最後 - みる会図書館


検索対象: 本の雑誌 2015年12月号
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1. 本の雑誌 2015年12月号

様。前述の通り、戦後しばらくのは京都だったということ。河最後に、 8 月刊行のタイトルを膨大な資料と共にひもとき、 一枚の値段は現在の音楽ダ原町通りを路地に人った『プルだが、『タモリと戦後ニッポン』時代背景と共に辿ったカ作が本 ウンロードやの値段に比べ ーノート』や出町柳駅前の『ラ ( 近藤正高 / 講談社現代新書九書である。その歩みのスタート ると格段に高かった。故に、ッシュライフ』など現存し、知一一〇円 ) も異色の戦後史としては満州にまでさかのぼる。満州 を購人できない学生や若者たった名前も登場するも、そのほ外せない。今年の正月に鉄道の駅長を務め、悠々自適の ちはジャズ喫茶に通い詰め、長とんどは失われてしまった。つで戦後間年を振り返る特番が放暮らしぶりだった祖父から、戦 時間録音された演奏に耳を傾けまり京都は最もジャズ喫茶から送されたが、そのメインパーソ中の記憶を幼少期に聞かされた たのである。録画視聴がカウン離れてしまった街でもある。しナリティーをタモリがっとめたことで、どこか俯瞰的に日本の トされないテレビの視聴率同かし、著者 3 冊目のジャズ喫茶ことは記憶に新しい。 1945 国民性を捉える視点が身につい 様、ジャズ喫茶で繰り返し流さ本である本書には、そんなノス年 8 月に生まれたタモリは、あたと著者は推測する。 1965 れたレコードは売り上げのようタルジーの気配はほとんどなる意味戦後の象徴的な芸能人で年に早稲田大学文学部に人学し な数字に換算できないため、日 い。いまなお続くその水脈を語もある。そのことは当人も自覚全共闘世代と呼ばれながらも、 本においていかにジャズが受容ることで、現在が昭和の延長線しているようで、 1981 年に運動への無関心を公言し、当時 されたかという記録としても残上にあることを改めて思い知らは『タモリ 3 』というレコードの大学生は世代全体の燔。、 りにくい。ましてやその場そのされるだろう。各店のマッチ箱をリリースしている。「戦後日ント足らずであったことを引き ものであるジャズ喫茶を知る人の写真など、トリヴィアルな資本歌謡史」というサプタイトル合いに「そのなかの微々たるも も少なくなっている。『ジャズ料図版が多数掲載されているのがつけられたその内容は、終戦の」と斬って捨てるあたり、教 も嬉しい の詔からマッカーサー来日、当科書通りの現代史とは違った当 喫茶が僕を歩かせる』 ( シュー ト・アロー / Q O O 時の最新ヒット曲までをパロデ時の大学がみえてくる。タモリ イでたどるという作品で、権利の視点から見れば戦後史の捉え 一一〇〇〇円 ) は、現存するジャ ズ喫茶を歩き、当時の面影を知 気第関係からレコード会社とトラブ方もすこし変わるかもしれない ヒットチャートの背景に、匿 ルが生じ、新星堂チェーンでの るエッセイ風ガイドブック。驚、 いたのは人口あたりのジャズ喫 予約販売のみとなった日くつき名的で穏やかな、大多数の昭和 茶軒数の割合が全国で最も高い の一枚だ。そんなタモリの歩みが埋もれているのである。 ジ 新刊めったくたガイド 装丁・井上浩隆

2. 本の雑誌 2015年12月号

はどのようなものだったかなんと、つつ目を覚ましてから夜眠るまでに思ったことれようが金や名誉や名声を得たいという気 立っている彼女に「おい、お慶、日は短いや起きたこと、普段通りのごく平凡な一日持ちは捨てきれない。妻はあの頃とかけ離 のだぞ」というくらいなのだ。少し年上のも彼を通すと特別な一日のように感じられれて変わってゆく夫をどうにも許せなかっ る。自分が嫌いだったり、ちょっとしたこた。いわば男のエゴと女のエゴとの戦いを お慶にとってそれは親一兀離れた奉公先にい るかわいい弟がスネた程度に映っただろとに思い悩んだり、幸福は一生来ないのだ描いた作品だ。 う。彼を待つあいだ、海に向かって石を投と思ってしまったり。このあと彼女は誰よ⑤「待っ」。昭和十七年一月ごろ執筆。 りも優しい女性になれただろうか。またふ「京都帝国大学新聞」の依頼に応じ三月五 げながら彼女が夫にいう言葉。それを聴い て彼はどれだけ救われただろう。明るい未たたびお目にかかれる日は来るのだろうか。日発行号に掲載予定のはずが、内容が時局 来しか感じさせない最後の場面に初めて読④「きりぎりす」は昭和十五年十一月のにふさわしくないという理由で掲載取りや 「新潮」に発表された。親や親戚のすすめめとなり、六月に博文館の雑誌「女性」に る縁談を断り周囲の反対を押し切ってま掲載された。内容は一一一 = ロ、謎。一一十歳の娘 小さな駅へ毎日誰かを迎えに行 で、貧乏だがどこか他人とは違って見えるの私は、 彼女が誰を待っているのかは最後まで 画家の「あなた」のもとに嫁いだ「私」のく。 これまでとこれからを独白で綴る傑作。貧わからない。それは人間ですらないのかも 乏でも工夫一つで幸せを得られた生活が個しれないもしかすると希望 ? 救い ? それ 展の成功によりにわかに裕福になった途とも死 ? んだ私ももらい泣きした。 「短篇小説コンクール」の結果も見事当端、夫は金に執着し、恩人の悪口すら平気最後の一文で彼女の見ている世界が、お 選。同点で一位を分け合ったのは上林暁でで言い、人の意見をさも自分の考えのようもむろに読み手側の視点に変わる。ぼつん と座って何かを待ち続ける彼女を見掛ける あった。 に話す薄っぺらな男になってしまった。 ③「女生徒」は「黄金風景」のひと月後「私」はそんな夫を軽蔑し別れを決意する。日は来るのだろうか。 に発表された作品。昭和十四年一月から八ある夜、自分の背骨の真下で鳴くきりぎり⑥「花火」も昭和十七年。「文藝」十月 月まで、甲府で新婚生活を送ったこの時期すの声を一生忘れず、背骨にしまって生き号に掲載された。昭和のはじめ東京の四谷 に住む、やや高名な洋画家の鶴見仙之助に が彼の一生で最も安定していたのではないてゆく決心をしながらそんなことを思う。 いつでも男は見栄っ張りだ。俗物と言わは勝治と節子という子供がいた。今で言う芻 か。「女生徒」は父を亡くした少女の独白。 女生徒 ) んア

3. 本の雑誌 2015年12月号

「ちがうねん、それが ! その人の足を見たらな、ツマ先で う職業柄か、文字や数字はすぐに暗記出来る。ひとつひとっ リズム切っててん。それがワタシのノリと一緒やってん。同 の文字、数字を覚えるのではなく、景色として目に焼きつけ、 じ曲を聴いててん ! 」 頭にインブットするのだ。警察手帳のメモなら一字一句では 「ホンマ ? 今日帰隊したら言うとくわオレ なく一ページ分を景色として見るし、指名手配犯の人相もホ クロが左目の横にふたっ : : : ではなく顔全体や体全体を捉「ててん、ててんてうるさいわい ! 電車の継ぎ目かオマエ ん、。、ーツのひとっとして覚えていく。さっきチラリと見た 待たされつばなしの鬼花の怒鳴り声に男女は一瞬ビクンー だけの受付も、男一名、女一名、男は体格がよく天然。ハーマ と驚き、面倒くさそうに手と口を止めた。男はすぐそこの大 の一重まぶた、女は二十代後半、腕時計の文字盤を内側にし 。と、全体の風景として阪府警第三機動隊の隊員だろう、聞こえた話の端々と体つき、 ていたので古風な性格かもしれない 目つきでわかった。女も近くの警察署の地域課の警察官か 覚えている 髪型と雰囲気でわかる。 「ほな、そろそろかな」 「貫戸の披露宴の受付はここか」 タバコをもみ消し、鬼花は受付へと向かう。すでに誰も並 招待状を出し、一応聞いてみた。男も女も ( ギリギリに来 んではいない。思ったとおり自分が最後の来賓客であった。 んなよなアー、オッサン ) といった表情で鬼花の顔を見た。 受付の男女各一名は、もう全員が中に人ったと思ったのだ男のほうの顔色が急に変わり、背筋がピン ! と伸びる ( お、お、鬼花さんや : ・・ : ) ろう、片づけを始めながら雑談をしていた。 腹話術師のように男はロを開かず、小声で言った。 「うん、機動隊、機動隊オレ。すぐそこやん。このホテルの この方がー ( えー 足一兀にあったやろ ? 女も口を開けず、ノドだけを動かした 「あったあった。なんか棒を持って仁王立ちしてて、睨まれ ! 普通で喋べれイ ! 見てるこっちが疲れるわい ! 」 たもん」 「ハイ ! 失礼しましたあ ! 「睨まれた ? なんでやろ」 一一人とも気をつけである。鬼花の名は、良くも悪くも鳴り 「ワタシな、イヤホンで聴きながら歩いててん。その機 響いている。特に機動隊では今も伝説の人物だ。ガス銃の水 動隊の人もな、イヤホンしててん」 平撃ちは鬼花が最初にして最後でもある。へタをしたら相手 「警察無線とか聞いてるからなア」 111

4. 本の雑誌 2015年12月号

その頃は秋声も死んでいて、順子も生活保まった。あまりにもすごいから、「 en ・ ( 一」なくて、キッチンのガスコンロでティッシ 護かなんか受けてたと思いますけど にも二本くらい書いてもらって ュなんかを燃やして。 坪やつばり長生きしたほうが勝ちなんで この本も帯がすごいですね。「妻に逃西室内焚き火してたんだ ( 笑 ) 。 すよ。貧乏系だと「オキナワの少年」で芥げられ、生活保護を受けながらも、自分勝坪それで火事になったの ( 笑 ) 。火事を 川賞を取った東峰夫。『貧の達人』という手なダンディズムを貫いて生きる」 起こしたせいで、結局養老施設に人った。 書き下ろしのエッセイ集が二〇〇四年に出 それが『明日なき身』に書いてある最後の てるんだけど、貧乏が半端じゃない。 事情なんだけど。このあとに「群像」に発 ときはガードマンなのかな 表した「灯」っていう短編があって、それ 帯の文言もすごい 。「日雇い労働者や によると、そこも追い出されて、静岡の奥 浮浪者の日々を淡々と語り、黙示録の預一言 地にあるほとんど収容所みたいな養老施設 や精神世界について真摯に切り込む」 に送られてる。それからもう十年くらい経 西開くのが怖いくらいの感じがします つんだけど、その後どうなってるんだろう 室 ン ね。ちょっとロ幅ったいですけど、僕が小 と思って ザ 説書いて少し出始めた頃、たまに「群像」第当第 西全然消息聞かないですよ。誰に聞いて で書いてましたよね。「ガードマン哀歌」 も知らないって言われます。 ・成 は素晴らしかった。 坪あと、長野祐二つて知ってる ? すご ~ ( 物第 ~ ~ 装鈴 坪群像の編集部に一人、東峰夫のことを くいいよ。十冊くらい持ってるんだけど、 好きだったやつがいたんだよね。貧乏ネタ坪岡田睦さんはね、この段階で三回くら『デヴィ夫人に似た女』とか『日本娼婦同 だと、もう一人、岡田睦という作家がいて、い結婚していて、最後の奥さんに逃げられ伴旅行』も素晴らしい。ちょっと読んでみ これはちょっと自慢になっちゃうかもしれた。家の権利は、その最後の奥さんが持って、収録短編のタイトルを。 ないけど、「新潮」に載った短編がかなりていたの。だから立ち退かざるを得なかっ西「ポルノ雑誌一覧」「団鬼六氏の世界」 やばいことになってて、「岡田さん、すごたんだよね。立ち退いて、生活保護を受け「女相撲番付」・ いよ今」って群像の編集者に言ったんだよるしかなくて、それで六畳一間みたいなと坪この「女相撲番付」が名作なんです ね。それが『明日なき身』という本にまところに引っ越すわけ。だけどそこは暖房がよ。自分の関わった女性を番付してるんだ ー第まを

5. 本の雑誌 2015年12月号

今月は装丁雑談。『印刷という革命ルにアキがあるのは何 ? タイトルは〈子〉 ネサンスの本と日常生活』。原題は『 THE と〈さ〉の一部がステンシルのように切ら BOOK IN THE RENAISSANCE ( ルネれている。気分でデザインしているの ? あれこれ サンスの本 ) 』。元のシンプルなタイトルで『写真幻想』。敬愛するデザイナー、間村 装丁雑談 はダメ ? 帯にも説明があるのに。この本俊一の装丁。太い帯でジャケットの写真が のタイトルとサプタイトルの字間は詰めすかなり隠れている。こんな帯は読まないか 週に一回、専門学校でタイボグラフィをぎ。それに複雑な書体選択。ジャケットのらいらない。写真だけのほうがイン。ハクト 教えている。先日、話題が版下になったが、絵は原書と同じロレンツオ・ロット。人物がある。先生、書体は相変わらず写植。 コンピュータを使う学生には通じない。台の頭をこんなに切ってまでして、上下に細単行本を待っていたミランダ・ジュライ 紙に写植を貼って、版下をつくる。タイト い白のスペースを作る理由がわからん。 の『あなたを選んでくれるもの』。原書の ル文字の写植を切り貼りして詰める。手動『子さんの恋人』。『孤独のグルメ』担当デザインを踏襲。欧文はもとの形。字間を 写植機の最後は詰め組みが自由に出来るよのさんの推薦。これぐらいのデザインがあけた日本語タイトルが、欧文タイトルよ うになったが、最初は手で糊とカッターナ普通にできるのはマンガは水準が高いなー り長い。雑な感じで落ち着かない。順番を イフで一字ずつ詰めた。 と思いつつ細部を見る。なんで著者名だけ変えて長さを揃えてみる ? 帯はタイトル 字間があけてあるの ? 表のに合わせて黒にすればカッコよくなる。っ いでに、本文の精興社明朝は、ミランダさ 三俊タイトルは字間を詰めている が、背のタイトルはアケ気味。んのこの文章にあわないな。 丁〈子さんの〉と〈恋人〉の間 『によによによっ記』。タイトルが読めな かった。若い人に見せたらすぐにわかる 遊びでこんなのがはやったらしい数字と < 子さんリ アルファベットを使っている。タイトル部 の恋人 ( 分が絵に近い。タイトルと著者名の間を少 し広げてあるから。こうしてどんな効果が あるのだろうか。 0 刷、」。革命「 装丁◎ がんこ堂 日下潤一 装丁・芦田慎太郎装丁・柳川貴代 写真幻想 、“三、′等 2- こをよ ! 読まいー ー”ル・マッ号ン 灯 CHOOSES YOU あなたをんてくれるもの MIRANDAJULY 第みをい第物第二、 デザイン・ 新潮社装幀室 2 装丁・名久井直子

6. 本の雑誌 2015年12月号

するのは、かなりクレバーじゃないと無理コチンの先に刺青を人れていたくらいの性坪文学者が出版社に前借りするのは当然 なんだよ。クレバーな人が書くから、ディ格破綻者で、どこで死んだのかも、未だもみたいなね。おれは気が弱いからできない テールもすごく豊かになる。 ってわからない。天才的に小器用である反んだけど。「 en ・ t 之」で俺をのぞく最初の 西あと、倉田啓明なんかはどうですか面、これが一番クズだなと思ってもらえる同人はみんな平気だったもん ( 笑 ) 。出版 谷崎の贋作をして捕まった人。明治から昭と思うんですけど ( 笑 ) 。 社への借金なんて当然っていう感じ。返せ 和十五年くらいまで書いていたんですけ坪そういうのだと、文学史的には原抱一るっていう自信があったんだろうね。 ど、僕が知っている限りでは、一番。ただ、庵だろうね。この人も大ぼら吹きで、海外 いまは前借りってあんまり聞かないで 笑えないダメ人間なんですよ の作品を自分の本みたいにしていって、しすもんね。 坪本物ってことだね かも百人ぐらいの人の推薦文が載ってるん坪聞かないでしよ。だから「 en ・ ( 之」に 西完全に本物。もともとは慶応を出て、だよね。本よりも推薦文のほうが有名かも いると、いつの時代に俺はいるんだろうつ しれない。 明治四十五年くらいに中央公論にデビュー て ( 笑 ) 。今度、西村さんも新潮社あたり 作が載ったんですよ。これでちょっと認め西笑えるダメ人間ならいいんですけどに前借りさせろって言ってみたら られたんですけど、性格的におかしい人で、ね、笑えない奴が多すぎる ( 笑 ) 。たとえ西いやいや。僕はわりとそういうところ そのあと芥川や谷崎潤一郎の偽原稿を書いば盜作する作家なんてのはダメ人間だけはちゃんとしてるんですよ。普段のやりと て出版社に売りつけたんです。それが発覚ど、笑ってやれないですね、やつばり。 りで暴言とか吐いて人間関係が築けないん して新聞沙汰にもなって、文書偽造行使詐 お金まわりでひどい人っていうのは、で、お金のことだけはちゃんとしておかな 欺で豊多摩監獄に十ヶ月放り込まれた。出誰かいますか いと完全に終わるなと ( 笑 ) 。 てきてから名前を変えて、さらに書いてい坪それはたくさんいるでしよ。たとえば坪新潮社にさんっていう、平野謙の全 たんですけど、それからも盜作を繰り返し川端康成は絵とか骨董とか、代金を払わな集を作った文芸編集者がいたんですよ。そ て。 いんだよ のさんの最後の仕事が新潮新書の俺の新 坪単行本はあるの ? 西持ってきたものを手元に置いて、その書で、打ち合わせをしたときに、この店の 西童話集を含めて三冊くらいと、。ハンフままにしておくらしいですね ( 笑 ) 。業者勘定は僕に出させてくださいって言った レット形式の冊子、あとは獄中記が出ていも川端たからなにも言えなくて、そのままら、そういう人を私は久しぶりに見た、吉 ます。『地獄へ堕ちし人々』っていう。ポあげちゃうケースもままあると 田健一以来だって言われた ( 笑 ) 。

7. 本の雑誌 2015年12月号

あまり深く考えずに日にちを設づけたのだと理解しておくほうがいいのか 映画『パック・トウ・ザ・フューチ こもしれない。 ~ ー』で描かれた未来の日 0 一〇一五て ` 定して」るのかもしれな」。 のあたりでいいかといったふでは、未来ではなく、過去の場合はどう 年十月二十一日 ) がとうとうやってきカ うに。それにつけても、『一九かそれも、歴史小説といったものではな たというので、テレビや新聞では先日こ南 けっこうネタになっていたけれど、未 AJ 八四年〔新訳版〕』の刊行はあくて、近過去の、ほとんど同時代の場合、日 山 りがたかった。初めて最後までにちはどのようにして作者は設定するのか 来のことを書く小説で舞台となる時期カ いま頭にあるのは、ジャック・フィニー 読めたし。訳者の高橋和久さん をいつに設定するかは、書き手の楽し話っ一月 みでもあれば悩みでもあるにちがいな南 によれば、イギリスでも「読んの『ザ・ボディ・スナッチャーズ』 ( 邦訳『盗 いその未来がユートピアだろうがデ だふりをする本」のほとんどオまれた街』 ) だが、これが刊行されたのは イストピアだろうが無人世界だろうが無生ールタイム・ベストワンの小説らしいが、一九五五年である。そして、この作品は、 物世界だろうが、時期を日にちという数字『冖新訳版〕』はピンチョンの解説もついて「一九五三年八月十三日木曜日の、夕方、 で固定するのは、じっさいにその時期がい いるから、ぜったいお買い得だ 六時前後」から始まる設定になっている。 ずれ遠からずやってくることは明瞭なのだレイ・プラッドベリの『火星年代記』は、つまり、わずか二年前だ から、作品が長く読まれることを書き手が一九五〇年に刊行されたときは、「一九九この作品は、翌年には映画化された。そ 願っているとしたら、けっこう頭をひねっ九年一月」からはじまる話に設定されていして、ひとりの人間が姿形はそのままにま ているのではないか。 たが、一九九七年にアメリカで復刊版が出ったくべつな人間に変わってしまうという もっとも、オーウエルの『一九八四年』たときには、「二〇三〇年一月」に変えらことの恐怖を描いていたことから、その時 は、オーウエルがそれを書いていたのが一れた。このあたりの出版の経緯については期のアメリカを席捲していた赤狩りを寓話 九四八年だったから下一一桁の数字をひっく『火星年代記冖新版〕』の高橋良平さんの解的に描いたものだと言われたり、あるいは りかえしただけのことだというのはよく知説に詳しいが、これについても、一九五〇逆に、共産主義が蔓延する恐怖を描いたも られている。あれはじっさい未来のことを年のプラッドベリはいろいろ考え悩んだ末のだ、とその映画を監督したドン・シーゲ 書いた小説というわけでもないから、年代に一九九九年に設定したというよりは、二ル本人が言ったりした。作品の時期が同時 はいつでもよかったのだろうが、こんなオ十世紀のおわる一九九九年あたりにとりあ代に設定されていたことも、そんな論議を ーウエルのように、あんがい書き手たちはえずはしておこうかという軽い気持でかた巻きおこした一因だろう。そんな論議に作

8. 本の雑誌 2015年12月号

・ハイマントウロウ 裏路地の小さな薄汚れた店で、ギ中国名では洋金花や白曼陀夛と言われてい ヨーザを食べながら「午後はどうする。これほどいっせいに咲き誇ったプルグ る」と相談すると、なぜかきつばりマンシアを見るのは初めてである と「植物園に行こう」と断言され「美しい。美しすぎる」だが、「かなり危 た。パスで行けばすぐだという。植険な花」だ。日本画家の田中一村が赤い 物園の人口に運転手つきの電動のカ鳥、アカショウビンとともに描いた絵が頭 ートがあったので、それに乗ることに浮かんだ。幻想的な花の風景に自分の体 にした。無論お金は取られる。広大が溶け込んでいくようであった。 な植物園に足を踏み人れた瞬間、歩「行くわよ」キタキツネの一声で我に返 り、カートに乗り込んだ いていては日が暮れると確信した。 夕方いくらか風が出てきて寒くなった頃 やはりカートが正解であった。 六千種以上の亜熱帯植物が生育すに、もときた門の前に出ると、なんと章青 る植物園は南国の花がいたるところ年のピカピカに磨かれた黒い車が待ってい ウェイシェンマ に咲いて、夢心地になる。見るべきた。私は思わず「カ什幺 ( なぜ ) 」と叫ん 区ポイントでカートは止まり、アジアでいた ト“最大のサポテン園ではじっくり三十 、 0 〒 い分ほど時間をとってくれる ◆新刊「人生のことはすべて山で学んだ』 ( 沢野 ひとしの特選日本の名山 / 海竜社 ) がⅱ月に発 私はプルグマンシア、通称エンジ 0 ろ 91 売されます。 エルストランペットの花の前で釘付 ナ日イ ◆サイン会と懇親会 、ト ) けになった。下向きに垂れ下がった 、ンにナャ 月 6 日 ( 日 ) 午後 1 時 5 、午後 4 時 5 花が甘い香をただよわせている。美想雲堂松本市大手 4 ー グら′ ( 8 7 ー 8 4 ・つ」 ( 乙 ケイ一 しいが有毒な成分を持っており、ロ 月 9 日 ( 水 ) 午後 7 時 58 時半 にすると錯乱状態になり死に至ると ネ窰をこ 書泉グランデ千代田区神田神保町 1 ー 3 ー 2 7 きだち いう。「木立朝鮮朝顔」とも呼ばれ、 谷 oco ー 3295 ー 00—— ( 5 階売場 ) 131

9. 本の雑誌 2015年12月号

名の記された引き出しから原稿を貰って帰死して、死亡の原因となった病名を書き込持ちも見せない ( 一九七二年「別冊新評 ったと回想している。それほどの流行作家んだ書類である。医師が死因に不審を覚え作家の死・牧逸馬氏急逝死因に一点の謎」 だったということである たときには、行政解剖あるいは司法解剖により ) 。 この作家長谷川海太郎が亡くなったの回される 流行作家の死に際してマスコミ人や一般 は、一九三五年 ( 昭和十年 ) という昔のこ黄ばんだわら半紙のような検案書には、人が抱くのはせいぜいこの程度の感想であ 十年もするとたちまちその盛名も消滅 とだ。折しも新潮社から「一人三人全集」死因として「脳溢血」と書かれていた。謎り、 という海太郎の全集が刊行中で、売れ行きである。全身の紫斑は、それではいったい してしまう。ある時代、大人であれば誰も も好調だった。この最終巻が刊行されようどうしてできたのか海太郎は、妻が異常が知っていたであろう流行作家の名前が現 という年の六月一一十九日の朝に三十五歳とに気がつく前に絶命していたので、脳溢血在どれだけ記憶されているだろうか。流行 いう若さで死に見舞われたのである。毒殺で一瞬にして亡くなれば、紫斑など生じる作家はその名前の通りに、ひと時の流行の とか自殺ではなく、病死と見られたが、そはずもないしかも、先に書いたように、産物に過ぎないのである さて、戦前の大流行作家の死について述 の状態がいかにもおかしい。全身に紫色の新聞の報道では心臓麻痺となっている。 斑紋が表われていたというので、年上の夫山田風太郎の『人間臨終図鑑』の牧逸馬べていたら、紙数が尽きてきた。戦後の流 人は警察で事情を聞かれることになる。しの項では、その謎を見事に解決している。行作家のうち、西村寿行の遺書の話題で最 かし、自殺するような原因も特定されなか海太郎には喘息という持病があったのであ後を締めくくろう。『作家という病』の西 ったので、行政解剖も行われず、病死とい る。毎日新聞の学芸部記者の証言である。村寿行の章で私は、最後に寿行の遺書の一 うことになった。新聞では心臓麻痺と報じ〈見るにたえない呼吸困難、ついにむざん部を引用した。そこには、「動物は親兄弟 られた。 の死を悼んだりすることはない、自分の死 な窒息死である。〉 今から十年くらい前のことになるだろう毎日の記者には作家に対する愛情があつを特別なことと思い決めるのは、ヒト類の か。私は、海太郎の末弟の四郎の息子で、たようだが、ほかのマスコミはひどいあ奢りだろう」というような言葉が述べられ 甥に当たる長谷川一兀吉さんと鎌倉文学館でる人は次のように書いた〈格別にショッている。流行作家たちがたちまち忘れられ 保管されている海太郎の死体検案書とデスクもうけず、悲しくもなければうれしくもようが、「あたりまえじゃねえのーと、独 マスクを見に行った。死体検案書とは、医なく、ニャニヤしながら、「ふうむ、死んり誰にも見守られず死んでいった寿行なら 師のいないところで死んだ場合に医師が検だかね。牧が」 ( 後略 ) 〉となんの哀悼の気一一 = ロうことだろう。

10. 本の雑誌 2015年12月号

すら感じる。が、もしかしたら京都人の奧いかとわたしには思えるのだ。かくのごとる。鋼鉄を絹で包んだようなーーーそもそも 底にある「金儲けへの嫌悪と羞恥」の顕現きインテイメイトな対象を主題としながら英国の名優ジョン・ギルガッドの声を指し 一定の距離感を保ち続ける絶妙な″間合た表現だがーー作風だとわたしは思ってい である可能性もある。興味深い作家だ。 し / は京男そのもの。 る。前回の帰国時にご本人とお会いする機 てなわけで、京都 ( 的なもの ) について スカトロジーを描いた『理髪店主のかな会があったのだけど、愛らしいご容姿と柔 の漫画を描こうが描くまいが隠しようもな く典型的な京都人漫画家を挙げるとすれしみ』 ( 双葉社 ) や『 100 万人のマスチらかな話し方で辛辣なことをビシバシおっ ば、まず筆頭がひさうちみちお。そしてゲン』 ( 青林堂 ) に満ちる韜晦とおかしみ。しやる、まさに作品通りの方であった。 手塚賞受賞作『逢沢りく』 ( 文藝春秋 ) 『きようの猫村さん』のトボけた味が爆発ジェンダーの問題をセクシャリティと切り 的な人気となった、ほしよりこだろう。 離すというアクロバットを成功させた性器はそんなほしの京都性が遺憾なく発揮され 世紀の名作『山本さん家の場合に於るた彼女のエボックとなるべき漫画。ここに 異論があるとすれば、みうらじゅんとグ レゴリ青山だけれど、わたしはこの二人にアソコの不幸に就て』 ( チャンネルゼロ ) 登場する″あたたかな。試練の数々が犇め さほど京都を感じない。そもそもご両人をなど、どれも紛々と京都人の体臭を放つ。く【関西】とはまさしく、これ以上ないく 漫画家というより絵付き随筆を描かれるエもっとも京都そのものが登場するのは歴らい京都なのだけれど、前述した美しいイ くメージの表層に読者が足を取られないよう ッセイストだと個人的には認識している。史ドラマ『義経の赤い春』 ( 角川書店 ) ↓びこ - っ 京都と京都人についての著作 ( それも出来らいで、あとは『向日町の午後の秘事』 ( 風言葉を置き換えたのであろう。 最後に、ストレートに京都を描く京都人 のよい本 ) を何冊も上梓されているグレゴ門社 ) や『人生の並木路』 ( 河出書房新社 ) いっかが作家、寺島令子について触れておかねばな リを京都つぼくないと評するのは無理があなどェッセイ風の読み物が多い るのは百も承知だが、彼女の視点には京都っふり碁盤の目の土俵の上で、京と四つにるまい。いまやすっかりネトゲの人だが、 デビュー作『チルドレンプレイ』初読時の 人である必然性を感じないとでも言えば解組んだ漫画を読んでみたいものである ってもらえるだろうか ? 先だって第十九回手塚治虫文化賞マンガ歓喜をわたしは一生忘れない。 じゃらけつおけつで / ちんぼむいて 逆を返せば、スケベやアソコについて描大賞を受賞したほしよりこ。彼女の出現 いていても、ひさうちのオリジナリティはは、高野文子が漫画界に登場したとき以来ほい ( 中略 ) ぼんさんがヘをこいた / におい 京都でなければ誕生しなかったし、彼が京の衝撃であった。とにかく他の追随を許さだらくさかった ( 講談社】百八十一一ページ ) 都人でなければ獲得できなかったのではなない独特のシニシズムをお持ちの作家であ諸君、これこそ京都の正体である。