「ああ、突入専門なのは分かってるけど : 「それは刑事の勘なのか ? う、とすぐに分かった。この男は、警察を辞 新聞にはそんな風に書いてあった」 「俺はもう、刑事じゃない濱崎がそっほをめても刑事のままなのだ。だから、何かおか 「おそらくそうだと思う。被害者は犯人とま向いた。 しいと思ったら突っこんで行く。そして怪我 ったく面識がないと言うし、血液検査の簡易痛いところを突いたかもしれない、とプラをする 判定でもドラッグの痕跡が認められた」 ウンは思った。濱崎はトラブルを起こし、警「ところで今、どうやって食べてるんだ」分 「本当にそうかね」 察を辞めざるを得なかった人間だ。しかしそかっていて、敢えて訊ねてみた 「半端仕事をいろいろやってね。日本にいる プラウンは目を細めて濱崎を見やった。濱の裏には様々な事情があり、本人は絶対に 崎は涼しい表情。足を組み、少し前屈みにな自分だけが悪いとは思っていないはすであ時に貯めた金もある」 ってプラウンの顔を見返してくる る。しかし復職するわけにもいかす、中途半「そんなもので生活できるとは思えないが」 「何が言いたい ? 」プラウンは訊ねた。 端な仕事をしているうちにまたトラブルに巻「基本的に俺は、あまり金を使わない人間な 「被害者と顔見知りなんだ」 きこまれ : : : 結果、今はニュ 1 ヨークにいるんでね。心配だと思うなら、市警から仕事を 尾行や張り込みならで 「まさか」プラウンは思わず背筋を伸ばしわけだ。この街は掃き溜めか、とも思う。夢回してくれればいい。 た。その拍子に、腿に鋭い痛みが蘇る。「どを追って世界中から若者が集まる街として有きるせ。刑事がやらない方が都合がいい仕事 うしてあんたが ? 」 名だが、一方で、トラブルから逃げて隠れるもあるだろう」 「話せば長いけど : : : あれは、まともな女じにも適した街なのだ。 「ニューヨークで私立探偵の免許を取るのは ゃないんだよ」 「それで ? ヤク中による単純な事件じゃな面倒だぞ」 日本のヤクザの情婦と疑われた女。情報網いと思うのか ? 」 「別に、私立探偵になろうなんて思ってな を広げるために接近を試みたが、とうとう証「さあね」濱崎が肩をすくめる「それを調い善意によるお手伝いだ。それで少し金が 拠はめなかったーーー濱崎の説明を聞いていべるのは俺の仕事じゃない。ただ、あの女ーもらえれば、言うことはない」 るうちに、プラウンの頭にも疑念が生じる ー和田美里がニュ 1 ヨークにいるのが、そも「残念ながら、俺の仕事では君の能力は活か 確かに、普通の感じではなかったーーー度胸がそも気にくわないね。いろいろ話を聞いたけせない水難救助訓練でもやってみるか ? 据わっているという意味において。頭に銃ロど、何となく釈然としないし」 一時間も持たないだろう」 を突きつけられた状態で一時間、しかも救出「会ったのか ? 」プラウンは身を乗り出し「俺は肉体派じゃないんでね」むっとして濱 された時にも、疲れこそ見えたもののパニッた。「事件の被害者に ? 翌朝に ? 」 崎が言い返す。「筋肉バカになるつもりはな クにはなっていなかった。普通の人では、あ「だから、俺は刑事じゃないから」濱崎がまい」 んな具合にはい、 た肩をすくめた。「別に、知り合いの見舞い「それは、侮辱の言葉だろうか」顔を見れば 「本人の話だと、親が死んだのがきっかけでに行くのは不自然でも何でもないだろう」そんな感じではあるが、日本語のニュアンス は難しい「バカ」がマイナスの意味とは限 思い切ってニューヨークに来たそうなんだけ「本当に見舞いに行ったのか ? 」 プラウンの質問に、濱崎が黙りこむ。違らないのだ。 ど、何か怪しい感じがするね」 289 under the bridge
を出た。 ず、ロも開かなかった。 軽′、叩し学に 石雄はうなすき、封筒をバミュ 1 ダのポケ 「最後こ、、 。ししものを見せてもらったよ。じふたりで外に出た時、車の音がした。 ットにねじ込んだ。 や、俺はこれで」 早苗が戻ってきたのだ。 「私、駐車場までお送りしてきます」 「東京の家にも遊びにきて」大悟が言った。「もうお帰りですか ? 」 「ええ」 「連絡するぜ」 「うん」 「大悟、気がすんだろう。勉強しろ」 石雄がポケットから封筒を取り出した。「」私は石雄に軽く手を上げ、早苗と共 「はい 「少ないがお礼だ。受け取ってくれ」 に駐車場に向かった。 そう言い残した石雄について、大悟の部屋私は石雄を真っ直ぐに見つめた。首も振ら早苗が私を送りにきた理由は分かってい た。おそらく、石雄も勘づいていたはずだ。 果たして、早苗は、昨夜、大悟が何をして いたのか訊いてきた。 「奥さんがご心配になるようなことは何もあ りません」 「ボクシング・ジムに行ったのね」 いいえ」 路上でチンピラと喧嘩をした。そう教えた ら、ジムに通う方がましだと思ってくれるだ ろうかいや、そう簡単ではないだろう 「じゃ、あの子は・ 「男の子が、ちょっとひとり旅をしてみたか った。それだけのことです 「私、大悟のことが心配で : 「ご主人や俺が歩んだ道に迷い込むことはな いお子さんだと思いますよ。では、私はこれ で。庄三郎さんによろしくお伝えください 私は早苗に軽く頭を下げ、車のドアを開け 車をスタートさせてから、もう一度早苗に : ステ、 ) 田英俊 ばちばち整理しとこうと 263 タフガイ
やく頭をめぐらせて、廃線の線路の真ん中「撃て」男は言った。「拳銃を撃ったことがた古参の 0 —のエージェントの仕業と思わ れるかもしれなかった。 で、この駆け引きの次の手をどう打つかを考ないんだろう、お見通しだ」 えた。これまでのところ、駆け引きは成功しそれを聞くと、若者のほうは、すぐに引き「私を殺す時間は十分与えたはずだが ? 」若 たとは言えない。事態は悪い方向に向かう一金を引こうとした。しかし相手が黙ったので者が近づいてくるのを見ながら、男は続け 方だった。 思いとどまった。 た「列車が通るまで待っ気か ? 銃声が聞 「どうせ死ぬのなら、自分を殺す相手の顔を若者が男に接触してからもう十五分はたっこえないように」 よく見てからだ」男はとりあえず、そう言いていた。殺しの依頼の的となる男が毎日決ま「その手は、使えなくはないな」と若者は巧 訳するようにロにした。 った時間に廃線跡に散歩に来るというのは、みに一歩、また一歩と男に近づいた。 それから、 「だが、あいにく今はまだ午前中だ」男は指 いきなり若者のほうを振り向いあらかじめ調べはついていた。この日男はい た。そして、若者が握りしめているのがべレつもより早く来たにすぎないそして、出会摘した。「通りにはもうたくさん人がいる セミオートマティック ッタの最新式の半自動式拳銃だということにったあとは、もうかなりの間、若者の気をそ拳銃を使えば音が響くだろう。違うか ? 」 気づいた。だが、別に動じはしない。 この拳ぐことに成功していた。 「あんたのいうことは、何から何まで間違っ 銃はこけおどしにすぎない。それにたぶんど「何だって ? 」と若者は言った。「この俺にてる」 「だからってどうしたってんだ。私が自分で こかで拾ったものだろういずれにせよ、こ経験がないと ? あんた、経験があるかない 始末をつければそれにこしたことはない、そ の拳銃に合う弾薬は入手しにくくなっているか自分の目で確かめろ ! 」 はずだ。一般の九ミリ口径用のものだった若者はロをつぐみ冷笑した。そうして、男う思っているんだろう。でも、どうやって ? ら、 いくらでも手に入る。しかし最高級の拳に近づいていった。相手の虚をつこうとして私は拳銃を持っていないのだが」 銃のための弾薬というのは事情がちがう。も いたのだ。ある古い殺しの手口が頭にあっそう言って、男は、自分がしゃべりすぎた ともとそれ用の弾薬を持っていて、専用の装た。これまで一度も使ったことはないが、一ことに気づいた。若者の指先に、ぐっと力が 置で自分で装瞋しなければならないのだ。し世を風靡したことがある手口だ。それはこもったのに気づいたからだ。男はすぐに若 かし、今はそんなことを言っている場合ではの常套手段だった。至近距離で耳に直接、者から拳銃をもぎ取った。若者は必死でそれ ない。たとえ、べレッタにふさわしいもので一発、できれば二発ぶち込む、そして気づかを取り返そうとした。しばらく二人はもみあ はなくても、弾薬は装填されているだろう。れる前に人ごみにまぎれてしまう。つまり自いになった。その最中に、突然、バン、とい ともかく事態は切迫している。拳銃の引き金殺と見せかけるのだ。この手口は今では流行う音が鳴り響いた にかけた若者の指は真っ白になってきていらないから、今やると、ロシア人の犯行か、気がつくと、男は廃線になった線路の真ん る 老いばれて殺しの工作もろくにできなくなつ中にほとんど身じろぎもせす立っていた。時 226
へ連絡して来ると考えていた。そうしたら慌てて駆けつけたように 装って現地に入り、折を見てスペンダーからフランシスを受け取る 1 ト・カーファクスはスージー・ド つもりでいたんだ。ところがバ プニ 1 に相談するよりも先に、ほくのところへ依頼に訪れてしまっ たのさ。それで大慌てで自分もこちらへ来て、ぼくの目を盗んで受 け渡しをしようと思ったが、そうはいかなかったというわけだ」 ート・カ 1 ファクス 「父が : : : わたしのために : 「これは僕の推測なんですが」とわたしは言った。「故ラフトン・ カーファクスは、息子であるあなたのことを考えていたからこそ、 全財産を継がせなかったんじゃないかな、と思います。いきなり莫 大な財産を相続したら、あなたは遊んで暮らせるようになりますか ら、画家としての創作活動をしなくなってしまうのでは、と危惧し たんではないでしようか。だから、猫の執事という形で定収入が得 られるようにしておいて、その間に絵を描いてもらいたかったんだ と思います」 「そうだったら、うれしいですね」・ ハ 1 ト・カーファクスが笑みを 浮かべた。 わたしはヾ ノート・カーファクス、それからミス・フィラーナ・グ リーンと視線を合わせた。 「フランシスがシェリルであることは確認されたのですから、これ からどちらが飼うのか、故ラフトン・カ 1 ファクスから受け継いだ 財産をどうするのか、ふたりでゆっくり話し合ってください さて、僕も今日はさすがに疲れた。我々はもう引き上げよう、シャ ーロック」そう言って、わたしは立ち上がった。 まだデザートを楽しんでいるバ 1 ト・カーファクスとミス・フィ ラ 1 ナ・グリーンを残して、わたしとシャーロックはレストランを 出てホテルへと歩き始めた。 「この程度で疲れたのか」とシャーロック。「君の体力も落ちたも んだな」 「ほんとはまだ元気だよ。君は気が付かなかったのかバ 1 トカ 1 ファクスとミス・フィラ 1 ナ・グリーン、なんだかいい感じだっ ただろう気を利かせて、ふたりきりにしたんだよ」 「それは気が付かなかったな。ミス・フィラーナ・グリ 1 ンがフェ ロモンでも出してたか ? 」 「だからそういう科学的なことでなく」わたしは溜め息をついた 「あのふたり、相性は良さそうだったじゃないか結婚することに でもなれば、猫をどちらが飼うか悩まなくて済むから、全て円く収 まることになる」 : 、刀 A 」い 「男女関係のことは、君に任せておくよ、ジョン。 うことは、君は今すぐ休みたいというわけじゃないんだな」 「ああ。折角バ 1 ミンガムまで来たんだから、地元のパプで地元の エールでも一杯やっていくか ? 」 「よかろう。ちょうどあそこにパプサインが」 我々は進路を変え、パプを目指して歩き出した。 099 ジョンと小猫フランシスの失踪
見されました」 後も日本語の勉強は続けてきたから、日常会を横に振った。ワッツは性急な男だが、明日 転落の歴史は、何となく想像できる。やは話には不自由しない。、 しや、実際には仕事がの朝、デスクに報告書が載っていないと激怒 り軍人だったのではないだろうかアフガニできるぐらいの日本語はこなせる。それは、するほどは、切羽詰まってはいないだろう。 スタンから帰って、戦争の傷跡に苦しめられ日本へ視察ーー実際には別の目的があったの人質が無事だったのだから、作戦行動は成功 あるいは戦地の高揚感が忘れられず、地だがーーーへ行った時に、はっきり証明されだったのだ。人質に何かあったら、プラウン 道に仕事ができなくなった。やがてドラッグた。視察先の警視庁の人間とも、通訳なしでも怪我を押してまだ仕事をしなければならな に手を出して脳を侵され、どこからか「やっ問題なく話せたのだ。しかも、相当ややこしかっただろうが ちまえ」と声が聞こえ始めるーー怪我人が出い話を 「何か、必要なものは ? コーヒーでもお持 なかったのは幸いだ、とプラウンは胸を撫で「言葉は大事かと思いますが」 ちしましよ、つか ? 」 おろした。この際、自分は怪我人の中に入ら「彼女は、グリ 1 ンカ 1 ドを持っている今 「いや、結構だ」プラウンはリズにうなずき は、英語が母国語じゃないかな」 かけた。「二、三日で退院できるから問題な 「人質との関係は : : : 」 「分かりました」 いと思うが、留守中、分隊をよろしく頼む」 「人質の方では、知らない人間だと言ってい 「ニューヨ 1 クで、誰か連絡する相手はいな うなずき返して、リズが病室を出て行っ ます」 いのか ? 」 た。急に一人になり、プラウンは胸の中を風 と聞いています」 「ということは、行き当たりばったりで、適「特にいな、 が吹くように感じた。胸騒ぎがしたわけでは 当に押し入ったわけか」 プラウンは首を捻った。あの旅行代理店ない 。これは極めて単純な事件なのだ。背景 「そうなりますね」 は、一人で切り盛りしているのか ? それはを探るまでもないだろうし、そもそもそんな ないだろう。スタッフが何人もいなければ、 「金の要求以外には ? 」 ことは、の仕事でもない。 「訳の分からないことをつぶやいていたそう顧客のわがままをさばき切れないはずだ。せしかし、犯人と話してみたかった、という で : : : 何か反応したら殺されるかもしれないめて部下には連絡しておく必要があるのでは気持ちに変わりはない。 ないか・ と思って、すっと黙っていたそうです」 人は容易に、社会の枠から転落する。はみ 「賢明な判断だ」プラウンはうなすいた。 「分かった」 出した相手を容赦なく始末するだけではな 「ポス、彼女とお話しになりますか ? 」 「いずれにせよ、もううちが手を突っこむ段く、何故そうなったのか、少しでも理由を聞 「どうして」 階は過ぎていますので」 いてみたかった。もしかしたら、犯罪者を減 「日本語が通じる相手と話せば、向こうも少「その通りだな・ : : 報告書、頼めるか」 らすことにつながるかもしれないし。 しは気が楽になるかと思いますが」 「明日の朝までに、こちらに届けます」リズ安全社会、か。それはが必要ない社 「どうかな」 が立ち上がった。「ポスに読んでいただける会ということでもある。自分の仕事を減らす プラウンは幼い頃、父親の仕事の関係で日なら、今晩中にお届けするのも可能ですが」 ために仕事をするーーー何だか矛盾した感じも 本で暮らした。その経験を活かそうと、その「そこまで無理しなくていい」プラウンは首するが、仕方がない 280 under the b 「 idge
だ。一つ食べれば満腹になる。こちらに来ては、、 しつの間にか無意識のうちに通話ボタンも大都市の大食堂という感じだった。サンド から体重計には 一一度も乗っていないが、確実を押していた。おいおい、どうするんだ ウィッチは巨大で、パンはただ、中身を押さ に体重は増えているだろう 慌てて中断しようとしたが、電話はかかってえておくためだけの存在。つけ合わせの巨大 なピクルスが、やけに酸つばかったのを思い クソ寒いにも関わらず、べンチは人で埋ましまった。 出す。食べきれずに持ち帰り、その日の夕飯 っている。ニュ 1 ヨーク大学に隣接している仕方ない せいか、学生らしき若者が多かった。時間潰吐息を漏らして、電話を耳に押し当てる。もそれで済ませたのだった。 しで、だらだらと友だち同士でくだらない会久しぶりに聞くプラウンの声はどこかざらっ確か、二十ドルぐらいしたのではないだろ 話を交わすーーーこういうのは、日本でもアメいていて、耳に不快だった。これも、怪我のうか : : : しかし、見舞いと考えれば安いもの リカでも変わらないようだ。 だ。花を買っていくのは俺には似合わない 影響かもしれない チ 1 ズステ 1 キを食べ終え、両手を叩き合「ああ : : : 濱崎だ」プラウンには日本語が通し。 わせる。コーヒ 1 は : : : わずかな時間に、既じる。しかし濱崎は、できるだけゆっくりと少し長い散歩をしよう、と濱崎は腰を上げ に熱を失い始めていた。真冬のニューヨーク話した。 の戸外でコ 1 ヒ 1 は無理なのか 「用件は ? 」 手が少しべたついていたが、ハ、 / カチなど露骨に不快そうである。かなりの重傷ではプラウンは無表情になった。カツツのパス 持っていないので、仕方なくジーンズの腿にないか、と濱崎は想像した。我慢強いというトラミサンドウィッチが来たのは匂いで分か 擦りつける。「おしばり」がないのは、アメか、タフな男だから、電話に出るぐらいはする。相好が崩れそうになったが、濱崎の顔を リカの最大のマイナス点だと思う。日本風るだろうが、そこから先ーーー愛想よく振る舞見て、慌てて表情を消したのだ。 濱崎は : : : 日本での不法行為の責任を問わ の、パ ) ケージされた紙のおしばりを売り出うのは無理かもしれない したらそれなりに商売になるのではない 「ええと」濱崎はいきなり言葉に詰まった。れるのを恐れ、アメリカに渡って来た。プラ か、と妄想することもあった。こんな半端な見舞いに行こうか、と素直に言えない。「何ウンは折に触れて、彼の活動を監視していた 仕事をしていたら、いっかは行き詰まってしか、食べたいものはないか ? が、今は色々と半端仕事をして、糊口をしの まうから、堅実な商売を始めるべきではない 「カツツのパストラミサンドウィッチ。ピクいでいるらしい。要は人助け、便利屋なのだ が、真面目に働くつもりなら、いくらでも職 ルス付きで」 はあるはすだ。プラウンの目から見れば、だ スマ 1 トフォンを取り出す。プラウンの電「分かった」 ためら ハワリーの近く。ワシントンらだらと毎日を送っているに過ぎないその 話番号を呼び出して、しばし躊躇った。入院あそこか・ していたら、電話の電源は切っているのでは公園からだと、歩いて十分ほどだろう。ニュ気があるなら、何でも仕事は紹介するつもり ないだろうかだいたい、本当に見舞いに行 1 ョ 1 クへ来たばかりの頃、評判を聞いて訪だったのだが、こちらから連絡するのは癪に きたいかどうかも分からなかった。決して仲ねて行ったことがある。ニュ 1 ヨークで一番障る。結局、ニューヨ 1 クで会うのはこれが が良いわけではないのだし : : : しかし濱崎古いデリカテッセンというその店は、い、に初めてだった。 こす 287 under the bridge
いては、単に現れるタイミングが遅くなっただけ『ごめんなさい、こんな時間に。やっと休みをいたんだとしたら、四十分前の君の肉体には獣につ かも知れない」 ただいて、一日だけ東京にきたんですけど、明日けられた傷がついているはずがないんだ」 「よしてください、じゃあ明日の放送でもまた獣一番で帰らないといけないんです。だからご迷惑一瞬言葉の意味がよくとれなかったが、すぐに が現われるかどうか、ピクビクしてなきゃいけなと思いましたけど』 呑み込めた。たしかに尾上が云うように、嘉津馬 いってことですか」 「いや、大丈夫です。すぐに出ます」 の精神だけがタイムトリップしたのだとしたら、 「わからない : 嘉津馬はほとんど叫ぶように云った。獣のことこの傷は、いつどこでついたものなのだ。そして 尾上は首を振って、一気にコ 1 クハイを飲み干も、明日の放送のことも一瞬頭から消え去ってい嘉津馬が肉体ごとタイムトリップしたのだとした した。 た。電話の相手に最後に会ったのは去年の年末、ら、もう一人の嘉津馬はどこに消えてしまったの 「ところで獣がロにしたドウマって、なんでしよそれ以来思い出さないようにしていたが、こうしか て声を聞いてしまうと、もう一目会わないことに だがその答えを見つけることはないまま、嘉津 はおさまりがっかなくなっていた。 「ドウマ、さあわからないな」 馬はまだ冷たい三月の夜気の中に飛び出していた。 「マフラーの男はデュマと云っていました。あと床からジャンパ 1 を拾い上げ、財布をポケット 鹿野とも」 にねじこんだ。そんな嘉津馬を、トロンとした目 「鹿野ってのは日本人の苗字だろう : : たしかなで尾上が見上げた。起き上がる様子もない にかニュースで : : : デュマと言えば「三銃士』を「どうしたんだ」 書いた大小説家じゃないか待てよ、デュマの父「今日の騒ぎのことで、呼び出されました」 もともとゴルフ場の跡地だったという、駒沢の は白人と黒人の混血だと聞いたことがある。だと「こんな時間にかい」 五輪公園は十三万坪という広大な敷地に、仮設ス すればつまり獣と人の : : : 」 「仕方ない。あ、トリスは全部あけちゃってくだタンドも加えると収容人員十一万人を誇る日本最 酔いがまわってきたのか、尾上は床にだらしなさい」 大のオリンピックスタジアムと、同じく三万人を く崩れ落ち、次第に言葉は不明瞭になっていく 「うん、じゃあ適当に寝かせてもらうよ」 収容できる水泳竸技場があり、両者の間には七千 と、電話が鳴りだした。まだ一人暮らしの家に嘉津馬は返事もそこそこに、靴に足を突っ込ん五百坪の〈 1940 年広場〉が造成されている 電話を引くなど贅沢な時代だったが、テレピ局とだ。すると、不意に尾上が片腕を持ち上げた。 戦前は〈紀元一一六〇〇年広場〉と呼ばれていたそ いう仕事柄これは必需品だったのだ。それにして「木更氏、ちょっと気になっているんだが」 こは、花壇や芝生、噴水などが配置され、市民の もこんな夜遅くに鳴ることは珍しい ギクッとなった。実は電話の相手は尾上も知っ憩いの場として知られている 床に寝そべった尾上を踏み越して、受話器をとている人物だ。そのことを隠して会、こ、 し ( しこうと近くに軍需工場などもなく、爆撃の対象にもな していることにはうしろめたさも感じていた。だらなかったので、建築から二十年以上経過して 『もしもし : : : 』 が尾上は予想外の言葉をつづけた。 も、どちらの建物もまだ問題なく使えている。そ 聞こえてきたのは、内心待ちわびていた声だつ「その額の傷だが」と嘉津馬を指さす。「もし私のため三年後に迫った第二回となる東京オリンピ の考えの通り、君の意識だけがタイムトリップしックでもそのまま使用することが既に決定してお る 180 神化三六年のドウマ
にした自分の鈍さを呪うしかない ってくることもあるかも知れない。そしたら「実た漫画原稿をもって会いに来てくれた明美が、単 五輪塔も、スタジアムも、全ては元通りだっはこの話を考えた漫画家がいる』と、彼女を紹介に漫画の感想を聞きたいだけだとは嘉津馬には思 た。街灯は広場中心に点灯しているから、全てがして、華々しくデピュ 1 してもらおう、とまで考えなかった。いや、思いたくなかった。コークハ 見えるわけではないが、少なくとも消えてなくなえていた。いや、それは口実でアイデアを借りるイを飲んで気分が高揚していることもあり、今日 った様子はない。嘉津馬は段状になった塔の根元という名目で彼女に会い、電話をし、そして感謝こそ明美との関係を先に進めることができるので に立ち、そこからすっくと伸びている塔の本体にされるのがいまの嘉津馬にとって一番の楽しみにはないか。 触れてみた。冷たく、しつかりとした石組の感触なっていた。もちろんあくまで好きの仲間と だが明美はそんな嘉津馬の気持ちに気づいてい がある。透けて消えてしまうわけがない して接しているつもりだが、嘉津馬の中では彼女ないのか「ドウマ ? 」と考え込んでしまっている 「ごめんなさい」 の漫画のファンとして彼女を世に出したいという「ああ、デュマともいうよね、フランスの有名な 明美が頭を下げた。 気持ちと、彼女を才能もなにも丸ごと自分のもの小説家だ」 「あたしのせいですね。褒めてくれるものだからにしてしまいたいという気持ち、その二つが混在「そのデュマなら知ってます。でも木更氏が云っ しい気になってずっと話してましたけど、結局今し、いまではどっちが本音かもわからなくなってたのはドウマじゃありませんでしたか」 回も、どこの編集部も受け取ってくれませんでしいたのだ。 「それが、どうかしたのかい」 た、この原稿。木更氏だって、無理して面白いと「違うよ。いつも云ってるだろう。オレは明美ち「ええ、ドウマとは、たしかスワヒリ語でチ 1 タ 云ってくれて、それで困らせちゃったんですよね」やんの漫画がサイコ 1 だと思ってる。絶対に面白 1 という意味のはすです」 明美の漫画は、流通している漫画とあまりにもい、キミの漫画が世間に受け入れられれば、世界チ 1 ター 、と聞いて昔動物園で見たその姿が目 スタイルが違う。しかも題材はいつも、敬遠されが変わるんじゃないか、とまで思っているんだ。 に浮かぶ。ライオンや虎よりもスマ 1 トで、豹や がちな〈超人〉についてだ。そのため彼女の漫画ただ今日は妙なことがいろいろあって」 ジャガーよりも足が長く、草原に於いてはもっと は今までほとんど雑誌に掲載されたことがない そこまで話して、嘉津馬はロを噤んだ。まるでも足が速いといわれている、チ 1 ター。だがなぜ 彼女の家は医者の家系で、そのため彼女も帝大〈時丸〉になったように時間を逆行したかも知れスワヒリ語なんだ。あの獣となにか関係があると い、つの、か の医学部に進み、今では助手として勤務していない、なんて男友達の尾上には話せても、明美に た。原稿が売れなくては、漫画家としてやってい話して、失笑されるのは耐えられないと思ったか「それは・ : たまたまじゃないかな。実はドウマ くことなどとてもできないからだ。それでも彼女らだ。 というのは今日たまたま耳にしたんだけど、アフ は時間を見つけては漫画を描き、こうして東京に 「本当に、大丈夫ですか。さっき気づいたんですリカとは関係ないと思う」 出てきて出版社をまわっているのだった。 けど、おでこの横のところ、怪我してますよね」そんな嘉津馬に、明美は声をひそめて、まるで 嘉津馬はそれをいつも口惜しく感じていた。そ明美が、自分の額を指さしてそう云った。 秘密をるよ、つにこ、つ云った。 して少しでも助けになれば、と彼女のアイデアを「ああ、これはドウマのせいで」 「ご存じありませんか、戦時中の日本で、ドウマ 借りて「忍びの時丸』をはじめたのだ。番組が人そう云いかけて、またロを閉じる。こんな話をと云われた男がいたことを」 気になれば、どこかの出版社が漫画にしたいと云しにきたんじゃないわざわざ夜中に、没になっ ーー次号へ続く つぐ 184 神化三六年のドウマ
うようなしぐさをしながら嘉津馬を呼んだ。 音が、確かにある は、すっとどこからか猫の声がしているとい、つ、 「木更ちゃん」 「なんだ、これ」と呟くと、が頷く。 まるでホラ 1 のような演出で放送されてしまった 撮影や音声の技術面を取り仕切るは現場の「木更ちゃんにも聞こえたかい」 トップであり、嘉津馬の入局よりずっと以前から「は、はい。なんですか、これ。なんだか風が洞もちろんさっき聞こえたのは猫ではない。だが カメラをいじっていた存在で、正直未だにどうし窟を吹き抜けていくような」 大型大か、或いはもっと別のなにか変わった動物 てテレビに映像が映るのかロで説明することがで「変な楽器なんて持ち込んじゃいないよな」 の声という可能性はある。 きない嘉津馬にしてみれば、まったく頭が上がら「いやだな。いくらオレが、普通じゃない演出や「なんか、聞いてるかい、木更ちゃん。まさか狼 ない存在だ。もちろん実際には本名で呼んだが、るからって、人形劇にその場で効果音つけようなか熊なんてことはないだろうけどさ」 ここでは木更で統一しておこう。 んて考えませんよ」 「わかりません。でもクイズ番組の方で、箱に入 なにか怒られるのかと思い、しぐさに従ってへ「そうだな。劇団の中に風邪でもひいてるやつがれたものを当てさせたりしてますから、それで動 ッドフォンマイクをつけた。いつもはフロア・デいるのかとも思ったんだが、あそこは圧倒的に女物を借りてきてるってことが、ないとは限りませ イレクターに指示するのに使うのだが、今はまだの子が多いし、こんな唸り声を出すような状態じん」 本番前なので、ヘッドフォンからはスタジオのマやそもそも仕事にはこさせないだろうしな」 いつの間にか声が大きくなっていて、スタッフ イクが拾うノイズが流れていた 唸り声。確かにそう形容するのが適切に思えが二人に注目していた。 「なにかありましたか ? 」 た。地の底から響いてくるような低音で、どこか「俺にも聞かせてよ」とスイッチャーの金子が e 不安になって問いかける。もしかしたらスタッ湿ったような濁った音が、スタッフたちの声の奥からへッドフォンを受け取り、首をひねる フか劇団員たちの会話で、何かトラブルが発生しからかすかに聞こえているのだ。 「う 1 ん、風、じゃなさそうだなあ。だけど、変 ているのがわかったのかも知れない。もう放送ま「人間じゃないとすると、ほら、あれさ」 だな」 で時間がない の言葉で、嘉津馬も思い出した。それは e 「どうかしましたか」 「しつ。聞こえない ? 」 の中では定番になっている笑いばなしだ。あ「いや、こんな音、どっかで聞いたことがあるよ は真剣な顔で、ヘッドフォンに集中している番組のために用意しておいた猫が逃げ出してしうな」 る。嘉津馬も改めて、ノイズの向こうからなにかまい、別のドラマのスタジオに入りこんでしまっ と、トシマルが嘉津馬の袖をひいてきた。 聞こえてこないか、耳をすました。本番直前でもた。ドラマのセットは床から直接建てるのではな「なになに、どうしたのさ、トラブル ? 」 スタッフは黙り込んだりはしない。彼らだけに通 く、一段持ち上げた形で作られている。そこに猫子どもらしからぬ口調で、あきらかにトラブル じる指示を出し合ったり、劇団員たちがそれぞれは潜り込んだのだが、スタッフの誰も気づかなかを期待して訊いてくる の人形操作を確かめ合ったり。そんな会話が聞こった。そして本番、役者たちが芝居を始めると、「なんでもないよ」 テレビ雑誌といえども、記者のいる前でうかっ えるだけで、なにも変わったことはない、と答えそれが猫を刺激したのか急に激しく鳴き出した。 かけて、不意に気づいた 声はすれども姿は見えず。生放送中だからスタッなことはロ走れなかった。嘉津馬は殊更に笑顔を 話声や足音の向こうから、かすかに聞こえる異フが探し回るわけにもいかない結局そのドラマつくるとスタジオに直接降りる鉄階段に繋がって 162 神化三六年のドウマ
第 68 回日本推理作家協会賞ー受賞メッセージ 第回日本推理作家協会賞 〈長編および連作短編集部門〉受賞 早見和真 ではありません それでも自分がミステリーを構成すると思うもう 一つの要素、先を知りたいという吸引力を物語に付 与していくことには、常に忠実であろうとしてきま した。一見ミステリーとはかけ離れたデピュー作、 補欠球児の青春を描いた『ひやくはち』という作品 を、香山二三郎さんは「ミステリー周縁エンタメ と評してくれました。そして「いっか本物のミステ 丿 1 を書くかも」といった言葉に身が引き締まった のを覚えています。『イノセント・ディズ』はその第 一歩だったと思います。実際に起きたある事件に疑 問を抱き、その違和感を描きたいと思ったとき、「ミ ステリー 」に挑もうとするのは自然な流れでした。 」には常に畏布の念がありました。〉執筆は想像した以上に苦しみを伴いましたが、こう 〈「ミステリー 推理作家協会に提出した受賞の言葉は、そんな一して認めていただけたことは素直に嬉しく思います 同時に言い訳ができなくなったという気持ちもあ 文から始めました。息が漏れる論理的な展開も、世 界がひっくり返るような鮮やかなトリックも、どちります。書きたい物語に必然性があるのならば、ま らも憧れの対象でありながら、自ら挑もうという気た覚悟を持って臨むつもりです。大半が「はじめま 持ちは持てませんでした。自分には到底書けないもして」と思われる《ミステリマガジン》の読者の皆 さまには、ますは受賞作を手に取っていただけると のと切り離していたのだと思います。ミステリ 1 に 対する「畏怖ーという表現は、決して大げさなもの幸いです。 受賞作 イノセント ディズ 『イノセント・ディズ』 早見和真 1 , 800 円 ( 税抜 ) / 新潮社 217 ミステリの話題