看護婦がやってきた。 「太田さん。先生がやつばり見ないほうがいいって」 「もう見たよ 「あっ、見ちゃった ? そうですか : 気まずそうに彼女は出て行った。 まもなく片平先生が入ってきた。三六歳にしては童顔だが、九州男児らしく彫りが深くハ ンサムな顔立ちだ。 「太田さん、どうですか ? 彼は手持ちぶさたな様子で部屋を眺めまわし、言葉を探しているようでもあった。なかな か帰ろうとしない。 僕の頭の中では、早く帰ってほしいような、そうでないような、ふたつの気持ちが混じり あっている。 「これからは、もっと治っていきますからー そう言って出て行った。 「治っていくという言葉は僕を慰めているだけで、うそだと思った。片平先生が僕のこと を心配してくれているのは痛いほどわかったが、その彼にも元気づける適切な言葉が見つか なぐさ
178 鼻も眉もない 事故からその日までの間、気持ちが大きく揺れ動くことはあったが、今から思えば前向き な気持ちはずっと持ち続けていた。 意識が戻ったときは、「俺は死神に勝った」と思った。その後、激痛の伴う熱傷の治療を 受け、精神的にも疲れてきて、泣き言を言ったり周囲に当たり散らしたりもしたが、「自分 は治る。治ってみせる」という思いはずっと持ち続けていた。 「必ず元の場所であるレースやフェラーリやクルマの世界に復帰してみせるぞ」と強く思っ ていた。 ふくしゅうしん 怒りや復讐心にも似たそんな思いが、肉体的苦痛にも精神的苦痛にも僕を耐えさせてくれ る大きな原動力でもあった。精神科医のカウンセリングに対して、「何ねばけたこと言って んだいッと反抗的だったことも、今から思えばパワーにつながっていたのだと思う。 気持ちの行き先が変わってしまったのは、それまで縫い閉じられていたまぶたの糸を抜糸 してもらった日のことだった。
素直な気持ちで、もう一度彼の言葉を思い出してみる。 「生きることは辛いことだよ」という言葉は、「人生とは、もともと辛いものなんだよ。重 い荷物を背負って、歩いていくようなもんなんだよ」と言っているように聞こえてくる。 「でも、辛いからといって絶望するんじゃない。人生というものはもともと辛いものとして 与えられているけれども、それを君がどう選んで、どう乗り越えてそこに楽しみを見出して いくか、その過程にこそ意味があるのだ」。そう語りかけてくる。 たとえば、家族と 以前のことをふり返ってみる。あたり前のことだと思っていたこと 食事をしたり、友人と語り合ったり、本を読んだり、外の景色を見たりーーーそんな些細なこ とも、実は幸福の大きな要素だったのである。 僕は、自分だけが辛い目に遭っているのだと思っていた時期があった。周りの人と見比べ 日て、自分のこれからの人生はあまりにも悲惨すぎるという気持ちがあった。そして幸福そう 誕にしている人をうらやましく、時にはましく思う気持ちもあった。しかし、そう思えば思 し うほど、自分の不幸が拡大して見えてきてしまうのだった。 新 そういえばレースをはじめた頃、ライバルに先を越されていくと、自分が頑張って追いこ そうとするよりもライバルが失敗することを望んだりしたこともあった。しかしそんなこと
誕生日プレゼント とうなってもいし 僕は生きていくことにした。もう、投げやりな気持ちで、ではない。、 いう気持ちとも違う。ちょっとくすぐったいが、しつかりと地面を蹴って足を前に進めてい こうと思っている。 僕の目の前には、アマゾンがある。流れがゆっくりで、止まっているようにも見えるし、 河幅も広く、支流もたくさんあり、どこが僕の行き着く先であるかはよくわからない。でも、 道がないところに道を作りながら進むのも、希望ある「旅」というャツだろう。 事故に遭うまでの僕は、人生を、いっかくる本番舞台のための稽古ででもあるかのように 考えている面もあった。いっかもっと幸せになれるはずだと感じていた。 しかし、もっと大切なことは、海にたどり着くことを信じながら、進んでいく「旅」の過 し 程にあるような気がしてきている。自分なりの楽しみを見つけ出して、その過程を充実して 新 過ごすことにこそ意味がある。 事故からこれまでの一年間は河の流れに乗っているだけだったけれど、これからはバルケ
でも例がないフェラーリ F355 べースのレーシングカーを自分たちのプロジェクトチ ームで製作して、全日本 (..5+ 選手権に出場することとなったのが昨年のはじめのことだった。 苦労がなかったわけではない。開幕戦は、ビリからのスタートだった。しかし、その年の 最後のレースでは優勝を果たすまで、チームは進歩していた。そして今年は、「チャンピオ ンを ! ーが合い言葉だった。 大勢の仲間と共有していた夢は途上だったが、夢の実現は目の前にあった。それが今回で 壊れてしまい、せつかくの苦労と努力が無駄になってしまう。 事故は僕の責任ではないけれど、みんなにとって残念なことであるのにかわりはない。僕 の思いを兼子さんなら理解して、みんなにうまく伝えてくれるだろうと思った。 この時点では、まだ僕は自分が死ぬとは思っていなかった。 「ゴメンネ」の言葉の裏側には、「俺は怪我をしたくらいで悲観するようなみつともない様 子は見せないぞ」という気持ちもあった。これも、弱みを見せたくないレーシングドライバ 1 特有のプライドの高さなのだろう。堂々とした態度の裏側に、痩せ我慢の気持ちも働いて いたかもしれない。 篤子から「ゴメンネ . の言葉を聞かされると、兼子さんはレースのスタート前のときのよ うに僕に握手を求めようとしてきて、彼には珍しく弱々しい声でしやくりあげた。
僕の妻の篤子 ( 当時三二歳 ) と長男の佑人 ( 当時六歳 ) は、観客席の上段でスタートを見 守っていた。直線路全体をおおった白いもやの中で二台のポルシェが衝突する。第一事故の 発生だった。 事故が起こるとその部品が散乱し、他のクルマがそれを踏んでしまってスピンすることも 多い。篤子が「踏みませんように、と祈った瞬間、赤いフェラーリが彼女の視界を横切る。 直後、ハーンというものすごい爆発音とともにオレンジ色の火柱が上がった。 周囲の観客は総立ちとなり、篤子からは炎上したクルマが何であるかは見えない。しかし、 フェラーリの通過と、爆発炎上のタイミングがびったりと合っていた。確認したい気持ちと、 こうさく したくない気持ちが篤子の頭の中で交錯する。 佑人の小さな手を握り締めながら、「でも哲ちゃんじゃない。フェラ 1 リじゃない」と思 い込もうとしていた。そのとき、周囲の観客たちから声が上がる。 「フェラーリだ ! 」 「太田だ ! 」 篤子は佑人にしがみつきながら、どうしていいかわからなくなった。 「佑ちゃん、どうしよう 、。、。、だよ。どうしよう、とうしよう」 あっこ ゅうと
それまでにも、僕は似た感情を持っことがあった。たとえば、大勢の人から「頑張ってく ださい。太田さんならできます」という励ましのメッセージをもらったりすると、もちろん そうした言葉が僕を励ますための温かい気持ちから出た言葉であることはわかっているし、 声をかけてくれたこと自体はとてもうれしいのだが、気持ちが重くもなってくる。もう頑張 っているよ。これ以上、どう頑張ればいいんだ ? あるいは、多くの障害者を取材しているルボライターの人からは、「障害者はみんな克服 しているんだよ。事故で重度障害になった人もいるのだから、太田さんも受け入れたら」と 助言を受けたが、その言葉も僕を勇気づけることにはならなかった。そのときの僕の耳には、 「いつまでめそめそ悩んでいるのだ。家族だって周りだって、疲れてしまうよ」と聞こえて 殻しまっている。 ミその後になって、なんという卑屈で情けない男なのだ、と自分に対して嫌気がさしてくる 力のだった。 喰同じように、人生論の本を読んでもきれいごとを言われているように感じてしまっていた。 この時点では、 O さんの「太田さん、あんただって必ずできる」という言葉も同じだった。 僕 そもそもいったい、 O さんには悩みはないのだろうか ? 今までに悩んでこなかったのだ ろうか ? そうだとしたらずいぶんと幸せな人だ。そう思っていた。
するのだろうが、実際に死に直面している僕の頭の中では、死を受け止めようとする気持ち と、無意識のうちに死に向き合うことを避けようとする気持ちがぶつかり合って、他のどう でもよいことに関心が移ってしまうのだった。心の中にはまだ生きることに対する未練があ ったのかもしれない。 今までに、死にそうな目に遭ったことは何度もある。高校生のときはダンプにひかれそう になった。寸前にバイクから飛び降り、バイクはまるで紙くずのようにくしやくしやになっ た。けれども、体はピンピンしていた。 レーシングカーで時速三二〇キロで走ってきてコーナーの直前でプレーキペダルを踏み込 んだら、プレーキが故障していてまったく減速しなかったこともある。マシーンが壊れて後 えんせき ろ向きになり、縁石に乗り上げてジャンプし、一〇〇メ 1 トルほどはじき飛ばされたことも ある。レーシングカーに装着されているウイングは、後ろ向きになると、飛行機の翼と同じ ようりよく ように揚力を生むのだ。 きも 肝を冷やしたことは一度や二度じゃない。でも、いつもたいした怪我はしなかった。死を 意識することもなかったし、恐怖感さえ抱かなかった。その瞬間は対処することに懸命だっ たからだ。あとになってふり返ってみて、一歩間違えば死ぬところだったなあ、と思っただ ノ」っ ? 」 0
274 男の存在を否定しようとして、そう思い込もうとする気持ちもあったかもしれない。しかし、 僕が覚えていなかった映画の中の「濃い人生」という言葉を男がロにしていたことを知って、 男の存在がやけに真実味を帯びてきた。ぞっとしてきて鳥肌が立った。 いったい、あの男は何者なのだ ?
187 見えないほうが良かったもの 指先で顔に触ってみる。すぐに手を引っ込めた。ぞうっと寒気がしたからである。これは もはや人間の顔ではない。 すがるような気持ちで何度も顔に触れて確認してみたが、夢ではなかった。間違いなく現 実なのである。 指先に、張りのない肌の、ゼリーのような触感が残った。