写真 - みる会図書館


検索対象: 図書 2016年7月号
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1. 図書 2016年7月号

視点からでは右側の取っ手しか見えず、かせた。学生たちはさまざま形のカップまれもした。典型的な景観は見慣れた角 左側の取っ手が存在しているかどうかさを描いたが、どれも驚くほど似ていた。度でもあるが、情報量がもっとも多い角 え分からない。ひどく情報の欠如した静いずれも右側に取っ手があって、上部の度でもある。 そういえば、モナリザをはじめ、多く 物画である。福田はスルバランの構図の飲み口が少し見える角度で横から描いて 水平性に注目し、事物が垂直方向に並ぶいたのである。カップと皿を真上から見の肖像画もこの少し斜め横からの角度で ように、視点を変換して、敢えて「悪いたり、持ち手を正面に描いたりする者は描かれている。スリークオーター ( 四分 いなかった。五歳児と同じである。アメの一一 l) と呼ばれるこの角度から写した笑 眺め」からの絵を描いたのだろう。 ハート・ >-a ・ソリカの大学生に限らず、私たちもそうす顔の写真は、正面から写したものよりも アメリカの心理学者ロ・ ルソは大学生に紅茶カップと受け皿を描るだろう。それがもっとも情報量の多い肯定的に評価され、怒り顔の写真には、 否定的な印象が抑えられたという報告も 「よい眺め」だからである。 ある。スリークオーター効果と呼ばれて アメリカの認知心理学者ステファン・ ・。ハルマーは、馬や電話機を様々な角いる。人は一目でより多くの情報が得ら 度で写した写真を大学生に提示し、それれる角度を好み、その角度で映っている が何であるかを答えさせた。答えるまで人をも好むらしいのである。 にかかった時間は、「典型的な」視点かわたしたちは特定の視点から物事を見 ら写された写真ほど速かった。また、そがちである。しかも、それを「よい」と の視点は物体の名前を伝えられたときに思い込みがちだ。だが、モランディは、 想像するときのものと一致した。さらよい眺めも悪い眺めも含め、さまざまな に、写真の「よさ」を判断させると、典角度から事物を眺め、それをキャンバス 型的な角度から写された写真ほどよいとに定着させた。彼が描いた穏やかで安ら された。すなわち、馬なら真上や真正面かな静物は、一方で、「よいとは何か」 からではなく、少し斜め横から見た角度を問いかけているようにも見える。 ( みうらかよ・心理学 ) の写真に反応が速く、また、それらは好 図 4 福田美蘭「陶器」

2. 図書 2016年7月号

わー、きれいだな」と思っても、だんだリ 1 ダもシュールレアリスムやトロッキ恋人もいた。でも、別に好きな人って、 んだんだんしおれていく。フリーダ・カ ーとの関係もあった。彼らは同時代人だ男でも女でもいいわけですよね。そのこ ーロもいろんなかたちで花を描いてい ったんですね。驚いた ( 笑 ) 。日本だと、 とに限らず、フリーダには、時代を超え る。石内さんの作品でも、フリーダの遺戦前と戦後で時間軸が切断されているかた普遍性、永遠性があるんだと思いま 品が、木漏れ日の中に置かれて、花にならわかりにくい。でもメキシコで見るす。だから、今もフリーダについての本 っている。 と、ひとつながり。戦前と戦後の区別なが世界中で出版され続けている。 石内たしかに、そうね。フリーダがんて、浅いのかもしれない。 加藤今回の石内さんの写真集は、フ リーダ・カーロに関して表現されてきた 降りてきている感じでした。撮る時は何石内そうですよね。 も考えないでシャッターを押すだけなん加藤だから、古い時代を持っていなものの、ひとつの極北だと思う。まった ですが、現像所であがってきたのを見たがら、新しい時代まで橋を渡しているよく既成観念から自由で、身軽なフリーダ がいる。彼女は、喜んでいるんじゃない ら、涙が出ちゃって。あんなふうに写っうな、今と地続きの生き方を感じる。 てるなんて、思いもよらなかったもん℃ 石内フリーダは強力なエネルギーをかな。ようやく自分を「フリーダ・カー 自分の写真を見て、「ああ、そうだよね」持っていて、それだけ人に与える影響もロ」から、自由にしてくれたと。 とわかったような。フィルムはそれが面大きかったんでしようね。彼女にはきっ石内ありがとうございます。こうや って加藤さんとお話しできたのも、きっ 白い。撮っているその場では見えないかと今に伝えるべきものもいつばいあっ ら。ちゃんとした時間がとどまっているて、何かを残していたんだと思います。とフリーダのおかげね ( 笑 ) 。 ( いしうちみやこ・写真家 ) でしよう。フリーダと出会ったのは、奇ひどくマチズモな社会に女性として生き ( かとうのりひろ・評論家 ) 跡ですね。奇跡としか思えない。それほながら、自分を失わなかったというの も、すごいこと。フリーダは正面から男 ど大きい出来事です。 東京・銀座の資生堂ギャラリーにて、 加藤フリーダは一九〇七年生まれ性と闘い続けたわけではないけれど、デ 石内都展「 Frida is 」開催。一一〇一六 で、五四年に四七歳で死んでいる。同じイエゴとの結婚や他の恋愛でも、好奇心 年六月二八日 ( 火 ) ー八月一一一日 ( 日 ) 年の生まれに中原中也がいます。中也も旺盛な彼女にとって男たちは情報源とい 最初にダダイズムから影響を受けた。フう面があったと思うし、彼女には女性の

3. 図書 2016年7月号

加藤血だらけのものでも、オリジナる。まあ、そんなのどうでもいいんだけて、 , ほとんどない。西洋では人間と動物 ルは、ほんとうに繊細で、美しい。 ど ( 笑 ) 。そういう呼び名にも、日本でのは違うものとされるからです。でも、フ 石内そうか ! だからここにオリジ写真の地位が現われていますね。オリジリーダの絵は違う。僕の感覚に合う。 ナルプリントを見に来たのね。 ナルプリントに価値を置くかどうかも、 石内彼女の発想は、本当に自由。あ 加藤そうだよ。 欧米と日本では、ずいぶん違います。 まりにもフリーダのことを知らなかった 石内わざわざ来てくださった意味加藤やつばり、オリジナルは違う。ので、メキシコに行く前に、フリーダに が、よくわかりました。ありがとう。 最初にオリジナルに感動した経験は、セついて書かれた本をほとんど全部読んだ 加藤もちろん、写真集もいいんですザンヌなんです。昔、国立西洋美術館でんです。でも、それは余計だった。あん よ ( 笑 ) 。でも、写真集は人口なんですよセザンヌ展があって、それまでいいと思なもの、要らない。自分で絵をちゃんと ね。写真集とオリジナルプリントと、両っていなかったのに、オリジナルを見て見ればいい。見ればわかるということ 方のアクセスがあっていい。昔、。ハリにビックリした。結局南仏の彼のアトリエを、私も経験しました。だからメキシコ 一年間住んだときには、写真集専門の書にまで行きました。プリューゲルも好きに行く前と後で、フリーダ観がまったく 店によく行きました。それで商売が成りで、いまもオリジナルの追っかけをやっ変わってしまって。ちゃんと生きて死ん 立つんですね。写真集だけの古本屋、ています。好きな画家の作品を、いろんだ女がいた。その現実的な生きざまがわ 「シャンプル・クレール」という店もあなところに見に行ったりしてきたけれかったというか。そして、彼女の場合、 ります。つまり、「明るい部屋」。ロラど、正面衝突のように出会って、一番印重要なのは死にざまですね。 ン ・バルトの写真を論じた本の名前と同象が鮮烈なのがフリーダかな。だから、 じ。 フリーダ・カーロは大好きなんです。 石内写真に対する歴史と捉え方が、 僕は猿と大と土偶のようなものが一緒 加藤フリーダの絵も美しいですが、 日本と欧米とでは違うんです。海外に行に描かれたフリーダの自画像の大きな複石内さんが撮ったフリーダの遺品も美し くと、あまりフォトグラファーとは呼ば製を、一〇年まえから自分の仕事場に飾い。どんなものも最後に武装解除され れない。アーティストと呼ばれる。でっているんですよ。西洋の自画像で動物て、余計なものがなくなって、美しいか も、日本では写真家という肩書きになと自分が一緒に描かれているものなんたちで残っているように感じます。 「マザーズ」に導かれて

4. 図書 2016年7月号

石内実際のものは、こんなにきれい それでいうと、写真というのは造形芸に、もともとは紙つ。へらの中の世界。そ じゃないんですよ。丁寧にきれいに見え術だけれど、そこにも混沌、激情、愛憎れが非常におもしろいところです。 るようにして、私が感じた美しさを撮っがある。その、写真にならないもののと 加藤石内さんの作品にはキャプショ ンがないものが多いですよね。 ている。「ひろしま」もそうです。それころではディオニュソスが生きている。 で、いろんな人が見てくれればいい。 石内さんは、お母さんとあまりうまくい石内説明したくないので、基本的に 加藤お会いする前に、「マザーズ」かなかったと書いていて、その感情の混はつけません。提出するだけで、あとは の写真集 ( 『マザーズ 2000 ー 2005 未来の刻印』沌は音楽のように写真には映らない。で見る人が勝手に見てくれればいい。そし 淡交社 ) をもう一度、見てきました。 も、その断絶と落差が、声となって写真て、自分の言葉で解釈してほしい。一つ 石内あれは、ここで撮ったのよ。リを細動させている。そこでは嘆きや叫びの方向に決めて見てほしくないの。 加藤「 scars 」 ( 皮膚に残る傷跡を撮影し は凍結されていて、その痕跡がニーチェ ビングの窓に外側からトレーシング。ヘー た作品 ) の写真集 ( 『 scars 』蒼穹舎 ) も、今 。ハーを貼って、自然のライトボックスにの悲劇と呼んだものだけれど、それを、 して。口紅の写真は、台所のシンクで。感じる人は感じることができます。石内回、見なおしてきたけれど、「 scars 」に 加藤へえ、そうなんだ。僕は石内ささんの後期の展開の起点は、やつばりは簡単なキャプションがついているね。 んの「マザーズ」に、ニーチェの『悲劇「マザーズ」で母子の葛藤と向き合った石内ついています。病気、事故、自 の誕生』を思い出しました。『悲劇の誕ことだったんですよ。そもそも石内都と殺未遂とか、傷の由来と傷ができたのが 生』では、理知的で造形的な神・アポロいう名前がお母さんの名前でしよう。そ何年かだけ、最小限、書きました。 と、音楽や陶酔、混沌の神・ディオニュこにすでに「叫びの凍結」がある ( 笑 ) 。 加藤戦争というのもある。 ソスという二つ原理がギリシャにあり、 石内私が興味を持つのは、痕跡の悲石内沖縄の女性です。艦砲射撃で背 その二つが戦い、融合するところから悲哀のようなものなんです。人があまり喜中を貫かれた傷で。 加藤「ひろしまーは、どういうきっ 劇が生まれる、そのうちディオニュソスばないものや目を背けるもの、あまり問 がいなくなりアポロが優勢になって悲劇題にしたくないこと、そういうものに、 かけで撮ったんですか ? というものが消えた、という大きな話がすごく興味があって、撮りたいの。写真石内写真美術館でのベネチアの凱旋 論じられています。 には記録と記憶の両方があるから。それ展「マザーズ」を見た集英社の編集者か 9

5. 図書 2016年7月号

ろはあまり言われないし、彼女は自分でに、同世代で最初にガンで死んだ友人が よ 自分のイメージを作り上げていた。負けいて、お葬式に行ったとき、お棺にお花 そうな自分を感じながら、必死で闘っを入れながら、なんで花なんだろうつ て、ずっと思っていたのが忘れられない て、自己演出していたんじゃないかな。 べッドで絵を描いている写真があるけれんです。花はきれいだけれど、すぐしお ど、指輪を四つも五つもしている。普れる。いつまでも残らない。 石内切った花というのは、すでに死 通、そんなんじゃ描きづらいもの。 アリスムを批判するでしよう。自分の作加藤フリーダにまとわりついたイメに花なんですよ。 加藤命がそこに凝縮されている。だ 品は「現実 ( レアル ) 」なんだ、って。石ージを、全部はいで自由にすることか 内さんの今回の写真集のタイトルは「愛ら、この写真の美しさは作られているよから、死んだ人を、命の極みのようなも と痛み」だけど、フリーダの愛というのね。僕はここに、メモをしてきたんですので覆うんですね。だから僕は、人から は、とても広い。夫のディエゴ・リべラが、この作品から、「苦しみも花のようもらってうれしいのは、花と食べもの。 石内ほんと ? 意外。そうなんだ。 がいて、不倫相手がいて、でも、彼らへに静かだ」という感じを受けました。 の愛は、彼女の愛のある一部分。痛みに僕が写真に関心を持った年というの加藤息子が死んで、そのとき僕は、 カロバート・メープルソープがエイズ何をもらってもうれしくはなかった。だ しても、満身創痍だから、いろんなかた けど、花は : ちの痛みを感じていたはず。彼女の作品で死んだ年なんですね。彼の晩年には、 からは、徴細なグラデーションのある痛一緒に住んでいた。ハティ・スミスの写真石内邪魔にならなかったんだ。 加藤うれしかったな。 みがあり、その痛みと折り合いをつけなとかもあるんだけど、もういよいよ死ぬ となってからは花ばかり撮っていて、最石内やつばりきれいだったんだ。 がら一緒に生きたという感じを受ける。 加藤きれいとかいうよりも、他にか 後の写真集は『 FIowers 』というものだ そして、激しいけれども、静か。 たちにならないもの、これしかないとい った。 石内絵を描く行為というのは、無言 で、とても地味ですよ。それを彼女はし僕もこの年になって、いろんな人の死うものが、花なんだね。花って何の役に つかりやったんですよね。そういうとこを経験していますが、二〇年ぐらい前も立たないじゃない。どんな花も、「う

6. 図書 2016年7月号

石内都 加藤典洋 フリーダの遺品を撮る 9 ・ 4 ・ 7 』アイピーシー ) で。銀座のカフェる写真集、『フリーダ愛と痛み』に掲 加藤石内さんの写真を最初に見たので見たのですが、見終わって外に出た載する全作品のプリントを見せていただ は、「ア。ハートメント」 ( 横須賀、横浜、東ら、街を歩く女の人が違って見えた。 きましたが、やはり、どれも、とてつも 京のア。ハートを撮影した作品 ) ですね。それ石内初めてお会いしたのは、二〇年なく美しい。そもそも、どういう経緯で を、『太陽』 ( 平凡社 ) に連載していた初めぐらい前の水戸芸術館のトークイベントフリーダの遺品を撮ることになったの ? ての写真評に書いた。そのときに、たく ですよね。そう頻繁にお会いするわけじ石内一番初めは、メキシコ人のキュ さんの写真を見て、感化された結果が、 ゃないけど、もう長いおっきあいです。レーターから、フリーダの家ーー今はフ 『なんだなんだそうだったのか、早く言 加藤今日は石内さんがフリーダ・カリーダ・カーロ博物館 ( 通称「青の家」 ) に えよ。』 ( 五柳書院 ) というタイトルの本に ーロの遺品を撮られた作品についてお話なっていますが、その家の・ハスルーム なりました ( 笑 ) 。それから、ずっと石内しするのに、印刷されたものではなく、 を、彼女の死後五〇年経って開けたか さんの作品を拝見しています。 どうしてもオリジナルプリントが見たくら、そこから出てきた遺品たちを撮って 「 1 ・ 9 ・ 4 ・ 7 」 ( 同い年の女性の手と足をて、こちら ( 石内の実家を改装した横浜のアくれというメールが来たんです。 クローズアップ撮影した作品 ) は写真集 ( 『 1 ・ トリエ ) にお邪魔しました。今度出され加藤一九五四年に亡くなっているか 〈対談〉 苦しみも花のように静かだ 永遠のフリーダ・カーロ

7. 図書 2016年7月号

も快く思わないことを指摘している。 ドリアンの作品と比較されることがあ物」では、縦一列に近い構図で事物を描 個々の事物が一目で分かる絵は、その点る。モンドリアンは垂直と水平の線分でいている。これでは最前列の陶器はとも でも好まれないはずである。 区切られた矩形を単位に、赤、青、黄のかく、後ろのそれらは、かなりの部分が だが、穏やかで安定したこの作品は魅三原色を部分的に使って、シンプルな抽隠れて、個々の事物の情報は乏しくな 力的である。 象画を描いた画家である。だが、そうしる。先で述べたことと矛盾するようだ が、人は一目で多くの情報を得ることが モ一フンディの作品は、そのシンプルさた比較を、当のモ一フンディはきつばりと ゆえに、あるいは、垂直・水平の構図か否定したらしい ( 岡田温司『モランディとできる構図を好みもするのだ。 イギリスの発達心理学者、ポール・ラ らか、オ一フンダの抽象画家ピエト・モンその時代』人文書院 ) 。彼にすれば、突き 詰めた末の具象画であって、抽象画とはイトとカロライン・ニックスは「よい眺 無関係だと言いたかったのだろう。しかめ (goodview) 」という表現で、子どもた し、結果的には、抽象画並の大胆なチャちのものの見方を紹介している。重なり レンジああった複数の事物を絵に表す際、子ども るいは冒は見えている通りに重ねては描かず、一 険になつつひとつの事物が見えるように並べて描 くという。個々の事物がもっとも効果的 物ている。 静 彼はさに見える構図にこだわるからだろう。彼 らにこのらは二本の並んだ壜がどのように見える ン かを、子ども達に写真で選ばせた。する 作ロより モも実験的と、四歳から六歳の子どもは、二本の壜 2 な試みをが横に離れて配置されている場合にはそ 行っていの配置の写真を選択するが、壜が重なっ る。図 2 て片方が部分的に隠れている場合でも、 の「静一一本とも完全に見える横並びの写真を選

8. 図書 2016年7月号

〔表紙〕偏光板 伊知地国夫 「偏光板」は、偏光サングラスやカメラの偏光フィルターとして、物の表面などからの反射光を軽 減するために従来から使われているものだ。偏光板には、決まった方向に振動する光のみを通す性質 があり、二枚を重ねて回すと明るくなったり暗くなったりするので、変化を見ているだけでも面白い。 言もが使うものではないから、見たことがないという人も多いのではと思う。ところが、現在「偏光 板」はとても身近なところで使われ、触れる機会も多い。一体どこに使われているのか。 その場所は、。ハソコンの液晶ディスプレイ、液晶テレビ、スマートホンやタブレットなどの液品。ハ ネルだ。液晶。ハネルは二枚の偏光板を重ねて作られ、その間に液品層やカラーフィルター層などがあ る。。ハネルの表面はこの二枚のうちの一枚の偏光板だ。指で操作できるように、指の位置を検知する 層や、透過後の偏光を弱める層が加えられているものもある。ふつうは、。ハネルを通った光を見てい るから偏光板に気がっきにくいが、電源が切れているときに見えている黒い部分だ。このような偏光 板を二枚重ね、その間にプラスチックのケースなどを人れると面白いことが起こる。無色透明の ケースに写真のような虹色の模様が突然現れ、ケースを回すと模様も変化をする 撮影はノート。ハソコンのディスプレイを利用した。文書作成のソフトで白い無地の画面を作る。そ の上にプラスチックケースを置き、コン。ハクトデジカメのレンズの前に偏光板をつけ、背景が暗くな るように回すと、写真のような虹色の模様が現れた。プラスチックケースは、一様に見えても光学的 な性質 ( 複屈折性 ) に差異があるものが多く、その差が色として見えるようになるためだ。 。ハソコンのディスプレイは照明装置つきの大きな偏光板だ。ディスプレイと偏光板をつけたカメラ の間にいろいろなケースを置いて、不思議な虹色模様を撮影するのも楽しい。 ( いちじくにお・科学写真家 )

9. 図書 2016年7月号

文庫解説を読む 戯曲の解説は演劇的に書いてくれ 斎藤美奈子 ◆錯綜したテキスト 外には「誰 ? 」だったとしても、いまな二三年 ) に収録された 1 なるテキスト それは一五年ほど前。ファミレスでごおこの戯曲は演劇界、そして文庫界の重だが、じつは『ハムレット』出現以前に 飯を食べていたら、後の席の大学生とお鎮である。著名な文庫はほとんど制覇。別の作者による作品 ( 通称『原ハムレッ ぼしき男子二人組の雑談が聞こえてきもちろん訳者はバラバラだ。内容は説明ト』 ) がすでに上演されており、さらにそ た。「シェイクスピアが : : : 」という言するまでもないだろう。デンマークの王のまた源流には『ハムレット』の内容に 葉が聞こえたので、おっと耳をすますと子ハムレットが、自らの命と引き替えそっくりなデンマークの伝説があって 。このへんで英文学の学生でない読 彼はいった。「シェイクスピアつ、て誰だに、亡き父王を殺して王位に就いた叔父 への復讐を図る悲劇的な物語だ。 者 ( たとえば私 ) は、めんどくさーい気持 つけ」。もう一人が答える。「有名人っつ 『ハムレット』はテキストが錯綜してちになるのだが、まあいいや。ともあれ ても、写真は見たことないしね」 写真は見たことなくても肖像画があるいることで有名で、文庫解説の多くはそ現物を見てみよう。 でしようが。っていうか、シェイクスピの話にかなりの紙幅を割く。信頼すべき ゝどっと歳をとったテキストは一六〇四年 ( 〇五年説もあり ) ◆サムライとサラリーマン ? アを知らないのカ に出版されたと呼ばれる版で、初版数ある日本語訳『ハムレット』の中で ような気がした瞬間だった。 というわけで、ウィリアム・シェイクとされるは劣悪な海賊版。ほかに信も特に有名なのは上演台本としての使用 スピア『ハムレット』。英文科の学生以頼できるのはシェイクスピア全集 ( 一六回数も多い、福田恆存訳の新潮文庫版

10. 図書 2016年7月号

ら、広島を撮らないか、と声をかけられの子の服の柄やボタンとかが、おしゃれれが、日本以外の人が見たときにも、 たんです。それまで、広島に行ったことなんだよね。つまり、一九四五年の八月「ああ、こういうことだったんだ」とは もなくて。 六日の朝、起きて顔を洗ったりして身支じめてわかって、違う種類の感動につな 加藤僕も一五年ぐらい前に、初めて度をして、かわいいボタンのついた服をがった。 行きました。それまでもちろん原爆のこ選んだ、すこしおしゃれをした、そうい石内広島に行ったら、どこも「平和 とも書いていたし、それで親しくなったう時間をすごした普通の人が、八時一五記念資料館」「平和大通り」「平和大橋」 人が広島にいることもあって、一回行か分を迎えたんだとわかる。原爆だ、広島と、「平和」だらけ。でも、実際には なきやと思っていた。原爆資料館も見だ、アメリカだ、というようなことか「原爆資料館ーですよね。地元のメディ て、かなり疲れたけれど、白紙で行っら、一番遠い、小さなものが、そこにはアも、そう書いている。原爆というの て、受け取って、いろんな物語がついてある。原爆で死んだ人たちは、自分たちは、ある意味、差別の対象になっている いるものをもう一回取りのぞくと、やっとまったく同じだ、地続きだ、という思んですよね。遠巻きにされている。だか ばり、そこに最後に残るのは、美しいもいが、そのすこしおしゃれな服の写真から、被爆者は被害者だというイメージが のなんですね。 ら、やってくるんですね。 先立つ。それに、外国の人は、原爆の被 石内イメージが先行していますよ石内原爆を受けたからって、みんな害を日本人全体が受けたと思っている ね、とくに広島には、いろんなメッセー地味で、もんべ履いて : : : なんていうわの。しかし、日本の中では、距離感が違 ジがいつばい付いている。原爆ドームをけではなかったんですよね。世界中、広う、リアリティーがないわけですよ。逆 初めて見たとき、本当にかわいく感じ島だろうが東京だろうがパリだろうがニに私にとっては、今、広島は身近なの。 て。なんでこんなちっちゃいの ? みた ューヨークだろうが、戦時中でも、みんワンピースを残したまま、まだ行方不明 いな。下からあおって撮っている写真ばなおしゃれはしていたの。だから、今のになっている子がいる。もしかしたら帰 かりだから、大きく見えてたの。 私たちと一緒なんですよ。 ってくるかもしれない。そういう現実感 加藤石内さんが撮った「ひろしま」 加藤その服を着ていた人の、かわいが、あるんです。 を見たときに僕が思ったのは、他の人がくおしゃれしようと思う気持ちが、石内 加藤昔、黒柳徹子さんがアフリカに 言っているのと同じことなんだけど、女さんの作品の中に取り出されている。そ行ったときに、華美なお化粧をして、お