岩波書店 / 新刊・既刊・重版 〈物語と日本人の心〉コレクションⅡ 日本の王朝物語には、現代人が自分たち の物語を作る上で参考になる知恵が詰ま 円託 っている。『竹取物語』『宇津保物語』 0 売 物語を生きる 『落窪物語』などの物語に現れる様々な発 ー今は昔、昔は今ー パターンを、河合隼雄が心理療法家独特 1 7 体 3 解説“小川洋子の視点から読み解く。 - - 河合隼雄 / 河合俊雄編 ( 全六冊 ) 本圧・ 丸山眞男回顧談に齠翹一 究会、六〇年安保から東大紛争、そして 1 毓 体 3 松沢弘陽・植手通有・平石直昭編 東大辞職までが語られる。 ( 全ニ冊完結 ) 本圧・ ◎戦争体験を言葉に刻んだ詩人の散文集 詩人石原吉郎は、シベリアのラ 1 ゲリに おいて極限の状況下を生きた。その体験 円 を自己への凝視、告発と断念、絶望と祈 0 囲売 りの硬質にして静謐なる言葉で表現した。 2 弡発 —O 毓日 石原吉郎の散文をテーマ別に精選、その 体 2 ( しばさきさとし氏は、評論家・詩人 ) 文業の核心に迫る。 国石原吉郎セレクシ , ン 本田・ 〈物語と日本人の心〉コレクション— 「源氏物語』は光源氏の物語ではなく紫 8 式部の物語だったー 心理療法家・河合 隼雄が日本屈指の王朝物語を読み解き、 日本人の心性の古層に迫る。母性社会日 0 源氏物語と日本人 好 ー紫マンダラー 本を生きる現代人が直面する問題を解く 解説 " 河合俊雄鍵がここにある。 河合隼雄 / 河合俊雄編 ( 全六冊 ) 本圧引 3
◆群れたがる男たち 気が弱い、ぼく自身によく似た主人公。 つの世界ーの特に②は、『されどわれら 『友情』は脚本家志望の青年 ( 野島 ) がそして、誠実だがどこか傲慢な感じのすが日々 』 ( 一九六四年 ) にも『赤頭巾ち 一目惚れした友人の妹 ( 杉子 ) への妄想をる年上の友人〉。〈主人公がもっ幻想としゃん気をつけて』 ( 一九六九年 ) にも『君た 膨らませ、見事にふられるお話である。 ての恋は、たとえようもなくピュアで、 ちはどう生きるか』 ( 一九三七年 ) にも当て しかも、野島の恋敵は敬愛する親友 ( 大美しい。 / この原稿を書いている時点はまるのである。 宮 ) だったという残酷な結末。 で、ぼくはすでに四十歳を越えた中年の 一種ホモソーシャルな、この奇妙な集 では解説はというと、これがまたまたおじさんだが、武者小路実篤のことを考団の存在 ( 文学的な集まり ) に気づかせて 意外に素直。〈日本には愛慾と恋愛遊戯えると、自分が少年になったような気分くれたのは別の小説 ( 森鷦外『阿部一族・ の作は多いが、青春をこれほど全的にとになる。そして、そのことが、誇らしく舞姫』新潮文庫・一九六八年 ) の解説だっ らえたものは意外に少い〉と書く亀井勝もある〉 た。〈こうした友情の異様な君臨は、一 一郎 ( 新潮文庫・一九四七年 ) 。主人公の恋 『三四郎』にも『友情』にも、解説者方では、前近代的な「若衆宿」の気風の なごりでもあったろうが、他方では、伝 愛が自己中心的だと認めながらも〈このたちは共感を寄せるのである。 純潔な恋愛小説のなかには、青春時代の それはたぶん、物語に描かれた青年た統的な人間関係の崩壊の産物であったこ あらゆる魂の問題が、恋愛と友情というちの世界が、解説者たちにとっても親しとも、疑いない〉 ( 山崎正和 ) 二つの切り離すことのできないテーマをいものだからだろう。『三四郎』が示し若衆宿 ! そうか、それで『坊っちゃ 巡って取り扱われている〉と書く河盛好た「三つの世界」の中でもっとも重要なん』の解説がひねくれていた理由がわか 蔵 ( 岩波文庫・一九三二年 ) 。 ったぞ。『三四郎』とは逆に『坊っちゃ のは② ( 知識人の世界 ) なのだ。『三四郎』 ほんとかな。会ってすぐ杉子と結婚しでは広田先生を囲む知的なサロン、『友ん』はサロン ( 若衆宿 ) の外に出て行く若 たいと考える野島は相当アプないャツだ情』では友人の仲田の家に集う若者たち者の物語なのだ。青春小説の解説はおそ と思うけどなあ : 。この疑問に答えてがそれに該当するけれども、じつは『電ろしい。シンプルな物語だけに、それは くれたのはまたもや三田誠広だった。車男』のバックを支える「毒男板」も男ときに人生を反映してしまうのだ。 ( 了 ) 『友情』 ( 集英社文庫・一九九二年 ) の「鑑たちのサロンにほかならない。 ( さいとうみなこ・文芸評論家 ) そして、さらにおそろしいことに「三 賞」で三田は書く。〈感受性が強くて、
古来より中国の歴代王朝は有徳の天子 の朝廷「天朝 , を演じることで、中華 と夷狄とを秩序づけ、「天下」を統治円 5 売 してきた。その論理は、内実を変化さ 0 田発 天下と天朝の中国史 せながら歴史を越えて息づいている。 9 す 体赤 で 檀上寛 ( だんじようひろし氏は、京都女子大学名誉教授 ) その全貌を描きだす雄大な歴史物語。本・ 日 庫 出 ◎易しさと優しさをもつ日本語 社 外国人が増えた地域社会で共通言語に なりうるのは、英語でも普通の日本語 日 でもなく〈やさしい日本語〉だけ。移民円 7 売 売 やさしい日本語 とその子どもにとどまらず、障害をも田田発 発 ー多文化共生社会へー つ人、日本語を母語とする人にと 0 て 8 体赤 し ( いおりいさお氏は、一橋大学国際教育センター教授 ) 〈やさしい日本語〉がもつ意義とは。 本新・ 庵功雄 表 ◎動物や鳥たちが、問いかけるものは クマ、シカ、サルなどによる鳥獣害が 内 案 急増している。田畑を荒らして経済的 刊 新 な損失を与え、時には人を襲うことも。円 8 田売 と、っ向」あ、つか近年は都市部にも現れる。なぜ増えた田発 鳥獣害働物たちと、 のか。各地の対策は。農業経済の研究 8 体赤 祖田修 ( そだおさむ氏は、京都大学名誉教授 ) 者が、自ら田畑を耕すなかで考察する。本・ ◎新大統領も逃れられないジレンマとは ? オバマ政権二期八年の「迷走 , の原因は どこにあったのか ? 元民主党インサ イダ 1 として、大統領選の実情を知り円 6 田売 アメリカ政治の 尽くしている著者が、アメリカの「リ 6 発 ー利益と理念の狭間でー べラル政治の複雑で厄介なねじれ現 8 版 9 体赤 ( わたなべまさひと氏は、北海道大学大学院准教授 ) 象を読み解き、次期政権の課題を占う。本・ ◎アジアの世界秩序と中華帝国の行動原理 渡辺将人 0
インキュナピュラ 豪華な装飾写本に揺籃活字本、瓦版や越まで収録となると、『源氏』の本家本元 こぼればなし 中富山の薬袋など、じつに多様な書物がでも、これほど手の込んだ作りの書籍 本書では紹介されていますが、個人的には、なかなかありません。ここまで豪華 ◎「雑誌の顔」とも言われる表紙。その関心をそそられたのは、海外で紹介されな造本も、フランスというお国柄のなせ 表紙や装丁に誘われて、思わず手に取った日本の作品のたたずまいです。 る業と言えるのではないでしようか。 」ま 0 た《」う経験を多く 0 方が◎た《えば、江戸川乱歩『押絵《旅する 0 本書 = 収 0 られ」 00 は美」」色彩 ちだと思います。昨年の一月から、本男』の仏語版で表紙に使われているのはをまとった書物だけではありません。移 ならしげ なりわい の「顔」は科学写真。日常の、見慣れて小出楢重の「帽子をかぶった自画像」で動牧畜を生業とする羊飼いの記録や、 いるはずの風景も、伊知地国夫さんのレすが、彼の国で乱歩の作品がどのようなフランスからフランドルにかけて口頭で ンズをとおして見ると、まったく違う不イメージで受け取られているのかを教え流布していたと思われる雑多な民衆の知 つむざお 思議な世界に変貌。毎月、新鮮な驚きをてくれます。また表題作「押絵と旅する恵を集めた『紡錘竿の福音書』にも、ま もってたのしみにしています。 男」の仏訳が「蜃気楼」であることも、 た『四〇枚の図版、あるいは最近フラン ◎それ以前、二〇〇八年一月から一四年宮下さんの解説ではじめて知りました。 スで起こった、戦争、虐殺、騒乱をめぐ 一二月まで、本誌の「顔」をご担当いた英訳が「ぼろ布を貼った絵寧 epa d る、忘れがたい事件の数々。その現場に だいていたのは宮下志朗さんでした。出 Rag p ヴ u 「 ) と旅する男」と直訳である居合わせて、事件を目撃した人々の証言 版の世界でも電子化が急速に進行していことと比較してみると、フランス的な翻に基づき集成された迫真の図像集』に るいま、データにしてしまっては味わえ訳のセンスには、脱帽です。 も、読み、書くという行為に託されてき ない、モノとしての書物の魅力と感触が◎『源氏物語』の仏語版にも感心しました人々の思い、息遣いが感じられます。 甦ってくるような宮下さんの解説を、みた。三分冊の函人り、函の絵は江戸期の本書は、書物をとおして、様々な時代を なさんもご記憶のことと思います。 屏風と伝俵屋宗達の屏風という華やかな生きた人々と歴史の実相が立ち上がる場 いざな ◎七年にわたって書物や文学の歴史がも外装だけではありません。それぞれに詳面に誘ってくれるでしよう。 っ豊饒な世界をご紹介いただいたその全しい解説が付されている五〇〇点以上の◎斎藤美奈子さんの連載が本号で終了と 八四回が、『カラー版書物史への扉』とカラー図版を収めたうえに、相関図っきなります。これまでのご愛読ありがとう して五月に刊行されました。西洋中世のの各帖の梗概、主要登場人物事典に地図ございました。 わざ
岩波書店 / 新刊・既刊・復刊 一人気絵本を 米国版オリジナルサイズで再刊 こモセ たモセ みーシ けの図る海 し家自ワ買 かリル やリルを日がと賊 まの家ニ物 、ス彡求、あきと わスゞ っ屋用とを めおつに宝 た根飛ぶし しセヨ うセヨ てひた昼箱 らに行っに ゆンス 訳ンスきめらごを ? 穴機か町 んダリ ダリたさ ? はほ をでつへ たツン ツンらまんつ あよたで ク文 ク文 ? が大のて けそらて 助雨合い ての ? 絵 訳 そんなときどうする ? そんなとなんいうっ つ B5 判変型・上製・ 48 頁 B5 判変型・上製・ 48 頁 つ 本体 1000 円 本体 1000 円 978 ー 4-0 1 1 1257 ー 3 C8798 978 ー 4 ー開・ - ⅱ 1256 798 【対象】 3 ・ 4 歳から 【対象】 3 ・ 4 歳から ・・ 4 日発売【再録】 ・ 4 日発売【再録】 ・やぎと少年 ノーベル文学賞作家による ユダヤのお話 7 編 . I.B. シンガー作 / 工藤幸雄訳 / モーリス・センダック絵 きと歩 ・ 4 日発売菊判・上製カバー本体 2000 円 4-0 旧 10 7 ー X 097 【対象】小学 5 ・ 6 年から ◎おどろきと発見がいつばいの物語 第 62 回 さかさ町 青少年読書感想文 全国コンクール課題図書 ( 小学校中学年の部 ) F. エマーソン・アンドリュース作 / ルイス・スロポドキン絵 / 小宮由訳 リッキーとアンは , 汽車の旅のとちゅう , くさかさ町〉で一泊するこ とになりました . 何もかもがふつうと反対 ! ゆかいな空想物語 . A5 判・上製・ 96 頁本体 1400 円 97 田純 16 0-0 C8097 【対象】小学 2 ・ 3 年から ヵ、さ町
を書いた。確かに、「僕って何」の「僕」第一の世界は三四郎が捨ててきた故禰子が住む世界でもある。 は、三四郎に似ている〉。集英社文庫版郷。〈明治十五年以前の香〉がし、〈凡て① ( 捨ててきた ) 故郷や家族 に寄せられた三田誠広の「鑑賞」であが平穏である代りにすべてが寝坊気て〉② ( 馴染みつつある ) 知識人の世界 る。内容はほとんどェッセイだし、『三おり、〈戻ろうとすれば、すぐに戻れる〉③ ( 憧れの ) 女性が住む世界 四郎』と『僕って何』が似ているか、と が、〈いわば立退場のようなものであ〉 と考えると、『三四郎』がそうである いう疑問も湧くが、三田はさらに続けてり、〈三四郎は脱ぎ棄た過去を、この立ように、日本の青春小説ってだいたい全 いう。〈三四郎というのは、言ってみれ退場の中へ封じ込めた〉。 部、この「三つの世界」をめぐって若者 ば青春小説の原型なのだ。ツルゲーネフ第二の世界は学問あるいは知識人の世が右往左往するお話なのよね。 の「初恋」の主人公も、武者小路実篤の界。〈苔の生えた煉瓦造り〉と〈向うの人森鷦外『青年』 ( 一九一〇年 ) 。永井荷風 「友情」の主人公も、サリンジャーのの顔がよく分らないほどに広い閲覧室〉『すみだ川』 ( 一九〇九年 ) 。田山花袋『田 「ライ麦畑でつかまえて」の主人公も、 と〈梯子を掛けなければ、手の届きかね舎教師』 ( 一九〇九年 ) 。島崎藤村『桜の実 みんな、三四郎に似ている。そして読者るまで高く積み重ねた書物があ〉り、その熟する時』 ( 一九一九年 ) 。みんなそう。 の多くは、ここに自分がいる、という感この住人は〈大抵無精な髭を生やしてい〉一方では学門や文芸の道で大成する夢を なり くらし 慨をもつだろう。なぜなら、本が好きなて〈服装は必ず穢ない〉し、〈生計はきっ追いつつ、一方では恋愛の妄想の中に生 人の多くは、気が弱くて、いくぶん暗くと貧乏である〉。野々宮や広田はここのきる若者たち。時間軸に沿って物語内容 て、ピュアな魂をもっているからだ〉 ) 住人。三四郎も〈この内の空気をほぼ解を整理すると、 そう、『三四郎』はたしかに青春小説し得た所にいる〉。 ①田舎から上京した冴えない若者が の原型なのだ。ただし理由は読者が〈こ第三の世界は〈燦として春の如く盪い②都会的な女性に翻弄され こに自分がいる、という感慨をもっ〉かている〉と表現される都市の華やかな社③最後は見事にふられる物語 らではなくて、むしろ構造的な問題だ。交の世界である。〈電燈がある。銀匙が という感じだろうか。三田誠広があげ それについては『三四郎』そのものがある。歓声がある。笑語がある。泡立っていた武者小路実篤『友情』 ( 一九二〇年 ) シャン・ハンさかずき 〈三四郎には一二つの世界が出来た〉という三鞭の盃がある。そうして凡ての上のなんて、『三四郎』から謎を除いたほと 言葉で解説している。 冠として美しい女性がある〉。それは美んど『三四郎』の白樺派版戯画だ。 さん うご
大人に贈る子どもの文学 日の沈む国から 新刊案内に表示した発売日は小社出庫日です 8-2016 ◆私たちがいま、直視すべき日本社会の実相 他 の そ 円 本 日 本の楽しみや慰めなくして子ども時代を生きのびることは 6 9 分 できなかったという著者は、児童文学研究者となり、優れ [ た作品や評論の翻訳に情熱を注いだ。子どもの文学の価値 ノ 7 書 猪熊葉子 カ図図売 いのくまようこ氏は、を明らかにして大人たちに知ってもらいたい、 と願い続け製引 児童文学者 上圓般発 て六〇年。子どもに向かって書く作家たちの真髄に迫り、 幸福を描く多様な物語の世界へと読者を誘う。 四国・ 他 の そ 円 0 O 論 2 評 ー政治・社会論集 本 日 国内的文脈と国際的文脈の「戦後 , のズレ、「災後」と「戦後」の共存という事 ~ 紛 加藤典洋 態が、この社会の新たな問題を考えるための指標として浮上している。『敗戦後一 力とうのりひろ氏は、 文芸評論家 論』「戦後入門』と刺激的な議論を展開してきた著者の、災後日本社会論。 製売 →発 四・ ◆人生を新たな目で見直すために 9 月囲日発売 4
新刊案内に表示した発売日は小社出庫日です 8-2016 2016 年度下期主要企画 社会の価値観が大きく転換した時代に、人び との愛と孤独と狂気をみつめ、物語をつむぐ ことによって魂の尊厳に光をあてた漱石。没刊 後百年を経た今なお、その著作はわれわれの 2 定本漱石全集 こころを捉えて離さない。自筆原稿に基づい◆ 全巻・別巻 1 た本文に、詳細な注と校異表を付し、新発見 資料の数々を盛り込んだ決定版全集。 刑事司法を考える 岩波茂雄文集 〔編集委鬯浜田寿美男・佐藤博史・後藤昭・指宿信・ 木谷明・浜井浩一裁判員制度、被害者参加、 取り調べの可視化 : 。一一一世紀初頭から続刊 月 く改革で日本の刑事司法は大きく変わりつつ ある。何が問題か、どのような改革が必要か。◆ 全 7 巻日本の刑事司法システム全般に広くメスを入 れ、今後のあるべき姿を探る。 〔編集委員〕植田康夫・紅野謙介・十重田裕一 「文化の配達人」を志し、理想の出版を追い 求めた岩波茂雄。岩波書店の「開店案内。か刊 月 ら、敗戦後まもなくの手記まで、その生涯に 書き遺した文章を初めて集成する。一出版人◆ 全 3 巻の軌跡であると同時に、近代日本の学術と文 芸をめぐる精神の記録でもある。 0
アーナンダよ」と釈尊は戒める アーナンダの嘆き フー老こと、わたしは今年も惜しい友愛弟子アーナンダに釈迦はこう説いてい 自然の草木は冬枯れて死んでも、春に人たちをたくさん亡くした。その多くがる。 は命をとりもどす。この晴れた青い空のガンなどによる病死であったり、不慮の 「やめよ、アーナンダよ。悲しむな。 もと、人は死んでどこへ行くのだろう。事故死であったりした。病院で家族にみ嘆くな。アーナンダよ。わたしは、あら 人も林の生き物たちとおなじなら、苦しとられて死んだもの、自宅で未練を残しかじめこのように説いたではないか、 むこともなくてすむ。だが、人には体のて孤独死したもの、総じて現代人の死は すべての愛するもの・好むものから ほかに魂というものがあり、死ぬと体を暗く、ひっそりと淋しい。 も別れ、離れ、異なるに至るということ 抜け出し、どこかへゆくという観念があおそらくかれらの大部分は自分の魂がを。およそ生じ、存在し、つくられ、破 る。そのためによけいな苦しみをあじわ消滅をまぬがれ、どこかに生きつづける壊さるべきものであるのに、それが破滅 い、迷う。人間の歴史はそれにまつわるとは信じてもいなかったろう。もし、生しないように、ということが、どうして 物語や嘆きにみちている。それゆえ他のきつづけていたら最愛のもののもとにあありえようか。アーナンダよ。そのよう 生きものにはない文化や宗教というものらわれるはず。だが、そうしたことは、なことわりは存在しない」 ( 中村元訳『プ がつくられ、人を癒したり、救ってきたあの釈尊すら否定していたのだ。死の近ツダ最後の旅ーー大。ハリニツ・ハーナ経』 ) と。 りもした。 づいたかれを絶対的に敬慕し、号泣する たがいに献身しあう純粋な愛であって フーテン老人世界周遊記 1 「死んだらどこへ行くのかと嘆くな、、 . 色川大吉
4 ~ アっ在復書簡 私たちの星て 8 オリープの海に浮かぶ ハターの孤島に思うこと です。 梨木香歩様 根っからの都会っ子で自然との付き合い方に疎い私は、それ 四月一二十日の夜、「だってそういう約束でしよう ? 」と言わゆえにか森にはほのかな憧れを抱いていて、香歩さんの『岸辺 んばかりに、窓から五月の匂いが飛び込んできました。毎年待のヤービ』の大ファンなのですが、物語の舞台になっている こも ちわびる新緑の匂いです。アラビア語では「金曜の夜」と言え「ややこし森」や「お隠り谷」を創造した香歩さんのことだか ば「金曜を迎える ( つまり木曜の ) 夜」を意味しますが、四月最ら、この季節にはさぞかし特別な思いがあるに違いない、なん 後の晩に五月が到着し、なるほどそういうことかと妙に納得して思っていた矢先に届いたお手紙。「目には青葉」 : : : ではな てしまいました。一方、「むせるような新緑」という表現にはくて、チマキ、アクマキ、マコモにアク ! うーん、さすが。 昔から納得のいかない私です。木々の若葉やツッジが放っ匂いこれぞマルチだわと、まぶしく裏切られました。 はその強烈なエネルギーとは裏腹に甘くまろやかで、深呼吸しそれにしても、初めて知る名ばかり。プイヨンを作る際にす てもむせるどころか、むしろ吸い足りないぐらいです。そしてくって捨てるのではなく、料理に使うためにわざわざ作るアク 間もなくやってくる梅雨は、緑がいちばん詩的な陰影を纏うとがあるのですね。「ねえねえ、チマキって知ってる ? 」と同世 き。「ジメジメする」と言ってみなさん嫌がりますが、私はこ代の女性たちに聞いてみて、実は日本人の常識だと分かり、シ の時期の日本の緑のトーンが世界で一番好きです。東西南北がヨックでした。私は世界を旅することばかりに夢中になって、 よってたかって意地悪な風を吹かせる桜の季節よりも好きなの住んでいる日本のことを知らなすぎるといつも反省しているの 4 0 師岡カリーマ・エルサムニー