記憶 - みる会図書館


検索対象: 図書 2016年7月号
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1. 図書 2016年7月号

広島県出身の女優・綾瀬はるかが被爆者 のもとを訪ねます。被爆直後の惨状の中 テレビ『』取材班編 で生まれた生命、原爆症の父を支えた娘 の苦悩・ : 。苦しみと向き合いながら戦後円頌売 を生きてきた人々の言葉を通して平和の発 す 瀬はるか「戦争」を聞くⅡ 意味を考えます。大きな反響を呼んだシ 9 」 で 日 体書 ( カラーロ絵〕 丿ーズの第二弾。 本新霏・ 庫 出 社 戦死した恋人を思い続ける女性、奇跡的 テレビ『』取材班編 に一命を取り留め六七年ぶりに涙の再会円碩 7 売 1 を果たした幼なじみ : ・。今まで語ること 8 田期 発 尸のできなかった辛い記憶。今、語り継ぐ 8 鞦 た ア綾瀬はるか「戦争」を耳く し べき大切な記録です。 〔カラーロ絵〕本新 表 ュ ガダルカナル、サイバンなどで戦闘に加 内 共同通信社会部編 わった日本兵の証言を三〇代の記者が取 案 刊 材。彼らが当時どんな状況におかれ、生円売 新 き延びてきたのかを現地の様子を織り込 8 囲発 日 波代記者たちが出会った戦争 みながら明らかにする。忘れてはならな 9 」 ー激戦地を歩くー 体書 い言憶かそれぞれの心に深く刻まれる。 本新・ 深刻化する温暖化のなかで、気温の上昇 西雅子 ( こにしまさこ氏は、ジ真ン気候変動主ネルギープ 0 ジクトリーダー ) を抑え環境を守るために私たちは何をし 、なければならないのでしようか。円頃胸売 幻で合意されたパリ協定の意義や世界と鵬発 球温暖化は解決できるのカ 日本の温暖化対策、今後の課題をわかり 8 判 体書 バリ協定から未来へー やすく解説します。 本新引・ 2

2. 図書 2016年7月号

◎沈黙の戦後。なせ語れなかったのか ? 尋問室で何があったのか ? 第二次大戦中、太平洋の激戦地で 捕虜となった日本兵。その尋問録 音記録に残されていた衝撃の告白 とは。国が戦争をするのではない、 密室の戦争 人が人を殺すのだーー味方も所属加明売 日本人捕虜、よみがえる肉声 製 o 本発 もない一個人が対峙した戦争の真吐 3 2 一日 片山厚志・スペシャル取材班 実。尋問室での壮絶な闘いを再現。旭体】劇囲 ◎植民地支配の思い出し方をめぐって ふだんは忘れられている「植民地 支配ーの記憶。だがその傷痕は日頁 本国内に残っている。字部、北海 道、紀州、知覧 : : : 朝鮮人犠牲者←館 忘却された支配 ノ円書史 を追悼しようとする人びとの試みカ o ト歴売 ー日本のなかの植民地朝鮮ー 製 0 般本発 をたどる。思いはなぜすれ違うの並 2 2 一日 ( いとうともなが氏は、毎日新聞編集委員 ) かー、ー、新聞連載を一兀こ単一丁本ヒ。判 伊藤智永 。、彳イ六体田 他 の ◎記憶のさまざまな断片から生起する、あの愛しい街輝くコバカバーナ海岸。甘やかな そ ポサノヴァ。至福のカーニヴァル。頁 6 随 忘れがたい魔法を帯びた街、リオ の魅力を、プラジル文学と音楽の← ( リオデジャネイロに降る雪 研究者である著者が、眩い筆致で加明売 ー祭りと郷愁をめぐる断想ー 波 製 O 本発 綴る。遥かな距離や時を超えて胸 8 2 一日 福嶋伸洋 ( ふくしまのぶひろ氏は、共立女子大学准教授 ) 打つ、人びとの孤独と幸福の調べ。体 本粉・

3. 図書 2016年7月号

ちまき 鈔』の「椶」という項目に、和名知萬木という記述があり、菰が実家を出てからです ) 、灰汁を作る木の種類や詰めるもち米 ( 現代のマコモですが、物を包むことが可能な植物素材と思わの量などの試行錯誤を重ねた結果だったのでしよう。薀蓄を聞 れます ) の葉で包んだもち米を灰汁で煮、五月五日に食するとかされた覚えもあります。私はアクマキが苦手でしたが、母の 記されていることがわかりました。ということは、その頃 ( 九「チマキ」は好きで、季節になると、まとめて送ってもらって 三〇年代 ) までには、この名前と製法はすでに巷に広く伝えられ来客にも振舞い、喜んでいただいたものでした。けれどもう、 ていたということでしよう。古代、南九州には坊津という遣唐それも叶わず、あの「チマキ」は母一代限りのものとなり、私 使が行き来した港もあり、海を渡って文物がやってきました。に継承されることはありませんでした。アプケイのロシア風タ 「チマキ」もそうやって伝えられ、そこから諸国に広がるととタール料理は、師岡さんに受け継がれているのですね。 もに、より洗練された形に発展していったのが、例えば京都風料理は土地の歴史を語り、個人の過ごしてきた日々も語る。 のちまきなのでしよう。が、渡ってきた地元では愚直にという代々の人びとの記憶に、手に、更新されながら、ものによって か不器用にというか、呼び名も製法も変えずに千年以上も、渡は、芸術作品と呼ばれるものより遥かに生き延びて。破壊され 来してすぐの原型そのまま、「チマキ」が伝えられていた。さてしまった。ハルミラ遺跡などはほんとうに残念ですが、決して らに調べると、中国の部族の作るちまきの中に、「チマキ」と破壊されず、力強くしたたかに繋がっていく伝統もある。たと 全く同じようなものもありました ( 地球規模で言うと、アプケえピラミッドがことごとく略奪されたって、モロへイヤ料理は イのタタルスタンと地続きの、ユーラシア大陸に出自を持っと必ず生き延びるでしよう ( だから破壊されてもいいんだと言っ てるわけでは、もちろん、ないのですよ ) 。コンゴの料理も、 思えば、不思議な感慨に打たれます ) 。 それにしても、千年 ! 運命の偶然か必然か、民族の垣根を越え、今は地球の裏側で私 表舞台に上がらぬ草の根で、女たちの手から手へ、律儀に伝たちに繋がり、料理のプロセスも取り込まれました。 えられてきた歴史にため息が出ます。ただ、母の作る「チマもうすぐ梅雨が来ます。「チマキ」は、田植えなどで忙しい キ」は、他のアクマキのようにどっしりとした密度のあるもの農繁期の農家の保存食としても重宝されてきたといいます。私 ではなく、とろりとした琥珀色のゼリーのような風合いでしもいっか、母の「チマキ」を再現してみようかと思います。そ た。食感は本わらび餅に似ています。彼女がどこからかもらうのときは、試食してくださいね。 ( なしきかほ・作家 ) だけでなく自分でも「チマキ」を作ろうと思い立ってから ( 私

4. 図書 2016年7月号

【高精細カラー版】貴重な古典籍を新編成・新解題で影印す 税 0 天理図書館善本叢書 全 5 期巻【隔月配本】定期予約募集中 ! 筌て分売可〕 * 3 第—期国史古記録全 6 巻【完結 ! 】菊倍・判横 / 上製本 第 2 期古辞書全 6 巻【刊行開始】平均予価三八、〇〇〇円内上 4 月刊⑧三宝類字集高山寺本本体三〇、〇〇〇円詳 8 第 3 期源氏物語全巻【刊行開始】各巻予価三四、〇〇〇円 6 月刊⑩ 源氏物語池田本一桐壺・帚木・空皹・タ顔・若紫 【 4 月刊】 兼見卿記第五 ( 全 , 冊予定 ) 橋本政宣・岸本眞実・金子拓・遠藤珠紀校訂 判上製・頁・本体一三、〇〇〇円 2 ワ 3 【 4 月刊】地域の記録から、近世 5 近代の記憶の継承を探るル 〒 0 地域の記録と記憶を間い直す 白井哲哉・須田努編 判上製・頁・本体九、八〇〇円 【 6 月刊】相関図・ビジュアル資料等から作品を解説ー 菊池寛現代通俗小説事典 片山宏行・山口政幸・若松伸哉・掛野剛史編 判上製・頁・本体九、八〇〇円 こ用済みのご蔵書をお譲り下さい 古書全般案内書から趣味、肉筆類まで 正しい評価でのお引取りにつとめております。 多少によらずお間合せ下さい。 ☆取扱う古書 ・哲学、思想、キリスト教、西洋古典、仏教 ・東洋西洋史、近代現代史、社会科学、伝記 ・辞事典、言語学、書誌、雑誌、近代文学研究 ・美術 ( 画集、評論、随筆、図録雑誌、版画入本 ) ・映画、演劇、写真集、音楽、陶芸、趣味 ・明治から昭和 40 年頃までの小説、詩集、句歌集、 署名入本、著名作家の肉筆類、限定本 ・外国文学の明治からの翻訳、研究書、作家論 ・全集、叢書、各分野の個人全集、岩波他の文庫 ・文科系の英独仏、ギリシャ、ラテン語の洋書 ・明治前の和本、唐本もご相談下さい。 都内・地方ともご都合に合わせお伺いします ・地方からのご送本は「着払い」をご利用下さい。 ・当店のご案内は筑摩書房「ちくま」もご参照下さい。 info@tamurashoten.com 田村書店 〒 101- 開 51 千代田区神田神保町 1 ー 7 谷 03 ( 3291 ) 0563 ー 4 03 ( 3295 ) 0039

5. 図書 2016年7月号

終焉のない「戦後」 ーー野坂昭如と日米両国に残る敗戦の影 終戦七十周年が過ぎた。しかし、「戦占領も、朝鮮戦争も ( 一応 ) 終了しておが多かったようだ ) 、その後の終戦三十周 経済復興も勢いづいていただけに、年、四十周年記念もさることながら、一 後」ははたして終わったといえるのだろり、 うか。ずいぶん前から「戦後は終わった戦後にはもはや終幕が下り、新時代が始九八九年の昭和天皇の死こそ戦後のみな か」という問いが飛び交うようになったまろうとしているように感じた国民がいらず戦前から続いていた昭和の終焉でも ものの、いまだに消えていないようだ。 ても不思議ではない。だが、今からみれあったように思われた。さすがに、これ むしろ、この問いが繰り返されること自ばそれは時期尚早であり、むしろ「戦後で戦後はようやく過去の時代と片付けら れそうだったが、昭和は疑いなく終わっ 体が「戦後」の延命を物語っているようの終焉論」の始まりだったにすぎない。 その後、「戦後の終焉」を象徴する歴たにせよ、戦後はまるで怪獣映画の不滅 にも思える。 敗戦後の日本で、「戦後は終わったか」史的な出来事が何度も現れたーーー敗戦かの怪物のごとく、いったん撲減されたと り思いきや、またも復活する。しかも、 が初めて問われたのはいつだったのか定らの精神的回復と経済的復興の充実ぶ かでないが、私の ( ますます頼りない ) 記憶を世界に示した東京オリンピック、一九「戦後の終焉」の続編が必ず出現する 敗戦からちょうど半世紀の一九九五 によると、終戦十年を記念するある文芸七二年の沖縄返還 ( 七年前に佐藤栄作首相 が「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが年にも現れ、やや下火になってきたとは 誌の表紙は「戦後は終わったか」という いえ、二十一世紀に人ってからも消滅し 問いが大きな文字で飾られていた。その国の戦後は終わらないーと公言しただけに、 時点で米軍を中心とする日本本土の軍事沖縄復帰こそ「戦後の終焉」と受け止める人ていない。 マイク・モラスキー

6. 図書 2016年7月号

です。彼らに限らず、若い頃の食事の記憶は、私たちの根幹を心感を、人々は求めている」。お書きになっていたこの「人々ー なす、精神と肉体をつなぐ要のようなもの。それが喜びに満ちとは、ムスリムのみ意味されていたのではありませんね。日本 たものであろうが、悲しい惨めな記憶であろうが、何もかもが人もそう。そして原理主義へと傾倒しがちな、現代を生きる多 成長期の勢いに取り込まれて今の私たちをつくってきた。彼らくの「人々」も。何かに属している、つまり群れの一員である ほど劇的な人生を送ってきたわけではないけれど、今となってことによって得られる安心感には確かに抗しがたい魅力があり はどんな記憶も私には貴い。 ます。生きて在ることは本来異常事態で、それ自体に本質的な 今回のお手紙を拝読しながら、途中で目を閉じて手を組みま不安があらかじめ内蔵されているのだとしたら、私たちは、安 した。お書きになっていた、幼い日アプケイのもとで過ごされ定して生きていくために、何かに「繋がっている」ことを必要 たという食卓の光景が光り輝くようで、私まで子どもたちの友とする生き物なのかもしれません。 人の一人として招かれているような錯覚を覚えました。そして アプケイの人生に思いを馳せ、運命と対等に渡り合ってきたカ私の生い育った南九州では、竹の皮にもち米を詰めて灰汁で 強さに崇敬の念を抱きました。彼女の料理には彼女という個人煮るお菓子があります。私の家では到来物でいただくそれを と民族の歴史が映し出されてーーどこにいても、そこに満ちる「チマキ」と呼んでいたけれど、一般にはアクマキと呼ばれて 光のようにーーいたのですね。そしてカリーマは、その光に内います。京都のちまきの存在を知ると、なぜ似ても似つかない 包された安らぎと精神性を、「宗教的原風景」として記憶されのに同じ名で呼ぶんだろう、と子ども心に不思議に思っていま ている : 。それは個人の核心に刻まれた、動かしようのないしたが、その後中華ちまきに出会い、ああ、そうか、と思いっ 針路のようなものなのでしよう。》ムスリム・ホームの暖かさいたのです。これはもともと、大昔に中国大陸から渡ってき を、肌感覚で伝えていただいた思いです。 た、米を使った携帯保存食の原型のようなものなのではない か。見た目だけなら「チマキ」やアクマキは、京都風のちまき 服装一つにしても、本来もっと多様であることに寛容であつよりもずっと中華ちまきに近かった。若い頃、そのように中途 たはずのムスリム社会。なぜこれほど画一性を求める姿勢ばか半端に見当をつけたまま、この年月を過ごしてきましたが ( 他 りが荒目立ちするようになってしまったのか。 にやることもありましたしね ) 、先日、思い出して調べてみた みなもとのしたごう 「明確に定義された共同体への帰属によって居場所を得る安のです。すると、源順が九三〇年代に編纂した『倭名類聚

7. 図書 2016年7月号

したのは私であった」。 と歴史』所収、一一〇〇七年 ) 。 都帝大の大学院に進学し、橋本傳左衛門 満洲国建国当初、日本では「満洲移民杉野は一九〇一年に大阪で生まれた。 の指導を受けることとなった。 不可能論」が大勢を占めていたが、強硬田中小太郎の次男であったが、四歳の時橋本は「農業経済や農村問題について な否定論者であった高橋是清蔵相が一一・ に杉野為吉の養子となり、杉野姓となっは、研究室における机上研究もよいが、 二六事件 ( 一九三六年 ) で殺害されると、 た。一九一三年に東京帝大法学部政治学同時に農村に出かけて実地に接触してみ 満洲への移民政策が一気呵成に進められ科に入学するが、その動機は「このうるる必要がある。マルキシズムが農村社会 ることになった。その中心的な役割を果わしい日本の国土で、働いても働いてにどのくらい妥当するか、よく足を地に たしたのが、日本国民高等学校校長・満も、貧乏から縁をきれない大衆を、いかつけて検討したらどうか」と進言し、一 蒙開拓青少年義勇軍訓練所長をつとめにして貧乏から解放するかということ年間、静岡県志太郡稲葉村で農村生活を 「満蒙開拓の父」と称された加藤完治、に、私の生涯を国の中堅層として、有意経験することになった。この時に、二宮 当時農村更生協会理事長であり、後に第義な生活ができるようにすることにささ尊徳の思想や報徳社運動に接しており、 二次近衛内閣の農林大臣になる石黒忠げようと決心した」からだという ( 杉野それが後日、満洲報国農場を構想する契 篤、同じく農林官僚であった小平権一、 忠夫『海外拓殖秘史ーーある開拓運動者の手機になっているのではないかと想像され 農業経済学者で東京帝大教授の那須皓、 記』一九五九年 ) 。 る。その後、日本国民高等学校の校長で 同じく農業経済学者で京都帝大教授の橋・ ' 東京帝大入学後は「そうそうたる革新ある加藤完治のもとで実習を受け、満洲 本傳左衛門らであった。彼らは「拓務派で、いわゆるマルキスト、当時、東大移民運動へと傾倒していくことになっ 省、関東軍のプレーン」と称され、関東教授で天下に名をはせた吉野作造博士のた。一九三三年には京都帝大の助教授の 軍の東宮鉄男、石原莞爾らと協力して大傘下に人り、街頭にも進出して、第一次地位を放擲して、農村更生協会や満洲移 量の移民を満洲に送り込んだのだが、世界大戦後さかんになった労働運動や学民協会で活動をはじめ、ついに満洲国開 「病弱な体を押して「没我的に」働きっ生運動の斗士として頭角をあらわしてい拓総局の参与という役職を担うことにな た」 ( 橋本伝左衛門「杉野忠夫教授の追憶」った。 づけた「裏方」」こそ、杉野忠夫であっ た ( 藤原辰史「学に刻まれた「満洲」の記憶『杉野忠夫先生追悼文集』所収、一九六六年 ) つまり杉野忠夫は、単なる東大出身の ・ー・杉野忠夫の「農業拓殖学」」『満洲記憶が、その後、那須皓のすすめを受け、京工リート官僚というよりは、泥と汗にま

8. 図書 2016年7月号

焉」だったと考えたくもなる。 い。真っ先に思い浮かぶのは、はるか十黒人公民権運動や近年の "BIack Lives ところが、佐藤栄作の言葉を思い起こ九世紀半ばに行われた南北戦争という国 Matter" という若者中心の運動まで、 しながら沖縄県内の現状に留意すると、内戦である。つまり、少数派ではあるに様々な運動にも関わった組織だ。昨年の 「もはや戦後が終わった」と断言するのせよ、南部州出身の一部の住民にとって六月十七日、聖書学集会に一人の二十一 は、やはり時期尚早のように思える。例百五十年も前に終戦した戦いの「戦後」歳の白人青年が突然現れ、学習会に快く はいまだに終わっていないということな受け人れられ、一時間もおとなしく参加 の怪物は容易に死んでくれないのだ。 のである。 してから、銃を取り出し集まっていた信 日本では、二〇一五年は「終戦七十周アメリカ文学のモダニストを代表する者を九人も殺害した。 年」と称されたが、昨年はアメリカでもミシシッピー州出身の作家ウィリアム・ 犯人が逮捕されてから明らかになった 終戦を記念する大きな筋目だった。すなフォークナーは、一九五一年の小説『尼が、銃を抱えながらいわゆる「南部連合 わち、南北戦争の終戦からちょうど百五僧への鎮魂歌』に "The past is never 旗」 (confederate flag) と一緒にポーズをと 十周年の記念だったわけである。周知の dead. lt's not even を st. ご ( 「過去はけっしる写真や、白人優越主義者が好むほかの 通り、アメリカは短い歴史のなかで、世て去ることはない。過去にすらなっていな象徴にも囲まれているような写真が彼の 界各地で数多くの戦を起こし、また余所い」 ) という名言を残しているが、これはウエプサイトに載っていた。それが発覚 の戦いに参戦してきた。そのため、アメ今日でも南部地方における歴史認識をうしたのがきっかけでサウスカロライナ州 リカ人に対し "the war" または "the まく集約しているようだ。昨年六月以降をはじめ、南部各地でこの旗をめぐる激 postwar" といえば、どの戦争を指してに起きた一連の出来事のおかげで、その論が交わされるようになった。もちろ いるのか混乱を招きかねない。ところ認識が最近また注目を集めるようになつん、南部連合旗に関する議論は以前から が、アメリカの南部 ( とりわけディープサた。発端はサウスカロライナ州チャール何度も浮上したことはあるが、今回はサ ウスと呼ばれる地方 ) では、一部の住民にストン市の二百年の歴史を誇る黒人教会ウスカロライナ州議会議事堂前に掲げら とって最も痛切に記憶される戦争とは、である。同教会は南部州最古のアフリカれていた公式の旗が州議会の決議で降ろ イラクでもベトナムでも朝鮮戦争でもなンアメリカン教会と言われ、奴隷制度時されてしまい、歴史博物館に収められる く、第二次や第一次世界大戦ですらな代の黒人解放運動から、一九六〇年代のことになった。南北戦争が始まったのは

9. 図書 2016年7月号

農学と戦争 塩海平 ーー東京農業大学満洲報国農場の記憶 ( 中 ) 農大の満洲報国農場は府県が経営主体住江と太田は、満洲報国農場初の大学版カ住民ノ大部分ハ衛生思想ノ観念ニ乏シ となっていた他の報国農場とは異なり、 を作るべく、国家の要請の先回りをし、 キヲ以テ治療ヲ受クル等ノ事ナク」と記 大学によって設置された唯一の報国農場先陣切って名乗りを上げたのだった。そされている。このように過酷な伝染病の であった。一九四三年に現地に渡り、関の結果、多くの学生が命の危機に追い込猖獗する土地柄であったことが、栄養不 係諸機関と折衝を重ねて設置の準備を進まれることになってしまった。 足のひ弱な学生たちにとって、さらにそ めたのは、専門部拓殖科長の住江金之教農大の満洲報国農場が設置されたのはの後の犠牲者数を増す大きな要因になっ 授と主事の太田正充助教授である。 東安省密山県湖北地方である。ここに鉄たことは疑いない。農大の報国農場とし 一九四三年九月一一日の満洲新聞には道が起工されたのは一九三五年で、そのて分譲されたのは七五〇〇ヘクタールと 「教育の大陸移駐化農大の報国農場建翌年の機密第七三号「外務大臣廣田弘いう広大な土地であったが、学生たちの 設」という記事が掲載され、「他の各大毅宛昭和十一年三月十八日付在芬細腕で耕すことが出来たのは、わずか三 学、農業専門学校、農業学校等がこの計河領事代理興津良郎」 ( 国立公文書館アヘクタールに過ぎなかった。 画に倣ったならば勤労奉仕隊もさらに活ジア歴史資料センタ↓には、「夏期ハ毎年住江金之は歴史に名を残す醸造学の重 発化すべく、教育と国策を一にする上か赤痢、腸チフス等ノ伝染病ハ絶へス発生鎮であるが、戦前は興亜院技術委員を務 らも是非実行したいものである」との抱シアルカ県下ニ於ケル公設衛生設備等ナめるなど、農大における主戦論者であ 負が意気揚々と語られている。つまり、 ク而シテ往々天然痘ノ流行スルコトアル り、当時は、学生部長を兼任していた。

10. 図書 2016年7月号

石内実際のものは、こんなにきれい それでいうと、写真というのは造形芸に、もともとは紙つ。へらの中の世界。そ じゃないんですよ。丁寧にきれいに見え術だけれど、そこにも混沌、激情、愛憎れが非常におもしろいところです。 るようにして、私が感じた美しさを撮っがある。その、写真にならないもののと 加藤石内さんの作品にはキャプショ ンがないものが多いですよね。 ている。「ひろしま」もそうです。それころではディオニュソスが生きている。 で、いろんな人が見てくれればいい。 石内さんは、お母さんとあまりうまくい石内説明したくないので、基本的に 加藤お会いする前に、「マザーズ」かなかったと書いていて、その感情の混はつけません。提出するだけで、あとは の写真集 ( 『マザーズ 2000 ー 2005 未来の刻印』沌は音楽のように写真には映らない。で見る人が勝手に見てくれればいい。そし 淡交社 ) をもう一度、見てきました。 も、その断絶と落差が、声となって写真て、自分の言葉で解釈してほしい。一つ 石内あれは、ここで撮ったのよ。リを細動させている。そこでは嘆きや叫びの方向に決めて見てほしくないの。 加藤「 scars 」 ( 皮膚に残る傷跡を撮影し は凍結されていて、その痕跡がニーチェ ビングの窓に外側からトレーシング。ヘー た作品 ) の写真集 ( 『 scars 』蒼穹舎 ) も、今 。ハーを貼って、自然のライトボックスにの悲劇と呼んだものだけれど、それを、 して。口紅の写真は、台所のシンクで。感じる人は感じることができます。石内回、見なおしてきたけれど、「 scars 」に 加藤へえ、そうなんだ。僕は石内ささんの後期の展開の起点は、やつばりは簡単なキャプションがついているね。 んの「マザーズ」に、ニーチェの『悲劇「マザーズ」で母子の葛藤と向き合った石内ついています。病気、事故、自 の誕生』を思い出しました。『悲劇の誕ことだったんですよ。そもそも石内都と殺未遂とか、傷の由来と傷ができたのが 生』では、理知的で造形的な神・アポロいう名前がお母さんの名前でしよう。そ何年かだけ、最小限、書きました。 と、音楽や陶酔、混沌の神・ディオニュこにすでに「叫びの凍結」がある ( 笑 ) 。 加藤戦争というのもある。 ソスという二つ原理がギリシャにあり、 石内私が興味を持つのは、痕跡の悲石内沖縄の女性です。艦砲射撃で背 その二つが戦い、融合するところから悲哀のようなものなんです。人があまり喜中を貫かれた傷で。 加藤「ひろしまーは、どういうきっ 劇が生まれる、そのうちディオニュソスばないものや目を背けるもの、あまり問 がいなくなりアポロが優勢になって悲劇題にしたくないこと、そういうものに、 かけで撮ったんですか ? というものが消えた、という大きな話がすごく興味があって、撮りたいの。写真石内写真美術館でのベネチアの凱旋 論じられています。 には記録と記憶の両方があるから。それ展「マザーズ」を見た集英社の編集者か 9