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検索対象: 日経サイエンス 2016年10月号
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1. 日経サイエンス 2016年10月号

重力波天文学の幕開けで まで描き切ろうとする執念は本当にど こから来るのか。 新ステージに進む宇宙の理解 終章は初の重力波観測成功を扱う , いわば , 大団円。観測開始直後 , シミ 評者川端裕人 ュレーション通りのきれいな波形を得 たことで , 最初は意図的に混入された 「盲検注入」ではないかと疑った者も アインシュタインが重力波の存在を そんな LIGO の発見の物語を , コロ 予言したのが 1916 年。日本の年号で ンビア大学の天体物理学教授で , 作家 多かったそうだ。その後 , 実際の観測 データだと確認され , 「観測成功」と は大正 5 年だ。百年後の今年 , 重力波 でもある著者が , 長年の取材をもとに なった。そこだけを見れば , あっけな の直接観測成功の報を聞くのは , 出来 こってりと描く。重力波検出の原理や 過ぎの感がある「事件」だった。 検出について , 正確で的確な説明がな い。しかし本書の読者は , 前史の険し 検出に成功した LIGO ( レーザー干 されていると折り紙つきだ。原理のパ さをすでに十分理解しているはずだ。 渉計型重力波観測所 ) は , 2015 年 9 月 , ートのまとめが , 個人的に気に入って 成功の歓喜たるや想像を絶する。さら 感度を上げるアップデートを完了した いる。「 L 字を作る。真空にする。レ に , 本書の刊行後の出来事だが , 二度 たった 2 日後に , プラックホールの合 ーザーを光らす。鏡を吊るす。光を再 目の観測に成功したとの報があり , こ の規模でのプラックホール合体が , か 体で発した重力波を捉えていたという。 結合させる。干渉を検出する。音を記 重力波の「存在確認」という意味でま 録する。簡単なことだ。」 なりの頻度で起きることも示唆された。 ず偉業。さらに電磁波ではなく , 重力 本当に簡単なことに思えてくるが , 「重力波天文学」がまさに始まった ! 波を使った新しい天文学の始まりを告 その一方で , まったく簡単ではなかっ 目の前に広がる沃野を視界におさめ げる記念碑的業績でもある。 たというのも , 本書の眼目の一つ。技 つつ , しかし筆致は醒めている。いや , スケールが大きすぎてクールに響く。 術的にも , 政治的にも , 人間関係的に ・・。「ここまで書くの ? 」という 宇宙を理解することにおいて新たなス 重力波は歌う くらい , この巨大ブロジェクトの裏側 , テージに進んだ人類だが , 長い目で見 アインシュタイン最後の宿題に ると , やはりいずれは , 無に帰す存在 それこそ , メンバーの不和に至るまで 挑んだ科学者たち 描き込まれる。「藪の中」と題された でもあると著者は述べる。それもプラ ジャンナ・レヴィン著 章では , 1990 年前後に , 初期メンバ ックホールによって ! 田沢恭子 / 松井信彦訳 早川書房 1600 円 ( 税別 ) ーに走った亀裂について , 徹底的なイ 「この発見の記録も太陽系の残骸と ンタビューを敢行するが , 聞き取った ともにいつかプラックホールへ落ちて 内容は互いに食い違う。まさに映画 いく。 ( 中略 ) 時間の終わりに近づく 「羅生門」。ここまでこだわるのはな につれてプラックホールはすべて蒸発 ぜなのだろう。キップ・ソーンやライ して忘却のかなたへと消えていく」 ナー・ワイスといったプロジェクトの 無常観と言ってしまえばそれまでだ 代表者 ( 将来のノーヘル賞候補だ ) に が , しかし , 本書でひたすら語られた この件で何時間も話させる著者って何 サイエンスと「人間臭いドラマ」は , 者 ? 少なくとも只者ではない。 宇宙スケールの中でみたら , 同じくら また , 研究の歯車としてひたすら働 い小さくも愛おしい。いずれ消えて失 われるからこそ , 記録せずにはいられ く立場のポスドクたちに受け入れられ , ない衝動を背後に感じ取り , 最後の最 若手限定の飲み会に出席するエピソー 後で一番深い共鳴を覚えた。 ドも印象的。サイエンスそのものだけ ではなく , その周囲にある雑多な営み ( かわばた・ひろと : 作家 ) ブックレビュ 訊は 日経サイエンス 2016 年 10 月号 124

2. 日経サイエンス 2016年10月号

道具作りに対する要求が そうした技能を教えるための 複雑な社会的相互作用とともに 人間の認知を進化させる原動力になったと考えられる に沿って 15 年にわたり研究してきた 私の目標は , 人が石器を作るときに脳 で何が起こっているかを明らかにする ことだ。 私の研究室は現在 , 石器作りを学ぶ 研修所さながらだ。工モリー大学の私 のオフィスでこの原稿を執筆している いまも , カチカチと石を打ち欠く音が 聞こえる。外の作業場で , 石器作りの 初心者たちがフリントの砕片の山にさ らに砕片を積み上げているのだ。昨年 , その山は幅 3m , 高さ約 13cm に達し , 砕片の重さは 1350kg を超えた。ポス ドク研究員のクレイシェ (Nada Khreisheh) が , うまくいかずに往生 している学生に身を乗り出してアドバ イスする様子が窓越しに見える。 クレイシェは現在 , 週に約 20 時間 , 20 人の学生に古代の握斧作りを教え ている ( 各学生は 100 時間の指導を受 ける ) 。私たちがこれまでに行ったプ ロジェクトの中で最も意欲的なものだ。 すべての授業は録画されており , 後に どの学習法が最も有効だったかを解析 できる。できあがった握斧は集めて計 測し , 技能の向上を追跡する。 学生には磁気共鳴画像 (MRI) 検 査を何度も受けてもらい , 脳の構造と 機能の変化を調べる。さらに心理学テ ストによって , 計画立案や短期記憶な どの特定の能力が道具作りの才と関連 しているかどうかを調べる。このプロ ジェクトは膨大な作業を伴うが , 有史 以前の技術の精妙さを理解する上で不 可欠だ。 他のことはともかく , 私たちはこれ らの取り組みから石器作りが難しいこ とを学んだ。だが私たちが知りたいの は , それがなぜこんなに難しいのかた。 76 オークリーや「人間は道具製作者説」 の支持者は , 道具作りのカギは「人間 に特有の」抽象的思考能力 , つまり様々 な種類の道具を再現すべき見本として 心の中に思い描く能力だと考えた。失 礼ながら私はこの意見に反対だ。熟練 の職人ならみな , 作りたいものを思い 浮かべるのは難しくないと言うだろう。 難しいのはそれを実際に作ることた。 握斧を作るには , 石を別の石や骨 , シカの枝角といった手持ちの " ハンマ " で打ち欠いて有用な道具に仕上げ る打撃技術を習得しなければならない。 強力な打撃を数 mm 以内の精度で石 に加える必要があり , ハンマーを高速 で振り下ろしている途中で狙いの打撃 点を修正するのは不可能だ。大理石の 彫像を作るときと同じく , 一度剥がれ 落ちた剥片を元に戻すことはできない。 小さなミスでも全体を台無しにしてし まうことがある。 パリにある社会科学高等研究院の運 動科学者プリル (Blandine Bril) らは , 初心者と違って熟練者は打撃の力を調 節して剥片の大きさを変えられること を運動追跡装置を使って示した。こう した打撃を繰り返して握斧のような抽 象的なデザインを完成させることは , 必要な打撃コントロール術を長期間の つらい練習を通じて身に付けて初めて 可能になる。 私たちの祖先も石器作りを学んだと きに同じ難題に直面した。また , 彼ら の生活は石器をうまく作れるかどうか にかかっていただろう。道具作りに対 する要求が , そうした技能を教えるた めの複雑な社会的相互作用とともに , 人間の認知を進化させる原動力になっ たと考えられる。 私たちはオークリーの「人間は道具 製作者説」に現代的な解釈を加えたこ の考え方を「ホモ・アルティフェクス ( Ho 川 0 4 な x ) 仮説」と名づけた。 artifex は技能や創造性 , 職人技を意 味するラテン語だ。 石器製作中の脳の活動 有史以前の人々の練習を知る上での 技術的な課題は , 石の打ち欠き方を学 生に教えることだけではない。標準的 な脳画像化法はいくつかの点で石器製 作を調べるのに適していない。 MRI 検査を受けたことがある人なら , 検査 中は絶対に動かないようにと念を押さ れたのを覚えているだろう。動くと画 像がプレるからだ。あいにく幅 60cm の円筒の中にじっと横たわった状態で は , 昼寝のナッピング (napping) を したくなるかもしれないが , 石器作り のナッピングはできない。 私たちの初期の実験では , フルオロ デオキシグルコース陽電子放射断層撮 影 (FDG-PET) という脳画像化技術 を使ってこの問題を回避した。 PET では一般に , 脳の活動を画像化するた めにトレーサーとして放射性分子を静 脈から点滴する。私たちの実験では , 被験者が手を使って石器を作れるよう に , 足に点滴ラインを確保した ( 少し 痛みを伴う実験だ ) 。被験者が石を自 由に打ち欠いて斧やナイフを作ってい る間 , トレーサーは代謝が盛んな脳組 織に取り込まれていく。作業終了後に 被験者の脳をスキャンし , 脳のどこに トレーサーが蓄積したかを調べる。 私はこの FDG ー PET を使って石器時 代の 2 つの技術 , 前期旧石器時代初期 の「オルドヴァイ技術」と同時代末期 の「後期アシュール技術」を調べた。 260 万年前 ~ 20 万年前の前期旧石器 時代は進化的に重要な時期で , この間 にホミニン ( 絶滅種を含む人類 ) の脳 のサイズは約 3 倍になった。私たちが 検証したかったのは , これらの石器技 日経サイエンス 2016 年 10 月号

3. 日経サイエンス 2016年10月号

ーター 4 つで構成した回路だ。 その数年後 , カリフォルニア大学バ ークレー校のアーキン (Adam Arkin) らが遺伝性のメモリーを考案した。起 動すると , リコンビナーゼという酵素 を使って DNA の一部を切り取り , 前 後の向きを反転させて元の位置に戻す。 改変された DNA 断片は細胞分裂の際 に娘細胞にそのまま受け継がれる。多 くの細菌が 1 ~ 2 時間ごとに増殖する ことを考えると , この機能は有用だ。 1 つの演算を行う回路部品を作るの は最初の一歩だ。それらを多数つない でシステムに集積するのははるかに難 しいが , 有用性はずっと高い。合成生 物学者はすべての基本的な論理演算 (AND や OR, NOT, XOR など ) を 実行できる遺伝子部品を作ってきた。 2011 年までに 2 つの研究グループが 個々の論理ゲートを複数の細菌細胞に 導入し , 細胞どうしが化学的な。ワイ ヤ " を介してやり取りするようプログ ラムすることで , 事実上の多細胞コン ピューターを作り出した。 その後 , スイス連邦工科大学チュー リヒ校にいるフッセネガー (Martin Fussenegger) とアウスレンダー (Simon Ausländer) らは , そうした 遺伝子部品を組み合わせて簡単な数値 計算を実行できるさらに高度なシステ ムを作り出した。 著者の 1 人 ( ルー ) はコリンズとハ ーバード大学医学部のチャーチ (George Church) らと共同で , 遺伝 性のメモリーを多段に接続し , 3 まで 数えられる遺伝子組み換え大腸菌を作 った。このメモリーの状態は , 細胞が 世代交代しても変わらない。この機能 は重要だ。過去の生化学的現象に関す る情報を , 将来の検索に備えて保存し ておけるからだ。私たちが作ったこの カウンタは , 原理的には , より大きな 数の計数や , 細胞分裂や細胞の自殺 ( ア ポトーシス ) など重要な生物学的現象 を記録するように改良できる。 http ・ //www.nikkei-science.com/ 細胞コンピューターは取るに足らない能力でも それをうまく活用すれば 生体内で有用なタスクを実行できるだろう 病気を診断 いまやバイオコンピューターは概念 実証の段階を超え , 現実世界での応用 が視野に入ってきた。センサーや論理 ゲート , メモリーを組み合わせて生き た細胞内で有用なタスクを実行する遺 伝子回路を作る方法が , ここ数年で数 多く登場した。 例えば 2011 年には , 現在マサチュ ーセッツ工科大学にいるワイスと現在 中国の清華大学にいるシェ ( 謝震 , Zhen Xie) , スイス連邦工科大学チュ リヒ校のベネンソン (Yaakov Benenson) らのグループが , がん性 の細胞を強制的に自己破壊させる高度 な論理回路を作り上げた。この回路は 6 種類の生体シグナルを監視する。具 体的には遺伝子の発現を調節している マイクロ RNA (miRNA) という短 い RNA で , これら 6 つの miRNA は HeLa ( ヒーラ ) 細胞というヒト由来 のがん細胞に特有なシグナルた。 この回路は HeLa 細胞内で遺伝子キ ルスイッチを入れ , 細胞を自殺に導く タンパク質を作り出す。一方 , HeLa 細胞以外ではこの回路は活性化せず , 細胞の自殺は起こらない。 私たちを含む他の研究グループは , いくつかのバイオコンピューター回路 を実証した。基本的な算術計算 ( 足し 算や引き算 ) を実行するものや , 比率 や対数を計算するもの , 2 ビットのデ ジタル信号をタンパク質の濃度という アナログ出力に変換するもの , すべて の論理ゲートのオン・オフ状態を母細 胞から娘細胞に伝えるものだ。 2015 年 , 私たちのグループは同じ くマサチューセッツ工科大学のヴォイ ト (Christopher Voigt) のチームと 共同で , 哺乳類の腸内で働くバイオ計 算微生物を開発した。実験にはマウス を使ったが , 私たちが改変したバクテ ロイデス・テタイオタオミクロン ( Bac ro お 0 0 川た ro れ ) は成 人の約半数の腸内にごく普通に , しか も大量に見られる細菌だ。なお , ハー バード大学医学部のシルバー (Pamela SiIver) らは私たちよりも前に , マウ スの腸内で働く遺伝子組み換え大腸菌 を作っていた。 バイオ回路はこの細菌をスパイに仕 立てる。スパイ細菌は腸内をゆっくり 動きながら , 指定された化学物質と出 くわした場合には , それを DNA の一 部をメモ帳代わりにして記録する。実 験ではマウスが食べても問題ない無害 な化合物を標的としたが , 標的は有害 分子でも , 宿主が特定の病気にかかっ ているときにだけ存在するバイオマー カーでもよい。 スパイ細菌は糞と一緒に排泄される。 標的との接触を記録した細菌では , 暗 所で光る酵素のルシフェラーゼが作ら れる。かすかな光だが , 顕微鏡で確認 できる。 こうしたシステムが炎症性腸疾患 (IBD) など腸疾患患者にどれほど有 用かは想像に難くない ( 86 ~ 87 ペー ジの囲み ) 。間もなく , 体内に自然に 存在している無害な細菌をプログラム して , がんや炎症性腸疾患の初期兆候 を探し出して報告できるようになるだ ろう。兆候の有無によって便の色が変 わる。あるいは便に化学物質を加え , 市販の妊娠検査キットのような安価な キットで検出してもよい。 ウェットウェアのハードな問題 上記のスパイ細菌は , たいした計算 力がなくとも現在の診断テストを大幅

4. 日経サイエンス 2016年10月号

トラ集団を追いかけろ 生物保護 "Tracking Tigers だが , 保護機関の取り組みは遅れている このとらえにくい動物を調査する科学的技法は格段に進歩した K. U. カランス ( 野生動物保護協会 ) 私はインド南西部のマーレナドウと いう山国の素晴らしい自然のなかで育 ち , 小学生のころはすっかりトラに魅 せられていた。トラを題材にしたヒン ドウー文化の数々の儀式が魅力をさら にかき立てた。例えば悪に対する善の 勝利をたたえる秋のダサラ祭では , た くましい男たちが身体に黄土色と白 , 黒の模様を塗り , 太鼓のクレッシェン ドに合わせてトラの優雅な動きをまね る。ぞくぞくするスペクタクルた。 だが , 私の周囲で展開している現実 はぞっとするほどひどかった。家畜を 守ろうとする農家やスポーツハンター によって残り少ないトラが殺され , 豊 かな森は木材を得るために容赦なく伐 採されていた。私は 10 代半ばになっ た 1960 年代初め , 野生のトラを目に するという夢を諦めていた。 しかしその数年後 , 奇跡が起こった。 動物保護活動家の強い要求に応え , 当 時のガンディー首相 (lndira Gandhi) が厳格な保護法を施行するとともに , 複数の野生生物保護区を設けた。これ を機にトラ保護の機運が世界的に高ま った。多くの国がトラの狩猟を禁止し , トラの住みかとしての森林と木材資源 としての森林利用という矛盾した需要 に折り合いをつけようと試みた。 日経サイエンス 2016 年 10 月号 なかでもインドはよくやった。イン ドは世界のトラ生息地の 20 % を擁し ているにすぎないが , 現在そこに世界 のトラの 70 % が保護されている。 12 億人の人口が自然に対して及ぼす圧力 , なおも続く貧困 , 工業化経済の進展を 考えると , なかなかの成果だといえる。 だがこうした保護の取り組みにもか かわらず , アジア全域でトラの数は減 り続けている。つい 200 年前には , カ スピ海の葦原からロシアの針葉樹林 , インドの林地からインドネシアの雨林 まで , アジアの 30 カ国をトラが歩き 回っていた。この広大な生息域がいま では 7 % に縮小し , 数カ国に限られて いる。そして個体数回復の見込みがあ る集団は , かってのわずか 0.5 % とい う狭い地域を占めているにすぎない。 繁殖を続けるのに必要なサイズを備 えたこれらの集団は「ソース集団」と 呼ばれ , 40 から 50 ほどあるが , その 行く末は危うい。ほとんどのソース集 団は互いに孤立し , 周囲を敵対的な人 間環境に囲まれている。これらのソー ス集団は集中治療室の患者と同様 , 徹 底的なモニタリングを必要としている。 だが , 長年の保護活動を経た現在でも , そうした集中的なモニタリングはむし ろ例外だ。 その結果 , 野生のトラの実際の状況 を科学者たちもよく把握できていない。 在来の調査法ではアジアのどこにトラ がいるかを知るのがせいぜいで , 何頭 残っているのか確かな推定をするのは 不可能た。実際 , 保護活動家たちがメ ディアに語っているトラの個体数の多 くは , 裏づけとなる確かな証拠がほと んどない。 とらえにくいトラの個体数をいかに 計数するかーー近年 , 私は共同研究者 とともに , この問題に関してかなりの 前進を果たした。近くを通りかかった 動物を自動的に撮影する「カメラトラ ップ」と , トラの写真から特定の個体 を識別するソフトウェア , さらにその トラ集団の規模を推定する精巧な統計 解析を組み合わせ , いくつかのトラ集 団について以前よりもはるかに正確な 姿を描き出した。今後の課題は , これ らの進んだ調査法を利用するよう保護 機関を説得し , ソース集団の生息域全 体にわたって集団の状況を追跡してい くことだ。 とらえにくい被写体 何頭のトラがどこにいるのかを見極 めるのは , 恐ろしく難しい。このネコ 科動物はまれなうえ , 内向的で , 地理

5. 日経サイエンス 2016年10月号

十 1 2 = 2 5 コースもの狙い筋があり , 2 れ士のの形 ( 襯とれは任意の整数 ) そのことごとくに障害物を置こうとす であることがわかる。さて手球の座標 れば , 当然 25 個の障害が必要になる。 を (), ァ ) とすると , これと鏡像とを結 したがってグリフォンの戦略のツボは , んだ線分の途中に障害物があれば , そ 1 つの障害で複数の狙い筋を邪魔する の狙い筋を阻止できるが , 確実にその ことである。例えば , 1 クッション以 線分の途中にあると言える点がある。 内で当てられることを阻止するには , 線分の中点だ。 (), ァ ) と ( 2 襯士 , 下図のように障害物 ( 青の点 ) を 3 つ 的球に当たるまでのクッション回数 2 〃士と ) とを結ぶ線分の中点の座標は , 置けば 1 十 4 = 5 個ある狙い筋のすべ を増やしたい場合 , 鏡映の鏡映を作っ ( 川十 ( x 士の / 2 , れ十 ( ァ士の / 2 ) であ てそこに向けて手球を突けばよい。例 てを邪魔できる。 る。これらの点はビリャード台の外 えは , 2 クッションならば , 下図のよ にあるかもしれないので , もちろんそ うに鏡の壁を 2 つ超えた先にある的を こに障害物を置こうというのではない。 狙えはよい。 それらの点を鏡像に持つようなヒリ ャード台上の点に障害物を置くのた。 先と同様に考えると , 座標か ( 襯十 ( x 士の / 2 , れ十 ( ァ士の / 2 ) という形の点の そこで考えるべきことは , 無限個あ 鏡像は座標が ( r 士 x / 2 士ロ / 2 , 5 士ァ / 2 る鏡像への狙い筋すべてを邪魔できる 士レ 2 ) という形 (), 5 は整数 ) の点た ような障害物の位置が有限個に絞れる 一般にれクッションさせたいときは けだとわかる。すなわち , これらのう れ回鏡映をさせたのちの像を狙えばよ たろうかということた。 ち CO, 1 ] x CO, 1 ] に属する座標だけ い。例えば 3 クッションの場合 , それ ここからは , 図だけで考えるのは骨 に障害物を置けばすべての狙い筋を阻 が折れるので , 座標幾何と代数に登場 らの像は無限に展開された鏡の中では , 止することができる。結局 , 選ぶのは x , 願おう。ビリャード台の左下隅を原点 下図の青色マスの中にあるから , 標的 4 , ァ , わの正負の符号だけであり , r と 5 としては 1 2 個がありうる。 とし , 下辺のクッションを x 軸 , 左辺 は 0 か 1 かであるが , x, 4 , ァ , わの符号 のクッションをア軸とする直交座標を が決まればどちらかに自動的に決まる 導入する。また , どちらの方向もビリ ので , 障害物を置かねばならない場所 ャード台の 1 辺の長さを 1 として , 的 は 24 = 1 6 カ所だけだということにな 球の座標を朝 , のとする。もちろ る。読者は , 具体的な 4 , し x, アの値 ん 0 ミ 4 1 , 0 ミと 1 である。この について , 障害物を置くべき 16 カ所を とき的球の鏡像たちの座標はどうなる 計算し , それがどの鏡像に対する狙い だろうか ? ちょっと考えればわかる 一般にれクッションしてから的に当 筋も消していることを確認してほしい。 が , 左右上下の隣りの鏡像の座標は てたい場合 , 狙うべき鏡映像が最大 的球の鏡像と手球を結ぶ線分上の点 ( ー 4 , 矼 ( 2 ー 4 , わ ) , 朝 , 2 ー矼朝 , ーわ ) 4 れ通りありうることは容易にわかる は無数にあるから , 上の証明のように である。他の鏡像たちについても次々 だろう。 特に中点を選ぶ必要はない。しかし , 最後のグリフォンの問題は難問だろ に考えていけば , その座標は ( 2 川士 4 , 他の点を選んで , より少ない数の障害 う。ボールや障害物は任意に小さくし 物ですべての狙い筋を阻止することは てよいということだから , 事実上点と 難しいように思う。 考えねばならない。それでも , クッシ 参考にした本 ョン回数が少ないうちは , 鏡像を狙う MATHEMATICAL PUZZLES.• A CONNOISSEUR S 各コースの途中に障害物を置けばその COLLECTION ( 2004 ) , MATHEMATICAL 狙いを阻止することができる。だがク MIND-BENDERS ( 2007 ) P. WinkIero 邦訳 は『とっておきの数学パズル』 ( 2011 年 ) , 『続・ ッション回数を増やすことを許すと , とっておきの数学パズル』 ( 2012 年 ) , ピー 狙い筋もどんどん増える。例えば 3 ク ター・ウインクラー著 , 坂井公・岩沢宏和・ ッション以内で当てるには 1 十 4 十 8 小副川健訳 , 日本評論社。 4 ■■ 0 ' t•■ 00 ■ 日経サイエンス 2016 年 10 月号 IOO

6. 日経サイエンス 2016年10月号

バイオコンピューター技術は医学にとどまらず エネルギーや環境 , 化学工学 , 材料工学の分野に 広がる可能性がある ーターを作ってテストし , バグを見つ けて修正する過程を通じて , それまで 誰も気づかなかった細胞の生物学と遺 伝学の精妙な側面を発見できるからだ。 新たなマシンの誕生 これらすべての課題を克服するには 何十年もかかるだろう。生物学的処理 の遅さといった問題は , 永遠に解決で きないかもしれない。従って , バイオ コンピューターの性能がデジタル電子 コンピューターのように指数関数的に 向上するとは思えない。私たちは , バ イオコンピューターが数学の計算やテ ータ処理を , 従来のコンピューターよ りも速く行えるようになるとは考えて いない。 だが , DNA の解読スピードや合成 スピードはこれまでになく急激に速く なっており , それがバイオコンピュー ター開発の追い風になっている。ムー アの法則のように , 遺伝子回路の設計 や組み立て , テスト , 改良にかかる時 間は年々短くなっている。 この分野はまだ歴史が浅いものの , 商業的に有望なバイオコンピューター の応用は見えてきている。細胞は生体 組織を移動でき , 複雑な化学シグナル を識別でき , 半導体チップにはまった く不可能な方法で生体組織の成長や回 復を促すことができる。バイオコンピ ューター診断装置がうまく機能したら , 当然ながら次の段階は , その装置を使 ってその場で迅速に治療することだ。 すでにがん治療施設では , 血液がん 患者から T 細胞という免疫細胞を採取 し , がん細胞を殺すよう指示する遺伝 子を導入して体内に戻す治療が始まっ ている。現在 , T 細胞が他の様々な種 類のがんを認識できるようにする論理 88 回路や , 万一 T 細胞が暴走したときに 医師がその働きを止められるスイッチ を併せて遺伝子バッケージに組み込む 研究が行われている。この方法で他の 多くのがんも治療できるようになるだ ろう。 2013 年 , コリンズとルーは他の生 物学者と共同で Synlogic 社を設立し た。安全に服用できる遺伝子組み換え プロバイオティクス細菌を用いた医薬 品を商品化するための会社だ。同社は 現在 , フェニルケトン尿症と尿素サイ クル異常症という , まれだが深刻な 2 つの先天性代謝異常の治療を目指して , バイオコンピューターを改良している。 動物実験はすでに始まっており , 有望 な結果が得られている。 マイクロバイオーム ( 人体にすむ微 生物相 ) が私たちの健康にどう影響す るかについての理解が深まれば , がん だけでなく炎症性疾患や代謝性疾患 , 心血管疾患といった様々な疾患の治療 に遺伝子組み換え細菌が有効であるこ とがわかるはずだ。研究を積み重ね , バイオ部品の種類が増えれば , " スマ ート医薬 " はより一般的で強力なもの になるだろう。 さらに , この技術は医学から他の分 野に広がる可能性があるだろう。エネ ルギー分野では , スマート微生物がバ イオ燃料を効率的に生産するようにな るかもしれない。化学工学や材料工学 では , 現在は作るのが困難な製品の合 成や , バイオ合成プロセスのジャスト インタイム制御 ( 必要な時に必要な量 だけ作る ) にバイオコンピューターが 役立つ可能性がある。環境分野では , バイオコンピューターで遠隔地の有害 物質への累積曝露を監視して , 汚染を 浄化できるだろう。 この分野は急速に発展している。バ イオコンピューターが現時点では思い もよらない素晴らしい利用法を秘めて いるのは確実だ。 ( 翻訳協力 : 千葉啓恵 ) 監修木賀大介 ( きが・だいすけ ) 早稲田大学先進理工学部電気・情報生命工 学科教授。合成生物学を研究している。 著者 Timothy K. Lu / Oliver PurceII ルー ( 左 ) はマサチューセッツ工科大学の准教授で , 合成生物学グルー プのリーダー。同グループは生きた細胞へのメモリーや計算回路の組 ー 1 ~ 「み込み , 合成生物学の医学や産業への応用 , 生きた生体材料の構築を 研究している。彼は米国立衛生研究所 (NIH) 所長新イノベーター賞 などを受賞しており , 2013 年には合成生物学関連ペンチャー企業 Synl 。 gic を共同設立した。パーセル ( 右 ) は同大学合成生物学グループのポスドク研究員。合成 生物学の部品の設計や生物学的システムを合理的に設計するための新たな計算論的アプローチ など , 合成生物学を幅広く研究している。 原題名 Machine Life (SCIENTIFIC AMERICAN ApriI 2016 ) もっと知るには・ MULTI-INPUT RNA. I-BASED LOGIC CIRCUIT FOR IDENTIFICATION OF SPECIFIC CANCER CELLS. Zhen Xie et al. in S , Vol. 333 , pages 1307 ー 1322 ; September 2 , 2011. SYNTHETIC 、 ANALOG AND DIGITAL CIRCUITS FOR CELLULAR COMPUTATION AND MEMORY. OIiver PurceII and Timothy K. Lu in C な e O ⅲ 0 れⅲ B れ olog ア , VoI. 29 , pages 146 ー 155 ; Oct0ber 2014. PROGRAMMING A HUMAN COMMENSAL BACTERIUM, BACTEROIDES THETAIOTAOMICRON, TO SENSE AND RESPOND TO STIMULI IN THE MURINE GUT MICROBIOTA. Mark Mimee et al. in Cell S ァ計夜れ 5 , Vol. 1 , No. 1 , pages 62 ー 71 ; July 29 , 2015. 「改造バクテリア注文通りの生物をつくる」 , W. W. ギブス , 日経サイエンス 2004 年 9 月号。 日経サイエンス 2016 年 10 月号

7. 日経サイエンス 2016年10月号

1999 年 , 宇宙空間で不安定な軌道 をたどっている小惑星が発見された。 その軌道は周期的に地球の公転軌道と 交差するようで , 既知の小惑星のなか で地球と衝突する危険がおそらく最も 高い。差し渡しが約 0.5km のこの天 体はエジプト神話の不死鳥にちなんで 「べンヌ」と名づけられた。 べンヌは有機物質と含水鉱物の塊で , 不毛の天体に落下した場合には生命の タネをまくことになるだろう。あるい は地球に衝突して大災害を引き起こす のだろうか。べンヌは 2135 年に地球 に接近して月よりも近いところをかす めると予想される。そしてこの接近通 過の際に軌道が少し変わり , 22 世紀 後半に地球と衝突するコースに乗る可 能性がある。 その際に地球のどこに落ちるのか正 確な予測は誰もできないが , TNT 火 薬 3000 メガトンの爆発に相当する工 ネルギーが放出されることが基本的な 計算から示されている。 2135 年の接 近通過によってべンヌが衝突コースに 乗った場合 , 世界のリーダーたちが大 災害を避けるために取れる選択肢は 2 つある。世界の広大な領域に避難指示 を出すか , この小惑星の軌道をそらす ミッションを宇宙に打ち上げるかた。 いずれにしろ , こうした措置をどれ ほど大規模に展開する必要があるかを 知るために , 未来の人々は 100 年以上 昔に集められたデータに頼ることにな るだろう。米航空宇宙局 (NASA) が この 9 月に打ち上げる「オシリス・レ ックス」が収集したデータだ。この探 査機はべンヌを訪問して , そのサンプ ルを地球に持ち帰ることになっている。 オシリス・レックスの起源 小惑星は太陽系形成の名残であり , 私たちの歴史のなかで最も古い闇の世 界を現在に伝えてくれる使者だといえ る。地球の地質記録を数億年さかのぼ る出来事に関するデータを保存してい るのは小惑星だけだ。小惑星のサンプ ルを入手すれば , 太陽の誕生と惑星の 形成 , さらには地球生命の起源に関す る長年の謎を解決できる可能性がある。 これらに加え , 破局的な小惑星衝突か ら地球を守る必要もあるわけで , 科学 者が小惑星に関心を寄せる理由は明ら かだろう。 一方 , サンプル取得のために探査機 を小惑星との間で往復させる必要性に ついては , 自明とはいえないかもしれ ない。何せ , 小惑星の破片は隕石とし て地球に常に降り注いでいるのだから。 だが問題は , もともとの状態を保って いる隕石はあってもごくわずかである ことだ。隕石はどれも地球大気に突入 した際の猛烈な熱で表面が融けている し , ほとんどは発見されるまでに数年 または数百年あるいは数千年にわたっ て風雨にさらされて劣化し , 本来語る はずだった物語が消えつつある。これ と対照的に , ほとんどの小惑星は宇宙 の不活性な環境のなかで何十億年も実 質的に変わらずに保たれてきた。小惑 星が持っている情報を手に入れるには , そこへ行くしかない。 そして , 小惑星のなかでもべンヌは 特殊ケースだ。博物館に展示されてい る隕石の大半は石と金属でできている が ( そうした丈夫な材料だから地表ま で落下してこられた ) , べンヌはそれ とは違って , デリケートな有機物質か らなる石炭のように真っ黒な塊だ。こ うした炭素質の物質がもとになって , 炭素を基本とする地球生物の生化学が 生まれた可能性がある。べンヌに地球 衝突の危険がなかったとしても , 科学 者はこれを調べたいと望むに違いない。 だが , 衝突の潜在的危険があるからこ そ , サンプルリターンが可能になる面 もある。衝突の恐れがあるということ はとりもなおさず , べンヌが地球のご く近くまで来るということであり , 探 査機を送り込みやすいのた。 べンヌの物語は少なくとも 10 億年 前 , 火星と木星の間を漂っていた原始 惑星から衝突で放り出されたラブルバ イル天体 ( 破砕集積体 ) として誕生し たときにさかのぼる。これに対しオシ リス・レックスの物語は歴史が浅く , 2004 年 2 月 , 私がアリゾナ大学月惑 星研究所の助教になって 3 年目に始ま った。宇宙航空企業のロッキードマー チンが私の上司ドレイク (Michael J. Drake) に接触してきて NASA が提 案中の小惑星サンプルリターン計画の 首席研究者への就任を打診し , ドレイ クは私を補佐に指名した。 このミッションにおける私の初期の 仕事は , その科学的意義を明確化する ことだった。私はそれまで 10 年以上 にわたって隕石を研究し , 原初物質の サンプルを相当量持ち帰ることによっ てのみ解決できる未解明の問題を熟知 していた。当時 , ほかにサンプルリタ ーンに挑んでいたのは日本の宇宙航空 研究開発機構 (JAXA) による「はや ぶさ」だけだった ( はやぶさと後継機 はやぶさ 2 に関しては , 58 ページの 囲みと 60 ページからの記事を参照 ) 。 「はやぶさ」は 2005 年に小惑星イ トカワとランデブーし , 部分的な成功 を収めた。予定よりもはるかに少量で はあったが , 1500 個の微小な鉱物粒 子を何とか収集した ( 小惑星サンプル を得るのは非常に難しいのだ ) 。また , イトカワは石に覆われた白っぽい天体 であり , べンヌのような黒い炭素質の 小惑星はそれとはまったく異なる歴史 と科学的意味を持っている。私たちは 新領域に踏み込むことにした。 私はある晩 , 自宅でミッションの主 要科学テーマの概略を起草することに 決め , 4 つのキーワードを書き下した。 「 origins ( 起源 ) 」「 spectroscopy ( 分 光法 ) 」「 resources ( 資源 ) 」「 security ( 安全対策 ) 」だ。 べンヌなどの小惑星から回収した原 初のサンプルは , 地球と地球生命の起 源について多くを語ってくれるだろう。 日経サイエンス 2016 年 10 月号

8. 日経サイエンス 2016年10月号

ゲームがもたらす報酬体験は実生活 にも応用可能な学習を促進する。例え ば理科や数学の授業で心的回転 ( 頭の 中に思い描いた物体を回転させる能 カ ) がうまくなったり , 子供がポール を追いかけて道路に飛び出してきた際 にプレーキをすぐに踏めるようになる。 真の脳トレゲーム 研究者は市販のビデオゲームの研究 から学んだことを , 退屈な心理テスト とはまったく違う次世代の治療用ゲー ムに応用しようとしている。ビデオゲ ームを臨床ツールとして評価や実際の 治療に使おうと考えている企業は増え ており , ポジット・サイエンスやペア・ セラピューティクス , アキリ・インタ ラクテイプなどがある ( 情報開示 : 著 者の 1 人のバヴェリアはアキリの共同 設立者で顧問 ) 。 例えばアキリは , ニューロレーサ ー』という研究用ゲームをもとに , 注 意力を高め気が散るのを抑える治療用 ゲームを開発中た。こういったゲーム の治療対象は注意欠陥障害の子供や認 知力低下の初期症状のある高齢者など た。このようなゲームが認められるよ うになるには時間がかかるだろう。最 終的に治療用ゲームが臨床ツールとし て実用化されるには , その医学的効果 を第三者的な組織 , 例えば規制当局や 幅広い科学界から評価してもらう必要 がありそうた。 アクションゲームは治療用ゲームを 開発するための基盤となっているが , 解決しなければならない課題もいくつ かある。第 1 にゲームを患者のニーズ に合わせて調整する必要がある。普通 のアクションゲームは健常な人の注意 力を高めても , 多くの注意欠陥障害患 者にはあまり効果がない。多くのプレ イヤーは物事がどう展開するかという イメージ ( メンタルモデル ) を持って いるので , ゲームで次に何が起こるか を予測できる。しかし , 注意欠陥障害 38 のある人のゲームの仕方は受け身のス タイルで , その先に何が待ち受けてい るかを思い描くのが難しい。従来のア クションゲームの仕様を作り変え , 注 意欠陥障害患者がゲームの次の一手を より積極的に考えるように仕向ける方 法が模索されている。 同様の改良は高齢者の自動車運転技 量の向上など高齢者の反応時間を速め ることを目的としたゲームでも重要に なるだろう。シューティングゲーム『メ ダル・オプ・オナー』をそのまま使う だけでは不十分だ。若者がするほとん どのアクションゲームは展開が凄まじ く速いため , 高齢者がついていけず , 既成のゲームは高齢者にはあまり効果 がないことが多い。高齢者のためのゲ ームはペースを落とし , 難しいができ なくはないと高齢者が感じられるよう に調整する必要があるだろう。 不同視弱視の人を対象とした視力強 化のためのゲームもターゲットになっ ているが , これらもプレーヤーへの要 求水準を通常より落とす必要がある。 臨床用のゲームでは最終的に , 多くの ビデオゲームに含まれる暴力的な要素 も減らさなければならないだろう。車 が道をそれたときにゲームが停止する のはいいが , 衝突事故の後に体の一部 が飛び散るシーンは余計だ。ゾンビを 撃つのにとどまらず実際に治療効果を 得られるようにするには , 学習や心理 学 , 神経科学の知識を持つ研究者がグ ラフィックアーティストやゲームプロ デューサー , デザイナーと協力して魅力 的な作品を作り出す必要があるだろう。 私たちの研究チームが『チーム・フ オートレス・クラシック』から得た最 初のひらめきは , まださらなる可能性 を秘めている。失読症の子供や頭部外 傷患者向けのゲームはセンサーを使っ て脳波をモニターしてプレイレベルを 自動で調整するなど , 患者に合わせて よりカスタマイズできるようになるだ ろう。技術そのものと同じくらい重要 なのは , 治療対象となる人々に特有の 認知的な長所短所にゲームの内容や操 作が合うように気をつけることだ。多 様な集団のニーズにそれぞれ即した配 慮が , 次世代の脳トレゲームの成功に 必要不可欠となるだろう。 ( 翻訳協力 : 千葉啓恵 ) 監修坂元章 ( さかもと・あきら ) お茶の水女子大学基幹研究院人間科学系教 授。専門は社会心理学とメディア心理学。 ビデオゲームやテレビなどのメディアが人 間の行動や発達にどのような影響を与えて いるのか研究している。 著者 Daphne Bavelier / C. Shawn Green バヴェリア ( 左 ) はスイス・ジュネープ大学心理教育科学科の教授でロ チェスター大学脳認知科学科の教授を兼務。グリーン ( 右 ) はウイス コンシン大学マデイソン校心理学科の助教。 原題名 日経サイエンス 2016 年 10 月号 バヴェリアの講演が ScientificAmerican.com/ju12016/video に。 リーンの講義 ( 英語 ) が http://greenlab.psych.wisc.edu/に。 ウイスコンシン大学マデイソン校のオンライン公開講座の一環としてビデオゲームと学習に関するグ に頭をよくする薬 " の現実」 , G. スティックス , 日経サイエンス 2010 年 1 月号。 Anguera et al. in Na ル尾 , VOI. 501 , pages 97 ー 101 ; September 5 , 2013. VIDEO GAME TRAINING ENHANCES COGNITIVE CONTROL IN OLDER ADULTS. J. A. pages 391 ー 416 ; 恒 ly 2012. VIDEO GAMES. Daphne Bavelier et al. in Annual Review 可 Ne 材 rosc 肥〃 , V01. 35 , BRAIN PLASTICITY THROUGH THE LIFE SPAN: LEARNING TO LEARN AND ACTION もっと知るには・・・ The Brain-Boosting Power ofVideo Games (SCIENTIFIC AMERICAN JuIy 2016 )

9. 日経サイエンス 2016年10月号

V 一 03 > 山 N コ山亠 0 AS 山 1 エコ 0 し 4 ネパーアローンこのゲームでは , イヌピアトの少女がブリザードマンを阻止しなければならない。 ブリザードマンはアラスカ先住民の説話に基づく猛烈な嵐を擬人化したキャラクターだ。右は , 大地が活 動を始めるというコンセプトのスケッチ。 は私がかって目にしたどの事例とも異 なる現象だ。 スウェーテンのベルソン (Markus いが , 『ティーチ・ウィズ・ポータルズ』 分けであるクック湾部族評議会 "Notch" Persson) が開発したマイン という教育用パージョンは「物理学 , (CITC) との共同事業だ。 CITC は米 クラフトは 2500 万人を超えるプレー 国初の先住民資本のビデオゲーム会社 数学 , 論理学 , 空間的推論 , 確率およ ャー ( 大多数は 10 歳前後の子供 ) を び問題解決が興味深くクールで楽しい アッパー・ワン・ゲームズを創設した。 擁する世界的現象となっている。プレ もの」になるようデザインされている。 私たちは共同で , ゲームをベースにし ーヤーは仮想世界を自由に歩き回り , た文化ストーリーテリングという新ジ 1 人であるいは他の人と協力して , レ 知らず知らずのうちに学ふ ャンルを開発しようとしている。文化 ゴのようなプロックで世界を作り上げ 自由に過ごせる遊び時間に子供たち 的伝統と世代を越えて受け継がれる知 る。「サバイバルモード」の場合 , 外 が微積分をテーマにした『コールオプ 恵にスポットを当てるものた。 が暗くなって悪者が現れるまでに隠れ 一般向けに最初にリリースする予定 家を作らなければならない。そのため ァューティ : カルキュラス』をやると は考えにくい。それでも私たちは , 難 のゲームは『ネパーアローン (Kisima に資源を見つけて採掘し (mine), ツ 題に挑戦するゲームや新世界を開くゲ lngitchuna) 』というアクション・ア ールを作らねばならない (craft)o 悪 ドベンチャーゲームで , プレーヤーは ームをする人は大勢いると確信してい 者出現の心配がなくなると ( あるいは る。そのゲームが優れたものであれば。 イヌピアトの少女の役になって生き延 敵が出現しない「クリエイテイプモー 他の様々なメディアに先例がある。 びるための困難に立ち向かう。お伴の ド」に切り替えると ) , プレーヤーは 例えば映画産業では , パーティシバン 子ギッネとともに , 北極地方の過酷だ ほぼどんなものでも自由に建設できる。 ト・メディアが「社会を触発して変化 が美しい風景のなか , 様々な障害と恐 ユーチュープに投稿されたマインク を加速する」ことを狙った社会性の強 怖を乗り越えなければならない。 ラフト作品をちょっと覗けば , 工ッフ い作品で成功している。『グッドナイ このゲームはイヌピアトの長老が子 ェル塔やタージ・マハルをはじめ , 地 トグッドラック』や『シリアナ』『リ 供たちに語り継いできた物語に基づい 球上にある象徴的な建築物ほぼすべて ている。説話とゲームの組み立ての両 のモデルが見られる。私のお気に入り ンカーン』などがその例だ。 私たちはゲームでも同様のアプロー 方とも , 困難な状況を生き延びるため は紫禁城の縮尺模型で , 450 万個近い チが成立すると考えている。ゲームデ に相互扶助と適応 , 立ち直る力がいか プロックで作られていて , 見学用のロ ザイナーの多くは家族持ちであり , に不可欠であるかを探求するものにな ーラーコースターまで付いている。 5000 万ドルを稼ぎ出すシューティン っている。パソコンのほかゲーム機 ( ソ マインクラフトは没入型でかっ創造 ーのプレイステーションとマイクロ グゲームをもう 1 つ作るよりも , 子供 的であるだけでなく , あらゆる主題を たちの能力を高めるために自分の技能 ソフトの Xbox) 用も市販する予定た より魅力的なものにして人を引きつけ を使いたいと思うだろう。 る非常に優れたプラットフォームでも ( 訳注 : 2014 年 11 月に発売された ) 。 この分野における私たち E ラインの だが , 商業と教育の境界を越えたゲ ある。私たちは最近 , マインクラフト 最初の大型プロジェクトが , アラスカ を改作した。モッドゲーム " 『 qCraftJ ームの過去最善の例は『マインクラフ 先住民に対する社会福祉事業団体の草 を共同開発するプロジェクトに加わっ ト (Minecraft) 』に違いない。それ 44 日経サイエンス 2016 年 10 月号

10. 日経サイエンス 2016年10月号

で違いが一貫して見られる場所を探す。製薬各社は新薬の標 的となる大当たり発見を期待して , ゲノムワイド関連解析に 重点投資した。だが , 病気の遺伝的基盤を明らかにする方法 としては結局のところお粗末だった。解析のたびに , 病気へ の罹患しやすさと関連しうる遺伝子変異群が次々に現れた。 ほとんどのケースでは , これらの変異はリスクを左右すると してもほんのわずかだった。この結果は , 遺伝子変異を調べ て標的医薬を大量に開発するという考え方に水を差した。 これに対し個別化医療の推進者は , 遺伝的差異を探すとい う考え方に問題はなく , ゲノムワイド関連解析の調査範囲が 限られているのが問題なのだと反論する。病気と相関する少 数タイプの一般的な変異遺伝子を探すのではなく , ゲノム全 体 , つまり DNA を構成する 60 億の塩基を調べる必要があ る。そしてそのデータを , 家族歴から本人のマイクロバイオ ーム ( 人体にすんでいる微生物 ) , エピゲノム ( 個々の遺伝 子の発現に影響する DNA の化学修飾 ) まで , あらゆる階層 の情報に重ね合わせて解析する必要がある。できるだけ多く の人についてすべてのデータを比較すれば , どの要素の組み 合わせがどの病気をもたらしているのかをついに特定できる はずだ。それらの病因を突き止める最良の方法と , その標的 に応じた治療法の開発も見えてくるだろう。 オバマ大統領が昨年に打ち出した個別化医療イニシアティ プは , まさにそれが狙いだ。 100 万人の大集団について , ゲ ノムやマイクロバイオーム , エピゲノムなど考えうるあらゆ るデータを収集して巨大データベースに蓄積し , 科学者がこ れにアクセスして様々な研究と解析を続けられるようにする。 これらのデータがいかに役立つか , 先に触れたワルファリ ンの例を考えてみよう。患者がこの抗血栓薬をどれだけ素早 く代謝する体質であるかがわかれば , 最適な投与量を決めや すくなり , よい結果につながるはずだ。なのに , そうならな かったのはなぜか ? 食事など他の要因が関係しているのだ ろうか ? 現在は不明だが , 100 万人の集団があれば解明で きる可能性がある。「この集団は数万人のワルファリン服用 者を含むことになるに違いない」と米国立衛生研究所 (NIH) 所長のコリンズ (Francis Collins) はいう。「それだけいれば , 『おや , このグループには確かに効いているようだが , 食事 内容に他とは違う傾向があるな。そのせいかもしれない』な どといえるようになるだろう」。さらに , 薬の効き目が人に よって異なる微妙な理由も見えてくるだろうという。 新イニシアテイプの支持者と反対者が一致しているのは , それがとてつもない大事業になるだろうという点だ。内容と 質が様々な多数のデータベースに分散して存在する膨大な健 康データを統合する必要がある。また , 100 万人から血液試 料と組織試料を採取して保存することになるだろう。これは 大仕事で , 定期的に収集するとなるとなおさらだ。これがう http //www.nikkei-science.com/ 理屈のうえでは , 個別化医療は ネットフリックスやアマゾンのように機能する まくいって , 信頼性の高い病気予測因子が見つかり , それに 基づく治療法を開発できた場合も , 一般の医師がそうした新 手法に習熟する必要があるだろう。既存の遺伝子検査データ を解釈する訓練を受けた医師はまだほとんどいないし , よい 訓練法も考案されていない。 科学研究としては自然だが・ 理屈のうえでは , 個別化医療はネットフリックスやアマゾ ンのように機能するだろう。これらのネット企業は顧客がこ こ数年に購入した本と映画配信を知っており , その情報をも とに , 顧客が次に購入しそうなものを予測できる。もしあな たの主治医がこうした情報を利用できたなら ( 購入履歴では なく , あなたの生活と仕事 , 遺伝的傾向 , 皮膚と腸のマイク ロバイオームなどの情報を利用できたら ) , ネット企業がお 薦め映画のタイトルを表示するように , 簡単に、。お薦め治療 法 " を割り出せるかもしれない。 だが , 科学が個別化医療を大勢の人々に提供できる日がく るとしても , それはずっと先になるとみるべきだろう。問題 は「そもそもそれを目指すべきなのか」だ。自己免疫疾患な ど治療が困難で治療費もかさむ特定の病気については , 個別 化医療は意義があるかもしれないが , 総じていえば , もっと 単純な治療法のほうがよいと批判派は主張する。費用がかか らず , より多くの患者に益があるからだ。 「糖尿病のリスクを 2 / 3 に下げられる標的医薬が見つかっ たとしよう」とパネートはいう。「ただ , 薬代は患者 1 人で 年間 15 万ドルになるという。食事と運動に絞った単純な健 康プログラムで同じ効果が得られる。過去 50 年で平均寿命 は 10 年ほど延びた。 DNA 解析とは無関係だ。喫煙と食事 , 運動について人々が知ったことによる。ハイテクではない」。 つまるところ , 個別化医療という大事業は公衆衛生という よりは科学研究としての意味が大きいのだろう。相互作用を 通じて個人に病気を引き起こす個別要因について , 科学者は 毎日理解を深めている。その情報を体系的に組み合わせる試 みを始めるべきだというのは , 自然で適切な考え方だ。だが , そうした取り組みが早々に医療を変革すると期待すべきでは ないだろう。 著者 Jeneen lnterlandi ( 編集部訳 ) ニューヨークを拠点に活動するフリーランスのジャーナリスト。健康問題 と環境問題をカバーしている。 原題名 The Paradox of Precision Medicine (SCIENTIFIC AMERICAN April 2016 )