にモテない子どもでした ( 笑 ) 。 んだことがないのか幻」と驚かれちゃっが好きだったんです。それで何となく、 それが、高校生になって、将来を考えて。その足で大学の生協へ行って『種の動物の生態学の方へ進もうかと思ってい たんです。で、進化関連の本を読んだ たときに、地理とか地学とかを勉強した起源』を手に取りました。 大学院生の頃から翻訳もしたりする ら、研究や調査を大義名分に、いろいろ ご存知のとおり、『種の起源』は絵がり、 な所に旅行に行けていいな、と思って大一枚しか人っていないし、原文は非常にようになりました。・・グ 1 ルド 学では地学科に人ったんです。 読みにくい本です。だから、正直、ただ (StephenJayGould) などの、むしろダー 渡辺ちょっと不純な動機だったんで何となくいろいろなところをつまみ食いウイン以降の本を読んで「すごい、こう いうことができるんだ ! 」と思ったので すね。 して読んだのが最初でした。 でもそのときに、これも正直に言うす。『種の起源』を先に読んでいれば、 真鍋そうなんです。最初は秩父の 両神村 ( 現・小鹿野町 ) のあたりの地質調と、ビーグル号に乗ってどこか、今まで古生物学に進んだかもしれないですけれ 査をやったのですが、一年間、海外に行皆が行ったことのないようなところへ行ども ( 笑 ) 。 ってみたら、何かすごいものを発見でき ける奨学金をいただいて、カナダのサス カチュワン大学へ行くことになりましるんじゃないか、人生変わるんじゃない博物館での発掘 渡辺僕は大学院生の頃、自分の目先 た。本当はカナディアンロッキーとかへか、という非常に単純な発想で、「ダー 行きたかったんですが。それで、大学ウイン、素敵だな」と思いました。それの研究よりも、世界の最先端の面白い発 を卒業したら教員採用試験を受けようかで、自分も大学院で古生物学の勉強をし見に関心がありました。一番わくわくし てみようかなと田 5 いました。 たのが恐竜ルネッサンスーー恐竜研究の な、と思っていました。 転機は留学先で、化石の専門家になり 渡辺さんは『種の起源』 ( 光文社 ) の新世界に生じた一連の。ハラダイム・シフト に接したときです。あの台風の目と たくて一所懸命勉強している大学生や大訳をされていますが、いかがですか。 学院生に「何で化石の研究をしたい渡辺特に決定的なことはないのですなった研究室に行かれたんですよね。 の ? 」と聞いたときのことです。「進化が、高校時代から進化に興味がありまし真鍋そうです。六〇年代後半になる を知りたいからだ」と言うとともに、 た。進化を勉強するには地学か生物。地と、恐竜は鳥に進化したんじゃないか、 「お前はダーウインの『種の起源』を読学には縁がありませんでしたが、生き物という昔にあった説が復活してきまし
新刊案内に表示した発売日は小社出庫日です 8-2016 ミス・ビアンカ 頁 4 2 7 ら , ひみつの塔の冒険 製円売 マージェリー・シャープ作 / 渡辺茂男訳 並ⅱ発 池のほとりの塔にとらわれたダイヤの館の元執事をたすけるために、 判 6 日 ミス・ビアンカは、ひとりで救出作戦を開始する。シリーズ第 3 作。 0 ) 【 ミス・ビアンカくらやみ城の冒険 = ス・ビアンカダイヤの館の冒険 既マージェリー・シャープ作 / 渡辺茂男訳 マージェリー・シャープ作 / 渡辺茂男訳・ 7 月日発売 978 ー 4 占 9 一一 4233 ー 4 C8397 本体 700 円 978 ー 4 占 9 一一 4234 ー一 C8397 本体 660 円 くろグミ団は名探偵石弓の呪い ュリアン・プス作・絵 / 大社玲子訳 ◎手がかりは絵のなかに ! 好評シリーズ 2 冊目 君いおかしより推理が大好きな「くろグミ団ーが、遺言状のなぞか ・い奇妙な、ろぼうなど、手ごわい 4 つの事件に挑戦します。 煢〔 ) くろグミ団は名探偵カラス岩の宝物 岩波少年文庫 235 大ユ 社リ 玲ア 子ン レ 作 本 菊判・並製カバー・ 128 頁 体本体 1300 円 3 978-4P0 ー 1 1 02 ー 4 C8097 0 【対象】小学 3 ・ 4 年から 0 ・ 4 日発売 円 -4
真鍋真 渡辺政隆 ダーウインとの出会い と、思いたちました。。 ターウインといえの機会です。よろしくお願いします。 渡辺今日、二月一二日は、チャールば進化論、進化といえば、恐竜抜きには 渡辺まず、真鍋さんとダーウインと ズ・ダーウイン (Cha 「 Robert Da 「 win) 語れません。そこで、恐竜研究者で、同の出会いはどんなでしたか ? の誕生日です。一八〇九年生まれなのでじく昨年夏に改訂版が出版された『せい真鍋「子どものころから好きな、恐 二〇七回目の誕生日ということになりまめいのれきし』という古典的な絵本 ( ・ハ竜の研究を仕事にできているなんていい ジニア・リー・ す。海外では以前からこの日をダーウィ ・ハートン文・絵、いしいもですね」とよく言われます。けれど、す ン・デーと称し、特設ウエプサイトに登もこ訳、岩波書店 ) の監修もされた真鍋さごく恥ずかしいことに、僕は東京生まれ 録した上で、世界各地で記念のイベント 、んとお話をしたいと思います。 の東京育ちで、子どもの頃に化石に触れ が開催されてきました。日本では公式に 真鍋ダーウイン・デーにお招きいたる機会なんてぜんぜんありませんでし・ はこの集まりが最初になります。 だきまして、大変光栄です。ダーウインた。だからとくに、化石が好きとか、恐 昨年、『ダーウインの遺産』という本さんご本人がいらっしやらないので、 竜が好きということでなくて、どちらか を岩波書店から出しました。それで、こ「誕生日をお祝いしましよう」というのといえば鉄道模型とか蒸気機関車の方が こダーウインルームでイベントをやろうも少し変な気がしますが ( 笑 ) 、せつかく好きで、時刻表が愛読書みたいな、非常 〈対談〉 ダーウインの肩に乗って
ギデオン・マンテル (Gideon A. Mantell) 渡辺どこかで。ハラダイム転換 ( シフようです。 渡辺発表したとされているのは英国 というお医者さんが、イグアノドンの化ト ) があったわけですか ? 石を見つけて、ばかでかい爬虫類がいる真鍋オーエンが「恐竜」というグル科学振興協会でしたね。この団体は、い ということに気がついて、いろいろな研ープ名を提唱したのは一八四一年だろうまでも「ダイナソーが初めて発表され と、長い間思われていました。ところがた」とホームページで自慢しています。 究会などでその話をするんです。 当時は、大きいということは、優れて四一年の発表の記録が当時の一般の新聞しかし、そういう裏話があったんです いると考えるわけですが、今のあの爬虫に残っているのを見ると、「今日、〇〇ね。 類に、デカくなる能力なんてあるわけが学会が開かれて、オーエンさんがこんな真鍋「ある共通の祖先から枝分かれ をして進化してきて、恐竜という一 , つの ない、「大きいんだったら、それは哺乳発表をした。それに対して△△さんが、 類でしよう」と言われていました。フラこんな反論をした」みたいなことしか書グループをつくってるんだよね」という いていない。ダイナソー、恐竜なんてこのは、今の感覚だと当然のことじゃない ンスの有名な博物学者ジョルジュ・キュ ヴィエ (Georges cuvier) も、標本を見てとはまったく言っていない。いくつかのですか。オーエンは、強引なやり方をし 「これは哺乳類でしようね、大きいし」大きな爬虫類を一つのグループにまとめてまで後からグル 1 プとして名前を付け というコメントをしたりしていて。大きるとは、一切言っていないんです。 ているわけです。それが、彼にとってど いということ自体、爬虫類ではあり得な四一年の発表では「デカい爬虫類がいういう意味があったのかについては、い ますよ」ということだけ言っておいて、ろいろな説があって面白いのですが、す いということです。 今の僕らは、これまで皆が知らなかっ四二年に印刷物にするときに意見を変えべてダーウインの『種の起源』刊行の一 たようなものが化石として残っているのて、それをまとめた、というのが真実の八五九年以前に起こったことなので、今 とはまったく違う価値観というか、もの を見れば、変なやっ、大きいやっ、小さようです。オーエンみたいなビッグネー いやつがいた、と考えるのが常識です。ムだからそれが許されたんでしよう。ふの考え方の時代だったんです。 それはぜんぜん抵抗なく、素直に受け人っう、発表した内容と印刷物に書いてあ渡辺オーエンは、最初はダーウイン れられるじゃないですか。けれど、それる内容が違っていたら、差し戻しになりと仲が良かったのに喧嘩別れしていて 。ダーウインがビーグル号で持って そうなものですが、そうはならなかった ができなかった時代なんです。
ツ。ハで生まれて、自分たちはそういう学 率がいいような気がします。オストロム誰がいつ、「恐竜」と名づけたか さんの研究も、ドイツの博物館での発見渡辺特にイギリスの古生物学や地学問が産まれた場にいるというのがプライ ド、という意識がすごくあるなあ。 が始まりですね。 の歴史を見ていると、そこでその学問が 真鍋そうですね。発見というと、南作られたんだと思い知らされます。デポ渡辺ダイナソー ( d 一 nosau 「 ) という言 極大陸などに行って何かを発見してくるン紀とか、カンプリア紀とか、地質年代葉はリチャード・オーエン (Richa 「 d のがわかりやすいですね。けれども、実にはイギリスの地名がついていることが 0wen ) の造語でした。最初、彼は恐竜を 際には博物館のなかの、皆に忘れ去られ多いですもんね。ジュラ紀はフランス見て、単なる爬虫類だと思ったんですよ ている物に大きな発見があったりしまの地名なので、ヨーロツ。ハでそういうもね。 す。双方は、発見といっても同等ではあのが作られたのだとっくづく思うんです真鍋そうです。オーエンという当時 の大英自然史博物館 ( 現在のロンドン自然 りせんが、どちらも重要なことです。が、アメリカからイギリスに行かれて、 史博物館 ) の初代館長は研究者で、『種の どういうことを感じられましたか。 真鍋博士課程のときにイギリスのプ起源』が出るより前、一八四二年に、恐 恐ろしいトカゲ、恐ろし リストル大学に行くんですけれど、アメ竜 (Dinosauria リカとイギリスはぜんぜん違うカルチャい爬虫類 ) という名前をつけるわけです。 0 ーで大学もぜんぜん違った。今はそうでダ 1 ウイン以前ですから、地球の歴史が Z もなくなっているけれども、ヨーロツ。ハ六〇〇〇年とか、人によってはもっと短 の人たちが北アメリカに対して、歴史のいと考えていたころ。いろいろな種がい 短い国だね、という感じの態度を取るこるけれど、それぞれ別個につくられたも 、を、 - 供とがあるじゃないですか。アメリカ人にのだと思われていた時代です。 してみれば面白くないですけど、あの感当時、爬虫類というと、ノロノロし 氏 真じは「この学問は自分たちのもの」といて、わりあい静かに生活していて、そん う思いから出てくるのではないでしようなに体は大きくないし、活発でもない、 か。イギリスとかフランスとか、ヨーロというイメージだったんです。それが、
恐竜の研究者に学びたいと思って。八〇ると、「私は、皆さんの大発見の感激み 年代のことです。恐竜恒温説で研究現場たいなものをぶち壊す、そんなャポなこ 0 が熱くなっていたのは六九年とか七〇年とはできません」と言うんですよ ( 笑 ) 。 0 ぐらいだったので、それが過去の歴史にそして、昔の研究にまつわる面白い話を なってしまっている段階でした。しかいろいろと聞かせてくださって、気がっ 一し、この議論の中心にいたオストロム先くと六時頃にな 0 ている。それで、一杯 生と直接お話をする機会があったのが、やるか、となるのが常でした ( 笑 ) 。 供 提人生の重要な出来事です。ただ、お会い学生たちは、そうやっていろいろ聞き 氏した頃には大変なアルコール中毒で、午ながら、最近の先生の関心を探るわけで 政後に会うと必ず一杯人っていました。 す。で、爬虫類の基礎体温みたいなこと 渡辺燃え尽きていた、ということでに関心を持っているらしいぞ、それって すか。 どういうことかなあと、弟子同士でいろ 真鍋そういうわけではありませんけいろやり取りをして、自分たちで調べて た。きっかけは恐竜恒温説 ( 温血説 ) でれど、あれだけいろいろな発見をしてい勉強する。そんな感じの学生生活でした す。爬虫類は変温動物ですが、その一種る人の、発見した時の快感って違うと思 ( 笑 ) 。 の恐竜は恒温動物だったんじゃないか、 うんです。それで、常に何か発見したい渡辺そうとう変わっているけどすご という説です。 という研究欲がすごくて、自分がいま面い人ですね。真鍋さんのことは置いとい 僕が古生物学を研究したいと思い始め白いと思っているものを、弟子にもなかて、変わった古生物学者が多いですね、 た頃、同じ化石を研究するのだったら、 なか教えてくれない。「私は、授業をや歴史的に見て。 化石でしか見つからない、恐竜ぐらいやるつもりはない」って言うんです。アメ研究者のなかで、新しい恐竜の化石を らないと、と浅はかに思って、アメリカリカの大学でも、さすがに「金返せ」と発見できる人なんて、ほとんどいないの のイエール大学へ留学しました。ジョは言いませんが、「授業をやってくださではないですか。むしろ、博物館に眠っ ン・オストロム (JohnH. 9 →「。 m ) というい」と、直談判に行くわけです。そうすているものから発見を目指すほうが、効 「亠にロ
ると、その時代よりも上の地層に恐竜がして、喋るとか書くとかをし始めるのでと顕徴鏡のように、あるツールを使うと ぜんぜん出てこなくなる。そのことかす。 急に見えるようになった。そこで、何の ら、突然、何か大きな変化があったと考渡辺今おっしやった、空きができる構造もないように見えていたものが、実 えるわけです。 と別の種類が埋めるということも、ダーはどれだけ繊細な構造をしていたか、美 恐竜がいなくなった空白を、いろいろウインは『種の起源』のなかで言っていしい構造だったかに気がつく。でもそん な生きものが新規参人して埋めていくわます。ダーウインという人は、化石の話なプレークスルーは、基本的にはツール けですが、絶滅からだいたい一〇〇〇万も品種改良の話も、生態学の話もしていの問題に過ぎないと思うんです。 年ぐらいの間に多様性は復元するというるんです。そうすると、あとに出てきた 一〇〇年前にもちゃんとものを見る、 研究があります。何回かあった大量絶滅真鍋さんたちのような研究者が、ダーウ考える人たちがいて、ちゃんと正しく理 のたびに、空っぽで非常に寂しい生態系インの発想について、データを補完して解して、分析をしているということに、 になりますが、一〇〇〇万年ぐらい経っ完成させていくように感じます。そうい昔の論文を見るたびにびつくりさせられ と、また種の多様性が戻る、というわけう研究結果が出るたびに「ダーウインっます。遺伝学もなかったのに。 です。 てすごい人だ」と思う。 逆に言うと、今の僕らは恵まれた環境 そういう大きな出来事があって、急に 真鍋そうですよね。僕らの一〇〇年にあるのだから、それを活かして先人た 空間ができると「チャンスだ ! 」と、別前の仕事なんですね。当時の人たちってちに追いっかなくてはいけない。 な種がそこに一気に新規参入できるといいろいろなものがわかっていなくて、世渡辺難しいけれど、温故知新で、ダ うようなことがある。私たち人類を含むの中に情報が乏しかったと思うんです。 ーウインに肩車させてもらえる利点を活 哺乳類は、恐竜がいなくなってくれたのでも、一八ー一九世紀に書かれた論文のかさなくちゃ、ということですね。 ( 了 ) で、ラッキーにも自分たちの勢力を伸ば観察の精度はすごく高いんです。 ( 「ダーウインルーム」にて すことができた。木の上にいた僕らの祖今の人たちは、 0 e スキャンや —、ドローンと、いろいろなテクノロジ 二〇一六年一一月一二日 ) 先は地上に降りてきて、手が自由になっ ( まなべまこと・古生物学 ) て、いろいろなことをしながら多種にな ーの助けを借りて研究しています。今ま ( わたなべまさたか・科学史 ) って、けれど一種のみが生き残った。そで肉眼では見えなかった世界が、望遠鏡
な鳥じゃないか、と言えるようなものが降ですが、ダ 1 ウイン、ハクスレーの時て、世界中の大陸はほぼ地続きなんです 見つかった。それで、ダーウインが初め代にすでに議論されていたということをね。そうすると、どこで恐竜が出現して て「これが中間型というものだ」と言うあとから知って、すごい人たちだな、とも、勢力を伸ばして世界中に行けるわけ わけです。 思うのです。 です。それがジュラ紀になると、大陸が 中間型は、今いるもの同士ではなく、 ゴンドワナとローラシアとの南北二つに 今いるものと、かっていたものの間にあダーウインに追いつけー 分かれて、南半球では南半球の進化、北 るんだということに気がついて、それを 渡辺恐竜の進化が教えてくれること半球では北半球の進化、みたいなことに 『種の起源』の改訂版ーー遅くとも一八について、お考えを聞かせてください。 なる。すると、南と北で別々の恐竜たち 七二年の第六版のなかで言うのです。 真鍋人類は、生まれてからたかだかが出てくる。 で、始祖鳥が見つかってくれたおかげ七〇〇万年、ヒトとしては二〇万年ぐら ゴンドワナとローラシアそれぞれが、 で、一部の恐竜と鳥とのつながりを見出いですね。一方、恐竜は一一億三〇〇〇万また分かれて、たとえばアジアとヨーロ すことができるんだということを、すで年以上前からいて、三畳紀、ジュラ紀、 ツ。ハが分かれるとか、逆にくっ付いて、 に言っているんです。だから、たぶん、白亜紀とすごく長い間、繁栄してきた。 北アフリカと陸続きになるみたいなこと 鳥の恐竜起源説を最初に言い出したのヒトはホモサピエンス一種類だけれどが起きる。白亜紀に海水準が変動する は、ダーウインとハクスレーじゃないかも、恐竜にはすごく多様性があって、栄と、アメリカの真ん中あたりで海が北米 と思うのです。 枯盛衰があった。常に新しいものが出て大陸を東西に分けた。それで、アメリカ ハクスレーは、一八七〇年代にはすできてどんどん多様性が増し、グループ全の東海岸と西海岸が別の大陸だった時期 に、アメリカの講演旅行で『種の起源』体があれだけ繁栄して、今、鳥として残があったりもするんです。 のことや、進化のことを話すなかで、 っているというのはすごい。 渡辺それによって、環境も変化し 「今、見つかっている恐竜は、もしかし その背景に、いくつかのポイントがあた。 たら羽毛を持っているかもしれません」ります。一つはプレートテクトニクスで真鍋そういういろいろな環境の変化 みたいなことを言っているんです。 地球の表面が常に動いていたこと。恐竜があって、様々な栄枯盛衰が起こったと だから、「羽毛恐竜」は一九九六年以が出てきた三畳紀には、。ハンゲアといっ 思うんです。そして、隕石の衝突が起こ
読む人・書く人・作る人 パスカルの『パンセ』 書斎の片隅に三木清の『。ハスカルに於ける人間の研究』 ( 岩波 図書晒号目次 書店刊 ) がひっそりと鎮座している。昭和七年に発行された第 。ハスカルの『。ハンセ』 塩川徹也 四刷である。戦後の核家族の走りであった我が家に本はほとん 也 数学を学び直す人びと 中村滋 どなかった。その中で亡父が大事にしていたこの本は異彩を放 っていた。父は昭和十年前後の大学生であったが、文学や哲学ピ , ピの国の児童文学に広がる「暴力」三瓶恵子 徹 〈対談〉 真鍋真 を専攻したわけではなく、経済学部を出て民間企業のサラリー ダーウインの肩に乗って渡辺政隆 マンとして一生を送った。『。ハンセ』をひもといた形跡はない あの頃 石坂和子 し、子供時代に。ハスカルの名を父の口から聞いた覚えもない。 しかし息子が実学に背を向けて。 ( スカルにのめりこむのを心配出版創業者たちの物語 ( 上 ) 円満字一一郎 「死んだらどこへ行くのかと嘆くな、 しながらも、父はどこかで喜んでくれていたような気がする。 色川大吉 塩 ア 1 ナンダよ」と釈尊は戒める 『。ハンセ』は宗教と哲学の古典中の古典だが、。ハスカルがそ チャイナドレスのアメリカ川崎賢子弭 のような題名の本を書き残したわけではない。それは、彼の残 師岡カリーマ・ オリープの海に浮かぶ した未完の原稿類を関係者が編纂して〈書物〉に仕立てたもので ・ハタ 1 の孤島に思うことエルサムニー あり、三世紀半に及ぶ刊行の歴史の中で変貌を重ね、その変貌 2 016 年のヒロシマ高村薫 は今なお続き、いっ終わるともしれない。読者は不完全で脈絡 リアリティ 1 センサ 1 は働いているか三浦佳世 の見えにくいテクストを前にして最初は途方に暮れるだろう。 墓石に刻まれた暗号 若松英輔 しかし、ひとたびそこに響き渡る。ハスカルの呼びかけに心を動 柄谷行人 かされると、人間。ハスカルと彼のメッセージに何とかして近づ双系制と原遊動性 斎藤美奈子 きたいと希うようになるに違いない。そうだとすれば、翻訳者文庫解説を読む幻 に課された使命は、原典の字面と著者の意図の両方を踏まえ、 封印された船、あるいはうつろな舟池澤夏樹 4 読者のためにパスカルとの人格的交流の可能性を開くことであこぼればなし ろう。このたび拙訳で岩波文庫に初登場した『。ハンセ』 ( 全三 八月の新刊案内 冊 ) がその使命に少しでも貢献できればと願っている。 ( しおかわてつや・フランス文学 ) ( 表紙解説伊知地国夫 ) ( カット高橋好文 )
も、絶対的なものではない。釈迦は絶対わたしたちは今でも暗誦できる。『平ことがある。ヒンズー教の最大の聖地べ というものを認めなかった。もちろん、家物語』の冒頭を。「祇園精舎の鐘の声、ナレスに人ったのは一二月三一日であっ 自分を礼拝しようとするものをしりぞけ諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花のた。インドでもそのころになると気温が ことわり た。また、死後の世界にこだわるものを色、盛者必衰の理をあらわす、奢れるも下がり、水はつめたいのだが、人びとは のも久しからず、ただ春の夜の夢の如ガンガに人り、ひたすら合掌していた。 無益なことと排ている。 一生に一度はここで沐浴し、罪を浄め、 仏陀とは心理を悟った人をいうのであし」と。戦前の中学生の教養であった。 来世での幸運を祈るのである。遊行期に って、全能な救済者、神であることを意仏典にもある。 人った多くの人びとが、この岸辺を起点 味しない。釈迦は人間を苦しみから救う この世の生きとし生けるものは として巡礼に出、また、ここを終点とし ために真理を説いた知の人で、そのため いっかその身命を捨てねばならぬ て戻り、おのれの最後の時を待っと聞 の修行をすすめたのだ。後世の人がかれたぐいなき如来、力ある正覚者 く。「ガンガ賛歌」が流れていた。 を神格化し、礼拝の対象にしたのはあやかかる師もまた逝きませるかな ( 増谷文雄訳 ) 至福の粋を得たり汝ガンガの岸辺 まりであった。かれの思想は輪廻転生の ろうもう にてそばを離るれば眼は涙にあふ 信仰を装飾した『死者の書』などとは無悟りを開いた釈尊すら、八〇の老耄に ゅぎよう うやうや れる涙にあふれる恭しく合掌せむ 縁なのである。 は勝てず、ガンガを渡った最後の遊行の 穢れなき水波にふたたび相見えむ 釈迦の伝道は四五年のながきに及ん途中、病を得て、死んだのである。 福徳高きガンガに だ。国から国へ、村から村へ、一処不住 これは五〇〇年余にわたって、ミティ をつらぬき、歩きつづけた。そして八〇ヒンスー教の信仰とガンガ賛歌 歳に近く、愛弟子アーナンダに言った。 ただ、インドでは釈迦の教えは早く滅ーラ地方に歌い継がれてきた古い民謡だ という。 アーナンダよ、わたしは疲れた。横になび、その後は現世利益の輪廻観を説くヒ さらそうじゅ 天上の女神ガンガは、シ・ハ神のかたち りたい、あの沙羅双樹のあいだに床を敷ンズー教に覆われている。数年前の冬、 いてほしいと。そして、そこで息絶えわたしはガンジス河に沿って下り、デリで天下り、人びとに福徳をもたらす大河 となってインドの大地をうるおすという算 ーからカルカッタ ( コルカタ ) まで旅した た。クシナーラの沙羅双樹の花の下で。 けが