314 しかし、その日は何故か、五〇冊の本の山の中で、私の専門である政治に関する本ではな 、全くの専門外であるノンフィクションの『クラッシュ』が、私に「手に取れ」と言って きた。本が音を立てずに、意思を伝えたことになる。念のために言っておくが、特段、カー また日頃、本屋でノンフィクション物を手にすることもない。 レースが好きなわけではない。 どちらかと言えば、ほとんど読んだこともないジャンルであったが、本が私に「手にしろ」 と言うのだ。 『クラッシュ』を手に腰を下ろした。斜め読みして、隣に回すはずが、数時間かけ、その場 で最後まで一気に読み終えてしまった。その間、自分の前を通り過ぎていく二〇冊ほどの他 の本については、表紙も開かずに、そのまま隣の人に渡していた。後で聞いた別の担当者の 話では「何かに取り憑かれているようだった」という。 最後に、「私が、この本の書評を書きます」と大きな声で言うと、専門外であるのにもか かわらず、全員の賛同を得た。皆、不思議に納得しているようであった。 こうなったのが、この本の魅力のためなのか、それとも本当に無意識の世界からの啓示に よるものであったのかは、今でもわからない。しかし、この話には、まだ続きがある。 書評担当者の集まりがあった翌日、自宅に持ち帰って机の上に置いておいた『クラッシ ュ』が、今度は「著者に会え」と言う。ノンフィクションであり、読んで難解というわけで
313 解説 小林良彰 この話をしても、誰も信じないかも知れない。 とにかく、『クラッシュ』との出会いを事 実のままに書くと、次のようになる。 それは、ある全国紙の書評を担当するようになって半年が過ぎた頃であった。その日、書 評担当者が集まる部屋に行くと、いつものように五〇冊ほどの本が並べてあった。通常であ れば、各自が自分の専門である本を数冊選んでから、輪になって座り、一気に斜め読みして、 読み終えた本を隣に座っている他の担当者に回すことになっていた。こうして、二〇冊ほど の本がグルグルと書評担当者の間を回り、最後に、全員で書評として取り上げる選定本を決 てはず める手筈であった。 解説
316 あり、また本の著者に会ったのも、この時の太田さんが最初で最後であった。そして、この 年の暮、私はこの本をその年の「ベスト 1 」に選んだ。 さて「クラッシュ』は、著名なレーシング・ドライバーである著者がレース中の事故で大 けが 怪我を負い、十数回の手術を経る中で、仕事への復帰どころか、周囲に迷惑をかけて生きて いるのではないかという「絶望感」の淵から、どのようにして立ち上がってきたのかを自ら 書いた、想像を絶する実話である。 この本の魅力は、一言一句すべてを本人が書いていることである。「当たり前じゃないか」 と思う人がいるかも知れないが、そうではない。ノンフィクション物で、ゴーストライター が書いた本の何と多いことか。ゴーストライターが書いた本は、確かに読みやすい。しかし、 おも かな 行間に埋まっている想いの深さは、本人が書いた物には敵わない。だからこそ、この本の一 行一行が、カのある文章となって読者の身体に飛び込んでくる。 そして、太田さんは、想像を絶するような経験をしても、決して「君たちは何々すべきー などという説教を垂れることはしない。ただ「自分の場合は、こうであった」と言うだけで ある。だからこそ、一文字一文字が、心に入ってくる。この本の中にいるのは、英雄ではな いかも知れないが、等身大に生きる、かっこいい男である。一語一語を書くという作業の中 みいだ で、必死に今の自分に「できること」を考えて、それに喜びを見出して生きる男である。こ おお
あとがきにかえて 事故の後、僕は自分の存在意義というか、生きる意味というのか、とにかくそういったも のを見つけ出そうとして、人生について論じた本を読みあさった時期があった。 最初のうちは、フンフンなるほどと感心しながらラインマーカーを引いていたけど、読み 終えた本が山積みになる頃、昔、レースのテクニック本を読んだ後に感じたものと似たよう な感情を持った。 まだ新人レーサーだった頃、むさばるようにテクニック本を読みあさった時期があった。 てでも、そこにはたいてい、サーキットを走っている人間なら誰でも知っているようなことが、 かもっともらしく書かれてあるだけだった。一冊読み終えてみても目新しいところはせいぜ ) 数か所ほどで、すでに体験で知っていることを本が念を押してくれる程度の意味しか持たな とかった。 あ その中で、ベルギー人のジャーナリストでありレーシングドライバーでもある、ポール・ 弸フレール氏が書いた『 sports Car Competition Driving ( 邦訳・二玄社「ハイスピ 1 ドドラ
やはり本のほうが自分の想像力を使えてよい。篤子が選んだ遠藤周作やサリンジャーなど の小説や、ドキュメントを、ジャンルにこだわらずかたつばしから読んだ。それを耳にした 知人が、「本が読めるようになったんだって ? ずいぶんと良くなったねえ」と、本を手 土産に訪ねてきてくれることも多くなった。 かのうてんめい 写真家の加納典明さんはヘミングウェイの『海流の中の島々』などを持ってきてくれたし、 よしほ フェラーリ美術館オーナーの松田芳穂さんがかかえてきてくれたのは、北方謙三さん本人の 自筆サイン入りの『三国志』全巻だった。 本は、その内容から持ってきてくれた人のキャラクタ 1 や志向がうかがえて興味深いもの だ。平和生命の元重役であり、僕のことを「うちの次男坊みたいな存在」と公言して昔から しばりようたろう とうやたかふみ かわいがってくれていた東矢孝文さんは、司馬遼太郎や山崎豊子が書いた戦争小説を山のよ 流うに持ってきてくれた。運命のいたずらにふりまわされながら、強い意志で生き抜いた主人 ン公の話が多かった。 しようき 【東矢さんは陸軍士官学校を卒業後、愛機だった「陸軍一一式戦闘機鍾馗」とともに特攻の順 番待ちをしているときに終戦となったこともあって、僕の境遇に特別の感情を持ってくれて いるようだった。 て
226 せいちょう もともと僕は松本清張が好きだったのだが、こうして、それまでなじみのなかった作家の 本もずいぶんと読むこととなった。かたつばしからむさばるように読んで、またなぜか吸収 も早くて、どんどん読めてしまう。それに疲れたら、今度は映画を観る。それをくり返す毎 日だった。 その頃の僕は本や映画を楽しみながらも、自分の存在意義というのか、生きる意味という のか、そうしたものを探しているところがあって、印象に残った言葉をノ 1 トにメモしたり していた。 これから生きていく目標を見つけようとしていたのだ。目標があれば、努力する気になる。 人生に関して論じた本もたくさん読んではみた。しかし、次第に具合の悪さを感じるよう になった。対象とされている読者と僕は、悩みの種類が違うように思えてきたからだ。 そこでは事業の失敗や生活苦、恋愛の悩みなどが話の中心とされていた。どうやって元の 仕事やポジションなどの「環境、に戻れるかという問題について、解決策が講じられている。 大方、何らかの方法で気持ちを切り替えて希望を持っというのが、そこで述べられている せん 「処方箋」だった。 一方、僕の悩みは、もっと手前の原始的なものだった。つまりどうやって「人間」に戻る
ろうどく 肥ろを何度も朗読させたり、いつの間にか眠ってしまって、夢の中で話の続きが勝手に展開し てしまい、本が終わっても犯人がわからなかったりしたことがしよっちゅうだったが、それ でもとても楽しかったことは覚えている。僕は眠りはじめても、一、二時間おきに目を覚ま かゆ して、「熱い」「痛い」「痒い」と訴えていたそうだが、熱傷ュニットにいたときはほとんど まともに睡眠を取れなかったから、ずいぶんと良くなったわけだ。 そういえばすっかり忘れていたが、幼稚園児の頃、寝つけない夜に、母親に本を読んでも らうことがあった。それと同じように、気持ちが安定してよく眠れたのだろう。
く出てしまうのだな、結局。それじゃあ読者を裏切ることになるし。自分で書ける ? 」 自動車雑誌に掲載されているレーシングドライバーの文章は、ゴ 1 ストライターや編集部 がまとめているケースが多いのだそうだ。 「ええ、今回は僕もそのつもりです。レーシングドライバーの片手間の仕事じゃなくて、本 物の自動車評論家を目指して自分で書けるようになりたいと思ってます」 かぎよう きっかけはとても軽いノリではじまった僕のモノ書き稼業だったし、「やれる」という根 いっしようけんめい 拠は何もなかったけれども、やるからには一生懸命やっていいモノを作ろうと、自動車関連 の本や雑誌をかたつばしから買い込んできた。 驚いたことに数十種もの自動車雑誌が発売されていて、その主だったものを読んでみたの いだが、けっこう内容が難しい。「 Z 」とか「ハ ーシュネス」とか、僕でも聞いたことの リない単語がたくさんある。考えた末に、自分は背伸びしないで易しい言葉で書くことを心が ラけることにした。というよりも、それしかできなかったのだが。 フ の 本何号か書き進めるうちに、自分には自動車評論家としての資質があるのではないだろうか、 日 と思うようになった。というのも、いろいろなクルマに乗っているうちに、それぞれのクル マの乗り味の違いがはっきりとわかるようになり、エンジンの出力特性とか印象とかクルマ
315 解説 はない。会わなければ、書評が書けないというわけでもない。しかし、とにかく、「会って 話をしろ」と、本が言ってくる。「気のせいだろう」と思う人がいるかも知れない。「頭がお かしいのではないか」と思う者がいるかも知れない。しかし、そうではない。書評を書く際 に、本の著者に会うのは、何か「ルール違反ーのような気がして、私は何度も冷静に頭の中 で打ち消したのだが、『クラッシュ』が「会え」というメッセージを伝えてくる。 思いあまって、新聞社に相談すると、「話を出版社につなぎましよう」と言う。そして、 忘れもしない、 ハレスホテルの一階にあるカフェテリアで、出版社の担当者に連れられた著 者の太田哲也さんに会うことになった。 何を話したかは、詳細には覚えていない。ただ、本当に心の中から、自分自身の言葉で話 す太田さんを、ずっと見つめていた。彼の発する言葉の一つ一つが、どんな哲学者よりも哲 学的であった。 途中、一度、質問をした。太田さんが、リハビリの最中、病院の屋上に上がった時の心境 を尋ねたのだ。「飛び降りようとしたのですか ? 」と。その私の質問に対し、太田さんは冷 静に「その時は、そんな気もしたが、実際にはできなかった」と答えた。それは、本当に自 殺することすら考えた者にしか言えない言葉であった。 二年間の書評担当の任期中で、本から語りかけられたのは『クラッシュ』が最初で最後で
僕は、見慣れない器材に取り囲まれていた。枕もとで点滅しているのは、点滴をコントロ 1 ルする機器だ。頭上には酸素マスクやコ 1 ド類が束ねられている。天井からは金属製のア ームが伸びていて、そこから僕の腕や足が吊り下げられている。 自分の体を見ると、目にすることができるすべての体の部位は、包帯がぐるぐる巻きだっ なんこう た。自分の皮膚はどこにも見えない。白い包帯には紫色の軟膏と血がにじんでいる。 ひときわ異様なのは、グロ 1 プのように大きな右手だ。 以前に片平先生に、「切ってカ 1 ポンの腕にかえてくれ」と真剣に頼んだことを思い出し て、おかしくなった。もちろん切られてはいない。カーポン製にもなっていない。確かに本 の 物であることを左手でさすって確認し、ほっとため息をついた。 っ窓の外を見ると、きれいな青空が広がっている。窓枠で長方形に切り取られた空から、銀 色の棒が何本も垂れ下がっているように見える。新宿の高層ビル街だ。目に映るすべてのも うのが、新鮮で美しい そうだ、今日からは本も読めるし、テレビも見ることができる。目が見えることは本当に え素晴らしい。しみじみと思った。 よ - つぼう 不思議なことに、僕は自分の容貌に関して、それまであまり関心がなかった。たまに気に ひど 盟なることもあったが、目が見えないからどうせ見ることはできないし、そんなに酷くはない