思う - みる会図書館


検索対象: 慟哭
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1. 慟哭

「逃げても大丈夫だよ。あたしが見つけてあげる」 少女は胸を張った。 「そいつは頼もしいな。でも、捕まえたらちゃんとおじさんに返してくれるかな」 「返すよ」心外といったふうに、少女は頬を膨らませた。「人の犬を取ったりしないもん」 「そうか、そうか。ごめんね。だけど犬は好きなんでしよ」 「うん」少女はこっくりと頷いた。「でもね、ママが飼っちゃ駄目だって言うもん」 「そうかあ。ママが許してくれないのか」彼は同情を込めた口調で言った。「それじゃあ、駄 目だね」 「うん」 少女はしょげかえった。俯いて、仔犬の背を撫でている。 「じゃあ、こうしたらいい おじさんのところには、もう一匹仔犬がいるんだよ。それを君に あげよう。世話はおじさんがするけど、君のものだ。君はいつでも遊びに来て、仔犬と会って いいんだ。どうだい 「えつ、ホント ? 」少女は顔を上げて、目を輝かせたが、「でも、ママに言わないと : : : 」 「ママにはおじさんから言ってあげるよ。きっとママもオーケーすると思うよ」 「ホント ? 「おじさんに任せてくれよ」 「うん」 272

2. 慟哭

犯行という推測が最も有力だった。 「世の中どうなっちまったんでしようねえ。昔はこんな事件なんて、考えられなかったですよ ね」 北岡の慨嘆に、丘本は微苦笑を覚えた。 「そんな昔を振り返るような年でもないだろ」 ひと 「いやいや、他人事じゃないですよ。実はおれ、もうすぐ結婚する予定なんです」 「ほう、そいつはおめでとう」 「ありがとうございます。で、初めての子供は女の子がいいなって、相手と話してるんですけ ど、もし自分の子供があんな目に遭ったらと思うとね。とても他人事じゃないですよ」 「そうか、そうだな」 丘本は深く頷いた。 「多分、気が狂いますね、きっと」 「わかるよ。おれにも娘がいるからな」 「そうですか。もう大きいんですか」 「中学だ。ませやがって、もう父親の相手もしてくれん」 こぼ 北岡はにやりと笑みを零した。 「娘さん、可愛いですか」 「お蔭様で、親のご面相には似ず、な」

3. 慟哭

い奴だろう、浮気しといて、頭ひとっ下げようとしない。そんなことを親が一一 = ロうから、子供は しいと思う。子供なんて、そんな あなたを悪人だと思う。悪人の娘だから、恵理子を苛めてもゝ 残酷な生き物なのよ」 「そんなに : : : ひどく苛められたのか」 我ながら愚かな質問だと思った。もっとまともなことが言えないのか 「恵理子は当分、幼稚園には行かせないわ。もしかしたら、他の幼稚園に移した方がいいかも しれない」 「恵理子が行きたくないと言ってるのか。そんなにひどいことをされたのかフ 手が汗ばんでいた。どうにもならない自責の念が、万力のようにきりきりと胸を締めつけた。 「一 = ロいたくないわ、かわいそうで。でも、これだけはどうしても伝えたかったの。あなたの耳 に入れたかったのよ」 美絵は間を取った。それは長く長く、佐伯には永遠にも感じられた。 「恵理子はもうあなたのことを、心底軽蔑してるわ。もう一一度と会いたくないって」 美絵の言葉は、すぐには理解できなかった。はっきりとした口調で言い放たれたにもかかわ らず、佐伯には外国語のように分析が必要だった。頭の中で美絵の言葉を切り崩す。その意味 するところを、少しずつ少しずつ胸の中へと落としてゆく。そうしなければ、言葉は強酸のよ うに佐伯の心を一瞬で蝕んだことだろう。少しずつ、少しずつ、理解するのだ。さもなければ 353

4. 慟哭

し」 話をしてて楽しい相手には思えなかったが、先日の沙貴の助言もあるので、少し言葉を交わ してみることにする。 「そうですか、それはよかった」 司摩はロ許をきゅっと吊り上げた。笑ったようだったが、とても笑みには見えなかった。 「司摩さんは、入会してから長いんですか」 話のとっかかりを見つけるために、取りあえずそう尋ねた。 「ええ、まあね」司摩は粘りつくような口調で頷く。「ただ長いだけで、落ちこばれなんです けど」 「そうなんですか」 どう答えてよいものかわからなかったので、当たり障りのない返事をした。確かに、キャリ アが長いのなら、こんな初心者向けの勉強会に出ているのも変な話だった。あまり熱心な会員 ではないのかもしれない。 「あなたはどうして入会されたんですか」 司摩はさらにズッと体を寄せてきた。視線が熱つばかった。 「私ですか。私はここの教えに、本物の匂いを嗅いだように思ったんです。以前、インチキ宗 教に掴まりましてね。それで本物を求めていたんです」 「どうして本物の宗教を求められるんですかフ 123

5. 慟哭

甲斐は唸った。 「・不当一にそう思うか 「可能性の問題です。かわいいから連れてきてしまった、泣かれたから殺してしまった、とい う経緯であれば、犯人が女性でもおかしくはないと思います」 「ふん」 甲斐は鼻を鳴らした。佐伯は先を続けた。 と、つほう 「次に心理的な面です。これは東邦医科大学の犯罪心理学の権威でいらっしやる、山名和弘教 たまわ 授の助言を賜りました」 「ああ、山名先生か」甲斐は納得したように、深く頷いた。「それで」 「まずひとつに」佐伯はふたたび左手の指を立てた。「犯人は精神的に未成熟であること。自 うち 分の裡で、幼児を近い存在と捉えていること。これは、例えばロリコンといった、歪んだ心因 はんちゅう 症状を示唆しているのではありません。幼児をなんらかの事情で失った母親も、この範疇に入 ります。ともかく、年齢に伴い発達するはずの自我が、成長を止めてしまっている可能性が強 いと、山名教授は説明しています」 「なるほど。次は」 甲斐は先を促した。 「確実に言えるのはここまでだが、あえて大胆な推測を推し進めれば、と山名教授は留保付き でおっしゃいました。犯人が男であるなら、性的に未熟であること。心因性のインポテンツで やまなかずひろ

6. 慟哭

「ああ、あそこですかー川上はあっさりと頷いた。「ひどい目に遭ったんですか」 「ええ、ちょっとね。でもこちらはあそことは違うようですね」 少し話題を振ってみたが、川上は特に乗ってこなかった。 「それぞれの教団にそれぞれの考え方がありますからね。私も福音の聖教教会の噂は聞いてい ますが、当教団との違いをどうこう主張する気にはなれません」 「ほう」 わざと意外そうな声をあげた。 「あちらの教えを信じていらっしやる方も、たくさん存在します。その方たちがそれぞれ幸せ なら、それでいいんじゃないですか」 「なるほど」 新興宗教の団体は、互いにそれぞれを批判しあうものだと認識していた。それがどうやら勝 手が違う。この川上本人の考え方なのか、それとも教団の基本方針なのかわからないが、少な くとも陰湿な雰囲気は感じ取れなかった。 「さあ、もう一階上に上がってみましよう。他の皆さんと少しお話しするのも、参考になると 思います」 導かれて、さらに階段を上がった。五階も四階と同じように、白い廊下に白いドアが並んで いる。川上は一番手前のドアを開けた。

7. 慟哭

彼は己の身を顧みずにはいられなかった。 , 彼の幸せ、それはもう破壊された。だが、本当に そうだろうか 唐突に先日の娘のことを思い出した。突然彼に声をかけてきた、あの奇妙な娘だ。ふと鮮明 に、娘の言葉が脳裏に甦った。それは彼にとって、一条の光に等しかった。 あなたの幸せをお祈りさせてください。 6 かいけんぞう 警視庁刑事部長甲斐健造は、佐伯の報告を聞き終えてからしばらくの間、渋い表情を崩そう としなかった。 事態は遺体発見という最悪の形になった。行方不明の段階での捜索の不手際を指摘する声も やおもて 上がることだろう。その矢面に立つのは、捜査一課長である佐伯と刑事部長の甲斐なのだ。渋 い顔が一兀に戻らないのも当然と言えた。 「ーーで、どうなんだね」長い沈黙の後、甲斐はロを開いた。「君は連続した事件だと思うか ね」 甲斐は刑事部長の席で、ほとんどふんぞり返らんばかりの態度で尋ねた。机を挟んで、佐伯 はその前に立ったままだ。警視長と警視の階級の差を見せつけたいという甲斐の意図が露骨に

8. 慟哭

りびりと帯電するかのような雰囲気を身にまとっていた。 会見に臨むに当たり、佐伯にはひとつの腹案があった。捜査が完全に膠着し、犯人の後手後 手に回っていることに対する、それは佐伯の焦りでもあった。 佐伯は捜査会議の席上で、犯人を挑発してみようと思う、と発言した。それに犯人が乗せら れ、何らかの手がかりを残すことを期待したのだ。 とうやって」 「挑発する ? 」疑問の声を上げたのは、東日野署の刑事課長だった。「いったい、、 「記者会見で自首を勧告する」佐伯は言った。「それでのこのこと犯人が自首してくるとは思 えないが、何らかのリアクションが返ってくる可能性がある。そうすればその分だけ、我々は 手がかりを入手できる」 「理屈はそうでも、しかしあまりにも危険すぎる」刑事課長はあくまで食い下がった。「犯人 がそれに誘発されて次の犯行に走ったら、どうするつもりですか」 「そこまで犯人を怒らせるつもりはない。その点は私に任せてもらいたい」 「任せられますか ! 」刑事課長は激昂して机を叩いた。「あんたは人の命をどう思ってるんで すか ! 捜査はそんな机上の空論でできることじゃないんだ。もしもの場合を考えたら、犯人 を挑発するなんて危険なことは絶対に避けるべきだ」 真っ赤になって主張する刑事課長を、佐伯はにべもなく退けた。 「じゃあ、他に良い案があるのですか」 佐伯の言葉に答える者はなかった。打つ手が尽きているのは、その場にいる全員がいやにな 335

9. 慟哭

た案内嬢に、週刊春秋編集部へ繋いでくれと頼んだ。 : ええ、二月十二日号の、新興宗教についての記事を書いた方にお会いしたいんですが。 ええ、ええ。そうですか、わかりました。お待ちしています」 受話器を置くと、こちらをじっと見ている丘本に気づいた。 「何か ? 「いえ、行ってきます」 丘本は軽く首を振ると、北岡を促して部屋から出ていった。 三十分後に、電話が鳴った。受話器を取り上げると、待っていた相手だった。 すどう 「須藤だが」割れた耳障りな声が聞こえてきた。「電話したか ? 」 「やつばりあんたか」佐伯は応じた。「そうじゃないかと思った」 「おれが書いた記事に文句をつけようっていうのか」 「少し聞かせて欲しいことがあるんだ。時間をつくれないか」 返事はなく、紙を捲る音だけが聞こえた。スケジュールを確認しているようだ。 「十一時から空いてる。来られるか」 「十一時か」時間を確認した。「少し過ぎると思うが、半までには行ける」 「わかった。あんた、今どこだ」 「日野だ」 「じゃあ、新宿がいいだろう。西口地下の《樅》だ。わかるか」 もみ 317

10. 慟哭

をくれるの ? 」 「何か言ったらどうなの。記者会見での歯切れの良さはどこへ行ったのよ」 美絵の追及は容赦がなかった。佐伯はかろうじてやり返した。 「何を言って欲しいんだ。いまさらおれの詫びでも聞きたいのか」 「あたしはどうだっていいわ、もう。第三者から見ればあたしだって悪いだろうし、あなたに も同情すべきところもあるんでしよう。でもね、何にも関係がない恵理子はどうなるの。なん で恵理子が、あなたなんかのために辛い思いをしなきゃならないの」 「恵理子がどうしたんだ」 佐伯の言葉はきつくなった。 「今日、幼稚園から泣いて帰ってきたわ。苛められたのよ」 「おれの : : : せいなのか」 茫然と彼は言った。 「そうよ。まぎれもなくあなたのせいよ。あなたが少しも悪びれず、いけしゃあしゃあと開き 直ったりするからよ」 「世間の人が、あなたをどれだけずうずうしいと思ったか、わかってるの ? 幼稚園の子供な んて、何にもわかっちゃいないわ。親が一一 = ロうことをそのまま鵜呑みにしてるのよ。なんてひど 352