70 年代、 80 年代のプームののち、瀕死の状態かに思 えた冒険・スパイ小説のジャンルが近年復興しつつある。 先日、『土漠の花』で日本推理作家協会賞に輝いた月村 了衛氏は受賞スピーチで高らかに冒険小説の復権を宣言 したし、 12 月に公開を控えた「 007 」最新作などの洋画 や海外ドラマ、柳広司氏のくジョーカー〉シリーズや芝 村裕史氏の「猟大の國』など国内ミステリ小説での分野 では、やけにスパイものが目立ってきている。本号では、 『冒険小説の時代』で日本冒険小説協会賞、『冒険小説論』 で日本推理作家協会賞に輝き、その後も常にこのジャン ルにおける評論の第一人者でありつづける文芸評論家の 北上次郎氏を特集編集長に迎えた。北上氏が司会・進行 を務めた架空の冒険・スパイ小説全集を編む座談会や、 北上氏推薦作家の短篇、豪華作家陣による評論や工ッセ イで、この 21 世紀に読むに値する新たな冒険・スパイ小 説群を読者のみなさまに提示したい。 また、同時掲載で、ミスター・ミステリマガジンとし て本誌、ひいては日本の海外ミステリ受容史に多大な貢 献をもたらした、翻訳家、作家、とくにハードボイルド 研究の先達として名高い小鷹信光氏の特集を、本号を皮 切りに 3 号連続でお届けする。その名も K 0 D A KA NOBUMITSU'S MYSTERY MAGAZINE0 創刊号に あたる今回は、小鷹氏の「人」を中心に、幼少期から青 年期の知られざる交遊などを、氏と絆の深い人々の工ッ セイや対談、評論やロング・インタヴューで迫っていく。 第第 C ぬ T 題 ) N OF V ハ強ん : (I)VENTURE AND SPY 賀 ll 工 S
働第五回 ・アガサ・ クリス一 1 賞己 直 選評 ※選評という性質上、作品の興趣に触れている 箇所もございます。ご了承ください。 もてる人だと感じた。 受賞作となった『うそっき、うそっき』はチャーミ ングな設定で、独自の世界観の中で遊ばせてもらっ サイレントキラー』は水準に達しているが、惜し いことにいま一つ踏み込んだ魅力が感じられなかっ た。ただ、あのような世界を構築する筆力には感心し た『ミセスと西瓜の謎』は入り組んだ物語が最後 まで飽きさせす、若い男女の人間関係も複雑に絡み合 面白く読んだ。『セイブ・ザ・クイーン』は趣向 昨夏に思いがけす腰椎圧迫骨折というアクシデント に見舞われ、長距離の移動が叶わす ( デブですいませ ~ が勝り、非常に不自然なわざとらしい世界観と思え 誠、残】た人によってはこういう作品が面白いのだろうが ん ) 、今回はやむなく書面での参加となった。ご一に 念なことであったが、 候補作を読み味わう幸せは十分残念ながら私の肌には合わなかった。 に味わうことができた。 以上、ざっと感想を述べてみたが、前述したように クリスティー賞の選考は昨年に続き二度目となる ~ それぞれに明確な世界観が出来上がっており、全体的 が、今回は全体的にハイレベルだったという印象が強 ~ に高水準で粒ぞろいであった。クリスティ 1 賞も五回 ヒ , たっ 目となり、やはりこうした企画は継続が大切なのだと 中でも私が最も推したのは『桜咲く頁こ』 た。物語の組み立て、文章の運び、新人らしからぬ筆 ~ しみじみ感じたことであった。他の選考委員の感想を 生で拝聴することができなかったのはかえすがえすも 致で安心して読み進むことができた。気象予報官とい う職業をより詳しく知ることができたこと、新しい知 ~ 残念であったが、候補作から発散されたミステリへの を得たのも楽しいことであった。今回惜しくも賞を ~ 情熱ははなはだ熱く、今後への期待を抱かせるに十分 なものであった。 逃したが、 このまま書き続けていけば、将来に期待が 6 ヘーシより SELICT COMENT Naomi Azuma ( 作家 ) 092 ミステリの話題
特集短篇ーベンツに乗った商人 [ 再録 ] って行くとき、その入念さを彼らは笑った。彼のとしにはまだ それに、彼らの悦に入りよ、つはど、つだ。なんと、つまくことを はやい威厳を、彼の法律にたいする忠実を、彼のたえまない気 はこんだものだ。考えたのは老人だ。どうやらひとりで考えっ のくばりようを、彼らは笑った。まだ笑いながら、彼らはコー いたものらしい。それは彼の愚かな脳髄が、はじめて考えだし ルプを案内し、彼の背を押すようにして暗い階段を降りた。ク リスチ 1 ナが、祝いの食卓にかざるロウソクを持って先に立っ た名案だったにちがいない造作ないんだ、と老人は説明し た。ザンデルが死亡証明書を発行する。 ( ザンデルは町いちば んの名医だ。彼が死んだといえば、間違いなく死んだのだ ) ク 祝宴がまたおどろきだった。彼は彳らが、こんなものを出せ リスチーナがあらかじめ、搬出許可書と保健所の証明をとって るとは知らなかった。本物のハム、彼がリューベックでロにすおく「簡単だろうが」と、老人はいった。「戦争中はみんな るどんなハムにも劣らない彼が売っているのとちっともかわやったもんだ。なんでも棺に入れて密輸したんだ。だれも棺の らないハ ターまで ! ばかな、バタ 1 がないことをきよ、つま なかまでのぞこうってやつはいないからな」 で何度うったえてきたのだ。それに、このパン。なるほど酸味 コールプはただすわって、彼らのしゃべるにまかせた があって、色も彼の好みよりは黒いが、それにしても東にして 「お前がなんでそうふきげんな顔をすることがある」と、老人 はじゅうぶんすぎるというものだ。きっと特にきようのためはいった。「わしがほんとに死んだほうがいいのか ? 一同の 笑いでテープルが震動し、ロウソクの火がつめたい空気にちら に、闇市で買っておいたのだろうひと身代はたいたにちがい 疾風怒濤 ! 痛快無比 ! 笑いと切ない抒情に満ちた、傑作エンタテイメント・ミステリー 黒原敏行訳ポケット判 第をエンジェルメイカー 本体価格一一八〇〇円 ニック・ハーカウェイ 平穏な暮らしを送る機械職人のジョー。彼が謎の機械を修理した日から、すべてが一変した。凄腕の元スパイ老 女をはじめとする個性豊かな人々の思惑が交錯するなか、彼は亡き父の銃を手に世界の危機へと立ち向かうー ハヤカワ・ミステリ 075
YUS - M た」 000A 、。・ 0 デ A , Z っても、海外ミステリ全般に関心がなけれとなった。そして、ドラマの内容にはお ば、松田優作オンパレ 1 ドになっている本稿かまいなしに、私は私で小説を書き始め、九 のこの見開きページには気づかないだろう 月十八日と決まった放送開始日の二週間前 に、「父、母に」見本刷を進呈することがで たとえ、毎回のタイトル画面のクレジットに 表示されていようと、「原案者」の名前などきたのである。 はど、つで、も しいことなのだ、とも思、つ 『ばくの複葉機』の「あとがき」にたとえれ そのクレジットは、「原案・小鷹信光」とば、この時期私はがむしやらにク飛びはじ あって ( ) 書きで「徳間書店刊」の文字もめていたのだろう。七七年の六度めのアメリ 記されている。原作本があるほうが箔がつくカ・ツア 1 では、気の合った仲間たちと南カ リフォルニアを初めて車で自由に走りまわっ という通念があったのだろう。企画、制作の 段階ではまだ姿のなかったこの原作本というた。「アメリカを車で走る」ことの真の楽し のが、私が父母に献じた新書版「探偵物語』さをおばえたのがこのときの旅だった。 だったのである ミステリ関連の仕事でも大きな変転があっ 0 、、 0 、 た。七七年の半ばに《》での「続ノ くわしい裏のいきさつは語られていない が、ドラマの企画、制作者側 ( 日本テイラスの舟」の連載を完結させたあと、私は レビと東映芸能ビデオ ) 、ドラマの公開《》の連載権を継承した新ミステリ 予告の帯をつけた小説『探偵物語』の版元誌《》 ( 光文社 ) に報酬の伴う実質的な ( 徳間書店 ) 、そして「原案者」であり、か編集委員として招かれ、契約を交わし、正式 つ「著作者」ともなる私との三者三様の思惑に移籍することを決めたのである。《》 がうまく噛み合って生じたきわめて稀な共同での連載の仕事を約四年半休載する、いわば 私のク出稼ぎの時代ツがこのあとつづいた。 販売作戦だったといえるだろう 小鷹信光 九七九年九月中旬の北海道取材のあと、 七九年二月に、ワセダミステリクラブ以来 偵ボア ン 探ドな 私は『探偵物語』の続篇「赤き馬の使者』を の友人である日本テレビのプロデューサ 1 刊 年 年 山口剛さんに提出した私の詳細な「企画原年末までに書き上げた。ドラマがオンエ マト 5 に 6 有 、 2 拐日す語年 8 吾 0 進案」をたたき台にしてこのドラマの制作ア中にあと一作書いてしまえという突貫工事 ご」」貝 0 圏 -: 号「が一一び探庫野ョ庫野が軌道に乗りはじめた。そのとき、「テレピが成功し、仕上りも悪くなかった。いま現実 田 6 話作 ' と 、文山・コ文山 の公開に合わせて、おれは小説を書く」と私にク翼クを失って自由に飛べなくなった私に 松は第俊が新舎舎 : 新の舎 刊 1 藤レル「冬冬画「境冬画 とっては、まさに夢の中の話に思える ( 創第工有幻幻挿 2 国幻挿がいきなり宣言したのが共同作戦のきっかけ 新・貞語 新・探偵物 探偵物語。 第い : まるの当ま第ょ 鷹信光 スペンヤル インビュー ー 2 品収録 + 特典茨像 ・第准ここ一て書・竸、トリッ 0 ・強は魵ドエ・得 0 を 4 る名名 宀 物 冬・文第 287 小鷹信光ミステリマカジン創刊号
おう引用符つきで使う ) がすたれ、小鷹さんまでがク脱ハ ードボイルド宣言をしたあとであった。アメリカ本国で も日本でも、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンド ラーのペイバ ーバック版はほとんど見当たらず、「ハ ポイルド小説は死んだ」と言う人も多かった。 その当時、ニュ 1 ヨークの出版事情や私立探偵小説の新 しい波を伝えるおれの投稿記事に関心を抱く人は、小鷹さ ん以外、編集部にもミステリ関係者にもいなかっ た。とにかく、運がよかったのか悪かったのか、早川書房 に出はいりしていた小鷹さんの目におれの投稿がとまった のである そして、突然、一九七三年の夏にニューヨークへ行きま すという内容の手紙が小鷹さんから届いた。小鷹さんは西 小鷹信光さんと実際に初めて会ったのは、一九七三年の 二十三丁目にある〈ホテル・チェルシー〉に泊まった。ち 夏だった。その前は、《ミステリマガジン》 ( ) 七三 ようどペイントの塗り替えをしている最中だったので、ホ 年八月号に〈ニューヨーク便り〉の連載が決まるまで、か テルじゅうにペイントのにおいが漂っていたことを覚えて なり頻繁に文通が続いた いる。ます、その頃おれがしよっちゅう通っていたヴィレ 二〇一四年六月号 ( 創刊 700 号記念特大号 ) 掲 ッジの古本屋に案内した。 載の「思い出コラム」で、「 ( 七三年、本誌にミステリ・コ そのあと、小鷹さんが車で長旅をしたいと言い出したの ラムを ) 何通か投稿したけれども、何の返事もなかった。 で、二人で出かけた。小鷹さんはほかの町へ行きたいとい ( 中略 ) すると、ある日のこと、小鷹信光氏から手紙が届うよりも、そこへ行くまでのドライヴを楽しみたいタイプ いた。連載コラムを書いてみないかという提案だった」とであった。マンハッタンからニュージャージー州にいった おれは書いている ん出て、州最南端のケイプ・メイから、車ごとフェリ 1 に 一九七三年当時、 ードボイルド小説ッ ( まだ「私立乗って、デラウェアに着き、メリーランドを素通りして、 探偵小説という一言葉が知れ渡っていなかったので、いちヴァ 1 ジニア州ヴァージニア・ビーチで一泊した。 工ッセイ 1 9 7 3 年の夏 Summer of 73 木村ニ郎 ( 作家・翻訳家 ) 292 小鷹信光ミステリマガジン創刊号
月に入社。それで、学生時代から付き合ってれぞれについての雑誌を出していて、私は ミステリイ・マガジン》と改題されて、作品 いた ( 当時、勤労女性はピジネスガール 《脳と神経》って雑誌。仕事の大半は、医学のセレクションを頼まれ、翻訳も手がけるよ 、つになった。そ、つこ、つしていたら、アメリカ と呼ばれていたが、娼婦と間違われるので、者の研究論文を載せるもので、そのためには のちにオフィスレディ、 O と改称 ) と四月編集委員の偉い先生のところに出入りするわの裏社会の研究をまとめた『アメリカ暗黒 けです。 末に結婚しました。 史』を三一書房から出せたり、《エラリイ・ 急遽、仲人を頼んだ人が編集部長の長谷川 でも、会社の仕事か順調にいしはいくほクイーンズ・ミステリ の当時の編集長、常盤新平さんから声を 泉さん。近代文学の泰斗で、外研究では第ど、ニ足の草鞋がきつくなる。 かけられて、ドナルド・ 一人者でした。私は既に《マンハント》にも小鷹編集者だから、会議で企画は出さなけ ハミルトンの『破壊 わらじ のを書いていたので、最初から二足の草鞋。ればいかんわけね。そういうのは、いつも出部隊』でポケミスの翻訳者デビューも果たせ まあ、部長もそうなんだから、と若干、気が入りしている大学の先生方からの話からヒンることになった。 同じ頃、メンズ・マガジン関連の仲間たち 楽になりましたね。他にも副業もちがいて、 トを得て企画にまとめるんだけど、やつばり が中心になっているパロディ 1 ・ギャングと 純文学で太宰治文学賞 ( 一九六九年 ) を獲っ会議では真剣勝負になるんだよ ある会議の時、人差し指で眉間をすーっと いう集団に参加させてもらって、片岡義男さ た秦恒平さんなんかも一年先輩です。やめら れたのは、私よりもずーっと遅かったです押さえて集中していたんだ。それでトイレにんやしとうきねおさん、水野良太郎さんた 立って、鏡を見たら、眉間に赤い痣ができてちと、ギャグ的な記事をたくさん作りまし いるわ 1 、こんなに仕事に熱を入れていた た。これも良き収入源。《べースポールマガ 推理作家の中町信さんも同じ頃校閲部に いたとか。小鷹さんの電話がよく鳴って、そんじゃ、大変なことになる。とまあ、そう思ジン》の恒文社が出した《 6 セプン》なん ったり。結局、時間が経てば主任だとかなんて男性週刊誌などには、はちやめちゃなパロ れが外部からの原稿依頼だというのか分かっ て、すごく華やかで憧れていたらしいです。 とか責任ある立場にさせられる。そうしたデイ記事を載せたものです。結構、際どいも 小鷹私は編集部でしたが仕事はきっちりやら、時間がなくなる。というので、早くこののもあって、デヴィ夫人から訴えられたり りました。時には残業も。後ろ指を指される状態から脱出しないといけないと思った。そ他には文春の《漫画読本》さんもご贔屓にし てくれましたね のは不愉快ですから、本当に仕事には真面目のためにも副業の方の仕事も増やさないとい に取り組みました。でもって、副業の原稿はけない。それは苦しかった。 僕の受け止め方だと、《平凡パンチ》 夜、冗談じゃなく一日十六時間労働みたいな とか《週刊プレイボーイ》、はたまた 感じがありました。 アメリカンカルチャーの裏通り 《 STUDIO VOICE 》とか《話の特集》とい ったメジャー系ないし半端な教養系じゃない 医学系の雑誌というと、どうしたって医 でも、副業というか、そっちの仕事が順雑誌で活躍したところに小鷹さんの真価があ 学界の諸先生とのお付き合いも必要だったと 思います。 調に増えていったわけですね。 るんです。とくに《 LL(D セブン》のあのいか 1 ドホ , 4 ルド・ がわしさ、印刷の悪さ、あれが昔のシグネッ 小鷹医学書院は医学と看護学の全分野のそ小鷹《マンハント》が《ハ 314 小鷹信光ミステリマガジン創刊号
一三ロ ・冒険・スパイ小説の復権 ! 胸】倒されます。アメリカ文化の受容 躍る響きではありませんか。私もを体現する「奇跡の人」です 九一一年に刊行された「冒険・スパ 本号で北原尚彦さんのジョンの イ小説ハンドブック』を片手に シリーズ最終回です。書籍化をお 集 好きな作品がどう取り上げられて楽しみにして下さい 編 いるか、未読の作品はどれかとチ ・数カ月前に元編集部員の ェックしたものです。来年一月に ・から、銃器講座を受けまし 刊行予定の『新・冒険・スパイ小 各部位の名前や動き方を・ 説ハンドブック ( 仮題 ) 』は北上 . 私物のモデルガンを使って教え 次郎氏にご協力いただき、鋭意企 . てもらったのです。銃って、あん なに重たいんですね。弾丸がフル 画進行中です。抜粋掲載した座談 会からも、北上さんはじめ、皆さで入っていない状態のものですら んの思い人れの強さが伝わってきあの重さ、大きさ片手で撃った ますどうぞご期待ください 身に着けたまま走ったり、ま 小社創立七〇周年企画として、 してもっと重たいライフルを扱っ 『新・冒険・スパイ 5 』に先駆け たりなんて、とても無理だなと思 ンドブッ て『海外ミステリ・ いました。あれ以来、冒険・スパ イものを読むと、かっこい ク』と「海外ハンドブック』 を刊行しました。新企画満載です以外に、この人たちは本当にすご いたレ」田 5 - つ、よ - つにた 6 り」ま . しに ので、こちらもぜひ。 (Z ・ (J)) 今月はパワフルな特集が二つあ冒険・スパイ小説好きの方は機会 ります。まず北上さんが特集編集】があったらモデルガンを触ってみ 長の冒険・スパイ小説特集。じつることをおすすめします。 ( < ) は半年以上かけて準備していま 私が偏愛する冒険・スパイ小説 すクライマックスはなんといっ は、トレヴェニアン『シプミ』で ても座談会。しかも掲載分はあのす。抑制のきいた筆致で描かれる 熱量で完全版の五分の一にすぎま孤高の男、ニコライ・ヘルの姿 せん。続きは新春発売のハンドプ 、深い感銘を覚える一冊です ックをお待ちください ーカウェイ『エンジ もう一つは小鷹さん特集です エルメイカー』をようやく読み終 ご病気が発覚してからも、だれよ えました。七〇〇ページ越えとい りも激しく燃える創作エネルギー う重みすらも决楽に変わる、至福 に、編集会議のたびに圧〕の読書体験でした ド 0 、イ 1 月 2 B: バックナンバーのお知らせ ハヤカワミステリマガジン 2015 年材月号 ( 第巻第 7 号 ) 発行 2015 年材月 1 日 発行所〒・東京都千代田区 神田多町 2 ・ 2 株式会社早川書房 03 ( 3 2 52 ) 3111 ( 大代表 ) 発行人早川浩 編集人清水直樹 印刷所中央精版印刷株式会社 製本所株式会社フォーネット社 振替 00160 ー 3 ー 47799 http://www.hayakawa-online. CO. 一0 通信販売を行っております。税込定価に送料を添え「ミステリマガジン通販係」と 明記の上、切手・現金書留・郵便振替 ( 左枠参照 ) のいずれかにてお申し込 み下さい。普通号の送料は一冊円、二冊以上の送料・定価等につきましては、 直接係までお問い合わせ下さい。最近号の特集は、 2015 年 7 月号 = 最強 ! 海 外ミステリ・ドラマ・ガイド。 9 月号 = 幻想と怪奇乱歩輪舞ふたたび。 ※数字は月数 ℃ 8 年② ~ ⑩。℃ 9 年① ~ ⑩。 ' 10 年① ~ ⑩。 ' 11 年② ~ ⑤、⑦ ~ ⑩。 ' 12 年① ~ ⑩。第 3 年① ~ ③、⑤ ~ ⑧、⑩ ~ ⑩。物 4 年① ~ ⑥、⑧ ~ ⑩。 ' 1 5 年① ~ ⑨。 8 月現在の在庫 320 ミステリの話題
画、ミュ 1 ジカル、場末の三番館まで追っかけた。私はジ エームズ・キャグニーのファンだったが小鷹は「マルタの ードボイルドの岡 鷹」のハンフリ 1 ・ ボガートだった。あのアスコットタイ イ日、し はボギーだったんだと私は思った。小説はなんと言っても ロ ヘミングウェイのハードボイルド、フィッツジェラルド、 背負、つ男 山 ドス・ ハソスなどロスト・ジェネレーション。ミステリで はチャンドラ 1 だった。スピレインとジェイムズ・ケイン 選集が途中まで出ていた。古本屋の平積みにはまだ《新青 一九五七年に早稲田大学へ入った。文学部英文科。同じ年》のバックナンバーがあった。会うといつも映画とミス クラスに中島信也、後の小鷹信光がいた。地方出身者が多テリの話だった。当時、私はチャンドラーに入れあげてい 、学生服の生徒もいる中で、背広にアスコットタイなど たカ、小鷹はすでにしてハメットだった。今日ほど精緻で 巻いている彼の出立はちょっと目立った。子供つほい同級理論的分析ではなかったが、ハメットが一番ハードボイル 生の中にあって大人びていた。しかもポケットに洋書のペ ドなんだと言うようなことを説明した。高校時代にガード ーバック・ミステリをしのばせている。浪人時代に神ナ 1 の長篇を一冊訳したといって大学ノートを見せてくれ 田や渋谷でペイバ ーバックを漁ること覚えた私は同好の士た。習作だと言って小説も見せてくれた。ナイープな青春 らしいこの男に注目した。小遣は麻雀で稼いでいると豪語 月説で、あまりハードボイルドではなかった。 していた。昨今は斯界の聖人と言われているらしいが、出 一年の終り頃、清水聡 ( 式貴士、間羊太郎 ) 、大塚勘治 会った時の、強面の不良少年といった印象はいまだに抜け ( 仁賀克雄 ) などの呼びかけで、探偵小説の同好会、ワセ 「無頼のイメージだった。 ダミステリクラブが結成され、小鷹と一緒に参加した。後 同じような趣味嗜好を持った人間は何となく匂いで判 に《幻影城》を主宰する島崎博もいた。面白いメンバーが 、ードホイル るらしく、たちまち友人になった。私たちの世代に共通多かったが、本格派の愛好者がほとんどで、 しているのは、終戦と同時に禁制だったアメリカ文化 ド派は少数派だった。ガリ版刷の機関誌《フィニックス》 が一気に解禁となり身辺になだれ込んできたことだ。 に、彼が連載した「行動派探偵小説『小論』ーも、残念な 一九四〇、五〇年代の映画が東京中の映画館にあふれ、そことに仲間内でも余り評判にならなかった。非行少年小説 の洗礼を受けた。中学生の頃からだ。西部劇、ギャング映の分析からはじまり専門的過ぎたようだ。 工ッセイ ( 映像プロデューサー ) 290 小鷹信光ミステリマガジン創刊号
「子供の頃は外で遊んでばかりで本は読ん「ニック・ ーカウェイの『エンジェルメ でいませんでした。映画は家になどでイカー』や、ヘレン・マクロイの『逃げる 千本くらいあったので、週末には三本すっ幻』ですね」 観たりしていました。 ; 読書好きの母親がそ 未来解体 の状況を憂慮して与えてくれた児童書がロ アルド・ダ 1 ルでした。元気な子供が大人 をやつつけるような話が多くて、それにハ 筑摩書房の《ちくま》で書いてい マっちゃいました。『チョコレート工場のた短篇が、おそらく来年には本になるだろ 秘密』もそうですが、食べ物を列挙するとうという《小説推理》九月号で「分かれ ころがあって、なんの食べ物なのかわから道ノストラダムス」の連載も始まった。 ないけど、すごくおいしそうだと思ったり 「そちらもいすれ本になるかとそれと角 川さんでも少しすっ始めています」 中学に入ると、乃南アサさんや宮部みゆき さん、東野圭吾さんなどを読むようになり 二〇一〇年に佳作を受賞して一三年に初 ました。映画『張込み』の影響で松本清張の著書。そして一五年に第二作というべー さんを読み始め、愛読していましたね。ミスでこの五年間の作家生活を送ってきた深 ニスカ & ルーズソックスで松本清張緑野分は、今後についてはこう語る 「ときどき悩んだりもしますが、書いてい 【本格ミステリ】 るときはとても楽しいので、書かせて戴け 「読み始めたのは二十歳頃で、綾辻行人さるうちに、ハン、ハン書いていきたいですね」 んの『十角館の殺人』からです。佳作を戴 いてから読み始めた泡坂妻夫さんにも夢中 になりました。『Ⅱ枚のとらんぶ』が好き ですね」 【最近のお気に入り】 【註 1 】その年齢にもかかわらす、エリアスが飛行機に乗り遅れるシーンで大泣きした記憶があるという。【註 2 】「冒頭と 最後の一文は「レベッカ』のオマージュなんです」とのこと。【註 3 】その完成品を雑誌に掲載しなかったのは、作家とし てのイメージの形成を勘案しての判断たったという。【註 4 】アニソンを聴いて女子中学生になったり、洋画のサントラを 聴いて海外モードになったりとか。【註 5 】ペーカリーカンパニーというハンを焼く専門部隊の所属は判るか、テイムのよう に調理もすればレーション ( 糧食 ) も配れは戦闘もするような " コッグがどんな指揮系統なのかが、とにかく判らなかっ たのた。【註 6 】「風紋』が大好きで、高校生のときに「風紋』の冒頭をノートに書き写したこともある。【註 7 】マクロイ は『小鬼の市』をふまえて『逃ける幻』を読むと、ミステリ作家としての凄味がよくわかると熱弁を振るう。マクロイと双 璧をなすほど好きなのはシャーリイ・ジャクスン。 SF であれは、キジ・ジョンスンが気に入っていて『霧に橋を架ける』が 大好きとか。 迷宮解体新第 108
迷宮 解体新書 深緑野分 89 回 Meikyu Kaitai Shinsho インタウュ→文村」 : 貴史 第 7 回ミステリーズ ! 新人賞で佳作入選した表題作を含む 短篇集『オープランの少女』で、一躍高い評価を得た著者。 映画少女だった幼少期から、ミステリの書き手となるまでを語りつくす。 。新刊を 『戦場のコックたち 深緑野分 東京創元社 深緑氏の 1944 年、 19 歳で初めて戦場に降り立ったテイムは、 同年代ながら冷静で頭脳明晰なエドに誘われ、 合衆国軍のコック兵となる。彼と仲間たちは、気 晴らしもかねて戦場で遭遇した「ささやかな謎」 を解き明かそうとするが一一戦争と料理、そし て日常の謎を描く、著者渾身の初長篇。 深緑氏の 、→プンのの オーブランの少女 深緑野分 / 東京創元社 迷宮解薪を 102