子供 - みる会図書館


検索対象: 図書 2016年9月号
16件見つかりました。

1. 図書 2016年9月号

豊かな、わかりやすい、まっすぐな、 い、と感じ続けていた子供は、生きるこてしまうかもしれない本です。」 美しい、優しい、無数の世界がその向こ この言葉。 とをどこかで諦めていたかも知れない。 そうなのだ、児童書はまた大人のためうにある。私はいつでもその世界に帰る 今も私の中には、たくさんの世界があ ことができる。好きなだけ遊び、冒険を る。子供の私を救ってくれた本の中の友の本でもあるのだ。 達たちは、大人になった今でも、私の良子供向け、という言葉は、幼稚な、子楽しみ、ゆっくりと休んで、こちら側に 供だましの、未熟な、劣った、という意戻ってくる。 き相談相手だ。 味ではない。むしろ、豊かな、わかりや子供の頃に覚えたこんな贅沢な旅行 が、今の私を作っている。 「こんどまたものがたり」のあとがきすい、まっすぐな、美しい、優しい、が にある、 正しい。 「これは、小さな子どものための本で子供の心にまっすぐ飛び込んでいく物だから三度目になるが、これを締めの 語は、大人の心にだって届く。子供の柔言葉としておこう。 す。 しかしまた、大きな子ども、いえいらかい心を支えた言葉はい大人のすり切三つ子の読書、百まで。 ( いけざわはるな・声優・エッセイスト ) え、もしかしたら、大人たちをもまた、れた心にも寄り添ってくれる。 つい、ひきずりこんで、につこり笑わせたくさんの扉は、今も私の中にある。 館 ~ 堕落と復興の近代中国仏教チベット聖地の路地裏置一 日本仏教との邂逅とその歴史像の構築 正メ 八年のラサ滞在記 エリック・シッケタンツ著 村上大輔著 8 0. 去われわれが知る「中国仏教」は日 聖と俗、政治的抑圧下で生きる 本人が描いたイメージだった。最 聖地ラサの人々の精神風景を、多 新の研究成果を踏まえ、アジア仏 数の写真とともに気鋭の人類学 の 0 教 0 教史研究の視座とその前提を問 ニ、四〇〇円 + 税 者が描く。 五、〇〇〇円 + 税 い直す。 〒 第第と復興り 近代中国仏れ ト地

2. 図書 2016年9月号

あたる人も本が大好きで、生涯独身で千 大人になったら、大人の本を読むんだ 物心ついたときから、本を読むことが葉の田舎で本と猫に囲まれてくらしてい と思っていた。 た。本読みの私に共感を覚えたのか、ず 子供には子供の本、大人には大人の大好きだった。 本。難しい本も、面倒くさい本も、今私幸い、環境が良かったので、読みたいいぶんたくさんの本を贈ってくれた。 が夢中になってる、この冒険物語のよう欲の後押しには事欠かない。家の中には毎月二冊ずつ届く、岩波ようねんぶん 本が溢れていたし、最高のブックコンシこ ( 現せかいのどうわシリーズ ) 。少し長じ にすらすらさくさく読めるんだ、と。 てからは、岩波少年文庫が神の恩寵のよ でも、大人になってみても、やつばりエルジュもすぐ近くにいた。 そもそも私の家系には本好きが多いのうにもたらされた。毎月サンタさんが来 好きな本は相変わらず。もちろん、難し い本にも、面倒くさい本にもチャレンジだ。祖母からして、お夕飯のお買い物にるようなものだ。もし身内に本の好きな はしてみた。子供の頃より、ちゃんとわ出たはずが、本屋さんで読みたい本を見子供がいたら、私も絶対本を贈る。残念 かるようにはなっていたけれど、それでつけておかず代をはたいちゃうような人ながら、甥っ子も姪っ子もその気配はな もやつばり、好きで読む本は変わらなだったと噂に聞いたことがある ( その日のいけれど : お夕飯はどうなったんだろう : : : ) 。 岩波ようねんぶんこ全三〇冊、岩波少 その祖母の妺、私から見ると大叔母に年文庫はさすがに全部ではないがそれで 三つ子の読書百まで。 たくさんの扉の向こうに ( 卩彦池澤春菜

3. 図書 2016年9月号

セカンドハンドの時代 説 ー「赤い国」を生きた人びとー 学 文 国 、 ) スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ 外 松本妙子訳 4 二〇世紀の壮大な実験、ソ連。それが人びとの心になにを残したのか探るた め、作家はソ連崩壊後、自殺者の家族や、強制収容所の経験者、民族紛争をバ円書 カ 0 売 逃れた難民、地下鉄テロの被害者、デモに参加して逮捕拘禁された学生らに 製 0 聞き取りをおこなうーーー。街頭や台所で交わされるさまざまな市民の声を集 体 ◎め、一一一世紀のいま甦りつつある抑圧的な国家の姿をとらえた大著。 四本、・ 刊 ◎闇に隠されてきた従軍女性たちの声を発掘 ◎子供たちの眼に焼き付いた戦争の記憶とは ? ◎巨大原発事故に道遇した人々の衝撃と悲しみ 文」一戦争は女の顔をボタン穴からチェルノブイリの 新 白ロシアの 0 子供たちの証言 店 見た戦争 祈りーま宿 代していない 好一スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチスベトラーナ・アレクシェービッチ ( 解説 " 潭地久技 ) ( 解説 " 広河隆一 ) 波波一三浦みどり訳 三浦みどり訳 ( 解説”沼野充義 : 松本妙子訳 978 ー 4 占 03295 ー一 C0 一 36 本体 1340 円 978 ー 4 占 9603296 ー 8 CO 一・ 36 本体 1160 円 978 ー 4 占 0 03225 ー 8 8 一 36 本体 1040 円 【電子書籍版】価格 1040 円 ( 税別 ) 3 ◆「使い古し」の時代とは。ニ 0 一五年ノーベル文学賞作家最新作ー 0

4. 図書 2016年9月号

どうして、それに目が留まったのだろ議論していくプロセスは非常に充実して目わからない。その情景がフラッシ = ヾ いて楽しかったが、いざライヴとなると ックした。だが、目の前の楽器にはチョ 店内が明るいのはもちろん蛍光灯の照彼我の音楽的能力の差は歴然としてい コレート色の塗装だけでまったく装飾が 明によるものだったに違いないが、それて、その場でぼくのやれることはほとんない。その代わり、ピックアップがつい が屋外の晴天と連続しているように感じどない。そんな欲求不満のようなものをている。音に対する興味となにか遊べそ られた一九七六年五月の午後だった。新抱えて覗いた楽器店で、ナルダンのエレうだという期待が募る。たしか一万九千 宿御苑に近い「東夷」 ( 平井玄「東夷のこキ大正琴と出合った。 円だったか価格も楽器としてはとても安 ろ」『千のムジカ』青土社、二〇〇八 ) とい大正琴の存在自体は子供のころから目く、その場で子供用ヴァイオリンの弓と う店で翌日のライヴの打ち合わせをしたに馴染んでいた。高田馬場のムトウ楽器一緒に買ってしまった。 帰り、通りかかった新宿コタニという楽店〈行くと、レジのそばのガラスケース帰ってさっそく楽器を取り出しチ = ー 器店にふらっと立ち寄ったのだ。そのこの中に螺鈿で飾られた黒や赤の直方体がニングする。三本の弦がソ、一本が一オ ろぼくは坂本龍一と「学習団」というュ四つ五ついつも並んでいる。目は惹くのクターヴ下のソ、フレットから外れるド ニットをやっていて、その打ち合わせだ だが、家でも学校でも見たことがない。 ローン弦がさらに一オクターヴ下のソ、 った。学習団でさまざまなコンセプトをいったいどんな音がするものなのかも皆という具合に五本すべての弦を同音に合 大正琴いまむかし 竹田賢一

5. 図書 2016年9月号

ジ、ケンジントン公園にべーカー街ておいた方が心証がいいかもしれないと世界を知らなかったわけじゃない。む にも行った。 子供らしからぬ配慮もした。 しろ普通の人が見たことのないようなも 物語の中に生きているような日々、こ そうして決まった留学先は、第六希望のをたくさん見ていた。 の、タイだった。 んな人生があるのかと有頂天になった。 でも、それ以上に私は本の中に友達が だから、帰ってきてすぐにまた次の留もみの林とフィヨルドの国から、灼熱いた。豊かな遊び場があった。 学を決めたのだ ( 相変わらず、というか天で激辛の国へ : : : 雨水を飲み、緑の唐辛本の表紙は扉だ。一冊一冊の本の中 国を知ってしまったぶん、かえって日本の高子に悶絶し、最初に仲良くなったクラスに、庭が、世界が、宇宙がある。時間も 校になじめなくなったのもあり : メイトが薬の売人だった事実に震え、水空間も超えて、現実よりも遥かに豊かで 牛の群れと戦いながら登校するサバイバ美しい想像力の海で遊ぶことができる。 今度はまた違うところに行ってみたル生活。 現実の友達と遊ぶより、本の世界に潜る い。児童文学華やかなりしお国柄 : : : そ児童文学者になるという夢どころじや方が多かったのは仕方ないと思う。 うだ、北欧はどうだろう ? ニールスがない。生きていくだけでせいいつばい。 外側からは本ばかり読んでいる孤独な 見たあの風景、スプーンおばさんにも会ゆったりとひん曲がりつつあった私の人子供に見えたかも知れないけれど、内側 えるかもしれない、そして何よりムーミ 生が、完璧に複雑骨折したあの年。 の私はこの世の中の誰よりも大きな世界 ンだ。おさびし山を見るのだ、ムーミン とはいえ、紆余曲折の果てに、今こう、、、を持っていた。無数の友達がいた。王様 谷に行くのだ、あわよくば野生のムーミして大好きな児童書について書かせていも動物も神様も異星人も、一歩扉の中に ンの一、二匹も捕まえるのだⅡ ただけているのだから、まあ良し、なの人れば、喜んで遊び相手を務めてくれ 鼻息荒く交換留学生プログラムに応募かも。 た。一緒に笑い、泣き、考え、悩み、助 し、みごと試験に通り、希望用紙にフィ 言をくれた。 ンランド、スウェー一アン、ノルウェー、 友達がいなかったわけではない。人よ あの豊かなもう一つの世界がなけれ デンマーク、アイスランドと北欧五カ国り少なかったかもしれないけれど、仲のば、いじめられっ子で、いつも疎外感と 違和感、この世界は自分には馴染まな を書き切った。ついでに残りの閥も埋め良い友達はちゃんといた。

6. 図書 2016年9月号

のってきたメアリー・ポピンズ」「帰っまだ研究者という修羅道を知らない、 かんⅡ ) 、「モモ」 ( 金褐色のクロワッサン、 てきたメアリー・ポピンズ」 : : : ああ、邪気な子供ならではの憧れ。 金色の・ハタ 1 とはちみつ、ホットチョコレー だから、まずは大好きな作品をたくさ ト凵 ) と「はてしない物語」、「あしなが止まらない。 おじさん」、「ムーミン」、「オズの魔法使とうしてタイトルを並べているだけん生み出した憧れの地、イギリスに留学 ハン」、「砂の妖精」、で、脳内に幸せの花畑がぶわあああああしてみたのだ。 いじめられっ子で引きこもりで登校不 っと広がる ( 胃袋にも ) 。 「ナルニア国物語」 ( エドマンドのプリン、 精者だったので、どうしても日本の学校 すてきにねとねとするマーマレード菓子、熊 そうして選りすぐりの児童文学を読ん《になじめなかったのだ。 肉に包んでたき火で炙ったリンゴ、チョコレ ートみたいな腐葉土とほっかほかの赤土、銀で育った子供は、大きくなったら、児童たくさんの本の中で、何度となく訪れ 砂と極上砂の練り菓子、ルビ 1 のふさとダイ文学研究者になるつもりでいた。なぜ書ていたイギリスはめっぽう居心地良かっ く方ではなく、研究者なのか。研究者なた。寮生活、大食堂、世界中からきた子 ヤモンドジュースⅡ ) 、「指輪物語」 ( レンバ ス =) 、「ゲド戦記」、「海底二万里」、「空ら、読んでいられると思ったから。好き供たち、乗馬にスカッシ = 、憧れのチ ーター ( ゲイだったけど ) 。週末ごとの自 色勾玉」「白鳥異伝」「薄紅天女」、「ムギなものを好きなだけ読んで暮らしていけ 由日には、オクスフォードにケンプリッ と王さま」、「チョコレート戦争」、「風にるなんて、夢みたいじゃない ? とは、 0 レ まの 7 学 話話集喟喟円土脅 を学す 、、究哲想 民の第 ′イ】 研学構ドギ 話話 刊本 カ科を書ウ 書自 子的ム叢一ド 叢文劔 " 本っ配長編民編民編 叢の ず明 . 夫の松の ス後運著 ~ 日 カ著 00 ' = ホ・訳、〉戦夫 【防利草志崎祐 一「す力の的哲延、リは、のルツ 原→。」品 % 姦品エ齬島周天諸長松 4 4 4 ポ一反佐ク「科学長遠シじ行デトサえポピミ鈴盟ポオ肉小 長原子力 自然曾学

7. 図書 2016年9月号

柳田は『先祖の話』の最後で、戦争でないのに、日本女性は一見すると無力でば、周縁に古層が残るということであ 死んだ若者は、子供がいないから、先祖あるにもかかわらず、結婚すると財布をる。彼はこの原理を言語学から得た、と にはなれない、それならば、死者の養子握ってしまう、そして夫のほうもそれをいう。《これはすでに一九一〇年から一 となることで、彼らを先祖 ( 初祖 ) にする当然のことと考えている。欧米の男性は九二五年の間に、方言の変動を示す地図 ようにしよう、と提案した。死者たちの女性に簡単に家計を任せることはないの解釈に関して、言語学者たちが確立し た原則である》。実は、柳田もこの時期 養子になることは、日本に「固有の生死し、たとえ小さな額のお金でも理由なく の言語学に依拠したのである。彼の民俗 観」 ( 固有信仰 ) にもとづく、と柳田はい渡さないのが普通だ。女性学などでは、 う。しかし、これは、祖先信仰一般に見日本の男性はとりわけ抑圧的だというの学はいわゆる「方一一一一口周圏説」に基づいて られる考えではない。双系制が根底にあが常套的な見方だが、少なくともその点いた。《わが邦は南も北も遡ればかえっ については、欧米の男性よりもはるかにて多くの一致を見、ただ地形と中央から るところにのみ、成り立っ考えである。 そして、双系制が根底にあることはま寛容なのではないか、いわゆる女性学のの距離の多少とによって、その変遷の歩 た、近世の日本で、家父長制の建前があ枠組からは、日本の男女関係についてはみに遅速あるを見出すのみである》 ( 「実 るにもかかわらず、女性が強い力をもっ理解できないのではないか、と。それを験の史学」『柳田國男全集』巻、ちくま文 てきた理由を説明するものである。たと聞いて、私はこう考えた。日本女性に特庫 ) 。しかし、柳田の説は一九五〇年代 えば、女性はイエの中で、ヌシ、オカ有とみえるあり方は、父系制でも母系制に言語学者によって否定された。私が気 ミ、刀自などと呼ばれて権威をもっていでもなく、まだイエの観念が残っているづいたのは、トッドのいう「周縁地域の た。それはイエが労働組織であったからからであり、それは双系制の名残りであ保守性原則」がフランスで廃棄されたの る、と。 と同時期に、日本でも廃棄されてしまっ トッドの『家族システムの起源』にた、ということである。 一昨年、私はデューク大学のレオ・チ ( からたにこうじん・思想家 ) ン教授 ( 日本学 ) からつぎのような質問をは、他にも柳田国男を想起させることが 受けた。欧米では、女性はどんなに強くあった。トッドは「周縁地域の保守性原 ても、一家の財布を握ることなどありえ則」を回復させた。それは、簡単にいえ とじ くに

8. 図書 2016年9月号

とどこかにアリエッティたちがいるんだ愉快なアイデア満載で、何度も何度も読 った。「ぼくてすコプタてすたすけて とわくわくしていた。 み返している。またしても食べ物のお話たすけて ! 」なんて「てまみ」が流れて 「みどりのゆび」も大好きなお話。チで恐縮だけど、牛肉人りマカロニスープきたら、「浮かぶ春菜丸 ( 栓をした壺 ) 」に トを見守る優しいムスターシュおじいさってどんな味なんだろう : : かのこまだ乗ってすぐに助けに行っちゃう。ィーヨ ん、賢い子馬のジムナスティク、そしてらのヒレ、を、いわゆる霜降り肉ではな ーそっくりのロバの乗って遊べるぬいぐ たくさんの個性豊かな花Ⅱ残念ながらく、カノコマダラという未知の生き物のるみもいた。またがって遊びすぎて、首 私の親指はみどりではなかったので、鰭としてイメージしてしまった子供の頃がうなだれちゃったところまでおんな じ。 様々な植物を枯らしてきたけれど、でもの私。 チトの「花って、さいなんがおこるのを カレル・チャベックのオシャレな短編「木曜日はあそびの日」。今でも大好き ふせぐんだよ」という言葉を胸に、なる集「長い長いお医者さんの話」。お医者なエプリディマジックもの、読めば日常 べくいつも家の中に花を飾ることにしてさんやおまわりさん、郵便屋さんといっ生活がきらきらと輝き出す本の魔法に出 いる。 た私も知っている人たちと、魔法使いや会えたのも、幼少期に読んだこんな素敵 「ニールスのふしぎな旅」も私にとつ小鬼、七つ頭の怪物が仲良く人り交じなお話があったからこそ。 てはアニメではなく、活字だ。スウェー り、思いがけない方向に転がっていくお デンの風景の素晴らしさ、そして生きる話に夢中になった。 星のように、花のように、美味しい食 ことの美しさと残酷さを教える端正な筆この並びの中に、ちょっと異色な、祖べ物や良い香りのように、私の中を満た 致。この物語を読んで、もし自分が小さ父・福永武彦の「古事記物語」が人ってして、心を膨らませてくれたたくさんの くなったら、と空想の旅にでかけない子るのは大叔母なりの気遣い : : : ? このお話たち。 供がいるだろうか ? 際だから、池澤夏樹版現代語訳古事記と 「不思議の国のアリス」と「鏡の国の 「ふたりのロッテ」はケストナー作品読み比べてみようかなあ。 アリス」、「五月一二十五日」と「エ の中でも二番目に好き ( 一番は「五月一二十「クマのプーさん」「プー横丁にたったと探偵たち」「点子ちゃんとアントン」、 五日」 ) 。ケストナーらしいユーモアと、家」では、コプタとイーヨーが大好きだ「エルマーの冒険」 ( 棒付きキャンディとみ

9. 図書 2016年9月号

も選りすぐりの三八冊、未だにしつかり「たのしいゾウの大。ハーティー」、あ、話が好きという流れ、すっかりこの頃に 私の本棚にある。今後何度引っ越そうこれも食べ物のお話だ。実物の象サイズできあがってた : : : ほら、やつばり一二つ が、後生大事に抱えて行こうと思っていのキイチゴのゼリーが自立できるかはと子の読書百まで。 もかく、もしそんな象の。ハーティがあれようねんぶんこを卒業して少年文庫に なかでも好きだったのは、ようねんぶば、いつでもうちにある一番大きなおしなる頃には、大叔母も私の好みをすっか んこなら、フランスの民話を元にしたやもじを持って参加する気満々です。 り見切って、ピンポイントな選書が届く 「空にうかんだお城」、歌の先生に教えて 「ポリーとはらペこオオカミ」「はら。へようになった。八〇〇冊以上ある中から いただいていたときに Les Misérables こオオカミがんばる」・ : これも、印象選ばれた、これぞというラインナップ。 のコゼットの歌、 Castle On A Cloud がに残っているのは食べ物。チョコレート まずは「ドリトル先生」シリ 1 ズ。こ ケーキに、タッフィ とても好きだったのはその影響かも。 ー、たつぶりのシチれを読まずして少年文庫を語るなかれ。 リチャード・ヒューズの「まほうのレ ュー、チーズ・プディングと干しぶどう リノリウムという言葉を知ったのも、ど ン、ヒキガエルころもあうも豚はそれを食べるらしいと言う知識 ンズ」と「ジャングル学校」はナッセンいり口ール・。ハ スの極致。挿絵も合わさり、絶妙な気持げ ( 「ほんとうのヒキガエルじゃないの。ソー ル先生で教わった。人生で一 ち悪さ、意地悪さ。私もいっか、「これセージなの。ころもをつけた。とってもおい度経験してみたい旅行は、スペースシャ いじようやわらかくはできないほどに、 しくて、とってもおなかいつばいになるのトルでも、豪華客船でもなく、大きな海 やわらかくゆだっ」たやかんを美味しくよ」ポリ 1 談 ) 、お豆のスープはレシピ付カタッムリの中に人っての海底旅行 9 いただいてみたい。 き凵健気でおまぬけなおおかみがすっ 「小人の冒険シリーズ」、今の子供たち ナンセンスと言えば「こんどまたものかり好きになってしまって、利発なポリは「借りぐらしのアリエッティ」の名前 がたり」「あとでまたものがたり」も。 ーが憎らしいほど。 で覚えているかもしれない。でも、私の こちらは毒気のない、かわいくてへなちおお、翻訳物、日常生活に一さじ加え知っているアリエッティは赤い洗濯ばさ よこな絵と、すっとんきようなお話の組られた非日常のス。ハイス、自分の想像をみの髪飾りはつけていないのだ。イギリ み合わせが最高。 超えていく奇想天外な物語、食べ物のおスの片田舎に留学していたときは、きっ巧

10. 図書 2016年9月号

男児として描かれているが、まあそれら学校で習った唱歌を家庭でさらえる、②としている。これも小説の話だが、宮尾 は講談的誇張だろう。だが、一絃琴を習ピアノやオルガンの指使いを覚えられ登美子の『一絃の琴』 ( 講談社、一九七八 ) い、明治一二十年代に笛を携えてアメリカる、③琴や三味線より音が奥ゆかしい、では、家がつぶれ芸妓となって一絃琴を 経由でイギリスまで足を延ばした、向こ④値段が特別に安い、⑤取り扱いが手披露したとされる弟子が塾を破門にな う見ずなアイディアマンであったことは軽、が挙げられている ( 『大正琴図鑑』全音る。明治三十年ころの話だ。また、大正 間違いない。 楽譜出版社、二〇〇一一 l) 。西洋音楽が弾け琴の土台となった二絃琴も、一名、出雲 大須観音の北側で旅芸人などの宿の集ることが売りで、家庭を主な販売対象と琴ともいうように、奉納するための音楽 まった北野新地 ( 森田屋旅館もこのあたりしていたことが窺える。遊郭の女たちのを弾くためのもので、俗曲を弾くことは にあった ) が一八七四 ( 明治七 ) 年に遊郭と姿は、この広告からは見えてこない。 厳に慎まなければならなかったという。 して公認され、翌年、観音様の西側に移橋の小説では、芸者たちを集めて練習さそこから歌謡曲に欠かせなくなる大正琴 転し旭遊郭になり、一九二三 ( 大正十一 l) せ、大阪中之島で女百人のデモ演奏会をへ飛躍するには、やはり森田吾郎と花街 年に中村遊郭にさらに移転するまで、約催した話が出てくるが、真偽の程はわか大須との一通りではない密な関係が大き 半世紀の間、大いに賑わった。当然、音らない。 な役割を果たしたのだと思う。 曲を奏でる料亭や芝居小屋も多数あった森田吾郎が子供のころから習っていた という。森田吾郎がそのような環境で育という一絃琴は、幕末に士族の間で流行村田英雄の『人生劇場』 ( 一九五九 ) イン ったことは、誰もが触れている。 した。明治に人って「士族」という枠はトロの大正琴は作曲者、古賀政男自身が そして、外国でピアノやタイプライタ取り払われても、上流階級の人々のたし弾いていたそうだ。 ーに実際に接したことが、大正琴のメカなむものだった。森田吾郎の師事した富今、聞いてみても、イントロの大正琴 ニ - ズムを発明する下地になったこともい田豊春は、一絃琴の曲集を編纂し家元とがそんなにイン。ハクトをもったことが信 うまでもないだろう。 して普及に大きな力のあった真鍋豊平のじられないくらいだが、大正琴リヴァイ 大正琴が発売されて間もないころの新一番弟子としかわからないが、小橋は小 ヴァルのきっかけになったといわれる。 聞広告を見ると、その長所として、①説の中で ( 名は梶田豊琴と変え ) 旗本の出だたしかに、ぼくが楽器店のガラスケース