フェラ - みる会図書館


検索対象: クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間
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1. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

自問自答する。フェラーリって何なのだろう ? はクルマを売るための宣伝材料 ? レーシングカーとは別物の超高級車 ? カッコだ けのイメージで銀座や六本木を流す ? それだけじゃあないだろう。やはりフェラーリはスポーッカー・レースで戦う姿があ ってこそ、はじめてプライドを持って街に出られる。フェラーリはクルマを売っているので はなく、「感動ーを売っているのだ。だからこそフェラ 1 リや僕を応援してくれる人たちが 大勢いる。まして僕は、フェラ 1 リには恩がある。このままでいいのか ? 今、おまえがや らなくて誰がやる ? フェラーリの (--«カーを、もう一度レ 1 ス・シ 1 ンに復活させよう。 使命感のようなものもあったし、自分にとっても何か得るものがありそうだとも感じた。 この頃になると、僕はフェラ 1 リ以外に、他のレ 1 シング・スクールの先生としての仕事も 依頼され、それなりの収入が得られるようになっていて、気持ちに余裕もあった。 工 フ バブル崩壊の影響で僕の価値観も変化していた。情熱を持って当たれば、たいていのこと の 本はできるものだ。人生、大切なのは、金じゃない。やりがいのあることに挑戦してみよう、 日 そう決心した。

2. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

しばらくすると、僕は自分のチームの関係者がかわいそうに思えてきた。それを兼子さん に伝えてもらおうと思って、ロをばくばく動かしたけれど、声が出ない。 耳もとにいる妻が通訳となる。 「何 ? 何が言いたいの ? 一番最初の字は、アイウェオの中にある ? 違う、違う、と首を振る。 「じゃあ、カキクケコは ? 」 そんなふうにしてひとつひとつの音を確認し、ずいぶんと時間がかかったが、ようやく短 い言葉を伝えることができた。 ごめんね、ね。わかったわ」 「ゴ・メ・ン・ネ、 どうしてゴメンネかというと、兼子さんをはじめとするチーム関係者と僕は、同じ夢を抱 命いていたからだ。 間それは、日本一のフェラ 1 リのレ 1 シング・チ 1 ムを自分たちの手で作ること。 一一二年前、フェラ 1 リ公認クラブ、フェラーリ・クラブ・オプ・ジャパンから、 七 僕が代表を務めることでチームがオーソライズされ、プロジェクトがスタ 1 トした。 1 トナー ) が資金援助を申し出てくれて、世界 町の会員の有志の人たち ( チーム・

3. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

忘れもしない、その年最後の試合となったツインリンクもてぎサーキット、オールスター ヒリだったクルマが最後に一 レース。ついに僕たちは優勝を果たした。レースの世界では、、 番になるなんて、めったにあることではない。 観客席ではいくつものフェラーリの赤い大旗がふりかざされている。僕らのピットは狂喜 ートナーの人た 乱舞だった。たくさんの帽子が宙を舞う。あちこちでスタッフやチ 1 ム・ ちが抱き合っている。笑顔。握手。涙。抱擁。 チ 1 ムの内情を知っている取材に来たテレビクルーまでが、いっしょになってバンザイを している。インタビューでは涙をこらえるのが大変だった。いつもは冷静沈着なオロフソン が、ロポットのようなおかしな格好で飛び上がっている。まるで映画の感動場面を見ている ようだった。 いろいろなシ 1 ンがよみがえってくる。開幕戦のとき、オロフソンには僕が落ち込んでい るように見えたのだろう。彼も本当は毎しかっただろうに、最後尾のグリッド表を上下反対 にひっくり返して僕に見せ、「オータ、これが我々にとってふさわしいポジションだ。早く そうなろう」と笑顔で励ましてくれた。 プログラムのチーム紹介の欄で、「訪れたフェラ 1 リのピットは、フェラ 1 リの高級イメ ージとは違って、質素だった」と書かれて苦笑いしたこともある。

4. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

て、美術工芸品として扱われているものも珍しくない。その中でも特に希少価値があるクル マは、バブルの時代に数十億円の価格で取引されていて、今となっても一台あたり数億円の 値段がつくものすらある。 そうしたビンテージ・フェラーリは運転が難しくて、たとえばシフトチェンジの操作ひと っとっても独特のテクニックが必要となり、ある意味、レーシングカーのフェラ 1 リと共通 点がある。僕はそれまでにレーシング・フェラーリをとことん経験していたので、運転のコ ツがわかっていた。 ビンテージ・フェラ 1 リのオーナーたちの多くは、日常の整備のために専属のメカニック を雇っているほどクルマを大事にしているのだが、「クルマは走ってこそ価値がある」と考 える人が大半である。 遣 彼らは僕のことを信頼してくれて、「ガンガン走らせてみてください」と、好意的にステ アリングをゆだねてくれた。僕が彼らのフェラーリの潜在的な能力を一〇〇パ 1 セント引き 工 の出すことを、楽しみにしてくれているようでもあった。 本僕にとっても、そうした歴史的な意義のあるクルマに実際に乗ってみることは、自動車評 日 論家としての貴重な財産となった。 また、イタリア本国のフェラーリ本社や日本のフェラーリ正規代理店コーンズ・アンド・

5. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

ることとなった。 けれども、チャンスの女神は気まぐれである。帰国した僕を待っていたのは、フェラ 1 リ の世界への誘いだった。 フェラーリ本社が主催するオ 1 ナー・レーサー向けのレース、「フェラーリ・チャレン ジ」の日本で行われるレ 1 シング・スクールの講師として僕を迎え入れたいという名誉なオ ファーだった。 さらに日本における耐久レ 1 スの有力チ 1 ム、「タイサン・インターナショナル」からも オファーを頂いた。フェラーリ鬨を全日本選手権で走らせるから、そのメイン・ドラ イバーとして起用したい、一度会おう、とのことだった。 やすつね タイサンの千葉泰常代表とはそれまで面識はなかったが、彼がロンドンの高級ホテル、バ 遣 ークレーに宿泊したところ、たまたまあのステフアノ・セバスチャ 1 ニがそのホテルの支配 人だった。僕がル・マンで運転したフェラーリのカー・オ 1 ナーだった人物である。ロンド 工 のン在住だが、イタリア人でフェラ 1 リの重役にコネクションを持っていた。ステフアノは ヾーはオータかよい」と千葉さんに強く 本「日本でもフェラーリを走らせたらどうか。ドライノ 日 勧めたらしい こうして僕は、レーシングドライバーとして、またレ 1 スの先生として、シーズンを通し

6. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

④炎に包まれたフェラー ースを横断していく リがコ⑤後続の黄色い >< ー 7 をドラ⑥消火器を持ってきて、消火を イプする山路選手が事故に気づ開始 き、フェラーリの前に停車

7. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

⑦消火を終え、ドライバーを引 っ張り出そうとしはじめる。よ うやくオフィシャルたちか、フ エラーリの周囲に到着 し誉し 1 : 21 . 3 1 . 1 ユ第 : さ 下図・ A のポルシェに B のポルシェが追突、コースアウト。 第一事故発生。このクラッシュを避けるため、後続車両が混 乱。追突を避けようとした C のフェラーリ ( 著者 ) が安全地 帯に逃げ込む。停車していた B のポルシェに激突。フェラー リは炎上しながらコースを横断。メインスタンド前の出来事 第ニ事故

8. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

230 フェラ 1 リの杖 親は悲観的な考え方をしていた。特に母親には、子どもがいくつになってもかかえ込んで 守ろうとする意識が働くのだろう。あるいは自分の子どもの恥ずかしい部分を人の目から遠 ざけたい、 という気持ちが強く働くのかもしれない。 「世間の風は冷たくて弱い人に残酷だから、あなたは人目に触れないようにしないと。病院 に行くときは仕方ないけど、それ以外のときはなるべく家の中にいること。近所の人にもあ なたが怪我をしていることを知られないようにしたほうがいいわ。子どもたちをいじめる人 がいるかもしれないから。あなたもこれ以上辛い思いをしなくてすむし」 僕には他人に自分の弱い部分を見せることを極端に嫌悪するという面があって、それはも しかしたら親から引き継いだものだったのかもしれないが、とにかく僕は母親の考え方に、 なるほどそのとおりだと納得した。 「外の世界」に出ることに、ある種の恐怖感がある。 いつまでだか、本当にその日が来るのかもわからないが、とにかく完全に治るまでは引き

9. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

カンパニ ー・リミテッドも、新型車のテストの仕事で僕を使ってくれたり、あるいはイタリ ア本国のフェラーリ本社のテストコース、フィオラノに呼んでくれるようにもなった。 自慢ではないが ( 実はめいつばい自慢だが ) 、フェラ 1 リが創立五〇周年を記念して限定 三九九台、一台五〇〇〇万円の価格で販売したを、世界ではじめて運転した自動車評論 家は、何を隠そう ( 隠していないが ) 僕である。 その上、の日本国内向けのテストと、オーナ 1 向けのドライビング・スクール「ピロ タ・バルケッタ ( イタリア語でピロタはパイロット、バルケッタは小舟の意味。形が似てい ることからオープンカーをそう呼ぶ )_ のインストラクターも担当することとなり、プレー キ・マスターシリンダーの改善などにも僕の意見が取り入れられて、フェラーリ本社が動い てくれたことも、自慢の種なのである。 気がついてみたら、僕はフェラーリの「社会」の中にどっぷりと浸かっていた。

10. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

事故のビデオ その夜、夢を見た。あの事故のシーンだった。 白のポルシェに近づいていく。衝突。カシャンという音。真っ暗になる。ゴーツという風 の音。たちゅけてえ、たちゅけてえという子どもの泣き声 : 恐怖で目が覚めると、汗をびっしよりかいていた。 e シャツを着替えてべッドに戻ったが、 寝つけない。しばらくばーっと考えていて、「あの事故の映像ーを見てみようかと思った。 それは一九九八年五月三日、あの雨の富士スピードウェイでの僕自身の事故の瞬間が記録さ れた映像で、僕とフェラ 1 リ・チームを密着取材していたあるテレビクル 1 が、たまたま撮 日影していたものである。 ダビングされたビデオには、僕が乗っていたフェラーリが衝突する瞬間とその後の炎上シ し ーン、そして車外に運び出された僕の様子が映し出されているらしい。「あまりに衝撃的な 新 ためにどこにも出していない」と聞いていた。 そのビデオ映像を、僕はまだ見たことがなかった。好奇心はあったのだが、その一方で見