全世界に衝撃を走らせた。 見た。 アリはボクサーとしてだけではなく、 アリの戦いを強烈鮮明に記憶したの フランコ独裁政権末期、こちらは伝統 ベトナム戦争時の徴兵拒否やそれによるは、当時世界最強と言われたジョージ・ 芸能の闘牛を追って歩いていた。その成 タイトル剥奪騒動、イスラム教への改宗フォアマンと剥奪されたタイトルをかけ果が形になる保証はなにもなかった。い と改名などの行動を通して、己の信念をて戦った試合、のちに「キンシャサの奇まからふり返れば、闘牛はこの当時、最 貫き通した生涯に全世界が改めて考えさ跡」と呼ばれる伝説の勝利だ。 後の黄金期 ( 近年では動物愛護思想など せられた。 当時、写真家として闘牛の取材をしての高揚で、もはや昔の熱気は感じられな そして、人生の晩年には別の戦いが彼いた私はスペイン南部のアンダルシアのい ) を迎えていた。だが、その闘牛に魅 を待ち受けていた。パーキンソン病とのアスナルカサ村に住んでいた。一九七四せられた私の成果を日本の出版界がどう 戦いだ。 年の闘牛シーズンは終っていた。二シー受け止めるか、成算など全くなかった。 私は、アトランタ・オリンピックの開ズンの間、フルに闘牛を追い掛けてき アフリカ大陸の一角で催された試合 会式の聖火を不自由な手で捧げ、聖火台て、ネガ・フィルムが小型トランク一杯は、大方の予想を裏切って、モハメド・ に灯すアリを、 になっていた。 アリの華麗な復活を見せつけた。 「なんと残酷な映像か。周りはそこま その夜、アリの復活戦があるのは承知「蝶のように舞い蜂のように刺す」 で要求しなくてもいいだろうに」 していた。テレビをもたない私はマノロ アリの戦いは長年のプランクを越えて と、どことなく憐憫の眼差しを向けた己家の買ったばかりのテレビに目を付け磨きがかかっていた。マノロの家をそっ に気づき、複雑な想いを抱いたことを思た。まだス。ヘインは白黒放送の時代で、 と出ると、村のサッカー場が黒々と見え いだす。 アメリカ優先の放送のせいか、スペインた。 私はボクシング通ではない。いつの時では深夜に放送された記憶がある。 「勝負しなきゃな」 代もその時々のスターの戦いをテレビのもはやマノロ一家は眠りに就いていと思った。私の戦いはこれから始まるの 中継を通して見てきただけのごくごく普た。私だけが、居間に置かれ、音を小さだ。 通のボクシング・ファンに過ぎない。 くしたテレビで「キンシャサの奇跡」を
が、できるだけサンダースに票を集め彼の足を引っ張るのではなくて、支持者る。 て、サンダースが負けても彼の政治的左たちはその「失言」に大いに喜び、喝采『ヒルビリーの哀歌』の著者もまたヒ 派の意見をクリントンが無視できないよしたのであった。 ルビリーの出身で、イエール大学のロー うにしようということであった。私たち トランプは「本当のこと」を言っていスクール ( 法科大学院 ) を卒業しているが、 はクリントンの政治的立場を、それほどる、私たちが言えなかった「本音」をは彼は家族の中で大学院はもとより四年制 信用していないのである。 つきりと言っている。彼らはそうメディ大学にいったはじめての人間であった。 その民主党が誰を大統領候補にするかアのインタビューに答えていた。 『ヒルビリーの哀歌』は、数週間ニュー ヨーク・タイムス・ベストセラーのハ で争っている時に、共和党でも同じよう ドカバ に各候補の争いがあり、そこではかってヒルビリーの哀歌 ー・ノンフィクション部門一位で は大げさにぐ候補で当選とは関係ない トランプの支持者は、高校卒までの白あった。つまり、一体このトランプの支 と思われていたドナルド・トランプが他人男性を中心としている。アメリカでの持者たち、あるいは今のヒルビリーはど を引き離し勝ってしまった。その間にト言い方では、ワーキング・クラスとロー ういう人間たちのなのか ? とニューヨ ランプは「失言」とでも思われる言葉をワ ー・ミドルクラスである。この層はい ーク・タイムスを読むような知識層も思 繰り返し言っている。ところがその「失まアメリカ社会で、自分たちは誰からもっている。また雑誌「ニューヨ 1 カー」 言」が彼の力を失わせるどころか、いよまったく顧みられていないと感じて、未にも「トランプの支持者とはどんな人間 いよ彼の支持は確実なものとなっていっ来に関して一番ペシミスティックな層でか ? 」という長い記事が載っていた。 私は日本の友人に、めちゃくちゃなト た。ほとんど毎日と言っていいほど、昨ある、と『ヒルビリーの哀歌』 (HiIIbiIy 日はトランプはこう言った今日はこう言 E 一 e ) を書いたバンス ( J. D. vance) は、 ランプがどうして人気があるのか説明し ったと報道されて、それは日本でも報道ニューヨ 1 ク・タイムスの Podcast 「トてくれと言われたが、それは私にも分か されただろう。その「失言」をいちいちランプに投票する人を理解する」で言っらず、いや分かっているとも言えるがそ あげたらキリがない。それは人種差別とている。この場合、ヒルビリーとは洗練れは言葉の上だけのことかもしれないの 傲慢さと自らの二重規範を背景にした発されていない田舎者というけなし言葉でで説明に躊躇したが、アメリカのインテ 言であったが、それらが「失言」としてあるが、それはトランプの支持者と重なリもそれを理解できないので、この本を
トあることが脅威であるが。数日前の Z て、あの言葉は暴力を意味していないともはや勝ち負けの問題ではない ニュースは「ト一フンプを越えて二弁明した。アメリカにおいては憲法修正何らかの事故、何らかの大事件が起こ 〇一六年の以後の共和党はどこに向かう第二条 ( 一般人がガンを持っ権利 ) は信仰のった場合は、まだトランプにチ・ヤンスは のか ? 」という特別番組をやっていた。 ような面があり、共和党支持者、またトあるが、そのチャンスは非常に小さい。 つまりこの異様な大統領選挙は、すでにランプ支持者の中では特にそれが強い。 そして勝ち負けが終わって、いま何が残 終わっているのである。 ( 全米ライフル協会 ) は多額のお金をつて何が見えているのか ? しかし、トランプにはチャンスはほと使いトランプ支持はもちろん、ガンコン まずトランプの支持者たちがいる。ト んどない、ということになっても扇動家トロール反対の議会ロビー活動を活発にランプの支持者は『ヒルビリーの哀歌』 としてのトランプの勢いは衰えない。ト行い、ガン愛好者を右翼政治的立場からのバンスが言ったように、「アメリカ社 ランプは、クリントンが大統領になった煽り立てている。クリントンは修正第二会で、自分たちは誰からもまったく顧み ら憲法修正第二条 ( 人民武装権 ) を廃止す条を廃止するとは一度も言っていないられていないと感じて、未来に関して一 る。そうなったら我々は自分たちをガンし、そのつもりもないはずだ。虚偽の事番。へシミスティックな人々」である。そ で守れなくなる。修正第一一条を支持する実でもって人々を煽り立てる扇動家の側の人々は選挙後も残り、負けたことによ 人々よ、お前たちはクリントンに対して面が、最も明らかになった瞬間であっ って再び誰からも顧みられていないと感 何かすることがあるだろう、と演説した。トランプの政治演説は、オバマとかじ、未来に関していよいよペシミスティ ( 0 クリントンのように聞く人に対して整然ックになるだろう。しかしトランプの扇 これはこれまでのト一フンプの扇動の中と説得するものではない。トランプの演動によって浮かび上がったその層は、少 でも最悪である。事実と異なることを言説はリビングルームとかカフェでの仲間なくとも私たちに見えるようになり、ト って、次に暴力を示唆する。このこと内の放談スタイルであり、彼の支持者たランプ以外の政治がその人々を助ける可 で、がトランプのキャン。ヘーン・ ちには整然とした政治演説よりずっと好能性は残っている。 オフィスから事情を聞いたというニュー ましいのである。しかしこの場合、演説もう一つ、共和党候補者としてのヒラ スが側から流れた。トランプ側はは放談というより扇動であった。 リー・クリントンがいる。共和党がクリ —が接触してきたことはないと言っ ントンに近づき、クリントンも共和党に
嘉な , 往復書簡 私たちの星ぞ 境界線上のプルース 梨木香歩様 点張り。一概には言えませんが、その反応にお国柄が出ること もありますね。ケニア航空のスロ 1 ガンは、「プライド・オ 「空港は時に人の最悪の顔をあぶり出す」。私自身様々な旅のプ・アフリカ」。ストの混乱の中、対応の悪さに憤慨して「あ ・システなた方はアフリカの誇りなんかじゃない。今日アフリカはあな 修羅場をくぐってきた末の結論です。コンピュ 1 ター ムが完全にダウンしたロンドンのヒースロー空港。ケニア航空た方を恥じている」と声を荒げる私に、肩をすくめて苦笑した のストに遭遇し、床に座って一夜を明かした挙句、搭乗券を求職員の反応は、今思えば当然だったかもしれません。。ハソコン めてもみ合う人々にもみくちゃにされて失神したナイロビ空画面のデータ上は日本人で、肌も黒くない私が、実はれつきと 港。引っ掻いてやりたいような人の裏の顔も、できれば見たくしたアフリカ人でもあることを、彼らは知る由もないのですか なかった自分の情けない顔も見てきました。乗客は大抵、自分ら。「何を失敬な」と思ったことでしよう。むしろ怒りをぐっ こら だけはその日のうちに出発しなければならない特別な事情があと堪えた彼らを称賛するべきかもしれません。。ハリでは、五百 ーで超過料金を要求され、そのロ ると信じているから、我先にとなりふり構わず人を押しのけグラムに満たない重量オー る。計画通りにいかないと人は取り乱すものだし、旅は壮大な調が高飛車だったのでムッとして「なんかセコい会社だな」と 悪態をついたら、職員は「まあ、そういうことよ。私だって大 計画だから、取り乱し方も壮大です。 一方、謝らなければならない事態になるとなぜか突然頭が高変なんだから」と会社に義理立てなんかしないあつばれな個人 くなる航空会社は、「私は知らない、なんとも言えない」の一主義。香歩さんが泊まったロンドンの宿のコンシ = ルジ = と通 ムこ 0 師岡カリーマ・エルサムニー
していた。その基金集めのファッショ という多彩な経歴の持ち主ーと紹介する。 る。近年の調査では、ユル・プリンナー 『王様と私』の主題歌「 ShalI We ン・ショーに出演した」と。より積極的 Dance? 」をはじめ、数々のミュ はウ一フジオストックの生まれとされる。 ージカにまた主体的に関わろうとしたと読め 両親、祖父母の出自をたどると、ドイツルの名曲を残したリチャード・ロジャ 1 ・ハマースタイン二世のコ山口淑子は、はじめての渡米にあた 系スイス、ロシア、イルクーックの先住スとオスカー 複数の取材に答えて、アメリカで会 民族、プリャートなどなど、こみいったンビが、「修行中の新人女優である私にり、 文化と血を承けているともいう。彼は眼をかけてくれた」、中国を舞台にしたいたい人としてエレノア・ルーズヴェル トと。ハール・バックのふたりをあげてい 『王様と私』のシャム王の役で一九五二「大地」でノーベル文学賞を受賞した。ハ ール・バックに紹介してくれたのも彼らる。エレノアは、三十二代米国大統領と 年にトニー賞を受賞した。「彼が、駆け してニュ ー・ディール政策によって大恐 出しの私をしばしばエスコートしてくれで、「私が中国で生まれ育ったバック・ たのは、同じオリエンタル ( 東洋系 ) としグラウンドを知って、彼女に引き合わせ慌後の経済立て直しをはかり、日中戦争 て気が合ったからだろう」 ( 『李香蘭私のたものらしい」 ( 『李香蘭私の半生』 ) と、時には蕗介石の国民党政権を支援したフ 半生』 ) というのが、山口の解釈である。 自伝は語る。どこかしら、彼女自身は受ランクリン・ルーズヴェルトのファ 1 ス トレディーであった。一九四五年四月に ふたりの経歴をみると、「オリエンタル動的であったかのような文体である。 ( 東洋系 ) 」というにとどまらず、共振すこれに対してドウス昌代『イサム・ノ夫に先立たれた後、一九五二年まで米国 るところがあったかもしれない。彼は大グチーー宿命の越境者』 ( 講談社、二〇〇の国連代表を務めている。山口淑子は自 戦中、 O> ( 戦時情報局 9 ま e war 〇年 ) の記述ではすこしニュアンスが異分を成長させてくれる人との出会いに貪 ・バック欲だった。知遇を得てエレノア・ルーズ lnformation) においてナチ占領下のフラなる。「淑子は尊敬する。ハール ンスに向けたラジオ放送のアナウンサー に北京語でインタビューする機会を得ヴェルトの私宅を訪ねている。高い目標 をつとめていた。ュル・プリンナーも、 た。。ハール・、ハックは戦後、アメリカ兵を掲げて実行に移す山口淑子の行動力が 山口淑子も、二十世紀の情報戦に動員さのアジアでの落とし子を引き取る施設うかがわれる。あるいは渡米前に周到に れたハイプリッドな才能だったのであ「ウエルカム・ハウス」を設置して活躍根回しをしていた結果、実現した会見か
うまでもない。 で開かれた。ハーティーの席上」であり、 ハウス」、沖縄の米軍施設、の施設 ジャック・・キヤノンについて、「鎌倉に遊びにきていた若い将校グルー となっていた川崎市下丸子の「東京銀行 『李香蘭私の半生』は、「のウイプの招きでこのとき一度だけ出席したの川崎クラブ」 ( 略称東川クラブ、通称 e ・ o) ロビー代将のひきいる 2 ( 情報局 ) や、だが、キヤノン氏の。ハーティーと知っなどを転々とさせられた。東川クラブの ソープ代将ひきいる O—co ( 対敵情報部 ) て、早々に退散した」という。つまり、 コックであった山田善一一郎が鹿地の家族 に所属していたらしい」若い情報将校た若い情報将校たちと同乗してのドライプに連絡し一九五一一年十一月に捜索願が提 ちが彼らのポスのジャック・キヤノンとが最初の出会い、やはり若い将校グルー出された。山田は一九五二年十一一月五日 いう中佐をつれてきたことがある、「私プの招きで出席した「本郷ハウス」の。ハ に記者会見を開く。日中友好協会理事長 を助手席に、部下たちを後ろの座席に乗ーティーが一一度目の出会いで、都合二回の内山完造が社会党代議士猪俣浩三に協 せ」キヤノンの運転で鎌倉までドライプしかキヤノンには会っていないというこ力を申し人れ、事件の報道が鹿地の解放 をした。情報将校たちとは、彼らが占領とになる。彼が「キヤノン機関ーのキャにつながった。十二月八日には猪俣代議 軍に接収された川喜多長政邸を訪れるよノン氏であることを知ったのは後になっ士を通じて鹿地亘の声明が法務委員会で うになったことで知り合い、「帝劇でアてのこと、「本郷ハウス」が「キヤノン発表され、十日に法務委員会で鹿地亘、 メリカの芝居やミュージカルに出演する機関」の本部として使われて、様々な謀内山完造、山田善二郎および、岩崎邸 ことになったとき、アメリカ人の生活習略事件の舞台になったというのも後で知 ( 本郷ハウス ) のポイラーマン、東川クラ 慣や考えかたについて教えてもらったりったこと、と主張されている。 プの使用人、茅ヶ崎市菱沼海岸のハ した」と語っている。キヤノンは運転し キヤノン機関の存在が明るみに出たのウス「 0 ー引号館」の管理人らが、証言 ながら銃をかまえ、小鳥やリスを見つけは、小説家の鹿地亘が一九五一年十一月台に立った。三鷹事件、下山事件、松川 ては発砲するという乱暴な運転で、命の二十五日から一年余りも拉致監禁され、事件、衣笠丸事件など、占領期のさまざ 縮む思いがした、と。「二度目に会ったアメリカの諜報活動への協力を強要されまな謀略事件の裏にキヤノン機関の暗躍 のは、東京・本郷の湯島天神の近くにあたという事件がきっかけである。鹿地はが指摘されるようになる。キヤノン機関 る「本郷ハウス」と呼ばれる豪壮な邸宅藤沢市鵠沼の自宅近くで襲われ、「本郷は占領終了に際して解散し、ジャック・ ( ママ )
七〇年代の初め頃、都内の駅のホームらだ。 ことだ。ゆえに、女性でも喧嘩に勝て で二人の男が激しく言い合いをしていた近年ソウルに行くと、繁華街でも一度る。また、韓国ではひどい罵倒をしあっ のを見て、アメリカ人の友人が感心しても喧嘩を目撃しなかった。だから、日本ても、つぎの日に会えば互いにけろっと いたのを覚えている。ニューヨークであに起こったような変化が韓国でも起こっしている。日本ではそうはいかない。ち れば、こんなに言い争うなら、どちらか たに違いない、と思う。ただ、この喧嘩よっとしたことでも、恨み骨髄、生涯、 が刺されるか撃たれているだろう、つまに関して、日韓に大きな違いがあること根にもつのである。 、死んでいるか大怪我をしているだろを感じる。たとえば、日本で喧嘩はすぐ 喧嘩の仕方のこの違いは、一つには、 う、というのである。彼はそこに日本のに殴り合いになるが、韓国の喧嘩はあく鎌倉時代以来武家政権であった日本と、 「文化」を見ていた。しかし、近年、私までロ喧嘩である。それは半ば、野次馬高麗王朝で一時武臣政権があったとはい はそんな喧嘩を日本の街中で見たことがの観衆に向けられているので、手を出すえ、根本的に官僚制の優位が保持されて ない。それは九〇年代にはもう無くなっことはめったにない。手を出せば、議論きたコリアの違いから来ているといえ ていたと思う。というのは、九〇年代にに負けたことになるからだ。こうして、 る。高麗・朝鮮王朝では、臣下は王と議 何度かソウルに行ったとき、街中でしばロ喧嘩が延々と続く。ロ喧嘩では、主張論する。臣下は、時には王を激怒させ しば喧嘩を目撃して、昔は日本もこんなが論理的で、語彙が豊富でないと、勝てて、追放の憂き目にあうことがあるが、 感じであったな、と思った記憶があるかない。腕力に訴えるのは敗北を自認するそれは儒者として不名誉ではないし、復 思想の 夫婦喧嘩の文化 柄谷行人
室謙二 すでに大統領選挙は終わった まず最初に、私の立っている場所を言スのどちらを大統領選挙の候補者に選ぶる。一体全体、私たちの運動はなんだっ ったほうがいいと思う。 かの選挙では、私はサンダースに投票したのかと、民主党に騙されたように感じ た。もっとも私たちの投票が、候補者をたのであった。 私は日本生まれだが、いまではアメリ カ市民権を持ちアメリカに住んでいて、 最終的に決定するわけではない。党役員さて私はすでに彼らのように若くはな だから大統領選挙を外から見ている人間や上下両院議員で構成する特別代議員といが、その世代とともにサンダースを支 ではなく、大統領選挙に投票する人間でいうのがあって、これが大きな力を持っ持して、彼にお金を送り、彼に投票し た。しかしここで議論があった。サンダ ある。そして私は住んでいるカリフォルているから。 ニア州で民主党支持であると登録してい ーニー・サンダースが、民主党の大ースは特別代議員を押さえていないの る。これは共和党支持であるとも、第三統領候補を選ぶ投票で多くの一般民主党で、民主党の大統領候補にはなれないだ 党を支持するとも登録できる。登録した支持者から票を得ても、すでにクリントろう。だとしたらクリントンに投票し からと言って、選挙の時に登録した党のンが事前に特別代議員の多くの支持を取て、十一月の大統領選挙に向かってみん 候補者にしか投票できないということはり付けているので、彼には勝つ見込みがなでヒラリー・クリントンを押すように ない。しかし民主党の大統領候補者を選少なかった。サンダースを支持する運動したほうがいい、という立場があり ( 親 ぶ事前の選挙に投票できる。今回のヒラに参加していた若い人たちは、後になっしい友人の立場はそうであった ) 、別の リー・クリントンとバーニー・サンダー てこういう仕組みに苛立ち怒ったのであ立場は、こちらが私たちの立場であった
二〇一五年十月、イエール大学で学生て話題となり、ウォール・ストリート・ り、メディアで注目を集めた。 の抗議デモが起こった。事の発端はハロ ジャーナルは学生たちを「イエールの小 一九九〇年代の英語圏では「文化流用 ウィーンの仮装である。大学当局からはロベスピエール」と社説で嘲った。 cultural appropriation 」というがしき 事前に、仮装の際は他人の気持を害する仮装にまつわる文化摩擦が浮上したのりに使われた。たとえば第三世界のアー ことのないよう「文化的配慮」を呼びかはイエール大学に限ったことではない。 ティストが第一世界の資本主義の産物を けていた。これに対し、大学寮のカウン二〇一五年に大学で起きたケースだけで再利用する場合、当初はこの言葉には先 セラーの教員は、多少気に障ることを若も、の仮装。ハ 1 ティで白人学生鋭的で刺激的に既成概念を裏切る魅力が 者がすることはあるだろうし、わざわざが黒人ミュージシャンのカニエ・ウエスあったが、いつの間にか問題の中核が本 大学が仮装のことで指導する必要もないトを真似て問題になったし、大きな付け物か偽物かに移ってしまい、「流用」自 だろう、という内容のメールを寮の学生髭とソンプレロで写真を撮ったルイヴィ体が不名誉な言葉に転じた。 全員に送ったところ、このメールこそ配ル大学職員が陳謝する事件もあった。ポ ところで、イエールの学生がロベスピ 慮に欠けると学生たちは抗議したのだ。 ストン美術館の特別展「モネと日本」でエールならば、革命は何だったのか。一 ある学生がカウンセ一フーの配偶者に怒鳴観客に着物を着せて写真を撮るイベント言で言えば、それは多文化主義という革 っている場面が YouTube にアップされにもアジア系アメリカ人からの抗議があ命であった。ナチズムの恐しい人種主義 ュネスコと多文化主義革命 ジョルダン・サンド
新刊案内に表示した発売日は小社出庫日です 1 0-2016 観応の擾乱、尊氏の死、有力守護大名の 没落のあと、年少の将軍義満の補佐とし 己、 0 ・て細川頼之が管領職に就任、その優れた 0 売 0 6 3 一一一一口・し、政治によ 0 て、「中夏無為」の太平の世と 太平 なった。南北朝五十余年の争乱の世を描 1 兵藤裕己校注 く歴史文学の大著が完結。 ( 全六冊完結 ) 本・ ◎菊池戯曲の代表作を味わう 菊池寛の戯曲は、登場人物たちの明確な 、、姿かたち、生き生きとした台詞、理詰め 、な劇の構成、人間の心理への作者の的確円売 庫父帰る・藤十良の亦。 イな観察眼により、今なお新鮮であり広く。発 菊池寛戯曲集親しまれて。全戯曲から、代表作一こ 0 一一作を精選する。 石割透編 本・ ◎南部を舞台に交差する三つの物語 〈あたし、アラバマから来たんだ。すご く遠くまで〉自分を棄てた男を追って ひとり旅する娘。白人か黒人か自らの血円田売 に苦しむ男。狂信者として排斥された元 08 発 、冫八月の光田 牧師。相容れぬ三 0 の物語が、アメリカ 南部を舞台に邂逅する。 フォークナー / 諏訪部浩一訳 ( 全ニ冊 ) 本叨・ ◎騎士道小説の金字塔、世界文学のマスターピース ドン・キホーテが読みふけり、正気を失 う原因となった「世界一」の騎士道小説。 騎士テイラン・ロ・プランの地中海を巡 0 売 る冒険と絶世の美姫との愛の日々が絢爛 1 発 一ラン・ロ・プラン 1 1 & 日 豪華な宮廷生活を背景に活写される。 体 3 ¯J ・マルトウレイ、・ -) ・ダ・ガルバ / 田澤耕訳 ( 序文“バルガスリョサ、全四冊 ) 本赤叨・ 岩被 ◎「中夏無為の世」へ・ーー歴史文学の大著完結ー -4