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検索対象: クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間
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1. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

篤子が理咲子を抱えて、明るい口調で「リーちゃん 、ヾヾだよ」と僕に一近づこうとすると、 理咲子は「ヤダーツと泣き出した。篤子が近づこうとするたびに理咲子は嫌がり、しまい には大泣きの半狂乱状態になった。猛烈ないきおいだった。篤子は仕方なく部屋の片隅の椅 子に理咲子を抱えて座った。それでも理咲子はずっと泣きじゃくっている。 しばらくすると義理の母と妹と佑人が部屋に入ってきたので、僕は平静を装っていた。し かし、期待があっただけにショックは大きかった。 考えてみれば仕方がない。女の子にとって容姿というものはどうしたって気になるものだ ろうし、まして見たこともない包帯だらけのミイラのような不気味な姿が自分の父親だと説 もし自分が子どもだった 明されても、そう簡単には受け入れることができるものではない。 ふびん としたら、やつばり同じ行動をとるだろう。そう自分に言い聞かせると、理咲子が不憫に思 えてきた。 ち た この日は、義理の母が僕の好物の五目寿司を作ってきてくれた。ャケドは体力の消耗が激 どしく、体重が激減していた。とにかくカロリーの高いものを食べてください、と医師から指 示を受けていたが、病院の味の薄い食事に飽きていて食欲がなかった。 妻 篤子がいつものようにスプーンで小さくすくい、僕のロに運んでくれる。 それは、半分ほど食べ終えたときだった。

2. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

280 た なぜか救急員が僕から離れると、カメラは地面に横たわっているまさしく「焼死体ーのよ うな黒焦げの僕の体を映し出している。 動く気配はない : : と思っていたら、やおら僕の体は手を地面につき、半身を起こして首 を左右にふりはじめる。苦しがっているようにも見えるし、目を覚まそうとしているように も見える。 それから、立ち上がる。次の瞬間、バランスを崩して後ろ向きに倒れ込み、後頭部をアス ファルトにガッンと打ち据える。しかし、またしばらくすると起き上がろうとしている。 小学生の頃、ニワトリが首を切られるのを見たことがある。首のないニワトリは、しばら ぜっめつ くの間、広い農家の庭を勢いよくぐるぐると走りまわり、それから突然、倒れ込んで絶命し た。気味悪い光景に僕は驚き、恐怖で声が出なかった。忘れていたその光景が目に浮かんで きて、起き上がろうとしている自分の姿と重なった。 もういいよ、立つなよ。それだけ頑張れば、もう充分だよ。 倒れているのは自分なのに、そう言ってやりたくなった。 僕は息苦しさを感じ、息を大きく吸い込んで深呼吸をした。それからソファーに沈み込ん

3. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

229 アマゾンの流れ この作戦は当たりだった。笑っている間は、自分の状況を忘れることができる。事故の前 までは、「笑うことの重要さ」をそれほど意識したことはなかったけれど、心が病んだ人間 にとって、笑いは栄養であり、笑うことは「心のリハビリ」となるのである。 「生きる意味は何か ? ーというような難しい問題に答えを見出さなくても、楽しいことがあ るならば、とりあえずは生きてみようかという気になってくる。この頃は、それで充分だっ せりふ 寅さんが映画の中で言っていた台詞が印象的に感じた。 「人間、一度くらい生きていて良かったと思うときがあるだろう。そのために生きているん

4. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

318 そういう客体としての自分がいる分だけ、行動する主体としての自分が損なわれることにな る。悩んでいても事態は何も解決しない。困難は、自分の足下に転がっている「今、できる こと」を主体として一つずつ行うことでしか、解決しないのではないか。自分自身を客体と して見て思い悩むことを忘れて、まず主体として行動するための一歩を踏み出すことが必要 なのではないか。そして、一歩を踏み出した後は、自分に「 I cansmile about what I have done. と言ってみよう。最近、自分の人生が無意味に思えたり、自分の人生に疲れたと思 う人が増えているかも知れないが、そういう人たちには、是非、本書を読んでもらいたい。 『クラッシュ』は、日々時間に追われて生活している中で、感動するという気持ちが、まだ 自分の中にあることを再確認させてくれる本である。 慶應義塾大学教授

5. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

友人の葬式に行ったりすれば、今度は俺の番だという気になりそうなものだ。けれどもそ きっと運がいいのだ んなときは、なぜか、友人は気の毒だが自分はそんな目には遭わない、 ろう、と思えていた。 人は他人が死ぬのはあたり前に見えても、自分の死はなかなか信じられないのかもしれな おおかた、死ぬ瞬間まで死なないと思っているのだろう。 という考えは錯覚であり、「自分の死 [ はロシア しかし、今回は違う。「自分は死なない ンル 1 レットのように単純な確率の問題だったのだと気づいている。自分は本当にこれから 正真正銘、死ぬのだと思っている。それでいて、生まれてはじめての経験だから、なかなか 死ぬことに対して意識を集中できない。人が死ぬときというのは、そういうものなのかもし れない。 頭の中に再び、黒いマントの男の姿が浮かんできた。 指先を、篤子の手のひらの上で動かす。それを篤子が読んでい 命 田「コ・ド・モ・ハ ? 」 一一「佑人は待合室で待ってるし、理咲子はお母さんに見てもらって留守番してる」 七 気がかりなのは子どもたちのことだ。自分が死んだ後、どうなるのだろう。篤子に対して 7 は、苦労を押しつけてしまう申し訳なさもある。 りさこ

6. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

292 クラッシュ 今までの自分をふり返ってみる。もともと僕は、努力や悩みを人には見せないで、涼しい 顔をしていることを好んだ。自分に対する誇りも強くあった。これがほどほどのうちは、美 点だっただろう。 この性質が事故の後、肥大して変形してしまった。 しゅうちしん 人に恥ずかしいところは絶対に見せられないという羞恥心が生まれてきた。自分に対する かんしよう ごうまん 誇りは、他人からの干渉を排除しようとする傲慢なる自尊心に変化した。誇りと自尊心は紙 一重だが、実は別々のことである。 羞恥心と自尊心は、ねじれながら対になり、心の中で増殖した。自分でも気がっかないう ちに、怪物のような邪悪な心が、僕を支配するようになっていた。 怪物のような心の存在に自分自身が気づいていないから、コントロールできるわけがない。 怪物は勝手気ままに暴れるようになった。 すべてまわりが悪いのだと思っていた。被害者意識が強烈で、けっして前向きに生きよう ひだい

7. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

通したシーズンであれば、結局それが一番よい方法だと確信するようになった。 レースはクルマという道具を使うスポ 1 ツだから、道具のよし悪しに結果が大きく左右さ げんみつ れる。厳密にいえば、ひとりひとり乗っているクルマの速さが違う。与えられた条件の中で ベストを尽くすこと。それがシーズンを通じた勝利への最短距離にあることを、十数年の経 験から学んできた。 つまり、精神の持ち方が大事だということだ。結局、「ライバルが脱落するのを待ってい てはいけない。それを期待する自分の弱い心こそが本当の敵なのだ」というあたり前の考え に行き着いたのである。 僕は、このとき、もしかしたら人生においても同じではないかと思った。自分の人生を他 もともと背負っている荷物の重さも、ひとりひとり 人と比べてみても、あまり意味はない。 の体格も個性も違うのだから。 日大事なことは、自分に与えられた条件の中でベストを尽くすこと。人生において必ず出会 う試練を克服しながら、自分という原石をどう磨き込んでいくか。自分なりの楽しみをどう し 見つけ出していくか。その「過程」にこそ意味があり、面白みもある。人生の意味はそこに 新 あるのではないだろうか。

8. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

いた。理系の教科のほうが好きだったので、将来は技術者になりたいと考えていたが、大学 は親のアドバイスで経済学部を選んだ。しかし、卒業間近に親の価値観で選んだ税理士の職 すす 業を強く勧められたことで、意見が完全に対立するようになった。別に税理士の仕事が嫌だ ったわけではない。勉強をはじめてみて、まったく自分には向いていない職業だとわかった からだ。 もともと僕には短期的な集中力はあって、アイデアを盛り込んで新しく何かを造り出した りすることはわりと得意なのだが、長い期間にわたってミスのないようにコッコッと仕事を こなしていくことにかけてはまるでダメなのである。 おのおの 税理士の勉強に関していえば、各々の設問には答えられるのに、最後に単純な転記ミスを して、いつも試算表の数字が合わなかった。そんな人間がお客の大事なお金を扱う仕事をし てよいはずがない。おまけに暗算も苦手だった。自分に向いていない職業を押しつけてくる 親の判断は、必ずしも正しいとはいえないと思うようになった。 しこうさく′」 の 人生は一度しかない。自分に向いている仕事は自分で見つけようと考え、試行錯誤した後 二に行きついたのがレースだった。 七 子どもの頃からレーサ 1 になりたいと思っていたわけではない。それどころかまるで興味 がないというか、レースはお金持ちの人がやるものだから、自分とは無縁だと思っていた。

9. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

198 母はよく誰かに、自慢にならない自慢を言っていたらしい。「哲也はひとりつ子だけど強 い子で、小さい頃から弱音を吐いたり泣いたり一切しませんでした」と。 もちろん、僕は泣いたことがないわけじゃない。しかし子ども心に、すり切れるようにし て働きながら、自分を育てている母親の期待に応えたいと考えていたのだろう、確かに母も 含めて人前では泣かないようにしていた。 けれども、このとき、僕は泣いた。 午後になると、篤子は具合がよくなって検査から戻ってきた。しかし僕の心は晴れなかっ これまでの自分をふり返ってみると、ずっと自分の痛みのことばかり考えていて、他の人 のことを考える心の余裕がなかったことに気づいた。篤子の件があってはじめて、自分の存 在というものを外側から見ることができた。 いったい僕という存在は、何なのだろう ? このままでは遅かれ早かれ篤子は倒れるだろうし、そうなれば総崩れになる。今は篤子も 子どもたちも僕を優しく受け入れてくれているが、それに甘えていていいのだろうか ? 僕 ばくだい が生きていることで莫大な治療費がかかる。大きな負担にもなるだろう。もはや僕は、家族 ? 」 0

10. クラッシュ : 絶望を希望に変える瞬間

屁理屈をこねまわしていることに気づいていない。言いたいことがどうしたら人に伝わるの か、という考えはまったく抜け落ちている。頭の中のある部分は正常に働いていても、どこ かかショートしているのだ。 その頃の僕は、一度興奮しはじめてあるモードに入ると、自分を抑えきれなくて、自分で もどうしようもなくなることがあった。俗に「キレている」ということなのだろうが、本人 には自分がキレているという自覚がまったくない。 そういう状態になった人間を狂っていると呼ぶのなら、僕は間違いなく狂人だった。自分 が狂人であることがわからないから性質が悪い。理性がなくなり、人のことを思いやる気持 もうじゅう ちも薄れて、凶暴な猛獣のようだった。 おそらく猛獣は事故の前にも僕の心の中に棲んでいたのだろうが、それを理性という名の おり 猛獣使いがムチをふるって檻に押し込めていたのだと思う。 しかしこの頃になると、猛獣使いはどこかへ行ってしまって自制心が働かなくなり、凶暴 な猛獣の勝手気ままなふる舞いが目立つようになってきていた。 「太田さん、もう少しわかってください」 「うるせえよ。ほっといてくれツ」 看護婦は泣きながら病室を出て行った。 へりくっ たち