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検索対象: ハヤカワ ミステリマガジン 2015年11月号
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1. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年11月号

いどころが悪かったか、そのときの自分の内面にああいう た気が向くか向かないかが最大の選別基準であり、読ま す嫌いがはなはだしく、一度も手を出さなかった作家、作ものを面白がる余裕がなかったか、理屈ではないのであ 品は数しれない 。気のすすまないものをいやいや読み、やる。要するにわたしは公正な読解力を必要とする書評家に つばりだめだったときの失望感がたまらなくいやだった はなれない人間だった。 だから冒険・スパイ小説というジャンルは、長い間視野 言うまでもないことだが、小説くらい読む者の感性と成 に入っていなかった。それがなせ手を出すようになったか 熟度で評価が左右されるものはない。傑作を傑作たらしめ というと、好みが偏りすぎて読むものがなくなってしまっ るためには読者の度量や教養に相等のレベルが要求され たからである る恥のかきついでにもうひとっ白状すると、ディック・ それでやむなく手をひろげたのだが、そのときもイギリ フランシスの『興奮』をようやく読んでぶっ飛んだのは、 スの小説は最後まで敬遠していた。上から目線というか 三十の半ばを過ぎたときだった。友人から「彼は面白い よーと薦められていたが、どうにも手を出す気になれなか ひとりよがりで、押しつけがましい論法がど、つにも性にムロ わなかった。この性に合わないとい、つのはどうにもならな った騎手上がりの書いた小説だというから、馬券小説の いもので、人見知りのようなものだから説明のしようがな類かと思っていたのだ。当時のわたしがその程度だったと いのである い、つことである ギャビン・ライアルを読んだときも、三十をだいぶ過ぎ デズモンド・バグリイは大のお気に入りだったが、アリ ステア・マクリーンは『女王陛下のユリシ 1 ズ』以下何冊ていた。結果としてはそれがよかったと思う。二十代に読 で か読んだけれどシミュレ 1 ション小説みたいで面白いと思んでいたら果たして面白いと思ったかどうか、途中で投げ っ どわなかった。、、 シャック・ヒギンズにいたっては最初に読ん出して以後見向きもしなかった公算のほうが大きいそう た いう意味でライアルの小説は大人の読むものであり、がき だ『地獄島の要塞』こそ「この作家は買いだ」と思ったも レ ア のの、傑作の誉れ高い『鷲は舞い降りた』は臭くて臭くの読む小説ではないのである そのころのわたしは商売が先細りでこれからどうやって ンて、どうにも読みすすめることができなくなって途中で投 ャ げ出した。 生きて行けばよいか、目処が立たないまま焦りまくってい 以後ヒギンズの小説は一冊も手にしていないなせこれるフリ 1 ライターだった。小説を書こうと試行錯誤はして 論 家 作 ほど毛嫌いしたのか自分でもよくわからないのだが、虫の いたが、方向性は見えていなかった。文章を書くしか能の 023 特集北上次郎責任編集くこれが冒険・スパイ小説たい / 資料と研究・エッセイ イを : を

2. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年11月号

二十分、ナイフをとって卵の頭を切りおとすときも、彼は慎重ってくださいって。それが最後のたのみだったというの」 であった。スプ 1 ンをおき、ウルプリヒト東独元首相の顔を切彼女は窓のそとに目をうっし、リューベックの高い家並みを 手図案にしたモーンドルフからの手紙を、外科医の精確をもっ ながめた。コールプ氏は立ちあがり、あごをぬぐって店のほう てあけるときも、彼は慎重であった。 へ行った。 「あなたの妹からよ」と、細君がいった。 「悲劇だ」と、彼はつぶやいた。レジスターのそばにネクタイ 「またなにかくれ、だろう」コールプ氏はこたえて、書きだし掛けがあって、すらりとたれさがっている。最近こころみには の一行を読む じめた別部門である。こうしたものも、クリスマスにはやって 「ちっとも遠慮がないのね」細君がいう みる価値があるのだった。十二マルク八十ペニヒ均一である 「こんどはお父さんのことだ」と、彼はいった。 彼は黒いのを一本えらび、自分の財布から金をかぞえてレジス 「病気だっていうんでしと、細君。彼女の義父は、どんな ターに入れ ( 彼はどんなことにもけじめをつける慎重細心の男 に考えのないことでもやりかねない人なのだ。 である ) 、食堂にもどった。 コールプ氏は、割った卵の横に手紙をおいた。「お父さん、 「たったいまから」と、彼はいった。「われわれは喪に服そ 死んだよ」そういってコールプ氏は、貼りかえた壁にかかって う」進水式でもはじめるかのようだった。 いる広告カレンダーにちらりと目をやった。「三日前だ」 「お父さん、こちらに埋めてほしいんですって」彼の妻はもう 彼は手紙をおしやりながら、少年のような涙をこばして泣き いちどいった。コ】ルプ氏は、遠い昔にいをはせながら、 はじめた。手紙は数葉にわたるのに、最初の一枚すら最後まですにぐったりと身をおとした。 読んではいなかった。コールプ夫人は、夫の手から手紙をとり 「こちらに埋めてほしいんですって」彼女はくりかえした。 あげて目を通した。最初は、なにか数字でもあたるようにゆっ 「とても許可にならない」はじめて彼女の声をききつけ、コー くりと、一一度目はまわりくどい公文書を読むみたいにうさんげ ルプ氏はそうこたえた。「なにやかやと大変な手続きだ」彼は に、そして最後にもういちど、ほんやりと、ある別の想念をか かぶりをふった。「もうどうにもならん」 ためるよすがとして読んだ。 彼女はなにもいわなかった。 「こちらに埋めてほしいんですって」と、彼女はいって、「リ 「冬の輸送はあてにならない汽車は国境に足どめをくうにき ューベックに」と、つけたした。「私たちにやってほしいんでまってる」というと、彼女もひとまず夫に同意し、「汽車なん すって」彼女はコーヒーをすすった。「西側の土にお墓をつく かとてもあてになりませんよ」と、あいづちを打った。 070

3. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年11月号

の事実が駆けだしの小説家だった私に、認識の変化をもたらしれが可能なパワーがあるように思えた。 た「こんな小説、自分でも書けたらいいな」が、いつの間に 1 ー「ルか青回 とはいうものの、いきなり冒険小説を書くのはハ か「書けるかもしれない」に変化していた 最初は短篇として、極寒の惑星を舞台に書いてみよう 不遜なことは承知している。マクリーンを侮るつもりもな と考えた。それが『惑星ー 8 越冬隊』なのだが、当初の思 寒さの点を別にしても、この作品が名作なのは強調してお惑では五十枚からせいせい七、八十枚ほどの長さにおさめるつ きたい。緻密なプロットとスト 1 リーテリング、そして登場人もりだった。ところが駆けだしの悲しさで、物語の長さを読み 物の個性的な造形など、どれをとっても一級品といえる。それ間違えていた。五十枚どころか、百枚をこえても終わる気配が にもかかわらす、当時の私は寒さの描写にひかれた。冬山の単ない結局四百枚の長篇になって、私にとって最初の著書とな った。 独行をくり返していたときの経験と、作中の描写を重ねあわせ ていたからだ。 それから三十年あまりがすぎたが、小説の舞台は寒い方が盛 厳冬期の山を一人で歩いていると、寒さの質が違って感じら りあがるという思いに変化はない。すべては『最後の国境線』 れる。山里とも街中とも違う寒さが、全身を締めつけてくる が発端だった。 しかも山中の寒さには、逃げ場がない暖房のきいた建物はも とより、風よけになる木々も見当たらない。身近な熱源は自分 の体温だけだから、油断すると何でも凍りつく。結んだ靴紐が 凍りついてほどけす、体温でとかしたことは珍しくない飯は 一気に食わないと石の塊と化し、結露をぬぐったバンダナは丸 めた形のまま凍りついている。風に乗ってさらさらと流れる粉 る雪は、あらゆる隙間に入りこんでコンクリ 1 トのように硬化し てしまう。ときにはテントごと埋められて、身動きがとれなく を なることもあった。 物 そのような経験を描写すれば、冒険小説の舞台として使える のではないか。冷静に考えればわかることだが、すべての点で 寒 な 先行作品を上まわっている必要はないのだ。そんな大傑作が、 っ簡単に書けるわけがない。ただ一点でいいから読者の記憶に残 て 凍 る描写があれば、支持はえられるはずだ。寒気の描写には、そ 最後の国境線 『最後の国境線』 The Last Frontier,1 959 アリステア・マクリーン 矢野徹 [ 訳 ] / ハヤカワ文庫 NV 東側の情報機関に妻子を人質に取られた弾道ミサイ ルの世界的権威ジェニングズ博士は、鉄のカーテン の向こうに消えた 英国情報部員レナルズ大 尉は博士を救出すべく、単身ハンガリーへ潜入。そ んな彼を待っていたのは、残酷な秘密政治警察 AV 0 の魔手だった。極寒の大雪原で繰り広げられる壮 絶な死闘を描く、冒険ロマンの最高峰。 043 特集北上次郎責任編集くこれが冒険・スハイ小説た ! ) / 資料と研究・エッセイ

4. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年11月号

働第五回 ・アガサ・ クリス一 1 賞己 直 選評 ※選評という性質上、作品の興趣に触れている 箇所もございます。ご了承ください。 もてる人だと感じた。 受賞作となった『うそっき、うそっき』はチャーミ ングな設定で、独自の世界観の中で遊ばせてもらっ サイレントキラー』は水準に達しているが、惜し いことにいま一つ踏み込んだ魅力が感じられなかっ た。ただ、あのような世界を構築する筆力には感心し た『ミセスと西瓜の謎』は入り組んだ物語が最後 まで飽きさせす、若い男女の人間関係も複雑に絡み合 面白く読んだ。『セイブ・ザ・クイーン』は趣向 昨夏に思いがけす腰椎圧迫骨折というアクシデント に見舞われ、長距離の移動が叶わす ( デブですいませ ~ が勝り、非常に不自然なわざとらしい世界観と思え 誠、残】た人によってはこういう作品が面白いのだろうが ん ) 、今回はやむなく書面での参加となった。ご一に 念なことであったが、 候補作を読み味わう幸せは十分残念ながら私の肌には合わなかった。 に味わうことができた。 以上、ざっと感想を述べてみたが、前述したように クリスティー賞の選考は昨年に続き二度目となる ~ それぞれに明確な世界観が出来上がっており、全体的 が、今回は全体的にハイレベルだったという印象が強 ~ に高水準で粒ぞろいであった。クリスティ 1 賞も五回 ヒ , たっ 目となり、やはりこうした企画は継続が大切なのだと 中でも私が最も推したのは『桜咲く頁こ』 た。物語の組み立て、文章の運び、新人らしからぬ筆 ~ しみじみ感じたことであった。他の選考委員の感想を 生で拝聴することができなかったのはかえすがえすも 致で安心して読み進むことができた。気象予報官とい う職業をより詳しく知ることができたこと、新しい知 ~ 残念であったが、候補作から発散されたミステリへの を得たのも楽しいことであった。今回惜しくも賞を ~ 情熱ははなはだ熱く、今後への期待を抱かせるに十分 なものであった。 逃したが、 このまま書き続けていけば、将来に期待が 6 ヘーシより SELICT COMENT Naomi Azuma ( 作家 ) 092 ミステリの話題

5. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年11月号

ェッセイベイバーバックを読んでいたあの人 研究発表の内容を僕は最初から最後まで読んだはすだ少なかっただろう。しかしいまでは、さまざまな実地の体 が、内容も、そしてそこから受けたはすのなんらかの感銘 験の数限りない集積体ではないか。 も、覚えていないしかしひとつだけくつきりといまも記 次の年に小鷹さんは卒業して有能な新入社員となった。 憶しているのは、ペイバ ーバックの表紙の写真を効果的にその年のおそらく七月、神保町の路地で斜めに向かいあっ ヾックを イラストレ 1 ションのように使いながら、所期の目的を達ていた二軒の、東京で最後の、主としてペイバー していくという文章のスタイルの原型が、ものの見事に出売っていた、洋書専門の露店で、僕は小鷹さんと知り合う 来上がっていた、という事実だ。もちろん、そのときはそこととなった。初対面の会話を交わしていたとき、学園祭 んなことを知る由もないのだから、ここでもそれからの の共通教室でオー ーコートを着てフロアにすわり、ペイ ーバックを読んでいたあの人だ、と僕は気づいた 五十余年という時間の経過が、物事の核心として浮かび上 がってくる、とい、つしかけだ。 この教室のなかで、僕は小鷹信光さんを、見かけてい る。共通教室の通路側の壁に背中をもたせかけ、フロアに じかにすわって、白面の青年がひとり、ペイバ ーバックを 読んでいた。こういう人もいるのか、と僕は思った。なせ ならその頃の僕は、主として世田谷のあちこちの片隅にあ った古書店で、アメリカのペイバ ーバックを、見かければ かたつばしから買い、その数は小さなひと部屋を埋めるほ どになっていたからだ。研究発表の白い紙に貼られた白黒 の写真を順に見ながら、これは持っている、これもある、 などと思った自分を、僕はどうすればいいのか 白面の、という言葉をついさきほど僕は初めて使った。 文字どおりの、色の白い、という意味に加えて、年の若く 実地の経験が少ないこと、という意味もあると国語辞典で 知った。大学生の小鷹さんは色白だった。いまの彼を色白 と評する人はいない実地の経験は、当然のこととして、 △のちに片岡氏 ( 写真中央左 ) と小鷹氏 ( 写 真中央右 ) 、水野良太郎氏 ( 左端 ) 、広瀬正氏 宀 ) を ( 右端 ) とが、一ラトを組むことになる創作 く学生時代の小鷹氏 289 小鷹信光ミステリマガジン創刊号

6. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年11月号

みられる 彼自身によるロラツ・バルト』からの題辞 また、以前取り上げたレーモン・クノーの最初の長篇小説『はま 読者は最後にまたいにの作品の題辞として選ばれた、『彼自身に ヾレ よるロラン・ むぎ』 ( 一九三三 ) における、ピエール・ル・グラン ( これはピョ 《下』 ( ごの小説の前年に刊行されたばかりだっ ートル大帝という意味の名前である ) とナルサンスとの対話を、こ こで引いてみよう 〈以下はすべ。′ の→登場人物の発言とみなされなければなら ( い当たる 「〔・ : 〕あと何日かはここにいますよある男を見張ってるん が意味してを ) をに でね」 この題辞。 こ、ほとんど真っ白な第一ページのあと 「へえ。小説家 ? 」 に、じつはさきはど紹 「いや。登場人物」〔拙訳〕 〈ドウ「はロを帽 ~ 第語チーじめた〉 という一文だけの、やはりほとんど真っ白なペ 1 ジがつづいている のだった。 同じ小説の結末で、主人公 ( いちおう ? ) であるエティエンヌ・ マルセル ( 一四世紀の英雄的パリ市長と同じ名前 ) 、サテュルナ この〈ドウマはロを開き、語りはじめた〉に類する文は、小説の なかで、ドウマやアムドが自分の物語を語りはじめるたびに登場すン・べロテル、シドニ 1 ・クロシュ ( 別名エトルリア女王ミス〔の ちミシズ〕・オーリニ ) が、彼らが住んでいる書物 ( つまり『はま る。小説の最終章を読んだ読者は、、 しま私が引用した冒頭の文とと もにその最終章が枠を形成し、その枠だけが小説世界のなかで実際むぎ』それ自体 ) について、以下のような会話を交わしている の世界としての物語階層であるという可能性を知る。主人とその少 年語り部との冒険全体が、ドウマ老人による長い引用あるいは作り 「それはあたしが発見したんじいよ」と女王が言った 話にすぎないらしいのだ。 「本に書いてあ 0 たのさ」多。 「本 0 て ? 」とさまよえるふたの元帥が訊くと、 転説法的意識。 「そりゃあ、これさ。いまみんながいるこの本、だれかがなに か言うたびにそれを繰り返すこの本、あたしらのあとを追っか この連載で数多くの作例を挙げてきた物語階層違犯 ( 転説法 ) の けて、あたしらのことを物語ってるこの本一あたしらの人生に 戦略は、存在論的パラドックスの意識に支えられている 押しつけられた本物の吸取紙のことさ」 たとえばポルへスの『伝奇集』に収録された「円環の廃墟」 ( 一 「ますます変な話だな」とサデルナンが言う。「時が経つに 九四〇 ) の主人公は、最後に〈おのれもまた幻にすぎないと、他者 がおのれを夢みているのだと悟った〉 ( 鼓直訳 ) 。、をのような意識 0 れ《〈なが生《出され本がすぐさまそ 0 ち 0 ち はまた、自分が虚構の人物であると自覚して〔る人物たちにも ゃな金釘流でそれを捉えるのらそ、ナいうものだ 0 てのも変 エピグラフ 217 幻談の骨法

7. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年11月号

は識字障害かと悩んだところ、悪訳を通り越し、日本語が満足に書れてロサンジェルスへ旅し、この先がないほどがっかりさせられた けないことで有名な翻訳家のせいだと早川書房の人から聞かされ、 私には、ここに描かれた香港が決して現実の香港ではないと分かっ 妙な安心をしたものだ。 ( 近年、これもまた映画化のおかげなの ていたが、現実より『本当』の町を描き出す術があるのだと知っ か、村上博基さんの再訳で蘇ったのはご承知の通り近年にない朗た 報だ ) 二度読み直した挙句、初めて日本に帰る気になった。何かを書き たいとも思っていた数え直してみると、まだ二十八歳だった。 三部作の二作目、『スクールポーイ閣下』が翻訳された年、私は 最初の本の印税を握りしめ、ニューヨークに逃げ出した。もとより その三年後に翻訳された「スマイリーと仲間たち』の最後の数行 で、今回も生き延びた冴えない小役人と共に、さらに打ちのめされ 小説家になどなる気はなく、黄金期日活の不良映画のシナリオのつ ることになるとは知る山もなかった。 もりで書いたものを、『青春小説』だの「ハ 1 ドボイルド』だのと 評する世間に何やら居心地悪い思いがあった。 「ジョ 1 ジ、きみの勝ちだ」 イギリス人の皮肉は体に堪える 二年は暮らすつもりでアパートを借りたものの、酒を飲みすぎ体 を壊し、バカなことで印税も消えてなくなり、ついに宿無し、旅客 機内で知り合った人のサンフランシスコの家に厄介になり、療養せ ざるを得なかった。 なせトランクの底に、あんなに厚く重い本が入っていたのか分 からない。 ともあれ、それは兎の巣穴に墜ちた小娘が見つけた TDRINK ME 』の小瓶のように存在感を一小した。 読み出すと止まらなかった。たまたまプ 1 ルサイドで読み出した ため、五月だというのに、その夜は日灼けで寝返りを打つのもまま ならないほどだった。結局眠らないまま読み切った。 グレアム・グリーンやアントニ 1 ・ 1 ジェスの描くイギリスの 不可解、『連合王国』の不可解を一気に氷解させる奥深さがあっ た。植民地香港在住の落魄貴族、少々くたびれた万年青年と、破産 人 役 組織ではからずも出世してしまった永遠の小役人の対立を通して、 戦後社会のプレイヤーとしての英国を描いていた。同時にそれは、 路キングアーサ 1 とランスロット、卑しい街路における黒騎士と白騎 士の戦いでもあった。 し その街路の描写が素晴らしかった。フィリップ・マーロウに騙さ 矢作俊彦 / 司城志朗 イい ノッラニタ 『サムライ・ノングラータ 矢作俊彦、司城志朗 SB 文庫 1892 年、元海軍士官の鹿島丈太郎は密命を受け、 ハワイを目指して仲間とともに客船ヴェルマ・ヴァレン ト号に乗り込む。ハワイ王国はアメリカの植民地政 策の前に風前の灯。その命運を握る王女を救うため、 ・「海から来たサムラ 波乱万丈の航海が始まった イ」を大幅改稿。 049 特集北上次郎責任綟集くこれか険、スパイ小説た ! 〉 / 資料と研究・エッセイ

8. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年11月号

小鷹信光ロング・インタヴュー と、最初の三ペ 1 ジくらい、単語にびっしりそれがありがたいな、と 刷ってくれたものを、切って貼りこんで、完 訳語か書いてあるようなのにぶつかるでし 作品の発表の場という活用の仕方。 成させたんです。卒論指導の先生はまったく よ。そういう読み方では、絶対に読みに ハードボイルドものの研究はかなり入の専門外でしたが、褒めてくれましたよ。題 はなれない。挫折しちゃう。私の英語は日本れこんでいたから、書けばみんながちやほや名は『現代アメリカ未成年者犯罪小説論』。 の英語教育の軌道にはまったく乗ってませしてくれたりするのも、嬉しくないといって当時からハリウッド映画にあった明るい学園 ん はウソになるよね。まあ、それほど、この分コメディの世界には行かないんだよね。私ら しかし、最後は大学二浪になってしまっ野にのめり込んでいたんだ。 しいでしよ。 た。不良の代償はあったんだけど、それも口 自分の目の前にいろんなエンタ 1 ティンメ 、、ードボイ この頃から始まった本格的な / ーン・ウルフでいることができたんだから、 ントがあらわれて、集中力が散漫になってき ルド文学研究の軌跡も、『私のハードボイル 良しとしなければ。 ード亠小 - ・イルドに た感じもあった。とにかくハ ド』に詳しいですね。大学ニ年生のときに、 集中して、それ以外はあまり見ないようにし《マンハント》誌が創刊されたのにも大きな からかたぎの医学書院へ よう。それで、どんどん研究を深めようとも影響を受けたわけです。 かいてましたよ 小鷹投稿とか盛んにしてました。それで、 一九五七年 ( 昭和三十ニ年 ) 早稲田大学 そんなことやっていると、授業もあまり出一九六〇年二月号の《マンハント》の読者座 第一文学部英文科に入学。すぐにワセダミスなくなっちゃう。フランス語は恐怖だったな談会に出ることができて、編集部に知遇を得 テリクラブ (B>O) に入られたんですか ? あ。最後まで単位が取れす、卒業が危うかっ たわけです。それが縁で一九六一年の新年号 小鷹英文科のクラスメイトにのちに東京た。今でも、単位取りこばしで卒業できない から、『行動派探偵小説史』の連載を始めさ 肥チャンネルに行った野村光由さん、同じく と焦る夢をみます せてもらった。小鷹信光というべンネ 1 ムの 日本テレビに行った山口剛さんがいて、たぶ それでも四年間で卒業できた。ある種の登場です ん剛さんが、こんなサークルがあるといっ奇跡ですね。僕が O と交流を始めたとき ペンネームの由来 ? 初めて公けにしたん て、連れて行ってくれたんだと思う。 は、当時ですでに八年生だった・ O さんが だけど、七月に出た《 ln The C 一 2 》って雑 でも、 O ではサロン的な活動はしなか いたりして、こっちはそ一つい一つ人たちばかり 誌 ( ビ 1 ムス刊 ) の特集に出ているか ったし、合宿とか早稲田祭への参加とか、そと思っていましたもの ( 笑 ) ら、そっちを見てもら、つのがいいかな ういうことはほとんどやらなかった。集団行小鷹卒論も《フィニックス》のおかげ当 一九六〇年、一九六一年というのは安保 動、何かにくみするというのが性に合わな時、映画の「暴力教室」があって、アメリカ問題で政治の季節だったと思いますが : いただ、《フィニックス》 ( 刊行当初はフェ の学園でジュブナイル・デリンクエンシー 小鷹それはなんとなく、やりすごして、こ ニックスではなくフィニックスだった ) とい青少年非行が問題化していた。その動きが反っちは就職活動に入ったわけ。出版社とか新 う同人誌があって、原稿を書くと、誰かがき映されたを読んでまとめたんだけど、文聞社を受けたけど、入れなくて最後に受かっ れいにガリ版切ってくれて、載せてくれる 中に使った表なんかは、《フィニックス》でたのが医学書専門の医学書院。一九六一年四 313 小信光ミステリマカジン創刊号

9. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年11月号

ファン層については詳しくなかったが、と大きな違いはな いのだろうと短慮にも考えていた。不用意にファンの前で「冒 険小説を書くつもりです」などと口にした途端に、読書経験を 根ほり葉ほり問いただされ、ガジェットとしての銃器類につい 〈ロ甲月て洗〔ざら〔知識を吐きださせられるーー夫げさにえば、そ んなことを考えていた だから自分には、冒険小説には手が出せないと思いこんでい た。そのころはの仕事を始めたばかりだったから、やるべ きことは山ほどあった。準備期間だけで十年余の年月を、冒険 小説につぎ込む余裕はなかったともいえる。と冒険小説の 両分野で傑作を発表しておられる先輩諸氏のことは知っていた 自分に冒険小説が書けるとは、思ってもいなかった。 が、非才な我が身には荷が重すぎる。二兎を追う結果になって このことについては、根本的な誤解があったようだ。小説を も困るので、大人しくのフィールドで足場をかためること 書くことは、からはじめた。にかぎったことではない に専念した方がいい そう考えていた が、ジャンル小説には多くの約東事がある。先行作品の読破は ところがそこで、たまたまマクリーンの『最後の国境線』を もとより、舞台となる世界や小道具についても広範な知識が必手にとった。一読して驚いた。寒かった。それはもう、ひたす 要とされる。の場合は、準備期間として十年あまりをつい ら寒かった。冒頭の逃亡シーンからして、凍てつくような寒気 やした。自分なりにを理解した上で、実際に書きはじめる が行間から漂いだしてくる驚く以上に衝撃を受けた。先入観 のにそれだけの時間が必要だったといえる。この点が不充分だ のせいだ。それまで何となく「冒険小説は暑いところが舞台」 と古手のファンに酷評され、知識不足を指摘された上でという思いこみがあったからだ。漠然とした印象ではカリブ海 散々に叩きのめされると考えていた。 で海賊が活躍したり、陽炎のたっ砂漠を駱駝で横断するような 無論これは私の思いすごしで、新しい書き手に対する許容度話だと思っていた。その思い違いを『最後の国境線』は、もの は想像以上に大きかった。ただしそのことに気づいたのは、かの見事に打ち砕いてくれた。 なり後になってからのことだ。ところが当時の私は、勘違いに 息もつがすに読みすすめて、ふるえる思いで最後のページを 気づく機会もなかった。はじめて自作が商業誌に掲載された直閉じた。読みどころは多々あるものの、それらを圧倒するほど 後だから、 いまから三十年以上も前のことになる。冒険小説の寒さの描写は際だっていた。しかも効果的に使われていた。そ 凍てつくような寒気が 物語を熱くする ( 作家 ) 042 特集北上次郎責任編集くこれか冒険・スパイ小説たい / 資料と研究・エッセイ

10. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年11月号

れがよかった。電車乗り継いで、学ピで番組のアイデア出しみたいなア年代の初めには、クライアントの受コピ 1 ライターやアートディレクタ ーは、個人作業が多くなる。わたし 校に行くんだけど、途中池袋というルバイトやっていたわけ。スペ 1 ス付に「押し売りと代理店お断り」な 街を通過する。そこで高校生はみんオペラを日本に導入した野田元帥、んて張り紙がしてあったりするとこはコマ 1 シャルを中心にする仕事だ ろもあったから、花形という感じでったので、どうしてもチームワーク な不良になっていく ( 笑 ) 。西口の野田昌宏さんが声をかけてくれた。 になるわけメインの企画、アイデ 立教側の闇市がまだ息をしていた で、卒業を前にしてフジテレビに行はなかったんじゃないかと思う 鏡新宿高校もなかなかの環境でしきたいって言うと、スタッフのみん小鷹おれも最初は会社勤めしたんア出しの部分は基本的に個人作業に たよ ( 笑 ) 。高校の裏が旭町ってド なに反対された。番組の構成やりた だ。新聞社系、出版社系、あちこちなるけれども、スト 1 リ 1 ャ街一歩手前。やばいんだ。毎年マければ、ひとりでやったほうがい落ちて、最後に受かったのが医学書まとめるときには二人か三人で考え ラソン大会があって、でも、グラウ 仕事出してやるから、と。番組院。組合活動が盛んでね。その年のることが多かった。考えたストーリ ンド狭いから、その練習で学校の周制作を局がやらすに、アウトソーシ春闘ですぐに給与があがった。それ 1 ポ 1 ドを絵にしてもらったりする 囲を走る。ただ、午後五時過ぎたらングするという転換期だった。でで入社した四月のうちに結婚したん行程はあるけれども、代理店の作業 危険だから女子生徒は練習禁止、とも、自分で会社を始めるというのがだ。いわばかみさんのおふくろさんとしては、総責任者のクリエイティ かいって プ・ディレクターを含めて三人とか 何か違う感じがして、一応は真っ当に銃を突きつけられて ( 笑 ) マンやってみても、 マン時代っ四人ぐらいのチーム。少ないときは 4 鷹そうして早稲田大学に入っなサラリー しいカ鏡じゃ、独身サラリー てほとんどないんだ。 二人とか自分だけとかいうこともあ た。まっすぐを目指したの ? と思って、野田さんたちに聞くと、 ったな。自分たちは、コピーもアー 鏡《マンハント》だと思うけど、広告代理店に行けと言われて、そん小鷹たった三週間で、ようし、 トディレクションも自分でやってた なもののことは聞いたことも無かっ仕事と外での物書きと両立させて、 投書欄に 0 の人が投稿してい て、それでサークルの存在を知ってたけれども、とりあえす、大学の就いっか物書きの副収入が給料を超えから、そんなものだと思う。これを いたんだと思う第一文学部の社会職課で訊いたら電通と博報堂の二社たら、フリ 1 になろうと思ってい実際のコマーシャルに仕上げるとな 学。もともとは理系志望だったんだが大きそうだ、というので受けてみた。それで六年目にとうとうそうなると、撮影や編集、音楽とかはいっ ったんだよ てくるから、延べで言えば五十人近 けれど、最初の入試で失敗して、こた。 鏡そういう風に考えられるのは偉いチ 1 ムになるんじゃないかな、コ 光れは無理だと思って、すぐ文系に変小鷹すでに花形産業だったの ? 信旧えた。 いなあ。やつばり自分にはフリーラアのメンバ 1 だけでも十数人にな 鏡どうなんだろう。自分は知らな かった。すいぶんあとで気づいたんンスへの憧れは無かったし、会社がる。ちゃんと数えてないけど。だか ら成功すると、何人も「おれがやっ だけど、テレピ番組の「奥様は魔駄目でもなんとか食っていけるとい 海外渡航百ニ十回 た」と吹聴する人が出てくる。逆だ 女」の旦那さんて、広告代理店勤務う妙に醒めた部分があって、そうい ¯)<—J 累積搭乗百万マイル 明 と誰も出てこない。成功しなけれ の営業。欧米の代理店では、営業とう風にならなかったもの 鏡 いうのは駄目な仕事の代表という小鷹チ 1 ムで遂行していくというば、存在できないそこがあの仕事 小鷹就職が電通。あまり裏街道の の素晴らしいところだと思う。成功 ところがある。あ、・、こういう設定仕事も影響しているでしよう。 談マンハント的じゃないね ( 笑 ) けっこう職種で違いがあって、しないと駄目というプレッシャーが 鏡大学三年くらいから、フジテレか、と。自分が社会に出た一九七〇鏡 295 小信光ミステリマガジン創刊号