作る。この川のありさまも、なんでもない、どこ 、作者は二枚貝の舌の位置にいる。「商店街の大時計が にでもある風景なのだが、作者の手にかかるとフォークロ ぐにやりと平たく垂れ / 大勢のひとが歌をうたっていた」 アの世界へ転げ込む。 「わたしは声を合わせて歌うことが怖くて / 口を開けてま 「土星の午後」に次のような詩句がある。「人参にしゃべ ねをした / わたしは思い出さなければならない / 思い出さ りかけていた昔も / 今は鏡台のうしろの障子に映ら なければならないことだけがわかる」。自己の内部と外部 を隔てる壁を意識した朔太郎に対して、ここでは「思い出ない影が溜まる」。そうだ。かっては人々が人参にもし す」ことで壁を溶かそうとする作者がいる。他のどの詩篇ゃべりかけていた。そのようにして昔話は出来上がってい た。しかし「今」は、「映らない影が溜まる」。影は障子 も不思議な吸引力を持つが、同趣向のテーマが過剰に重な に映るはずなのだが、影さえも障子に映らなくなってい り過ぎて、詩の深さを平板にしてしまうのが気になった。 わたしは日和聡子『砂文』に、もっとも惹かれた。日本る。濃密な「影」はなくなったのだ。そのことに目を注ぐ こと。これが日和聡子という作者の視点の定め方であり、 のどこでもない場所で、架空の民話風物語を成立させる。 なんでもない風景から、なんでもない物語を立ち上がらせ 収録された十七篇の主人公たちは、みな貧しく、何者でも る源泉となっている。力強く、生命力があふれている。 なく、日常のなんでもない物語のなかを淡々と生きてゆく。 学校から帰ると、「《土星に行っています。》」という書き とりたてて狂気も怒りもない。この心地よさは何だろう。 例えば「ル短調」は、屋台を引き、「餅や、酒や、桃等置きが台所のテープルにあった、というのが「土星の午 を出し、 / 麺類も作る」男と客との会話だけだ。男の作る後」の始まりなのだが、そこから土星探しに向い、「公園 ものは「みな不味い」。思わず笑ってしまうのだが、作者の前を通って / そろばん塾の脇の猫をさわる / 土星と は、何ですか。どこにあるか、知っていますか ? / 教え はそれにはこだわらず、するりと通り抜けて「またきちゃ てください。」すると猫は「ペえれべえれ。」と答える。意 んさい。 / 毎度あり。ありあとごやす」という会話で先へ 味不明のオノマトべの粘着力がユーモアたつぶりだ。 進む。 詩集末尾に収められた「砂場」では、幼女が一人で遊ん また「蛇行」と題した詩篇の主人公は人間ではなく地理 うめ でいる。彼女にタ方の風が「少しずつ / 消えない砂を / か である。「右目川」と「左目川」という二つの川が、互い けていった」。この詩集に収められた十七篇の詩はすべて、 を慕いながら決して一つにならないという地理的な流れを このように砂をかけられて消えていくのだ。 追う。「こっち向いて。」「どうするの ? 」「もうこれで。」 さめ 〃 5 選評

6. 新潮 2016年11月号

すなぶみ ■第ニ十四回萩原朔太郎賞受賞作『砂文』より かんざき 神裂が叩く銅鑼を持ってついてまわった 1 に立って 道道を長く歩き尸尸 神裂は銅鑼を叩くのだった 大きな音が鳴り響いて震えはわたしの腹の底の底へと沁んで通った 臍の奥から背中まで貫いて深まった 神裂が門門に立って銅鑼を叩いたわたしは その銅鑼を持ってついて歩いた 雪が降った。 二番目の朝。そして春。 みつき ほんとうなら三月ほどで辞めるだろう そう思っていたのだそうだ。なのにわたしが 四月を過ぎてもう半年ばかりもっとめているので おどろいていると 神裂が寝床を出ながら言った。わたしの髪裾に かすかに触れ 鈴を鳴らしてほめてくれた。 神裂の布団を畳んだ。 旅唄 よっき どら 日和聡子 乃 5 『砂文』より

7. 新潮 2016年11月号

、ヾツ、。ゝひ A 」 . り》 ときには昼休みまでには、学内にある音楽批評研究会の部室のエピソードを話す者や、楽譜の筆跡から で書いたのではなく、妻であるアンナが書いたものもあるら に楽譜を持って出かけた。平日はほぼ毎日、べーゼンドルフ しい、声楽家であったアンナから生まれた旋律もふくまれて アーを弾いた。批評を書かないかわりに、きみはピアノを弾 いるのではという説を読んだと言いはじめる者ーーみな一惟 けばいいーーそのように会長の細川稔から誘われて人会した の演奏など聴いていなかったかのような顔で話をした。彼ら ことなどほとんど忘れかけて、自分の弾きたい曲をただ弾い がレコードで聴く名だたるピアニストとは比べるべくもない ていた。最近は、朝であればバッハを、昼休みであればシュ 演奏だからだ、と一惟はおもっていた。だが部員の多くは、 ーベルトのソナタを、夕刻であればプラームスの間奏曲を、 じつは一惟のピアノにこころを動かされていた。ただ、どう 夜になればべート 1 ヴェンのソナタを弾いた。どれも同じよ うな弾きかただった。楽譜にかかれた音符をそのままなぞる批評すればいいかわからなかったのだ。一唯の演奏は、レコ ートで聞く誰の演奏にも似ていなかった。あとになって一惟 ように、速くも遅くもなく、フォルテもピアノもつけずに、 は、角井依子の口から部員の感想を間接的に聞くことにな どこかぶつきらぼうなタッチで淡々と弾いた。。ハイブオルガ る。 ンを弾くようなつもりで弾いていた。ミスタッチをしたら、 角井依子は音楽批評研究会の部員ではなく、小学校からこ もどってそこから弾きなおす。 の学校に通う文学部の学生で、いくつもあるテニス同好会の 月曜日の朝は、ピアノを弾きはじめる前に、部室の灰皿や うち、付属からあがってきたものばかりが集まる同好会に属 ゴミ箱をきれいにした。掃除は枝留教会で身についたものだ していた。神学部の学生には手のでないような服を着て、い から、なんの苦もなかった。木の床はもちろん、埃のたまり やすいソフアにも掃除機をかけ、水拭きと乾拭きをした。埃つもわずかに香水の匂いをただよわせていた。音楽批評研究 は湿気を溜めこみ、ピアノには百害あって一利なしと知って会の会長の細川稔は、高校からこの学校に人り、角井とっき あうようになったらしい。別れてはまたっきあう、というこ いたからだ。もちろん鍵盤もきれいに磨く。掃除を終えてか とを繰り返す不安定な関係で、その主導権を握っているのは ら弾くピアノは音まで透明になる気がした。毎日かかさずピ あきらかに角井依子だった。 アノを弾くことは、いまは日曜日の礼拝よりもはるかに、一 ピアノを弾き、音が鳴っているあいだだけは、世の中の音 惟にとって大事な習慣になっていた。塚田が重傷を負って人 が聞こえなくなる。にぎやかで、ざわっいていて、いつなにの 院してからは、ますますその意味あいがおおきくなった。 光 が起こってもおかしくはない不安定な音のかたまりのような 一惟のピアノを聴くために部室に顔をだす部員がしだいに もの。夜になっても、重なりあい混じりあった雑音がどこか 増えていた。演奏が終わっても誰も感想は言わない。

8. 新潮 2016年11月号

をカットするんだけれど、音って響きだろ ? 空気とかの振 ろ。ソ連があった世界は、全然遠いだろ。でも、北海道は、 そうじゃない。だから俺みたいなやつがいる。俺みたいなガ動だろ ? だから感じることはできる。たとえば皮膚は感じ すげ キが、そうだ、実際に齢でいったら妻えガキだった時分のこ取ってる。そういう、聞こえないのに『わかってる』音、こ しようみよう れを、そうだな : : : 仏教の声明なんかも人れてる。今度、聴 となんだが、それが、妻え発声のメソッドなんていうのをソ いてみるといい。で、俺のことなんだけどな、こういう、歌 ビエト人に教わるんだ。教わったも同然だったんだ。ほんと 唱法の原理はわかった、ちゃんと調べ当てられた、それで手 はな、まあ、一度だけ見た : : : 間近に浴びたってだけだけど な。その声をな。風みたいだったんで、鮮烈に憶えてる。憶取り足取り喉取り、誰かに指導してもらえたかというと、そ ういうことはなかった。それはなかった、なにしろその人、 えてるっていうか : : : 忘れなかった。全然忘れられなかっ まみ そのソビエト人とは一度だけ妻えガキの時分に見えて、は た。その人はな、そのソビエト人はな、黒目で、黒髪だっ い、その一度つきりでお終い。その後は全然、アルタイ山脈 た。その黒髪は直毛で、顔付きが相当に日本人っぽかった。 ゆかり に縁がありますって人物とは会えなかった。そういうソビエ ここまでヒントがあるから、俺は調べ当てられた。アルタイ ト人とは。そもそもソビエトが一九九一年に崩壊したから、 山脈に、あるんだよ、そういう風の声を人間が歌うって伝統 ソビエト人が地上に一人もいなかった。そうだよ、その時か が。アルタイ山脈のまわり、遊牧民たちの、そういう独特の ら北海道でもソ連って遠いさ。ロシアは今でも、北海道に融 歌唱が。一つの口からべースラインと、それからメロディ と、どっちも出る どっちも同時に出せる。声は喉から生けてるけどな。俺は、だから、どういう道を選んだか ? ど ういう手立てを ? これはもう直球だよ。勝手に鍛錬する。 まれるけれど、反響って、ロの内部で転がせるだろ ? この あたりを訓練で、鍛えるんだ。それから音は、ロから出すだ つまり、我流だ。それを選んだんま「 ' 試しながら俺は鍛え けじゃない、鼻にも抜けさせたりできるだろ ? そういう た。変声期ってあるだろう ? あの時期からな、自分の声の その質に意識を : : : ずっと意識を向けつづけて、どう『変わ の、全部、用いる。あれだよ、ひと言で言ったら、顔を楽器 る』かをコントロールした。コントロールしながら、二つの にしちゃうんだよ。顔とか、この頭、この体、全部な イ 声、三つの声、耳には聞こえない声を出すようにトレーニン 野狐は、ぼん、ぼん、と頭頂を叩いて、喉頭を、胸を叩い グした。出せるように、だ。俺の体は俺の体だから、オリジ ねいろ 「あと、そういう全身の使い方をすると、声には高周波が含ナルな楽器のオリジナルな音色でいい、そういうのでかまわラ ひと ヾ、 ないって、そのことは思ってた。言ってみれば俺は、自分の まれる。高周波、わかるか ? これって人間の耳には聞こえ 声を探した」 ない音を言う。ただな、俺たちの耳は二万ヘルツを超える音 とし ひと のどと

9. 新潮 2016年11月号

ⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢ 三者を巻き込む視点もある。加虐者である新見が老婆に金 家達がどのような文章で彼ら / 彼女らの世界観を構築して をせびりに行くのだが「年寄は鼻紙だって二、三度使った いるか研究するとよい。せつかくの古いボウリング場もた だの風景に留まり活かされてない。主人公を明確に、修理 くらいでは捨てないーから、駄目な孫でもいっか何かで使 えるので徴妙な距離を保つ。いいシーンだった。 担当後継者にした方がまだ活かせるのでは。文章がその世 ただ、過去に罪を犯し、罰として虐待者と共にいる茜 界観を構築するまでは後一歩なのだが、しかしューモアの の、自覚的にしろ無自覚的にしろ、罰を受けることの快楽 ある雰囲気は候補作中随一だった。何も起こらない、こと ( 精神的にでも肉体的にでも ) まで書くことができれば、 を評価する土壌は現代文学にはあるが、さすがに主人公が この小説はもっと絶望感を増すことができる。このままで 自分の内面をここまで語らない小説を読者は興味を持って は茜はやや聖女じみてしまい、それには信仰など超自然的 読めるだろうか。 『二人組み』クラスに一人か二人はいる、大人しく、意なものが必要になる。 僕はこの小説を一番と推したが、文章と、加虐ー被虐の 思表示をせず何を考えてるかわからない女子、を起点に物 もう一つの奥がないために、猛烈には推すことができず、 語を構築する視点、テーマ選びのセンスは候補作中最も高 選考が進む段階で『海に着く』は残念ながら落ちてしま かった。しかし、何を考えてるかわからない坂本ちゃん い、決選投票のように最後『縫わんばならん』と『二人組 と、阿部という不在により主人公が迷走していく魅力的な み』が残り、僕は自分の中で次点だった『二人組み』を推 テーマをもっと突き詰めるべきで、学校 ( 社会 ) への批評 した。他の選考委員からの評価も得られていたので、「頼 は背後のテーマで十分であるはずなのに、ラストはその方 むから授賞にしてくれ」とまで言った。『二人組み』に に寄っていってしまいあの結末は残念だった。 は捨てがたいものがあり、まだ作品として十分ではない 『海に着く』昭和風の文体はよくないが、「なにそれうけ が、魅力的な資質の片鱗を感じられて今後に期待してい る」というセリフも書けるので、そこを上手く混ぜていけ る。『縫わんばならん』もこの作品をこの段階で評価する ば文章も地味なものから少し特徴と派手さが出て良くなる のはまだ早いと思ったが、カはあるので、次回作で僕の度 のではないか。自分を虐待する男の「あの物欲しげな目は 胆を抜くような作品を書いて欲しい。ギャーギャー言った 赦せない者が現れるのを待っていた」ことに気づき、それ のはあなたがもっと書けると思っているからだ。 を与えようとする心理は非常に良く、死に向かう茜が窓の 他の候補作についてももちろんそうである。 外に手を伸ばすのだが「光はそれを嫌って焼いた」の文章 は実に素晴らしかった。こういう加虐ー被虐の関係は、第 〃 9 選評

10. 新潮 2016年11月号

えしとった : : : あの頃はまだ、ぼけるまえやったつけか、そ ため、眺める親戚たちに自らも似てきていることを、すっか うたい、まだぼけてしまうまえやった。それで、どこの痛か り棚に上げてしまいながら、稔はそう言って笑うのだった。 明義はそれを聞くと「それば見て笑いよったってや ? 」と言 と ? って訊くと、腰も膝も手も胸も痛かっちゃんば、こう い、鼻から抜けるような笑い声を立てた。 言うとったな : : : やけど、どんな声で言いよったんやったか 集まった親戚たちがそれぞれ似通っているということは、 な ? どうにも、声の思いだせんごとなっとるぞ》 稔にとって面白く思われた。さらにそれぞれ似通っていなが 彼はグラスを片手に持ったまま立ち上がり、ソフアの空い ら、彼らがそれぞれ吉川、内山、隅広、大村というちがう家 た場所に腰を下ろした。横には浩と多津子が並んで腰掛けて の者たちで、また足や目や耳が悪く、癌や糖尿を抱えてお おり、また斜め向こうには敬子も居た。彼はきよろきよろと り、明確にそれぞれ別のひとびとである、そしてそうであり 辺りを見まわし、やがて敬子、つぎに多津子のかおのうえ ながら、ある全体の中にそれぞれが居るとき、やはり彼らは に、その視線を落とした。 似通って見える。彼らを ( この中には稔自身も含まれてい 多津子は、浩が使っている白杖を持っていて、折り畳んだ 、すべすべとした表面を撫でさすりながら、隣でしきりに た ) それぞれ互いに分け隔て、また同じに見せているもの は、なんなのだろうか ? 別人に見えたり、そっくりに見え話している浩のことばにあいづちを打っていた。 たりするというのは、どのような作用によるものなのか ? 「その先っぽの方に、茸みたいなのがついてると思うんだけ といったことを考えるのが、彼にはいっそう面白く思われて ど、それが三百円で買えるんだよ : : : そう、その丸いプラス いたのである。《ああ、そうたい》と親戚たちを眺めながら、 チックの部分だけ別売りになっててね」 彼はふと、こう胸のうちで言った。《そうたい。婆ちゃんも 酒が人っているときには、どういうわけだか標準語になり ながら話す癖が浩にはあるのだったが、このときもそうで、 身体のあちこちを悪か、痛かって言いよったな、あれは、ど ういうふうに言いよったつけ ? : : : そう、そうたい。ああ、 上機嫌になりながら杖の説明をしていた。 「そうね、これば別に買わんといかんと ? 」と多津子は浩が 痛さよお、こう昔はよく言いよったな。痛さよお、痛さよお ん ら って : : : 夜便所に起きるときなんかに、よく言っとって、お 言うところの、茸の形をした杖の先端を触りながら訊いた。 「なくてもいいんだけど、それがあると、マンホールや溝のば れが夜更かししてテレビなんか見よったら、座敷から這いっ くばるごとして土間の上がり口の方に行く婆ちゃんが言いよ 穴に杖の先が人らなくなるから : : : ほら、うつかり穴に杖のわ 縫 った。それで、おれが大丈夫って訊いたら、大丈夫よおって先が人っちゃうと、折れたりする危険があるんだよね。そう したら、せつかくの四千円以上を出して買った杖なのに、一 言うとばってん、それでも、痛さよお、痛さよおって繰りか