包帯 - みる会図書館


検索対象: クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間
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1. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

ので、僕はほっとした気分になれた。 顔の包帯が解かれている。僕ははじめて病院関係者以外の他人の前で、自分の顔を見せる こととなった。まだ僕は自分の顔を見ていないこともあって、業者の反応に敏感になってい る。 包帯がほどかれたが、業者は特に驚いたような様子もなく、黙って型取りの準備をはじめ ているようだ。それは僕にとっては、心地よい対応の仕方だった。 粘土のようなものが顔に押し当てられて型を取られる。作業自体は十数分で終わった。 タクシーを待っ間、業者が改まった口調で言った。 「あのう : : : お願いがあるのですが」 「うちの会社の経理の女の子が太田さんの大ファンだそうで、サインをお願いできないでし よ一つか : : : 」 僕は、電話機に包帯がぐるぐる巻かれたような右手を軽く持ち上げて見せた。 「 : : : ああ、無理ですね」 と、業者は恐縮した。

2. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

176 僕の左手に何かが触れた。 「あっ、リーちゃん ! 」 驚いた篤子の声がした。 : 。、パ、痛い ? 」 理咲子の小さな声だった。いつの間にか泣きゃんでいた理咲子は、僕のべッドに近づいて きていて、包帯が巻かれている僕の左手を撫でている。 さっき僕の包帯姿を見たときから、三〇分ほどが過ぎている。僕に声をかけるまでの間、 けんめい いったい理咲子は何を思い、どうやって自分を説き伏せたのだろうか。小さな頭で懸命に考 え、自分の父親の姿を受け入れようとしたのだろうか。そんなふうに考えたら僕は言葉に詰 まってしまって、「うん、うん」とうなずくことしかできなかった。 「リ 1 ちゃんがパパに食べさせるツ」 理咲子はいつもの気の強い調子に戻ってそう言うと、篤子からスプーンを取りあげて、僕 に食べさせてくれはじめた。

3. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

だろうとも思っていた。篤子も「そんなに悪くない。それに治るわよ」と答えていた。 どこかに、見るのが怖いという気持ちもあったのだろう。無意識のうちに関心を払わない ように脳がコントロールしていたような気もする。 とにかく、自分の容貌に対しておおいに興味が湧いてきたのは、この日、一か月半ぶりに 目が見えることとなって、看護婦や景色の美しさを知り、すべてのものに色彩がある世界に 改めて感動を覚え、目が見える幸せをしみじみとありがたいと感じているとき、別の看護婦 が部屋に入ってきて僕にかけた言葉がきっかけだった。 「太田さん、お風呂ですよ」 あの熱傷浴のことである。ーー裸になって湯に浸かれば、自分の姿を見ることができる。 いったい僕の体はどんなふうになっているのだろうか。急に好奇心と不安が、心の中で混じ りあった。 僕は熱傷浴槽に設置されたストレッチャーに、あおむけに横たわっている。全身に巻かれ た包帯を、医師と看護婦がほどいている。 事故に遭う前までは、僕の中にあるヤケドのイメージは、肌が赤く焼けただれたものだっ た。きっと体は真っ赤なのだろうと想像しながら、白い天井の一点を見ていた。包帯をほど

4. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

退院の日 退院の日。僕は、いっかテレビで見た華やかな見送りの光景を想像していた。看護婦さん に花束を手渡されて、病室の廊下の窓からは患者のみんなが顔を出して、僕も力いつばい手 を振り返して 。そんな様子を思い描いていた。 実際はまったく違っていた。 病棟の中はいつものようにひっそりとしている。僕の体はまだ包帯ぐるぐる巻きで身動き できず、体力を落とさないようにと車椅子に乗せられ、右手は吊り棒から下げられている。 クルマが動き出すと、窓の向こう側で、見送ってくれた夜勤明けの看護婦が小刻みに手を 流振った。僕も耳のあたりまで左手を上げた。湿っぱい光景だが、それはそれで僕にとっては のかんがい ン感慨深いものがあった。 マ 三か月ぶりに戻る自宅である。クルマが着くと、待ち受けていた子どもたちが先を争うよ ア うにして玄関から飛び出てきて、僕の背中に抱きついたり、包帯の上から僕の手足をさすっ 幻たりして、まるで既将軍が帰ってきたような大歓迎だった。 しめ

5. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

頭の中にある数字は、あくまでも完治まで三年であり、たとえ完治したとしてもレースに戻 れる体にはなれないかもしれないとも思っている。もちろん、僕はそれを知らない 「そんなにかかるんですか ? そんなに長かったらレ 1 スに戻れなくなる。どうしてそんな にかかるんです ? もっとどんどん手術とか包帯交換とかしてくださいよ 「いや、ほら、 : : : 右手も足もまだ骨や腱が見えている状態ですし、顔を治すのに相当な時 間かかかりますし : : : 」 「先生、男なんだから、顔なんか適当でいいですよ」 そのとき、僕は本当にそう思った。大事なのは早くレ 1 スの現場に戻ることで、病院の中 ひま でのんびりと寝ている暇はない。何しろ今年はチャンピオンを狙っているのだ。ドライバ のひとりには僕の代役を立てて、相棒のオロフソンにだけでもチャンピオンを獲らせなけれ 所不思議なことに、顔に関してそれほど酷いという認識はなかった。子どもの頃ストープの かせん 火が化繊のパジャマに燃え移り、ヤケドしたことがある。一時的に皮膚が真っ赤になったが、 べ る 一か月もするときれいに元に戻っていた。もちろんそれよりは悪いのだろうが、なぜかそん 戻 なには酷くないだろうと思えていた。 顔や体には包帯が巻かれていて実際に見ていないこともあって、自分が置かれた状況がわ けん

6. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

163 妻と子どもたち 佑人は、僕のフェラーリがポルシェに激突した様子を、ミニカーで再現しているのだろう。 事故に遭ってからずっと、篤子は僕の付き添いで病院に来てしまっていた。小学生になっ たばかりの佑人と、三歳の理咲子の面倒は、僕の母親と篤子の母と妹、そして友人たちが、 時間をやりくりして入れかわり立ちかわり家に来て見てくれていた。 ふたりは家の中でずっと留守番をしている。子どもながらに親の深刻な状況がわかるのか 不平不満を篤子に一切、言わないらしい。しかし、六つという年齢で受けたショックはやは り大きかったのだと、改めてかわいそうに思えた。 「でも、会って俺の顔を見たら、よけいにショックじゃないかな」 。これからずっと、顔を合わ 「前はそうも思ったけど、でもすぐに治るわけではないし : ノハが生きて ノの姿を実際に見てみないと、 せないわけにもいかないし。佑人にすれば、パ。、 いるっていう実感が湧かないのかもしれない。会ってやってくれない ? もちろん、僕としても会いたいのはやまやまだった。しかし、会うのが怖くもあった。 この包帯だらけの僕の姿を見て、どう思うだろう ? 怖がらないだろうか ? ショックを受けないだろうか ? もしかして「こんなパパ、嫌だ。 僕のパパじゃない」なんてことになったら、包帯の中でどんな顔をしたらいいのだろう ? 不安な気持ちのほうが大きかった。

7. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

いた。御殿場の病院で自分の死を避けられないものとして覚悟し、篤子やチーム関係者に別 れを告げたときでさえ、少し息苦しくはあったが、なぜか痛みをほとんど感じなかった。 しかし、東京女子医大病院で救命手術を受け、意識が戻ってからは違っている。頭の中が はっきりとしてくるにしたがって、痛みを強く感じはじめている。体中に常に刺すような痛 みが走り、とりわけ毎日行われる包帯交換は激しい痛みを伴った。 ただ包帯を解いて患部に当てられたガーゼを剥がしてつけ替えるだけなのに、そんなこと が強烈に痛い。見方を変えれば、痛みが戻ってきたのは生き返ったという証なのかもしれな とにかく、一日中、痛みに対して意識が働いているから、それ以外のことにはまったく関 心がなかった。怪我の程度や顔や容姿について考えることもないし、まして病院の外のこと や将来のことについて思い悩むこともない。すべての神経が痛みに向いていて、体のエネル みギーがまるごと吸い取られているかのようだった。 すさ とりわけ、「熱傷浴」が凄まじかった。 じ 熱傷浴とは、簡単にいえば熱傷患者を風呂に入れることなのだが、これが強烈だ。 前にも書いたが、僕の体は、その四〇パーセント ( 前の病院での診断は六〇パ 1 セントだ ったが、女子医大では四〇パーセントと診断されている ) の範囲が、「三度ーの深さまで焼

8. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

僕は、見慣れない器材に取り囲まれていた。枕もとで点滅しているのは、点滴をコントロ 1 ルする機器だ。頭上には酸素マスクやコ 1 ド類が束ねられている。天井からは金属製のア ームが伸びていて、そこから僕の腕や足が吊り下げられている。 自分の体を見ると、目にすることができるすべての体の部位は、包帯がぐるぐる巻きだっ なんこう た。自分の皮膚はどこにも見えない。白い包帯には紫色の軟膏と血がにじんでいる。 ひときわ異様なのは、グロ 1 プのように大きな右手だ。 以前に片平先生に、「切ってカ 1 ポンの腕にかえてくれ」と真剣に頼んだことを思い出し て、おかしくなった。もちろん切られてはいない。カーポン製にもなっていない。確かに本 の 物であることを左手でさすって確認し、ほっとため息をついた。 っ窓の外を見ると、きれいな青空が広がっている。窓枠で長方形に切り取られた空から、銀 色の棒が何本も垂れ下がっているように見える。新宿の高層ビル街だ。目に映るすべてのも うのが、新鮮で美しい そうだ、今日からは本も読めるし、テレビも見ることができる。目が見えることは本当に え素晴らしい。しみじみと思った。 よ - つぼう 不思議なことに、僕は自分の容貌に関して、それまであまり関心がなかった。たまに気に ひど 盟なることもあったが、目が見えないからどうせ見ることはできないし、そんなに酷くはない

9. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

うことにもなった。それは日常の中にいくらでも転がっていた。 都心で、梅の木で羽を休めるウグイスを見つけたり、高い木のこずえのあたりでカラスの ひなが育っていることに気づいたりすると、生命の偉大さに感動してしまう。通りかかった こだち 家の窓ガラスに木立が映っている。なんとなく芸術写真のような構図だな、と感じたりする。 腕の包帯がオレンジ色に染まっているのに気づいて見上げると、太陽が沈もうとしている。 なんて真っ赤なタ日なんだろうと感慨にひたる。 事故の前までは気づかなかったが、そんな小さなディテールも、生きていることの喜びを 与えてくれるものなのだった。

10. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

しかし、その一瞬のタイミングを理咲子は見逃さなかった。タタタタッと廊下を走る子ど もの足音が近づいてきたかと思うと、病室の鉄製のドアがどんどんと音を立てた。 いるんでしょ ? 「パパ、開けてー 扉の向こうから理咲子の声が聞こえてくる。ドアを打ち鳴らし「ノ 大声で叫び続けている。 篤子と相談する。 「仕方ないね。会おうかー 「きっと、佑人みたいにうまくいくわよ」 僕もそんな気がしてきた。 「よく説明してな」 「うん、わかった」 たそう言って廊下に出た篤子は、ドアの向こうで理咲子と話している。 「パパはお怪我しているから、お顔に包帯を巻いてるけど、会う ? 」 子 「会う ! 」 妻 「だいじようぶ ? 「だいじよぶー