野坂 - みる会図書館


検索対象: 図書 2016年7月号
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1. 図書 2016年7月号

野坂文学にはいくつかの特徴が見受けとつつきやすいモダニストである。 日本の文学界において戦争、占領、そられる。一九六〇年代に作家デビューし あの独特極まりない文体は、こまかく して占領以降に永続する「戦後」との連た割には、一九四五年前後を背景とする読むと意外に複雑な構成になっているこ 続性に最もこだわり続けた小説家は、野作品が多く ( ゆえに「焼跡闇市派」 ) 、また とがわかる。野坂の小説ではひとつの文 坂昭如だったのだろう。だからこそ、終デビュー作『エロ事師たち』をはじめ、章が延々と続き、冒頭から相当の距離を 戦七十周年が閉幕に向かう昨年の十二月売買春などの性産業に関わる人物が登場辿らなければピリオッドまで到着できな に野坂が八十五歳で息を引き取った日をする作品も少なくない。それに加えてユいような長文が散在する。また、一文の 以って、少なくとも文学界における「戦ーモアと哀愁の稀有な混淆も野坂文学のなかに多様な視点や声が混在し、しかも 後」は終わった、と断言したくなる。 特徴のひとつだといえる。だが、何より設定と時代が目まぐるしく人れ替わるの 一九六七年に直木賞を受賞した際、野も際立つのはあの特異な文体だろう。仮に、文中にそのような変化を明示する指 坂は自分の文学系譜を「焼跡闇市派」とに読んだことのない作品であしも、し標 ( 句読点や話者を区別するためのカッコ、 呼んだことは有名だが、この呼称は示唆かもどんな設定や内容であろうと、数行助詞など ) がしばしば省略される。だが、 に富む表現だと思う。一方では、著者自を目にするだけで「野坂だ ! 」と疑いよ野坂の長文が一頁に及んだ場合でも、不 身が青春を送った敗戦後の廃墟や混沌とうのないほど独自な文体である。日本文思議なほどスピード感に満ちており、意 した時代の象徴的な風景であり、数々の学史では、野坂のような文体で書く ( ま外に冗漫に感じない。その最大の要因は 野坂作品にも登場する。他方では、これたは書こうとする ) 作家はほかに見当たら生き生きしたリズムに支えられているこ らの風景は敗戦後の社会を象徴しながらないだろう。確かに、野坂は井原西鶴にと、そして上述の指標の省略にある。 も、戦争の産物でもあった。野坂にとっ喩えられることがあり、長文や関西弁の 言い換えれば、野坂文学ではひとつの て、〈戦後〉というのは常に〈戦争〉と〈敗使用および風刺精神などに共通点を見出文章のなかに異質のもの、あるいは相反 戦〉に直結し、切っても切れない密接なすこともできるが、野坂はまぎれもないするものがたくさん混在しているのだ。 関係にあった。そして、そのような歴史モダニストである。ただし、いわば「高普通の作家なら、もうすこし区分けし、 認識は野坂の独特な文体にもよく反映し尚志向」の生真面目なモダニスト作家たわかりやすくする手法を選ぶが、野坂は ている。 ちとはちがい、野坂はユーモア溢れる、 その種の「わかりやすさ」をあえて避け

2. 図書 2016年7月号

る。それはもちろん美的な選択肢でもあをめざし、まごう方なきあれは落下かも口中ねばついてままならず、以前 ろうが、著者自身の歴史認識に裏付けら傘、にしてもそのわきいでた空に、飛にもたしかこういう風に、せつばつま れているようにも思える。つまり、野坂行機の姿も音もなく、はて面妖なと疑った記憶がある、あれは何時だった にとって〈過去〉と〈現在〉、そして〈戦争〉うより先きに、落下傘は優雅な物腰か、考えこんだところでようやく俊夫 と〈戦後〉との境界線がきわめて曖昧であで、枇杷、白樺、柿、椎、百日紅、紫は夢から覚め、かたわらに妻の京子、 るわけだ。かけ離れているはずの時代が陽花と気まぐれなとり合せの、びっし海老のように体まるめ、その尻に押さ いつの間にか混淆し、混合する。だから り植えこまれた庭先きへ、枝にかかられて、俊夫は、べったり壁と向き合い こそ、通常の文体感覚で用いられるようず葉も散らさず、ふわりと降り立ち、 窮屈な寝相、邪慳に押しもどすと、。ハ サッ、べッドから何かが落ちた。 な区分の手法では、野坂の歴史認識が表「ハロー そう。ハ 現しきれない。 ーシ・ハル将軍に似た毛唐が、に 落ちたのは、寝つく前に京子のブッ こやかにいった。純白の落下傘は、ケ 占領時代に対するアンビ・ハレントな記 ブッと拾い読みしていた日常英会話の 憶を描いた傑作「アメリカひじき」 ( 一九 ープのように毛唐の肩をおおい、なだ本と、すぐにわかり、わかったとた 六六年 ) は好例である。オリンピック後れ落ちては庭土白妙の雪と変じ、さて ん、今見た妙な夢も、腑におちる。 の東京に設定されているにもかかわら ハローとあいさっされたのだから、応 ず、主人公「俊夫」が青春を過ごした戦えねばならぬ、アイアムペリーグラッ 「アメリカひじき」の終幕で俊夫が 中、敗戦、そして占領下の大阪の記憶が ドトウシーユーか、この突然の来客「アメリカ人は一生俺の中に、どっかと ワンセンテンスのなかに混在する。作品 に、いや来客かどうかもうたがわしい居坐りつづけるにちがいない」という。 の冒頭の文章から野坂節が全開。 毛唐にこれはおかしい、フーアーユー野坂の数々の対談やエッセイから、この は、いかにも詰問調、貴様は誰だ、誰セリフは著者自身の心境も表しているこ 炎天に、一点の白がわきいで、あれだ、誰だ三度尋ねて応えがなければズとは明らかだろう。しかし、同じ気持ち よと見守るうち、それは円となり、円 ドンと射殺、なにを考えてる、とにかを抱く日本人は現在、何人いるのだろう くあいさつが先き、ハウ、ハウ、ハウか。その意味では、少なくとも日本文学 のまんなか、振子のようにかすかに揺 れうごく核がみえ、一直線にわが頭上と、下腹からげじげじはいのぼり、し界においては、昨年こそが「戦後の終 ・ハウアーユー」痩せた外人、

3. 図書 2016年7月号

うやく「戦後の終焉」が到来したといえでもそのような比喩が比喩ではなく、現知られるが、長生きしても七十年間は そうだが、アメリカの南部地方 ( または中実そのものになっている場所がある。 「一生」に近い年月だ。また、今年は普 近東をはじめ、昔の戦の記憶に燃え続ける世佐藤栄作は一九七一一年に実現した沖縄天間基地返還合意から二十年にも当たる 界各地 ) の例をみれば、フォークナーのの「祖国復帰」を以って、ようやく日本が、依然として普天間のど真ん中に、米 名言通り「過去は過去にすらなっていなの「戦後は終わった」と考えたかったよ軍基地が「どっかと居坐りつづける」具 うだが、米軍基地がいまも密集している合である。「戦後」どころか、沖縄県民 い」状況が続くこともありうるだろう。 前述の「アメリカひじき」からのくだ沖縄の地図を一暼するだけでも、まさしからみれば「占領」すら完全に終わって り、「アメリカ人は一生俺の中に、どっく「アメリカ人は一生 ( 同県の ) 中に、どいないように感じられるだろう。しか かと居坐りつづけるにちがいないーは、 つかと居坐りつづける」ような状況が確も、復帰後の沖縄占拠の継続には日本政 もし著者自身の感情を代弁しているなら認できる。沖縄での「終戦七十年」と府も加担するようになったことを考える ば、野坂にとって「戦後」に終止符を打は、換言すれば米軍と七十年にもわたと、少なくとも日本の「南部」でも、 つのには自らの死期を待つほかない、とり、好むと好まざるとにかかわらずずつ「戦後」も「戦後の終焉論」も当分消え 理解できよう。精神的な卑屈さを表すたと同居することを意味する。いや、「同そうにない。 (Michael S. Molasky ・日本文化研究 ) めに、他者に占領されるという身体的な居する」ではなく、「占拠される」とい 比喩を用いているが、野坂の死後の現在うべきだ。沖縄は国内でも長寿県として 司せ円土朧 円円円円円円円集円円わ一 0 0 一 0 集 0 集 0 た発絽 一 0 ニ集 2 加集加集 8 話第加集 0 下 〒り 中 せ爆 民話編編話編編編に冫 , 評 久久木日丈都島向比狭杉皮イ木居な荒イ独」重」 0 悔な知 さく′ヒ コ所つれの悔身、災」さイ「。 0 日渥屋栃叭京福日若阿議 ど場かくサと自ね震東しはる未

4. 図書 2016年7月号

終焉のない「戦後」 ーー野坂昭如と日米両国に残る敗戦の影 終戦七十周年が過ぎた。しかし、「戦占領も、朝鮮戦争も ( 一応 ) 終了しておが多かったようだ ) 、その後の終戦三十周 経済復興も勢いづいていただけに、年、四十周年記念もさることながら、一 後」ははたして終わったといえるのだろり、 うか。ずいぶん前から「戦後は終わった戦後にはもはや終幕が下り、新時代が始九八九年の昭和天皇の死こそ戦後のみな か」という問いが飛び交うようになったまろうとしているように感じた国民がいらず戦前から続いていた昭和の終焉でも ものの、いまだに消えていないようだ。 ても不思議ではない。だが、今からみれあったように思われた。さすがに、これ むしろ、この問いが繰り返されること自ばそれは時期尚早であり、むしろ「戦後で戦後はようやく過去の時代と片付けら れそうだったが、昭和は疑いなく終わっ 体が「戦後」の延命を物語っているようの終焉論」の始まりだったにすぎない。 その後、「戦後の終焉」を象徴する歴たにせよ、戦後はまるで怪獣映画の不滅 にも思える。 敗戦後の日本で、「戦後は終わったか」史的な出来事が何度も現れたーーー敗戦かの怪物のごとく、いったん撲減されたと り思いきや、またも復活する。しかも、 が初めて問われたのはいつだったのか定らの精神的回復と経済的復興の充実ぶ かでないが、私の ( ますます頼りない ) 記憶を世界に示した東京オリンピック、一九「戦後の終焉」の続編が必ず出現する 敗戦からちょうど半世紀の一九九五 によると、終戦十年を記念するある文芸七二年の沖縄返還 ( 七年前に佐藤栄作首相 が「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが年にも現れ、やや下火になってきたとは 誌の表紙は「戦後は終わったか」という いえ、二十一世紀に人ってからも消滅し 問いが大きな文字で飾られていた。その国の戦後は終わらないーと公言しただけに、 時点で米軍を中心とする日本本土の軍事沖縄復帰こそ「戦後の終焉」と受け止める人ていない。 マイク・モラスキー