にロの端を片方だけ上げてしまうような彼する言語は断じて方言などではない。宮様ョンを興した吉田三兄弟 ( 十辻なおき ) と らだが、臆面もなく ( 褒めてます ) 京都人の言葉遣いが訛っているとでも ? か、青木雄一「などを足してみ 性を持ち上げられると思わず顔を手で覆っだが、京都の漫画といったとき人々が思てもカラフルな絵具を全色混ぜるとドプ色 て逃げ出したくなるのだ。 し浮かべるのは、むしろもう一方のペクトになるようなもので、エントロピーはいよ いわゆる京都人ーーというより京女 ルが指し示す作家たちの作品だろう。 いよ増大するばかり。京都という都市の正 キャラをリアルかっ魅力的に描いていると人口に比例しての多寡は知らねど、そこ体に迫れるものではない。 いう点では末次由紀『ちはやふる』 ( 講談そこの数のプロ漫画家が府下も含めてここ このばらばらさ加減というか得体の知れ 社 ) の若宮詩暢や、これはアニメだけれどを出身地としている。おそらく最もメジャなさこそが京都的なのだと言うこともでき 『舞・ H 一 ME 』の藤乃静留 ( 声を宛てた進藤ーなのは大島やすいちだろうかえびはらよう。たしかにここは、それこそ " 鵺 ~ の 尚美も素晴らしかった ) などがいる 武司や尾瀬あきらも実は京都人だし、あとごとき身体を有する都市である 京男では鳥飼茜『おはようおかえり』の富永一朗も鴨川で産湯を使っている しかし上記の作家たちを寄せ集めたとき 主人公、堂本一保が人気だったようだ。造それにしたって『パッ & テリー』と『まの正体不明さは継ぎ接ぎ妖怪のそれではな 形に破綻はなかったけれど、ただ、「方一言 もしかしたら、みんな自分の出身地に いっちんぐマチコ先生』と『夏子の酒』と 男子」というくくりは勘弁してほしかっ『チンコロ姐ちゃん』が同じ場所で育まれ対して憎しみがあるのではないかとすら穿 た。方一言というのは地方の訛であり、いちた感性から創造されたとは、お釈迦様でもってしまう。『ナニワ金融道』など、 どとして地方だったことのない京都で流通気がつくめえである。タッノコプロダクシに京都的な価値観を否定するかという精神 クソスマス でま キタンソ ま時 吾⑩ てとう と -0 ) く 4 十せルを、 加方 0 円 朝朝 ンヨクイエー ンよか 1 ョ時時 5 ン 区一ルハ方 宿引ビた芻タタ業 0 新一スフ間は営 都 3 サ井 0 時日も 京宿ガ業曜曜 東新ペ執旺営金日 0 0 0 ^ 60 0 0 0 0 準房
力や愉悦を伝えること白いこと考えはりまんなあ」と笑ってしま囲 京都は絵になる。 ができる ( できた ) ″絵〃う。描き手が意識しているかいないかはあ しかし京都を端的に は漫画ではないか。 まり関係ない。キャラクターに深く踏み込 表現し得たアート作 これには二つのペクんでさえいれば自ずと京都的なるものは香 品は古今東西を含め トルがある。ひとつはり起っ。清原なつのの『千利休』 ( 本の雑 大変に少ない。むし・ ( の 「京都を舞台にした作誌社 ) なんかがいい例だ ろ活字のほうが、こ ・吉 市ち ン平品」、もうひとつは「京利休は堺の産で京都人ではないけれど生 の複雑で重層的な都 イ多 画都た彦 ザ良都人的な視座に基づい涯を京都人足らんとして生きた人。彼から 市を描き出すのには デ羽 の家敦 て描かれた作品」。近京都人の性質を除去したら骨と皮しか残ら 向いているのかし 都 年は京都プームのおかない。清原は、そんな利休の精神に脈動す れないヴィジュア京 げか両者のハイプリッる京都人性をみごとに活写した。 ル・エクスプレッシ読 漫 = そういう意味では洛中に暮らす市井の ドも存在している ョンはどうしても京 前者を代表する作品は、どうしても歴史人々の物語を作品化するのは歴史上の人物 都の表面に囚われてしまう。表層の美の引 力に牽かれて斜交したり赤方偏移を起こしもの中心。なのだけれど平安期のお話だろを取り上げるより、もしかしたら困難なの まこかもしれない。実際、成功している漫画は ちゃうのだ。 うと新撰組が活躍しようと、たいがいー むろん森村泰昌の一連のセルフポートレれつぼっちもこの特殊なフィールドに頓着僅かだ。そんななかで感心させてもらった へつに日本のどこに場所を移のが麻生みことの『路地恋花』 ( 講談社 ) 。 ートのように、京都的なものを観る者の心していない。。 理に召喚してしまうような作品がなくはなしても成立しちゃうようなものばかり。登これには驚いた。京都人キャラクターたち の微妙な心の襞や、ならではの揺らぎを い。が、やはり例外的。また鑑賞する側も、場人物も同様。現代人的な思考法をしてい どうしても東山魁夷的なタブローを期待しても、そこは漫画なのだから構いはしな「美しいもの」として描き切っている い。が、京都人の性格をしていない京都人たぶんこれは作者がよそさんだからこそ てしまうので、いよいよ状況は難しい。ラ できる技で、はっきりいって京都人作家は ッセンやヒロ・ヤマガタを嗜好する価値観キャラには興醒めである つまりは京都を道具立てとして利用して気恥かしくてテレが人って筆が怯えてしま がこんどは反対に京という主題を歪める おそらく京都の深層に迫ってリアルな魅いるだけなのだ。京都人は「よそさんは面うだろう。間違った解釈をされると、すぐ 赤義、
すら感じる。が、もしかしたら京都人の奧いかとわたしには思えるのだ。かくのごとる。鋼鉄を絹で包んだようなーーーそもそも 底にある「金儲けへの嫌悪と羞恥」の顕現きインテイメイトな対象を主題としながら英国の名優ジョン・ギルガッドの声を指し 一定の距離感を保ち続ける絶妙な″間合た表現だがーー作風だとわたしは思ってい である可能性もある。興味深い作家だ。 し / は京男そのもの。 る。前回の帰国時にご本人とお会いする機 てなわけで、京都 ( 的なもの ) について スカトロジーを描いた『理髪店主のかな会があったのだけど、愛らしいご容姿と柔 の漫画を描こうが描くまいが隠しようもな く典型的な京都人漫画家を挙げるとすれしみ』 ( 双葉社 ) や『 100 万人のマスチらかな話し方で辛辣なことをビシバシおっ ば、まず筆頭がひさうちみちお。そしてゲン』 ( 青林堂 ) に満ちる韜晦とおかしみ。しやる、まさに作品通りの方であった。 手塚賞受賞作『逢沢りく』 ( 文藝春秋 ) 『きようの猫村さん』のトボけた味が爆発ジェンダーの問題をセクシャリティと切り 的な人気となった、ほしよりこだろう。 離すというアクロバットを成功させた性器はそんなほしの京都性が遺憾なく発揮され 世紀の名作『山本さん家の場合に於るた彼女のエボックとなるべき漫画。ここに 異論があるとすれば、みうらじゅんとグ レゴリ青山だけれど、わたしはこの二人にアソコの不幸に就て』 ( チャンネルゼロ ) 登場する″あたたかな。試練の数々が犇め さほど京都を感じない。そもそもご両人をなど、どれも紛々と京都人の体臭を放つ。く【関西】とはまさしく、これ以上ないく 漫画家というより絵付き随筆を描かれるエもっとも京都そのものが登場するのは歴らい京都なのだけれど、前述した美しいイ くメージの表層に読者が足を取られないよう ッセイストだと個人的には認識している。史ドラマ『義経の赤い春』 ( 角川書店 ) ↓びこ - っ 京都と京都人についての著作 ( それも出来らいで、あとは『向日町の午後の秘事』 ( 風言葉を置き換えたのであろう。 最後に、ストレートに京都を描く京都人 のよい本 ) を何冊も上梓されているグレゴ門社 ) や『人生の並木路』 ( 河出書房新社 ) いっかが作家、寺島令子について触れておかねばな リを京都つぼくないと評するのは無理があなどェッセイ風の読み物が多い るのは百も承知だが、彼女の視点には京都っふり碁盤の目の土俵の上で、京と四つにるまい。いまやすっかりネトゲの人だが、 デビュー作『チルドレンプレイ』初読時の 人である必然性を感じないとでも言えば解組んだ漫画を読んでみたいものである ってもらえるだろうか ? 先だって第十九回手塚治虫文化賞マンガ歓喜をわたしは一生忘れない。 じゃらけつおけつで / ちんぼむいて 逆を返せば、スケベやアソコについて描大賞を受賞したほしよりこ。彼女の出現 いていても、ひさうちのオリジナリティはは、高野文子が漫画界に登場したとき以来ほい ( 中略 ) ぼんさんがヘをこいた / におい 京都でなければ誕生しなかったし、彼が京の衝撃であった。とにかく他の追随を許さだらくさかった ( 講談社】百八十一一ページ ) 都人でなければ獲得できなかったのではなない独特のシニシズムをお持ちの作家であ諸君、これこそ京都の正体である。
わが、心の② , 奥こ し深の す 40 国 ぎては参 情愛と感動の浅田文学、最高到達点 ! ある理由から 日本にやってきた米国人青年。 東京、京都、大阪、九州、北海道 : ・ れが 神秘のニッポンを知る 旅を始めた彼を待ち受ける 驚きの出来事と、感涙の結末とは ! ' ニ彡ー 定価】太体 ( 300 円一十税 ◎四六判 / 三六八頁 一 SBN978 ー 4 ー 09 ー 386421 ー 3 次郎 小学館愛読者サービスセンター 03-5281-3555 http://www.shogakukan. CO. jp 小学館
この 読 ! 0 2015 年冬号 57 号 ※地域によって発売日が異なります 絵本から読みものヘ 橋渡しのために身近な大人ができること 角野栄子、斉藤洋、富安陽子ほか 『 100 万回生きたねこ』 をどう読むか 角田光代、土井章史ほか 作家インタビュー五味太郎 巻頭ェッセイ長谷川義史 描きおろし絵本ささめやゆき おはなし藤田浩子 絵本紹介新刊 100 冊 発達障害と絵本 中島京子 / 福本友美子 / 宮川健郎 絵本と読みき かせの情報誌 WEB で立ち読み できます ! 回・回 0 本の雑誌社 本の雑誌 12 月号 67 円十税 ) 平成 27 年 12 月 1 日発行第 3 種郵便物認可 京都千代田区神田神保町 1 ー 37 友田三和ビル 5F 電話 03 ー 3295-1071 株本の雑誌社 ケータイは こちらから→ 11 月 28 日発売予定 ・ま它を第きの報誌 この 読 = ! 絵本から 読みものヘ 100 万回生きたねこ をどう読むか こんにちは ! ・本物家さん 五味太郎 ご自宅配送の定期購読 ( 4 , 320 円 / 4 / 込 / 送料無料 ) のお申込みは、 J 17 時 / 下記 (P) まで 連載 連載 宿きおろし本 功工ルびよんささめやゆき せーんふプレセント新刊 100 ! ! 全国の書店でご注文ください STORE 表紙イラスト / ささめやゆき 圄 1 , 000 円十税 A4 変型 88 ページ 57 号 : 雑誌コード 60045-26 ( メディアバルムック ) 年 4 回刊 ( 2 ・ 5 ・ 8 ・ 1 1 月 28 日発売 ) ・ /www.jpic. 0朝P 発売 / 株式会社メディアバル TEL 03-5261-1171 発行所 / 一般財団法人 978486011 1920 ろ 9500 lSBN978-4-86011- C0395 \ 667E 面白 3
様。前述の通り、戦後しばらくのは京都だったということ。河最後に、 8 月刊行のタイトルを膨大な資料と共にひもとき、 一枚の値段は現在の音楽ダ原町通りを路地に人った『プルだが、『タモリと戦後ニッポン』時代背景と共に辿ったカ作が本 ウンロードやの値段に比べ ーノート』や出町柳駅前の『ラ ( 近藤正高 / 講談社現代新書九書である。その歩みのスタート ると格段に高かった。故に、ッシュライフ』など現存し、知一一〇円 ) も異色の戦後史としては満州にまでさかのぼる。満州 を購人できない学生や若者たった名前も登場するも、そのほ外せない。今年の正月に鉄道の駅長を務め、悠々自適の ちはジャズ喫茶に通い詰め、長とんどは失われてしまった。つで戦後間年を振り返る特番が放暮らしぶりだった祖父から、戦 時間録音された演奏に耳を傾けまり京都は最もジャズ喫茶から送されたが、そのメインパーソ中の記憶を幼少期に聞かされた たのである。録画視聴がカウン離れてしまった街でもある。しナリティーをタモリがっとめたことで、どこか俯瞰的に日本の トされないテレビの視聴率同かし、著者 3 冊目のジャズ喫茶ことは記憶に新しい。 1945 国民性を捉える視点が身につい 様、ジャズ喫茶で繰り返し流さ本である本書には、そんなノス年 8 月に生まれたタモリは、あたと著者は推測する。 1965 れたレコードは売り上げのようタルジーの気配はほとんどなる意味戦後の象徴的な芸能人で年に早稲田大学文学部に人学し な数字に換算できないため、日 い。いまなお続くその水脈を語もある。そのことは当人も自覚全共闘世代と呼ばれながらも、 本においていかにジャズが受容ることで、現在が昭和の延長線しているようで、 1981 年に運動への無関心を公言し、当時 されたかという記録としても残上にあることを改めて思い知らは『タモリ 3 』というレコードの大学生は世代全体の燔。、 りにくい。ましてやその場そのされるだろう。各店のマッチ箱をリリースしている。「戦後日ント足らずであったことを引き ものであるジャズ喫茶を知る人の写真など、トリヴィアルな資本歌謡史」というサプタイトル合いに「そのなかの微々たるも も少なくなっている。『ジャズ料図版が多数掲載されているのがつけられたその内容は、終戦の」と斬って捨てるあたり、教 も嬉しい の詔からマッカーサー来日、当科書通りの現代史とは違った当 喫茶が僕を歩かせる』 ( シュー ト・アロー / Q O O 時の最新ヒット曲までをパロデ時の大学がみえてくる。タモリ イでたどるという作品で、権利の視点から見れば戦後史の捉え 一一〇〇〇円 ) は、現存するジャ ズ喫茶を歩き、当時の面影を知 気第関係からレコード会社とトラブ方もすこし変わるかもしれない ヒットチャートの背景に、匿 ルが生じ、新星堂チェーンでの るエッセイ風ガイドブック。驚、 いたのは人口あたりのジャズ喫 予約販売のみとなった日くつき名的で穏やかな、大多数の昭和 茶軒数の割合が全国で最も高い の一枚だ。そんなタモリの歩みが埋もれているのである。 ジ 新刊めったくたガイド 装丁・井上浩隆
職となります。それに合わせて、出版字典』の項目を一つ。「えいごきよう大河原健太」は大好評。次はⅡ月日 業界生活芻年半の回想録を、本の雑誌し〔英語教師〕それは、一人の、英から・その 4 「名古屋と光が丘 / 丹下 社から刊行することになりました。詳語を、教えるところの人である。アン京子十小田佑二」です。 細は今号の自社広告を参照して下さダスタン ? 」 ・入江敦彦 ( 囲 ) よろしくお願いします ・校條剛 ( 幻 ) リハビリと運動不足解消を兼ねて区 ・円城塔 ( ) 現在私は、京都造形芸術大学・文芸民プールで水泳を始め四ヶ月。ようや 『シャッフル航法』『エピローグ』「雨表現学科の学科長を務めています。全く泳距離が一キロに到達。百五十メー 月物語』『プロローグ』と立て続けに国の文学部・文芸学科のなかでエンタトルで息が上がっていた初回から見る 出ます。 ・北村薫 ( ) メ出身の編集者が学科の長を務めてい と、ずいぶん遠くまで泳いできた気が 先日、ハセペ・ハクシンオーさんにお・徳永圭子 ( 硯 ) るのは本学科だけです。エンタメ志向します。一番難しいのは社交ダンスに 会いした。相棒の「越境捜査」がなぜ積年の思い、今の気持ちをばつばつの高校生の皆さん、本学科へ来たれ ! おけるフロアクラフトレーンを複数 傑作なのか。ずっと思っていたことを拾って書きました。レジカウンターで・久田かおり ( 聖 ) 人で共有するとき様々に異なる他のス えてうれしかった お待ちしています。 「本の森で迷子になって」今回でラスイマーとの正しい距離感こそが心地よ ・小谷野敦 ( ・宮田珠己 ( ) ト。毎回何を取り上げようかとあれこく水の中で過ごす最大のコツです。 調べものに池上本門寺へ行ってきまひるね優先読書録、長い間お読みいれ悩むのが楽しかったです。一年間お・穂村弘 ( ) した。本門寺商店街はやたらとスタンただきありがとうございました。旅に世話になりました。ごきげんようー 久しぶりに江戸川乱歩を読んでいま 出ます。っていつも出てるけど。 ト灰皿が置いてありました。 ・今尾恵介 ( 間 ) す。失敗作でも面白い。書き手が本当 ・坪内祐三 ( ) ・青木正美 ( % ) 「本の雑誌社」がある神田神保町の番に好きなことを書いているからかなあ 変化してでも優勝したい横綱と絶対八十二歳になると、指標とする人が地の並び方は奇妙で、靖国通りの北側・荻原魚雷 ( に変化しない大関とでは大関の方が好いなくなる。物書く古本屋としては反が偶数、南側が奇数です。だから番今月号で「活字に溺れる者」は終了 きな私はやつばり日本人です。 町茂雄氏、文学老年としては同人雑誌地を探す時に託番地と番地の間をウしますが、本の雑誌の「日常学 の師・九鬼高治氏の生涯から学びたい ・青木大輔 ( ) ロウロしても永久に見つかりません。事始」は続きます。それから今月『閑 遅ればせながら、リアンヌ・ラ・ と思う。共に、九十歳、九十三歳までこれは昭和初期の町名地番整理の名残。な読書人』 ( 晶文社 ) という本が出る ヴァスの良さに気づきました。プリンの人生を全うされた人たちである ・風野春樹 ( ) 予定です。 スが認めただけありますな。 ( これも ・小野一光 ( 硎 ) 最近は池袋の火星カレーがお気に人・中場利一 ( Ⅷ ) 最近知った。 ) よくある話ですが、向かいのマンシりです。 奥歯が一本グラグラしています。指 ・秋葉直哉 ( ) ョンが外壁工事中。朝方に寝ても朝の ・日下潤一 ( でさわっても舌でさわってもグラグ あっという間の一年でした。 うちに騒音で目覚める日々が続いてい 去年から企画している、 9 月日かラ、いっ抜けてもいいグラグラ加減で ます。 ・藤脇邦夫 ( ) らの人形町ヴィジョンズ・ギャラリーす。ちゃぶ台の前に座らせて「奥歯、 9 月末で歳になり、還暦と共に、 ・若島正 ( 当 でのイラストレーターのシリーズ・そオマエもな、いつまでもグラグラして 今号が発売されるⅡ月上旬頃に定年退本文には引用できなかった『国語笑の 3 「神保町とロンドン / 伊野孝行 + ないで : : : 」と言いたいくらいグラグ 今月書いた人 数字は登場ページ ) ( 原稿到着順・括弧内の 0 00 0
続・棒バン日常・トーク △△三角窓口△△磯野カツオの超絶四コマエヒソードに仰天 ! 他 本の森で迷子になって ミステリー春夏冬中◎宇田川拓也 / 事件記者日記◎小野一光 博多の本屋さん◎徳永圭子 / 新世紀◎山岸真 / ロング・リリイフ◎秋葉直哉 猫ときどき古本◎浅生ハルミン / 地図の秘密◎今尾恵介 R / 装丁がんこ堂◎日下潤一 藤脇邦夫 出版業界小説としての「マイストーリー私の物語」の読み方 入江敦彦 読む京都・ " 鵺 ~ の都市の漫画家たち おじさん二人組、本の学校に行くー 椎名誠 新旧いろいろ面白本・しみじみうまい『被差別のグルメ』 坪内祐三 『相撲』編集部の「検証とお詫び」は朝日新聞より偉いね 鏡明 連続的話・相倉久人さんの死 青山南 南の話・いっかどこかで 平松洋子 そばですよ・ゃんちゃ坊主、「よもだ」ってなんだ 中場利一 鬼花ー鬼刑事・花篤好美・祝儀は半分返してね 円城塔 クマにあったら 風野春樹 西丸四方先生のぶっちやけすぎ自伝 若島正 『国語笑字典』の裏表紙に学んだこと 青木大輔 薬と医療を考えるための二冊 堀井憲一郎 ホリイのゆるーく調査・新潮文庫年の作家の違いを眺める 沢野ひとし 歩く旅廈門の花 掲載図書索引 表紙デザイン / 和田誠 今月書いた人 表紙イラスト・本文カット / 沢野ひとし 今月本の雑誌に遊びに来た人 後記 135 0 穂村弘 久田かおり 119 114 56 125 124 123 122 110 106 102 100 98 97 93 90 88 128 126 更田囘 双子はいまだに私のこ とを警戒しているところ がある。こちらは二人を ぎゅっと抱きしめたいの いつも微妙な距離を おいている。ただし「買 い物に行くぞ」と声をか けると「ハーイ」と明る く元気だ。団地のマーケ ットまで両方の手をつな いで行く。そんな時の双 子の姿は愛しい。おもち やの店の前であれこれ迷 いながら選んでいる。 つものように「一つだけ だ」と言うと、「わかっ た」と頷きつつ、すでに 二人は二個を手にし、さ らに物色している。 ( 沢 )
ン義 イ信と私は思っている。私は秋江の伝記を書こ 私小説作家は、書くネタが尽 ザ地 デ菊うかと思ったのだが、何しろ後半生が面白 きると、ネタのために事件を起 くないので躊躇している。 こすなどと言われるが、一般的 しかし秋江の『黒髪』と『別れたる妻に にはこれは冗談であって、歴史ワ・ 小説を書いたり、通俗小説を書 , ・ ( ) 羅ン。送る手紙』連作は、「蒲団」に次いで読む 、しイ いたり、日常茶飯事を書いて通 を一べき私小説である。前者は京都の花魁に惚 白十 れるが振られてしまう話で、後者は学生と 用させたり、小説を書くのをや 3 、目梓 ) 駆け落ちした妻に宛てた手紙の形をとりつ めてしまったりするものだ。も 面敦 ・阿部克昭 り一 つ、いま自分が惚れている藝者を友達にと っとも中には榛葉英治のよう ( ワイ・ディー ) られた話を書き送るという破天荒ぶりで、 にいい私小説を書くためには よ私谺 さらに妻の足跡を追って旅館へ行き、妻と 浮気をしなければいけないと思 宰絶 学生が一緒に泊まったことを発見し、表へ 0 て、妻に浮気の許可を求める〔 ) 太壮 = 出てだらだら涙を流すというだらしのな ような作家もいる さ、しかも藝者をとったのは正宗白鳥で、そんなに執着する だがそれは例外で、だから私小説作家には、代表作のほか ほどのいい女でもなかったと言っている に大した作がなかったりする。檀一雄のように『リッ子そ こういう現実と小説のギャップなどを探っていくのは楽し の愛・その死』と『火宅の人』と、二つも私小説の大作を遺 テクスト論というのは、その楽しみを自ら抛棄したもの した人は希である。平野謙は、私小説の始まりを、通説で言 ではないのか木村荘太の「牽引」は、雑誌初出のままどの われる田山花袋の「蒲団」ではなく、大正一一年の、近松秋江 書籍にも収録されていないので、私が探してきてウエプサイ 「疑惑」と、木村荘太「牽引」の二作とした。 トに載せているが、これは『青鞜』の編集をしていた伊藤野 近松秋江はもとより私小説の大家だが、女に耽溺する生活 を反省し、結婚して娘ができると、そういう私小説は書かな枝の文章を読んで「惚れて」しまい、実際に会いに行ったら くなり、歴史小説などを書いていた。西村賢太の同棲相手が結構美人だったので浮かれて、野枝が辻潤と同棲しているの を知らずに、野枝のほうも少し気持ちがぐらついて、その後 「秋恵」となっているのは、近松秋江からとったに違いない
いまから太宰につい 苦痛。 これを書いている、いま、家賃滞 て、締め切りがとっくに - 、一納で借りていた部屋を追い出され、 過ぎたので、急いで書か ねばならない : ・だが以 ( 、本などすべて強制的に不動産屋の用 意した遠くのコンテナにプチ込ま 前からまるで太宰には興 味が持てなかった。 れ、取り出すには手間と費用がかか る・ : もっとも太宰の本など、断捨離 寧ろ、嫌いいや「嫌 で真っ先に捨てたような覚え ( 酔っ い」みたいな積極的に感 じるものすらないたた て「もう一一度と読んでやらないぜ、 ただ無関心。興味ない。というか、おは関心がないので当然スルー。「偶然だクソ野郎 ! 」と怒鳴ってゴミ箱の底に叩 けど、いやな場所に来ちゃったな。不愉き付けた記憶すら ) もあるので、そんな 勉強や仕事で読まざるを得なかった、 ムダな経験に使った時間を返して欲し快」と捨て台詞を吐いて帰った ( 余談だ苦労してまで参照するもんか いとすら思う が、京都の適当な寺の近くをあるいてい だが「太宰について書きたくない : ・興 味ない : 荷とか理由つけて原稿落とした 『人間失格』『ヴィョンの妻』『斜陽』たら、そこに谷崎の墓があるのを知り、 くらいは読んだのかな・ : でもまったくついでに寄って手を合わせた。するとそい」と呟きながら、街を彷徨っていたら、 殆ど記憶がない。あるのは読んでいるの瞬間、細雪が降り始めた : ・自分が生涯目の前に BOOK OFF が仕方なく、棚 とき、正直退屈過ぎて「オレはなんで、たった一度、文学に愛されていると思えにあるだけの太宰の文庫本を購人。マン こんな究極興味ないものに時間割いてた瞬間・ : もう一一度とないだろうし、今後キツかサウナで泊まる費用から、千数百 円の出費。イタすぎる いるのだろうか・ : 」という独白が、ひもなくて結構 ) 。 何故、ここまでして太宰が全然好きに真っ先にファミレスに行き、のんびり たすら反復された記憶のみ。 以前たまたま用事があって玉川上水なれないのか、真剣に考えるべきなのだとコーヒー飲んで十分にリラックスして の、太宰が情死した場所の近くを通っが、とにかく身体も拒否反応。ケガラわから、仕事に向かう。心から嫌だけれど、 たことがあったが、やはり基本太宰にしいものに触れてしまったかのように、太宰の本を一冊、手に取る。 ファミレスと 放屁と 『人間失格』 Ⅱ中原昌也