見えてくるものがある。自らの脳で能動のは面白い。ヒトはあるものに満足でき 的に補うことで、世界が広がり、満足度ず、欠けているものに注意を払い、それ も高まるのだろう。こちらは主観的輪郭を補おうとして、科学・技術を発展さ と異なり、その人の能力や経験、そのとせ、一方で、不満や不幸も引き寄せてき きの気分にもよって、見えてくるものがたのだろう。 違ってくる。 「指月布袋画賛」で、もうひとつ重要 そもそもヒトは、足りないものを補うなのは指さしだ。布袋さんの指した月を 動物であるらしい。芸術認知科学者の齋見上げて子どもが喜んでいる。だが、こ 藤亜矢によると、片方の目が描かれていの指さしの意味が理解できるのは、人間 ないチン。ハンジーの顔の線画を子どものだけという説がある。人間に飼われてき 前に提示すると、二歳半から三歳の子どた大などのペットにもできるという説も もは「おめめがない」と言いながら、なあるが、かってわが家にいた愛大は、つ い目を描き入れるそうだ。円がうまく描いぞ指さしを理解することはなかった。 けない幼い子どもでさえ、何か描き込んえさがその先にあるよと指し示しても、 で、「おめめかいた」と満足するという。指先にのみ注意を払い、えさの方を見よ すみしげ もたらすことを、知覚心理学者の鷲見成一方、同じ絵をチン。ハンジーの前に差しうとしない。視線を大とえさの間に繰り 正は「未完の完」という美しい言葉で表出すと、描かれていない目を補うことは返し移動させて、えさのありかを教えよ 現した。未完なのに、いや、未完だからせず、描かれている方の目にしるしをつうとしても、単に視線を反らしたり合わ こそ、完全なものが得られるというのでけたり、顔全体を塗りつぶしたり、額のせたりしているのだと思うらしく、こち ある。世阿弥も「秘すれば花」と述べ、生え際をなぞったりするという。チン。ハ らの目をじっと見て、視線の先のえさに 芭蕉の「言ひおほせて何かある」と言っ 目を向けることはなかった。もっとも、 ンジーは「あるもの」に関心が向かい、 た。足りないからこそ、鑑賞者が補い、人は「ないもの」に関心が向かうという買い主も教典や文献には関心をもって まさ 図 2 セオドール・パークス「主観的輪郭」
二〇一六年の中秋の名月は九月一五日家は雪隠か来る人ごとに紙おいてゆの表情は何とも柔和で、また、諸手を挙 せんがいぎなん の夜だという。今月は仙厓義梵の描いた く」という歌を残しているほど依頼が多げて笑っている子どもは本当にうれしそ 観月の絵を取り上げ、画中の人物とともかったようだ。四十代、五十代は寺の再うだ。 に、描かれていない月を、めでることに建に尽くし、六二歳で隠居すると、画風ふたりが月を見ているとわかるのは、 しよう。 が一転したという。確かに、若い頃に描 . 賛に「お月様いくつ、十三七つ」と書か 仙厓は臨済宗の僧侶で、軽妙洒脱な褝いたとされる水墨画は写実的で、丸山派れているからである。この歌は子守の 画を描いたことで知られる。一七五〇を継いだとも狩野派を継いだとも言われ「遊ばせ歌」だというが、私も子どもの 年、美濃生まれ。一一歳のときに地元のるそうだが、仙厓と聞いて思い浮かぶの頃、この歌を歌いながら、鞠つきをした 清泰寺で得度を受け、二度の諸国行脚のは、やはり軽妙洒脱な、というより、戯思い出がある。この歌はさらに「まだ年 たっちゅう あと、三八歳で京都の妙心寺塔頭の推薦れ絵のような、禅画だろう。彼は八八歳若いな、あの子を生んで、この子を生ん により、源頼朝が開いたとされる日本最で没するまで多くの書画を残している。 で、誰に抱かしよう、お万に抱かしょ 初の禅寺、博多の聖福寺に移り、三九歳「指月布袋画賛」 ( 図 1 ) は七福神のひと う、お万どこへ行った、油買いに茶買い のときに寺を継いだという。若い頃からり、 布袋さんが月を指さし、子どもが一に : : : 」と続いていく。「お月様いくっ 絵がうまく、「うらめしやわがかくれ , 緒に喜んでいるという構図である。布袋十三七つ」の意味は、一三と七を足して 心理学者の 美術館散歩⑨ 心の観月会 ーー仙厓の指月布袋画賛 三浦佳世
岩波書店 / 新刊・既刊 好評既刊 ◎いまあらためて警銀を鳴らす ! 反原発の研究者からのメッセージいまだ収束しない福島第一原発事 故の現状と今後は ? 放射能汚染頌 「新聞うずみ火」連続講演 9 といかに向き合えばよいか ? 再 稼働の問題点とは ? ーーー 「熊取← 六人組」として知られる研究者た加 0 咽 熊取交組原発事故を斬る 製 0 般会発 ちが、それぞれの視点から真実を並 1 2 一社 語った連続講演会の記録。 マ体劇囲 今中哲ニ・海老澤徹・川野眞治・小出裕章・小林圭ニ・瀬尾健 本国竕・ ー岩波現代全書 人はなぜ求道のために身体を酷使 するのか。比叡山、石上神宮、臨頭 済褝など、神道・仏教からキリス田 一打と一一一一口印 イイト教まで、宗派を問わず信仰の現 J ノ円書 場におもむいて荒行に参加する体功 0 悩 売 ー変わるからだ変わるこころー 験を通して、日本人にと 0 ての「聖→発 判 ( ふじたしよういち氏は、ノンフィクションライタ↓なるもの」のありかを追求する。 藤田庄市 本 ・岩波現代全書 ー近代日本で子どもはいかに文化の 担い手となったのか。音楽と文芸頁 とのせめぎ合いのなかで、「童謡」四 童謡の近 、イを大衆文化〈と発展させた北原白 J ノ円書踏 秋、鈴木三重吉らの活動を追い、カ 0 舞 ーメディアの変容と子ども文化ー 歌声文化の魅力と変容を雑誌『赤並 ( しゅうとうよしき氏は、東京大学大学院情報学環特任助教 ) い鳥』とメディア産業に探る。 周東美材
豊かな、わかりやすい、まっすぐな、 い、と感じ続けていた子供は、生きるこてしまうかもしれない本です。」 美しい、優しい、無数の世界がその向こ この言葉。 とをどこかで諦めていたかも知れない。 そうなのだ、児童書はまた大人のためうにある。私はいつでもその世界に帰る 今も私の中には、たくさんの世界があ ことができる。好きなだけ遊び、冒険を る。子供の私を救ってくれた本の中の友の本でもあるのだ。 達たちは、大人になった今でも、私の良子供向け、という言葉は、幼稚な、子楽しみ、ゆっくりと休んで、こちら側に 供だましの、未熟な、劣った、という意戻ってくる。 き相談相手だ。 味ではない。むしろ、豊かな、わかりや子供の頃に覚えたこんな贅沢な旅行 が、今の私を作っている。 「こんどまたものがたり」のあとがきすい、まっすぐな、美しい、優しい、が にある、 正しい。 「これは、小さな子どものための本で子供の心にまっすぐ飛び込んでいく物だから三度目になるが、これを締めの 語は、大人の心にだって届く。子供の柔言葉としておこう。 す。 しかしまた、大きな子ども、いえいらかい心を支えた言葉はい大人のすり切三つ子の読書、百まで。 ( いけざわはるな・声優・エッセイスト ) え、もしかしたら、大人たちをもまた、れた心にも寄り添ってくれる。 つい、ひきずりこんで、につこり笑わせたくさんの扉は、今も私の中にある。 館 ~ 堕落と復興の近代中国仏教チベット聖地の路地裏置一 日本仏教との邂逅とその歴史像の構築 正メ 八年のラサ滞在記 エリック・シッケタンツ著 村上大輔著 8 0. 去われわれが知る「中国仏教」は日 聖と俗、政治的抑圧下で生きる 本人が描いたイメージだった。最 聖地ラサの人々の精神風景を、多 新の研究成果を踏まえ、アジア仏 数の写真とともに気鋭の人類学 の 0 教 0 教史研究の視座とその前提を問 ニ、四〇〇円 + 税 者が描く。 五、〇〇〇円 + 税 い直す。 〒 第第と復興り 近代中国仏れ ト地
も、教典の指し示す悟りを獲得するにはたいものを指し示しながら、振り返って呼ばれ、一筆でいっきに円を描き、心や 至らないのだから、この飼い主にしてこ人に伝えようとするにはさらに時間がか宇宙、悟りや真理を表すとされてきた。 の愛大ありなのだろう。 かり、対象が目の前になくてもその方向仙厓もしばしば円相を描いているが、そ ヒトも最初から指さしが理解できるわを指させるようになるには一歳半までかの横に「これ食ふて茶まいれ」などの賛 けではない。指された方向を見ることが が人っている ( 図 3 ) 。「この絵は円相な かる。視線の理解もほぼ同様である。 できるようになるのは生後八ー九カ月に面白いことに、この指さしゃ視線の意どという小難しいものではなく、単なる なってからである。自分の欲しいものを味が理解できるようになると、相手にも饅頭を描いたものだよ」と、脱力や休憩 指し示し、相手に知らせることができる自分にも「こころ」があることに気づくを勧めるようでもあり、一方、悟りや真 ようになるには一年かかる。自分が伝えようになるという。目には見えないけれ理は飲み込んで、身につけてこそのもの で、いつまでも目の前の見える形にとら ども、感じたり考えたりする心がある、 そのことがわかるのに、指したものと指われていては悟りには遠い、円すなわち されたものの関係を理解できることが前心が消えて初めて、悟りに至ると、伝え ようとしているようでもある。 提だというのは興味深い。 「指月布袋画賛ーの絵の中の子どもの仙厓の魅力は飄々とした描き方の中 喜びは、心の存在を発見した喜びかもしに、いくつもの答えがあるような奥深い れないし、人と物事を共有し、共感でき謎を仕掛けてくるところにもある。「秘 ることを知った喜びかもしれない。悟るすれば花」は禅問答の神髄でもあるのだ ということは、改めて心のありように気ろう。 ( みうらかよ・心理学 ) づくことなのだろうか。 古今東西、人の心 ( ミクロコスモス ) や 宇宙 ( マクロコスモス ) はしばしば丸い形 で表現されてきた。褝画では「円相」と 図 3 仙厓「これ食うて茶まいれ」
二〇、つまり二〇歳で子どもを生むといのである。教典 ( 指 ) は仏の教え ( 月 ) を指線が示されていないにもかかわらず、そ う意味だという説もあれば、満月に見えし示すが、教典 ( 指先 ) ばかりを見ていたのためにかえって輪郭がはっきりと見え る十三夜の月は七つ時、つまり午後四時ら教え ( 月 ) は自分のものにならず、悟りるような場合を指す。図 2 ( 右 ) には丸い 頃のまだ明るいときに上ってくることをは得られない。見るべきは指先 ( 教典 ) で月、というより明るく白い太陽のような 完全な円が浮かび上がって見えるだろ 意味したものだという説もある。いずれはなく、月 ( 仏の教え ) そのものであり、 う。だが、どこにも円を表す輪郭線は描 にしても、月満ちる喜びの歌ではある。 月そのものを直接見ることができれば、 「指月布袋」はしかし、月を指して喜こんなにも嬉しいものだ、というようなかれていない。面白いことに、中央で途 切れた線をつないで、ジグザグをつない んでいるだけの絵ではない。実は、月は内容が描かれているらしい。 そうだとすれば、月が画中において明でしまうと ( 図 2 左 ) 、丸い円形は浮かび 仏の教えを意味し、指し示している指は 仏の教えを説いた教典を意味するという白に見えては困る。といって月が推察さ上がらなくなり、見かけの明るさも落ち れるものでなくてはならない。仙厓は賛てしまう。線が途切れていることが重要 を利用して、それを巧みに実現させてみなのである。絵を充足させると、人には せた。つまり、文字に囲まれた余白が月描かれたものしか見えなくなる。足りな 賛 になっているのである。できの悪い「主いところがあると、そこに注意が向き、 画 袋観的輪郭」とでも言おうか。できがよす人の脳は「ないもの」を補い、その結 月ぎると、月がはっきりと見えてしまうの果、形が現れる。主観的輪郭で面白いの で、これくらいがちょうどよい。悟りはは、それぞれの人がそれぞれの脳で勝手 厓 仙 目で見るものではなく、心で見るものでに補った形が、誰にとっても同じものに ある。その意味でも、主観的輪郭はよいなる点だ。見えない形を生み出すヒント 図 が、それ以外の形を見ることを許さない 選択だ。 「主観的輪郭」とは心理学用語であつようになっているからだ。 て、「錯視的輪郭」とも呼ばれる。輪郭足りないことがかえって豊かな世界を
た。開けると、デーツがいくつか、人っています。日没になっ ビジネスホテルを大きくしたようなそのホテルは、確かにフ たからといって、すぐに無茶食いするのは体に悪いからね、自ロントのアジア人女性はとてもいい方だったのですが、深夜突 分はこうして少しずつ食べるんだ。でも、これはあなたの分で然の客だったせいか、部屋のべッドメイクがされておらず、電 しよう。日没を過ぎても仕事が忙しく、これで空腹をしのいで話でそのことを言うと、すぐにスタッフをやります、とのこ いたに違いありません。申し訳ないから、と遠慮すると、いいと。待っていると、英国人中年男性が ( つまり、移民ではない ) んだいいんだ、と、熱心に勧めてくれるので、一粒口に人れまやってきて、「時間外でルームメイドがいない。こんなことま した。それは種のある、私が今まで食べた中で一番美味しいデでやらないといけないとは。自分はコンシェルジュなのに」と ーツだった。 不機嫌そうに作業をします。チップをあげるとやっと笑顔を見 ムスリムの人は優しい、と私が呟くと、全部のムスリムがそせてくれましたが、私はちょうどそのひと月ほど前に、そこか うだというわけではないよ、ほら、五本の指は皆違う、と言いらワンプロックも離れていないホテルで、極上のホスピタリテ ながら片手を上げ、そして裏表もある、と、手のひらをひらひイとは慈愛なんだと思わせられるような体験をし、そのことを らさせます。殺気立っていた気分が和んでいくのを感じ、いろェッセイに書いたばかりだったので、運命は私に、なんと・ハラ いろ話していくうちに、彼の子どもが自閉症であることがわかンスよく接してくれるのだろうと思ったことです。 りました。けれど、この国はとてもいい国だ、担任の先生の他ホテルに着いたのは午前一時半でしたが、それから三時間後 に、この子だけの先生もつけてくれるんだよ、本当に感謝してには、五時に再び開くという再予約の窓口に駆けつけるため、 るんだ、と。あなたはポジテイプなんですね。私が途中で感嘆部屋を出なければなりませんでした。早朝ホテルに来てくれた すると、「そう、ポジテイプでなくっちゃ ! この間、僕は台のも、アフガニスタンから来たという感じのいいムスリム運転 所で指を切ってしまったんだ。ああ、よかった、って喜んだ手。明けゆく口ンドンの街をひた走り、再び空港へ、そしてす さ。妻は怪訝そうに、なんで ? って聞くんで、言ってやったでにできている列へ。ようやく次の便のチケットが取れ、空港 のさ。心臓を切ったわけでも足を切ったわけでもない、指ですのレストランで放心したように朝食をとっていたとき、今度は んだんだ、ラッキーじゃないかって」。車はナイップリッジに英国離脱決定のニュースが飛び込んだのです : 人りました。さあ、着いたよ、ここはいいホテルだよ、ラッキ ( なしきかほ・作家 ) 1 だよ。温かく励ますように言ってくれ、私達は別れました。
8 月に刊行した本 9 -2016 人びとの戦後経済秘史崩壊するアメリカの公敵育 ー日本への警告 東京新聞・中日新聞経済部編 ・ : 四六判本体 1800 円 ・ : 四六判本体 19 。。円鈴木大裕 沖縄は未来をど、つ生きるか【杜甫詩注】第 - 期・浦冊 大田昌秀・佐藤優 : : : : 四六判本体 1700 円 第十冊成都の歌下 まんが政治政治まんが ー七人のソーリの一 0 年 吉川幸次郎著 ・ : 判本体 9800 円 興膳宏編 佐藤正明 【岩波講座教育変革への展望 4 】全 7 巻 〔編集委佐藤学・秋田喜代美・志水宏吉・ 小玉重夫・北村友人 大人に贈る子どもの文学学びの専門家としての教師冷戦と「アメリカの世紀 , : 四六判本体 2100 円 猪熊葉子 ・ : 判本体 6400 円 ・ : 判本体 3200 円菅英輝 【リーディングス戦後日本の思想水脈 3 】全 8 巻 プ 1 タン王国の教育変容 民主主義と市民社会 ー近代化と「幸福」のゆくえ ・ : 判本体 4800 円 0 宇野重規編 ・ : 判本体 8500 円 杉本均編 【岩波科学ライブラリー】 【岩波数学叢書】 星くずたちの記憶 岩澤理論とその展望 ー銀河から太陽系への物語 落合理 ・ : 判本体 7400 円 橘省吾 【岩波現代全書】 【岩波数学叢書】 丸刈りにされた女たち数値解析の原理 「ドイツ兵の恋人」の戦後を辿る旅 日の沈む国からー政治・社会論集 ー現象の解明をめざして 加藤典洋・ ・ : 四六判本体 2000 円藤森晶子 : 四六判本体 1900 円菊地文雄・齊藤宣一 あなた河野裕子歌集 永田和宏・永田淳・永田紅編 : 四六判本体 1800 円 ・ : 四六判本体 1200 円 希載書店 : 判本体 1200 円 ・ : 判本体 6800 円 -4 2
は五〇。ハーセント程度だった義務教育の この新たな時代の最初の覇者が、博文ぞれ、明治後期の現実の出版業界の状況 就学率は、一〇年後には七〇。ハーセント館だった。日本初の総合雑誌といわれるを、きちんと反映している。 たとえば、吾一少年に本をどしどし貸 『太陽』を博文館が発刊するのが、一八 を超えている。 日本人の識字率は江一尸時代から高かっ九五 ( 明治二八 ) 年。同時に、少年向け総してくれた書店、稲葉屋の主人は、力強 い活動を始めたばかりの出版流通の末端 た、とはよく言われることだが、それ合雑誌『少年世界』も、発行が始まる。 は、あくまで諸外国との比較の上でのこ子ども向け読みもののシリーズ『世界おで、出版業界を支えている存在だ。 と。明治の初めの時点で、文字を読めな伽噺』は、一八九八 ( 明治三一 ) 年の刊行また、東京でどん底の生活をしていた い人がたくさんいたことは、言うまでも開始だ。それらを吾一少年が読みふけっ吾一を救い、印刷工場への就職を後押し してくれた元画学生の黒田。美術大学を ない。しかし、義務教育の普及によったのは、その翌年という設定になる。 て、書籍や雑誌が読める人間の数は着実つまり、愛川吾一は、日本の″商業出中退した彼は、ある雑誌社の社員とな 時事問題や風俗をおもしろおかしく に増えていった。出版業界から見れば、版〃が自らの手で育てた、第一世代の読り、 読者層が飛躍的に拡大したのだ。 者だったと位置づけることができる。そ取り扱った「ポンチ絵ーを描く画家とし て働いていた。 商品流通の手段が整備され、新たな購の彼が、長じて自ら出版業を始める。 買層も確立される。かくして、 " 商業出 『路傍の石』とは、そういう軸を持当時は、ポンチ絵を主体にした雑誌が みやたけ いくつも発行されていた。中でも、宮武 版〃が発展する基盤は、整った。全国にった小説なのである。 外骨が一九〇一 ( 明治三四 ) 年に創刊した 届けられる書籍や雑誌は、その先々で新 たな読者を獲得するだろう。そして、読近代的な″商業出版〃によって読書に『滑稽新聞』や、北沢楽天が〇五 ( 明治三 書欲を刺激された彼らは、また新しい書目覚めた少年が、いくつもの苦難を乗り八 ) 年に創刊した『東京。ハック』などが、 籍や雑誌を買い求めることだろう。近代越えて成長し、自ら出版業界へと乗り出よく知られている。黒田が働いていたの 日本の出版業界は、自分たちの出版物にす。そういう構想のもとに描かれた『路も、そういった雑誌社の一つだったに違 よって、自分たちの読者を育て始めたの傍の石』には、出版業界と関わりを持ついない。 である。 人物が、幾人も登場する。そして、それもちろん、印刷工場も、出版業界に深 がいこっ
ま。後者は蕨のあのくるくるの部分を拳に見立てるというかわオフィーリアはハムレットを寝床に誘ったのか ? いい趣向。「横っ面を張る」が人っている。 ガートルードの婚姻は近親相姦だったのか ? どうも『万載狂歌集』から足が抜けなくなった ( これも芸者の 幕が下りるまでのさまざまの 縁語であるか ) 。 いったいどれが確かと言えるのか ? 貧というテーマに行ってみよう。なおもしつこく四方赤良をみんな死んだことだけは確かだけれど。 漁るならば Did Ophe1ia ask Hamlet to bed? 世の中ハいつも月夜に米の飯さてまたまふしかねのほしさよ Was Gertrude incestuouslywed? ls there anything certain? By the fall of the curtain Almost everyone s certainly dead. これが紀野暮輔になると で、思い出したのが、この連載の最初の回に引いたイエイ 見わたせハかねもおあしもなかりけり米櫃まてもあきの夕暮ツの「三つの運動」という詩。三行と短くて訳も押韻で強烈 となる。言うまでもなく藤原定家の「見渡せば花も紅葉もなか りけり浦のとまやの秋の夕暮」を敷いている。 シェイクスピアの魚ははるかな沖を游いだ。 ロマン派の魚は手繰られる網の中で游いだ。 話をもとに戻そう。リメリックにも知られた傑作を引き合い岸に放り出されて喘いでいるこの魚どもは何だ ? に出す手法はある。『ハムレット』という矛盾だらけの芝居を 下敷きに A. Cinna さんが作ったのが ( いけざわなっき・作家 ) 「まふしかねの : : : 」は「申しかねるが金が欲しい」の意。 きのやにすけ およ およ