前回に述べたように、柳田国男は、最 では、このような多様性がどうして生撈ー水稲耕作民文化」 【弥生時代〕 初に「招婿婚」 ( 母方居住 ) の事実に注はしじたのか。岡正雄は『異人その他』 ( 岩波④「父長権的支配者文化」、遊牧民。渡 たにもかかわらず、日本に母系制があっ文庫 ) において、日本社会・文化の多様来して古代国家を成立せしめた。 たことを認めなかった。ゆえに、招婿婚性を、発展段階の異なる民族が日本列島 〔古墳時代〕 の事例を集めて母系制の先行を主張したに渡来したことから説明しようとした。 しかし、これによって、東日本と西日 高群逸枝に批判されたのである。それ以それは次のようにまとめられる。 本の違いを説明できるだろうか。古墳時 後も、柳田は、日本における家族システ①「母系的・秘密結社的・芋栽培ー狩猟代あるいは古代国家が西日本にあったこ ムの多様性を見ないとして批判された。民文化」、東南アジアの一文化が南部中とは明白である。だが、それが④のよう たとえば、民俗学者宮本常一は、東日本国を経て日本島に渡来した。【縄文時代〕に、西方からの渡来者によるものだとし には父系制、西日本には母系制がある、②「母系的・陸稲耕作民文化」が渡来。 たら、西日本に先ず父系的な体制が成立 と主張した ( 『庶民の発見』未來社、一九六東部インド、東南アジア、インドネシし、東日本には、それ以前の母系的なも 一年 ) 。これも高群逸枝の見方とさほどア。南部中国を経てきた。 のが残ったはずだ。では、なぜその逆に 異なるものではない。ただ、東日本は父 【縄文時代後期〕なったのか。この疑問を解くには、「母 系的であるというだけである。 ③「男性的・双系的・年齢階梯制的・漁系制」の先行を疑う必要がある。つま 続双系制 一上よ柄谷行人
に、双方的と訳した。念のためにいえ故があれば、祖霊の中に人れられるとい ば、私が双系制という場合も、双方的とうことである。これはおそらく、双系制 いう意味である ) 。トッドの考えでは、 と関連している。単系制では、父系であ 母系制は父系制の優位に対する反動としろうと母系であろうと、先祖は一つであ て生まれたものであり、また、父系制がる。それを目印にして、集団が組織され 拡大したのは軍事的領域が優越することる。ところが、双系制が残る場合、出自 辞 によってである。 が何であれ、ひとが今帰属する場が重視名 このような観点から、岡正雄の説をふされる。イエがそのような場である。柳国 りかえると、①で岡が「母系的」と呼ぶ田によれば、イエは家族というより労働外 ものは、双系的 ( 双方的 ) なものだという組織である。「親」は元来、労働組織の 大 最 べきである。そして、それは③における「親方」 ( 親分 ) を意味した。 本 双系制とは別のものだ。西日本にはもと したがって、日本では、出自を重視し 日 0 もと母系制はなかった。それは、④の軍ない養子制が広範に採用されたのであ 8 9 事的征服者が到来したとき、父系制がもる。家父長的な武士のイエでも、養子制 たらされるとともに、それに対する反動が多く見られた。徳川時代では、大阪だ として形成された。一方、東日本では、 けでなく、江戸でも、商家は男子に相続 目 むこ 狩猟民らが軍事化するにつれて父系的とさせず、代々優秀な番頭を聟にとるとい項 なったが、双系的なものが濃厚に残存しうやり方をした。このシステムは、現在 た。それは養子制に見出される。 でも歌舞伎や相撲の世界に残っている。 柳田によれば、日本の先祖信仰の特徴これらは母系制の名残りではない。それ は、死者が母系・父系のような血のつなは「イエ」の存続を優位におくのであ がりがなくても、養子や結婚その他の縁 り、双系的なものに根ざしている。 岩波世界人名大辞典 岩波書店辞典編集部編 《創業百年記念出版》 政治 , 学術 , 芸術からビジネス , スポーツ , ポップ : カルチャーまで , すべての地域・国の人名を網羅す人 る . 架空人名やグループ名も収録 , 正確で豊富な情大 報満載 . B5 判・ 2 分冊・ 3610 頁本体 28.000 円 ( 税別 ) ◎全項目名・全文を対象に多様な検索ができる CD-ROM 版 (Win/Mac 対応 ) 価格 28 , 000 円 ( 税別 ) 岩波書店 ・界人名大辞央
・トッドの『シャル在にいたるまで重要な意味をもってい 、太古の形態を、母系でも父系でもな 私はエマニュエル い、双系的なものとして見るべきなのリとは誰か ? 』 ( 文春新書、二〇一六年 ) をる。日本にも多様性があるとしても、こ だ。母系制の先行を否定したとき、柳田読んだあと、あらためて日本の家族シスれほど顕著な差異としてあらわれないだ 国男はそう考えていたように見える。たテムについて考えた。トッドはこれまでろう。というのも、日本では根底に「双 だ、その時点では、柳田の見方は非科学の著作で、世界各地の社会の政治や宗教系的なもの」が強く残っているからだ。 トッドの見解は、『家族システムの起 的な独断として斥けられた。 のあり方を、統計学にもとづいて、四種 しかし、母系制が先行するという定説類の家族システムの違いから説明してき源』 ( 藤原書店、二〇一六年 ) においてまと は、一九七〇年代以後に疑われるようにた。トッドによれば、フランスでは、四められている。その翻訳を読んで興味深 なった。最初の形態は、母系でも父系で種類の家族形態が地域的に分布していく思ったのは、彼が家族システムについ もなく ) 双系的であったという見方が出る。それが歴史的にフランスの特異な在ての新たな研究を開始したのが一九七〇 てきたのである。これは東南アジアでのり方をもたらしてきた。たとえば、中央年代だということである。つまり、東南 人類学的調査にもとづくものである。吉部にフランス革命がある一方で、周縁部アジアでの調査によって、双系制の先行 田孝はこう述べた。《古代の日本列島にでは中世的なカトリック信仰が残っていがいわれるようになった時期である。ト ッドは、レヴィⅡストロースのみなら は、おそらく多様な形態の親族組織が並た。彼はそれを家族構造から説明した。 存していたと想定されるが、残存する文フランス中央部では兄弟間の均等相続がず、それまでの人類学者が考えていた基 献史料の大部分は、畿内地方を中心とあり、それが平等主義としてあらわれ本的前提を疑うところから始めた。トッ し、稲作を主たる生業とする社会に関する。他方、周辺部ではその逆である。しドの考えでは、太古の狩猟採集民は一夫 るものである》《しかし古代日本語の親かし、二〇一五年一ハリのシャルリ事件が一婦制の核家族である。そして、それは 族名称やインセスト・タブーから推定さ示すように、そのような下部構造が、近父系的でも母系的でもなく、未分化状態 れる一般的な親族組織のあり方は、双系年において違った観念的上部構造を伴うないし双方的 bilatéra 一である、という。 的な性格を強く示している》 ( 『律令国家とようになった。このように、フランスで ( 監訳者の石崎晴己は、それを bilinéaire 古代の社会』岩波書店、一九八三年 ) 。 は一国内での家族システムの多様性が現という意味での双系的と区別するため
柳田は『先祖の話』の最後で、戦争でないのに、日本女性は一見すると無力でば、周縁に古層が残るということであ 死んだ若者は、子供がいないから、先祖あるにもかかわらず、結婚すると財布をる。彼はこの原理を言語学から得た、と にはなれない、それならば、死者の養子握ってしまう、そして夫のほうもそれをいう。《これはすでに一九一〇年から一 となることで、彼らを先祖 ( 初祖 ) にする当然のことと考えている。欧米の男性は九二五年の間に、方言の変動を示す地図 ようにしよう、と提案した。死者たちの女性に簡単に家計を任せることはないの解釈に関して、言語学者たちが確立し た原則である》。実は、柳田もこの時期 養子になることは、日本に「固有の生死し、たとえ小さな額のお金でも理由なく の言語学に依拠したのである。彼の民俗 観」 ( 固有信仰 ) にもとづく、と柳田はい渡さないのが普通だ。女性学などでは、 う。しかし、これは、祖先信仰一般に見日本の男性はとりわけ抑圧的だというの学はいわゆる「方一一一一口周圏説」に基づいて られる考えではない。双系制が根底にあが常套的な見方だが、少なくともその点いた。《わが邦は南も北も遡ればかえっ については、欧米の男性よりもはるかにて多くの一致を見、ただ地形と中央から るところにのみ、成り立っ考えである。 そして、双系制が根底にあることはま寛容なのではないか、いわゆる女性学のの距離の多少とによって、その変遷の歩 た、近世の日本で、家父長制の建前があ枠組からは、日本の男女関係についてはみに遅速あるを見出すのみである》 ( 「実 るにもかかわらず、女性が強い力をもっ理解できないのではないか、と。それを験の史学」『柳田國男全集』巻、ちくま文 てきた理由を説明するものである。たと聞いて、私はこう考えた。日本女性に特庫 ) 。しかし、柳田の説は一九五〇年代 えば、女性はイエの中で、ヌシ、オカ有とみえるあり方は、父系制でも母系制に言語学者によって否定された。私が気 ミ、刀自などと呼ばれて権威をもっていでもなく、まだイエの観念が残っているづいたのは、トッドのいう「周縁地域の た。それはイエが労働組織であったからからであり、それは双系制の名残りであ保守性原則」がフランスで廃棄されたの る、と。 と同時期に、日本でも廃棄されてしまっ トッドの『家族システムの起源』にた、ということである。 一昨年、私はデューク大学のレオ・チ ( からたにこうじん・思想家 ) ン教授 ( 日本学 ) からつぎのような質問をは、他にも柳田国男を想起させることが 受けた。欧米では、女性はどんなに強くあった。トッドは「周縁地域の保守性原 ても、一家の財布を握ることなどありえ則」を回復させた。それは、簡単にいえ とじ くに
岩波書店 / 新刊 一ー日本の経済発展と金融文学大系上田秋成集 てで 寺西重郎 中村幸彦校注 いの っす 日本経済の発展過程と金融現象との関連を論理的かつ一 「雨月物語』と「春雨物語』の代表作一一篇に加えて、随 にま 実証的に解明し、新たな金融理論を構築した大著。 筆「胆大小心録』を収録。上田秋成作品集の決定版。 容し 978 ー 4 ー 0973048 甲 7 <ID 判・本体 10 、 000 円一 978 ー 469730495 ー 8 <IO 判・本体 6200 円 内た す作 一橋大ー書。賃金と労働と生活水準 ま製 ー日本経済史におけるー世紀ー 日本古典文第。菅家文草。菅家後集 で後 斎藤修 川口久雄校注 ん文 約三世紀にわたる賃金、労働時間、休日のデータを分道真の漢詩文集一一篇を収録。醍醐天皇に献上された『菅 組注 りこ 析し、日本人の「働き方」の変化を明らかにする。 家文草」、左遷以後の作品を収めた「菅家後集』。 取た 978 ー 4 占 97304993 <ID 判・本体 5800 円 978 ー 4 占 9730496 ー 5 <LO 判・本体 11 、 000 円 にま 始モダン・エコノミックス 5 復すい 企業の経済学 ~ るまさ尸 は本古典文学大系愚管抄 よりだ付青木昌彦・伊丹敬之 になく受現代産業社会の企業行動そのものを対象に、なぜ企業岡見正雄・赤松俊秀校注 異承く 承久の乱前夜、あるべき世のあり方を世人に説くため イが了日はそのような行動をとるのかを解明した画期的な書。 に、歴史叙述そのものを問い直した史論書。 見こ 978 ー 4 占 973049 一 6 <LO 判・本体 4100 円 て 978 ー 469730497 ー 2 <LD 判・本体 8400 円 サ外を月 やと 9 モダン・エコノミックス 国際金融 文装る 浜田宏一 古典文学大曾我物ä ごが要 日々刻々変化する国際金融情勢をわかりやすく解説し二 市古貞次・大島建彦校注 ( んど 同時にその背後にある論理を解明するテキスト。 ドせほ 曾我兄弟の仇討ち物語は、多くの芸能者たちによって ンま間 978 ー 4 占 9730492 ー 7 <LD 判・本体 4200 円 語り継がれ、後代の文芸に絶大な影響を与えた。 マり週 978 ー 4 ー 09730498 ー 9 <LO 判・本体 7200 円 テ」 . わ 4 ン変 ~ 日本古典文学大系平止謡曲集田田 オと 2 横道萬里雄・表章校注 は・不第に - でルで 現行曲・番外曲の名作を収める決定版。上巻には、観 店ナま 阿弥・世阿弥の能、元雅の能を、下巻には、神竹の能、 書ジけ 信光・長俊の能などを収録。 波リ届 岩オお <LO 判田 978 ・ 4 ・ 09730493 ・ 4 本体 7200 円 ~ 97 甲 4 、 097304 亠本体 7400 円 2
彼に訊いてみたいことが、ひとつあつる ? 』『これあなたとわたし』『わたし、 のの光ってるやつが下から出てくる これ、おもろいなアと思うて、もう十個た。 あなたのお母さんよ』いうて僕に言い聞 も二十個も買うてしもうて、もうカンべ それは簡単に言うと、愛は、記憶の結かせてくれたんです。本当一所懸命に、 ンしてくれやて、呆れられました。だけ果なのか ? ということだ。例えば母親一時間も二時間も『わたし、あなたのお どその時は、本当に面白うて、不思議でや親友に対する愛情は、記憶とともに失母さんよ』いうのんを何度も何度も聞い もうたまらんかったんですわ。今でもあわれてしまったのか、どうか ? ているうちに、僕もだんだんと『そう のう、コンビニ人ると、もう胸がドキド 「どうかな : : : 例えばお母さんとかにか、このひと僕のお母さんや』『お母さ キしますね。うわあ、また何や新しいお対して、かって抱いていたはずの愛情つんなんや』そう思うたら、胸のこう、こ 菓子、出てるやん ! めちやテンションていうのは、事故の後でも残っていたのあたりが何とも言えずあったかーくな 上がります」 の ? それとも全然、見知らぬおばさんってきたんです」 私は遠い昔、多めの小遣いを貰って、 が何か言ってる、くらいにしか感じなか 「脳は忘れていても、胸が覚えてたん だ」 駄菓子屋やオモチャ屋へ走っていった時ったの ? 」 「どうやったかなア : : : 」 のドキドキした感じを、遥か遠くに思い それは驚くべき答えだった。これはっ 出して、胸が切なくなった。ああいう気 e 君はまた根をつめて思い出そうとしまり、脳だけでなく、胸にも何らかの大 持でコンビニに人れる、というのは、ど始めた。 , 彼にとってはもう六年も前のこ切なことを記憶しておく装置がある、と うなのだろう、むしろ幸福とさえ呼べそとである。でも見方を変えれば、わずかいうことではないか。大発見だ、とは思 うな気もする。 六年前のことなのだから、きっと鮮やかったが、そんなことを話す相手もおら 君は事故から後、六年の間、驚くべに覚えているはずだ。 ず、それを発見したからといって景気が よくなるわけでもないので、黙ってい きスピードでこの世界を把握し直し、今「ある時にですね、 e 君は語り出した。 た。当時はそんなことを言っても、変人 や外見通り二十四歳の青年として生活し 「母親が、僕と一緒に写ってる写真を扱いされるだけだったろうーーしかしそ ているーーこれは妻いことだ。奇跡だと 思う。それ認めた上で、私はどうしても見せながら、もう何度も何度も『わかれから数年後、多田富雄博士が注目を集
新刊案内に表示した発売日は小社出庫日です 9-2016 現代言語学キいは本語の音声・い、一有限群とその応用・ 窪薗晴夫 渡辺宏 日本語の音声をめぐる素朴な疑問について丁寧に検討できるだけ直観的に理解できる群の例をあつめて、初 し、音韻論の基本的な考え方と分析方法を解説する。 歩から応用までをかみくだいて解説した。 978 ー 4 ー 0973047 甲 8 <LO 判・本体 4000 円 978 ー 4 占 9730484 ー 2 <LO 判・本体 5900 円 現代物ー一般相対性理論散乱理論における逆間題 ク 佐藤文隆・小玉英雄 加藤祐輔 微分幾何学の手法に重点をおいて解説し、一般相対論 . 線形微分方程式のスペクトル理論の基礎から逆散乱法 ッ の構造を体系的に明らかにする本格的教科書。 の応用まで説明。多分野にわたる知識を整理した。 978 ー 4 占 97304894 <ID 判・本体 4600 円 978 ー 4 ー 09730485 ー 9 <LO 判・本体 7200 円 皮ド一に棗蕭書非線形波動ー。 ) 生物集団と進化の数理 受和達三樹 松田博嗣・石井一成 波動の基礎事項から結び目理論や量子可積分系など非生物集団と進化の現象を因果論的に解明することをめ ざし、それにともなう数学的諸問題を解説する。 昭線形波動の最新の成果までを明快に解説する。 978 ・ 4 ・ 0973048 一ー一 <LO 判・本体 4000 円 978 ー 4 ー 09730486 ー 6 <LO 判・本体 5800 円 月 9 デルダ関数と微分方程式」〒チェの哲学 並木美喜雄 ・レーヴィット / 柴田治三郎訳 線形微分方程式の初期値問題と境界値問題を解く際に ニーチェの思想を「等しいものの永遠回帰の教説」と デルタ関数をどう利用するのか、わかりやすく解説。 して体系的に解釈し、以後の解釈の基本線を定めた歴 ン 978 ー 469730487 ー 3 判・本体 5600 円 97 甲 4 占 9730482 , 8 <LP 判・本体 5300 円史的名著。 「カトリック修道女の歩んだ道 オ非線形格子力学 " を【ーし禅入門 戸田盛和 イレーヌ・マキネス / 堀澤祖門、石村巽、吉岡美佐緒、田中正夫訳 戸田格子とよばれる、指数関数型の相互作用をする非 . 禅体験への道程を、東西宗教の交差点に立って正確に 線形格子の基本概念から最新の成果まで明快に解説。 かっ実践的に語る。異なった光に照らされた証悟の姿 978 ー 4 占 9730483 ー 5 <LD 判・本体 5600 円 A 」は。 978 ー 4 占 97304886 四六判・本体 3700 円 0 2
あたる人も本が大好きで、生涯独身で千 大人になったら、大人の本を読むんだ 物心ついたときから、本を読むことが葉の田舎で本と猫に囲まれてくらしてい と思っていた。 た。本読みの私に共感を覚えたのか、ず 子供には子供の本、大人には大人の大好きだった。 本。難しい本も、面倒くさい本も、今私幸い、環境が良かったので、読みたいいぶんたくさんの本を贈ってくれた。 が夢中になってる、この冒険物語のよう欲の後押しには事欠かない。家の中には毎月二冊ずつ届く、岩波ようねんぶん 本が溢れていたし、最高のブックコンシこ ( 現せかいのどうわシリーズ ) 。少し長じ にすらすらさくさく読めるんだ、と。 てからは、岩波少年文庫が神の恩寵のよ でも、大人になってみても、やつばりエルジュもすぐ近くにいた。 そもそも私の家系には本好きが多いのうにもたらされた。毎月サンタさんが来 好きな本は相変わらず。もちろん、難し い本にも、面倒くさい本にもチャレンジだ。祖母からして、お夕飯のお買い物にるようなものだ。もし身内に本の好きな はしてみた。子供の頃より、ちゃんとわ出たはずが、本屋さんで読みたい本を見子供がいたら、私も絶対本を贈る。残念 かるようにはなっていたけれど、それでつけておかず代をはたいちゃうような人ながら、甥っ子も姪っ子もその気配はな もやつばり、好きで読む本は変わらなだったと噂に聞いたことがある ( その日のいけれど : お夕飯はどうなったんだろう : : : ) 。 岩波ようねんぶんこ全三〇冊、岩波少 その祖母の妺、私から見ると大叔母に年文庫はさすがに全部ではないがそれで 三つ子の読書百まで。 たくさんの扉の向こうに ( 卩彦池澤春菜
農学と戦争 ーー東京農業大学満洲報国農場の記憶 ( 下 ) 世田谷キャン。 ( スの一隅に存在する慰であった。廣實氏は後輩たちから「機関名あまりが増派され、八月には、さらに 霊碑に気づきながら、ずっと関心を持た車」と渾名されるほどの立派な体驅の持七期生八〇名が加わった。若いエネルギ ずにいた私がこの問題に関わるようになち主で、満洲育ちのやさしい性格を併せーを注ぎ込んだ実習は、五族協和の「理 ったのは、たまたま与えられた生還者と持ち、天気予報図の上方に映る興凱湖を想郷」建設のかけ声のもと、現地調達の の邂逅が契機であった。 目にしては、消せない記憶にしばしばま資材を使い、宿舎をはじめ、台所、便 私が母校である東京農大国際農業開発ぶたを濡らすような方であった。 所、風呂場、排水溝などを次々と建設す 学科の教員となったのは一九九九年のこ 「満洲に拓殖科の実習農場を作るが参る。ハイオニア精神を存分に発揮したもの とで、その数年後、毎年卒業生向けに発加しないか」と太田正充助教授から声をであった。 行している「拓友会ニ = ース」に専門部掛けられたのは、廣實氏が満洲から「内廣實氏、岸本氏、林氏ら一三名は秋に 農業拓殖科卒業生のインタビ = ー記事を地」の農大 ( 進学した翌年、一九四四年なっても帰国せず、越冬隊として、大地 載せる企画が持ち上がり、たまたま若手一月のことであった。最初に先遣隊としも凍るマイナス四〇度の酷寒の冬を体験 であった私が担当者となったのである。 て派遣されたのは廣實氏や岸本嘉春氏らした。越冬隊の使命は、翌年四月に人学 取材によって与えられた六期生の廣實八名で、追って台湾出身の林恒生氏ら六する八期生約一〇〇名を迎える準備をす 平八郎氏との出会いは、私にとって衝撃期生および東海林仲之助氏ら七期生一一〇ることであり、蚤や虱に悩まされながら 塩海平
時の記録を含めて纏められたのが、先述に応答してくれたのである。学生のうちする運びとなった。この企画は、主催者 の一人は、後日、村尾氏が語り部を務めの思惑を越えて内外に反響を呼び、満洲 の『生還者の覚書き』である。 ておられる立命館大学国際平和ミュージ報国農場が、いまに至るまで未解決のま 私は、自分がこのような出会いによっアムを訪ね、厚かましくも、村尾氏の自ま、多くの人々の生涯に影を落としてい て変えられたように、学生たちにも同様宅に宿泊させていただくほどの熱心さをる現実を改めて想起させるものとなっ の出会いを経験してもらいたいと心から示してくれた。この企ては二〇一五年にた。 ー・村尾両氏とも、真面展示物の目玉の一つは、小川氏が実際 切望するようになっていった。幸い私も継続され、 は、専門部農業拓殖科の後身とも言うべ目に体験談を聞いてくれる後輩たちによに肌身離さず苦悩を共にした唯一の携行 き国際農業開発学科の一年生必修の農業って、生き残らされた者としての自分た品であるリュックサックであった。小川 総合実習の評価責任者になっている。そちの使命の一端を果たすことが出来たと氏は、汚れたリュックサックを帰国後母 こで同僚の足達太郎教授と相談し、二〇いう感懐を語ってくれた。二人とも、一親が丹精込めて洗ってくれたというコメ 一四年の九月に泊まり掛けで行われた実七〇名近い学生たちの感想文一つ一つにントをつけてショーケースに展示してく 習の際、ご健在な八期生の小川正勝氏と目を通し、時間を掛けて返信を認めてくれたのだが、こんなものに関心を持つ人 ださった。 がいるだろうかと最初は躊躇されてい 村尾孝氏をお招きし、夜、体験談を語っ た。しかし、このリュックサックをみる てもらうことにした。 学生たちは、自分たちと同じ学科の先戦後七〇年目に当たる二〇一五年、ためだけに長野県から足を運んで下さっ ー氏をはじめ、みなが 輩たちが、自分たちと同じ一年次の農業「満洲報国農場の記憶」という展示会のた女性があり、小月 実習中に経験した妻惨な出来事に真剣に企画を「東京農大「食と農」の博物館」恐縮したほどであった。この方は、乳児 耳を傾けてくれた。昼間の農作業の疲れに提出したところ、館長はじめ、スタッの頃、リュックサックに入れられて満洲 / から引揚げて来たのだという母親の話を にも拘わらず、一七〇名が一人として居フの方々のご理解を得ることが出来、弋 眠りをすることもなく、熱心に講演を聴月二〇日から九月三一日まで、小川氏と思い出し、いても立ってもいられず駆け き、講師として立たれた先輩たちに熱心村尾氏の監修により標記の展示会を実現つけたのだと語ってくれた。