◎明智光秀のおもてなし 秀 光 智 み 1 ・・・・ , 、 ( 、人も。。 , 攵耘の一 ) もうと発 明 さていつぼうの家久のばあい、桜の季節が過ぎてから入京 の 城 したせいか、その日記に花の記事はあまり見えない。京都に 本 おける彼の関心はもつばら神社仏閣・名所旧跡や歌枕にあっ た模様で、氏真に劣らず精力的に洛中洛外を見て回り、さら に紹巴たちと連歌に興じている。散文ということもあって、 紹 村 氏真の『詠草』にくらべ、人の匂いが濃厚である。 久 おもてなしという観点から家久の日記を読むと、右に述べ 津 島 た紹巴ら連歌師たちとの交流が印象深い。京都の観光もたい ていは紹巴の導きによるものであった。 ゞ所 所 さらに紹巴は家久を志賀 ( 近江 ) へと誘っている。一行が 編 京都を発ち近江に着いたのは五月十四日のことである。紹巴 = 「・呉角→そご、一そ史 の友である坂本城主・明智光秀が一行の到着を待っていた。 ト、、ーの東さ 着いた日に坂本の城下に泊まったところ、光秀から舟が差し 回され、琵琶湖を舟で案内された。 翌日は光秀より坂本城への招きを受ける。兄の義久と信長 が正式な外交関係を持つのは、この五年後の天正八年のこと である。そうしたこともあったのか、信長の重臣たる光秀の 久浄 招きを受けるかどうか迷っていたところ、光秀自身が城を出 家 事 輔 ーいはえの謇、・ ( あ ~ ネをえクやを人 て家久たちのもとにやってきて、紹巴もくわえ食事を振る舞矚」 われた。茶の湯も勧められたが、家久は不案内なのでとただ 受 三フす伍乃、 ~ 、きれなハぐ 一三ロ 三ロ
葛飾北斎筆天保年 ( 1842 ) ライデン国立民族学博物館蔵◎ Collection NationaaI Museum van We 「 eldcultu 「 en. Co =. コ 0. R\/ ・ 35 一 3 ム 496 XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX 葛飾北斎 ( 1760 ~ 1849 ) 江戸後期の浮世絵師。江戸本所の生 まれ。洋画を含むさまざまな画風を学び、すぐれた描写力と大 胆な構成を特色とする独特の様式を確立。画風とともにしば しばその号を変えた。版画や肉筆画など、傑作を多数遺す。
滞在した。ふたりの滞京はわずか数日だけ重なっていること内将芳『戦国時代の京都を歩く』・観泉寺史編纂刊行委員会『今 になる。 川氏と観泉寺』など ) 。以下これらを参考に、ふたりの旅人 戦国武将の「上洛」というと、何か天下に覇を唱えるためが京都にいるあいだ、いかなるおもてなしを受けたのかとい う観点から、ふたつの旅の記録を読んでゆきたい。 といった大げさな印象を思い描きがちだが、いま記したよう 京都といえば、昔も今も神社仏閣の観光である。ふたりが に、ふたりの旅は「物詣」「参詣」が主であり、言ってしま 見て回った場所は、現代のわたしたちが京都観光のとき訪れ えば物見遊山の私的な目的だった。 氏真が入京した日がわからないのは、記録が歌集のかたちる場所とほとんど変わらない。祗園・清水寺・知恩院・ かもわけいかづち 三十三間堂・東福寺・北野天満宮・賀茂別雷神社 ( 上賀茂神 になっているからである。旅のあいだに詠まれた歌が主体で ことばがき あり、その詞書に訪れた場所や印象が簡潔に記され、どくま社 ) ・嵯峨嵐山・龍安寺などなど、今人気の観光名所が四百 れに日付が入っているのでだいたいの時期がわかる。歌はほ年以上前からそうであったことに驚かされる。 たとえば金閣。氏真は詞書に「金閣は三重にして塔の如しー ぼ時間順に並んでいると思われる。対する家久のばあいは、 つくり さとむらじようは と書く。家久もまた「金客 ( 閣 ) 三かい作也、上ハ三間也、 滞在中、連歌師・里村紹巴らとたびたび連歌を楽しんでいる いたじき ものの、みずからが詠んだ句は一切記していない。散文の日板敷ハ黒漆也」と書いて、ふたりとも金閣が三階建てである 点を特筆している。金箔で飾られた ( もっとも一層は箔が置 記紀行である。色々な意味で対照的なふたりの旅人ではあっ 0 かれていないが ) 堂舎が三層であることに驚いたのだろうか。 ふたりの武将には歌心という共通点がある。そのため洛中 洛外を訪れた目的の隅には、神社仏閣への参詣のほか、歌枕 ◎名所旧跡と歌人の足跡 への関心があった。言わば″文学散歩〃である。わたしたち えいそう が映画やドラマのロケ地を訪れて満足をおぼえるようなもの 氏真の記録『今川氏真詠草』 ( 国立公文書館内閣文庫所蔵 ) なかっかさたいふ と、家久の記録『中務大輔家久公御上京日記』 ( 東京大学史であろうか。 とりわけ崇拝すべき歌人の第一である西行や藤原俊成・定 料編纂所所蔵 ) にはそれぞれ詳細な紹介や研究がある ( 村井 祐樹「東京大学史料編纂所所蔵『中務大輔家久公御上京日家父子の「遺跡ーについては、ふたりとも足を運んでいる。 記』」・野地秀俊「中世後期京都における参詣の場と人」・河嵯峨にあった西行の庵室跡にて氏真は「西行庵室の跡なとゝ さいぎよう ー 1967 年、山形県生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程 かねこひらく 後期修了。東京大学史料編纂所助手を経て、 2013 年より現職。著書に「記憶の 歴史学史料に見る戦国」「織田信長く天下人〉の実像」「織田信長権力論」ほか。
うほど、雅楽は深くて : かっていないんです。僕らも宮内 多音程だけでなく、リズムも独庁楽部でいながら、洋楽もやって 特です。一番わかりやすいのは「君いるから、頭が洋楽ナイズされて が代ーで、あれもじつは雅楽のリしまっていて、それがいいものか ズム。均等な四拍子ではないんでどうか判断が難しい。そうでなく すね。宮内庁楽部初代楽長の林とも「雅楽は三代修業ーと昔から ひろもり 廣守が作曲しているので。 言われていますが、結局は三代修 草刈そうなんですか ! 一方私業してもわかりません。もしかし たちは西洋的なものに五感が慣れたら先人たちも同じで、わからな ちゃっているから、本来の日本のいからこそ「雅楽とは何かーをよ リズムや間合いは全然わかっていり追求してこられたのかもしれま ないということですね ( 笑 ) 。 せん。私自身、先へ突き進まない 多いや、しゃべっている僕もわと不安というか : ・ 右舞「蘇利古 ( そりこ ) 」で用いられる紙の面「雑面 ( ぞう めん ) 」と手に持つ「白楚 ( ずばい ) 」。 草刈自分の経験上、同じことのだいて、気づくことが多かったで 繰り返しだとじつは衰退してしす。対談のお話をいただいたとき まって、ゴールを決めずに上を目に、僕は舞はやるけれども専門で 指すからこそ維持できたものがあもないし、そういうお話はできな るんだと実感します。 いと一度は申し上げたんです。で 多おっしやる通りです。昔のまもお受けした唯一の理由は、お相 まにコビーして受け継いでいた手が草刈さんだったからです ( 笑 ) 。 ら、雅楽も絶対に残っていないと 草刈まあ、ありがとうございま 思う。私もいろいろとど質問いたす ( 笑 ) 。 取材 雅楽は深遠な世界で、資料をいくら読んでも、舞も 見れば見るほど何を表現しているのかわからな かったんですけれども、雅楽とは「表現しない。理 解しようとするものじゃない」という精神が反映 されているとわかったことが大きな収穫でした。 そういう踊りって他のジャンルにはなかなかない んじゃないかと思うんですね。それは雅楽の特徴 というだけでなく、日本人の精神の特徴でもある のかな、と。日本人の精神について、歴史を伝え継 いでおられる多先生から生の声をうかがえたのは 貴重でした。 くさかりたみよー東京都生まれ。 8 歳からバレエを始め、 16 歳で牧阿 佐美バレエ団に入団。同団プリマバレリーナとして活躍する一方、国 内外で幅広く客演。 96 年に映画「 Sh 訓 we ダンス ? 」に主演し、女優と して数々の賞を受賞。 2009 年の公演でバレリーナとしての幕を閉じ、 現在は女優として新たな表現の場を開拓している。
えた栄西 ( 一一四一—一二一五 ) に師事し、入宋した道元 ( 一 ふかんざぜん 二〇〇 5 五三 ) は、坐禅の方法や心得を説いた『普勧坐禅 儀』を、岩に松、水辺に集まる野馬などの文様を摺り出した 舶載の鑞箋に書いています。掛物として伝わっている墨蹟の なかには、鑞箋などの唐紙を用いたものが少なくありません。 げじゅ 法語や偈頌などを、貴重な鑞箋に書いているのは、禅の教え を弟子などに伝えるにあたり、何らかのメッセージを料紙に 込めているのではないかと思います ( 写真 2 ) 。 墨蹟のほかに、茶席では懐紙もよく掛けられます。王朝貴 族の場合、懐紙の料紙にはいずれも檀紙を使用しています。 す。このように、掛物となったことで、貴重な本文が今日に 当時の貴族や僧侶など社会的に地位の高い人々は、厚手で柔伝わった例もあります。大聖武の料紙は、料紙に漉き込まれ だび らかい溜め漉きの檀紙を求める傾向にありました。檀紙の掛た粒々が釈迦を荼毘に付した骨粉であるという言い伝えから 物を鑑賞されるとき、和歌文学の教養を示す内容のほかに、 荼毘紙と呼ばれていますが、科学的な分析により、マュミの その料紙を選択した人々の美意識に思いをめぐらせてはいか樹の繊維で作られていることが判明しました。この荼毘紙は、 がでしようか。 『正倉院文書』に登場する七四九—五八年のわずか九年間だ さて、茶掛に古筆を用いた最も早い例は、武野紹鷦 ( 一五け使用されたと考えられています。 〇二 5 五五 ) が藤原定家 ( 一一六二 5 一二四一 ) の小倉色紙 普通、唐紙の掛物を博物館で展示する場合、ケースの外か を掛けた天文二十四年 ( 一五五五 ) 十月の茶会です。古筆切ら照明を当てるなどの工夫をしなければ、料紙の文様はほと とは、巻子本や冊子本を切断し、掛物などの形にしたもので、 んど確認することはできません。しかし今回、館内の庭園に 茶の湯の盛行につれて多くの人に愛好されました。 ある茶室の床に掛けて ( % 頁 ) 、障子を通した間接的な明る おおじようむ たとえば聖武天皇筆と伝える「大聖武ー ( 写真 3 ) は、書さだけで、唐紙の文様が鮮明に見えたとき、また障子のわず 跡のアルバムといわれる手鑑の巻頭に貼られる名品ですが、 かな開け閉めにより、庭の花の色でほのかに色彩が変化した ついぜん 掛物となっているものは今も追善の茶会などに用いられまとき、茶室という建物の奥深さを知らされた思いがしました。 [ 写真 2 ] 竹紙に蠍箋の唐紙 夢窓疎石墨蹟偈頌 [ 写真 3 ] 料紙に見える粒はマユミの樹 皮の一部国宝賢愚経残巻 ( 大聖武 )
京西陣 え不の 、当主信三トを 創業 ( 1788 年 ) 以来、 常に最高の品質を追求し続ける こだわりの帯 " 最高の締め心地 " を実現するために 約 6000 本の経糸を使用し、 しつかりと打ち込むことにより、 薄ぐ軽ぐ強い生地に仕上がります。 是非、最高の締め心地をおためしください。 たていと 8R ′“服識謾 ※印刷物につき、現物とは多少色に相違がございますのでご了承ください。 服部織物谷 075 ( 256 ) 京都西陣ロい ・本店 / 京都市上京区六軒町通一条上ル・室町店 / 京都市中京区室町通御池上ル・東京店 / 東京都中央区日本橋久松 10-3 http://www.hattoriorimono.co.jp 高糸及袋帯製う匿
夏着物の汗対策に 見えないところで 活躍する 和装肌着集合ー 汗ばむ季節に活躍する、裏方ともいう べき肌着や補正具、長襦袢など、夏着 物の心強い味方をご紹介します。 ひとえ 夏単衣用プレタ長襦袢 「た絽」 37 , 80 円洗濯可 竹のを用いた、肌に優しくソフ 合いの長襦袢。衿芯いらずの 半衿が縫い尹けてあり、半衿ごと洗 濯機で丸洗いできます。 本麻スリップ共袖 12 , 420 円 (M ・ L) 洗濯可 夏におすすめの本麻のインナー。自 然素材ならではの着心地と、家庭で 簡単に洗える手軽さが麻素材の魅力 です。 燈芯あしべ織汗取り 15 , 120 円 (M ・ L) 洗濯可 燈芯とは、イグサの蕊 ( ずい ) を取り除いた 吸汗性が高い素材。この燈芯を胴部分に 使っています。夏だけでなく 1 年を通じて 補正用の肌着としても使用できます。
テープノレで し、つ、 監修榎本宗白茶道家 撮影 = 元家健吾 今月の空間 小庭に面した縁側 冖八月〕 夏休みに 一碗を通して世代を 超えた触れ合いを お盆に帰省した際、おじいちゃんや おばあちゃんと一緒に一服を楽しんで はいかがでしようか。 ちゃびつうちわ 古いお家には、縁側・茶櫃・団扇・ どざ 茣蓙など、近頃なかなか目にしなくな った懐かしいものが多々あると思いま す。今月はそれらを活用した取り合わ せを考えてみました。 冷房や扇風機がなくとも、趣向をエ 夫すれば涼しさを感じられます。暑い からといって室内に籠るのではなく、 万緑を望みながら縁側で自然を感じる のもよいものです。 テーマを考えましよう えのもとそうはく一 1977 年、東京都生まれ。裏千家学園茶道専門学校卒。葛飾区で代々続く稽古場を中心に 子どもから大人まで幅広く教授する。東京都市大学非常勤講師ほか、学校や企業での稽古も多数。
なごみ 里山の風雅をもとめて 現代の市中の茶庭へ 茶事や茶会をおこなうための露地として、露地のエ ッセンスを取り込んだ住まいの庭として、茶味のあ 集る庭は今、どのようにつくられているのでしようか。 特 次号では、狭くて も、ビルの谷間で も、創意工夫次第 で市中に山水を取 り込んだ実例を紹 介します。 縁先の立ち蹲踞 刀装に見る茶人の美意識 ひごこしら - ん 肥後拵を中心に 日本刀の外装である拵。そこ 集には多くの匠の技が結集し、 特武士の美意識が反映されてい 小ます。細川家特有の肥後拵や、 茶道具の意匠の刀装具など、 そこに込められた茶人ならで はのこだわりをお伝えします。 9 月号の予告 鐔志水甚五作茶筌図 編集部より 「りようし」と聞いてすぐあの美しい紙が思い 浮かびますか ? これほど手を尽くした紙が 千年以上も前から作られていたとは : : : 。各 方面のプロフェッショナルに伺った、料紙の 面白さと魅力が皆様に伝われば幸いです。 ( 八 ) 強い日差しのなか、打ち合わせに右往左往す る日々。暑さを避けてギャラリーに立ち寄る 機会が増えてきた。先日はめずらしい武将の 茶杓を拝見できて眼福。灼熱の街を汗して歩 くのも、たまにはいいことがあるもの。 ( 渉 ) 「自分は鎖のひとつにすぎない」。「舞おどりの 流儀」取材での多氏の一語が印象的でした。無 私の志、慎み深い高潔さ。我々先祖の生き方を 思わず回顧。とかく主張を求められがちな現代 日本ですが、皆様にはどう響きましたか ? ( 花 ) 最新のバイオ酵母や麹菌、山田錦があれば、 高度な技術がなくてもロ当たりのいいお酒が 造れてしまう現代。科学技術の発達がもたら す利便性の代償として私たちが失ったものは 何か、改めて考えさせられた取材でした。 ( 博 ) 「定期購読」のお申し込み 『なごみ』定期購読をご希望の方は、 書店もしくは直接小社出版営業部まで お申し込みください。 淡交社 http://www.tankosha.co.jp 本社 / 〒 603-8588 京都市北区堀川通鞍馬口上ル 電話 : 075-432-5151 Fax. 075-432-5152 支社 / 〒 162-0061 東京都新宿区市谷柳町 39-1 電話・ 03-5269-7941 Fax : 03-5269-7949 編集兼発行人 = 納屋嘉人 発行所 = 株式会社淡交社 本社〒 603 - 8588 京都市北区堀川通鞍馬口上ル 谷 075-432-5151 ( 出版営業部 ) 谷 075-432-5161 ( 編集局 ) 支社〒 162 - 0061 東京都新宿区市谷柳町 39-1 谷 03-5269 - 7941 ( 出版営業部 ) 谷 03 - 5269 - 9831 ( なごみ編集部 ) http: //WWW. tankosha. co.jp 印刷 = 大日本印刷株式会社 製本 = 株式会社 DNP 製本 平成 28 年 8 月 1 日発行 定価 864 円 通巻 440 号第 37 巻第 8 号 2016 年 8 月号 落丁・乱丁本がございましたら、小社「出版営業部」宛 にお送りください。送料小社負担にてお取り替えいた します。本書の無断複写は、著作権法上での例外を除 き、禁じられています。 プレゼントご希望の方は、官製ハガキ に住所・氏名・電話番号・年齢・本誌 への感想を必ずご記入の上、〒 162- 。 061 東京都新宿区市谷柳町 39-1 淡絽ちりめん小風呂敷 交社なごみ編集部プレゼント「小風呂 敷」係まで。締切は 8 月 25 日 ( 木 ) 当日 消印有効。当選発表は 10 月号誌上、 賞品の到着は 9 月下旬。応募に際し、 いただいた個人情報は、プレゼント の発送、当選者の発表やご本人への 連絡に利用し、統計的に処理した上 で、誌面企画立案の資料として活用 させていただきます。 6 月号のプレゼント コシラエル製 晴雨兼用傘「 LULU 2 」 当選者竹内光子様 プレゼント 4 ー ( 小特集にちなんで ) 5 名様にプレゼントいたします。 ※柄の指定はできません。 あらかじめご了承ください。 127 頁「茶の湯単語クイズ」の答え : 帛紗 fukusa 128
茶 五ロ ~ こんなときどうする ! ? ~ 監修保科眞智子茶道家 第 8 回薄茶編ーお茶のいただき方一 「なせお茶碗をまわすの ? 」 よ朝 - ・ 1 2 3 ヰ Please eryoy ・ ( どうぞ。 ) Please +urn ナ e ナ ea ら ow / clockvvise ナ 0 avoid the 作 0 ナ . ( 茶碗を時計回りに 2 度 まわして正面を避けて ください。 ) 0 What ロ beauti ん′ ナ ea ら ow 卩 ( わあ ! きれいな茶碗 ! ) But e ナ e nice design WO ナ be seen. ( でもこうしたら素敵な柄が 見えなくなっちゃうよ。 ) Can you s 0 Ⅳ me ow ナ 0 drink? ( 飲み方を教えて くれる ? ) ls 計 okay? ( いいのかな ? ) こんなときは・・ ほしなまちこ ー 1972 年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒業。国際茶道文化協会会員。都内インター ナショナルスクールほか国内外で英語による茶の湯のナビゲーターとして活躍中。生家は旧子爵保科家。 イラスト = 根津あやぼ 126